ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

滝川ダム

2024-01-17 08:00:00 | 三重県
2015年12月30日 滝川ダム
2023年11月26日
 
滝川ダムは左岸が三重県伊賀市摺見、右岸が同市高山の淀川水系木津川の2次支流滝川にある三重県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、滝川及び比自岐川の洪水調節(最大毎秒12立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、伊賀市比自岐高山地区簡易上水道への上水の供給を目的として1999年(平成11年)に竣工しました。
滝川ダムには2015年(平成28年)12月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

ダム下から
堤高29.8メートル、堤頂長120メートルの小ぶりな堤体。
洪水吐は非常用クレスト自由越流長2門、常用自然調節式オリフィス1門。
(2015年12月30日)


ゲートをズームアップ。
オリフィスの向こう側に除塵用スクリーンが見えます。
(2023年11月26日)


減勢工と放流設備
放流設備として利水放流用及び水位低下放流用スルースバルブを各1条ずつ装備。
再訪時は利水放流バルブから放流中。
(2023年11月26日)


堤体を直に触れることができます。
(2023年11月26日)


天端は徒歩のみ開放。
(2023年11月26日)


天端から減勢工と放流設備を見下ろす。
(2023年11月26日)


生活貯水池ダムということで総貯水容量はわずか28万2000立米
(2023年11月26日)


左岸から下流面。
襟が高い。
(2015年12月30日)

上流面
オリフィスから薄く越流ということで、これで常時満水位。
(2015年12月30日)


上流面と管理事務所。
多管式選択取水設備を擁していますが、水中にあるため目にすることはできません。
(2023年11月26日)


管理事務所右手の緑色の階段の下に繋留用浮桟橋があります。
(2023年11月26日)


こちらはダムのすぐ下流にある比自岐高山簡易水道浄水場。
(2023年11月26日)


(追記)
滝川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3084 滝川ダム(0156)
左岸 三重県伊賀市摺見
右岸     同市高山 
淀川水系滝川
FNW
29.8メートル
120メートル
282千㎥/230千㎥
三重県県土整備部
1999年
◎治水協定が締結されたダム

寺谷池

2024-01-16 08:00:00 | 三重県
2023年11月26日 寺谷池

寺谷池は三重県伊賀市鳳凰寺の淀川水系服部川右支流高砂川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
伊賀市のある伊賀盆地は豊かな地味と寒暖差の大きな気候を生かし江戸時代より良質米の産地となっていました。
一方で年間降水量は1200ミリ超の少雨地帯であり加えて大河がないため水源をため池に求め、現在も市内に約1400基のため池を有す県内屈指のため池密集地帯となっています。
寺谷池もそんなため池の一つでダム便覧には大山田村耕地整理組合の事業で1935年(昭和10年)に竣工と記されており、ほぼ受益農家の持ち出しで建設されたと思われます。
現在は受益地区である鳳凰寺地区が管理を行っています。
ダム便覧では堤高15メートルになっていますが、ため池データベースでは9.1メートルにとどまりダムの要件を満たしていません。
 
伊賀市大山田の国道163号線から東に2キロ、車で5分ほどで鳳凰寺集落に到着します。
集落を抜け左手に史跡鳴塚古墳を見送ると池に到着します。
添付はグーグルの空撮写真ですが、北側の池が寺谷池で南の山神池とは連絡水路で結ばれた双子池になっています。 

 
まずは寺谷池の堤体直下に向かいます。
基部は石積みの擁壁で下流面はきれいに刈り込まれています。

 
見た目の高さは10メートルほど
とても15メートルあるようには見えません。


右岸から天端
天端も定期的に草が刈られているようです。


左岸の越流式洪水吐
すぐ右手が隣接する山神池の堤体になります。


洪水吐越流部
溝があり水位の微調整ができるようです。

右岸から
総貯水容量は2万1000立米(ため池データベース)。


上流面は昔ながらの石積み護岸。


ピンクのテープの場所に池栓が見えます。 

 
寺谷池と山神池の接続部。
ため池ではなかなか見れない造り。


山神池天端から見た寺谷池下流面と洪水吐。

 
こちらは山神池から寺谷池への連絡水路のゲート。
山神池のほうが水位は高く、山神⇒寺谷の一方通行。


山神池左岸洪水吐越しの眺め。
山神池の諸元は堤高8.3メートル、堤頂長45メートル、総貯水容量1万立米。


山神池洪水吐導流部
寺谷、山神ともに高砂川に流下します。


山神池の池栓。
昔ながらの木栓を差し込む尺八樋。


双子池である寺谷池と山神池の造りは非常に興味深いのですが、残念ながら寺谷池の堤高は見た目でもとても15メートルあると思えず。
ため池データベースの数値通りならいずれダム便覧からは消え去る運命です。
 
1297 寺谷池(2030)
ため池コード 242160460
三重県伊賀市鳳凰寺
淀川水系服部川右支流高砂川
15メートル(ため池データベース 9.1メートル
100メートル(ため池データベース 85メートル)
15千㎥(ため池データベース 21千㎥)/15千㎥
鳳凰寺区
1935年

田代池

2024-01-15 08:00:00 | 三重県
2018年 2月11日 田代池
2023年11月26日

田代池は三重県伊賀市山畑の淀川水系滝川上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
伊賀市のある伊賀盆地は豊かな地味と寒暖差の大きな気候を生かし江戸時代より良質米の産地となっていました。
一方で年間降水量は1200ミリ超の少雨地帯であり加えて大河がないため水源をため池に求め、現在も市内に約1400基のため池を有す県内屈指のため池密集地帯となっています。
田代池もそんなため池の一つで、ダム便覧には1895年(明治28年)に竣工と記されています。
一方、現地には昭和9年(1934年)着工、昭和16年(1941年)竣工と刻された記念碑があります。
1895年に築造され、昭和16年に大規模な改修が竣工したとみるのが妥当でしょう。
管理者は伊賀町土地改良区ですが、実際の池の管理は伊賀地方で『井子(いご)』と呼ばれる受益者組織が行っています。
また約1キロ上流にある大平池とは上下池のような位置関係ですが、それぞれの池ごとに受益農地は明確に区別されています。
田代池には2018年(平成30年)2月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。

