ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

下の原ダム(再)

2019-07-31 15:01:40 | 長崎県
2019年7月14日 下の原ダム(再)
 
下の原(しものはる)ダム(再)は長崎県佐世保市下の原町の小森川水系鷹巣川にある佐世保市水道局が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
佐世保市では1907年(明治40年)に海軍水道からの分水を水源として全国10番目の近代水道として水道事業が開始され、終戦後は海軍水道を事業継承した佐世保市水道局によって事業が一本化されますが、米軍の駐留や朝鮮戦争、さらには高度成長を受けた人口増加から水需要は増加の一途をたどりました。
佐世保市水道局では数次にわたる拡張事業を実施、1964年(昭和39年)からスタートした第7期拡張事業によって1968年(昭和43年)に竣工したのが下の原ダム(元)です。
下の原ダムは佐世保市南部地区への水道水源として日量最大1万1800立米の水を供給していましたが、その後も宅地開発や生活様式の近代化を受け水需要は増大、さらに1994年(平成6年)から翌年にわたるいわゆる平成6年大渇水により給水制限が264日も継続する異常事態が発生し、新たな上水道水源の開発に迫られることになりました。
しかし市内には新たな水源開発の余地はなく、第9期拡張事業として既存の下の原ダムの嵩上げ再開発が進められ2006年(平成18年)に再開発事業は竣工しました。
再開発にあたっては水源機能を損なうことがないようダム堤体下流側に新しいダムが打ち継ぐ方法が採用され、堤高は5.9メートル嵩上げされ総貯水容量は87万立米増加、日量最大取水量も1万1800立米から1万4800立米に増加しました。
注目すべきは異常な渇水時にも必要最小限の水を補給できる渇水対策容量が確保されるとともに、全国で初めて渇水対策容量に水利権が付与されました。
 
下の原ダム再開発事業概要図(現地案内板より)
 
JR早岐駅から小森川に沿って市道を東進すると住宅地の先に下の原ダム(再)が見えてきます。
 
ダム下は公園として整備され芝生の広場が広がります。
 
洪水吐は自由越流式クレストゲートが3門。
嵩上げは下流側に新ダムを打ち継ぐ形で行われたので下から見る限り嵩上げの痕跡は見えません。
 
 
車でダムサイトに上がってみます。
天端は立ち入り禁止ですがダムサイトには駐車スペースがあり展望台にはベンチが設置されています。
 
左手の建屋は放流設備と浄水場への機場。
対岸の山向こうに広田浄水場があります。
 
ちょっとアングルを変えて。
 
ダム湖は総貯水容量230万立米。
再開発により約6割容量が増加しました。
 
上流面
前夜の雨のおかげでほぼ満水。
もっと水位が低ければ再開発のあとが見えるのですが上水用ダムなのでそれは不埒な思いですね。
 
日量最大1万4800立米の取水能力は佐世保市の水道用ダムでは最大ですが、下の原ダム再開発を受けてもなお佐世保市水道の需給は不安定とされています。
これが石木ダム建設の根拠の一つになっていますが、ダム建設の可否について部外者があれこれ言うのは分を超えたものと思われこれ以上の言及はやめておきます。
 
(追記)
下ノ原ダム(再)は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。  

2612 下の原ダム(元) 
長崎県佐世保市下の原町
小森川水系鷹巣川
30.6メートル
169.5メートル
1430千㎥/1319千㎥
佐世保市水道局
1968年
-----------
3344 下の原ダム(再)(1496)
長崎県佐世保市下の原町
小森川水系鷹巣川
36.5メートル
178メートル
2300千㎥/2182千㎥
佐世保市水道局
2006年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム

猫山ダム

2019-07-31 12:18:43 | 長崎県
2019年7月14日 猫山ダム 
 
猫山ダムは佐世保市郊外の日宇川本流上流部の佐世保市黒髪町にある長崎県土木部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、日宇川の洪水調節、安定した河川流量の維持を目的として1974年(昭和49年)に竣工しました。
 
国道35号線日宇町交差点から日宇川沿いの市道を東に進むと猫山ダムに到着します。
小ぶりなダムですが1974年(昭和49年)竣工と言うことでクレストにはラジアルゲートを装備、常用洪水吐は自然調節式のオリフィスゲートとなっています。
シミュラクラ現象で赤い眼鏡をかけた『おっさん顔』に見えます。
 
赤いゲートが鮮やかな一方、堤体や導流部には苔が生え、完成以来50年近い年月も感じさせます。
 
ダム直下まで迫れます。
非常用洪水吐はラジアルゲート、常用洪水吐は自然調節式のオリフィスゲート。
ゲートレスへの過渡期のダムと言ったところ。
 
天端親柱の銘板。
 
銅板プレートの諸元表。
 
天端は車両通行可能
周辺住民の生活道路になっているようで歩道も設置されています。
 
天端から
日宇川に沿って住宅地が延々と続きます。
そりゃあこのダムがなかったら大雨でアウトやん!って感じです。
ダム下は公園になっていますが、いるのはシニアの皆さんだけ。少子化なんですね。
 
ダム湖は総貯水容量33万立米と溜池サイズ。
 
上流面
右手の管理事務所は貼り付くように建っています。
 
上流から見たゲート
ちょっと目を剥いて叫んでる感じ?
 
