ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

尾曾谷ダム

2020-10-08 03:18:31 | 和歌山県
2020年9月27日 尾曾谷ダム
 
尾曾谷ダムは和歌山県日高郡日高川町高津尾の日高川水系高津尾川にある関西電力の発電用アースフィルダムです。
全国屈指の多雨地帯である紀伊半島では、その豊富な水量を生かして戦前から各河川で電源開発が進められてきました。
尾曾谷ダムもそんな発電施設の一つで1918年(大正7年)に和歌山水力電気(株)により高津尾発電所の調整池として建設されました。
日高川が大きく蛇行する地形を利用し上流の上田原取水堰堤で取水された水は約2キロ超のトンネル導水路で尾曾谷ダムに貯留され、ここで水量調節を行った後直下の高津尾発電所に送られ最大5800キロワットの水路式水力発電を行っていました。
その後、高津尾発電所の所有は京阪電鉄⇒合同電気⇒東邦電力と変遷し1939年(昭和14年)に日本発送電傘下の関西配電により接収、戦後の電気事業再編成により関西電力(株)が事業継承しました。
1999年(平成11年)に高津尾発電所に隣接して新高津尾発電所が完成、最大出力が1万4500キロワットに増強される一方旧発電所は廃止、尾曾谷ダムの役割も調整池から上部貯水槽に変更となっています。
旧高津尾発電所建屋は大正時代の貴重な建築物としてAランクの近代土木遺産に選定されています。
 
尾曾谷ダム及び高津尾発電所は県道196号線沿いにあります。
日高川に架かる橋より
右が新高津尾発電所、左が廃止になった高津尾発電所
発電所の背後に尾曾谷ダムがあります。
 
1918年(大正7年)竣工の旧発電所建屋はAランクの近代土木遺産。
パラペットの上部に『和歌山水力』の社章が残っています。
 
発電所脇から尾曾谷ダムへ道が通じています。
ダム左岸から新高津尾発電所に伸びる水圧鉄管。
内径最大3.4メートル。
 
左岸から見た堤体
管理道路が斜行しています。
 
 こちらは右岸から見た堤体。
右岸にも水圧鉄管がありますが、これは余水吐導流部になります。
水圧鉄管の洪水吐導流部は珍しい。
 
天端から
直下に発電所、さらにその奥に日高川が見えます。
道路沿いに桜が植えられ花見スポットになっています。
 
上流面と取水口。
石積みがありますが、竣工当時のものだそうです。
すでに100歳以上の代物。
 
右岸の余水吐はダム穴風。
越流した水は5枚目写真の鉄管を流下し日高川に放流されます。
 
総貯水容量3万6000立米
もともとは調整池として建設されましたが、今は上部槽となっています。
右手の水路は流筏路として作られたそうです。
対岸に見える樋門は、新高津尾発電所稼働に合わせて新たに開削された導水路吐口です。
 
上流から。
発電機が回っており、流入した水が渦を巻いて取水口に流れ込んでゆきます。
ちょうどのこの写真の足元に新導水路吐口があります。
 
取水堰からの導水路吐口。
写真では分かりづらいですが樋門は石積で扁額付きです。
右手は流筏路の分水ゲート。
 
全国でも10基程度しかない発電目的のアースフィルダムです。
発電施設にも関わらず、ダム周辺は広く開放されのんびり過ごすには絶好のスポット。
大正7年竣工の旧発電所建屋が奇麗に残っているのもうれしいところです。
 
1639 尾曾谷ダム (1568)
和歌山県日高郡日高川町高津尾
日高川水系高津尾川
26.5メートル
85.5メートル
36千㎥/32千㎥
関西電力(株)
1918年

広川ダム

2020-10-07 14:40:47 | 和歌山県
2020年9月27日 広川ダム
 
広川ダムは和歌山県有田郡広川町下津木の広川水系広川上流部にある和歌山県県土整備部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
1953年(昭和28年)の7・18水害(紀州大水害)により和歌山県各河川で甚大な洪水被害が発生し、県は各河川の治水対策に乗り出します。
広川ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、広川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給を目的として1974年(昭和49年)に竣工しました。
和歌山県営ダムとしては唯一の治水専用ダムです。
 
広川町下津木の県道26号線から『ほたるの湯』の標識に従って東に折れ、広川沿いを進むと広川ダムに到着します。
ダム手前の分岐を右手に採り落石だらけの悪路を進むとダム下に着きますが、木とフェンスで邪魔をされダム全体を見ることはできません。
ダム下の木は桜なので落葉すればもう少し見通しが良くなるかもしれません。
 
なんとかゲートだけズームアップ。
写真には収められませんでしたが左岸には常用洪水吐としてホロージェットバブルがあります。
 
ダムサイトへ向かいますが、ダムを下流から見れる場所はありません。
上流から
2門のラジアルゲートの右手には利水放流用の取水設備、左手には常用洪水吐であるホロージェットバルブの取水ゲートがあります。
 
右岸の管理事務所
このアングルで見ると銀河帝国艦隊の艦船のようです。
 
上流面
治水ダムということで、堤体の高さに比べて常時満水位はかなり低くなっています。
 
ぱっと見、立禁かと思いましたがよく見ると車両通行止め。
徒歩はOKです。
 
天端から
ダム直下で川はS字に蛇行しています。
右手から河川維持放流が行われ、手前の建屋がホロージェットバブルになります。
 
ダム湖は総貯水容量350万立米。
全長19キロ弱、流域面積52平方キロの川の治水ダムなのでこんなものなんでしょう。
 
取水設備建屋は昭和前半の面影を彷彿とさせる半円形。
 
左岸から下流面
対岸の建物が写真4枚目の管理事務所になります。
 
1648 広川ダム(1567) 
和歌山県有田郡広川町下津木
広川水系広川
FN
53.5メートル
166メートル
3500千㎥/3200千㎥
和歌山県県土整備部
1974年 

大正池

2020-10-07 14:33:27 | 和歌山県
2020年9月27日 大正池
 
大正池は和歌山県有田郡広川町下津木の有田川水系猿川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では所在地は広川町前田となっていますが、これは下津木の誤りです。
ダム便覧によれば広土地改良区の事業で1939年(昭和14年)に竣工とありますが、戦前に土地改良区はありませんので前身となる耕地整理組合の団体営事業によって建設されたと思われます。
ダム便覧には全国で9基の『大正池』が登録されていますが、その多くが大正時代の着手もしくは築造が『大正池』の名前の由来になっています。
当池についても便覧の竣工は1939年ですが、建設着手が対象で完成まで時間がかかったのか?1939年はあくまでも改修でもともと当地には大正時代を起源とする池があったか?
竣工記念碑や改修記念碑等は見当たらないため詳細は不明です。
現在は広・南広土地改良区が管理を行っています。
 
広川町前田の県道21号線前田バス停から東に折れ、猿川沿いの隘路を進むとどん詰まりに大正池があります。
ダム下から
堤体は三段になっており、右岸側にダム下に下りる道路がつけられています。
 
右岸の余水吐導流部。
 
右岸から余水吐越しに
上流面はコンクリートで護岸されています。
天端に軽トラが止まっていますが、無人で山林作業か釣り師のものと思われます。
 
余水吐導流部。
 
右岸の横越流式余水吐
越流部が上流側で湾曲しています。
 
左岸に斜樋があります。シャフトが4本、右手は古い斜樋のあとです。
 
ダム下の様子
整地されており、改修工事の際の建機や資材置き場になっていたのかもしれません。
猿川右岸の南向き斜面は和歌山らしくミカン畑が続きます。
 
総貯水容量23万1000立米と谷池としてはほどほどの規模です。
 
天端は車両通行可能ですが、斜樋の先は悪路の為普通の車では走れません。
 
斜樋のスピンドル。
 
広川流域はさほど溜池は多くなく、支流の沢沿いに谷池が5~6基点在する程度です。もともと農耕地が広くない上に広川の水を灌漑用に利用できたため溜池は必要なかったのでしょう。
 
1638 大正池(1566)
ため池コード 303620103
和歌山県有田郡広川町下津木
広川水系猿川
18.6メートル
92.5メートル
231千㎥/232千㎥
広・南広土地改良区
1939年

二川ダム

2020-10-06 13:16:08 | 和歌山県
2020年9月27日 二川ダム
 
二川ダムは和歌山県有田郡有田川町二川の有田川本流中流部にある和歌山県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1953年(昭和28年)の7・18水害(紀州大水害)により和歌山県各河川で甚大な洪水被害が発生し、県は各河川の治水対策に乗り出します。
流域面積が和歌山県全体の1割を占める有田川では1959年(昭和34年)に有田川中流部への治水ダム建設事業が着手され1966年(昭和41年)に二川ダムが竣工しました。
二川ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、有田川の洪水調節、関西電力岩倉発電所《2005年(平成17年)に県企業局から関西電力に移管》での最大出力1万1000キロワットのダム水路式発電を目的としています。
なお、河川法改正により河川維持放流が義務付けられたことにより1998年(平成10年)に新たに河川維持放流用設備が増設されました。
さらに2016年(平成28年)には河川維持放流を利用した小水力発電所である有田川町営二川小水力発電所が新設され、最大199キロワットの小水力発電を行っています。
 
二川ダムは国道480号線沿いにあり、下流に架かる日物川橋からダムを遠望できます。
クレスト2門、オリフィス2門のラジアルゲートを装備していますが、ゲートの並びが特徴的です。
 
左岸クレストゲート(写真上段右手のゲート)にはフラッシュボードがついています。
現在はダムで捕捉した流木やゴミの下流への流下は禁止されており、フラッシュボードを使う機会はありません。
 
ダム右岸下流側に展望公園がありますが、訪問時は草が繁茂しとても立ち入れる状態ではありませんでした。
こちらはダム右岸のダム諸元碑。
 
上流面
ゲート手前の設備が1998年(平成10年)に追加された河川維持放流用の取水設備。
 
ちょっとわかりづらいですが右岸にインクラインと浮き桟橋があります。
 
上流から遠望。
 
天端から
右手奥が2016年(平成28年)に新設された有田川町営二川小水力発電所。
手前の建屋は旧来の放流設備。
 
ダム湖は総貯水容量3010万立米と県ダムとしてはそこそこ大きなサイズ。
左手は関西電力岩倉発電所の取水ゲート。昭和30年代初頭の代物ということでかなり大掛かりなゲートです。
 
天端は歩行者のみ通行可能
ゲート部分が上流側にクランクしています。
 
下流面
左奥に管理事務所が見えます。
 
堤体は脆弱地盤があるため左岸のみ僅かに湾曲しています。
 
追記(追記)
二川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1647 二川ダム(1565)
和歌山県有田郡有田川町二川
有田川水系有田川
FP
67.4メートル
222.8メートル
30100千㎥/19200千㎥
和歌山県県土整備部
1966年
◎治水協定が締結されたダム

山田ダム

2020-10-06 03:05:03 | 和歌山県
2020年9月27日 山田ダム
 
山田ダムは和歌山県海草郡紀美野町長谷、右岸和歌山県紀の川市貴志川町高尾の紀の川水系貴志川右支流野田原川中流部にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
ダム便覧では所在地が紀の川市貴志川町高尾になっていますがこれは山田ダムの右岸です。通常ダムの所在地はダム左岸を基準とするため便覧は誤りであり、正しくは和歌山県海草郡紀美野町長谷となります。
 
1952年(昭和27年)に農林省(現農水省)が事業主体となる『十津川・紀の川総合開発事業』が策定され、のちに『吉野熊野特定地域総合開発計画』に発展、この中核事業として『国営十津川・紀の川土地改良事業』が着手されました。
同事業は奈良盆地および紀の川流域の紀伊平野における灌漑施設の整備充実を目的とし、奈良盆地への灌漑及び上水道用水源として津風呂ダム大迫ダム、新宮川水系から紀の川水系への流域変更目的で猿谷ダム、和歌山県内での灌漑用水源として山田ダムの建設が決定しました。
山田ダムは1950年(昭和30年)に着工、4ダムのうち最も早い1957年(昭和32年)に竣工し、運用開始後は受益農家で組織される山田ダム土地改良区が受託管理を行い、貴志川流域の農地651ヘクタールに灌漑用水の供給を行っています。
 
ダム右岸を県道129号線が走っており、ダムサイトには地元コミュニティーバスの『山田ダム』バス停があります。
 
残念ながら下流からの展望ポイントはありません。
こちらは上流からの眺め
クレストには3門のラジアルゲート、その右手に取水ゲートがあります。
 
ゲートと取水設備をズームアップ
1957年(昭和32年)竣工ということで、ゲート操作室、取水設備操作室ともに大がかりなものとなっています。
 
天端は車両通行可能。
ここから見ても巨大な取水設備操作室。
 
右岸に艇庫とインクラインがあります。
背後のトラス橋は県道129号、手前のコンクリート構造物はケーブルクレーン台座と思われます。
しかし立ち入り禁止エリアで平気で釣りをする釣り師。さすが関西、モラルというものがないんでしょうか?
 
ダム湖は総貯水容量340万立米。
一般には山田貯水池と呼ばれています。
 
天端ゲート部分は昭和20~30年代のダムらしく前面にクランクしています。
 
天端から
上から見る限り直線状の導流壁
右手は取水設備からの用水路。
 
アングルを変えて。
 
左岸から上流面。
天端高欄は白く塗装されています。
 
左岸の竣工記念碑。
奈良県から和歌山県にかけての紀の川南岸は三波川変成帯が露頭しており、竣工記念碑も緑色片岩製。
 
農業用ダムでありながら昭和20~30年代のダムということで立派なラジアルゲートを装備しています。
ただ下流からの展望ポイントがないのが惜しい所。
 
(追記)
山田ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1645 山田ダム(1564) 
左岸 和歌山県海草郡紀美野町長谷
右岸 和歌山県紀の川市貴志川町高尾
紀の川水系野田原川
34メートル
139.4メートル
3400千㎥/3370千㎥
山田ダム土地改良区
1957年
◎治水協定が締結されたダム

稲倉池

2020-10-05 12:13:55 | 大阪府
2020年9月26日 稲倉池
 
稲倉池は大阪府泉佐野市日根野の佐野川水系稲倉川にある灌漑及び上水目的のロックフィルダムです。
ダム便覧に大阪府の事業で1957年(昭和32年)に竣工と記されており、管理は稲倉池土地改良区が受託しています。同土地改良区への灌漑用市の供給のほか、簡易上水道の水源になっているようです。
1957年竣工のロックフィルダムということで日本で4番目に古いロックフィルダムということになります。
また池の左岸には泉佐野市営稲倉青少年野外活動センターがありログハウスやキャンプ場などが整備され、ダム下も埋め立てられて運動用グランドになっています。
 
府道62号の『水呑み地蔵』バス停先で右手の枝道に入り、次の分岐を右手に採ると稲倉池に到着します。
湖畔には立派な竣工記念碑がありますが、フェンスに囲まれ裏面を見ることができません。
たぶたぶんこの石碑に稲倉池建設に至る経緯や竣工年度が書かれているはずなんですが・・・・。
 
洪水吐と上流面
上流面はコンクリートで護岸されています。
 
右岸の横越流式洪水吐。
なかなか立派な大きさです。
 
洪水吐導流部。
 
下流から導流部を見上げると。
ちょっと草木が邪魔。
 
ダム便覧によれば堤高32.2メートルと溜池にしてはけっこうな高さを誇るのですが・・・・
堤体直下には盛土が施され運動用グランドになっています。
隣接する野外活動センターの施設の一つかと思います。
 
天端から見た洪水吐。
 
総貯水容量128万3000立米と、灌漑用溜池としてはかなり大規模です。
 
左岸の斜樋と取水設備を遠望。
ちょっとすっきりと撮れる場所がありませんでした。
 
天端を挟んで上下流面
ダム下は埋め立てられグランドに
天端は車両通行可能ですが対岸で行きどまり。
 
左岸に稲倉池建設工事の安全を祈願して勧請された神社が鎮座しています。
 
1429 稲倉池(1563) 
ため池コード 272130051
大阪府泉佐野市日根野
佐野川水系稲倉川
AW
32.2メートル
173.1メートル
1283千㎥/1183千㎥
稲倉池土地改良区
1957年 

新滝の池

2020-10-04 23:06:36 | 大阪府
2020年9月26日 新滝の池
 
新滝の池は大阪府泉佐野市上之郷の樫井川水系樫井川左支流(河川名不明)にある灌漑目的の曲線重力式コンクリートダムです。 
大阪府泉南地域は瀬戸内海式気候に属し年間降水量が少ないうえに大河がなく、古くから灌漑用水源を溜池や中小河川に依存してきました。
高度経済成長期に入り、泉南地区では従来の稲作に加えていわゆる『近郊農業』としてタマネギや水ナスの栽培が盛んとなり、新たな灌漑用水源の確保が大きな課題となってきました。
こうした中、農林省の補助を受けた大阪府の事業で既存の上之郷新池を再開発してコンクリートダム化し、1995年(平成7年)に竣工したのが新滝の池です。
運用開始後は上之郷土地改良区が受託管理を行い管内の農地に灌漑用水の供給を行っています。
 
新滝の池一番の特徴は京都南禅寺の琵琶湖疏水水路閣をモチーフにした煉瓦積み風の化粧型枠が施された赤い堤体です。
実は2006年(平成18年)に建設される泉南農業公園調整池もよく似たモチーフなのですが、どちらも(株)共生という会社による設計となっています。
さらに堤体はアーチ状に湾曲した曲線重力式、そして堤体下流面に盛土が施されコンクリートダムにも関わらず下流面が森という非常に珍しいダムとなっています。
 
ダムの手前に車20台程度が止められる駐車場があります。
ダム入り口にゲートがありここからは徒歩でダムに向かいます。
泉南という地域柄、不法投棄や破壊行為を防ぐためのゲートかと思います。
 
と言っても20~30メートルも歩けばダム右岸に到着。
天端脇に横山ノック元知事の筆による竣工記念碑がたっています。
 
こちらは泉佐野市による竣工記念碑
『新滝之池』となっています。
 
右岸上流から
堤体がアーチ状に湾曲、煉瓦積み風の化粧型枠を施した赤い堤体は文字通り異色のダム。
さらに堤体は満水位を境に濃淡が施されたツートン。
 
洪水吐は重力式コンクリートダムでは珍しい横越流式。
洪水吐脇に取水設備があります。
 
アングルを変えて。
 
車が余裕で通れる広い天端。
大阪らしく不法投棄や破壊行為、落書きなどが絶えなかったためダム手前にゲートを設置したようです。
 
総貯水容量50万立米はコンクリートダムとしては小さめ。
需要期が終わりつつあるせいかずいぶん水位が低くなっています。
 
湾曲した赤い堤体下流面を撮りたいのですが、盛土に植えられた木が伸びてご覧の状態。
桜が多いので落葉した冬場ならもう少し良く見れるかもしれません。
 
上流面
水位が下がったこの時期だからこその眺め。
 
さらに上流から。
 
ダム湖畔は一周2キロ弱のトリムコースとなっており、休日ということもあり多くの方がランニングやウォーキングを楽しんでいました。
なおこの上流2キロには新滝の池の兄貴分である滝ノ池があり、こちらもダムの要件を満たしダム便覧にも掲載されています。
今回は時間の関係でスルーしましたが、機会があれば再訪し滝ノ池まで足を伸ばしてみるつもりです。
 
3127 新滝の池(1562)
大阪府泉佐野市上之郷
樫井川水系樫井川左支流
26メートル
105メートル
500千㎥/480千㎥
上之郷土地改良区
1995年

大谷池(再)

2020-10-04 22:18:50 | 大阪府
2020年9月26日 大谷池(再)
 
大谷池(再)は大阪府阪南市自然田の男里川水系菟砥川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
大阪府泉南地域は瀬戸内海式気候に属し年間降水量は僅か1300ミリ前後、さらに大河がないため淡路島や讃岐と並ぶ日本有数の溜池密集地帯となっています。
大谷池もそんな溜池の一つで、もとは18世紀に築造された溜池でした。
現地改修碑によれば1969年(昭和44年)に大阪府の事業として大規模改修が着手され1972年(昭和47年)に竣工し現在の姿になったようです。
なおダム便覧の竣工年度は1971年(昭和46年)になっていますが、ここでは改修碑の1972年を採用します。
池の管理は受益者で組織された大谷池水利組合が行っています。
 
府道257号で大阪リハビリステーション病院の先を左に折れ産廃業者の敷地をやり過ごすと大谷池に到着します。
池の手前に建つ改修記念碑。
ネットで検索しても大した情報がヒットせず、この改修碑が貴重な情報源です。
 
天端は舗装され道路はさらに上流の裏芝池へと続きますが、道には草木が覆い通る車も多くはなさそう。
手前の車は釣り人のもの。
 
取水設備
いかにも大阪らしい落書き。
 
天端からの眺め
足元に配水場らしき建物
ダム下へも行けないことはありませんが、入口に工事車両が止まっていたので自重しました。
 
天端からは大阪湾を挟んで淡路島が見えます。
かつて農耕地だった場所も宅地化が進み、池の受益農家も数が減っているようです。
 
灌漑用溜池としてはやや小ぶりな、総貯水容量11万5000立米の貯水池。
 
右岸の洪水吐
伸びているパイプは河川維持放流用でしょうか?
 
洪水吐導流部。
 
時節柄草木が繁茂し、撮影ポイントは多くありません。
ダム下へも行けないことはありませんでしたが、入口に工事用用車両が止まっていたので自重しました。
日本屈指の溜池密集地帯ですが、都市化が進み受益農家が減少、周辺でも管理されない溜池が増えているようです。
 
3325 大谷池(再)(1561) 
ため池コード 272320008
大阪府阪南市自然田
男里川水系菟砥川
18.7メートル
97メートル
115千㎥/115千㎥
大谷池水利組合
1972年 

泉南農業公園調整池

2020-10-03 21:47:02 | 大阪府
2020年9月26日 泉南農業公園調整池
 
泉南農業公園調整池は大阪府泉南市信達岡中にある防災調整池です。
泉南市営農業公園(花咲ファーム)の建設にあたり、山林造成・森林伐採による土砂や雨水流出量の増加に対処する目的で2006年(平成18年)に建設されました。
建設予定地ダムサイトの地盤が脆弱なため、経済効率性や十分な貯水容量確保などを考慮し『鋼製マルチサスペンション型コンクリートバットレス』という非常に珍しい型式が採用されています。
具体的には、堤体本体は圧縮強度の強いコンクリートのバットレス、遮水板は引っ張り強度の強いスチール製というハイブリッド構造で、見た目の姿は下流面は赤い笹流ダム、剛性を高めるために凹凸のついた遮水板はスチール製の豊稔池と言った風です。
泉南農業公園調整池は堤高が14.9メートルと河川法上のダムの要件を満たしていませんが、非常に珍しい型式のダムということでダム便覧には参考掲載で登録されています。
 
泉南市営農業公園の駐車場手前に泉南農業公園調整池があります。
建設から14年経過し、池周辺は草木が伸び全体をすっきりと見渡せるスポットはありません。
なんとか草木の切れ目から下流面を撮影。
直下は溜池の背水になっており、下流側にも水が溜まっています。
堤体は赤く着色され煉瓦風の化粧型枠が施されています。
京都南禅寺の琵琶湖疏水水路閣をモチーフにしたそうですが、せっかくのデザインも草が伸び放題では人目につくこともできません。
 
上流面
道路からはこれが限界。
 
堤頂部
一応天端と呼ぶんでしょうか?
 
防災調整池ということで普段は貯水池は空っぽです。
右手の円筒形のものが洪水吐になり、一定以上の水が溜まるっとここからトンネル導水路で水が流下する仕組みです。
 
 
スチール製の遮水板は剛性を高めるため凹凸がつけられています。
スチールは引っ張強度が強いため、下側がアーチになって凹凸になっています。
 
ダム便覧には草木が伸びる以前の写真が多数掲載されてています。
今は草木が繁茂し写真と同じポイントからダムを眺めることはできません。たぶん日本で唯一と思われる珍しい型式のダムなので、せめて上流側の草を刈って頂ければと思うのですが。
 
S007 泉南農業公園調整池(1560) 
大阪府泉南市信達岡中
男里川水系
14.9メートル
61メートル
----/----
泉南市
2006年

堀河ダム

2020-10-02 13:40:25 | 大阪府
2020年9月26日 堀河ダム
 
堀河(ほりご)ダムは大阪府泉南市信達童子畑の男里川水系金熊寺川右支流堀河川にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
大阪府泉南地域は瀬戸内海式気候に属し年間降水量が少ないうえに大河がなく、古くから灌漑用水源を溜池や中小河川に依存するなどし、安定した水源確保が農家の悲願となっていました。
1956年(昭和31年)の町村合併で誕生した泉南町(現泉南市)も同様で、地元による陳情の結果1962年(昭和37年)に農林省の補助を受けた府の事業として農業用ダム建設が採択され1970年(昭和45年)に堀河ダムが竣工しました。
運用開始後は泉南市が受託管理を行っています。
なおダム便覧では竣工年度を1971年(昭和46年)としていますが、ここでは竣工記念碑の1970年を採用します。
 
阪和自動車道泉南インターから府道63号泉佐野岩出線を和歌山方面に南下し信達童子畑集落を過ぎると左手に堀河ダムが姿を見せます。
府道からダム下へ続く道路を進みますが、木が茂りダム下には近づけません。
 
いったん府道を北に戻り信達童子畑集落入口で左手の旧道に入り、さらに直後の分岐を左に採ると堀河ダムに到着します。
こちらはダム左岸から
昭和40年代のダムということで農業用ですがクレストにはローラーゲートを装備しています。
 
堀河ダムで注目すべきは堤体に書かれた文字(黄色のマル)
どうやってこんなところに落書きを?と思われますが、たぶん測量か調査の際に書かれたものじゃないかと思います。
 
右岸から。
 
右岸ダムサイトの竣工記念碑。
 
右岸の山側擁壁は地元の風景を描いた壁画になっていましたが、見るも無残な落書き多数。
全国のダムを回っていますが、大阪のダムや溜池はどこに行っても落書きや不法投棄が多いのには驚かされます。
土地柄と言えばそれまでですが、民度の低さは同じ関西出身者として恥ずかしい限りです。
 
上流から
農業ダムとしては立派な取水設備とゲート。
 
天端は車両通行可能
左岸にも道路があり府道63号に通じています。
 
天端から
樹木に覆われているのでわかりづらいのですが、どうやら減勢工の両側に放流設備らしいものはありません。
取水された水は堤体下部のコンジットから放流されるようです。
 
左岸から府道へ通じるトラス橋。
2枚目と3枚目の写真はここから撮ったものです。
 
総貯水容量279万5000立米と農業用ダムとしては結構大きな貯水池。
 
湖岸には桜の木が多く『大阪みどりの百選』に選ばれ、春には多くの人出があるようです。
 
1432 堀河ダム(1559)
ため池コード 272280037
大阪府泉南市信達童子畑
男里川水系堀河川
45.4メートル
130メートル
2795千㎥/2519千㎥
泉南市
1970年 

岩出頭首工(岩出統合井堰)

2020-10-01 16:14:05 | 和歌山県
2020年9月26日 岩出頭首工(岩出統合井堰)
 
岩出頭首工(岩出統合井堰)は和歌山県岩出市清水の一級河川紀の川本流にある灌漑目的の可動堰です。
江戸時代より紀の川は流域の貴重な水源として多数の灌漑用取水堰(井堰)が設けられ、岩出周辺でも4つの井堰が設置されていました。
1952年(昭和27年)より農林省(現農水省)の十津川・紀の川土地改良事業が着手され、紀の川流域の井堰の統合が計画俎上に上がりました。
しかし、翌1953年(昭和28年)7月の紀州大水害、9月の台風13号により井堰がことごとく破損・流出という事態となり、急遽農林省による国営災害復興事業が採択され、流域に11基あった井堰は4基の頭首工に統合されることになりました。
岩出頭首工もこのうちの一つで1957年(昭和32年)に竣工、左右両岸の取水口より紀の川下流域約2000ヘクタールの農地に灌漑用水の供給を行っています。
管理は紀の川土地改良区連合が受託し、実際の管理は受益団体である六箇井土地改良区、紀の川左岸土地改良区が行っています。
なお岩出頭首工は河川法上のダムの要件は満たしていませんが、紀の川水系最大規模の頭首工ということでダム便覧には参考掲載で登録されています。
 
京奈和道岩出根来インターから県道63号を南下、紀の川にかかる岩出橋を渡って左折し東に進むと岩出頭首工左岸に到着します。
 
ピアのアーチ状鉄骨トラスが特徴的。
昭和20年代後半着工、昭和32年竣工ですが、この時期は発電用ダムなどでも鉄骨トラスのピアが多用されています。
 
堰堤中央に洪水吐4門、その左右に土砂吐各1門が並んでいます。
また写真では分かり辛いですが、左右両岸に魚道が設置されています。
訪問時は前日のまとまった雨で水位が上昇、中央の洪水吐2門と左右の土砂吐が開放されていました。
 
頭首工のすぐ下流にはJR和歌山線紀ノ川橋梁が架かっています。
 
JR和歌山線紀ノ川橋梁
1930年(昭和5年)に架橋されたワーレントラス・ガーダー橋
橋脚基部は1900年(明治33年)の初代紀ノ川橋梁のものです。
本当は頭首工と紀ノ川橋梁を一緒に撮りたかったのですが、超広角レンズを持ち合わせていなかったのであきらめました。
 
天端は立ち入り禁止。
 
左岸の水利使用標識。
 
上流から
手前に紀の川左岸土地改良区向けの取水ゲートがあります。
 
頭首工のトラスとJRのワーレントラスを重ねて撮ってみました。
 
右岸の取水ゲート
こちらは六箇井土地改良区向けのゲート。

S005 岩出頭首工(岩出統合井堰)(1558) 
和歌山県岩出市清水
紀の川水系紀の川
MB
2.9メートル
258.2メートル
ーーーー/ーーーー
紀の川土地改良区連合
1957年

新池

2020-10-01 14:27:54 | 和歌山県
2020年9月26日 新池
 
新池は和歌山県岩出市東坂本の紀の川水系山田川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では1872年(明治4年)に小田井水利組合の事業により竣工と記され、現在は受益者で組織される新池水利組が管理を行っています。
池の敷地はフェンスに覆われ厳重に立ち入りが制限されており、撮影スポットも少なく手掛かりの少ない溜池です。
ダム便覧では堤高16メートル、堤頂長95メートルとなっていますが、和歌山県のため池データベースでは堤高12.3メートル、堤頂長188メートルになっています。
実際に地図の縮尺と照らし合わせてみると堤頂長はデータベースのほうが正しいように思われます。
仮に堤高が12.3メートルならば新池はダムの要件を満たさなくなります。
 
岩出市の植物公園緑花センターを下ると左手に新池が現れます。
池の直下には太陽光パネルが並んでいます。
 
下流面中ほどにコンクリート構造物があります。
かつての底樋吐口でしょうか?
 
真横から見た下流面。
 
上流面はコンクリートで護岸されています。
対岸にお寺があります。寺まで行けば天端に上がれたかも?
 
堤体中央に斜樋。
 
右岸洪水吐。
 
アングルを変えて
奥に越流部が見えるので横越流式で間違いないでしょう。
 
現在の管理者は『新池水利組』。
 
帰宅後確認したところ、ダム下から堤体に上がれることがわかりました。
またダム下には由来碑があるようで池の来歴についても詳細がわかるかもしれません。
 
1634 新池(1557) 
ため池コード 302090047
和歌山県岩出市東坂本
紀の川水系山田川
12.3メートル(ダム基準未達)
188メートル
98千㎥/98千㎥
新池水利組合
1872年

桜池

2020-10-01 00:42:57 | 和歌山県
2020年9月26日 桜池
 
桜池は左岸が和歌山県紀の川市北長田、右岸が同市北志野の紀の川水系松井川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
桜池の歴史は古く、徳川御三家紀州藩祖である徳川頼宜の命により1653年(慶安5年)に築造されたとされています。
1966年(昭和41年)に県営事業により大規模な改修工事が竣工し、ダム便覧ではこれを竣工年度としています。
また総貯水容量56万6000立米は灌漑用溜池としては和歌山県最大規模です。
改修記念碑では桜池土地改良区の管理となっていますが、現在は土地改良区の統合により紀の川用水土地改良区が管理を行っています。
また、桜池は有料の管理釣り場となっており、県下有数のバス釣りスポットとして人気があり訪問時も多数の釣り師が竿を立てていました。
 
京奈和自動車道紀の川インターチェンジから紀ノ川広域農道を東に向かうと左手に桜池の堤体が見えてきます。
和歌山県らしく堤体下にはみかんや栗などの果樹園が広がります。
 
下流面を管理道路が斜行しています。
堤体は稲刈り後に草刈りが行われるようで、今はまだ草が伸び放題。
 
左岸の取水設備からの底樋樋門。
 
右岸にある立派な改修記念碑。
立ち入り禁止のフェンスの内側なので解読に苦労しました。
 
上流面と対岸の斜樋。
上流面はコンクリートで護岸されています。
管理釣り場ということで、入場料を払えば溜池内に立ち入りるようです。
 
もう少し引いて撮ります。
手前が洪水吐になります。
 
アングルを変えて
溝のように見えるコンクリートが洪水吐越流部になります。
総貯水容量は56万6000立米と溜池としてはやや大きめと言ったところですが、和歌山県下では一番大きな溜池です。
 
こちらは洪水吐導流部
堤体とは違う方向に流下してゆきます。
 
右岸上流から
右手は釣り場事務所
管理釣り場ということで多くのボートが置かれています。
 
写真撮影のため、中への立ち入りをお願いしましたが釣り入場料1500円払えとのことでやめました。
 
コロナによる不要不急の外出自粛の影響もあり、遅ればせながら9月にして今年最初の初訪ダムとなりました。
そして気がつけば、故郷の隣県でありながら和歌山県初ダムでもあります。
 
1629 桜池(1556) 
ため池コード 
左岸 和歌山県紀の川市北長田
右岸 和歌山県紀の川市北志野
紀の川水系松井川
16メートル
320メートル
566千㎥/540千㎥
紀の川用水土地改良区
1966年