- 松永史談会 -

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ある地方文芸誌にみる郷土ゆかりの偉人(平櫛田中&高島平三郎)紹介記事

2014年12月28日 | 教養(Culture)


雑誌「青むしろ」昭和10年4月の記事。この雑誌は福山城博物館蔵。


広島県沼隈郡神村青年団 編『広島県沼隈郡神村青年団光栄誌』、昭和8

宰相斎藤実の書は小林篤→小林の恩師高島平三郎→内務官僚OBの丸山鶴吉経由で依頼されたもの。斎藤と後藤新平は幼馴染(岩手県水沢出身)だったが、斎藤が朝鮮総督時代に丸山は警務局長を務めている。

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童心今なお存す・・・永井潜56歳時の年頭の書

2014年12月28日 | 教養(Culture)
この掛け軸は昭和6年新春に永井の並々ならぬ決意と心境が書れたものだ。高島平三郎と出会って人生の一大転機を迎える永井の少年時代の心を、第一高等学校同窓会や東京帝国大学の幹部として56歳の新春を迎えた永井が、初心を忘れずの心境として自分自身や自分の知己に対して言い聞かせる意味で書記化したものだろか。書軸の裏に東京帝大教授・生理学・永井潜先生と注記がある。

日本民族衛生学会 (英名 The Japanese Society of Health and Human Ecology、JPN. SOC. HEALTH HUM. ECOL.) が前年に永井を中心に設立されており、公私ともに人生のもっとも充実した超多忙時代の書軸の一つといえよう。
書体に関しては不案内だが、当時東京在住の広島県人の間で大いに話題になっていた頼山陽の影響を受けているかもしれない。高島平三郎は父親賢斎譲りの頼山陽ひいきで、書体は山陽風。


雑誌「民族衛生」は80年間の雑誌を公開中


昭和7年年初の雑誌「民族衛生」第一巻5号の巻頭言(永井潜執筆)
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