(追記)
猫山ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
  
2616 猫山ダム(1495) 
長崎県佐世保市黒髪町
日宇川水系日宇川
FN
32メートル
166メートル
330千㎥/302千㎥
長崎県土木部
1973年
◎治水協定が締結されたダム

郷美谷池

2019-07-31 01:15:24 | 長崎県
2019年7月14日 郷美谷池
 
郷美谷で『ごみたに』と読みます。
郷美谷池は長崎県佐世保市里美の相浦川水系相浦川源流部にある灌漑目的のアースフィルダム溜池です。
池のある里美地区は江戸時代に入植がはじまった山林地帯ですが、当初は水利に乏しく入植者の離散が相次ぎ『ごみ谷』と呼ばれていました。
1803年(享和3年)に平戸藩により当地に灌漑用溜池が築造され、新田開発が進んだことから『ごみ谷』に郷美谷の字を充てたとされています。
さらに1941年(昭和16年)に佐世保市の事業により従来の堰堤を取り込む形で郷美谷池の拡張が行われたことで相浦川流域への灌漑用水供給能力は大きく向上しました。
ダム便覧ではこの1941年(昭和16年)の再開発事業の竣工を竣工年度としています。
現在池の管理は郷美谷溜池管理組合が行っており、総貯水容量45万立米はいまでも佐世保市内の灌漑用溜池では最大規模です。
 
県道53号線の里美トンネル手前を左折して旧道に入り『おさい観音』の標識に従って進むと郷美谷池に到着します。
左岸から。
竣工当時の姿を残す洪水吐の擁壁も楽しみの一つだったのですが草が伸び放題でよく見えず。
 
ダム便覧の写真を見て楽しみにしていた洪水吐を跨ぐ管理橋。
石橋にも見えるコンクリートの管理橋は池の竣工と同じ1941年(昭和16年)のものです。
 
円形越流式洪水吐
ここも草ボウボウですが、これももしかしたら1941年(昭和16年)当時のものかも?
 
左岸の斜樋。
 
総貯水容量45万立米は佐世保市内の溜池では最大規模
標高約510メートルの山中の溜池ですが、曇天という天候もあり深山幽谷の趣です。
 
斜樋操作建屋と上流面
上流面は石積みで護岸されており、これも竣工当時の面影を残しています。
 
竣工記念碑。
 
洪水吐の脇から池の下に下りられます。
底樋樋門直下に三方向への分水工
一部コンクリートが新しいので補修はあったんでしょうが基本は竣工当時のままのようです。
 
アングルを変えて
メカニカルな作りに感心させられます。
 
樋門と下流面
下流面基礎部分も石積みの擁壁。
 
洪水吐を跨ぐ管理橋、池下の分水工と期待を裏切らない郷美谷池です。
池が干上がれば江戸後期享和年間に築造された旧郷美谷池の堤体が姿を見せるようです。
今回は溜池の訪問は少ないのですが、過去に訪問した溜池と比べてもトップクラスの好感度の郷美谷池でした。
 
2600 郷美谷池(1494) 
ため池コード 422020048
長崎県佐世保市里美町
相浦川水系相浦川
17.1メートル
138メートル
450千㎥/305千㎥
郷美谷溜池水利組合
1803年平戸藩によって築造
1941年大規模改修

転石ダム

2019-07-30 12:32:35 | 長崎県
2019年7月14日 転石ダム
 
転石ダムは長崎県佐世保市柚木町の相浦川水系久保仁田川にある佐世保市水道局が管理する上水及び灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として発展し、1901年(明治34年)に近代水道としてまず海軍水道が開設されました。
日清・日露戦争を経て佐世保の発展は著しく、急増する水需要に対応するため海軍水道では数次にわたる事業拡張が行われその一環として1927年(昭和2年)に竣工したのが転石ダムです。
転石ダムは表面石張粗石コンクリート重力式ダムで、隔壁には火山灰を混入したコンクリートが使われています。
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され佐世保市水道局が事業継承します。
転石ダムは上水道に加えて久保仁田川流域への灌漑用水源も兼ねることになり、現在も日量最大2700立米の上水道用水を供給しています。
また戦前の貴重な土木遺産としてCランクの近代土木遺産に選定されています。
 
