- 松永史談会 -

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久々に『偽書の世界-雑誌、ユリイカ2020-12』、青土社

2024年09月07日 | 断想および雑談
馬部隆弘さんの対談を掲載していたので、ふと昔懐かし青土社の雑誌をみかけ図書館より借りだして見た。

これまでは高島平三郎『心理漫筆』、開発社、明治31年を通じて沼隈郡神村の鬼火伝説(「ややの火」)を、同様の話題は得能正通編纂『備後叢書』所収の馬屋原重帯編著『西備名区』にも収録されている。この手の話題は相も変わらず面白おかしく庶民の読書空間の中で飛び交っている(。一応断っておくが、この鬼火伝説(「ややの火」)は得能正通が『西備名区』を『備後叢書』編集刊行する段階にわざわざ記載ヵ所を変更し沼隈郡神村・和田屋石井又兵衛+関係の妖怪伝説としてハイライト化している。それを『沼隈郡誌』は踏襲。それに対して、妖怪を迷信として処理した高島の場合はそういう扱い方をしていない)。
嘯雲嶋業調製 万延元(1860)年「備後国名勝巡覧大絵図」記載の妖怪屋敷(『稲生物怪録』)などは江戸後期に国学者平田篤胤によって広く流布され、明治以降も泉鏡花(「草迷宮」)、折口信夫が、そして最近では漫画家水木しげるらが作品化。
この大絵図には三原沖に出現するという「タクロウ火」も記載している。今川了俊『道行きぶり』にも鵜飼いの燈火のように見えると言う形で、三原ー本郷辺りの話題として深夜兵士達のもつ松明なのか否かは不明だが、水面に浮かぶ火の言及をしていた。宮原直倁は海辺の村の慣行として「イサリ」(漁り火のイサリヵ:深夜燈火をもって魚・カニを取る)に言及していた。これと関係するかどうかはわからぬが、私の幼少期には明治生まれの老人が行う夜中にカーバイドランプをもって魚取りに行く「風習」(風習ではなく伝統漁法?)が干潟の発達した松永湾岸には残っていた。
わたしがGeosophie研究の一環としてこのところ取り組んでいるのが虚実混淆居士馬屋原重帯の人文学の在り方についてだ。『西備名区』は偽書ではないが、彼が生きた時代特有のドクサを相当に含んでいる。生活世界次元で言えば、馬屋原重帯は平田篤胤-椿井政隆らとは地続きのところに位置づけられると思うが、私の場合は勿論馬屋原に対して馬部隆弘氏が試みたような思想史的背景を視野に入れながらの椿井政隆=偽書・偽文書制作業者論(付随的に並河誠所の式内社考証批判など)や坂田聡氏らに学びつつも、それとは違った位相で捉え直していくことになろう。


これから『偽書の世界-雑誌、ユリイカ2020-12』、青土社を専門分野に関係なくざっと目を通してみるが、執筆者達の学問的境地の違い、学問研究上のセンスや研究の進展度の違いからか中身は玉石混淆だ。この手の雑誌類には昔ほど期待してないが参考になる部分があればラッキーだと思う。


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偽史言説(非公開)→「創られた由緒」という形では例えば坂田聡 『古文書の伝来と歴史の創造-由緒論から読み解く山国文書の世界』2020
向村九音(サキムラ チカネ )『創られた由緒 : 近世大和国諸社と在地神道家』、勉誠社、2021など。同傾向の研究事例としては近年は枚挙にいとまがない。
【メモ】粗雑な歴史考証結果を一切合切取り込んだ形のと言う面では馬屋原の『西備名区』と共通する教部省編『特選神名牒』
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