- 松永史談会 -

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御用学者&皇国史観の喧伝者平泉澄(ひらいずみ きよし):東京帝大旧職員インタビュー記事

2014年11月26日 | 教養(Culture)

平泉澄(1895-1984):東京帝大旧職員インタビュー

平泉の経歴

東京大学文書館紀要 第15号 1997(平成9)年3月
表紙(目次・奥付)
論説
帝国大学体制形成に関する史的研究―初代総長渡辺洪基時代を中心にして―(中野 実)
資料
大学予備教育における普通教育の位置づけ
―明治三十五年学制改革案に対する二つのモデル―(所澤 潤)
学徒動員・学徒出陣関係『文部省往復』件名目録(昭和十二~二十年)
東京大学旧職員インタビュー(3)
平泉 澄氏インタビュー(三)


明治20年ころの東京帝大の本郷キャンパス内には狐が出没したという話から、震災後初めての会合とは関東大震災後初めての意味だろ。その震災後大正12年10月27日に日本学会と文科大学合同の学会が開かれ、平泉澄(1895-1984)は「対馬のアジールについて」(後に平泉『中世に於ける社寺と社会との関係』、一九二六年に収録)、金田一京助(1882-1971)は「アイヌの歌謡について」の研究報告を行った。その時の出席者に文科大学の井上哲次郎と高島平三郎らがいたという話だ。当時の高島はその何日か後には南満州鉄道会社の招請で満州に出かけている。当時平泉は28歳(高島の長男文雄/東京帝大法科卒とは同じ年齢)で東京帝大講師に就任直後、高島は59歳。平泉にとっては高島は著名な心理学の大先生に思えた事だろ。大正9年に起こる森戸辰男筆禍事件(「クロポトキンの社会思想の研究」、森戸家は旧福山藩士の出身、森戸辰男自身は高島が誠之舎舎長時代の寮生)の話題も語られているが、大正8年には高島が影響力を行使してきた洛陽堂からは上杉慎吉『暴風来』が上梓されたりしていた。


題字には特徴がある、多分前田剛二制作だろ




筆禍事件で大騒ぎしたのは、周知通り、上杉慎吉を中心とする興国同志会の面々。上杉らは森戸論文は「学術の研究に非ず、純然たる無政府主義の宣伝」と攻撃。
高島平三郎は郷党の後輩:森戸辰男に纏わる本筆禍事件をどのように受け止めていたのだろ。
森戸がかつていた大原研究所には労働衛生の専門家として永井潜の弟子が入所していた。


大正12年11月の中世史関係の平泉の講義には聴講生として女性方がたくさん出席していたようだ。若手歴史家ホープということで大人気だっただろ。花井卓蔵の娘(のちの検事総長夫人)、のちの松村兼三文部大臣夫人・旧姓平山ヒサ・・・・。東京帝大の聴講生になる女性たちの中には専ら結婚相手探しが目的の人もいたのだろか。

「対馬のアジール」に注目した網野善彦『無縁・公界・楽』に関して甥の中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』
「帰り際に網野さんから手渡された、平泉澄の著作『中世に於ける社寺と社会との関係』(一九二六年)を小脇にかかえて、名古屋駅から新幹線に乗り込んだのは、たしか一九七六年かその翌年のことだったと記憶する。その本の第三章をとくによく読んで、あとで意見を聞かせてほしいと言われたのだ。そこには「アジール」の問題が取り上げられている。その論文はたぶん、この主題をめぐって日本人が書いたはじめての研究だ。内容はたしかに画期的だが、そこには克服すべき多くの問題点が含まれている。しかし、その克服の作業はまだじゅうぶんにおこなわれたことがない。宗教学から見て、この本の価値をどう判断するか、よく考えてみてくれないかというのだった。
--略--
若き平泉澄の知的冒険ー対馬のアジール
大正八年の五月、当時まだ大学院に入りたての学生だった平泉澄は、玄界灘を越えて対馬に渡っている。古記録に散見する、対馬の天童山周辺に実在したという「アジール」の痕跡を確かめる旅であった。これについていちばん古い記録は、朝鮮の魚叔権が著した『稗官雑記』にある、つぎのような記事である。
「南北に高山あり、みな天神と名づく。南を子神と称し、北を母神と称する。家々では素齪をもってこれを祭る。山の草木と禽獣をあえて犯す者なく、罪人が神堂に走り入れば、すなわちあえて追捕せずと」(中沢による読み下し)

南北にそびえる高山とあるのは、南岳は豆酸村の龍良山をさし、北岳は佐護村の天童(道)山をさすと伝えられる。いずれも実在の場所であり、十六世紀後半に書かれたこの記事が信用するに足るものとすれば、かつて天童山周辺の山林ではいっさいの動物や植物を傷つけることが禁じられ、罪人でさえその山林に走り込んでしまえば、もう世俗の法の力の及ばない領域に入ってしまったとして、人々は追捕をあきらめなければならなかった。人類学的に見ても、これはまぎれもないアジールである。「野生の思考」が活発な働きをおこなっていた頃には、人間は自分たちの生きている世界を、社会的な規則がつくりあげている「文化」の領域と、動物や植物の生命を生み出しているトランセンデンタル(超越論的な バルタン注)な力の支配する「自然」の領域とのふたつに分けて、ものごとの意味を思考しようとしていた社会的な規則の支配できる領域は、まだ今のように地球上に全面化されていなかった。それは人問の開墾した狭い領域に限られていたため、自然の根源につながるトランセンデンタルな力の充満している領域は、「神のみそなわすところ」として、社会的な規則や法の支配圏の外部に置かれたのである。」
超越論的な力の支配する場として対馬のアジールを口にし出すと中沢新一のように堕落した観念の遊戯に帰結してしまう(フッサールの超越論的現象学から着想を得て使っているのだと思うが、観念の遊戯という面では丸山真男のいう「歴史意識の古層」と同類)。網野善彦の場合『無縁・公界・楽』はその超越論的な力の支配する場が有する絶対的自由の特殊中世日本的発現形態として仮構されており、(網野は素晴らしい感性をもった大学者だが、)こうなってくると、もはやまじめな学知的論争をいくらやっても無駄な様な気がする。

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