ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

下の原ダム(再)

2019-07-31 15:01:40 | 長崎県
2019年7月14日 下の原ダム(再)
 
下の原(しものはる)ダム(再)は長崎県佐世保市下の原町の小森川水系鷹巣川にある佐世保市水道局が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
佐世保市では1907年(明治40年)に海軍水道からの分水を水源として全国10番目の近代水道として水道事業が開始され、終戦後は海軍水道を事業継承した佐世保市水道局によって事業が一本化されますが、米軍の駐留や朝鮮戦争、さらには高度成長を受けた人口増加から水需要は増加の一途をたどりました。
佐世保市水道局では数次にわたる拡張事業を実施、1964年(昭和39年)からスタートした第7期拡張事業によって1968年(昭和43年)に竣工したのが下の原ダム(元)です。
下の原ダムは佐世保市南部地区への水道水源として日量最大1万1800立米の水を供給していましたが、その後も宅地開発や生活様式の近代化を受け水需要は増大、さらに1994年(平成6年)から翌年にわたるいわゆる平成6年大渇水により給水制限が264日も継続する異常事態が発生し、新たな上水道水源の開発に迫られることになりました。
しかし市内には新たな水源開発の余地はなく、第9期拡張事業として既存の下の原ダムの嵩上げ再開発が進められ2006年(平成18年)に再開発事業は竣工しました。
再開発にあたっては水源機能を損なうことがないようダム堤体下流側に新しいダムが打ち継ぐ方法が採用され、堤高は5.9メートル嵩上げされ総貯水容量は87万立米増加、日量最大取水量も1万1800立米から1万4800立米に増加しました。
注目すべきは異常な渇水時にも必要最小限の水を補給できる渇水対策容量が確保されるとともに、全国で初めて渇水対策容量に水利権が付与されました。
 
下の原ダム再開発事業概要図(現地案内板より)
 
JR早岐駅から小森川に沿って市道を東進すると住宅地の先に下の原ダム(再)が見えてきます。
 
ダム下は公園として整備され芝生の広場が広がります。
 
洪水吐は自由越流式クレストゲートが3門。
嵩上げは下流側に新ダムを打ち継ぐ形で行われたので下から見る限り嵩上げの痕跡は見えません。
 
 
車でダムサイトに上がってみます。
天端は立ち入り禁止ですがダムサイトには駐車スペースがあり展望台にはベンチが設置されています。
 
左手の建屋は放流設備と浄水場への機場。
対岸の山向こうに広田浄水場があります。
 
ちょっとアングルを変えて。
 
ダム湖は総貯水容量230万立米。
再開発により約6割容量が増加しました。
 
上流面
前夜の雨のおかげでほぼ満水。
もっと水位が低ければ再開発のあとが見えるのですが上水用ダムなのでそれは不埒な思いですね。
 
日量最大1万4800立米の取水能力は佐世保市の水道用ダムでは最大ですが、下の原ダム再開発を受けてもなお佐世保市水道の需給は不安定とされています。
これが石木ダム建設の根拠の一つになっていますが、ダム建設の可否について部外者があれこれ言うのは分を超えたものと思われこれ以上の言及はやめておきます。
 
(追記)
下ノ原ダム(再)は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。  

2612 下の原ダム(元) 
長崎県佐世保市下の原町
小森川水系鷹巣川
30.6メートル
169.5メートル
1430千㎥/1319千㎥
佐世保市水道局
1968年
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3344 下の原ダム(再)(1496)
長崎県佐世保市下の原町
小森川水系鷹巣川
36.5メートル
178メートル
2300千㎥/2182千㎥
佐世保市水道局
2006年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム

猫山ダム

2019-07-31 12:18:43 | 長崎県
2019年7月14日 猫山ダム 
 
猫山ダムは佐世保市郊外の日宇川本流上流部の佐世保市黒髪町にある長崎県土木部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、日宇川の洪水調節、安定した河川流量の維持を目的として1974年(昭和49年)に竣工しました。
 
国道35号線日宇町交差点から日宇川沿いの市道を東に進むと猫山ダムに到着します。
小ぶりなダムですが1974年(昭和49年)竣工と言うことでクレストにはラジアルゲートを装備、常用洪水吐は自然調節式のオリフィスゲートとなっています。
シミュラクラ現象で赤い眼鏡をかけた『おっさん顔』に見えます。
 