佐世保市上柚木町の国道498号線から転石ダムが遠望できます。
 
柚木郵便局前を南に折れると転石水源地正門前に到着します。
ここから先は立ち入り禁止。
 
敷地外から堤体を撮影するのみ。
 
 
持参したレンズではこれが限界。
 
念のためダム右岸方向にも行きましたが、この写真が撮れただけ。
 
佐世保市には山の田、転石、菰田相当と戦前戦中の貴重な上水道水源が複数ありますが、いずれも立ち入りが制限され満足に見学することはできません。人の口に入る水の水源ですのでやむをえないと思いますし、観光資源にと言っても首都圏近郊とは異なり石積みのダムで人が集まると思えません。
でもたとえば呉の本庄ダムのように期間限定でもいいので見学する機会があれば!と願うことしきりです。
 
2592 転石ダム(1493) 
長崎県佐世保市柚木町
相浦川水系久保仁田川
AW
22.7メートル
164メートル
246千㎥/233千㎥
佐世保市水道局
1927年

相当ダム

2019-07-30 10:49:43 | 長崎県
2019年7月14日 相当ダム
 
相当ダムは長崎県佐世保市上柚木町の相浦川水系牟田川にある佐世保市水道局が管理する上水用重力式コンクリートダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として発展し、1901年(明治34年)に近代水道としてまず海軍水道が開設されました。
昭和に入り戦争の足音が近づく中、帝国海軍佐世保工廠向けの水源として建設されたのが相当ダムです。
建設にあたっては戦争激化による人員、物資不足の中、南方戦線のアメリカ人捕虜も動員した手作業による突貫工事でダム建設が進められ、1944年(昭和19年)に竣工しました。
この際建設工事に従事したアメリカ人捕虜約50余名が病没し、戦後佐世保市水道殉職者慰霊塔建立の際に彼らも合祀されています。
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され相当ダムも佐世保市水道局が事業継承し、現在も日量最大5700立米の上水道用水を供給しています。
 
佐世保市瀬戸越町から国道498号線を東進、上柚木町に入り柚木小学校前の信号を左折します。さらに上柚木三組公民館前を再び左折すると相当ダム正門前に到着します。
ここから先は関係者以外立ち入り禁止。
門柱は頭頂部に円蓋が乗った戦時中のダムの親柱などでよく見られるスタイル。
 
正門脇から相当ダム堤体が望めます。
ここが唯一の展望スポット。
 
高欄に装飾がみられます。
 
これだけでは身も蓋もないのでグーグルの空撮写真を見てみます。
右岸に湾曲した横越流式洪水吐があり、堤体中央に半円形の取水設備があります。
 
戦時の強制労働という負の側面も持った相当ダムですが、それは日本に限った話ではありません。
強制労働に関わった軍関係者は戦後の軍事裁判で罪を負い、慰霊も継続して行われています。
必要以上の自虐史観は日本人の悪癖ともいえるでしょう。
 
2601 相当ダム(1492) 
長崎県佐世保市上柚木町
相浦川水系牟田川
34メートル
150メートル
415千㎥/400千㎥
佐世保市水道局
1944年

山の田ダム

2019-07-29 23:37:02 | 長崎県
2019年7月14日 山の田ダム
 
山の田ダムは長崎県佐世保市桜木町の佐世保川水系佐世保川上流部にある佐世保市水道局が管理する上水道用水目的の用アースフィルダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として町が開け、その性格上まず海軍水道が整備され1899年(明治32年)に湧水を利用した岡本水源地が完成、次いで水道管設置が進められ1901年(明治34年)に近代水道としての海軍水道が開設されました。
日清・日露戦争を経て佐世保の発展は著しく、1908年(明治41年)に初の本格的水道施設として完成したのが山の田ダムと山の田浄水場です。 
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され、現在も日量最大6300立米の上水道用水を供給する佐世保市水道の主要水源地となっています。
また山の田ダムは水道目的のアースフィルダムとしては、長崎市の本河内高部ダムに次ぐ歴史を誇るとともに、竣工当時は最も堤高の高いアースフィルダムとなっていました。
山の田ダム及び浄水場は土木技術的価値を評価して土木学会選奨土木遺産および近代土木遺産(山の他ダムはBランク)に選定されています。
 
佐世保市中心部から国道204号線を北上し、春日町交差点を右折すると山の田浄水場正門前に到着します。
ここから佐世保川沿いの道を進むと貯水池に沿った遊歩道入口となります。
残念ながら山の田浄水場や山の田ダム敷地は関係者以外立ち入り禁止のため外から見学するしかありません。
この写真は佐世保川に架かる橋から
奥に山の田ダムの堤体が見えます。
 
遊歩道を進むと左手に堤体が見えてきます。
 
望遠で。
山の田ダムは2000年(平成12年)に大規模な改修が行われ、周辺整備も進められましたが一般公開はされていません。
 
手前の水路はダム左岸洪水吐の導水路で、カスケード式になっています。
もっと全体を撮りたいのですが草木が伸びてこれが精いっぱい。
 
遊歩道とダムとの間は樹林がびっしりと繁り、なかなか視界が得られません。
樹間から何とか上流面を撮ることができました。
 
明治期のダムらしい円筒形の取水設備。
今も現役なんでしょうか?
 
