- 松永史談会 -

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宮本・高室・艮神社由緒書(偽文書)

2016年10月25日 | ローカルな歴史(郷土史)情報


山南庄49邑のうちから10邑を割って新庄(神村ー山波)を立荘したという。高室宮に神階で5位上を贈られたと。
これって高諸社の話と酷似。「たかむろ」と「たかもろ」・・・・悩ましい発音上の類似性。
以下はかもしれないといった程度の話だが、これまで式内社高諸社の話題は高須村と今津村とでその所在地論争が繰り広げられてきたが、そのいずれでもなくこの「高室宮」辺りが意外と式内社高諸社の故地であったかも知れいないのだ。
そういえば郷土史家の村上正名は『備後松永湾岸』芦田川文庫、H1において高諸社高須説を匂わせた思わせぶりな高須・大元神社の祭神の中に高渚神(渚と諸とは漢字の形状面で類似)があるとの示唆をしている(村上の記述は「高須町大元山に所在する高渚神社(高須八幡=今宮に合祀)の祭神の中に神武天皇が祀られていて、高須はもと高島(吉備高島宮を念頭においた「高島」)で・・・(後略)」、前掲書26-27頁。高渚神=現存する大元神社の旧祭神で、これが今宮に合祀されたことを村上は示唆。なお、地形的にはやや疑問だが、伝承通り今宮は広大な旧大元神社(大元山自体をご神体とするように拝殿は当該山脚部に立地)境内の一角に新造ヵ・・要確認)が、先般今宮さんの老神主にその点を聞いてみたが確認はとれなかった。
高須→高諸というのは呼称の漢字の形状の違い(この場合は類似性)か、今回話題にした山南・高室宮(艮神社)のような表音面での転訛(たかもろ→たかむろ)に注目するかというあたりのことになるのだが・・・・・、どれもこれも決め手に欠けるかもしれいないといった程度の話。しかし、かもしれないといった水準の話(クリフォード・ギアツ風に言えば事実というのは所詮思い描かれたものに過ぎないといった水準での史実の制作)で今津剣大明神が高諸神社に社名変更されそれが現実を形成しているわけだから、式内高諸社=山南・高室宮だった蓋然性もありなのだ。


境内の栃の実


立地場所

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