ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

柳原溜池

2023-06-30 18:11:43 | 長崎県
2023年5月21日 柳原溜池

柳原溜池は長崎県諫早市高来町善住寺にある灌漑目的のアースフィルダムです。
諫早湾北岸の諫早市小長井町から高来町にかけては多良岳火山活動で形成された傾斜地が海岸線まで続き平坦地はほとんどありません。
明治末期より丘陵地での新田開発が進められ併せて多数の溜池が築造されました。
柳原溜池もこうした溜池の一つで、ダム便覧には柳原水利組合の事業で1914年(大正3年)に竣工と記されており、受益者で組織された水利組合の事業、つまり農家の持ち出して建設されたと思われます。
現在の管理者も柳原水利組合です。
ダム便覧では位置未確認となっていますが、『柳原ため池 地震時ハザードマップ』で位置が特定できます。

県道136号を北上しいこいの村長崎を目指すと、その手前に柳原池への入口があります。
沿道から歩いて2~3分で池に到着。
天端は舗装されていますが下流面は木が茂りもはや森。


上流面は定期的に草が刈られているようです。


ため池基準点。


堤体中央の斜樋。


操作ハンドルはかなりの年代もの。


右手が土砂吐ゲート、左がシリンダーゲートのハンドル。


便覧・データベースともに総貯水容量は4万2000立米ですが、見た目は10万立米くらいはありそう。


上流面はコンクリートブロックで護岸。


左岸の洪水吐。
さほど遠くない時期に改修があったようです。




池の下に向かう微かなトレースがありますが草木が密生し蜘蛛の巣もすごいことに。
根性なしなのでやめました。
よって底樋管は確認していません。
今も貴重な水源であることは間違いなさそうですが、下流面の樹木の繁茂を見ると災害時の堤体への悪影響が懸念されます。

2585 柳原溜池1999)                                 
ため池コード 422040038
長崎県諫早市高来町善住寺
湯江川水系湯江川
18メートル
90メートル(ため池データベース 88メートル)
42千㎥/34千㎥
柳原水利組合
1914年

山ノ神溜池

2023-06-29 17:02:32 | 長崎県
2023年5月21日 山ノ神溜池

山ノ神溜池は左岸が長崎県諫早市小長井町川内、右岸が同町古場の長里川源流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
諫早湾北岸の諫早市小長井町から高来町にかけては多良岳火山活動で形成された傾斜地が海岸線まで続き平坦地はほとんどありません。
明治末期より丘陵地での新田開発が進められ、併せて多数の溜池が築造されました。
山ノ神溜池もこうした溜池の一つで、ダム便覧には農場土地改良区の事業により1931(昭和6年)に竣工と記されており、前身となる水利組合の事業で建設されたと思われます。
近接する山茶花溜池ともども農場水利組合が管理を行っています。

池下から
直近に大規模改修があり堤体は初々しい姿となっています。
ため池データベースでは堤高20.3メートル、堤頂長123メートル。


堤体中央下の底樋管。


底樋管から伸びる灌漑用水路。


右岸の洪水吐斜水路
こちらも改修で刷新されました。
貯水池は満水のようで越流した水が流下しています。


堤体基部の擁壁ともども白いコンクリートが眩しい。
減勢工にはバッフルブロックとエンドシルが設置されています。


残念ながら天端は立ち入り禁止。
本当に改修が終わって間がないようです。

上流面はコンクリートブロックで護岸
奥に横越流式洪水吐があります。


堤体中央の斜樋。

総貯水容量は37万立米
田植え時期を控え満水。


2593 山ノ神溜池1998)                              
ため池コード 422040046 
左岸 長崎県諫早市小長井町川内
右岸         同町古場 
長里川水系長里川 
 
 
20.4メートル(ため池データベース 20.3メートル) 
112メートル(ため池データベース 123メートル) 
370千㎥/336千㎥ 
農場水利組合 
1931年

大浦ダム

2023-06-28 17:09:37 | 佐賀県
2019年7月15日 大浦ダム
2023年5月21日
 
大浦ダムは佐賀県藤津郡太良町大浦の田古里川本流上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
佐賀県南部、有明海沿岸の太良町では温暖な気候を活かし昭和30年代から丘陵地でのミカン樹園地開発が進められましたが、干ばつ被害も多く水源確保や灌漑設備の整備が求められていました。
こうした中、農水省の補助を受けた佐賀県営かんがい排水事業・畑地帯土地改良事業・農地開発事業大浦地区が着手され1987年(昭和62年)に竣工したのが大浦ダムです。
運用開始後は大浦地区土地改良区が管理を受託し、約300ヘクタールのミカン樹園地に灌漑及び防除用水を供給しています。
しかし1991年(平成2年)のオレンジ輸入自由化により、ジュース向け原液がほぼ輸入品にとって代わったことで、国内ミカン農業は大きな打撃を受けます。
当地域でも離農や耕作放棄が相次ぎましたが、その後高品質の『太良みかん』のブランド化に成功したことで、今も全国有数のミカン生産地となっています。
 
大浦ダムには2019年(令和元年)7月に初訪、記念碑の写真を撮り忘れていたので2023年5月に再訪しました。
日付のある写真以外はすべて初訪時のものです。

下流面は草ボウボウですが堤体下部に一部石張りのようなものが見えています。
基部の擁壁なのか?実はロックフィルダムなのか?

右岸ダムサイトの竣工記念碑。
佐賀ではおなじみ金箔文字。(2023年5月21日)

碑文も金箔
ダム建設に至る経緯が詳細に記されています。
これを読みたいがための再訪です。
(2023年5月21日)


記念碑の奥に鎮座する胸像
野田末一と記されており、調べると太良町議会議長を務めたお方。
霞が関への陳情や農林省との交渉など大浦ダム建設に尽力されたようです。
(2023年5月21日)


天端は舗装されていますが車両通行禁止。
 
上流面はウレタン製遮水シートで護岸。
 
天端からは有明海を挟んで大牟田・荒尾方面が見えます。 
 
左岸の斜樋。
 
総貯水容量73万立米の貯水池。
貯水池は一面に遮水シートが敷かれ異様な雰囲気。
最初はアスファルトフェイシングフィルかと思いましたが、よく見ると黒い遮水シートが敷き詰められています。
この辺りは雲仙の火山活動による透水性の高い地質のため、遮水ゴムシートにより遮水処理が施されています。
 
 
左岸の横越流式洪水吐。
 
洪水吐。
 
アングルを変えて洪水吐と上流面。
 
左岸からダム下に下りるルートがありましたが、チェーンが掛かっていたので自重しました。
 
2534 大浦ダム(1506) 
佐賀県藤津郡太良町大浦
田古里川水系田古里川
45メートル
160メートル
730千㎥/709千㎥
大浦地区土地改良区
1987年

七曲溜池

2023-06-27 17:12:13 | 佐賀県
2023年5月21日 七曲溜池

七曲溜池は佐賀県鹿島市飯田にある鹿島市多良岳土地改良区が管理を受託する灌漑目的のアースフィルダムです。
佐賀県の有明海沿岸では温暖な気候と地味豊かな地質を活かし昭和30年代より丘陵地でのミカン樹園地開発が進められます。
鹿島市から太良町にかけての多良岳北東山麓では1964年(昭和39年)に約630ヘクタールの樹園地開発・収穫量9000トンを目的とした『国営多良岳農地開発事業』が着手されその灌漑・防除用調整池として1969年(昭和44年)に竣工したのが花取溜池です。
事業全体も1981年(昭和56年)に竣工し、当池のほか花取溜池笹原溜池万才溜池が築造されるとともに延長123キロの配分水路網が整備され、当地域は佐賀県屈指のミカン生産地となりました。
しかし1991年(平成2年)のオレンジ輸入自由化により、ジュース向け原液がほぼ輸入品にとって代わったことで汎用ミカン価格が急落し全国のミカン農家は大打撃を受けます。
当地域でも離農や耕作放棄などが相次ぎましたが、現在は最高級品質の『祐徳ミカン』のブランド化に成功したほかレモン等への品種転換などにより生き残りを図っています。
なお、名称に『溜池』がついていますが国営事業で建設された農業用調整池ということで『農業ダム』の扱いとなりため池データベースにも記載がありません。

左岸から
堤体中段上部に犬走があり、ドレーン水路管が埋設されています。


天端は車両通行可能。


総貯水容量は6万9000立米で国営多良岳農地開発事業で建設された4つの溜池の中で最少。
七曲水槽から導水された水がいったん当池に貯留されたのち配分水路で受益農地に補給されます。


親柱の『七曲調整池』の銘板。


上流面
左岸に越流式の洪水吐があります。


洪水吐導流部。


アングルを変えて。


天端からは有明海が遠望できる『海が見えるダム』。


堤体上流中央にある取水設備と流入管。


右岸から。


上流面。

右岸の機械室
建屋の横に調圧水槽があります。


ダム下はルートが見つからなかったので下りませんでした。

2532 七曲溜池(1997)                           
佐賀県鹿島市飯田
飯田川水系飯田日当川
15.3メートル
133メートル
69千㎥/66千㎥
鹿島市多良岳土地改良区
1972年

笹原溜池

2023-06-25 17:07:51 | 佐賀県
2023年5月21日 笹原溜池

笹原溜池は佐賀県鹿島市音成にある鹿島市多良岳土地改良区が管理を受託する灌漑目的のアースフィルダムです。
佐賀県の有明海沿岸では温暖な気候と地味豊かな地質を活かし昭和30年代より丘陵地でのミカン樹園地開発が進められます。
鹿島市から太良町にかけての多良岳北東山麓では1964年(昭和39年)に約630ヘクタールの樹園地開発・収穫量9000トンを目的とした『国営多良岳農地開発事業』が着手されその灌漑・防除用調整池として1969年(昭和44年)に竣工したのが花取溜池です。
事業全体も1981年(昭和56年)に竣工し、当池のほか花取溜池七曲溜池万才溜池が築造されるとともに延長123キロの配分水路網が整備され、当地域は佐賀県屈指のミカン生産地となりました。
しかし1991年(平成2年)のオレンジ輸入自由化により、ジュース向け原液がほぼ輸入品にとって代わったことで汎用ミカン価格が急落し全国のミカン農家は大打撃を受けます。
当地域でも離農や耕作放棄などが相次ぎましたが、現在は最高級品質の『祐徳ミカン』のブランド化に成功したほかレモン等への品種転換などにより生き残りを図っています。
なお、名称に『溜池』がついていますが国営事業で建設された農業用調整池ということで『農業ダム』の扱いとなりため池データベースにも記載がありません。