田代池と大平池の位置関係(国土地理院地形図より)

 
名阪国道上柘植インターから伊賀コリドーリロード~滝川沿いの市道で約8キロ、車で15分ほどで田代池に到着します。
左岸から見た下流面
堤高20.6メートル、堤頂長120メートル(ともにため池データベース)
堤体はきれいに草が刈られまるで芝生のよう。 


左岸の底樋樋門。

 
扁額には『源福民』と書かれています。


 
右岸から下流面。
本当にきれいに整備されていますが、土地改良区によると草刈は年に一度のみ。
実はシカが草を食みこのような状態になったのだとか。
農家にとっては厄介者のシカですが、こと池の草刈についてはありがたい存在のようです。

 
天端は立ち入り禁止
でも今回は土地改良区より立ち入り許可を頂いています。

 
右岸の記念碑
『昭和九年着工 昭和十六年竣工』と記されています。

 
総貯水容量74万立米の貯水池。
山中のため池としてはかなりの貯水量。
柘植川との合流点に至る滝川流域一帯の広範な農地が受益農地となります。
また上流約1キロには大平池があります。

 
左岸の斜樋。

 
円形越流式洪水吐と斜樋。
たぶん1941年(昭和16年)当時のままと思われる見事な花崗岩の谷積。

 
左岸から
天端のベンチは、かつてこの天端がハイキングコースだったころの名残。
上記のように今は立ち入り禁止。

 
円形越流式洪水吐をズームアップ。
堤体だけじゃなく洪水吐も美しい。

 
洪水吐越しの上流面
洪水吐の擁壁や上流面も花崗岩の谷積み。

 
造りが丁寧だったのでしょう、竣工当時のままと思しき石積には全く緩みがありません。

 
斜樋建屋
コンクリート製かと思ったら凝灰岩。

 
改修当時の姿を残す上流面や洪水吐の見事な石積などから当時の農家の田代池に掛ける期待の大きさが伺えます。
またシカのお手伝いがあるとはいえ、これほど美しい堤体の溜池はなかなかお目にはかかれません。
アースフィルダムとしては不破北部防災ダムとともに東海一を競う美しさです。
 
1293 田代池(1245)
ため池コード 242160548
三重県伊賀市山畑
淀川水系滝川
19メートル(ため池データベース 20.6メートル)
124メートル(ため池データベース 120メートル)
740千㎥/740千㎥
伊賀町土地改良区
1895年(ダム便覧)
1941年竣工(記念碑)

大平池

2024-01-14 08:00:00 | 三重県
2023年11月26日 大平池

大平池は三重県伊賀市山畑の淀川水系滝川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
伊賀市のある伊賀盆地は豊かな地味と寒暖差の大きな気候を生かし江戸時代より良質米の産地となっていました。
一方で年間降水量は1200ミリ超の少雨地帯であり加えて大河がないため水源をため池に求め、現在も市内に約1400基のため池を有す県内屈指のため池密集地帯となっています。
大平池もそんなため池の一つで、ダム便覧には1979年(昭和54年)に三重県の事業で竣工と記されています。
しかしこれは現地改修記念碑に刻された県営の老朽ため池等改修事業の竣工を指すもので、関係者の話では昭和初期に築造されたようです。
管理者は伊賀町土地改良区ですが、実際の池の管理は伊賀地方で『井子(いご)』と呼ばれる受益者組織が行っています。
また約1キロ下流にある田代池とは上下池のような位置関係ですが、それぞれの池ごとに受益農地は明確に区別されています。

田代池と大平池の位置関係(国土地理院地形図より)


大平池に通じる車道は下流の田代池手前から通行止めで徒歩でのアプローチとなります。田代池から貯水池湖畔沿いの遊歩道を進み、廃止された大阪市伊賀青少年野外活動センターの廃墟をやり過ごすと大平池に到着します。
右岸に洪水吐があり、それを跨ぐように管理橋が架かります。 

 
洪水吐導流部
このまま下流の田代池へと流下します。

 
上流面。


洪水吐越流部。

 
右岸湖畔の改修記念碑と水神。
こちらは1979年(昭和54年)の県営老朽ため池等改修事業の竣工記念碑でダム便覧ではこれを竣工年度としています。
工事協力者として三重県、伊賀町(現伊賀市)、大阪市の名があり青少年野外活動センター建設に合わせて池の改修が行われたようです。

 
天端入り口には関係者以外立ち入り禁止と書かれていますが、今回は事前に立ち入り許可を頂きました。
天端は芝生のようにきれいに草が刈られています。
また貯水池側にはかつて野外活動センターがあったためか、ガードレールが設置されています。

 
左岸に池栓がある一方、湖面からも取水用と思われるパイプが伸びています。
放流量を増やすために増設されました。

 
総貯水容量14万立米の貯水池。

 
下流面もきれいに草が刈られています。
土地改良区の話では、草刈は年に一度だけ、シカが草を食みこのような状態になったそうです。

 
左岸から上流面
花崗岩の谷積で護岸。


左岸の階段式池栓
チェーンは新しくこちらも取水設備として機能しています。

 
池の下に下りてみました。
堤高は15.4メートル(ため池データベース)
底樋管を探しましたが見つかりませんでした。

 
基部は石積。

 
帰宅後改めて土地改良区に両池の運用について問い合わせてみました。
大平池の水は田代池経由で滝川に放流されますが、両池の水利権は明確に区別されそれぞれ下流の取水堰から受益農地に補給されるそうです。
当然池の管理や維持・整備についても両池それぞれの井子によりに行われているとのこと。
 
1256 大平池(2029)
ため池コード 242160549
三重県伊賀市山畑
淀川水系滝川
15.1メートル(ため池データベース 15.4メートル)
124メートル
140千㎥/126千㎥
伊賀町土地改良区
1979年

竹谷池

2024-01-12 12:40:29 | 三重県
2018年 2月11日 竹谷池
2023年11月26日
 
竹谷池は三重県伊賀市柘植町の淀川水系柘植川右支流西竹谷川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
伊賀市のある伊賀盆地は豊かな地味と寒暖差の大きな気候を生かし江戸時代より良質米の産地となっていました。
一方で年間降水量は1200ミリ超の少雨地帯であり加えて大河がないため水源をため池に求め、現在も市内に約1400基のため池を有す県内屈指のため池密集地帯となっています。
竹谷池もそんなため池の一つで、ダム便覧には1960年(昭和35年)に柘植町土地改良区の事業で竣工と記されており、農林省(現農水省)や県の補助を受けた団体営事業で建設されたと思われます。
現在は土地改良区の統合により、伊賀町土地改良区が管理を行っています。
竹谷池には2018年(平成30年)2月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
名阪国道伊賀インターから国道のガードをくぐって南に進むとすぐに竹谷池の堤体が見えてきます。
下流面はきれいに刈り込まれ今も貴重な水源であることがうかがえます。 
(2023年11月26日)

 
ダム下で洪水吐からの導流路と取水設備からの水路が合流します。
(2018年2月11日)

 
底樋樋門と分水ゲート。
(2018年2月11日)

堤体直下から
堤高は23.8メートル(ため池データベース)で基部は花崗岩の谷積みの擁壁。
(2023年11月26日)

 
左岸ダムサイトに上がります。
池の入り口には関係者以外立ち入り禁止という警告板がありますが、事前に土地改良区の許可を得ています。
天端は草付きのダートで車で対岸まで行けますがそこでドン詰まり。
(2018年2月11日)

 
左岸の斜樋。
一段低いところにありちょっと秘密基地っぽい。
(2023年11月26日)

 
天端から下流を望む
受益農地は正面の杉林のさらに先約700メートルに広がり、当池のほか併せて4基のため池を水源としています。
(2023年11月26日)

 
総貯水容量21万5000立米の貯水池。
朝霧が立ち込めるちょっと幻想的な眺め。
(2023年11月26日)

 
きれいに刈り込まれた下流面。
(2023年11月26日)

 
上流面
草が生えていますがコンクリートブロックで護岸。
ダム便覧208メートル、ため池データベース108メートルと堤頂長の数値が大きく異なります。
実は対岸岬の向こうに洪水吐があり便覧はそこまでを堤体とみなしているのに対し、ため池データベースは岬の付け根までを堤体としているようです。
どちらが正しいのか?私にはわかりません。
(2018年2月11日)

 
件の洪水吐
一つ上の写真の岬の裏側にあたります。
(2023年11月26日)

 
洪水吐導流部
この下が上から2枚目の写真の洪水吐導流路に続きます。
(2023年11月26日)

 
きれいに整備され好感のもてる溜池ですが、かつて鈴鹿市女子中学生バラバラ死体事件の死体遺棄現場となった不幸な歴史があります。

1307 竹谷池(1244)
ため池コード 242160510
三重県伊賀市柘植町
淀川水系西竹谷川
22メートル(ため池データベース 23.8メートル)
208メートル(ため池データベース 108メートル)
215千㎥/215千㎥
伊賀町土地改良区
1960年

片田貯水池(片田ダム)

2023-06-01 18:25:55 | 三重県
2023年4月21日 片田貯水池(片田ダム)

片田貯水池は三重県津市片田薬王寺町の岩田川源流部にある津市上下水道事業局が管理する上水道用水目的のアースフィルダムです。
津市では1925年(大正14年)に近代水道事業が認可され、その貯水池として1929年(昭和4年)に竣工、翌年から運用が開始されたのが片田貯水池です。
雲津川支流長野川で取水された水が約2キロの導水トンネルで当貯水池に貯留され、さらに併せて建設された片田浄水場を経て市内に給水されます。
戦後の人口増加や水道需要増を受け新たに君ヶ野ダムからの補給が開始されますが、片田貯水池は現在でも旧津市向け水道の約4割を担う主力貯水池となっています。
一連の水道施設は『近代上水道の父』と呼ばれる中島鋭治の設計、指揮のもとに建設され戦前の貴重な水道施設として『近代水道100選』に選ばれているほか、堰堤がBランク、旧管理事務所及び取水塔がCランクの近代土木遺産に選定されています。

片田貯水池は敷地内に水道資料館が開設される一方、貯水池構内への立ち入りは制限されています。
今回は事前に見学申請を行い片田浄水場長自らの案内で貯水池の見学が叶いました。
見学の詳細については『片田貯水池見学』をご覧ください。
またダム便覧には『片田ダム』として掲載されていますが、津市上下水道事業局及び管理局では『片田貯水池』の名称を使っておりここでも片田貯水池と記すことにします。

下流から遠望 
堤高26.6メートル、堤頂長131.6メートル 
犬走を挟んだ3段構成で、堤体に植えられたもこもこツツジがシンボルとなっています。 
本当ならばツツジが満開の時期に来訪したかったのですが… 


左岸から。


貯水池正門
門扉は石積みで竣工当時のもの。
表札には『津市水道貯水池』
正面は水道記念館ですが、訪問した月曜日は休館日。
ダムの中は見れますが、資料館が見れないという・・・。


