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ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

猫山ダム

2019-07-31 12:18:43 | 長崎県
2019年7月14日 猫山ダム 
 
猫山ダムは佐世保市郊外の日宇川本流上流部の佐世保市黒髪町にある長崎県土木部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、日宇川の洪水調節、安定した河川流量の維持を目的として1974年(昭和49年)に竣工しました。
 
国道35号線日宇町交差点から日宇川沿いの市道を東に進むと猫山ダムに到着します。
小ぶりなダムですが1974年(昭和49年)竣工と言うことでクレストにはラジアルゲートを装備、常用洪水吐は自然調節式のオリフィスゲートとなっています。
シミュラクラ現象で赤い眼鏡をかけた『おっさん顔』に見えます。
 
赤いゲートが鮮やかな一方、堤体や導流部には苔が生え、完成以来50年近い年月も感じさせます。
 
ダム直下まで迫れます。
非常用洪水吐はラジアルゲート、常用洪水吐は自然調節式のオリフィスゲート。
ゲートレスへの過渡期のダムと言ったところ。
 
天端親柱の銘板。
 
銅板プレートの諸元表。
 
天端は車両通行可能
周辺住民の生活道路になっているようで歩道も設置されています。
 
天端から
日宇川に沿って住宅地が延々と続きます。
そりゃあこのダムがなかったら大雨でアウトやん!って感じです。
ダム下は公園になっていますが、いるのはシニアの皆さんだけ。少子化なんですね。
 
ダム湖は総貯水容量33万立米と溜池サイズ。
 
上流面
右手の管理事務所は貼り付くように建っています。
 
上流から見たゲート
ちょっと目を剥いて叫んでる感じ?
 
(追記)
猫山ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
  
2616 猫山ダム(1495) 
長崎県佐世保市黒髪町
日宇川水系日宇川
FN
32メートル
166メートル
330千㎥/302千㎥
長崎県土木部
1973年
◎治水協定が締結されたダム

郷美谷池

2019-07-31 01:15:24 | 長崎県
2019年7月14日 郷美谷池
 
郷美谷で『ごみたに』と読みます。
郷美谷池は長崎県佐世保市里美の相浦川水系相浦川源流部にある灌漑目的のアースフィルダム溜池です。
池のある里美地区は江戸時代に入植がはじまった山林地帯ですが、当初は水利に乏しく入植者の離散が相次ぎ『ごみ谷』と呼ばれていました。
1803年(享和3年)に平戸藩により当地に灌漑用溜池が築造され、新田開発が進んだことから『ごみ谷』に郷美谷の字を充てたとされています。
さらに1941年(昭和16年)に佐世保市の事業により従来の堰堤を取り込む形で郷美谷池の拡張が行われたことで相浦川流域への灌漑用水供給能力は大きく向上しました。
ダム便覧ではこの1941年(昭和16年)の再開発事業の竣工を竣工年度としています。
現在池の管理は郷美谷溜池管理組合が行っており、総貯水容量45万立米はいまでも佐世保市内の灌漑用溜池では最大規模です。
 
県道53号線の里美トンネル手前を左折して旧道に入り『おさい観音』の標識に従って進むと郷美谷池に到着します。
左岸から。
竣工当時の姿を残す洪水吐の擁壁も楽しみの一つだったのですが草が伸び放題でよく見えず。
 
ダム便覧の写真を見て楽しみにしていた洪水吐を跨ぐ管理橋。
石橋にも見えるコンクリートの管理橋は池の竣工と同じ1941年(昭和16年)のものです。
 
円形越流式洪水吐
ここも草ボウボウですが、これももしかしたら1941年(昭和16年)当時のものかも?
 
左岸の斜樋。
 
総貯水容量45万立米は佐世保市内の溜池では最大規模
標高約510メートルの山中の溜池ですが、曇天という天候もあり深山幽谷の趣です。
 
斜樋操作建屋と上流面
上流面は石積みで護岸されており、これも竣工当時の面影を残しています。
 
竣工記念碑。
 
洪水吐の脇から池の下に下りられます。
底樋樋門直下に三方向への分水工
一部コンクリートが新しいので補修はあったんでしょうが基本は竣工当時のままのようです。
 
アングルを変えて
メカニカルな作りに感心させられます。
 
樋門と下流面
下流面基礎部分も石積みの擁壁。
 
洪水吐を跨ぐ管理橋、池下の分水工と期待を裏切らない郷美谷池です。
池が干上がれば江戸後期享和年間に築造された旧郷美谷池の堤体が姿を見せるようです。
今回は溜池の訪問は少ないのですが、過去に訪問した溜池と比べてもトップクラスの好感度の郷美谷池でした。
 
2600 郷美谷池(1494) 
ため池コード 422020048
長崎県佐世保市里美町
相浦川水系相浦川
17.1メートル
138メートル
450千㎥/305千㎥
郷美谷溜池水利組合
1803年平戸藩によって築造
1941年大規模改修

転石ダム

2019-07-30 12:32:35 | 長崎県
2019年7月14日 転石ダム
 
転石ダムは長崎県佐世保市柚木町の相浦川水系久保仁田川にある佐世保市水道局が管理する上水及び灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として発展し、1901年(明治34年)に近代水道としてまず海軍水道が開設されました。
日清・日露戦争を経て佐世保の発展は著しく、急増する水需要に対応するため海軍水道では数次にわたる事業拡張が行われその一環として1927年(昭和2年)に竣工したのが転石ダムです。
転石ダムは表面石張粗石コンクリート重力式ダムで、隔壁には火山灰を混入したコンクリートが使われています。
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され佐世保市水道局が事業継承します。
転石ダムは上水道に加えて久保仁田川流域への灌漑用水源も兼ねることになり、現在も日量最大2700立米の上水道用水を供給しています。
また戦前の貴重な土木遺産としてCランクの近代土木遺産に選定されています。
 
佐世保市上柚木町の国道498号線から転石ダムが遠望できます。
 
柚木郵便局前を南に折れると転石水源地正門前に到着します。
ここから先は立ち入り禁止。
 
敷地外から堤体を撮影するのみ。
 
 
持参したレンズではこれが限界。
 
念のためダム右岸方向にも行きましたが、この写真が撮れただけ。
 
佐世保市には山の田、転石、菰田相当と戦前戦中の貴重な上水道水源が複数ありますが、いずれも立ち入りが制限され満足に見学することはできません。人の口に入る水の水源ですのでやむをえないと思いますし、観光資源にと言っても首都圏近郊とは異なり石積みのダムで人が集まると思えません。
でもたとえば呉の本庄ダムのように期間限定でもいいので見学する機会があれば!と願うことしきりです。
 
2592 転石ダム(1493) 
長崎県佐世保市柚木町
相浦川水系久保仁田川
AW
22.7メートル
164メートル
246千㎥/233千㎥
佐世保市水道局
1927年

相当ダム

2019-07-30 10:49:43 | 長崎県
2019年7月14日 相当ダム
 
相当ダムは長崎県佐世保市上柚木町の相浦川水系牟田川にある佐世保市水道局が管理する上水用重力式コンクリートダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として発展し、1901年(明治34年)に近代水道としてまず海軍水道が開設されました。
昭和に入り戦争の足音が近づく中、帝国海軍佐世保工廠向けの水源として建設されたのが相当ダムです。
建設にあたっては戦争激化による人員、物資不足の中、南方戦線のアメリカ人捕虜も動員した手作業による突貫工事でダム建設が進められ、1944年(昭和19年)に竣工しました。
この際建設工事に従事したアメリカ人捕虜約50余名が病没し、戦後佐世保市水道殉職者慰霊塔建立の際に彼らも合祀されています。
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され相当ダムも佐世保市水道局が事業継承し、現在も日量最大5700立米の上水道用水を供給しています。
 
佐世保市瀬戸越町から国道498号線を東進、上柚木町に入り柚木小学校前の信号を左折します。さらに上柚木三組公民館前を再び左折すると相当ダム正門前に到着します。
ここから先は関係者以外立ち入り禁止。
門柱は頭頂部に円蓋が乗った戦時中のダムの親柱などでよく見られるスタイル。
 
