ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

浦上ダム(元)

2019-07-25 15:06:34 | 長崎県
2019年7月12日 浦上ダム(元)
 
浦上ダム(元)は長崎県長崎市昭和町3丁目の浦上川水系大井手川にある長崎市上下水道局が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
1891年(明治24年)に日本初の水道用ダムとして本河内高部ダムが完成し、長崎市水道事業は横浜、函館に次いで日本で3番目の近代水道として事業が開始されました。
その後の町の発展に合わせて数次にわたる拡張事業が行われ、1945年(昭和20年)に長崎市水道4番目の水源として竣工したのが浦上ダムです。
ダム完成直後にダムの約2キロ下流地点に原爆が投下されましたが幸いダムは被災を免れました。
ここで貯水された水はダム直下の浦上浄水場を経て市内に配水されており、現在も長崎市水道の重要な水源の一つとなっています。
浦上川は長崎市街北部から長崎港に注ぐ二級河川で中島川とともに長崎市街地の中心河川となっていますが、長崎大水害の際は流域で大規模な氾濫が発生し未曾有の大災害となりました。
これを受け長崎県は長崎水害緊急ダム事業に着手、市内の上水用ダムの多目的ダム化事業に取り掛かります。浦上ダムでも堤体の嵩上げおよび貯水池の掘削により新たに洪水調節容量を確保する多目的ダム化再開発事業が採択されました。
当初計画では1999年(平成11年)に再開発が竣工予定でしたが土地の買収や技術的問題などにより計画は遅延、さらに民主党政権下でのダム事業再検討などもあり現在もなお本体工事着工には至っていません。
直近の長崎県の発表では2019年(令和元年)末までに事業計画をまとめ2020(令和2年)度中の工事着工を目指すとなっています。
 
長崎市街から県道113号、通称文教通りを北上し西浦上トンネル口を左折すると左手に浦上ダムが現れます。
県道113号高架橋がダム直下を跨いでいます。
 
洪水吐は自由越流式クレストゲート4門だけです、折よく美しい越流が見られました。
ダムとともに手前の管理橋の高欄のデザインにも目が向かいます。
 
高欄や扶壁の一部を蔓が覆い、なかなかシックな雰囲気。
 
ダムは天端のみ開放され、天端左岸に車2台ほどのスペースがあります。
天端への門扉に填め込まれた浦上堰堤のプレート。
 
天端。
 
円形の取水設備。
 
天端から越流を見下ろします。
 
ダム下には浦上浄水場がありその上を県道113号が跨いでいます。
手前の管理橋の高欄のデザインがいい感じ。
実はこの県道113号線高架橋の存在が再開発事業を技術的に困難にする原因となっています。
 
総貯水容量197万2000立米の浦上水源地。
 
右岸から上流面。
 
再開発計画では堤高が18.5メートルから21.2メートルに嵩上げされ、総貯水容量は197万2000立米から249万立米に増加し、新たに洪水調節容量が確保される見通しです。
予定では2020年(令和3年)度中の着工を目指す方針が明らかになっており、今の浦上ダムの姿を見ることができるのもあと1年少々ということになります。
 
3375 浦上ダム(元)(1483) 
長崎県長崎市昭和3丁目
浦上川水系大井手川
18.5メートル
98メートル
1972千㎥/1900千㎥
長崎市上下水道局
1945年
-------------
2603 浦上ダム(再)
長崎県長崎市昭和3丁目
浦上川水系大井手川
FNW
21.1メートル
94.9メートル
2490千㎥/2330千㎥
長崎県土木部
1983年

西山ダム(再)

2019-07-25 01:14:50 | 長崎県
2019年7月12日 西山ダム(再)
 
