ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

音無井路十二号分水(音無井路円形分水)

2022-12-27 17:41:35 | 円筒分水工
2022年11月17日 音無井路十二号分水(音無井路円形分水)

音無井路十二号分水は大分県竹田市九重野にある円筒分水工です。
井路(いろ)とは豊後地方では灌漑用水路を指します。
音無井路は大野川上流大谷川を水源として、現在の竹田市九重野から次倉に至る瀬の口川流域の灌漑用水路として1892年(明治25年)に通水しました。
しかし、1924年(大正13年)に音無井路取水口至近に荻柏原井路の取水口が設けられたことで、取水量が激減し井路間同士の対立に加え農家間の水争いが激化します。
そこで、視覚的に分水量の公平感が視認しやすい円筒分水工が採用され1934年(昭和9年)に音無井路十二号分水が完成しました。
1940年(昭和15年)に荻柏原耕地整理組合が大谷川上流に大谷ダムを建設したことで、音無井路の取水量も安定しますが分水工はそのまま活用され現在に至っています。
なお音無井路十二号とは音無井路暗渠区間約2キロ中に12か所のズリ出しの窓があることからこの名がつきました。
音無井路十二号分水は戦前の貴重な土木遺産としてCランクの近代土木遺産に選ばれ、管理は耕地整理組合を引き継いだ音無井路土地改良区が行っています。

音無井路十二号分水の説明板。
井路は明治期に通水しましたが、事業自体の起源は江戸前期元禄期まで遡ります。


こちらは白水ダムのトイレに張られた説明書
大野川上流域では複数の井路の取水口が集中し、これに依る取水量の減少が水争いを引き起こしました。


毎秒0.7立米の水が20の小窓から溢流し、3線の用水路に分水されます。






こちらが音無井路暗渠の出口
大谷川の頭首工から約2キロの暗渠でここまで導水されます。


音無井路十二号分水(音無井路円形分水)
大分県竹田市九重野
大野川水系大谷川
全周溢流式
円筒分水工
分配数3
音無井路土地改良区
1934年

鷽ノ口(うそのくち)円形分水

2017-05-22 17:53:06 | 円筒分水工
2017年5月20日 鷽ノ口(うそのくち)円形分水
 
鷽ノ口(うそのくち)円形分水は長野県南佐久郡佐久穂町畑にある円形分水で、石堂川から取水された水を上村・佐口・小山の3つの用水に分水するために1953年(昭和28年)に建設されました。
分水工ができるまでは藤蔓の長さで分水割合を決めていたため水争いが絶えなかったそうです。
 
鷽ノ口円形分水は内円筒に穴のあいたタイプで分水の穴は全部47あり、上村28、佐口13、小山6の配分で分水されています。
このタイプは塵芥やゴミが溜まりやすいため流入部に機械式の除塵機が装備されています。
 
内円筒に空いた穴から分水しています。
 
 
 
佐久穂町の説明板。
 
鷽ノ口円形分水
長野県南佐久郡佐久穂町畑
信濃川水系石堂川
オリフィス式(多孔式)
円筒形分水工
内円筒24メートル
分配数3
1953年

徳水園

2016-05-09 17:00:00 | 円筒分水工
2016年5月3日 徳水園
 
徳水園は内円筒24メートルに及ぶ日本最大の円筒分水工で、胆沢平野土地改良区が管理をしています。
胆沢川右岸には胆沢扇状地が広がりそれぞれ400年以上の歴史を持つ寿安堰と茂井羅堰という二つの堰が灌漑水源となってきました。
ところが二つの堰が近接していたことからそれぞれの受益者の間で水を巡る争いが絶えず、二つの堰に平等に分水するために建設されたのがこの分水工です。
 
胆沢ダム(再)の完成により、ようやく水を巡る懸念は払しょくされ円筒分水である必然性はなくなりましたが、先人の苦労と水の恩恵を忘れないためにこの分水工はこれからも存在続けるということです。
 
徳水園は国道397号沿いにあり、駐車場も完備しています。
分水工を高所から俯瞰できるように設計されています。
 
内円筒24メートル
奥のトイレと比較すればこの分水工の大きさがわかるでしょう。
 
円筒中央部はまるで煮立った五右衛門ぶろです。
 
 
初めて目にする円筒分水工、それが日本最大規模なんだからびっくり仰天。
完成に至る歴史を知ると、水のありがたみを実感するばかり、そんな徳水園円筒分水工です。
 
徳水園
岩手県奥州市胆沢区若柳
北上川水系胆沢川
全周溢流式
円筒分水工
内円筒24メートル
分配数2
胆沢平野土地改良区
1958年