正門脇から相当ダム堤体が望めます。
ここが唯一の展望スポット。
 
高欄に装飾がみられます。
 
これだけでは身も蓋もないのでグーグルの空撮写真を見てみます。
右岸に湾曲した横越流式洪水吐があり、堤体中央に半円形の取水設備があります。
 
戦時の強制労働という負の側面も持った相当ダムですが、それは日本に限った話ではありません。
強制労働に関わった軍関係者は戦後の軍事裁判で罪を負い、慰霊も継続して行われています。
必要以上の自虐史観は日本人の悪癖ともいえるでしょう。
 
2601 相当ダム(1492) 
長崎県佐世保市上柚木町
相浦川水系牟田川
34メートル
150メートル
415千㎥/400千㎥
佐世保市水道局
1944年

山の田ダム

2019-07-29 23:37:02 | 長崎県
2019年7月14日 山の田ダム
 
山の田ダムは長崎県佐世保市桜木町の佐世保川水系佐世保川上流部にある佐世保市水道局が管理する上水道用水目的の用アースフィルダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として町が開け、その性格上まず海軍水道が整備され1899年(明治32年)に湧水を利用した岡本水源地が完成、次いで水道管設置が進められ1901年(明治34年)に近代水道としての海軍水道が開設されました。
日清・日露戦争を経て佐世保の発展は著しく、1908年(明治41年)に初の本格的水道施設として完成したのが山の田ダムと山の田浄水場です。 
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され、現在も日量最大6300立米の上水道用水を供給する佐世保市水道の主要水源地となっています。
また山の田ダムは水道目的のアースフィルダムとしては、長崎市の本河内高部ダムに次ぐ歴史を誇るとともに、竣工当時は最も堤高の高いアースフィルダムとなっていました。
山の田ダム及び浄水場は土木技術的価値を評価して土木学会選奨土木遺産および近代土木遺産(山の他ダムはBランク)に選定されています。
 
佐世保市中心部から国道204号線を北上し、春日町交差点を右折すると山の田浄水場正門前に到着します。
ここから佐世保川沿いの道を進むと貯水池に沿った遊歩道入口となります。
残念ながら山の田浄水場や山の田ダム敷地は関係者以外立ち入り禁止のため外から見学するしかありません。
この写真は佐世保川に架かる橋から
奥に山の田ダムの堤体が見えます。
 
遊歩道を進むと左手に堤体が見えてきます。
 
望遠で。
山の田ダムは2000年(平成12年)に大規模な改修が行われ、周辺整備も進められましたが一般公開はされていません。
 
手前の水路はダム左岸洪水吐の導水路で、カスケード式になっています。
もっと全体を撮りたいのですが草木が伸びてこれが精いっぱい。
 
遊歩道とダムとの間は樹林がびっしりと繁り、なかなか視界が得られません。
樹間から何とか上流面を撮ることができました。
 
明治期のダムらしい円筒形の取水設備。
今も現役なんでしょうか?
 
左岸に円形越流式の洪水吐があり越流堤下流側が階段状になっています。
 
 
遊歩道をさらに進みますがこれ以上ダムが見える場所はありませんでした。
今度はダム右岸に行ってみます。
こちらも門扉が閉められ塀の外から眺めるのみですが天端ははっきりと見ることができました。
 
長崎の本河内ダムに匹敵する山の田ダムおよび貯水場で、文化庁から重要文化財に指定したいとの打診もあったそうですが、実際の水道業務に支障が出るとの理由で辞退したそうです。
団体だと事前予約すれば見学もできるようですが、遠方からのダム巡りとなればそれも難しいところです。
 
2573 山の田ダム(1491)
長崎県佐世保市桜木町
佐世保川水系佐世保川
24.5メートル
310メートル
640千㎥/551千㎥
佐世保市水道局
1908年

菰田ダム

2019-07-29 11:56:13 | 長崎県
2019年7月14日 菰田ダム
 
菰田ダムは長崎県佐世保市菰田町の相浦川水系の小川内川にある佐世保市水道局が管理する上水道用水および灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として開け、1901年(明治34年)にまず海軍水道が整備され、遅れること6年目の1907年(明治40年)に全国10番目の近代水道として佐世保市水道事業が創設されました。
当初の佐世保市水道は海軍水道からの分水を受けてのものでしたが、その後の町の発展とともに独自の水道施設の確保に迫られることになります。
まず1926年(大正15年)に市独自の山の田第二浄水場が完成、その後1935年(昭和10年)に建設が始まり1939年(昭和14年)に初の市独自水源として完成したのが菰田ダムです。
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され佐世保市水道局が事業継承します。
菰田ダムは上水道に相浦川流域への灌漑用水源も兼ねることになりますが、現在も日量最大1万2600立米の上水道用水を供給すし佐世保市水道事業の主要水源となっています。
菰田ダムの堤高40メートルは戦前の上水道ダムとしては千苅ダム小ケ倉ダムなどには僅かに及びませんが、堤体積13万5000立米は断トツのトップとなっています。
またその土木技術的価値を評価してBランクの近代土木遺産に選定されています。
 
菰田ダムは県道11号沿いにあり、ダムの敷地は立ち入り禁止のため右岸から撮影するのみですが撮影ポイントは意外にたくさんあります。
堤高40メートル、堤頂長387.7メートル、堤体積は13万5000立米に及び戦前の上水用コンクリートダムとしては屈指の規模を誇ります。
前日の雨を受けてクレストゲートから激しく越流しています。
 
通廊入口。
神社風の造りは珍しい。
 
アングルを変えて。
 
クレストゲートをズームアップ。
 
ゲート上部の高欄には装飾が施されているようです。
 
曲線重力式と言うほどではありませんが、堤体は緩やかに湾曲しています。
雨後の曇天という気象条件から堤体はより黒ずんで見え、圧倒的な存在感と重厚感を醸し出しています。
 
堤頂長387.7メートルの堤体は対岸の樹林のはるか先まで続いているようです。
 
同じようなアングルの写真ばかりですがついつい何枚もシャッターを切ってしまいます。
 
この高さで撮ると堤体が湾曲しているのがよくわかります。
 
天端は車1台が通れるような幅で、アスファルトにはタイヤ痕のような跡も見られます。
 
同じ戦前のダムでも長崎市内の石積堰堤とは全く異なる表情の菰田ダムです。
文字通り漆黒の壁といった風でした。

2598 菰田ダム(1490)
長崎県佐世保市菰田町
相浦川水系小川内川
AW
40メートル
387.7メートル
1475千㎥/1462千㎥
佐世保市水道局
1939年



樋口ダム

2019-07-29 10:05:45 | 長崎県
2019年7月14日 樋口ダム
 
樋口ダムは長崎県北西部の佐世保市鹿町町下歌ヶ浦の樋口川水系樋口川にある長崎県土木部が管理する目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の小規模ダム建設事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、樋口川の洪水調節、安定した河川流量の維持、鹿町町下歌ヶ浦地区簡易上水道への上水道用水の供給を目的として1998年(平成10年)に竣工しました。
 
ダム下から
自由越流式クレストゲート2門、自然調節式オリフィスゲート1門のゲートレスダムです。
前日の雨で水位が上昇しオリフィスから放流しています。
 
左岸から下流面。
 
ダムの銘板と諸元表プレート。
 
減勢工と副ダム
右手は放流設備。
 
天端からは僅かですが鹿町湾が見えます。
 
総貯水容量26万9000立米の小さなダム湖。
インレットには親水公園が整備されていますが、例に洩れずやや荒れ気味です。
 
天端は車両通行可能
右手はエレベーター棟、左奥には立派な管理事務所。
 
管理事務所から湖面に階段が下りています。
巡視艇用の浮き桟橋でもあるのが普通ですがなにもありません。
 
インレットの親水公園にある金箔文字の竣工記念碑。
 
上流面
クレストゲートの間に流木除けのゲージが付いたオリフィスゲートがあります。
こちらから見ると管理事務所はまるで船の舳先のようなデザイン。
 
(追記)
樋口ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3020 樋口ダム(1489) 
長崎県佐世保市鹿町町下歌ヶ浦
樋口川水系樋口川
FNW
30メートル
96メートル
269千㎥/263千㎥
長崎県土木部
1998年
◎治水協定が締結されたダム

つづらダム

2019-07-29 01:30:00 | 長崎県
2019年7月14日 つづらダム
 
つづらダムは長崎県北西部の佐世保市小佐々町田原の小佐々川水系つづら川にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の小規模ダム建設事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、つづら川および小佐々川下流域の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、小佐々地区への上水道用水の供給を目的として2004年(平成16年)に竣工しました。
ダム湖上流は親水公園として整備され毎年6月上旬には蛍の大乱舞を求めて多くの観光客が訪れます。
 
ダム下は草木が茂りダム全景をすっきり見ることができません。
自由越流式クレストゲート1門だけの非常にシンプルな構造で、クレスト越流部に切れ込みが入り非常用、常用洪水吐を兼務しています。
 
右岸から下流面
小さなダムですがエレベーター棟があります。
 
クレストゲートをズームアップ
この切れ込みにより非常用、常用洪水吐兼用となっています。
 
天端は車両通行可能。
 
右岸天端に填め込まれたダム銘板およびダム諸元表。
 
総貯水容量36万5000立米のダム湖。
ダム湖上流は親水公園として整備され長崎有数のホタル観賞地として毎年6月上旬には多くの鑑賞者が訪れます。
 
洪水吐導流部と副ダム
副ダムの下流には洗掘を防ぐためブロック工が敷かれています。
左手は放流設備。
 
上流面
手前は取水設備、奥の管理事務所は2階のガラス窓が特徴的なモダンな建屋。
 
上流からもクレストゲートズームアップ。
ゲートの戸当たりは試験湛水時の水止めの板の填め込み用。
 
ダム湖上流から。
 
(追記)
つづらダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3095 つづらダム(1488) 
長崎県佐世保市小佐々町田原
小佐々川水系つづら川
FNW
21.6メートル
96メートル
365千㎥/353千㎥
長崎県土木部
2003年
◎治水協定が締結されたダム

久留里ダム

2019-07-28 02:46:41 | 長崎県
2019年7月12日 久留里ダム
 
久留里ダムは長崎県西彼杵郡時津町久留里郷の久留里川水系久留里川にある時津町が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
時津町は1969年(昭和44年)の長崎都市計画区域指定以降、沿岸埋め立て地への工場集積に併せて人口が急増し、上水道用水需給がひっ迫し慢性的な水不足が続きました。
長崎県は子々川川への県営中山ダム建設事業に着手する一方、時津町も町独自の上水道水源建設を進め1982年(昭和57年)に竣工したのが久留里ダムです。
中山ダムも1984年(昭和59年)に完成し両ダム合わせて日量約6000立米の上水道用水の供給が可能となりました。
 
今回は中山ダム見学後、上流から久留里ダムにアプローチしました。
上流から見た久留里ダム
左奥に大村湾が見えます。
 
今度はダム下に回ります。
ダム直下に灌漑用溜池があり溜池越しに下流面と正対できます
自治体管理の上水ダムでは定番といってもいい自由越流式クレストゲート1門のゲートレスダム。
 
天端は車両通行可能。
 
天端親柱に填め込まれた銅板の諸元プレート。
 
ダム下には溜池があり、これが減勢工になっています。
左手は放流設備と子々川浄水場へ水を送る機場。
それにしても長崎県のダム湖や溜池の水は汚い。
 
天端からは大村湾ごしに対岸の大村や東彼杵方面が遠望できます。
 
長崎県のダム湖はどこもアオコが発生していて湖面は緑色、上水目的のダムには必ずと言っていいほど曝気装置や循環装置があります。
これは久留里ダムの循環装置の説明板。
 
総貯水容量53万立米のダム湖。
1日約3000立米の上水道用水を供給します。
 
循環装置。
 
上流面
取水設備屋根には太陽光発電パネルが設置されています。
 
2647 久留里ダム (1487) 
長崎県西彼杵郡時津町久留里郷
久留里川水系久留里川
24メートル
105メートル
210千㎥/205千㎥
時津町
1982年

式見ダム

2019-07-26 11:36:55 | 長崎県
2019年7月12日 式見ダム
 
式見ダムは長崎県長崎市向町の式見川水系式見川上流部にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、式見川の洪水調節と長崎市北西部への上水道用水の供給を目的として1980年(昭和55年)に竣工しました。
 
式見ダムへは上流からのアプローチになります。
左手に管理事務所があり自由越流式のクレストゲートと自然調節式のオリフィスゲートが見えます。
 
右岸から
導流壁はV字の斬縮型堤体導流壁で自由越流式クレストゲート2門、自然調節式オリフィスゲート2門を備えたゲートレスダムです。
折りよくオリフィスから放流されています。
 
上流面
ゲート手前に取水設備があります。
 
天端は車両通行可能
左手は取水設備操作建屋。
 
導流部と減勢工。
 
アングルを変えて
右手は放流設備。
 
ダム湖は総貯水容量215万立米
小規模な貯水池が多い長崎県営ダムとしては大きな類です。
 
廃墟感あふれる??管理事務所
サーチライトがまるで砲門のようで、トーチカにも見える。
 
天端親柱に填め込まれた銅版の諸元表。
 
対岸の水路は??
取水設備からのラインではなさそうですが?
 
V次の斬縮型導流壁にオリフィスからの放流とダム下から拝めばなかなか絵になったと思われますが、残念ながらダム下への道は関係者以外立ち入り禁止でした。
 
(追記)
式見ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2628 式見ダム(1484) 
長崎県長崎市向町
式見川水系式見川
FW
45.5メートル
136メートル
2150千㎥/2050千㎥
長崎県土木部
1980年
◎治水協定が締結されたダム

落矢ダム

2019-07-22 22:36:46 | 長崎県
2019年7月12日 落矢ダム
 
落矢ダムは長崎県長崎市江川町の落矢川水系落矢川にある上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
1973年(昭和48年)に当時の香焼町の上水道水源として竣工、その後長く香焼町の水源として運用されてきましたが、2005年(平成17年)に香焼町が長崎市に編入されたのに合わせて、長崎市上下水道局に移管されました。
平成の大合併により市域が大きく拡大した長崎市は上下水道施設の合理化を進め、落矢ダムも一時廃止の対象となりました。しかし長らく落矢ダムからの水を享受してきた旧香焼町住民の要請で廃止は免れ現在は運用休止の状態で維持されています。
 
国道499号線で長崎市江川町に入り、江川交差点の先、『やきとり鳥政江川店』の手前を東に折れると落矢ダムに到着します。
上水道水源と言うことでダムの敷地に入ることはできませんが、下流からダム下を眺めることができます。
洪水吐は自由越流式ゲートが3門、緩やかにカーブを描く斬縮型堤体導流壁を備えています。
 
導流壁の緩やかなカーブと美しい越流
 
近所の住民の話では春は桜が咲き誇りもっと素晴らしい景色になるとか?
うーーん見てみたい!
 
天端も当然立ち禁ですが、フェンスの隙間からパチリ!
 
取水設備は上水用ダムとしてはよくみられる半円形。
 
現在落矢ダムは運用休止中のため、流入量がそのまま流下する状態、つまり常時越流が見られます。
人口減少時代に入りいつまた長崎市上下水道局の合理化が進められるかはわかりません。
ダム愛好家としてはいつまでもダムとして残してほしいと願う一方、経済的合理性からはいつ廃止されてもおかしくない立場の落矢ダムです。
 
2617 落矢ダム(1477) 
長崎県長崎市江川町
落矢川水系落矢川
24.4メートル
150メートル
280千㎥/251千㎥
長崎市上下水道局
1973年

宮崎ダム

2019-07-22 12:19:22 | 長崎県
2019年7月12日 宮崎ダム
 
宮崎ダムは長崎半島南東部の長崎市川原町の宮崎川水系宮崎川上流部にある長崎県土木部が管理する治水目的のアースフィルダムです。
建設省(国交省)の小規模ダム建設事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助治水ダムで、宮崎川の洪水調節のほか、安定した河川流量の維持と既得取水権としての流域への灌漑用水の補給を目的として2002年(平成14年)に竣工しました。
宮崎ダムは長崎県土木部が手掛けた初のフィルダムです。
 
またダム建設に合わせてダム下流一帯は宮崎ダム公園として整備され、梅やツツジを中心に長崎を代表する花の名所となっています。
 
堤高27メートルのアースフィルダムですが、建設残土を下流面に盛り立て公園化しているため見た目ではどこが堤体かはっきりしません。
 
ダム下は宮崎ダム公園となっており、梅やツツジが植えられています。
 
右岸の洪水吐導流部
唯一ここがダムの堤体を感じられる場所です。
洪水吐減勢工の底が基礎地盤なんでしょう。
 
いったん左岸に回り込みます。
下流面が埋め立てられ公園になっているのがよくわかります。
対岸に管理事務所と洪水吐があります。
 
生活貯水池事業で建設された小規模ダムと言うことでダム湖は溜池サイズ。
総貯水容量は16万4000立米。
 
洪水吐と取水設備
洪水吐は独特の構造で左手の高い越流壁が非常用洪水吐、取水設備を挟んで右手の低い越流壁が常用洪水吐となっています。
 
洪水吐導流部と減勢工
右手は放流設備。
 
上流から見た洪水吐
奥(下流側)が非常用洪水吐、左手が取水設備、手前の湾曲しているのが常用洪水吐
非常と常用の間には仕切りがありますが、たぶん試験湛水時にこの仕切りが閉じられサーチャージ水位まで上昇させたんでしょう。
とにかく洪水吐の構造が独特且つユニーク。
 
アングルを変えて。
この湾曲も魅力的。
 
ダム上流にも遊歩道が整備されておりダムを俯瞰できます。
 
ダム下が埋め立てられ公園化されているため、どこがダムの堤体かよくわからない下流面。
さらに初めて見るユニークな洪水吐と小規模ダムながら見どころたっぷりの宮崎ダム、よく咀嚼しながら見学しないとなかなか消化できない難物です。
 
(追記)
宮崎ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。  
 
2633 宮崎ダム(1476) 
長崎県長崎市川原町
宮崎川水系宮崎川
FN
27メートル
154メートル
164千㎥/114千㎥
長崎県土木部
2002年
◎治水協定が締結されたダム

高浜ダム

2019-07-21 23:19:51 | 長崎県
2019年7月12日 高浜ダム
 
高浜ダムは長崎半島南端近くの長崎市高浜町の江川にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、江川のほか支流の山川川からも導水しており両河川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、高浜地区への上水道用水の供給を目的として2007年(平成19年)に竣工しました。
 
長崎市高浜町の国道499号から江川沿いを東に折れると高浜ダムが見えてきます。
自由越流式クレストゲート1門、自然調節式オリフィスゲート1門のゲートレスダムです。
 
ダム周辺が公園になっており駐車スペースとベンチ、東屋が置かれています。
減勢工まで下りられます。
 
車で左岸ダムサイトまで上がります。
堤頂部の襟がなく高欄からバケットカーブが続きます。
平成時代の小規模ダムでは時折見られます。
 
オリフィスゲートはクレストゲート導流部に穴があけられており直上にデフレクターがあります。
ダムカードの解説では常用洪水吐(オリフィスゲート)は長崎県営ダムで最も小さいとのこと。
 
竣工記念碑はありませんが、定礎碑が金箔仕様。
 
右岸上流面に巡視艇用の浮桟橋があります。
 
洪水吐導流部と減勢工。
 
見た目にも小さなダム湖は総貯水容量18万7000立米と小規模の溜池サイズ。
歩いて一周しても15分もかかりません。
またダム湖上流に支流の山川川からの導水設備があります。
 
天端は車止めがあり車両は進入できません
対岸は管理事務所。
 
上流から
右から取水設備、洪水吐、水位計測設備。
 
このサイズなのでてっきり生活貯水池事業で建設されたのかと思いましたがそうではありませんでした。
また帰宅後確認したら山川川からの分水施設の写真を撮り忘れているのに気づきました。
此れはしたり
 
(追記)
高浜ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。  
 
3051 高浜ダム(1475) 
長崎県長崎市高浜町
江川水系江川
FNW
35メートル
105.5メートル
187千㎥/179千㎥
長崎県土木部
2007年
◎治水協定が締結されたダム

黒浜ダム

2019-07-21 17:51:54 | 長崎県
2019年7月12日 黒浜ダム
 
黒浜ダムは長崎半島南西部の長崎市黒浜町の黒浜川にある長崎県土木部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、黒浜川の洪水調節、安定した河川流量の維持による東部簡易水道への補給を目的に1983年(昭和58年)に竣工しました。
 
長崎市黒浜町の国道499号線に黒浜ダムを示す標識があり、これに従えばダムに到着します。
ダム下に小さな公園がありここから歩いてダム下に行けます。
自由越流式クレストゲートが1門、自然調節式オリフィスゲート1門のゲートレスダムでオリフィスから放流しています。
 
車でダムサイトまで上がります。
右岸の管理事務所。
事務所前にダムの説明板がありますが字が剥げて真っ白、全く読めません。
 
ダム下の様子
手前は放流設備、右手は黒浜上水道のへの配水設備。
ダムには上水道用水容量の設定はなくが既得取水権としての補給になります。
 
減勢工と副ダム。
 
ダム下の建屋
手前は放流設備、奥は黒浜浄水場への配水設備。
 
総貯水容量30万立米の小さなダム湖。
 
長崎県のダムでは総じて貯水池の富栄養化が進んでいるようでどこも青や緑色の水となっています。
水質保持のための曝気装置と噴水。
 
下流面。
 
天端は車両通行可。
 
親柱に填め込まれた銅版の諸元表。
 
ダム建設に合わせてダム下の公園やダム湖を周回する遊歩道などが整備されたようですが、はかなり荒れています。
ま、どこでもよく見る光景です。
 
(追記)
黒浜ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。  

2629 黒浜ダム(1474) 
長崎県長崎市黒浜町
黒浜川水系黒浜川
FN
300千㎥/275千㎥
28.6メートル
93メートル
長崎県土木部
1983年
◎治水協定が締結されたダム

永池ダム(再)

2019-07-21 03:22:45 | 佐賀県
2019年7月11日 永池ダム(再)
 
永池ダム(再)は佐賀県武雄市北方町大渡の六角川水系経堂入江川源流にある防災・灌漑目的のアースフィルダムです。
経堂入江川には古くから永池上中下の3連の溜池があり六角川南岸の武雄市北方町や白石町の貴重な灌漑用水源となっていましたが、洪水による農地被災も多く、抜本的な治水対策が求められていました。
1988年(昭和63年)に佐賀県は農水省の補助を受けた防災ダム事業として永池上池の再開発に着手、1996年(平成8年)に永池ダム(再)が竣工しました。
同事業では既存の永池上池堤体下流側に新たに堤体を盛り立てて堤高を17メートルから34.8メートルに嵩上げし、灌漑用水容量に加えに洪水調節容量を追加しました。
管理は引き続き杵島土地改良区が受託していましたが、その後の土地改良区統合により現在は白石土地改良区が引き継いでいます。
永池下池・永池中池・永池ダム(再)合わせて1707ヘクタールへの農地に灌漑用水を供給するほか、下流域93ヘクタールの農地を洪水被害から守っています。
 
ダム下へ通じる道路もありますがかなり荒れたダートのため今回はパスしました。
また盛夏の訪問のため堤体は草木が伸び下流面全体を纏めて撮ることができません。
 
総貯水容量60万8000立米の貯水池。
 
左岸に洪水吐があります。
 
天端は車道。
 
左岸の洪水吐斜水路とダム下の様子。
右手に放流設備が見えます。
 
左岸の横越流式洪水吐。
 
洪水吐と上流面。
 
金箔仕様の竣工記念碑。
池の由来や再開発事業の経緯が書かれています。
 
上流面はロック材で護岸。
 
洪水吐を遠望。
 
既存の灌漑用ため池を再開発して農地防災ダム化した例としては北海道の杵臼ダム(再)があります。
 
永池ダム(元) 
佐賀県武雄市北方町大渡
六角川水系経堂入江川
17メートル
130メートル
381千㎥/381千㎥
----年
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3278 永池ダム(再)(1473)
佐賀県武雄市北方町大渡
六角川水系経堂入江川
FA
34.8メートル
123.3メートル
608千㎥/602千㎥
白石土地改良区
1996年