赤いゲートが鮮やかな一方、堤体や導流部には苔が生え、完成以来50年近い年月も感じさせます。
 
ダム直下まで迫れます。
非常用洪水吐はラジアルゲート、常用洪水吐は自然調節式のオリフィスゲート。
ゲートレスへの過渡期のダムと言ったところ。
 
天端親柱の銘板。
 
銅板プレートの諸元表。
 
天端は車両通行可能
周辺住民の生活道路になっているようで歩道も設置されています。
 
天端から
日宇川に沿って住宅地が延々と続きます。
そりゃあこのダムがなかったら大雨でアウトやん!って感じです。
ダム下は公園になっていますが、いるのはシニアの皆さんだけ。少子化なんですね。
 
ダム湖は総貯水容量33万立米と溜池サイズ。
 
上流面
右手の管理事務所は貼り付くように建っています。
 
上流から見たゲート
ちょっと目を剥いて叫んでる感じ?
 
(追記)
猫山ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
  
2616 猫山ダム(1495) 
長崎県佐世保市黒髪町
日宇川水系日宇川
FN
32メートル
166メートル
330千㎥/302千㎥
長崎県土木部
1973年
◎治水協定が締結されたダム

郷美谷池

2019-07-31 01:15:24 | 長崎県
2019年7月14日 郷美谷池
 
郷美谷で『ごみたに』と読みます。
郷美谷池は長崎県佐世保市里美の相浦川水系相浦川源流部にある灌漑目的のアースフィルダム溜池です。
池のある里美地区は江戸時代に入植がはじまった山林地帯ですが、当初は水利に乏しく入植者の離散が相次ぎ『ごみ谷』と呼ばれていました。
1803年(享和3年)に平戸藩により当地に灌漑用溜池が築造され、新田開発が進んだことから『ごみ谷』に郷美谷の字を充てたとされています。
さらに1941年(昭和16年)に佐世保市の事業により従来の堰堤を取り込む形で郷美谷池の拡張が行われたことで相浦川流域への灌漑用水供給能力は大きく向上しました。
ダム便覧ではこの1941年(昭和16年)の再開発事業の竣工を竣工年度としています。
現在池の管理は郷美谷溜池管理組合が行っており、総貯水容量45万立米はいまでも佐世保市内の灌漑用溜池では最大規模です。
 
県道53号線の里美トンネル手前を左折して旧道に入り『おさい観音』の標識に従って進むと郷美谷池に到着します。
左岸から。
竣工当時の姿を残す洪水吐の擁壁も楽しみの一つだったのですが草が伸び放題でよく見えず。
 
ダム便覧の写真を見て楽しみにしていた洪水吐を跨ぐ管理橋。
石橋にも見えるコンクリートの管理橋は池の竣工と同じ1941年(昭和16年)のものです。
 
円形越流式洪水吐
ここも草ボウボウですが、これももしかしたら1941年(昭和16年)当時のものかも?
 
左岸の斜樋。
 
総貯水容量45万立米は佐世保市内の溜池では最大規模
標高約510メートルの山中の溜池ですが、曇天という天候もあり深山幽谷の趣です。
 
斜樋操作建屋と上流面
上流面は石積みで護岸されており、これも竣工当時の面影を残しています。
 
竣工記念碑。
 
洪水吐の脇から池の下に下りられます。
底樋樋門直下に三方向への分水工
一部コンクリートが新しいので補修はあったんでしょうが基本は竣工当時のままのようです。
 
アングルを変えて
メカニカルな作りに感心させられます。
 
樋門と下流面
下流面基礎部分も石積みの擁壁。
 
洪水吐を跨ぐ管理橋、池下の分水工と期待を裏切らない郷美谷池です。
池が干上がれば江戸後期享和年間に築造された旧郷美谷池の堤体が姿を見せるようです。
今回は溜池の訪問は少ないのですが、過去に訪問した溜池と比べてもトップクラスの好感度の郷美谷池でした。
 
2600 郷美谷池(1494) 
ため池コード 422020048
長崎県佐世保市里美町
相浦川水系相浦川
17.1メートル
138メートル
450千㎥/305千㎥
郷美谷溜池水利組合
1803年平戸藩によって築造
1941年大規模改修