左岸に円形越流式の洪水吐があり越流堤下流側が階段状になっています。
 
 
遊歩道をさらに進みますがこれ以上ダムが見える場所はありませんでした。
今度はダム右岸に行ってみます。
こちらも門扉が閉められ塀の外から眺めるのみですが天端ははっきりと見ることができました。
 
長崎の本河内ダムに匹敵する山の田ダムおよび貯水場で、文化庁から重要文化財に指定したいとの打診もあったそうですが、実際の水道業務に支障が出るとの理由で辞退したそうです。
団体だと事前予約すれば見学もできるようですが、遠方からのダム巡りとなればそれも難しいところです。
 
2573 山の田ダム(1491)
長崎県佐世保市桜木町
佐世保川水系佐世保川
24.5メートル
310メートル
640千㎥/551千㎥
佐世保市水道局
1908年

菰田ダム

2019-07-29 11:56:13 | 長崎県
2019年7月14日 菰田ダム
 
菰田ダムは長崎県佐世保市菰田町の相浦川水系の小川内川にある佐世保市水道局が管理する上水道用水および灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として開け、1901年(明治34年)にまず海軍水道が整備され、遅れること6年目の1907年(明治40年)に全国10番目の近代水道として佐世保市水道事業が創設されました。
当初の佐世保市水道は海軍水道からの分水を受けてのものでしたが、その後の町の発展とともに独自の水道施設の確保に迫られることになります。
まず1926年(大正15年)に市独自の山の田第二浄水場が完成、その後1935年(昭和10年)に建設が始まり1939年(昭和14年)に初の市独自水源として完成したのが菰田ダムです。
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され佐世保市水道局が事業継承します。
菰田ダムは上水道に相浦川流域への灌漑用水源も兼ねることになりますが、現在も日量最大1万2600立米の上水道用水を供給すし佐世保市水道事業の主要水源となっています。
菰田ダムの堤高40メートルは戦前の上水道ダムとしては千苅ダム小ケ倉ダムなどには僅かに及びませんが、堤体積13万5000立米は断トツのトップとなっています。
またその土木技術的価値を評価してBランクの近代土木遺産に選定されています。
 
菰田ダムは県道11号沿いにあり、ダムの敷地は立ち入り禁止のため右岸から撮影するのみですが撮影ポイントは意外にたくさんあります。
堤高40メートル、堤頂長387.7メートル、堤体積は13万5000立米に及び戦前の上水用コンクリートダムとしては屈指の規模を誇ります。
前日の雨を受けてクレストゲートから激しく越流しています。
 
通廊入口。
神社風の造りは珍しい。
 
アングルを変えて。
 
クレストゲートをズームアップ。
 
ゲート上部の高欄には装飾が施されているようです。
 
曲線重力式と言うほどではありませんが、堤体は緩やかに湾曲しています。
雨後の曇天という気象条件から堤体はより黒ずんで見え、圧倒的な存在感と重厚感を醸し出しています。
 
堤頂長387.7メートルの堤体は対岸の樹林のはるか先まで続いているようです。
 
同じようなアングルの写真ばかりですがついつい何枚もシャッターを切ってしまいます。
 
この高さで撮ると堤体が湾曲しているのがよくわかります。
 
天端は車1台が通れるような幅で、アスファルトにはタイヤ痕のような跡も見られます。
 
同じ戦前のダムでも長崎市内の石積堰堤とは全く異なる表情の菰田ダムです。
文字通り漆黒の壁といった風でした。

2598 菰田ダム(1490)
長崎県佐世保市菰田町
相浦川水系小川内川
AW
40メートル
387.7メートル
1475千㎥/1462千㎥
佐世保市水道局
1939年



樋口ダム

2019-07-29 10:05:45 | 長崎県
2019年7月14日 樋口ダム
 
樋口ダムは長崎県北西部の佐世保市鹿町町下歌ヶ浦の樋口川水系樋口川にある長崎県土木部が管理する目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の小規模ダム建設事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、樋口川の洪水調節、安定した河川流量の維持、鹿町町下歌ヶ浦地区簡易上水道への上水道用水の供給を目的として1998年(平成10年)に竣工しました。
 
ダム下から
自由越流式クレストゲート2門、自然調節式オリフィスゲート1門のゲートレスダムです。
前日の雨で水位が上昇しオリフィスから放流しています。
 
左岸から下流面。
 
ダムの銘板と諸元表プレート。
 
減勢工と副ダム
右手は放流設備。
 
天端からは僅かですが鹿町湾が見えます。
 
総貯水容量26万9000立米の小さなダム湖。
インレットには親水公園が整備されていますが、例に洩れずやや荒れ気味です。
 
天端は車両通行可能
右手はエレベーター棟、左奥には立派な管理事務所。
 
管理事務所から湖面に階段が下りています。
巡視艇用の浮き桟橋でもあるのが普通ですがなにもありません。
 
インレットの親水公園にある金箔文字の竣工記念碑。
 
上流面
クレストゲートの間に流木除けのゲージが付いたオリフィスゲートがあります。
こちらから見ると管理事務所はまるで船の舳先のようなデザイン。
 
(追記)
樋口ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3020 樋口ダム(1489) 
長崎県佐世保市鹿町町下歌ヶ浦
樋口川水系樋口川
FNW
30メートル
96メートル
269千㎥/263千㎥
長崎県土木部
1998年
◎治水協定が締結されたダム