木造の旧管理事務所
こちらも竣工当時のもので、Cランクの近代土木遺産。


堤体から見下ろすと
ダム下は園地になっており、水道資料館開館時は開放されます。
桜の時期には程々賑わうようです。


堤頂部の階段。
特に機能はなく、堤頂に等間隔に5基並んでおり装飾として設けられたようです。


貯水池
有効貯水容量129万立米で、そのすべてが長野川からの導水に依る河道外貯留ダムです。


堤頂部にはコンクリ―壁
職員さんのお話では後付けのようです。


上流面はコンクリートブロックで護岸。


左岸の取水塔とトラスの管理橋。
共にCランクの近代土木遺産です。
設計した中島鋭治はもともとは橋梁建築を目指していたそうですが、政府の意向で留学先では水道や衛生学を学び帰国後その大家となりました。
職員さん曰く『このトラス橋は橋梁に憧れた彼の思いが込められているのかも』

上流から。


左岸の洪水吐
手前には木製のゲートリーフが嵌め込まれ、奥は自由越流となっています。
ゲート部分にはかつては巻き上げ式の起伏ゲートが設置されていました。
近年は雲津川水系から導水した水が別水系の岩田川に溢れるのは宜しくないという国交省の指導もあり、洪水吐からの溢流は極力避けるよう運用されているそうです。


導流部は隧道で流路や側面の擁壁も竣工当時のもの。
トンネル入り口には立派なポータル。
隧道の先から貯水池左岸側を流れる岩田川に流下します。

今回は津市上下水道事業局のご厚意により、貴重な貯水池内の見学が叶いました。
関係者の皆様には厚く御礼申し上げます。
ただ訪問日が資料館休館日だったことが惜しまれます。
機会があれば、堤体のもこもこツツジが満開の時期に是非とも再訪したいものです。
 
1320 片田貯水池(1983)
三重県津市片田薬王寺町 
岩田川水系岩田川(雲津川水系長野川より導水) 
 
 
26.6メートル 
131.6メートル 
1478千㎥/1293千㎥ 
津市上下水道管理局 
1929年

川上ダム

2023-05-30 18:45:29 | 三重県
2023年4月24日 川上ダム 

川上ダムは左岸が三重県伊賀市青山羽根、右岸が同市阿保の淀川水系前深瀬川にある水資源機構が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
戦後の水道需要増大に対処するため1962年(昭和37年)の「水資源開発促進法」により淀川水系では水資源開発公団(現水資源機構)により河川総合開発が進められることになりました。
淀川左支流の木津川では1969年(昭和44年)の高山ダムを皮切りに、青蓮寺ダム室生ダム布目ダム比奈知ダムのいわゆる木津川上流5ダムが建設され、川上ダムは人口増加が特に著しかった奈良県への都市用水供給を主目的に1981年(昭和56年)に木津川上流6番目のダムとして事業着手されました。
しかし、バブル崩壊以降の利水需要の低減を受け奈良県が事業から撤退、さらに公共事業見直し機運を受け事業は停滞、国交省による検討対象ダムとなります。 
その後2014年(平成26年)に事業の『継続』が決定、2018年(平成30年)より本体工事が着手され2021年(令和3年)に本体打設が完了しました。

川上ダムは水資源機構法による多目的ダムで、毎秒最大780立米のカットによる前深瀬川・木津川・淀川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、木津川上流既設ダムの代替補給、伊賀市への上水道用水の供給を目的としています。
既設ダムの代替補給とは、堆砂除去のため既設ダムの水位低下を余儀なくされる際、川上ダムでその容量不足分を補填するという全国でもおそらく初めてとなる運用方法です。
そのほか、特徴的な設備として放流水の水質保全及び、流入水と放流水の温度差解消のためダム湖上流に取水堰を設けダム湖をバイパスしてダム下流に直接放流する流入水バイパスが設けられました。
また河川維持放流と放流水バイパスを利用した管理用小水力発電所(最大出力901キロワット)も設置されています。

ダム下から
洪水吐はクレスト自由越流頂6門とオリフィス高圧ラジアルゲート1門。
水資源機構のダムとしては珍しい漸縮型堤体導流壁を装備。
写真右下は転流工。


ダムサイトにはピカピカの看板。


管理事務所や駐車場も来立てほやほや感。
ダムサイトの公園部分は芝生の養生中で立ち入り禁止。


堤頂部の襟がずいぶん高くなっています。
一方で高欄や各種建屋は今どきのダムらしく無駄な装飾を排除し無機質。


左岸の繋留設備とインクライン
こちらは人員昇降用のインクラインです。


天端から減勢工と放流設備
奥は利水放流、手前は流入水バイパスの放流口。
流入水バイパスは同じ水資源機構が2012年(平成24年)に建設した大分の大山ダムでも導入されています。


ダム湖は総貯水容量3100万立米で『あおやま川上湖』と命名されました。
訪問時は試験湛水実施中。
6~10月は洪水期運用となるため、一旦水位を下げる必要があります。
6月までによほどの大雨がなければ、サーチャージに到達するのは今年の秋以降になる模様。


ダム湖に突き出た半島上には中部電力阿保発電所遺構
1921年(大正10年)竣工で、木造切妻の発電所建屋はCランクの近代土木遺産に選ばれていました。
写真は上部層と水圧鉄管の跡。


天端は2車線幅ですが、徒歩のみ通行可能。


放流設備・発電所をズームアップ
左から利水放流ゲート、間に管理用小水力発電所の四角い放流口が2条、右手は流入水バイパスゲート。
訪問時は発電所は稼働していませんでした。


上流面
クレストゲートの間にはオリフィス高圧ラジアルゲートの予備ゲートがあります。


左岸のインクライン
船は浮桟橋に繋留され、人員用のインクラインが設置されています。


左岸公園部にあるモニュメント。


上流面が一望できる場所を探しましたが見つかりません。
手前の半島は7枚目写真を反対から見たものです。

(追記)
川上ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

1333 川上ダム(1982) 
左岸 三重県伊賀市青山羽根 
右岸     同市阿保  
淀川水系前深瀬川 
FNW 
 
84メートル 
334メートル 
31000千㎥/29200千㎥ 
水資源機構 
2022年
◎治水協定が締結されたダム 

小森ダム

2023-05-29 18:22:16 | 三重県
2023年4月23日 小森ダム 

小森ダムは左岸が三重県熊野市紀和町小森、右岸が和歌山県東牟婁郡北山村下尾井の一級河川新宮川水系北山川にある電源開発(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
戦後の電力不足の中、日本有数の多雨地帯を水源とし包蔵電力豊富な新宮川水系では半官半民の電源開発(株)が発電事業を担うことになります。
北山川流域では1962年(昭和37年)の坂本ダムを皮切りに1964年(昭和39年)に池原ダム、そして翌1965年(昭和40年)に竣工したのが七色ダムと小森ダムです。
小森ダムは北上川の一連の発電ダム最下流に位置し小森発電所で最大3万キロワットのダム水路式発電を行います。

小森ダム下流は狭隘な渓谷が続くうえに道路沿いは木が茂り、ダム全体を下流から正対できるポイントはないとされていました。
今回はダム友さん情報を参考に、ダム直下の河原に降下しダムを真正面から愛でることができました。

こちらは国道169号線沿いの従来から知られている展望ポイントから
ダム便覧掲載写真ではかつてはゲート5門ほどが見えたようですが、今は木が茂り3門が精いっぱい。


小森トンネル手前から釣り師がつけたと思われるトレースがあります。
木の枝や岩にしがみつきながら無事降下完了。


ローラーゲート7門で北山川を締め切ります。
右岸(向かって左手)で塵芥放流ゲートを利用した河川維持放流が行われています。
発電所は左岸(向かって右手)にありますが、ダムの堤高34メートルに対し有効落差49メートルということで発電所は地下にあります。
また放流水は約2キロのトンネル放流路で下流に放流されます。


ゲートはすべて2段式ローラーゲート
左右両岸には分厚い叩きが設けられています。


こちらは塵芥放流ゲートを利用した河川維持放流。
もちろん河川法の改正で今はダムが捕捉した塵芥の放流は禁止です。


ダム直下の副ダム。


実は小森ダムには上流にも展望ポイントがあるのですが、難関の断崖降下に成功して浮かれてしまい、上流からの見学をすっ飛ばしてしまいました。

(追記)
小森ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1313 小森ダム(1981)
左岸 三重県熊野市紀和町小森
右岸 和歌山県東牟婁郡北山村下尾井
新宮川水系北山川
34メートル
154メートル
9700千㎥/4700千㎥
電源開発(株)
1965年
◎治水協定が締結されたダム 

七色ダム

2023-05-18 18:37:39 | 三重県
2023年4月22日 七色ダム 

七色ダムは左岸が三重県熊野市神川町神上、右岸が和歌山県東牟婁郡北山村七色の一級河川新宮川水系北山川にある電源開発(株)が管理する発電目的の重力式アーチダムです。
戦後の電力不足の中、日本有数の多雨地帯を水源とし包蔵電力豊富な新宮川水系では半官半民の電源開発(株)が発電事業を担うことになります。
北山川流域では1962年(昭和37年)の坂本ダムを皮切りに1964年(昭和39年)に池原ダム、そして翌1965年(昭和40年)に竣工したのが七色ダムです。
池原ダムを上部調整池、当ダムを下部調整池として池原発電所で最大出力35万キロワットの混合揚水式発電を行うほか、七色発電所で最大8万2000キロワットのダム水路式発電を行います。
また池原発電所の出力調整に伴う水位変動を緩和する逆調整池としての機能も併せ持ちます。

池原ダムから約16キロ、20分ほどで七色ダムに到着
北山川下流左岸からダムと正対できます。
七色の名前に合わせたわけじゃないんでしょうが、7門のローラーゲートで北山川を締め切ります。
ゲートとピアはシンメトリー。
堤高は61メートルですが、これは基礎岩盤からの高さでその半分近くは水中に没しており見た目は30メートルほど。


右岸から。


ダム右岸の発電所取水口
認可取水量は毎秒140立米。


天端から。


副ダムも堤体に合わせたアーチ状。
左岸の水は河川維持放流。


右岸ダム下の開閉所。
有効落差69.3メートルを稼ぐため発電所は地下30メートルほどに作られています。
また放流水は約2.3キロの導水路で北山川下流に放流されます。


貯水池は総貯水容量6130万立米ですが、堆砂が進み有効貯水容量は6分の1の1070万立米。
池原貯水池同様バス釣りスポットとして人気があるようです。


天端は国道169号線が通ります。


水利使用標識。


左岸上流側の河川維持用水取水口
七色ダムでは下流に景勝地瀞峡があることから、放流義務化が法制化される前よりゲート放流により河川維持放流が行われてきました。
こちらは後付けのサイフォン方式取水口でこの下流側に維持放流を利用した小水力発電所があります(写真撮影せず)。


上流面。


左岸の繋留設備
塵芥除去作業船他3隻が繋留されています。

(追記)
七色ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1312 七色ダム(1978) 
左岸 三重県熊野市神川町神上
右岸 和歌山県東牟婁郡北山村七色
新宮川水系北山川
GA
61メートル
200.8メートル
61300千㎥/10700千㎥
電源開発(株)
1965年
◎治水協定が締結されたダム 

クチスボダム

2023-05-11 18:29:01 | 三重県
2023年4月22日 クチスボダム 

クチスボダムは三重県尾鷲市南浦の銚子川水 系又口川にある電源開発(株)が管理する発電目的の重力式コンクリート・フィル複合(フィルコンバインド) ダムです。
戦後の電力不足の中、日本有数の多雨地帯を水源とし包蔵電力豊富な新宮川水系では半官半民の電源開発(株)が発電事業を担い1950年代半ば(昭和20年代末)より電源開発に邁進します。
新宮川二次支流東ノ川では発電に供した水を流域変更して太平洋に放流する尾鷲分水が着手され1961年(昭和36年)にクチスボダムと尾鷲第二発電所が、翌1962年(昭和37年)に坂本ダムと尾鷲第一発電所が竣工しました。
東ノ川の坂本ダムで取水された水は約7キロの導水路で尾鷲第一発電所(最大出力4万キロワット)に送られ、放流水は流域変更して銚子川水系又口川に放流されます。
又口川のクチスボダムは第一発電所の逆調整池を兼ねており、ここで取水された水は尾鷲第二発電所(最大出力2万5000キロワット)を経て再び流域変更し、中川経由で太平洋に放流されます。
発電により流域変更されるケースはままありますが、2度の流域変更を伴うのはここだけじゃないでしょうか?

またクチスボダムは本州では珍しいカタカナ表記のダムとなっています。
クチスボは漢字で表記すると『口窄』となり文字通り狭隘な谷筋を示す地名です。

尾鷲市街から国道とは名ばかりの425号を西進、矢所橋からダムと正対できます。
クレスト越流頂にはローラーゲートを装備、右手にわずかにフィル部分が見えます。
放流は河川維持放流。


よく見える場所がないかと河原に下りてみたものの…
橋の方がよく見える。


ダム左岸を国道425号が通ります。
天端を含めダム構内は立ち入り禁止。


水利使用標識
坂本ダムの水利権は21立米/秒ですがここは25立米/秒
銚子川水系での取水分だけ多くなっています。


左岸のフィル部
さすが電源開発、手入れが万全で芝生状態。


天端。


上流面
フィル部分はロック材で護岸。


ダム湖(クチスボ貯水池)は総貯水容量196万立米
第二発電所の取水工は対岸の上流側にあります。


インクラインと巡視艇。


ダムの上流1.2キロにある尾鷲第一発電所
有効落差225.3メートル
発電用水の大半は新宮川水系東ノ川の坂本ダムから流域変更され導水されています。


山中のサージタンク
けっこうな高さにあります。


(追記)
クチスボダムはは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1308 クチスボダム(1975) 
三重県尾鷲市南浦 
銚子川水系又口川 
 
GF 
35メートル 
98メートル 
1960千㎥/690千㎥ 
電源開発(株) 
1961年 
◎治水協定が締結されたダム 

宮川ダム

2023-05-09 18:08:58 | 三重県
2023年4月22日 宮川ダム 

宮川ダムは三重県多気郡大台町久豆の一級河川宮川本流にある三重県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
日本一の降水量を誇る大台ヶ原を水源とする宮川は東海有数の暴れ川で、宮川自身が形成した下流の広大なデルタ地帯では洪水被害が絶えませんでした。
一方戦後の電力不足を受け、包蔵電力豊富な宮川での電源開発が喫緊の課題となっていました。
1951年(昭和26年)に三重県は宮川上流部への多目的ダム建設を軸とした宮川総合開発事業を採択、これに発電事業者として三重県企業庁が事業参加し1956年(昭和31年)に竣工したのが宮川ダムです。
宮川ダムは建設省(現国交省)の補助を受けた補助多目的ダムで、洪水時には最大1000立米/秒をカットすることで宮川の洪水調節を行うほか、安定した河川流量の維持及び不特定灌漑用水への補給、三重県企業庁(2015年に中部電力に移管)宮川第一および第二発電所でのダム水路式発電(計最大出力5万4200キロワット)を目的としています。
なお宮川第一・第二ダムの放流水は流域変更されそのまま太平洋に放流されます。
また宮川総合開発事業の一環として農林省(現農水省)による国営農業水利事業宮川用水地区が着手され、宮川ダムの不特定利水容量により用水不足が生じた場合に約5000ヘクタールの水田に補給を行います。
さらに2003年(平成15年)には河川維持放流を利用した宮川ダム発電所(最大出力316キロワット)が増設されました。

三瀬谷ダムから宮川沿いを約20キロ、30分ほどのドライブで宮川ダムに到着します。
ダムの下流、大杉簡易浄水場から定入滝の道標に従って堤防上の歩道を200メートルほど歩くとダムの下流に飛び出します。
このアングルからの写真はダム便覧や各種訪問記等でも皆無です。ちょっと地図を見て調べればすぐにアプローチできる場所なのに?

堤高88.6メートル、堤頂長231メートルは昭和20年代着手のダムとしてはかなり大規模。
非常用洪水吐としてクレストに深紅のローラーゲート3門を備えるほか、常用洪水吐となるハウエルバンガーバルブ、不特定利水放流用ジェットフローゲート、河川維持放流用コーンバルブを備えています。
訪問時はすでに灌漑期で、宮川用水土地改良区向け不特定利水放流が行われていました。


ゲートをズームアップ。
昨年ゲートの改修工事が竣工、再塗装された深紅のゲートが鮮やか。
導流壁は中段で両側に膨らむ独特の形状。
また東海地方のダムでは珍しくゲートハウスが被覆されています。


左岸から。


上流面。
手前は2006年(平成18年)に新設された多段式選択取水設備。
従来の取水口は低水部にあり冷濁水取水のみであったため、河川環境に悪影響を及ぼすとともに、灌漑用水には不適でした。


天端から
副ダムの形状も独特。


ダム湖は大杉湖
総貯水容量7050万立米と補助ダムとしてはかなりの規模。
今年の春は少雨で、水位は低め。


右岸から
対岸に管理事務所があります。


放流設備をズームアップ
4月11日から灌漑期となり、ジェットフローゲートから宮川用水土地改良区向け不特定利水放流が行われています。
その左手は常用洪水吐となるハウエルバンガーバブルブ、最下段に小水力発電を行う宮川ダム発電所があります。


下流面
堤体に並ぶ正方形の白い部分は、昨年まで行われていたゲート改修工事の足場跡をモルタルで埋めたもの。

天端は車両通行可能
ゲート部分だけ下流側にクランクしています。


艇庫とインクライン。


上流面
ゲートは下流の赤とは対照的な青の塗装
こちらも昨年塗り替えられたばかりで色鮮やか。


(追記)
宮川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1306 宮川ダム(1974)
三重県多気郡大台町久豆
宮川水系宮川
FNP
88.5メートル
231メートル
70500千㎥/56500千㎥
三重県県土整備部
1956年
◎治水協定が締結されたダム 

三瀬谷ダム

2023-05-07 18:00:00 | 三重県
2016年1月 3日 三瀬谷ダム
2023年4月22日
 
三瀬谷(みせだに)ダムは左岸が三重県多気郡大台町弥起井、右岸が同町菅合の一級河川宮川本流にある中部電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
日本最大の多雨地帯大台ヶ原を水源とし包蔵電力豊富な宮川では県土整備部の『宮川総合開発事業』に県企業庁が発電事業者として事業参加し、1962年(昭和37年)にかけて宮川第一~第三発電所(出力合計6万6200キロワット)が建設されました。
さらにその後の電力需要増加を受け、宮川ダム下流約30キロ地点に1967年(昭和42年)に竣工したのが三瀬谷ダムで、併せて建設された三瀬谷発電所で最大1万1400キロワットのダム式発電が稼働しました。
しかし2015年(平成27年)に三重県企業庁は公営発電事業から撤退し三瀬谷ダム・発電所をはじめ同庁所管の全ての発電施設は中部電力に移譲されました。
 
右岸下流から
深紅のローラーゲート4門と被覆されたピア、ダムに併設された発電所はこれぞ発電ダムと言った体。
減勢工に並ぶ恐竜の背びれのようなバッフルピアとシュートブロックが三瀬谷ダムの売りです。


2列のバッフルピアとシュートブロック。


左岸ダムサイトに駐車スペースがあり各種説明板が並びます。


親柱に嵌め込まれた銘板。


左岸の一見インクラインと思しき装置は『流木引き揚げ装置』。


三重県企業庁の名前が残ります。


天端は車両通行可能
近畿自然歩道のハイキングコースにもなっています。


ダム直下の三瀬谷発電所


天端から
こちらから見てもバッフルピアとシュートブロックはインパクト大
下流にはJR紀勢線三瀬谷橋梁が架かります。


ダム湖の奥伊勢湖は総貯水容量1310万立米
県内唯一の公認漕艇場があります。


赤が鮮やかなローラーゲート
中電に移管されて赤になったわけではなく、宮川ダム君ヶ野ダムなど三重県営ダムもゲートは赤。
このゲートには今は用無しになったフラッシュボードがついています。




右岸から
堤体はゲート部分だけ下流側にクランク
左手に取水口と除塵機があります。


(追記)
三瀬谷ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1314 三瀬谷ダム(0171)
左岸 三重県多気郡大台町弥起井
右岸        同町菅合
宮川水系宮川
39メートル
160メートル
13100千㎥/4000千㎥
中部電力(株)
1967年
◎治水協定が締結されたダム

君ヶ野ダム

2023-05-06 19:00:00 | 三重県
2015年12月30日 君ヶ野ダム
2023年 4月21日
 
君ヶ野ダムは三重県津市美杉町八手俣の一級河川雲津川水系八手俣川にある三重県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
雲津川では戦中戦後の燃料難による集水域での大規模伐採で保水力が低下し出水が増加、特に1959年(昭和34年)の
伊勢湾台風では流域で壊滅被害が発生しました。
一方、高度成長を受け中勢地域の都市用水需要が急増し、安定した水源確保が必須となりました。
これを受け三重県は1963年(昭和38年)に雲出川水系への多目的ダム建設事業に着手、1971年(昭和46年)に竣工したのが君ヶ野ダムです。
君ヶ野ダムは建設省(現国交省)の補助を受けた補助多目的ダムで、洪水時に最大毎秒650立米をカットすることで雲津川の洪水調節を行うほか、安定した河川流量の維持と流域不特定灌漑用水への補給、津市及び松阪市への上水および中勢工業地帯への工水供給を目的としています。 
君ヶ野ダムには2015年(平成27年)12月に初訪、2023年(令和5年)4月に再訪しました。
掲載写真は日時記載分を除いてすべて再訪時のものです。
 
堤高73メートル、堤頂長323メートルと補助ダムとしては中規模ですが、フルゲートを備え正対するとなかなかの威容。

非常用洪水吐としてクレストラジアルゲート2門、常用洪水吐としてオリフィス高圧ラジアルゲート2門を装備
またオリフィスゲートの間に利水放流用ホロージェットバルブがあります。
オリフィスとホロージェットバルブの並びが珍しい。


前面に張り出したゲート操作室がいかにも昭和40年代のダムと言った風。


右岸から下流面
対岸高台にはレークサイド君ヶ野という津市営宿泊施設があります。


右岸ダムサイトのクレーン台座跡。
登りたいけど立ち入り禁止。


ゲート越しの減勢工
副ダムにはスリットが3本入っています。

 
ダム湖は総貯水容量2330万立米。


ダムサイトへのアプローチとなる県道29号のヘアピン。


ズームアップすると右岸に細い水路と池があります。
職員さんに伺うと河川維持放流用水路で、池はテロ対策用の鯉を泳がすためのものとか。


上流面
主ゲートとオリフィス予備ゲートはいずれも赤
そういえば三重県営の宮川ダム三瀬谷ダム(現在は中部電力に移管)もゲートは赤。(2017年12月30日)

左岸展望台から
天端は車両通行可能、対岸に管理事務所があります。


管理事務所裏手からインクラインが延びます。
写真ではよく見えませんが、河川維持放流路の取水口がインクラインの先端にあります。


上流から
残念ながら逆光。


(追記)
君ヶ野ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

1317 君ヶ野ダム(0153)
三重県津市美杉町八手俣
雲出川水系八手俣川
FNWI
73メートル
323メートル
23300千㎥/19700千㎥
三重県県土整備部
1971年
◎治水協定が締結されたダム