西山ダム(再)は長崎県長崎市片渕5丁目の中島川水系西山川上流部にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1891年(明治24年)に日本初の水道用ダムとして本河内高部ダムが完成し、長崎市水道は横浜、函館に次いで日本で3番目の近代水道として事業が開始されました。
その後の町の発展に合わせて事業の拡張が進められ、長崎市水道3番目の水源として1903年(明治36年)に完成したのが西山ダム(元)です
西山ダム(元)は兵庫県の五本松ダム、長崎の本河内低部ダムに次いで日本で3番目に完成した重力式コンクリートダムで、上流面は表面石張、下流面はコンクリートブロック張の粗石コンクリート造りとなっています。
しかし1982年(昭和57年)の長崎大水害では、西山川および下流の中島川流域で大規模な氾濫が発生し未曾有の大災害となりました。
これをうけ長崎県は翌年『長崎水害緊急ダム事業』に着手、市内の上水用ダムの多目的ダム化事業に取り掛かります。
同事業は建設省(現国交省)の『歴史的ダム保全事業』の指定を受け文化的価値の高い旧ダムを保全しながら新ダムの建設及び再開発が行われることになりました。
西山ダムでは1988年(平成元年)から旧ダムの下流60メートル地点に治水機能を持った新ダムが建設が開始され1992年(平成4年)に西山ダム(再)が竣工しました。一方旧ダムは貯水池に残す形で保全されCランクの近代土木遺産に選定されています。
新ダムは旧ダムの造形を継承し、下流面には石張風の化粧型枠が用いられ、天端にはグラバー邸で採用されている格子模様の洋風高欄と竜の装飾のガス灯風の照明を設置、通廊入口は教会のステンドグラス風にするなど長崎らしさを各所に取り入れたデザインとなっています。 
併せてダム下も西山ダム公園として整備され、長崎大水害で破損した石積アーチ橋の高麗橋が移設されるなど明治大正期の風情を残した佇まいとなっています。 
ダムの再開発により管理は長崎市上下水道局から長崎県土木部に移管され、西山川および中島川の洪水調節、安定した河川流量の保持、長崎市への上水道用水の供給を目的とする補助多目的ダムとなりました。
長崎市中心部から県道235号線を長崎バイパス方面に北上、木場交差点を右に折れるとダム右岸にある管理事務所前に到着します。
新旧ダムおよびダム下はすべて開放され周回して見学することができます。
旧ダムが貯水池内に保存され新旧二つの堤体が並び立つさまは西山ダムならではの眺めです。
 
旧ダムは洪水吐部分が削除され貯水池は新旧貯水池は一体化されています。
 
新ダム上流面。
遠目に見ても格子状の洋風高欄やガス灯風の照明が景観にマッチしています。
 
旧ダム天端。
コンクリートダム草創期のダムと言うことで余計な装飾は一切ありません。
 
右岸から
対岸高台の管理事務所も洋館風です。
 
新ダム上流面
ガス灯風の照明には長崎らしくドラゴンの装飾。
格子状の洋風高欄もおしゃれです。
 
減勢工とダム公園
放流設備や配水施設など建屋も洋館風で統一されています。
奥は移設された高麗橋。
 
旧ダム下流面
同時期に建設された本河内低部ダムとほぼ同じデザインで、高欄には凹凸を使った二本の帯、その下にはデンティルが等間隔に並びます。下流面は本河内低部ダム同様コンクリートブロック張りです。
 
左岸高台にある管理事務所
洋館風ですが見ようによってはラブホにも見えちゃいます。
 
新ダム左岸のフーチングが開放されているので歩いて下りてみます。
下流面は旧ダムの雰囲気を残すため石張風の化粧型型枠が施工
天端のグラバー邸をモチーフにした格子状の高欄が格好いいですね。そしてこちらにも旧ダム同様デンティルが並んでいます。
 
通廊入口は教会のステンドグラスをモチーフにしたデザイン。
 
フーチング階段を下から。
高さは40メートル。
 
新ダムは自由越流式クレストゲート4門、自然調節式オリフィスゲート1門を装備
ダム下もきれいに整備されており春には満開の桜がダムを彩ります。
 
ダム下の西山川
両岸は玉石を積んだ擁壁、石積みのアーチ橋は長崎大水害で破損した高麗橋を移築復元してあります。
 
こちらは旧ダムの樋門
ゲートに転用とはよく考えたものです。
 
再開発により旧ダムが貯水池に沈んだケースは多々ありますが、新旧両ダムが並立しているのは全国でもここだけでしょう。
一方再開発事業がバブル真っ盛りの時期であったこともあり新ダムや公園のつくりは手が込み贅を尽くした内容になっています。
 
追追記)
西山ダム(再)ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
3621 西山ダム(元) 
長崎県長崎市片渕5丁目
中島川水系西山川
31.8メートル
139.4メートル
1469千㎥/1469千㎥
長崎市上下水道局
1903年
----------------
2572 西山ダム(再)(1482)
長崎県長崎市片渕5丁目
中島川水系西山川
FNW
40メートル
216メートル
1580千㎥/1470千㎥
長崎県土木部
1992年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム