ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

蔵王ダム

2023-12-24 17:00:37 | 山形県
2017年 5月27日 蔵王ダム
2023年11月 2日
 
蔵王ダムは山形県山形市上宝沢の一級河川最上川水系馬見ヶ崎川にある山形県県土整備部が管理する多目的中空重力式コンクリートダムです。
山形市街は馬見ヶ崎川によって形成された扇状地上に発展しますが、急流且つ土砂流出量が多く抜本的な治水対策が求められていました。
一方、古くから灌漑用水源となってきた市街東部を流れる須川が昭和初期より酸性化し灌漑用水としては不適となります。
さらに高度成長による都市用水需要の増加を受け安定した水源が求められていました。
当初山形市が馬見ヶ崎川への上水用ダム建設を企図し、のちに県が河川総合開発事業として1970年(昭和45年)に竣工したのが蔵王ダムです。
建設に際してはコンクリートの節約が見込め、県として木地山ダムでの実績のあった中空重力式が採用されました。
蔵王ダムは建設省(現国土交通省)の補助を受けた補助多目的ダムで、馬見ヶ崎川の洪水調節(最大毎秒385立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、山形市への上水道用水の供給を目的としているほか、利水放流を利用した蔵王ダム発電所(最大出力484キロワット)で小水力発電を行います。
 
蔵王ダムには2017年(平成29年)5月に初訪、ダムマイスターとして最初の見学会を開催した2023年(令和5年)11月に再訪しました。
国道286号の蔵王インター入り口から県道272号経由で蔵王ダムまで約9キロ、車で15分ほどの行程です。

ダムの写真の前に県ホームページ内の蔵王ダム平面図ここでダムの平面図。
中空ダムといっても堤体内部がすべて空洞というわけではありません。
いわゆるダイヤモンドヘッドでブロックごとに空洞空間が仕切られています。 


それを踏まえたうえでまずは初回訪問時の写真から
ダム下や天端は立ち入り禁止で見学ポイントは限られます。
左岸下流から
中空ダムらしく襟がなく堤頂部からスロープが始まります。


利水放流設備であるジェットフローゲートから放流中。


水位が高く中空ダム特有のダイヤモンドヘッド、いわゆるたこ足は見れません。


ダム手前のプラント遺構。
通常ですと目にできるのはこれくらい、見学ポイントが非常に少ないダムです。


ここから先は2023年(令和5年)11月の再訪時の記事となります。
なお、見学会の詳細については蔵王ダム『ダム研見学会』をご覧ください。
まずは初回訪問時と同じアングルで
あれ?電線が消えた??

 
上流面
水位が低くダイヤモンドヘッドの先端がはっきり見えます。
手前は艇庫でクレーンで船を昇降させます。
奥の赤いゲートはコンジット予備ゲート。

 
蔵王ダムには取水設備は2基あります。
左岸側は山形市向け上水用で専用水路で浄水場まで送水されます。

 
ダム湖は蔵王湖
総貯水容量730万立米。
紅葉は見ごろですが、曇天且つ薄く霞がかかるあいにくのお天気。

  
取水設備はヒンジ式。
右手はワイヤーの案内滑車でワイヤーの巻き上げにより黒いガイドレールに沿ってヒンジが動きゲートを開閉します。
同タイプの取水設備は新潟県佐渡市の大大野川ダムにも設置されています。


こちらはコンジット予備ゲート
蔵王ダムは上流側からの展望ポイントはなく、予備ゲートの全景は見れません。


クレストゲート導流部と減勢工
左手の白い管は利水放流用水路管で、奥に管理用の蔵王ダム発電所があります。
利水放流は放流量によりジェットフローゲートと発電所の兼用もしくは使い分けとなります。


右岸から下流面。


利水放流用のジェットフローゲート。


中空ダムではおなじみ、空気孔からの眺め
まるでキツツキになった気分。


常用洪水吐であるコンジットラジアルゲート。


中空部、上部監査廊から
左手のパイプはプラムライン
プラムラインが露出しているのも中空ダムならでは。


上部監査廊を左岸まで戻り管理事務所へ
こちらはダムコン。


管理事務所からのダムの眺めが素晴らしい。
紅葉と相まって堤体の直線が際立ちます。


今度はダム下へ
堤高66メートル、堤頂長273.8メートル
ゲートは堤体右岸側に寄っています。


非常用区クレストラジアルゲート2門、常用コンジットラジアルゲート1門
利水放流設備としてジェットフローゲート1門
右手の水路管は利水放流用
コンジットゲート上方の大きな穴が先ほど覗いた空気孔。


再び堤体内に入り中空部を見上げます。
まるでダイヤモンドのような美しさ。


基礎岩盤が堤体内に露出しているのも中空ダムだからこそ。
ちなみに岩盤は花崗閃緑岩。日本では普通に花崗岩と呼ばれます。


プラムラインを見上げます。
上の歩廊で16枚目の写真を撮りました。


最後に管理用発電所へ
最近塗装が塗り替えられたようで、青が鮮やか。


上記のように、見学会の詳細については別項で紹介しますが、改めて対応していただいた山形県県土整備部山形統合ダム管理課の皆様には厚く御礼申し上げます。 

(追記)
蔵王ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0435 蔵王ダム(1006)
山形県山形市上宝沢
最上川水系馬見ヶ崎川
FNW
HG 
66メートル
273.8メートル
7300千㎥/5200千㎥
山形県県土整備部
1969年
◎治水協定が締結されたダム

杉沢溜池(簗沢ダム)

2023-10-10 17:00:42 | 山形県
2016年6月18日 杉沢溜池(簗沢ダム)
2023年7月26日
 
杉沢溜池は山形県米沢市簗沢の最上川水系鬼面川右支流太田川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1937年(昭和12年)に鬼面川堰用水組合の事業で竣工と記されており、受益者で組織された水利組合の事業、つまり農家の持ち出しで建設されたと思われます。
現在の管理者は米沢市で、受益農地は当池北方約6キロの鬼面川流域水田となります。
なおダム便覧では目的が『FA(農地防災・灌漑)』となっていますが、当溜池に農地防災容量の配分はなく『A』が妥当です。
また旧名を鬼面川貯水池といい国土地理院地形図では今も鬼面川貯水池と記されています。
杉沢溜池には2016年(平成28年)6月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

池直下から堤体を見上げる
定期的に草は刈られていますが、訪問時はかなり草が茂っています。
2023年7月26日)

 
堤体下部右岸側に底樋管があります。
灌漑期ということでかなりの水勢
このあと水路は直角に曲がり池下を左岸に向かいます。
(2023年7月26日)

 
これは初訪時に左岸から水路を撮ったもの
再訪時は草が茂りここまでは入れず。
またこの位置には量水計が新設されていました。
(2016年6月18日)

 
右岸から下流面。
(2023年7月26日)

 
上流面。
(2023年7月26日)

 
池下の量水計。
(2023年7月26日)

総貯水容量は46万立米。
(2016年6月18日)


斜樋。
(2023年7月26日)

 
改築されて間がない斜樋操作室。
(2016年6月18日)

天端はダートで、対岸からさらに林道が続くため車両の通行可能です。
(2023年7月26日)

 
左岸の横越流式洪水吐。
(2016年6月18日)


越流した水はこの導水路隧道を流下し太田川へと流れます。
(2016年6月18日)

 
上流側から
(2016年6月18日)


左岸に昔の水路と思われる空洞があり中にはニャンコの落書き。
今は物理的に立ち入り困難な場所なのでかなり昔の落書きのようです。
(2016年6月18日)


左岸から上流面。
(2023年7月26日)


こちらは初訪時
水位がかなり低くシャフトの大半が見えます。
(2016年6月18日)

 
0410 杉沢溜池(0468)
ため池コード
山形県米沢市簗沢
最上川水系鬼面川
22.5メートル(ため池データベース 22.7メートル)
135メートル(ため池データベース 116.5メートル)
460千㎥/460千㎥
米沢市
1937年

松沢溜池

2023-10-09 17:00:19 | 山形県
2016年7月10日 松沢溜池
2017年5月27日
2023年7月26日
 
松沢溜池は左岸が山形県上山市細谷、右岸が同市皆沢にある灌漑目的のアースフィルダムです。
現地記念碑によれば、大正期に約130ヘクタールの山野の開拓のために溜池築造が企図され、1921年(大正10年)に松沢耕地整理組合の事業により竣工と刻されています。
一方ダム便覧には1920年(大正11年)に松沢土地改良区の事業で竣工と記されており、竣工年度に1年のずれはありますが大正末期に耕地整理組合の事業、つまり受益農家の持ち出しで建設されたのは間違いなさそうです。
現在の管理者は上山市土地改良区です。
直近の改修で東北では2例目となるラビリンス洪水吐が設置されたことで、溜池ではありますがダム愛好家の中ではよく知られた存在となっています。
松沢溜池には改修工事終了間際の2016年(平成28年)7月に初訪、2017年(平成29年)の改修工事竣工を受け、同年5月に再訪、さらに2023年(令和5年)7月に3度目の訪問をしました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
上山市街から大規模農道フルーツラインを西に向かうと左手に松沢溜池が見えてきます。
溜池を運用しながらの改修のため、改修工事は主として非灌漑期に行われます。
初訪時は灌漑期ということで工事は中断中。
(2016年7月10日)

 
堤体下を横断し全長200メートルに及ぶ洪水吐導流部。
形状の異なるエンドシルが2基設置されています。
(2016年7月10日)

 
洪水吐斜水路。
減勢工にはシュートブロックとバッフルブロックが並びます。
洪水吐はここからL字に折れて、上の写真の導流部へと続きます。
(2016年7月10日)


灌漑期のため貯水池はほぼ満水。
堤体の土はむき出しで、洪水吐にはまだラビリンスは設置されていません。
(2016年7月10日)

 
刷新された斜樋
左岸の山留も今回の改修で施工されました。
(2016年7月10日)

 
ここからは再訪時の写真です。
堤体には芝が張られています。
(2017年5月27日)

 
新たに設置されたラビリンス越流頂。
(2016年7月10日) 

 
(2017年5月27日)

 
天端はアスファルト舗装
前回よりも水位が低いため、コンクリートブロックの護岸がよく見えます。
(2017年5月27日)

 
ここからは3度目の訪問時の写真
下流面の芝はしっかりと根付き洪水吐には手すりが設けられています。
一方でぴかぴかだったコンクリートは汚れが目立ちます。
(2023年7月26日)

 
洪水吐斜水路とシュートブロック、バッフルピア。
(2023年7月26日)


洪水吐はダム下でL字に折れ約200メートルの導流部を流下します。
堤体は右岸側で緩やかに屈曲
一応『カド』。
(2023年7月26日)

 
1962年(昭和37年)建立の記念碑
溜池築造からの経緯が詳細に刻されています。
(2023年7月26日)


2017年(平成29年)の改修竣工により新たに設置された記念碑。
(2023年7月26日)


ラビリンス越流頂
(2023年7月26日)


アングルを変えて
(2023年7月26日)


上流面にもずいぶん草が生えました。
(2017年5月27日)

 
天端から先は立ち入り禁止ですが、事前に許可を頂いています。
両側に手すり。
(2023年7月26日)

 
洪水吐を見下ろす。
下からは気づきませんでしたが、バッフルピアの下流にエンドシルがあります。
シュートブロック、バッフルブロック、エンドシルの3点セット装備。
(2023年7月26日)


天端からの眺め
池の下流には特産のサクランボ畑が広がります。
(2023年7月26日)

 
総貯水容量38万3000立米(ため池データベース)の貯水池。
(2023年7月26日)

 
上流面。
(2023年7月26日)

 
3度目の訪問でようやく完全完成形の池を目にすることができました。
 
0404 松沢溜池(0486)
ため池コード
左岸 山形県上山市細谷
右岸     同市皆沢
最上川水系思川
23.91メートル(ため池データベース 21.1メートル)
213メートル(ため池データベース 191メートル)
294千㎥(ため池データベース 383.9千㎥)/294千㎥
上山市土地改良区
1920年(記念碑1921年)

生居川ダム

2023-10-08 17:09:54 | 山形県
2016年7月10日 生居川ダム
2023年7月26日
 
生居川ダムは山形県上山市下生居の一級河川最上川水系須川右支流生居川にある灌漑目的のロックフィルダムです。
山形盆地を南北に縦断する須川は最上川最大支流ですが、蔵王の火山活動に加え明治以降の硫黄採掘により昭和10年代より酸性化が顕著となり須川を主水源とする流域農地約500ヘクタールに多大な悪影響を与えていました。
1979年(昭和54年)に山形県は農林省の補助を受けた鉱毒対策事業『上山東部地区』に着手、その中核施設として1992年(平成4年)に竣工したのが生居川ダムです。
鉱毒対策事業全体も1994年(平成6年)に完了し、酸性水の源である蔵王沢の水を分離するとともに真水である仙人沢の水を生居川ダムに導水することで灌漑用水の真水化が可能となりました。
運用開始後は上山土地改良区が管理を受託し、現在は約400ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
農水省の補助を受けた鉱毒対策事業によって建設されたダムとしては千葉県の荒木根ダム平沢ダム、宮城県の村田ダムがあります。
生居川ダムには2016年(平成28年)7月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
下流から遠望
堤高41.8メートル、堤頂長は313.7メートルの横長堤体
ダムの下流は水田のほか、フルーツ王国らしくブドウなど果樹園地が並びます。
(2023年7月26日)


ダムを斜めによぎる洪水吐。
(2023年7月26日)


仮排水トンネルを活用した取水設備からの放流口
灌漑期ということで勢いよく放流されています。
(2023年7月26日)

 
左岸ダムサイトに上がります。
ゲートが設けられ徒歩のみ開放。
(2023年7月26日)


左岸の横越流式洪水吐
右手は監査廊入り口。
(2016年7月10日)

 
同じアングルで再訪時
越流はしていませんが水位が高いのがわかります。 
(2023年7月26日)

 
上流から
越流堤手前は石敷きになっています。
(2016年7月10日)

こちらは再訪時。
(2023年7月26日)

 
天端からの眺め
須川流域約400ヘクタールの水田が受益農地となります。
(2023年7月26日)
 
ダム下をズームアップ
2枚目写真は下の橋から撮影
3枚目写真の放流口は中央奥の資材が積まれた先にあります。
(2023年7月26日)


総貯水容量265万立米のダム湖
流域面積11.8平方キロのうち約半分の5.6平方キロは仙人沢からの導水によります。
ダム湖の奥には須川を酸性化させた蔵王主峰群が遠望できます。
(2023年7月26日)


右岸には各種建屋が並びます
左から管理事務所、普段は職員の常駐はありません。
すぐ右手は艇庫とインクライン、右奥は斜樋になります。
(2023年7月26日)


真っ黒なリップラップ
左岸を洪水吐斜水路が流下します。
(2023年7月26日)

 
右岸から上流面。
(2023年7月26日)


水利使用標識。
(2023年7月26日)

 
ダム説明板。 
(2023年7月26日)

 
ダム建設に併せて右岸は公園が整備されましたが、あまり利用されている風はありません。
展望台にある記念碑も草に埋もれがち。
(2023年7月26日)
 
(追記)
生居川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0450 生居川ダム(0484)
山形県上山市下生居
最上川水系生居川
47.8メートル
313.7メートル
2650千㎥/2470千㎥
上山市土地改良区
1992年
◎治水協定が締結されたダム

留山川ダム

2023-10-07 17:00:08 | 山形県
2016年7月10日 留山川ダム
2023年7月26日
 
留山川ダムは山形県天童市田麦野の一級河川最上川水系押切川右支流留山川にある山形県県土整備部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
押切川はその名が示すように暴れ川で平成以降だけでも2度の洪水が発生する一方、灌漑期の渇水も多く安定した治水・利水対策が求められていました。
県は1990年(平成2年)に当地への治水ダム建設を採択、2011年(平成23年)に竣工したのが留山川ダムです。
留山川ダムは国交省の補助を受けて建設された補助治水ダムで、留山川及び押切川の洪水調節(最大毎秒75立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と既得灌漑用水への補給を目的としています。
留山川ダムには2016年(平成28年)7月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
天童市街から県道281号を天童高原方面に進み、ダムの案内板に従って右手の枝道に入ると留山川ダムが見えてきます。
クレスト自由越流頂2門、自然調節式オリフィス1門のゲートレスダムで、導流壁はV字の漸縮型。
再訪時はオリフィスから越流中。
(2023年7月26日) 

 
初訪時もオリフィスから越流。
再訪時は道端の草が伸び、このアングルでの撮影はできなくなっていました。
(2016年7月10日)

 
堤高46メートル、堤頂長115メートルの小ぶりな堤体。
(2016年7月10日)

 
左岸ダムサイトの記念碑兼説明石板。
(2023年7月26日) 


天端は立ち入り禁止ですが、偶々駐在した職員さんにお願いしたらゲートを開けていただけました。
(2023年7月26日) 


竣工記念の銅板。
(2023年7月26日) 


天端から
左岸は放流設備。
訪問直前の大雨で水位が上がり利水放流のほかオリフィスからも越流しています。
(2023年7月26日) 

 
天留(てんりゅう)湖と命名されたダム湖は総貯水容量は112万立米
これで常時満水位。
(2023年7月26日) 
 
天端のほか管理事務所の中の定礎も見せていただきました。
(2023年7月26日) 


超広角で上流面と管理事務所をまとめて撮影。
(2016年7月10日)

 
さらに上流から
いかにもゲートレスダムといった眺め。
(2023年7月26日) 

 
このシャフトの下に取水設備があります。
(2023年7月26日) 


ダム建設に先立ち留山川では4基の砂防ダムが建設されました。
こちらは留山第4ダムの石碑。
(2023年7月26日) 


現在は貯砂ダムとして使用されています。
(2023年7月26日) 


ダム建設に併せて周辺整備が行われ、ダム湖上流には市民の広場が建設されました。
写真は市民の広場に建つ3基の記念碑。
広場は適宜整備されているようですが、人気はなく石碑も草に埋もれ気味。
(2023年7月26日) 


(追記)
留山川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
3200 留山川ダム(0476)
山形県天童市田麦野
最上川水系留山川
FN
46メートル
115メートル
1120千㎥/1000千㎥
山形県県土整備部
2011年
◎治水協定が締結されたダム

洗馬丁溜池

2023-10-06 17:00:04 | 山形県
2016年9月 3日 洗馬丁溜池
2023年7月26日
 
洗馬丁(せんばちょう)溜池は山形県村山市白鳥の一級河川最上川水系樽石川左支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
河北町から村山市、大石田町にかけての最上川左岸段丘上では大正期以降の農地開拓に併せて多数の溜池が築造されましたが、洗馬丁溜池もその一つです。
現地記念碑によれば1934年(昭和9年)に当時の戸沢村村営事業により竣工とあり、その後1990年(平成2年)に県営ため池等整備事業による大規模改修が竣工しました。
ダム便覧ではこれを竣工年度としています。
当初の管理は戸沢土地改良区が、その後の土地改良区統合により現在は村山市西部土地改良区が管理を引き継ぎ、樽石川流域約230ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
洗馬丁溜池には2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
国道347号線から樽石川沿いに県道樽石碁点線、さらに市道を約5キロ西進すると洗馬丁溜池への分岐点が現れます。
(2023年7月26日) 

 
ダートの林道を約500メートル進むと洗馬丁溜池が見えてきます。
堤高20.5メートル、堤頂長91.5メートル、細い谷を塞き止めた谷池です。
(2023年7月26日) 

 
道路が堤体を斜行して登ります。
(2023年7月26日) 

 
右岸のため池等整備事業竣工記念碑。
(2023年7月26日) 

 
天端には轍がありますが対岸で行き止まり
記念碑には『前刃金型』とあり傾斜コア型フィルダムとなります。
(2023年7月26日) 

 
右岸の横越流式洪水吐。
(2016年9月3日)

 
上流面はコンクリートで護岸
初訪時は水位が低く池の構造がよくわかります。
(2016年9月3日)

 
再訪時は直前の大雨で満水。
(2023年7月26日) 


総貯水容量11万2000立米の貯水池。
受益農地は230ヘクタールですが、当溜池だけで230ヘクタールの水田をすべて賄うのは困難で、あくまでも補給用水源という位置づけでしょう。
(2023年7月26日) 

 
左岸の斜樋。
(2016年9月3日)

 
同じアングルで再訪時。
(2023年7月26日) 

 
天端からダム下を望む。
受益農地は樽石川2キロ以上下流になります。
(2016年9月3日)

 
右岸から上流面。
(2016年9月3日)

 
斜樋機械室。
(2023年7月26日) 


斜樋から上流面。
(2023年7月26日) 

 
池下へのルートが見つからなかったので底樋管は確認できませんでした。

0414 洗馬丁溜池(0529)
ため池コード
山形県村山市白鳥
最上川水系樽石川左支流
20.5メートル
91.5メートル
112千㎥/112千㎥
村山市西部土地改良区
1934年竣工
1990年大規模溜池等整備事業竣工

小山ヶ沢溜池

2023-10-05 17:00:01 | 山形県
2016年9月 3日 小山ヶ沢溜池
2023年7月26日
 
小山ヶ沢溜池は山形県北村山郡大石田町田沢の一級河川最上川水系田沢川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
大石田町の最上川左岸地域では河岸段丘上に開拓可能な広大な平坦地が広がりますが、揚水技術のない時代は支流の小河川や小規模溜池を水源にせざるを得ず、慢性的な用水不足に悩まされてきました。
旧横山村も例にもれず、溜池記念碑によれば昭和17年~18年の干ばつを契機に農業用貯水池築造機運が高まり、1944年(昭和19年)に村営事業として小山ヶ沢溜池建設が着手され1951年(昭和26年)に竣工しました。
その後1992年(平成4年)に県営ため池等整備事業による大規模改修が着手され2000年(平成12年)に竣工、ダム便覧ではこれを竣工年度としています。
当初の管理は横山土地改良区が、その後の土地改良区の統合により現在は富並川伊蔵堰土地改良区が管理を引き継ぎ、約60ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
小山ヶ沢溜池には2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
(2023年7月26日)
 
下流から
堤高17.5メートル、堤頂長157.3メートルの横長堤体。
溜池のすぐ下に社があります。
(2023年7月26日)

 
赤い鳥居とセットで。
(2016年9月3日)

 
左岸から下流面
奇麗に草が刈られ、今も貴重な水源であることが伺えます。
(2023年7月26日) 

 
池下の底樋桝。
2000年(平成12年)の改修で設けられました。
(2023年7月26日) 

 
天端は車両の通行可能で、道はそのまま林道として奥に伸びてゆきます。
(2023年7月26日) 

 
池には2基の石碑がありこちらは1951年(昭和26年)の竣工碑。
旱魃被害から池築造に至る経緯が記されています。
(2023年7月26日) 

 
こちらは2000年(平成12年)の県営ため池等整備事業の竣工記念碑。
裏には池の諸元等が刻されています。
池の型式は『前刃金型』つまり傾斜コア型フィルダムになります。
(2023年7月26日) 

 
左岸の横越流式洪水吐。
(2023年7月26日) 

 
洪水吐導流部は傾斜が緩く長く伸び、このまま田沢川として約5キロ下流で最上川に合流します。
(2023年7月26日) 


天端から下流の眺め
ここからは受益農地は見えません。
改修工事で残土が盛られたようで、池の下流側はもっこりとしています。
(2023年7月26日) 


総貯水容量32万5000立米の貯水池。
約60ヘクタールの水田に灌漑用水を供給します。
(2023年7月26日) 

 
右岸の斜樋。
斜樋の周りは布製型枠で護岸。
(2016年9月3日)

 
右岸から下流面。
(2023年7月26日) 

 
上流面はコンクリートブロックで護岸。
(2023年7月26日) 

 
斜樋のシャフトは2本。
(2023年7月26日) 

 
0417 小山ヶ沢溜池(0530)
ため池コード
山形県北村山郡大石田町田沢
最上川水系田沢川
17.5メートル
157.3メートル
325千㎥/325千㎥
富並川伊蔵堰土地改良区
1951年竣工
2000年ため池等整備事業竣工

一の沢ダム

2023-10-04 17:00:17 | 山形県
2016年7月10日 一の沢ダム
2023年7月25日
 
一の沢ダムは山形県東根市東根の最上川水系日塔川にある灌漑目的のロックフィルダムです。
現地竣工記念碑には『東根土地改良区338ヘクタールの水田を旱魃から守るための補給用水源として山形県営一の澤用水改良事業により1965年(昭和40年)に完成』と刻され名称は『一の澤溜池』となっています。
一方ダム便覧の竣工年度は1998年(平成10年)ですが、これは県営の老朽化ため池等整備事業の竣工年度で、これにより堤体はロックフィルとなり併せて取水設備や洪水吐なども大きく刷新され、名称も一の澤溜池から一の沢ダムに変更されました。
当初の管理者は東根土地改良区でしたが、その後の土地改良区合併により現在は村山東根土地改良区が管理を引き継いでいます。
一の沢ダムには2016年(平成28年)7月に初訪、その後取水設備や底樋の改修が終わったとの情報を得て、て2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

東根市中心部から日塔川に沿って市道を東進、最終集落を抜けるとダートになりますが構わず進むと一の沢ダムに到着します。 
ダム便覧には下流からダム全体を写した写真が掲載されていますが、今は草が茂り洪水吐や放流設備を切り取るだけ。
1998年(平成10年)の改修工事で建設された洪水吐斜水路と底樋門が並びます。
訪問直前の梅雨前線による大雨で水位が上昇し洪水吐からは越流しています。
(2023年7月25日)


道路は堤体下流面を斜行して登り、中段には竣工記念碑が建ちます。
(2023年7月25日)

 
一の澤溜池完成の翌年、1966年(昭和41年)に建立され、池建設の仔細が刻されています。
(2023年7月25日)

 
洪水吐斜水路と減勢工を見下ろす。
これらの設備は1998年(平成10年)の改修によるものです。
(2023年7月25日)

 
下流から。
(2023年7月25日)

 
初回訪問時の横越流式洪水吐
奥に取水塔が見えます。
実はこの時点ですでにこの取水塔は廃止され左岸に斜樋が新設されていました。
(2016年7月10日)

再訪時、ほぼ同じアングルで
取水塔が撤去されています。
(2023年7月25日)

 
上流からの洪水吐。
5枚目写真はこの隧道出口から撮ったものです。
(2023年7月25日)

 
左岸の斜樋
もともと既設の取水塔の老朽化を受けて左岸に設けられ、2021年(令和3年)の改修で刷新されました。
(2023年7月25日)

洪水吐手前の円形の張り出しが特徴的。
(2016年7月10日)


総貯水容量32万立米の貯水池。
(2023年7月25日)


初回訪問時、新旧取水設備並び建ち。
取水塔はフローティング式表面取水型。
どうやらこれが壊れたため急遽斜樋が設置されたようで、当時の斜樋はいかにも急ぎ仕事で設置されたといった風。
(2016年7月10日)

2021年(令和3年)の改修で刷新された斜樋。
(2023年7月25日)

天端は広いコンクリート。
灌漑用のフィルダムで天端がコンクリート舗装は珍しい。
(2023年7月25日)

 
上流面。
(2023年7月25日)


0431 一の沢ダム(0474)
ため池コード
山形県東根市東根
最上川水系日塔川
26.5メートル
128メートル
320千㎥/320千㎥
村山東根土地改良区
1965年 一の澤溜池竣工
1998年 一の沢ダム竣工(老朽化ため池等整備事業)

三又ダム

2023-10-02 17:00:30 | 山形県
2016年9月 4日 三又ダム
2023年7月25日
 
三又ダムは山形県鶴岡市羽黒町川代の一級河川最上川水系京田川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
月山北麓の標高100~400メートル地帯は開拓可能な緩やかな丘陵地が続きますが水利に乏しく、戦前はその大半は牧草地として活用されるほかは零細な農業経営に留まっていました。
1968年(昭和43年)に月山山麓の新規農地造成および灌漑設備の整備を目的とした農林省(現農水省)による国営月山山麓開拓建設事業が着手され、その灌漑用水源として1977年(昭和52年)に竣工したのが三又ダムです。
国営事業全体も同年完了し、ダムの管理は羽黒町(現在は市町村合併により鶴岡市)が受託し新規開発された約650ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
開発された農地ではタバコや野菜生産のほか、柿やブルーベリーなど園芸農業も盛んにおこなわ、特に柿は『庄内柿』として全国的なブランド力を誇る特産品となっています。
三又ダムには2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

羽黒から水芭蕉の丘広域農道を南下、月山ハーモニーパークを目指すと三又ダムに到着します。
すぐ下流の橋から三又ダムを見下ろすことができます。
初訪時は地質調査中。
(2016年9月4日)

 
同じアングルで再訪時
美しいアース堤体と長い洪水吐斜水路が特徴です。
直前の梅雨前線による大雨で水位が上昇し洪水吐から越流しています。
(2023年7月25日)

 
洪水吐をズームアップ
左奥に斜樋が見えます。
(2023年7月25日)

 
アングルを変えて
減勢工の下で川は直角に折れます。
(2023年7月25日)

 
写真右下が底樋管からの水路
ダムで放流された水は下流の水吞沢頭首工で取水され受益農地に供給されます。
(2023年7月25日)


天端入り口にはロープが張られ立ち入りは微妙
巡回に来た職員さんの許可を得て立ち入りました。
(2023年7月25日)

 
左岸の横越流式洪水吐。
満水で越流しています。
(2023年7月25日)

 
洪水吐導流部
この下で長い斜水路に続きます。
1~3枚目写真は前方の橋から撮りました。
(2023年7月25日)

 
下流面
堤体はきれいに刈り込まれ芝生のようです。
(2023年7月25日)


総貯水容量14万2000立米の貯水池
対岸に斜樋が伸びます。
(2023年7月25日)

 
ダムサイトに建つ事業説明板。
(2023年7月25日)

 
水神の石碑。
(2023年7月25日)

 
左岸から俯瞰。
(2023年7月25日)

左岸の斜樋。
(2016年9月4日)


美しいアース堤体と長く伸びる特徴的な洪水吐
個人的には東北で一番美しいアースフィルダムという称号を贈りたいと思います。

(追記)
三又ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
3348 三又ダム(0540)
山形県鶴岡市羽黒町川代
最上川水系京田川
24メートル
97メートル
142千㎥/93千㎥
鶴岡市
1977年
◎治水協定が締結されたダム

田沢川ダム

2023-09-30 17:00:11 | 山形県
2016年9月 4日 田沢川ダム
2023年7月25日
 
田沢川ダムは山形県酒田市山元の最上川水系相沢川左支流田沢川にある山形県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
相沢川および田沢川は古くから流域の貴重な灌漑用水源となっていましたが洪水や渇水が多く抜本的な治水・利水対策が求められていました。
一方人口増や生活様式の変化により酒田市では都市用水需要が増加し、新たな上水道水源の確保が課題となっていました。
そんな中、1972年(昭和47年)に相沢川流域で甚大な洪水が発災、これを契機に県は最上川2次支流田沢川への多目的ダム建設を採択、2001年(平成13年)に竣工したのが田沢川ダムです。
田沢川ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで田沢川および相沢川の洪水調節(最大毎秒200立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、酒田市への上水道用水の補給を目的とするほか河川維持放流を利用した小水力発電(最大出力490キロワット)を行っています。
田沢川ダムには2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
ダム下へ通じる管理道路は立ち入り禁止。
右岸ダムサイトに駐車場がありここから見学を始めます。
クレスト自由越流頂8門、自然調節式オリフィス1門を備えたゲートレスダムです。
(2023年7月25日)

 
ダムサイトのモニュメント。
(2016年9月4日)

 
天端は徒歩のみ開放
右手はエレベーター棟、左手は取水設備機械室。
(2023年7月25日)

 
再訪時は直前の梅雨前線による大雨を受けて満水
オリフィスから越流しています。
減勢工には副ダムのほか導流堤が設けられています。
(2023年7月25日)

 
天端にもモニュメントがあります。
完成は2001年(平成13年)ですが、着工がバブル期だったためかあれやこれや贅沢な作り。
(2016年9月4日)

 
総貯水容量910万立米のダム湖(ひらた赤滝湖)。
(2016年9月4日)

 
右岸の浮桟橋と巡視艇。
(2023年7月25日)

 
左右両岸には堤趾導流壁とフーチング。
(2023年7月25日)

 
左岸ダムサイト
左手は監査廊入り口。
(2023年7月25日)

 
上流面。
(2016年9月4日)

 
左岸の展望台から。
(2023年7月25日)

 
ズームアップ。
(2023年7月25日)

 
右岸上流から
取水設備とオリフィスゲートの並びがよくわかります。
(2016年9月4日)

(追記)
田沢川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0449 田沢川ダム(0539)
山形県酒田市山元
最上川水系田沢川
FNW
81メートル
185メートル
9100千㎥/7900千㎥
山形県県土整備部
2001年
◎治水協定が締結されたダム

高坂ダム

2023-09-28 17:00:38 | 山形県
2016年9月 5日 高坂ダム
2023年7月25日
 
高坂ダムは山形県最上郡真室川町差首鍋の一級河川最上川水系鮭川にある山形県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
鮭川では1952年(昭和27年)、1956年(昭和31年)と立て続けに甚大な洪水被害が発生し、これを契機に山形県は『大沢川総合開発事業』を採択し治水ダム建設に着手します。
これに発電事業者として県企業局が参加し1967年(昭和42年)に竣工したのが高坂ダムです。
高坂ダムは建設省(現国交省)の補助を受けた補助多目的ダムで、鮭川の洪水調節(最大毎秒410立米の洪水カット)および山形県企業局大沢川発電所(最大出力5000キロワット)でのダム式発電を目的としています。
高坂ダムには2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
国道344号からダムの標識に従い東に折れるとゲートに到着します。
ここに車を置いて徒歩でダムへと向かいます。
(2023年7月25日)

 
歩くこと1~2分で正面にダムが姿を現します。
放流設備はクレストラジアルゲート1門だけ。
(2016年9月5日)

ゲートをズームアップ
フラッシュボードがついています。
右手は取水設備機械室。
(2016年9月5日)

 
ダムの手前にはトンネル。
(2016年9月5日)


トンネル内部
(2016年9月5日)

 
ダムサイトに到着。
(2016年9月5日)

 
上流面
対岸に管理所とインクライン・艇庫があります。
ダムから離れた国道344号線沿いに新しい管理所がありますが、ゲート操作はこちらで行います。
(2023年7月25日)

 
ゲート越しに減勢工を見下ろします。
手前はフラッシュボードのフラップ
ダム左下が県企業局大沢川発電所。
(2023年7月25日)

 
位置を変えて
水色の屋根が大沢川発電所
当初はダム水路式で計画されましたが、河川傾斜が緩く有効落差が稼げないためダム式に変更されました。
そのためか、発電所はダム下の狭いスペースに無理やり押し込めたように建っています。
(2023年7月25日)

 
総貯水容量1905万立米のダム湖《梅花里湖(ばいかりこ)》
中国の南画の様な山が続きます。
一見水位が低そうですが、撮影時は洪水期のためこれでほぼ満水。
(2016年9月5日)

 
天端はゲート部分が上流側にクランク
奥はゲートハウス、手前は取水設備機械室。
(2023年7月25日)

水利使用標識。
(2023年7月25日)


左岸の管理所とインクライン。
(2023年7月25日)

 
左右両岸共にスペースがなく下流面が見れるのはこの位置だけ。
(2016年9月5日)


上流面
取水設備の水色の塗装が際立ちます。
(2023年7月25日)

 
インクラインの下に巡視艇が2隻。
(2023年7月25日)

 
(追記)
高坂ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0434 高坂ダム(0548)
山形県最上郡真室川町差首鍋
最上川水系鮭川
FP
57メートル
118.7メートル
19050千㎥/12750千㎥
山形県県土整備部
1967年
◎治水協定が締結されたダム

桝沢ダム

2023-09-26 17:00:04 | 山形県
2016年9月 3日 桝沢ダム
2023年7月25日

枡沢ダムは山形県最上郡金山町下野明の最上川水系枡沢川にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
新庄盆地北部、最上川支流の泉田川・金山川流域では広大な扇状地に農地が広がりますが、水源となる河川は伏流水が多いため用水不足が頻発し生産性向上のため安定した水源確保と灌漑施設の整備が求められていました。
これを受け1952年(昭和27年)に国営かんがい排水事業として『泉田川農業水利事業』が着手され、その灌漑用水源として1963年(昭和38年)に桝沢ダムが竣工、事業全体も1967年(昭和42)に完了しました。

桝沢ダムの管理は山形県農林水産部が受託し、泉田川土地改良区管内の水田(当初は約3500ヘクタール、現在は減反や離農などにより1500ヘクタール)に灌漑用水を供給しています。
ダム建設に際し、当地区の主水源である土内川にダム建設適地がなかったことから北側約1.5キロの桝沢にダムを建設し土内川の頭首工からダムに導水しています。
桝沢ダムには2016年(平成28年)9月に訪問、今回2023年(令和5年)7月は土内川の取水堰である第一頭首工を見学しました

下流から。
堤高65.8メートル、堤頂長194.8メートルと農業用コンクリートダムとしてはなかなかのスケール。
昭和30年代竣工ということでクレストゲート2門を装備。

 
堤体上には巨大な取水設備機械室。
そして農業用ダムでは珍しいエレベーター棟を備えています。

 
アングルを変えて。

 
残念ながらダム敷地は開放されておらず、ダムへ通じる管理用トンネル入り口でゲートアウト。

こちらは桝沢ダムと土内川の取水堰である第一頭首工の位置関係
桝沢ダムの流域面積29.8平方キロのうちその9割近い26平方キロが第一頭首工からの導水によります。


右岸にローラーゲート2門
自由越流頂で土内川を閉め切ります。

 
ゲート直上にある取水口
最大毎秒2.5立米を取水します。


桝沢ダムへ通じる導水隧道
訪問時は灌漑期ですが、直前の梅雨前線による大雨でダムが満水のためか取水は行われていません。

 
上流から。
 
頭首工の操作室。

 
水利使用標識
取水量が毎秒2500立米になっていますが、明らかに桁間違い。


機会があれば管理者である山形県農林水産部もしくは泉田川土地改良区にダム敷地での見学許可をお願いしたいと思います。
 
(追記)
桝沢ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0432 枡沢ダム(0536)
山形県最上郡金山町下野明
最上川水系泉田川
65.8メートル
194.8メートル
6805千㎥/6751千㎥
山形県農林水産部
1963年
◎治水協定が締結されたダム

神室ダム

2023-09-20 17:00:24 | 山形県
2016年9月 3日 神室ダム
2023年7月24日
 
神室ダムは山形県最上郡金山町有屋の一級河川最上川水系金山川にある山形県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
最上川3次支流の金山川は古くから流域の貴重な灌漑用水源となる一方、洪水や渇水が多く抜本的な治水対策が求められていました。
また高度成長以降の都市用水需要増加への対処も重要課題となっていました。
これを受け、県は1977年(昭和52年)に金山川上流部への多目的ダム建設を採択、1993年(平成5年)に竣工したのが神室ダムです。
当所は金山ダムとして事業化されましたが、同名のダムが北海道にあることから神室ダムに名称変更されました。
神室ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、金山川の洪水調節(最大毎秒272立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、新庄市・真室川町・金山町への上水供給を目的としています。
さらに2017年(平成29年)には河川維持放流を利用した小水力発電所(最大出力420キロワット)が稼働しました。
ダム建設地点は栗駒国定公園内にあることからダム建設に際してはシビックデザインを採用し環境との調和が図られています。
さらにダム建設がバブル期を挟んだこともあり、ダム一帯をレクリエーション拠点化とするためダム下の公園整備など周辺環境整備がことさら注力されました。
しかしダム完成から30年、バブル崩壊以降の景気低迷や財政のひっ迫等もあり公園施設は荒廃、廃墟化。
各種モニュメントや天端高欄の意匠などが当時の面影を残すのみです。
神室ダムには2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
金山中心部から県道72号雄勝金山線を約9キロ東進すると神室ダムに到着します。
クレスト自由越流頂10門、自然調節式オリフィス2門を装備
初訪時は事前に通過した台風10号の影響で水位が上がり2門のオリフィスから放流中。
また堤体直下では小水力発電所の建設工事が進められていました。
(2016年9月3日)

 
再訪時も梅雨前線による大雨を受け薄く越流中
手前の建屋は2017年(平成29年)に稼働した小水力発電所。
(2023年7月24日)

左岸から下流面。
堤高60.6メートル、堤頂長257メートル。
(2023年7月24日)


天端は徒歩のみ開放。
(2023年7月24日)

 
ダムサイトにも種々のモニュメントが並びます。
(2023年7月24日)

管理事務所の壁には巨大なレリーフ。
(2023年7月24日)

天端から
初訪時は発電所が建設中で手前の利水放流設備から放流中。
ダム完成当時、写真左手の森は芝生の公園として整備されましたが今は木が茂り荒廃。
県ダムあるあるです。
(2016年9月3日)

 
ほぼ同じアングルで。
(2023年7月24日)

左が放流設備、右が小水力発電所。
(2023年7月24日)


総貯水容量740万立米の神室湖
一帯は国定公園で豊かなブナ林が広がっています。
山を越えると秋田県。
(2023年7月24日)


初訪時
天端路面は石敷風の化粧型枠、高欄も石積み風とさすがバブル期のダム。
(2016年9月3日)


再訪時、路面はアスファルトに変わっていました。
(2023年7月24日) 


上流面。
(2023年7月24日) 


再訪時、湖畔はヤマユリが満開
気温35度超えの猛暑でしたが、ダム周辺にはユリの馨しい香りが漂い絶好の暑気払いとなっていました。
(2023年7月24日) 


(追記)
神室ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0445 神室ダム(0537)
山形県最上郡金山町有屋
最上川水系金山川
FNW
60.6メートル
257メートル
7400千㎥/5800千㎥
山形県県土整備部
1993年
◎治水協定が締結されたダム

最上小国川流水型ダム

2023-09-18 05:00:40 | 山形県
2016年9月10日 最上小国川流水型ダム
2023年7月24日

最上小国川流水型ダムは山形県最上郡最上町富澤の一級河川最上川水系最上小国川にある山形県県土整備部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
最上小国川は手つかずの自然が残りアユが遡上する川として知られる一方、原始河川として治水対策が施されず川が貫流する赤倉温泉街ではたびたび出水被害を被っていました。
当所は目的FNの補助治水ダムとして着手されますが、自然保への配慮もあり境への負荷が低いとされる流水型治水専用ダムに変更し2019年(令和元年)に竣工しました。
併せてダムの名称も当初の最上小国ダムから最上小国流水型治水ダムに変更されました。
補助ダムとしては全国で5番目、東北初の流水型治水ダムとなり、洪水時には最大毎秒250立米の洪水をカットします。
最上小国流水型ダムには本体掘削中の2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
前半3枚は初訪時、残りは再訪時の写真となります。
 
赤倉温泉から県道262号を南下するとダム建設現場が見えてきます。
道路わきには骨材プラントとコンクリート精製プラント。


ちょうど本体掘削が始まったばかり。

 
ダム建設予定地直上の砂防ダム。
流水型治水ダムですので、ダムが完成してもダム湖には沈まず貯砂ダムとして機能させるようです。

ここからは2023年7月の再訪時の写真となります。
堤高41メートル、堤頂長143メートルの小ぶりな堤体。
放流設備としてクレスト自由越流頂6門と常用洪水吐となる放流管2門を装備。
副ダムにはスリットが入っています。


少しズームアップ
平時は流入量はそのまま放流管から放流されます。

 
波返しの付いた堤趾導流壁。


左岸ダムサイトの記念碑。


残念ながら天端は立ち入り禁止
左は監査廊入り口。

親柱には施工業者によるプレート。

竣工プレート。

 
ダムサイトの管理事務所
職員の常駐はなく巡回のみ。

 
上流面。
天端の赤い手すりがいいアクセント。

 
流水型ですので、当然普段はダム湖は空っぽ
総貯水容量230万立米のうち、洪水には有効貯水容量210万立米を貯め込み、最大毎秒250立米の洪水調節を行います。
奥にあるのは3枚目写真の砂防ダムで今は貯砂ダムとして機能
手前は転流工のための仮締切を利用した流木除け。
流水型にして水質は保全できますが、俎上した魚はこの砂防で行き止まりのような・・・


流木除けをズームアップ。
仮締切を利用しており、ダム建設中は写真右手に仮排水路が設けられていました。


3250 最上小国川流水型ダム(0552)
山形県最上郡最上町富澤
最上川水系最上小国川
41メートル
143メートル
2300千㎥/2100千㎥
山形県県土整備部
2019年

鶴沢溜池(鶴沢ダム)

2023-09-16 17:00:58 | 山形県
2016年9月 3日 鶴沢溜池(鶴沢ダム)
2023年7月24日

鶴沢溜池は山形県尾花沢市鶴子の最上川水系丹生川左支流鶴子沢川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1931年(昭和16年)に鶴子沢土地改良区の事業で竣工と記されており、土地改良区の前身となる耕地整理組合もしくは水利組合の事業、つまり受益農家の持ち出しにより建設されたと思われます。
その後2016年(平成28年)~2021年(令和3年)にかけて山形県営ため池等整備事業による大規模な改修が行われました。
現在の管理者は鶴子六沢土地改良区です。
なおダム便覧では鶴沢ダムとなっていますが、ここではため池データベースや現地記念碑に倣い鶴沢溜池と記します。
またダム便覧の堤高17メートルに対しため池データベースや尾花沢市ため池ハザードマップでは堤高14.9メートルとなっており、これを採ればダムの要件未達となります。

鶴沢溜池には改修工事着手直後の2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
まずは初訪時の写真です。
すでに改修工事は着手され、池へ通じる道路にはバリケードが設置されていましたが、工事関係者の了解を得て見学しました。
 
池下には重機が置かれ、堤体を斜行して作業用道路がつけられています。


測量用のポールが各所に立てられています。
右岸(向かって左)に洪水吐導流部がありますが、自然の流れを利用した原始的な作り。


天端。建物は斜樋の機械室。


工事に備え水は抜かれています。


この溝が洪水吐
堤体に切り込みを入れた簡易な洪水吐です。


ここからは2023年7月の再訪時の写真となります。
堤体はきれいに成型され右岸(向かって左手)にはコンクリート製の立派な洪水吐が設けられました。
見た目の堤高は15メートルほど、ただダム下には土が盛られているようで基礎地盤からだと17メートルもありか?


洪水吐斜水路
そばに放流設備があり灌漑用水が放流されています。


左岸から下流面。


天端
車止めの柵が置かれています。


上流面はウレタン製素材で護岸。


改修工事竣工記念碑
右手は石仏。


天端からの眺め
下流には受益水田が続きます。


総貯水容量15万8400立米(ため池データベース)の貯水池。


湖岸の水没林

刷新された斜樋


右岸の横越流式洪水吐。


改修前の貧相な洪水吐からすっかり様変わり。


斜水路と底樋桝。


改修工事で奇麗に生まれ変わった鶴沢溜池ですが、一方で公式データの堤高は14.9メートル。
このままではダム便覧から姿を消すかもしれません。
 
0407 鶴沢ダム(0532)
ため池コード
山形県尾花沢市鶴子
最上川水系鶴子沢川
17メートル(ため池データベース 14.9メートル)
145メートル(ため池データベース 93メートル)
360千㎥(ため池データベース158.4千㎥) /360千㎥
鶴子六沢土地改良区
1931年