つづらダム

2019-07-29 01:30:00 | 長崎県
2019年7月14日 つづらダム
 
つづらダムは長崎県北西部の佐世保市小佐々町田原の小佐々川水系つづら川にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の小規模ダム建設事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、つづら川および小佐々川下流域の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、小佐々地区への上水道用水の供給を目的として2004年(平成16年)に竣工しました。
ダム湖上流は親水公園として整備され毎年6月上旬には蛍の大乱舞を求めて多くの観光客が訪れます。
 
ダム下は草木が茂りダム全景をすっきり見ることができません。
自由越流式クレストゲート1門だけの非常にシンプルな構造で、クレスト越流部に切れ込みが入り非常用、常用洪水吐を兼務しています。
 
右岸から下流面
小さなダムですがエレベーター棟があります。
 
クレストゲートをズームアップ
この切れ込みにより非常用、常用洪水吐兼用となっています。
 
天端は車両通行可能。
 
右岸天端に填め込まれたダム銘板およびダム諸元表。
 
総貯水容量36万5000立米のダム湖。
ダム湖上流は親水公園として整備され長崎有数のホタル観賞地として毎年6月上旬には多くの鑑賞者が訪れます。
 
洪水吐導流部と副ダム
副ダムの下流には洗掘を防ぐためブロック工が敷かれています。
左手は放流設備。
 
上流面
手前は取水設備、奥の管理事務所は2階のガラス窓が特徴的なモダンな建屋。
 
上流からもクレストゲートズームアップ。
ゲートの戸当たりは試験湛水時の水止めの板の填め込み用。
 
ダム湖上流から。
 
(追記)
つづらダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3095 つづらダム(1488) 
長崎県佐世保市小佐々町田原
小佐々川水系つづら川
FNW
21.6メートル
96メートル
365千㎥/353千㎥
長崎県土木部
2003年
◎治水協定が締結されたダム

久留里ダム

2019-07-28 02:46:41 | 長崎県
2019年7月12日 久留里ダム
 
久留里ダムは長崎県西彼杵郡時津町久留里郷の久留里川水系久留里川にある時津町が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
時津町は1969年(昭和44年)の長崎都市計画区域指定以降、沿岸埋め立て地への工場集積に併せて人口が急増し、上水道用水需給がひっ迫し慢性的な水不足が続きました。
長崎県は子々川川への県営中山ダム建設事業に着手する一方、時津町も町独自の上水道水源建設を進め1982年(昭和57年)に竣工したのが久留里ダムです。
中山ダムも1984年(昭和59年)に完成し両ダム合わせて日量約6000立米の上水道用水の供給が可能となりました。
 
今回は中山ダム見学後、上流から久留里ダムにアプローチしました。
上流から見た久留里ダム
左奥に大村湾が見えます。
 
今度はダム下に回ります。
ダム直下に灌漑用溜池があり溜池越しに下流面と正対できます
自治体管理の上水ダムでは定番といってもいい自由越流式クレストゲート1門のゲートレスダム。
 
天端は車両通行可能。
 
天端親柱に填め込まれた銅板の諸元プレート。
 
ダム下には溜池があり、これが減勢工になっています。
左手は放流設備と子々川浄水場へ水を送る機場。
それにしても長崎県のダム湖や溜池の水は汚い。
 
天端からは大村湾ごしに対岸の大村や東彼杵方面が遠望できます。
 
長崎県のダム湖はどこもアオコが発生していて湖面は緑色、上水目的のダムには必ずと言っていいほど曝気装置や循環装置があります。
これは久留里ダムの循環装置の説明板。
 
総貯水容量53万立米のダム湖。
1日約3000立米の上水道用水を供給します。
 
循環装置。
 
上流面
取水設備屋根には太陽光発電パネルが設置されています。
 
2647 久留里ダム (1487) 
長崎県西彼杵郡時津町久留里郷
久留里川水系久留里川
24メートル
105メートル
210千㎥/205千㎥
時津町
1982年

中山ダム

2019-07-27 01:43:44 | 長崎県
2019年7月12日 中山ダム
 
中山ダムは長崎県西彼杵郡時津町子々川郷の子々川川水系子々川川源流部にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、子々川川の洪水調節および安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、時津町への上水道用水の供給を目的として1984年(昭和59年)に竣工しました。
多目的ダムではありますが、1969年(昭和44年)の長崎都市計画区域指定以降人口急増により慢性的な水不足が続いた時津町への上水道用水供給が主目的です。
 
国道206号線から子々川沿いを南下に進むと中山ダムに到着します。
ダムの直下に子々川浄水場がありますが、ここは関係者以外立ち入り禁止のためためダムを下流から見ることはできません。
自由越流式クレストゲート4門、右岸1門目と2門目のクレストゲートの間に自然調節式オリフィスゲートがあります。
 
天端は車両通行可能
左岸ダムサイトにダムの説明板が設置されています。
 
左岸ダムサイトの管理事務所。
職員の常駐はありません。
巡視艇用の浮き桟橋が併設されています。
 
天端親柱に填め込まれた諸元表プレート。
 
上流面
常用洪水吐の越流堤が上流側にせり出した側水路方式となっており、越流した水は右岸寄りのオリフィスゲートから放流されます。
 
側水路をズームアップ
中山ダムは地理的理由から堤高を抑える必要があり、常用洪水吐越流堤を上流側にセットバックすることで堤高を抑止しつつ十分な貯水容量を確保できるメリットがあります。
同様の側水路式洪水吐は同じ長崎県営の鹿尾ダムで採用されており、現在事業着手中の浦上ダム再開発事業でも採用される予定です。
 
アングルを変えて。
 
ダム湖は総貯水容量53万立米。
水質悪化を防ぐ循環装置が2基設置されています。
 
ダム直下の子々川浄水場。
 
減勢工はL字になっています。
見づらいですが写真左端に利水放流用のバルブが見えます。
 
多目的ダムですが時津町への上水道用水供給を主目的にしたダムといえます。
 
(追記)
中山ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2632 中山ダム(1486) 
長崎県西彼杵郡時津町子々川郷
子々川川水系子々川川
FNW
24.5メートル
85メートル
530千㎥/470千㎥
長崎県土木部
1984年
◎治水協定が締結されたダム

鳴見ダム

2019-07-26 17:42:39 | 長崎県
2019年7月12日 鳴見ダム
 
鳴見ダムは長崎県長崎市鳴見町の多以良川水系二股川にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
多以良川は流路延長4キロ、流域面積8.6平方キロの小河川ですが、河口の畝刈・三重地区は1972年(昭和47年)の新長崎漁港の完成を契機に右岸の氾濫原に市街地が拡大し洪水リスクが高まりました。
一方畝刈・三重地区周辺の丘陵地帯では大規模宅地開発が進められ山林造成に伴う雨水流出量増加への対処や急増する上水道需要を賄うための水源確保が迫られていました。
そこで1978年(昭和53年)に長崎県は多以良川右支流二股川源流部への多目的ダム建設を軸とした多以良川総合開発事業に着手、1985年(昭和60年)より本体工事が進められ1991年(平成3年)に竣工したのが鳴見ダムです。
鳴見ダムは多以良川中下流域の洪水調節および長崎市北西部への上水道用水の供給を目的としています。
 
鳴見台の分譲地西端を北に向かうと鳴見ダムに到着します。
市道が通るダム天端を横断してダム右岸から見学を始めます。
自由越流式クレストゲート4門、自然調節式オリフィスゲート1門のゲートレスダムです。
 
ゲート上だけわずかに天端が高くなっています。
またゲート両端からまっすぐに下りた堤体導流壁は、中断から堤趾導流壁となります。
 
左岸に管理事務所とインクライン、艇庫があります。
背後の擁壁上は造成された鳴見台の住宅地です。
 
金箔仕様の感謝の碑
竣工記念碑にあたるものでダム建設により移住を余儀なくされた住民への感謝の碑となっています。
 
減勢工と放流設備
残念ながらダム下へ通じる道はなく、ダムを下から見ることはできません。
 
ダム湖は総貯水容量225万立米と長崎市内のダムでは最大規模となっています。
 
天端は市道が通っていますが離合ができないので信号による交互通行となっています。
 
左岸から
上段は堤体導流壁、下段が堤趾導流壁。
 
左岸からはこれが目いっぱい。
 
左岸上流に中空ダムのようなフィレットがあります。
ダム基礎部に小規模な断層破砕帯が分布しているため、堤体を安定させるために上流面にフィレットが作られました。
ある意味ここが鳴見ダムの肝です。
 
(追記)
鳴見ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2641 鳴見ダム(1485) 
長崎県長崎市鳴見町
多伊良川水系二股川
FW
53.5メートル
180メートル
2250千㎥/2190千㎥
長崎県土木部
1991年
◎治水協定が締結されたダム

式見ダム

2019-07-26 11:36:55 | 長崎県
2019年7月12日 式見ダム
 
式見ダムは長崎県長崎市向町の式見川水系式見川上流部にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、式見川の洪水調節と長崎市北西部への上水道用水の供給を目的として1980年(昭和55年)に竣工しました。
 
式見ダムへは上流からのアプローチになります。
左手に管理事務所があり自由越流式のクレストゲートと自然調節式のオリフィスゲートが見えます。
 
右岸から
導流壁はV字の斬縮型堤体導流壁で自由越流式クレストゲート2門、自然調節式オリフィスゲート2門を備えたゲートレスダムです。
折りよくオリフィスから放流されています。
 
上流面
ゲート手前に取水設備があります。
 
天端は車両通行可能
左手は取水設備操作建屋。
 
導流部と減勢工。
 
アングルを変えて
右手は放流設備。
 
ダム湖は総貯水容量215万立米
小規模な貯水池が多い長崎県営ダムとしては大きな類です。
 
廃墟感あふれる??管理事務所
サーチライトがまるで砲門のようで、トーチカにも見える。
 
天端親柱に填め込まれた銅版の諸元表。
 
対岸の水路は??
取水設備からのラインではなさそうですが?
 
V次の斬縮型導流壁にオリフィスからの放流とダム下から拝めばなかなか絵になったと思われますが、残念ながらダム下への道は関係者以外立ち入り禁止でした。
 
(追記)
式見ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2628 式見ダム(1484) 
長崎県長崎市向町
式見川水系式見川
FW
45.5メートル
136メートル
2150千㎥/2050千㎥
長崎県土木部
1980年
◎治水協定が締結されたダム

浦上ダム(元)

2019-07-25 15:06:34 | 長崎県
2019年7月12日 浦上ダム(元)
 
浦上ダム(元)は長崎県長崎市昭和町3丁目の浦上川水系大井手川にある長崎市上下水道局が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
1891年(明治24年)に日本初の水道用ダムとして本河内高部ダムが完成し、長崎市水道事業は横浜、函館に次いで日本で3番目の近代水道として事業が開始されました。
その後の町の発展に合わせて数次にわたる拡張事業が行われ、1945年(昭和20年)に長崎市水道4番目の水源として竣工したのが浦上ダムです。
ダム完成直後にダムの約2キロ下流地点に原爆が投下されましたが幸いダムは被災を免れました。
ここで貯水された水はダム直下の浦上浄水場を経て市内に配水されており、現在も長崎市水道の重要な水源の一つとなっています。
浦上川は長崎市街北部から長崎港に注ぐ二級河川で中島川とともに長崎市街地の中心河川となっていますが、長崎大水害の際は流域で大規模な氾濫が発生し未曾有の大災害となりました。
これを受け長崎県は長崎水害緊急ダム事業に着手、市内の上水用ダムの多目的ダム化事業に取り掛かります。浦上ダムでも堤体の嵩上げおよび貯水池の掘削により新たに洪水調節容量を確保する多目的ダム化再開発事業が採択されました。
当初計画では1999年(平成11年)に再開発が竣工予定でしたが土地の買収や技術的問題などにより計画は遅延、さらに民主党政権下でのダム事業再検討などもあり現在もなお本体工事着工には至っていません。
直近の長崎県の発表では2019年(令和元年)末までに事業計画をまとめ2020(令和2年)度中の工事着工を目指すとなっています。
 
長崎市街から県道113号、通称文教通りを北上し西浦上トンネル口を左折すると左手に浦上ダムが現れます。
県道113号高架橋がダム直下を跨いでいます。
 
洪水吐は自由越流式クレストゲート4門だけです、折よく美しい越流が見られました。
ダムとともに手前の管理橋の高欄のデザインにも目が向かいます。
 
高欄や扶壁の一部を蔓が覆い、なかなかシックな雰囲気。
 
ダムは天端のみ開放され、天端左岸に車2台ほどのスペースがあります。
天端への門扉に填め込まれた浦上堰堤のプレート。
 
天端。
 
円形の取水設備。
 
天端から越流を見下ろします。
 
ダム下には浦上浄水場がありその上を県道113号が跨いでいます。
手前の管理橋の高欄のデザインがいい感じ。
実はこの県道113号線高架橋の存在が再開発事業を技術的に困難にする原因となっています。
 
総貯水容量197万2000立米の浦上水源地。
 
右岸から上流面。
 
再開発計画では堤高が18.5メートルから21.2メートルに嵩上げされ、総貯水容量は197万2000立米から249万立米に増加し、新たに洪水調節容量が確保される見通しです。
予定では2020年(令和3年)度中の着工を目指す方針が明らかになっており、今の浦上ダムの姿を見ることができるのもあと1年少々ということになります。
 
3375 浦上ダム(元)(1483) 
長崎県長崎市昭和3丁目
浦上川水系大井手川
18.5メートル
98メートル
1972千㎥/1900千㎥
長崎市上下水道局
1945年
-------------
2603 浦上ダム(再)
長崎県長崎市昭和3丁目
浦上川水系大井手川
FNW
21.1メートル
94.9メートル
2490千㎥/2330千㎥
長崎県土木部
1983年

西山ダム(再)

2019-07-25 01:14:50 | 長崎県
2019年7月12日 西山ダム(再)
 