惣谷池(惣谷ダム)

2023-05-05 18:44:50 | 三重県
2023年4月21日 惣谷池(惣谷ダム)

惣谷(そうだに)池は三重県津市白山町上の村の一級河川雲津川水系大村川左支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1979年(昭和54年)に三重県の事業で竣工と記されています。
溜池自体の築造は戦前に遡るようで、これは農水省の補助を受けた県営ため池等整備事業の竣工年度かと思われます。
ダム便覧ではダムとなっていますが、ため池データベースでは『惣谷池』となっておりここでは惣谷池と表記します。
管理は受益地となる白山町二本木地区が行っています。

池へのアプローチは近鉄大阪線東青山駅となります。
駅北側が『東青山四季のさと』として公園整備されており、車でアクセスする場合は駐車料金1000円が必要。
溜池1基に1000円はちと割高・・・・


東青山四季のさと
近鉄所有の15万平米の土地に園路や花壇が整備されています。
訪問時は遠足の小学生の歓声が響いていました。


惣谷池は四季のさと東側に隣接しています。
堤高は便覧19メートル、ため池データベース15メートルと数値が異なりますが、見た目は15メートルほど
下流面はきれいに草が刈られ、今も貴重な水源であることが伺えます。


上流面はコンクリートブロックで護岸
池周辺は青山高原をめぐるハイキングコースになっており、湖面側には安全対策としてフェンスが設置されています。


天端中央の斜樋
シャフトは一本
このほか右岸副堤にも斜樋があります。


総貯水容量26万立米(ため池データベース34万立米)
田植え時期を控え満水。
奥に連なるのがリゾート地の青山高原。


右岸に副堤がありますが堤高は15メートル未満
左手は斜樋機械室。


左岸の越流式洪水吐。


洪水吐導流部
ここまではよくある洪水吐ですが…。


ダム下に下りてみると
導流部は自然の岩盤を流下する滝。


洪水吐はそのまま大村川に流下します。
写真手前側に底樋管があり、放流された水は下流の堰で取水されます。

右岸の副堤にやってきました。
堤高は15メートル未満でダムの要件は満たしていません。
こちらにも斜樋があります。


上流側から
左奥は本堤。


東青山駅東側には近鉄の旧線遺構が残ります。
こちらは旧総谷トンネル跡
1971年(昭和46年)にATSの故障によりトンネル内で特急同士の衝突事故が起き、死傷者300名を超える大惨事となりました。
ミステリースポットとして知られていますが、今は立ち入り禁止。

1280 惣谷池(惣谷ダム)(1973)
ため池データベース 242010067 
三重県津市白山町上の村
雲津川水系大村川左支流

19メートル(ため池データベース 15メートル)
85メートル(ため池データベース 133メートル)
260千㎥(ため池データベース 340千㎥)/260千㎥
二本木地区
1979年 

安濃ダム

2023-05-04 18:00:00 | 三重県
2015年12月30日 安濃ダム
2023年 4月21日
 
安濃ダムは三重県津市芸濃町河内の二級河川安濃川本流上流部にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
伊勢は平安時代より播磨や尾張などとともに我が国屈指の穀倉地帯として発展、清盛など桓武平氏躍進の経済的基盤となってきました。
そんな中、現在の津市から亀山市南部にわたる中勢地域では、水源となる安濃川の流路が短く流域面積が些少なため渇水時の干ばつが絶えず、安定した水源確保や灌漑設備の拡充が強く求められていました。
1972年(昭和47年)に農林省(現農水省)による国営土地改良事業中勢地区が着手され、その灌漑用水源として1985年(昭和60年)に竣工、1988年(平成元年)より運用が開始されたのが安濃ダムです。
土地改良事業全体も1990年(平成2年)に竣工、ダムの管理は三重県農林水産部が受託し津市から亀山市に至る約3600ヘクタール(現在は3100ヘクタール)の農地への灌漑用水補給が開始されました。
事業の完成により稲作を軸に小麦、大豆を組み合わせた土地利用型農業が進展、また野菜、花卉、果樹などの園芸農業も展開され農業経営の効率化大規模化に大きく貢献しました。
また2016年(平成28年)には利水放流を利用した中勢用水小水力発電所(最大出力338キロワット)が稼働しています。

安濃ダムには2015年(平成27年)12月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。
写真はすべて再訪時のものです。
 
堤高73メートル、堤頂長212メートル
クレストラジアルゲート3門を備え農業用コンクリートダムとしてはかなり立派な体躯
右岸(向かって左手)に低水放流ゲート
左岸(向かって右手)手前は転流工、奥には小水力発電所と利水放流ゲートがあります。


右岸の低水放流ゲートをズームアップ
副ダム下流には減勢・洗堀防止目的のブロックが並びます。


右岸から下流面。


放流設備と小水力発電所をズームアップ
訪問時は田植えを控え発電放流も併せて8.82㎥/秒と年間最大の利水放流実施中。


天端は管理事務所開館中のみ車両通行可。


錫杖湖と名付けられたダム湖は総貯水容量1050万立米と、本州の農業用ダムとしては屈指のスケール。
右奥に艇庫とインクラインが見えます。


艇庫とインクラインをズームアップ。


左岸の管理事務所
農業用ダムですので、県農林水産部所管となります。
こちらにも浮き桟橋がありボートが繋留されています。


ゲート越しに
灌漑用水は安濃川下流の頭首工から取水されます。


水利使用標識。


ダム上流面
灌漑用水最需要期ということで満水。


上流から遠望
右から低水放流ゲート予備ゲート、クレストラジアルゲート、取水設備という並び。
 
(追記)
安濃ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1332 安濃ダム(0152)
三重県津市芸濃町河内
安濃川水系安濃川
73メートル
212メートル
10500㎥/9800㎥
三重県農林水産部
1989年
◎治水協定が締結されたダム