ダム下から
堤高26.3メートル、175メートルのアース堤体。


ダム下の調圧水槽(現地表記では減圧水槽)
ここから専用の配分水路で受益農地に用水補給します。


堤体を見上げると
中段にはドレーンおよび漏水計。


ダム左岸を洪水吐導流部が流下します。
導流部沿いの階段で天端へ。


下流面
堤体は犬走を挟んで2段構成。


左岸の越流式洪水吐。


洪水吐の奥には取水設備兼流入管。
当溜池は農業調整池で音成川上流で取水された水がいったんここに貯留されたのち配分水路で受益地に補給されます。


天端からの眺め
当地域では沢筋に水田、丘陵地にミカン樹園地が展開されています。
田植え作業中の農家に伺ったところ、水田向けの用水は既得水利権として笹原溜池をバイパスして供給されているとのこと。
写真ではわかりづらいのですが、奥に有明海が望める『海が見えるダム』。


総貯水容量は11万8000立米で笹原水槽からの導水によります。


天端は車道。


上流面はコンクリートブロックで護岸。


笹原水系の配分水路図。


2529 笹原溜池(1996)                           
佐賀県鹿島市音成
音成川水系音成川
26.3メートル
175メートル
118千㎥/114千㎥
鹿島市多良岳土地改良区
1970年

花取溜池

2023-06-23 17:10:14 | 佐賀県
2023年5月21日 花取溜池

花取溜池は佐賀県鹿島市音成にある鹿島市多良岳土地改良区が管理する灌漑・防除目的のアースフィルダムです。
佐賀県の有明海沿岸では温暖な気候を活かし昭和30年代より丘陵地でのミカン樹園地開発が進められます。
鹿島市から太良町にかけての多良岳北東山麓では1964年(昭和39年)に約630ヘクタールの樹園地開発・収穫量9000トンを目的とした『国営多良岳農地開発事業』が着手されその灌漑・防除用調整池として1969年(昭和44年)に竣工したのが花取溜池です。
事業全体も1981年(昭和56年)に竣工し、当池のほか笹原溜池七曲溜池万才溜池が築造されるとともに延長123キロの配分水路網が整備され、当地域は佐賀県屈指のミカン生産地となりました。
しかし1991年(平成2年)のオレンジ輸入自由化により、ジュース向け原液がほぼ輸入品にとって代わったことで汎用ミカン価格が急落し全国のミカン農家は大打撃を受けます。
当地域でも離農や耕作放棄などが相次ぎましたが、現在は最高級品質の『祐徳ミカン』のブランド化に成功したほかレモン等への品種転換などにより生き残りを図っています。
なお、名称に『溜池』がついていますが国営事業で建設された農業用調整池ということで『農業ダム』の扱いとなりため池データベースにも記載がありません。

ダム下から
堤高22.6メートル、堤頂長176メートルのアース堤体
見た目と名前は『溜池』ですが、分類は農業ダムとなります。


下流面。


天端は車道
堤体は緩やかな逆アーチ状に湾曲。


総貯水容量24万4000立米。
当溜池は農業調整池で西葉川上流で取水された水がいったんここに貯留されたのち配分水路で受益地に補給されます。


奥から取水設備の斜樋、花取水槽からの流入管、越流式洪水吐。


天端から
ガスが掛かり視界不良ですが、わずかに有明海が視認できます。
『海が見えるダム』認定。
平地の少ない当地域では谷筋に水田、丘陵地にミカン樹園地が展開します。
果樹栽培が導入される以前は零細な稲作営農が大半でした。


上流面はコンクリートブロックで護岸。


花取水系の配分水路図。


右岸ダムサイトにある調圧水槽
現地では減圧水槽と表記されていますが同じ意味。
ここから専用の配分水路で受益農地に用水補給するほか、防火用水の役割も担っています。

右岸の越流式洪水吐。


右岸沿いに洪水吐導流部が流下します。
受益農地へは専用の配分水路が使われるため、いわゆる底樋管的な施設はありません。

2530 花取溜池(1995)                        
佐賀県鹿島市音成
西葉川水系西葉川
22.5メートル
176メートル
244千㎥/242千㎥
鹿島市多良岳土地改良区
1969年

深浦ダム

2023-06-21 23:01:24 | 佐賀県
2023年5月20日 深浦ダム

深浦ダムは佐賀県杵島郡白石町深浦の二級河川塩田川水系深浦川にある佐賀県県土整備部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
深浦川は流路延長2.3キロの小河川ですが、その間の標高差は200メートルに及ぶ急流河川で豪雨の際は水量が一気に増大します。
一方、下流域は干拓された海抜ゼロメートル地帯で本流の塩田川が天井河川のため、豪雨の際はバックウォーター現象により深浦川下流の排水が困難となり洪水被害が頻発していました。
こうした状況を打開するため県は1977年(昭和52年)に塩田川水系治水事業に着手、1989年(平成元年)に竣工したのが深浦ダムです。
深浦ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、深浦川の洪水調節および不特定灌漑用水への補給を目的としています。
洪水調節についてはダムと同時に洪水吐トンネルが建設され、カットされた洪水はこのトンネルを経由して直接塩田川に放流されます。
洪水をダムに貯め込むのではなく洪水吐トンネルで逃すというシステムで、同様の運用をするダムとしては青森の浅虫ダムや岩手の遠野第2ダムがあります。

地図の茶色マルが深浦ダム、赤線が洪水吐トンネル
洪水時にはカットした洪水量は洪水吐トンネルで直接塩田川に放流されます。
一方、灌漑期にはダムの上下にある溜池へ不特定灌漑用水を補給します。


下流から
見た目はクレスト自由越流頂1門の農業用ダムのような姿
放流設備としてジェットフローゲート1門を装備。




ダム案内板。

竣工記念碑は佐賀ではおなじみ金箔文字。


左岸上流から超広角で。
総貯水容量はわずか2万7000立米。


クレスト自由越流頂と取水設備
田植え時期を控えてか?ダム湖は満水。


天端から
奥に有明海が望める『海が見えるダム』
下流に広がる白石平野の過半は干拓地で、豪雨の度に洪水が発生していました。


減勢工
直下に溜池があるため簡易な作り。


天端と管理事務所
天端は徒歩のみ開放、日曜日ということで管理事務所は無人でした。
左岸の山留に苦労の跡が!


右岸の艇庫
ちゃんとインクラインがついている!


右岸には横越流式洪水吐
これは常用洪水吐となり、溢れた水は洪水吐トンネルで塩田川に放流されます。
重力式コンクリートダムと横越流式洪水吐の組み合わせは極めて珍しく、他では北海道の美唄ダムくらいしか思い浮かびません。


洪水吐トンネル。


こちらは塩田川の洪水吐トンネル吐口。


ダムで洪水を貯め込むのではなく、カットしてバイパスで放流するという運用方法です。

2546 深浦ダム1994)                     
佐賀県杵島郡白石町深浦
塩田川水系深浦川 
FN 
 
26メートル 
121メートル 
27千㎥/22千㎥ 
佐賀県県土整備部 
1989年

六角川河口堰

2023-06-20 17:07:46 | 佐賀県
2023年5月20日 六角川河口堰 

六角川河口堰は佐賀県杵島郡白石町福富の一級河川六角川にある国交省九州地方整備局が直轄管理する治水目的の可動堰です。
干満差による潮位変動が6メートルを超える有明海沿岸では広大な干潟が広がり、有史以来干拓による農地開発が進められてきました。
六角川が貫流する白石平野もその過半が干拓地で、自然排水が困難な軟弱地盤で形成され、六角川自体も河口から約30キロ地点までが感潮区間となっています。
当然台風襲来時には高潮被害が発生するほか、灌漑用水の大半を地下水に依存せざるを得ず地盤沈下による高潮・洪水被害の激化という悪循環となっていました。
こうした状況を受け建設省(現国交省)が1982年(昭和57年)に河口から4.6キロ地点に高潮防御及び六角川流域農地への不特定灌漑用水の補給を目的として建設したのが六角川河口堰です。
不特定灌漑用水への補給については、灌漑期のみゲートを閉鎖し貯留した水を補給するという想定でしたが、閉め切りによる漁業等への影響懸念や、佐賀導水及び嘉瀬川ダムからの補給が開始されたこともあり、現在は高潮防御に特化した運用となっています。
なお、河口堰の堤高は11.5メートルでダムの要件を満たしていませんが、国交省直轄事業による治水ダムとして建設されたため堤高如何に関わらず河川法上のダムとなります。

六角川流域内標高及び地形横断図 (国交省より)
これを見れば流域の過半が満潮時水面以下になることがわかるでしょう。


右岸下流から
河口から30キロが感潮区間となっており、満潮時は川の水面が地上よりも高くなるため、両岸には高さ10メートルの堤防が続いています。
可動堰は右岸側(向かって左)からサイドゲート、閘門ゲート、調節ゲート、主ゲート×4門、サイドゲートとという並び。


写真中央の背の高いゲートが閘門ゲート
漁船航行用の閘門です。


アングルを変えて
下流側閘門ゲート
当所灌漑期はゲートの閉め切りを想定していたため閘門ゲートが設置されましたが、現在は高潮防御時以外は常時開放されています。


右岸上流から。


銘板。


ゲートプレート
ゲートは石川島播磨重工(現IHI)製。
これがなかったらゲートの区分がわかりませんでした。


これは上下2段の調節ゲート
微妙な水位調整を行います。


感潮区間が長く河口堰上流にも船溜まりがあります。


堤頂長226メートル
車両通行もできます。


右岸上流から。


左岸下流から
上記のように今は高潮防御に特化した運用のため、平時はすべてのゲートが開放されています。
撮影場所は河口から4キロ地点ですが、有明海より 遡上する浮遊粘土(ガタ土)が川の両岸に堆積し干潟のようになっています。
いちおう川ですが、ガタ土ではムツゴロウやトビハゼが見られます。


六角川河口側の眺め。


最後に上流から正対。

当初は不特定灌漑用水への補給も併せて建設されましたが、社会情勢の変化もあり運用は高潮防御に特化されています。
ダム便覧ではダムの目的は『FN』となっていますが、『F』が妥当でしょう。
また、令和元年8月豪雨による洪水被害を踏まえ、国交省は六角川水系河川整備計画を変更しました。

2537 六角川河口堰(1993)                  
佐賀県杵島郡白石町福富 
六角川水系六角川 
MB 
11.5メートル 
226メートル 
3700千㎥/---- 
国交省九州地方整備局 
1982年

八丁ダム

2023-06-18 19:05:24 | 佐賀県
2023年5月20日 八丁ダム

八丁ダムは佐賀県小城市小城町畑田の六角川水系晴気川源流にある灌漑目的のロックフィルダムです。
有明海沿岸部では戦後、温暖な気候と日照時間の多さを活かし各所でミカン栽培が進められます。
佐賀県の晴気川流域でも1973年(昭和48年)に県営かんがい排水事業八丁地区が採択され、沿岸丘陵地でのミカン樹園地開発が着手されました。
八丁ダムは同事業の灌漑用水源として1982年(昭和57年)に竣工し、運用開始後は小城町(現在は小城市)が管理を受託、当初は約250ヘクタールのミカン樹園地へ灌漑・防除用水が供給されていました。
しかし1991年(平成3年)のオレンジ輸入自由化を契機にミカン価格が急落、果樹農家の廃業や作付け変更が相次ぎ受益樹園地も大きく減少しています。

八丁ダムは小城市を流下する晴気川と多久市へ流下する今出川の分水嶺に位置し、東の晴気川側が副堤(グーグル写真の赤い部分)、西の今出川側が本堤(地図の白い部分)となります。


事業説明板。
ダム便覧の経緯度や洪水吐の配置場所から、当初は晴気川側を本堤だと思い込み訪問の際もそのつもりで見学して回りました。


帰宅後、事業説明板の図面を拡大してみたところ本堤と副堤の表記が逆になっていることに気づきました。
管理する小城市農村整備課に問い合わせたところ、事業説明板の表記で間違いないことが判明。まさかの本副逆転です。


当初本堤だと思っていた副堤
地山からの堤高は10.8メートル
堤頂長は346.2メートル。


副堤下にある灌漑用水放流設備
灌漑用水は2系統の導水路で受益樹園地に送られます。
口の空いたバルブは低水放流設備。


副堤左岸にある越流式洪水吐。
洪水吐がこの位置にあれば、こちらが本堤だと思いますよねー。


副堤天端は徒歩のみ開放。


総貯水容量34万6000立米。
ダム便覧ではすべて直接流域と記されていますがこれも誤り。
直接流域は0.245平方キロで今出川からの間接流域が8割強の0.859平方キロを占めています。
奥に見えるのが本堤。


対岸から洪水吐を遠望。


現地では副堤だと思い込んでいた本堤にやってきました。
上流面はコンクリートブロックで護岸。

事業説明板では堤頂長346.6メートルとなっており、堤体は奥まで続きます。

下流面
遮水方式は傾斜コア型で便覧ではロックフィル。
ロックフィルなら上流側もロック材で護岸するはずなんですが、コンクリートブロック。
アースなんじゃないかあ??
堤高は24.6メートルで目視でも十分に15メートルを越えます。
こちらには洪水吐がないので、『非越流型ダム』となります。


本堤の下流は今出川流域となり、2キロ下流には岸川防災ダムがあります。


本堤天端から斜樋を遠望
左手は副堤。


本堤と副堤が予想と逆でびっくり。
ダム便覧やグーグルマップの表記もすべて誤りということになります。

2538 八丁ダム(1992)
佐賀県小城市小城町畑田
六角川水系晴気川
24.6メートル
346.6メートル
346千㎥/300千㎥
小城市
1982年

北浦溜池

2023-06-16 17:06:37 | 佐賀県
2023年5月20日 北浦溜池 

北浦溜池は佐賀県小城市小城町松尾の一級河川嘉瀬川水系祇園川左支流(河川名不明)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1948年(昭和23年)に佐賀県の事業で竣工と記されています。
現地記念碑には溜池築造の由来や経緯が刻されていますが、摩耗が激しく全文の解読ができません。
ただ戦前に溜池築造が着手され戦時中の事業中断ののち、戦後佐賀県営事業として再開され昭和23年5月(1948年5月)に竣工した旨は読み取れます。
九州北部は1929年(昭和4年)、1934年(昭和9年)と立て続けに大干ばつが発生しこれを契機に各所で溜池築造の機運が高まりました。
北浦溜池もそんな溜池の一つだったと推察できます。 
管理は北浦溜池土地改良区が行っています。

池の西側に日蓮宗円福寺というお寺があり日蓮上人の像がいいアクセント。

堤高19.7メートル、堤頂長200メートル(ため池データベース)の堤体。
堤体は犬走を挟んだ2段構成で下流側に湾曲した円形。
佐賀平野では今でも二毛作が広く営まれており、訪問した5月下旬はちょうど二条大麦の実りの季節。


左岸直下の底樋管と洪水吐導流部。


堤頂への道が堤体を斜行します。


天端右岸は墓地。
堤の上に墓地がある溜池は初見かも?


堤体は中央部が前面に張り出した逆アーチ。
これだと堤体中央に水圧が集中して宜しくないと思うのですが?
長崎県の犬木溜池や大分県の魚ヶ鼻池が同じような形状。


左岸の斜樋
わかりづらいですが、斜樋の右手に越流式洪水吐があります。


天端からの眺め
眼下には黄金色の大麦畑、麦の刈り取り後は田植えが始まります。
季節はまさに『麦秋』、耳にしたことはあったけど目の当たりにしたのは初めて。


左岸の洪水吐
明確な越流堤はなく、堤体が一段低くなっています。


左岸の斜樋越しの上流面。
コンクリートブロックで護岸されています。
奥に見える高架橋は長崎自動車道。


小城市の警告板
ため池コードが記載され、2次元バーコードでハザードマップにリンクしています。


左岸の改築記念碑。
裏面に池の由来等が記述されていますが、摩耗が激しく判読困難。


2522 北浦溜池(1991)               
ため池データベース 412080021  
佐賀県小城市小城町松尾 
嘉瀬川水系祇園川左支流 
 
 
17.9メートル 
192メートル(ため池データベース 200メートル) 
368千㎥/331千㎥ 
北浦溜池土地改良区 
1948年 

山神ダム

2023-06-14 19:01:31 | 福岡県
2017年9月20日 山神ダム
2023年5月20日
 
山神ダムは福岡県筑紫野市山口の筑後川水系宝満川右支流山口川上流部にある福岡県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリート・フィル複合ダムです。
福岡都市圏南部の筑紫野市周辺は高度成長期より利便性の良さから福岡のベッドタウンとしてして人口が急増、宝満川や山口川の氾濫原が宅地開発される一方、上水道需要の増加が著しく、治水や水源確保が大きな課題となってきました。
これを受け福岡県は1963年(昭和38年)に山口川上流部への多目的ダム建設事業に着手、1979年(昭和54年)に竣工したのが山神ダムです。
山神ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで山口川および宝満川の洪水調節(最大120立米/秒)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、山神水道企業団を通じた筑紫野市・太宰府市・小郡市への上水道用水の供給を目的としています。
山神ダム完成後も筑紫野市周辺の水需要の増加はとどまらず、山神ダム上流への平等寺ダム建設や山神ダムの嵩上げ再開発などが検討されました。
しかし、バブル崩壊以降の社会情勢の変化により水需要は安定し、また公共工事への世論の厳しい姿勢もあり両事業は中止に至っています。

山神ダムと山神水道企業団の給水概略図(山神水道企業団HPより)
福岡市のベッドタウンとして急速に発展した筑紫野市・太宰府市・小郡市の上水道水源となっています。


山神ダムには2017年(平成29年)9月に初訪、2023年(令和5年)5月に水呑ダム訪問に合わせて再訪しました。
日付のない写真はすべて再訪時のものです。
ダム下から
堤体は右岸側が屈曲しカドになっています。
非常用洪水吐のクレストラジアルゲート2門、常用洪水吐のコンジット高圧ラジアルゲート1門のほか、利水放流設備としてジェットフローゲートを装備。
昭和50年代のダムらしく、コンジットのケートハウスは前面に張り出しています。


堤頂部をズームアップ
堤頂には山神ダムの文字。


右岸ダムサイトに上がります。
ダムサイトには『山神ダム前』バス停。


堤体は右岸側が緩やかに屈曲しカドに。
右岸接岸地点に脆弱地盤があるため、右岸側がフィル堤体となっています。
(2017年9月20日) 


天端は徒歩のみ開放
取水設備が2棟並びますが、手前は山神水道企業団向け取水設備、奥は低水放流用取水設備。


天端からの眺め
眼下は山神集落で小規模ながら棚田が美しい山村です。


総貯水容量298万立米の貯水池。
補助多目的ダムとしては小ぶりなダム湖。


山神水道企業団の水利使用標識。


洪水吐導流部と減勢工。(2017年9月20日) 


減勢工と放流設備
ダム下に調圧水槽があり上水道用水は専用管で山神浄水場に送られます。
ジェットフローゲートから不特定灌漑用水及び河川維持放流が行われています。


ダム右岸に草が刈られた地山があります。
フィルコンバインドダムということで、初めて見たときはこれをフィル堤体と勘違いしました。


左岸天端のクレーン
かつてはこのクレーンで巡視艇の昇降を行っていましたが、今はインクラインが増設され用無し。


上流面
手前が後付けのインクライン。
取水塔の手前にコンジット予備ゲートが見えます。


右岸のフィル堤体。
見た目はわずかですが、実際には右岸屈曲地点から先がフィル堤体となります。


(追記)
山神ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2433 山神ダム(1137)
福岡県筑紫野市山口
筑後川水系山口川
FNW
GF
59メートル
307.5メートル
2980千㎥/2800千㎥
福岡県県土整備部
1979年
◎治水協定が締結されたダム 

水呑ダム

2023-06-13 17:15:59 | 福岡県
2023年5月20日 水呑ダム

水呑ダムは福岡県筑紫野市平等寺の筑後川水系山中川にある筑紫野市環境経済部が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
1955年(昭和30年)に5町村の合併により誕生した筑紫野町は直後より町営水道事業に着手し、1958年(昭和33年)に上水用水源として建設されたのが水呑ダムです。
その後、筑紫野町は利便の良さから福岡のベッドタウンとして人口が急増、1972年(昭和47年)には市制を施行し筑紫野市となります。
町の発展に伴い水需要も急増し、1979年(昭和54年)に水呑ダム下流約1キロ地点に福岡県営の山神ダムが竣工しました。
現在筑紫野市水道事業の大半は山神ダムを水源とする山神水道企業団からの受水が大半で水呑ダムは『サブ』の存在となっています。

水呑ダムはダム便覧には掲載されていますが、経緯度は記載されておらず位置未確認扱い、またフォトアーカイブスへの写真提供もありません。
今回は山神ダム左岸ダムサイトから、車両進入禁止の林道を約1.6キロ歩いて水呑ダムに到達しました。

山神ダムから歩くこと20分弱で水呑ダムに到着です。
ダム直下には杉が伸び撮影の邪魔になる一方、寂れた雰囲気に趣を加えています。


堤高17.8メートル、堤頂長62.2メートルの小ぶりなコンクリートダム
放流設備は自治体管理の上水ダムらしくクレスト自由越流頂3門だけ
まるで馬ヶ城ダムのような美しい転波が見られます。


木が茂り撮影するスペースがないのが難ですが、美しい越流に見入るばかり。


薄暗くシャッタースピードが中途半端になってしまいました。


ダム下にプールがあります。
水呑ダム建設時に下流の既得灌漑用水向けに作られましたが、山神ダムに不特定灌漑用水容量が配分されたことで、現在は使われていません。


ダム下の記念碑
銘は『筑紫野町平等寺上水ダム』。
裏には当時の山口川水利組合との灌漑用水補償についての契約大要が刻されています。


こちらは天端に通じる階段
かつては立ち禁表記がありましたが、今はフリー。


天端高欄の『水呑ダム』のプレート
ビンテージ感溢れるダムですが、これは漫画チック。


昭和らしい5角形のバルブ操作室。


越流部は一段高くなっています。


上から見ても美しい越流です。
堤体から木が伸びていますが、これはご愛敬。


総貯水容量8万5000立米の小さな貯水池。

山神ダム完成後も増加の一途をたどる上水需要に対応するため、新たに平等寺ダムや山神ダム再開発事業が検討されましたが、バブル終焉による社会情勢の変化もありいずれも中止。
もし両事業が着手されていれば、水呑ダムはダム湖に沈む運命にありました。
命拾いした水呑ダムは主役の座こそ山神ダムに譲りましたが、未だ老兵死なずの意気が感じられる堰堤です。

3695 水呑ダム(1990)            
福岡県筑紫野市平等寺
筑後川水系山中川
17.8メートル
62.2メートル
85千㎥/85千㎥
筑紫野市環境経済部
1958年

善蔵溜池

2023-06-12 17:15:11 | 福岡県
2023年5月20日 善蔵溜池

善蔵溜池は福岡県八女市黒木町木屋にある灌漑目的のアースフィルダムです。
八女市黒木町はまとまった平坦地がほとんどなく、傾斜地や沢沿いの狭い平地を開墾するため戦前より多数の溜池が築造されてきました。
善蔵溜池もその一つで、ダム便覧には1927年(昭和2年)に善蔵耕地整理組合の事業により竣工と記されており、国等の補助はあったものの事業費の過半は受益者である大谷川下流域の農家の持ち出しで建設されたと思われます。
管理は今も善蔵耕地整理組合が行っています。
また善蔵溜池の貯水容量は24万9000立米と花宗溜池、山中溜池に次ぐ市内3番目の規模となっています。
善蔵の由来は不明ですが、もともと当地には古くからの溜池がありその溜池築造に際して中心的役割をはたした人物の名が採られたのでは?と推察します。

善蔵溜池はグリーンピア八女の敷地内にあり、湖岸を周回する遊歩道が整備され手軽なハイキングコースとなっています。
ダム堤体への車の乗りつけはできず湖畔のセラピー広場から遊歩道を約600メートル歩きます。
写真は池の西端にあるセラピー広場
グリーンピア開業時にキャンプ場が整備されビジターハウスも建てられましたが今は閉鎖。
グリーンピアについてはいろいろ言いたいことはありますがここでは割愛。
今は八女市が運営しています。



湖畔にはハナショウブ


池の堤体を遠望
ここから約600メートル歩きます。


セラピー広場から10分ほどで堤体右岸に到着
手前は洪水吐。


アングルを変えて
貯水池は満水で越流しています。


ダムサイトに建つ記念碑
中央は昭和2年の竣工記念碑、左右は改修記念碑。
竣工記念碑は摩耗が激しく解読できず。
改修記念碑によれば昭和59年に災害復旧工事、平成元年に底樋と斜樋の改修が行われました。


天端は遊歩道となっておりきれいに草が刈られています。


天端から
グリーンピアのパンフレットには『展望広場』と記され山名案内板も置かれています。
受益地となる水田はここから1キロ以上下流にあります。


総貯水容量24万9000立米は八女市内3番目の規模
湖畔を一周する遊歩道が整備されています。
自然林も残り紅葉期にはそこそこ人出があるようです。


天端中央の斜樋
シャフトは2本。


左岸から。


池の下に下りるルートが見つからなかったので底樋管は確認できませんでした。
その代わり池の下流400メートルを通る市道わきで善蔵溜池から伸びる灌漑用水路が確認できます。
田植え時期を控え、水が勢いよく流下していました。


2380 善蔵溜池 (1989)         
ため池データベース  402101009 
福岡県八女市黒木町木屋
矢部川水系大谷川
19メートル
90メートル
249千㎥/249千㎥
善蔵耕地整理組合
1927年

狸穴溜池

2023-06-10 18:01:01 | 福岡県
2023年5月19日 狸穴溜池

狸穴溜池は福岡県八女市黒木町北大淵にある灌漑目的のアースフィルダムです。
八女市黒木町では9基の灌漑用溜池が堤高15メートル以上のダムとしてダム便覧に掲載されていますが、うち7基が位置未確認となっています。
狸穴溜池もその一つで、ダム便覧には1933年(昭和8年)に黒木町の事業により竣工と記されており、当時の町営事業で建設されたと思われます。
池の左岸にある石碑には『スゲ田狸穴溜池』と記されており、南方約280メートルに位置するスゲタ溜池ともども同一事業で建設され、両者は上下池の関係にあります。
両池ともに吹原耕地整理組合が管理し、池の東方、剣持川左岸傾斜地に広がる棚田に用水を補給しています。
狸穴溜池はダム便覧に経緯度が記載されていますが数値が誤っており、正確な位置は八女市が作成した『ため池ハザードマップ』特定できます。

二つの池の位置関係
緑が狸穴溜池、橙がスゲタ溜池
赤線が狸穴溜池からの導水路
水の補給が容易ながら貯水容量の小さい狸穴溜池、一方補給は小さいものの貯水容量が確保できるスゲタ溜池
二つの溜池は持ちつ持たれつの関係で一体運用されていると思われます。


池への入口は事前の予習ですぐにわかりましたが、池に続く道は草木が繁茂しジャングル状態。
多少道迷いもあり到達するのに苦労しました。
左岸から
定期的に草刈りは行われているようですが、ここ数年は放置状態?
天端と下流面は程々に草が伸びています。



左岸にある石碑
『スゲ田狸穴溜池』と記されており、二つの池が同一事業で建設されたことがわかります。


総貯水容量はわずか5000立米で満水。


左岸に取水設備があるはずなんですが、ご覧のありさまで確認できません。

右岸から。


右岸の越流式洪水吐
周辺の池の多くが昔ながらの洪水吐なのに対し、ここは越流堤も備えたしっかりした洪水吐。
ダム便覧のテーマページ『福岡県八女市の位置未確認ダムについて』では、平成25年の洪水吐改修工事について触れられています。


上流面
石積護岸等は確認できません。


洪水吐導流部。


新しい洪水吐の上段には古い洪水吐の遺構が残ります。


草が深くダム下に下りるのは断念。
底樋管やスゲタ溜池に通じる水路の分水工などは確認できませんでした。

2385 狸穴溜池(1988)      
ため池データベース  402101030  
福岡県八女市黒木町北大淵 
矢部川水系剣持川左支流(河川名不明) 
 
 
17.6メートル 
43.2メートル 
5千㎥/5千㎥ 
吹原耕地整理組合 
1933年

スゲタ溜池

2023-06-09 17:15:44 | 福岡県
2023年5月19日 スゲタ溜池

スゲタ溜池は福岡県八女市黒木町木屋にある灌漑目的のアースフィルダムです。
八女市黒木町では9基の灌漑用溜池が堤高15メートル以上のダムとしてダム便覧に掲載されていますが、うち7基が位置未確認となっています。
スゲタ溜池もその一つで、ダム便覧には1933年(昭和8年)に黒木町の事業により竣工と記されており、当時の町営事業で建設されたと思われます。
管理は北方約280メートルに位置する狸穴溜池ともども吹原耕地整理組合が行っており、池の東方、剣持川左岸傾斜地に広がる棚田に用水を供給しています。
狸穴溜池にある石碑には『スゲ田狸穴溜池』と記されており、二つの池は同一事業で建設されたことがわかります。
両池は上下池の関係にあり今回の訪問で狸穴溜池からスゲタ溜池に通じる導水路も確認できました。

二つの溜池の位置関係
緑が狸穴溜池、オレンジがスゲタ溜池
赤い線が狸穴からスゲタに通じる導水路(推測)
両池の水は地図の東方(向かって右手)傾斜地の水田に用水を供給します。


スゲタ溜池はダム便覧に経緯度が記載されていますが数値が誤っており、正確な位置は八女市が作成した『ため池ハザードマップ』特定できます。

池の手前150メートルあたりから
ダム便覧のテーマページ『福岡県八女市の位置未確認ダムについて』では、池直下でブドウ栽培が行われている様子が伺えますが、訪問時は耕作放棄されていました。


草生した水路沿いを辿り何とか堤体下へ。
堤体は定期的に草が刈られているようですが、訪問した時期が悪かったようでそこそこ草が伸びています。
ダム便覧やため池データベースでは堤高23メートルとなっています。
この写真ではそこまでないように見えますが、池の基部はさらに深く、この写真の足元は池の中段辺り。


コンクリート製の底樋桝。
田植え時期を控え勢いよく水が流れています。


底樋桝から伸びる灌漑用水路、等高線状に伸びています。
水路は半ば泥に埋まっていますが、樹脂製のパイプが設置され水はそこを通ります。


天端によじ登ります。
こちらも程々草が伸びていますが、草刈りは行われているようです。
天端の栗の木がいいアクセント。


左岸に貯水池に流れ込む水路があります。


ダム便覧には狸穴溜池とスゲタ溜池は水路でつながっており、上下池の関係にあるとの記述があります。
この水路は狸穴溜池からのもので、スゲタ溜池の水の大半は狸穴溜池からの補給によると思われます。
ただ、田植え時期を控え用水補給は最盛期のはずですが、水路には水は流れていません。


上流面
石積等の護岸は確認できません。


左岸の池栓
取水した水は上記底樋桝へと送られます。


総貯水容量2万5000立米の小さな溜池ですが、水位は御覧の通り。
底樋桝からは勢いよく水が流れる一方、上下池の関係にある狸穴溜池からの補給はありません。
高齢化や離農などで需要量が減ったのかも?


天端から左岸を望みます。
下の筋が狸穴溜池からの水路、上の筋が池栓。


右岸を掘り込んだだけの洪水吐。


洪水吐導流部
竹や倒木が重なりかなり荒れた状態。

振り返って見ると、狸穴溜池から続くと思われる水路を辿ってみればよかったとちと後悔。

2386 スゲタ溜池(1987)   
ため池データベース 402101014 
福岡県八女市黒木町木屋 
矢部川水系剣持川左支流(河川名不明)
 
 
23メートル 
48.5メートル 
25千㎥/25千㎥ 
吹原耕地整理組合 
1933年