西山ダム(再)は長崎県長崎市片渕5丁目の中島川水系西山川上流部にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1891年(明治24年)に日本初の水道用ダムとして本河内高部ダムが完成し、長崎市水道は横浜、函館に次いで日本で3番目の近代水道として事業が開始されました。
その後の町の発展に合わせて事業の拡張が進められ、長崎市水道3番目の水源として1903年(明治36年)に完成したのが西山ダム(元)です
西山ダム(元)は兵庫県の五本松ダム、長崎の本河内低部ダムに次いで日本で3番目に完成した重力式コンクリートダムで、上流面は表面石張、下流面はコンクリートブロック張の粗石コンクリート造りとなっています。
しかし1982年(昭和57年)の長崎大水害では、西山川および下流の中島川流域で大規模な氾濫が発生し未曾有の大災害となりました。
これをうけ長崎県は翌年『長崎水害緊急ダム事業』に着手、市内の上水用ダムの多目的ダム化事業に取り掛かります。
同事業は建設省(現国交省)の『歴史的ダム保全事業』の指定を受け文化的価値の高い旧ダムを保全しながら新ダムの建設及び再開発が行われることになりました。
西山ダムでは1988年(平成元年)から旧ダムの下流60メートル地点に治水機能を持った新ダムが建設が開始され1992年(平成4年)に西山ダム(再)が竣工しました。一方旧ダムは貯水池に残す形で保全されCランクの近代土木遺産に選定されています。
新ダムは旧ダムの造形を継承し、下流面には石張風の化粧型枠が用いられ、天端にはグラバー邸で採用されている格子模様の洋風高欄と竜の装飾のガス灯風の照明を設置、通廊入口は教会のステンドグラス風にするなど長崎らしさを各所に取り入れたデザインとなっています。 
併せてダム下も西山ダム公園として整備され、長崎大水害で破損した石積アーチ橋の高麗橋が移設されるなど明治大正期の風情を残した佇まいとなっています。 
ダムの再開発により管理は長崎市上下水道局から長崎県土木部に移管され、西山川および中島川の洪水調節、安定した河川流量の保持、長崎市への上水道用水の供給を目的とする補助多目的ダムとなりました。
長崎市中心部から県道235号線を長崎バイパス方面に北上、木場交差点を右に折れるとダム右岸にある管理事務所前に到着します。
新旧ダムおよびダム下はすべて開放され周回して見学することができます。
旧ダムが貯水池内に保存され新旧二つの堤体が並び立つさまは西山ダムならではの眺めです。
 
旧ダムは洪水吐部分が削除され貯水池は新旧貯水池は一体化されています。
 
新ダム上流面。
遠目に見ても格子状の洋風高欄やガス灯風の照明が景観にマッチしています。
 
旧ダム天端。
コンクリートダム草創期のダムと言うことで余計な装飾は一切ありません。
 
右岸から
対岸高台の管理事務所も洋館風です。
 
新ダム上流面
ガス灯風の照明には長崎らしくドラゴンの装飾。
格子状の洋風高欄もおしゃれです。
 
減勢工とダム公園
放流設備や配水施設など建屋も洋館風で統一されています。
奥は移設された高麗橋。
 
旧ダム下流面
同時期に建設された本河内低部ダムとほぼ同じデザインで、高欄には凹凸を使った二本の帯、その下にはデンティルが等間隔に並びます。下流面は本河内低部ダム同様コンクリートブロック張りです。
 
左岸高台にある管理事務所
洋館風ですが見ようによってはラブホにも見えちゃいます。
 
新ダム左岸のフーチングが開放されているので歩いて下りてみます。
下流面は旧ダムの雰囲気を残すため石張風の化粧型型枠が施工
天端のグラバー邸をモチーフにした格子状の高欄が格好いいですね。そしてこちらにも旧ダム同様デンティルが並んでいます。
 
通廊入口は教会のステンドグラスをモチーフにしたデザイン。
 
フーチング階段を下から。
高さは40メートル。
 
新ダムは自由越流式クレストゲート4門、自然調節式オリフィスゲート1門を装備
ダム下もきれいに整備されており春には満開の桜がダムを彩ります。
 
ダム下の西山川
両岸は玉石を積んだ擁壁、石積みのアーチ橋は長崎大水害で破損した高麗橋を移築復元してあります。
 
こちらは旧ダムの樋門
ゲートに転用とはよく考えたものです。
 
再開発により旧ダムが貯水池に沈んだケースは多々ありますが、新旧両ダムが並立しているのは全国でもここだけでしょう。
一方再開発事業がバブル真っ盛りの時期であったこともあり新ダムや公園のつくりは手が込み贅を尽くした内容になっています。
 
追追記)
西山ダム(再)ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
3621 西山ダム(元) 
長崎県長崎市片渕5丁目
中島川水系西山川
31.8メートル
139.4メートル
1469千㎥/1469千㎥
長崎市上下水道局
1903年
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2572 西山ダム(再)(1482)
長崎県長崎市片渕5丁目
中島川水系西山川
FNW
40メートル
216メートル
1580千㎥/1470千㎥
長崎県土木部
1992年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム