ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

大川ダム

2024-07-16 01:15:29 | 福島県
2016年4月24日 大川ダム
2024年4月26日
 
大川ダムは左岸が福島県南会津郡下郷町小沼崎、右岸が同県会津若松市大川町の一級河川阿賀野川本流上流部にある国土交通省北陸地方整備局が直轄管理する特定多目的ダムです。
阿賀野川は古くから会津盆地や新潟平野など沿岸の貴重な灌漑用水源として重用され、さらに大正期以降は豊富な水量を生かし日本屈指の電源地帯となります。
一方、頻発する洪水対策や流域での農業用水、上工水需要の増加、生活様式の変化による電力需要の日量格差の増大などが大きな課題となっていました。
これを受け当時の建設省(現国土交通省)は阿賀野川総合開発事業を採択し、阿賀野川本流上流部への多目的ダム建設に着手、そして1987年(昭和62年)に竣工したのが大川ダムです。
建設に際しては、堆積岩からなる軟弱な地盤に対処するために広範な基礎地盤部分をRCD工法によりコンクリートで固めたほか、左岸を重力式コンクリート、右岸をロックフィルダムとする重力式コンクリート・フィル複合ダムが採用されました。
大川ダムは阿賀野川の洪水調節(最大毎秒800㎥の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、沿岸約4400ヘクタールへの特定灌漑用水の供給、会津若松市ほか2町への上水道用水の供給、会津若松市への工業用水の供給を目的とするほか、大内ダムを上部池、当ダムを下部池とした電源開発(株)下郷発電所(最大100万キロワット)で純揚水式発電、東北電力(株)大川発電所でダム式発電(最大2万1000キロワット)を行います。
洪水期(6月21日~10月10日)と非洪水期(10月11日~6月20日)に洪水調節容量が変更されるほかダムの目的が多岐にわたるため放流設備も多彩で、非常用洪水吐としてクレストラジアルゲート4門、常用洪水吐としてコンジット高圧ラジアルゲート5門、低水量放流設備としてジェットフローゲート1門、選択式取水設備を備えています。

貯水容量配分図(出典 国土交通省阿賀川河川事務所ホームページ)


放流設備の配置図(出典 国土交通省阿賀川河川事務所ホームページ)


大川ダムには2016年(平成28年)4月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しましました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載してあります。
また再訪時は職員様同行でのダム内部見学を行いましたが、その詳細は『大川ダム ダム研見学会』の項をご覧ください。

大川ダム建設に併せてダム下公園も整備されました。
しかし、その後の自然災害によりダム下に至る道が通行止めになり以来ダム下公園に立入ることはできません。 
ダム下流の樹間から遠望。
クレストラジアルゲート4門、コンジット高圧ラジアルゲート5門、手前には東北電力大川発電所が見えます。
(2016年4月24日) 

 
右岸にダム管理所があり、大川ダム資料館が併設されています。
(2016年4月24日) 

 
右岸の記念碑。
(2016年4月24日) 


右岸、フィルダム部下の植栽。
(2016年4月24日) 

 
右岸からダム下流面
重力式コンクリート部は右岸側が屈曲、『カド』のあるダムです。
直角に曲がる減勢工が特徴的。
ダム下に下りる遊歩道がありますが、こちらも立入り禁止。
(2016年4月24日) 

 
カドをズームアップ。
(2016年4月24日) 

 
右岸から上流面
手前がフィル部、奥が重力式コンクリート部になります。
フィルダムではおなじみ、万一の堤体越流に備え重力式コンクリート部の方が低くなっています。
(2024年4月26日)

 
天端からの右岸フィル部と管理事務所。
(2024年4月26日) 


予備ゲート運搬用のガントリークレーン
ガントリークレーンはトラッククレーンがまだ高価且つ希少だった昭和30年~40年代のダムで多く採用されました。
その点、トラッククレーンが安価になり、予備ゲートとしてコースターゲートが主流になった昭和末期の大川ダムのガントリーは異質と言えます。
(2016年4月24日)
 
ダム湖は会津若松市と下郷町から一字ずつ取った『若郷湖』
総貯水容量は5750万立米。
(2024年4月26日)

 
左岸の電源開発(株)下郷発電所
大内ダムとの間で最大100万キロワットの純揚水式発電を行います。
(2024年4月26日)

 
こちらは一般水力の東北電力(株)大川発電所
一つのダムで揚水発電と一般水力発電を行うケースは少なくありませんが、それぞれの発電事業者が異なるのは大川ダムのほかでは、栃木県の深山ダム、徳島県の長安口ダムだけ。
(2016年4月24日) 


右岸から見たガントリー。
(2024年4月26日)


上流面
左から予備ゲートとガントリークレーン、クレストラジアルゲート、選択取水設備という並び。
(2016年4月24日) 

 
重力式コンクリートとロックフィルの接続部。
(2016年4月24日) 

日本屈指の大河である阿賀野川は流域には多数の発電ダムが立ち並びますが、本流にある治水目的を持ったダムは大川ダムただ一つ。
その分、大川ダムにかかる責任と期待は大きくなります。
 
(追記)
大川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0523 大川ダム(0328)
左岸 福島県南会津郡下郷町小沼崎
右岸    会津若松市大戸町大川
阿賀野川水系阿賀川
FNAWIP
GF
75メートル
406.5メートル
57500千㎥/44500千㎥
国交省北陸地方整備局
1987年
◎治水協定が締結されたダム

栃沢ダム

2024-06-28 08:00:00 | 福島県
2016年5月29日 栃沢ダム
2024年4月26日
 
栃沢ダムは福島県大沼郡会津美里町氷玉の一級河川阿賀野川水系氷玉川にある農地防災・灌漑目的のアースフィルダムです。
会津宮川地区は会津盆地南西部の会津美里町から会津坂下町に至る宮川流域に位置し、江戸期より本格的な新田開発が進められ寒暖差の大きな気候を生かし良質な米の産地として知られてきました。
しかし主要水源であり地域を貫流する宮川(旧名鶴沼川)は洪水による出水が多く、抜本的な洪水対策が求められてきました。
これを受け福島県は1950年(昭和25年)より宮川本流及び主要支流である佐賀瀬川・氷玉川上流部に3基の農地防災ダムを建設する『鶴沼川沿岸防災ダム事業』に着手します。
そして1962年(昭和37年)の宮川ダム、1969年(昭和44年)の二岐ダムに次いで1970年(昭和45年)に完成したのが栃沢ダムです。
当ダムの完成により事業着手から19年の年月をかけた鶴沼川沿岸防災ダム事業が竣工に至りました。
2004年(平成16年)の新宮川ダムの完成により4ダムの一体運用を行うため4基のダムは福島県農林水産部が管理主体となり、受益組織である会津宮川土地改良区が操作を行っています。
栃沢ダムは農地防災及び灌漑を目的とし、5月17日~6月20日の灌漑期には有効貯水容量29万7000立米すべてが灌漑用水容量となり、約50ヘクタールの水田に灌漑用水を供給します。
一方6月21日~10月の洪水期は有効貯水容量すべてが洪水調節容量となり、最大毎秒13.4立米の洪水をカットします。

栃沢ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
再訪時は土地改良区職員様同行で普段立ち入りできないダム構内の取材見学が叶いました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

県道131号を大内宿方面に向けて南下すると前方に栃沢ダムが見えてきます。
(2016年5月29日)
 
ダムの下流にアプローチしますが立入り禁止のためここが限界
管理橋の奥に放流設備があるようです。
(2016年5月29日)

 
左岸の県道から見た下流面
宮川ダム・二岐ダム同様堤体はきれいに草が刈られています。
(2016年5月29日)

 
管理橋入口にゲートがあり普段は構内には入れません。
ゲート越しに撮った天端。
(2016年5月29日)

同じくゲート越しの上流面
奥に斜樋が見えます。 
(2016年5月29日)

 
上流面
初訪時は灌漑期真っ只中
6月20日からの洪水期に向けて徐々に水位を下げてゆきます。
(2016年5月29日) 
 
上流から見た横越流式洪水吐。
(2016年5月29日)

 
県道沿いの管理事務所
職員の常駐はありません。
(2016年5月29日)


ここからは2024年(令和6年)の見学取材の際に立入禁止エリアで撮った写真となります。
天端から洪水吐斜水路を見下ろす
1枚目、2枚目の写真は杉林のさらに下流から撮ったものです。
(2024年4月26日)


横越流式洪水吐
再訪時は灌漑期直前ということもありダム湖は満水、薄く越流しています。
(2024年4月26日)


洪水吐脇の竣工記念碑。
(2024年4月26日)


石碑の仕様は二岐ダムとほぼ同じで、ダムの諸元と事業関係者の名が刻されています。
(2024年4月26日)


こちらは水位計。
(2024年4月26日)

 
総貯水容量は37万6000立米と鶴沼川防災3ダムの中では最小
奥の山の向こう側には観光地でもある大内宿があります。
(2024年4月26日)

 
右岸の斜樋。
これは初訪時の写真
(2016年5月29日)

 
天端から下流を見下ろす。
(2024年4月26日)

 
右岸から上流面。
(2024年4月26日)

 
斜樋建屋内
ゲートは2門。
(2024年4月26日)

 
(付記)
今回はダムマイスターの取材という形で見学させていただきました。
宮川ダム二岐ダム、栃沢ダムについては一般のダム見学の対応は行われていません。
この点、くれぐれもご了承ください。 
 
0511 栃沢ダム(0427)
福島県大沼郡会津美里町氷玉
阿賀野川水系氷玉川
FA
23.7メートル
150メートル
376千㎥/297千㎥
福島県農林水産部
1970年

二岐ダム

2024-06-27 08:00:00 | 福島県
2016年5月29日 二岐ダム
2024年4月26日
 
二岐ダムは福島県大沼郡会津美里町佐賀瀬川の一級河川阿賀野川水系佐賀瀬川にある農地防災・灌漑目的のアースフィルダムです。
会津宮川地区は会津盆地南西部の会津美里町から会津坂下町に至る宮川流域に位置し、江戸期より本格的な新田開発が進められ寒暖差の大きな気候を生かし良質な米の産地として知られてきました。
しかし主要水源であり地域を貫流する宮川(旧名鶴沼川)は洪水による出水が多く、抜本的な洪水対策が求められてきました。
これを受け福島県は1950年(昭和25年)より宮川本流及び主要支流である佐賀瀬川・氷玉川上流部に3基の農地防災ダムを建設する『鶴沼川沿岸防災ダム事業』に着手します。
そして1962年(昭和37年)の宮川ダムについで1969年(昭和44年)に完成したのが二岐ダムです。
さらに翌1970年(昭和45年)の栃沢ダム完成により事業着手から19年の年月をかけた鶴沼川沿岸防災ダム事業が竣工に至りました。
2004年(平成16年)の新宮川ダムの完成により4ダムの一体運用を行うため4基のダムは福島県農林水産部が管理主体となり、受益組織である会津宮川土地改良区が操作を行っています。
二岐ダムは農地防災及び灌漑を目的とし、5月17日~6月20日の灌漑期には有効貯水容量82万7000立米すべてが灌漑用水容量となり196ヘクタールの水田に灌漑用水を供給します。
一方6月21日~10月の洪水期は有効貯水容量すべてが洪水調節容量となり、最大毎秒67.4立米の洪水をカットします。

二岐ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
再訪時は土地改良区職員様同行で普段立ち入りできないダム構内の取材見学が叶いました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
県道59号線を佐賀瀬川沿いに南下すると正面に二岐ダムが見えてきます。
堤高30メートル、堤頂長123メートル
左岸(向かって右手)に洪水吐を配し、再訪時は灌漑期直前ということもあり越流しています。
(2024年4月26日)

 
洪水吐斜水路をズームアップ
地山の傾斜に併せて途中で斜度が変わります。
減勢工には副ダムがあります。
(2024年4月26日)

 
県道の下流側
ちょっとわかりづらい写真ですが手前が洪水吐からの導流部、奥が斜樋からの放流口になります。
佐賀瀬川に放流された水は下流の佐賀瀬頭首工で取水されます。
(2024年4月26日)

 
右岸県道から見た下流面
手入れが行き届き、下流面はきれいに刈られています。
(2016年5月29日)

 
初訪時
天端入口には厳重なゲートがあり関係者以外立入りを禁じています。
(2016年5月29日)

 
再訪時
取材見学ということでゲートを開けていただきました。
(2024年4月26日)

 
上流面上段はコンクリートで護岸
初訪時は灌漑期半ばということもあり、水位がかなり下がっています。
(2016年5月29日)


右岸湖畔にある取水設備を兼ねた管理所
建屋の向こう側に斜樋があります。
残念ながら、今回こちらの見学はできませんでした。
(2024年4月26日)

 
ここから先は立入り禁止エリアでの写真となります。
天端から下流面。
(2024年4月26日)

 
左岸の横越流式洪水吐
斜面に沿って大きく湾曲しています。
(2024年4月26日)

 
総貯水容量は84万4000立米
(2024年4月26日)

 
至近から横越流式洪水吐
再訪時は灌漑期を控え満水
薄く越流しています。
(2024年4月26日)

 
洪水吐導流部
ここから2枚目写真の斜水路に続きます。
(2024年4月26日)

 
洪水吐脇の記念碑。
(2024年4月26日)

 
裏にはダムの諸元のほか、事業関係者の名前が刻されています。
(2024年4月26日)

こちらはダムの下流約2キロにある佐賀瀬頭首工
ゴム引布製起伏堰、いわゆるラバーダムとスライドゲートの組み合わせ
ここで取水された水は1182ヘクタールの農地の水源となります。
二岐ダムの灌漑容量はそのうちの一部にすぎず、水源はあくまでも佐賀瀬川となります。
(2016年5月29日)


ここから佐賀瀬幹線水路で受益農地に供給されます。
(2016年5月29日)


頭首工のプレート。
(2024年4月26日)


水利使用標識。
(2024年4月26日)


(付記)
今回はダムマイスターの取材という形で見学させていただきました。
宮川ダム、栃沢ダム、二岐ダムについては一般のダム見学の対応は行われていません。
この点、くれぐれもご了承ください。
 
0509 二岐ダム(0423)
福島県大沼郡会津美里町佐賀瀬川
阿賀野川水系佐賀瀬川
FA
30メートル
123メートル
844千㎥/827千㎥
福島県農林水産部
1969年
◎治水協定が締結されたダム

宮川ダム

2024-06-26 08:00:00 | 福島県
2016年5月29日 宮川ダム
2024年4月13日
     4月26日
 
宮川ダムは福島県大沼郡会津美里町宮川の一級河川阿賀野川水系宮川にある農地防災・灌漑目的の重力式コンクリート・フィルコンバインドダムです。
会津宮川地区は会津盆地南西部の会津美里町から会津坂下町に至る宮川流域に位置し、江戸期より本格的な新田開発が進められ寒暖差の大きな気候を生かし良質な米の産地として知られてきました。
しかし主要水源であり地域を貫流する宮川(旧名鶴沼川)は洪水による出水が多く、抜本的な洪水対策が求められてきました。
これを受け福島県は1950年(昭和25年)より宮川本流及び主要支流である佐賀瀬川・氷玉川上流部に3基の農地防災ダムを建設する『鶴沼川沿岸防災ダム事業』に着手します。
そして1962年(昭和37年)に3ダム中最初に竣工したのが宮川ダムです。
その後1969年(昭和44年)に二岐ダム、1970年(昭和45年)に栃沢ダムが完成、これにより事業着手から19年の年月をかけた鶴沼川沿岸防災ダム事業が竣工に至りました。
2004年(平成16年)の新宮川ダムの完成により4ダムの一体運用を行うため4基のダムは福島県農林水産部が管理主体となり、受益組織である会津宮川土地改良区が操作を行っています。
ダム建設にあたり左岸の堆砂機砂礫が深いことから、右岸は重力式コンクリート、左岸はコンクリート中央遮水壁型(コンクリートセンターコア型)アースフィルダムとするフィルコンバインドダムが採用されました。
宮川ダムは農地防災及び灌漑を目的とし、5月17日~6月20日の灌漑期には有効貯水容量148万9000立米すべてが灌漑用水容量となり550ヘクタールの水田に灌漑用水を供給します。
一方6月21日~10月の洪水期は有効貯水容量すべてが洪水調節容量となり、最大毎秒202立米の洪水をカットします。

宮川ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月13日に再訪しました。
さらに同26日には土地改良区職員様同行で普段立ち入りできないダム構内の取材見学が叶いました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
国道401号を宮川沿いに南下すると宮川にかかる胡桃橋で宮川ダムを真正面に見ることができます。
ここから見えるのは右岸の重力式コンクリート部。
完成当初はローラーゲート3門を装備していましたが、実際の運用でゲートを操作することがないためのちに自由越流頂に改修されました。
写真は再訪時のもので、灌漑期を控えてダム湖は満水。
上流の新宮川ダムの融雪放流に併せて当ダムもクレストから越流しています。
(2024年4月13日)

 
こちらは初訪時
すでに灌漑期に入っており水位が低下しクレストからの越流はありません。
減勢工右岸側(向かって左)の穴は仮排水路吐口です。
(2016年5月29日)

 
洪水吐をズームアップします。
当初ローラーゲートを装備していた名残でピアが残ります。
かつてはここにゲート巻き上げ機が設置されていました。
(2024年4月26日)

 
減勢工をズームアップ
上流側に大きな副ダムがありその直下にはバッフルブロックが並びます。
下流側の小さな副ダム左手の穴が斜樋からの放流口。
(2016年5月29日)
 
左岸から
手前がアースフィル、奥が重力式コンクリートのフィルコンバインドダムとなります。
(2024年4月13日)

 
左岸のフィルダム堤頂部
フィル部はコンクリート中央遮水壁型アースフィルダムです。
コンバインドのフィル部がコンクリートセンターコアアースというのは、全国でもここだけじゃないでしょうか?
(2024年4月26日)

 
左岸の管理事務所
職員の常駐はありません。
(2024年4月13日)


水利使用標識
灌漑容量が配分されるのは5月17日~6月20日の灌漑期のみ。
その後の洪水期は有効貯水容量すべてが洪水調節容量となるため、ダム湖は堆砂容量を除き空っぽになります。
(2024年4月13日)

 
上流面。
ここから見るとコンバインドダムだとよくわかります。
右奥は斜樋。
(2024年4月13日)

 
ここからは取材見学の際の関係者以外立入り禁止エリアでの写真となります。
この写真だけ見ると重力式コンクリートダムのようです。
(2024年4月26日)

 
重力式コンクリートとフィルの接続部
中央の穴は監査廊入口。
(2024年4月26日)

 
フィルダム下には石碑が2基
こちらは竣工記念碑。
(2024年4月26日)

 
隣にはダム建設に至る経緯や功労者が刻されていますが、こちらは摩耗が進み解読困難。
(2024年4月26日)

 
洪水吐上の管理橋から左岸の天端を俯瞰
重力式コンクリートダム部の天端は近年改修があり真っ白なコンクリート
フィルコンバインドダムでは常識ですが、万一の堤体越流に備えフィル部が一段高くなっています。
(2024年4月26日)


洪水吐の管理橋
かつてはここにゲート巻き上げ機が並んでいました。
鉄板部分は予備ゲート嵌め込み用の穴になります。
(2024年4月26日)

 
ダム湖は総貯水容量156万2000立米
ダム湖の彼方には新宮川ダムが遠望できます。
(2024年4月26日)

 
減勢工
上記のように手前には大きな副ダム、奥には小さな副ダムがあります。
(2024年4月26日)

 
右岸の斜樋
当初はゲートが3門でしたが、新宮川ダム完成によりゲート2門に改修されました。
(2024年4月26日)
 
 
斜樋建屋内
左が主ゲート、右手が副ゲート
2004年(平成16年)の新宮川ダム完成に合わせて置換されたゲートです。
(2024年4月26日)

 
1.4キロ上流の新宮川ダムから遠望。
(2024年4月26日)

(付記)
今回はダムマイスターの取材という形で見学させていただきました。
宮川ダム、栃沢ダム、二岐ダムについては一般のダム見学の対応は行われていません。
この点、くれぐれもご了承ください。
 
0504 宮川ダム(0425)
福島県大沼郡会津美里町宮川
阿賀野川水系宮川
FA
GF
42メートル
288メートル
1562千㎥/1489千㎥
福島県農林水産部
1962年
◎治水協定が締結されたダム

新宮川ダム

2024-06-13 08:00:00 | 福島県
2016年5月29日 新宮川ダム
2024年4月13日
     4月26日
 
新宮川ダムは福島県大沼郡会津美里町松坂の一級河川阿賀野川水系宮川にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
会津宮川地区は会津盆地南西部の会津美里町から会津坂下町に至る宮川流域に位置し、江戸期より本格的な新田開発が進められ寒暖差の大きな気候を生かし良質な米の産地として知られてきました。
しかし主要水源となる宮川は灌漑期の渇水が多くその他の小河川や溜池も水源としては不安定で、安定した水源確保や灌漑施設の整備は地域農家の悲願となっていました。
1980年(昭和55年)に農林水産省による国営会津宮川農業水利事業が着手され、灌漑排水設備の整備や圃場整備が進められました。
そしてその灌漑用水源として2004年(平成16年)に竣工したのが新宮川ダムで、事業全体も同年完了し、約4500ヘクタールに及ぶ当地区の農業水利事情は大きく改善しました。
また事業に併せて営農面でも改革が進み、特に直播水稲栽培の導入による生産の効率化は顕著で稲作のほか畜産・畑作・果樹栽培など大規模かつ多角的な農業経営が実現しています。
宮川流域には新宮川ダムのほか鶴沼川防災ダムと呼ばれる3基の農地防災ダムがあり、一体した運用を行うため4基のダムは福島県農林水産部が管理主体となり、受益組織である会津宮川土地改良区が操作を行っています。

新宮川ダム建設に際しては農林水産省のダム事業としては初めてRCD工法が採用されたほか、プレキャスト監査廊や利水放流を利用した小水力発電所の併設など新技術が積極的に導入され、その後の農業ダム建設に大きな影響を与えました。
一方、例年4月~5月の融雪期には18門のクレスト自由越流頂から融雪放流が行われ、その美しさ故に『東の白水堰堤』とも呼ばれ、ダム愛好家間では春の風物詩になっています。
新宮川ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月には融雪放流とダム見学会に合わせて2度、計3度訪問しています。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
2024年4月26日のダム見学会の詳細については『新宮川ダム ダム研見学会』の項をご覧ください。

2024年(令和6年)は記録的な少雪のため例年よりも早く貯留を開始し、融雪放流も前倒しとなりました。
訪問時の放流量は毎秒5立米程度、例年に比べれば水量は少なめですがほぼ全門で越流が見られました。
(2024年4月13日)

 
美しい転波列が示現。
(2024年4月13日)


こちらは初訪時。
すでに灌漑期に入り越流はありません。
堤高69メートル、堤頂長323メートルの堤体にクレスト自由越流頂が18門並びます。
農業用ダムでこれほどの数の自由越流頂が並ぶダムはほかにはありません。
(2016年5月29日)

 
ここから先は2024年(令和6年)の見学会の際の写真で、普段は立入り禁止箇所での写真となります。
左岸から
農業用ダムでは珍しい堤趾導流壁を装備。
(2024年4月26日)

 
天端は幅4メートル。
(2024年4月26日)


上流面
四角い建屋は表面取水設備で右奥は艇庫。
(2024年4月26日)

 
艇庫をズームアップ
巡視艇のほか、豪雪地帯ということで除雪機やスノーモービルも格納されています。
(2024年4月26日)


左岸ダムサイトの記念碑
ちょっと見づらい写真になりました。
(2024年4月26日)


隣には会津美里湖の石碑。
(2024年4月26日)

 
水利使用標識
会津宮川土地改良区管内4490ヘクタールの農地が受益地となります。
水稲向けが主となりメインの灌漑期は5月6日~9月10日ですが、畑地や果樹園地も受益対象のため、水利権は年間を通して配分されています。
(2024年4月26日)


監査廊を下りてダム下へ
豪雪地帯のため、積雪期用として堤趾導流壁に沿ってシェルターつき通路が設けられています。
(2024年4月26日)

 
向かって左手が小水力発電所で最大出力は1100キロワット。
管理は会津美里土地改良区が行い施設管理用電力として利用され、余剰電力は東北電力に売電します。
右手は放流設備。
(2024年4月26日)

小水力発電所の水利使用標識
最大取水量は2.6立米/秒、最大出力は1100キロワットですが、平時は1.8立米/秒を取水し約600キロワットの発電を行います。
(2024年4月26日)


ダム直下から
残念ながら見学会の際の放流はわずか。
間近で美しい転波列を見たかった!
(2024年4月26日)


右岸から
堤頂長が323メートルに及ぶため、超広角じゃないとフレームに収まりません。
(2024年4月26日)


上流面
5月10日からの本格的な灌漑放流に備え満水。

 
天端から減勢工を見下ろす
減勢工には副ダム、左手は小水力発電所と放流設備
放流された水は下流の頭首工で取水され幹線水路を通じて受益農地に送られます。
(2024年4月26日)


天端から1.4キロ下流の宮川ダムを遠望
1962年(昭和37年)竣工の農地防災ダムです。
(2024年4月26日)

 
こちらは宮川ダムから見た新宮川ダム。
(2024年4月26日)


ダム湖は会津美里湖で総貯水容量1032万立米と本州の農業用ダムとしては屈指のスケールを誇ります。
(2024年4月26日)

新宮川ダムの構内は関係者以外立入り禁止となっており、一般にはダム下左岸側とダム湖上流から遠望するのみです。
しかし平日限定・事前予約で職員様同行による見学が可能です。
詳細は下記リンクをご覧ください。
 
(追記)
新宮川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0531 新宮川ダム(0426)
福島県大沼郡会津美里町松坂
阿賀野川水系宮川
69メートル
323メートル
10320千㎥/9300千㎥
福島県農林水産部
2004年
◎治水協定が締結されたダム

千五沢ダム(再)

2024-05-23 08:00:00 | 福島県
2015年12月18日 千五沢ダム(元)
2023年12月31日 千五沢ダム(再)
2024年 1月 1日
      4月15日
 
千五沢ダム(再)は福島県石川郡石川町母畑の一級河川阿武隈川水系社川左支流北須川にある福島県土木部が管理する多目的のアースフィルダムです。
農林省(現農水省)による国営母畑開拓建設事業の灌漑用水源として1975年(昭和50年)に千五沢ダム(元)が竣工、管理は石川町が受託し3市1町2村への灌漑用水の供給が開始されました。
しかし当初計画4000ヘクタールの受益農地は事業竣工時には約半分の2000ヘクタールに減少しダムに540万立米もの空き容量が生じたことで、1995年(平成7年)より洪水期に限り農地防災容量が配分されました。
一方、北須川左支流今出川で計画されていた多目的ダム建設事業が利水需要の減少等で頓挫したことで、2009年(平成21年)に千五沢ダムの多目的ダム化を軸とした『千五沢ダム再開発事業』が採択され、国土交通省の補助を受けた福島県土木部による再開発事業が着手されました。

具体的には、従来のラジアルゲートを放流量の大きなラビリンス洪水吐に置換することで、最大90立米/秒のカット量を同130立米/秒に増大させ、下流の基準点で最大140立米/秒の洪水調節を図ります。
また従来の水位低下放流設備に加え新たにジェットフローゲート1条が増設されます。
再開発事業は2023年(令和5年)に完了し同年12月31日に試験湛水がサーチャージに到達しました。
2024年(令和6年)よりダムの管理は正式に福島県土木部に移管され、従来農水省所管だった農業ダムが県土木部所管の補助多目的ダムに生まれ変わるという非常に珍しい再開発となりました。
試験湛水の詳細については千五沢ダム(再)試験湛水の項をご覧ください。

千五沢ダムには再開発事業着手翌年の2015年(平成27年)12月、試験湛水実施中の2023年(令和5年)12月14日、サーチャージ到達直後の同年12月31日から2024年(令和6年)1月1日にかけて、さらに天端やダム下が開放されたたのを受け同年4月の4度訪問しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
下流から
アースフィルダムとラジアルゲートという珍しい組み合わせ
初訪時は再開発事業着工からわずか1年ということで下流からの眺めに大きな変化は見られません。
(2015年12月18日)

 
ラジアルゲートをズームアップ
中央ゲートにはフラッシュボードがあります。
(2015年12月18日)

 
こちらは試験湛水終了直後の写真
ラジアルゲートは撤去され自由越流式のラビリンス洪水吐に置換。
さらに放流設備としてジェットフローゲートが新設されました。
試験湛水が完了し、水位を落とすためジェットフローゲートからの放流が始まっています。
(2024年1月1日)

 
4月の訪問時はちょうど桜が満開
やはりジェットフローゲートからの放流が行われ、導流部には転波列が見られます。
(2024年4月15日)


ズームアップ。
(2024年4月15日)


新たに開放されたダム下へ。
フィル部分は既設のままで、基部は石積みの擁壁。
(2024年4月15日)


真っ白いコンクリートが青空に映えます。
減勢工右岸側(向かって左側)の穴は仮排水路吐口で、再開発以前は不特定利水向け放流はここから行われていました。
(2024年4月15日)


今回も美しい転波列が見られます。
(2024年4月15日)


初訪時
右岸展望所から。
(2015年12月18日)

 
同じく初訪時
ゲート右岸が掘削中。
今となっては貴重な写真です。
(2015年12月18日)

 
サーチャージ到達時。
掘削箇所には新たに水位低下放流設備が新設されました。
(2023年12月31日)

 
ラビリンス洪水吐は4門
手前3門には常用洪水吐となる自然調節式オリフィスがあります。
訪問時は試験湛水のためこのオリフィスにゲートが嵌め込まれています。
一方一番右手のラビリンスのみオリフィスはダミー。
当面は暫定計画として治水安全度1/20年で運用されますが、将来的計画として下流の河川改修などにより治水安全度1/70年が実現できた暁にはこのゲートも開放される予定。
(2023年12月31日)

 
ズームアップ
写真ではわかりづらいですが薄く越流しています。
穏やかな水面とラビリンス洪水吐との断絶感が何とも言えません。
(2023年12月31日)

 
こちらは灌漑用取水塔
初訪時は水位が低く、ほぼ全容が望めます。
(2015年12月18日)


国営母畑開拓建設事業の説明版。
(2023年12月31日)

 
千五沢ダム(元)の竣工記念碑。
(2023年12月31日)

桜とともに。
(2024年4月15日)


水利使用標識
灌漑用水のほか、石川町向け上水道用水の水利権も設定されています。
ダムの目的に『上水道用水』はないので、既得水利権として不特定利水容量に含まれると思われます。
(2024年4月15日)


洪水吐を見下ろす
ジェットフローゲートからの放流がよく見えます。
(2024年4月15日)


4門並ぶラビリンス洪水吐
4月訪問時はオリフィスゲートから越流中
サーチャージの際にこのアングルで見たかったなあ!
(2024年4月15日)


ズームアップ
奥の穴がオリフィスゲート、つまり常用洪水吐となります。
(2024年4月15日)


きれいに整備されたダム下の公園。
(2024年4月15日)


天端
徒歩のみ開放。
(2024年4月15日)


上流面
こちらは再開発以前と変わらず、ロック材で護岸。
(2024年4月15日)


ラビリンス洪水吐をズームアップ。
このアングルから見ても独特の形状。
(2024年4月15日)


事業説明板
(2024年4月15日)

4月の訪問で初めてダム下や天端に足を踏み入れました。
ラビリンス洪水吐は見た目にも稀有な構造物ですし、ダム下の公園は美しく整備され、湖岸にも公園スペースが設けられました。
今後はダム愛好家のみならず、一般の観光客などにも認知度が広まることを期待します。
 
3284  千五沢ダム(再)(0119)
福島県石川郡石川町母畑
阿武隈水系北須川
FNA
43メートル
176.5メートル
13000㎥/10800㎥
福島県土木部
2023年
---------------
0515  千五沢ダム(元)(0119) 
福島県石川郡石川町母畑
阿武隈水系北須川
FA
43メートル
176.5メートル
13000㎥/11600㎥
石川町
1975年
◎治水協定が締結されたダム

こまちダム

2024-05-21 08:00:00 | 福島県
2015年12月19日 こまちダム
2024年 4月15日
 
こまちダムは福島県田村郡小野町菖蒲谷の二級河川夏井川水系黒森川にある福島県土木部が管理する重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けた補助多目的ダムとして2006年(平成18年)に竣工しました。
洪水時最大40立米/秒の洪水をカットして黒森川下流基準地点で40立米/秒の洪水調節を行うほか、安定した河川流量の維持と流域農地への不特定灌漑用水(既得灌漑用水)の補給、小野町への上水道用水を目的としています。 
『こまち』というダム名は、小野町が小野小町の生誕地という伝承に由来しています。
こまちダムには2015年(平成27年)12月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。

小野町中心部から県道42号線を西進するとこまちダムに到着します。
越流高の異なる自由越流式洪水吐が3門並びます。
EL481の右岸(向かって左)2門が非常用洪水吐、EL479の左岸1門が常用洪水吐になります。


左岸ダムサイトが公園になっているほか、湖岸各所に公園が整備されています。
写真はダムサイトの公園。


左岸から
堤高37メートル、堤頂長150メートルの横長堤体で洪水吐は堤体右岸寄りにあります。

貯水池は『こまち湖』。


上流面


天端は徒歩のみ開放
堤体中央部上流側がバルコニーになっています。


左岸管理事務所
管理事務所部分は埋め立てられたようで、湖岸はロック材で護岸されています。


天端から減勢工を見下ろす
自由越流式洪水吐が横並びのため、減勢工は左右非対称
手前左手は放流設備、左奥は浄水場、左手最奥の円形施設は配水池。


放流設備をズームアップ
水位低下放流及び河川維持放流・不特定灌漑用水向け放流を行います。


手前が浄水場、奥が配水池
浄水場へは取水設備から直接送水されます。


貯水池の『こまち湖』は総貯水容量77万2000立米。
湖岸各所に公園が設けられています。


右岸から下流面。


右岸上流から
右から非常用洪水吐が2門、左に常用洪水吐1門、選択取水設備、水位計が並びます。


左岸湖岸にある巡視艇用の浮桟橋。


訪問時、福島周辺はどこも桜が満開でしたが、こまちダム湖岸公園はこぶしの花が満期。


(追記)  
こまちダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。 

3232 こまちダム(0124) 
福島県田村郡小野町菖蒲谷堂田
夏井川水系黒森川
FNW
37メートル
150メートル
772㎥/652㎥
福島県土木部
2006年
◎治水協定が締結されたダム 

山ノ入ダム

2024-05-18 08:00:00 | 福島県
2016年4月10日 山ノ入ダム
2024年4月15日
 
山ノ入ダムは福島県二本松市渋川の阿武隈川水系山の入川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
阿武隈川左岸の旧安達町一帯は地域内を流れる中小河川を灌漑用水源としていましたが、渇水が多くその都度激しい水争いが勃発し安定した水源確保は地域農民の悲願となっていました。
1984年(昭和59年)に県営かんがい排水事業安達地区の灌漑用水源として山ノ入ダムが着工され、2004年(平成16年)に竣工しました。
併せて灌漑施設等の整備が進められ役550ヘクタールの農地への安定した用水供給が可能となりました。
ダムの管理は当初は安達町が、その後の市町村合併により現在は二本松市が受託しています。

山ノ入ダムはゾーン型アースフィルの主堤と均一型アースフィルの副堤で構成されますが、副堤は堤高14メートルのためダム便覧への掲載はありません。
またダム便覧では山ノ入ダムの集水はすべて直接流域と記されていますがこれは誤りで、豊水期にもともと水利権を有していた油井川の水をダムに導水貯留し、灌漑期に左右2系統の幹線水路で灌漑用水を供給します。
さらにダム便覧では『山の入ダム』と記載されていますが、『山ノ入ダム』が正しく、当ブログでもこちらを採用します。

山ノ入ダムには2016年(平成28年)4月に初訪、2024年4月に再訪しました。掲載写真はすべて再訪時のものです。
あだち湖と命名されたダム湖は湖岸の遊歩道が整備されるとともに、ソメイヨシノが各所に植えられ周辺有数の桜の名所となっています。
再訪時はそんな桜の真っ盛りに訪問することができました。
 
ダム下から
左岸を総延長275.7メートルの長大な洪水吐が流下します。
ダム直下へ通じる管理道路は立入り禁止。

 
洪水吐中段の放流設備
灌漑用水の大半は専用幹線水路を通じて受益農地に供給され、ここでは河川維持放流や水位低下放流が行われます。

 
堤高29.5メートル、堤頂長196メートルの主堤体
市が管理を受託するだけあり、下流面のほか周辺各所もきれいに草が刈られています。

 
天端は舗装されていますが車両は進入禁止。
徒歩のみ開放。

 
洪水吐導流部
目の前に見えるのは洪水吐の一端で、全長275.7メートルに及び導流部は右奥の道路まで続きます。

 
左岸の横越流式洪水吐。

 
事業着手がバブル直前だったこともあり管理事務所はモダンなデザイン
ただし、職員の常駐はありません。
右手は竣工記念碑。

 
管理事務所周辺には各種案内板等が立ち並びます。
こちらはダムの概要版。

 
かんがい排水事業の説明板。
絵が分かりやすい。


水利使用標識。

 
右岸の副堤を遠望。


天端から
左手は放流設備
1枚目、2枚目写真は洪水吐の一番先端から撮りました。

 
あだち湖と命名された貯水池は総貯水容量126万6000立米
集水はすべて油井川からの導水に依り間接流域となります。
湖岸の桜は満開、さらにダム湖越しに安達太良連邦が一望できる大絶景。
訪問したのが平日ということもあり、こんな絶景をほぼ貸し切り状態で堪能できました。

 
右岸から下流面。

 
上流面はロック材で護岸。
対岸には洪水吐と管理事務所。

 
管理事務所をズームアップ
事務所わきには斜樋があり取水設備機械室も兼ねています。

 
こちらは副堤の下流面
堤高は14メートルですが、堤頂長は160メートルあります。

 
副堤上流面はコンクリートで護岸。


初回訪問時も桜は見ごろでしたがあいにくの曇天。
そこで2度目の訪問は満開の桜に視界良好な晴天を選びました。
しかし、現地で広がる眺めは予想以上の大絶景。
当初の計画では山ノ入ダムの見学は1時間半程度でしたが、結局3時間以上居座ってしまいました。
その後の予定が大きく狂ったのは言うまでもありません。

(追記)
山ノ入ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0538 山ノ入ダム(0310)
福島県二本松市渋川
阿武隈川水系山ノ入川
29.5メートル
196メートル
1266千㎥/1259千㎥
二本松市
2004年
◎治水協定が締結されたダム

本名ダム

2024-05-17 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 本名ダム
2017年6月25日
2024年4月14日
 
本名ダムは福島県大沼郡金山町本名の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の発電用重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、上田ダムとともに1954年(昭和29年)に完成したのが本名ダムです。
ダムの完成により本名発電所で最大5万キロワット(のちに7万8000キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に本名ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
本名ダムには2016年(平成28年)5月、2017年(平成29年)6月、2024年(令和6年)4月と3度訪問しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

只見川流域では2011年(平成23年)7月の新潟・福島豪雨により甚大な被害が発生、本名ダム直下にあったJR只見線の第六只見川橋梁が落橋しました。
こちらは初訪時のダム下流からの写真
ダム直下では只見川の護岸かさ上げ工事が行われていました。
(2016年5月28日)

 
一年後の写真です。
護岸工事のクレーンが消えすっきりとダムが見えます。
この翌年から只見線の復旧工事が着手されたため、下流から障害物なく本名ダムを一望できる貴重な一枚となりました。
(2017年6月25日)
 
そして2022年(令和4年)に只見線が全線復旧
ダム下には新しい橋梁が架橋されました。
本名ダムは右岸に洪水吐ローラーゲート4門、左岸に本名発電所という配置。
ゲート数は異なりますが、トラス剥き出しのピアやグリーンのゲートなど同時に建設された上田ダムとうり二つの構造です。
(2024年4月14日)

 
洪水吐ゲートは上田ダムより1門少ない4門
また上田ダムのゲートが2段ゲートなのに対しこちらは1枚ゲート
一方、鉄骨トラス剥き出しのピアや被覆された管理橋は上田ダムと共通。
(2017年6月25日)
 
3度目の訪問時は融雪期ということもあり2番ゲートから放流中
只見線の車両と一緒に撮影したかったのですが、逆光に加え列車が来るまで1時間以上あったため断念。
(2024年4月14日)

 
左岸から
手前の建屋が本名発電所で当初は最大出力5万キロワット、のちに7万8000キロワットに増強されました。
(2024年4月14日)

 
洪水吐ゲート、発電用取水ゲートすべてのピアが鉄骨トラス。
ここまでトラスで統一されると壮観。
(2024年4月14日)

 
天端親柱には『本名𣘺』の銘板と『昭和廿九年六月竣工』のプレート。
(2024年4月14日)

天端は1963年(昭和38年)に国道252号線に指定され、以来会津若松と只見、さらには魚沼を結ぶ基幹道路となってきました。
しかし2022年(令和4年)に本名バイパスの完成により国道指定が取り消されました。
2023年4月訪問時は天端は工事のため立入り禁止。
(2016年5月28日)

 
ダムサイトの選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)

 
手前に発電用取水ゲート、奥が洪水吐ゲート
配置は上田ダムと酷似していますが、ゲート数が異なり取水ゲートのスクリーンの形状も異なります。
(2024年4月14日)


取水ゲートをズームアップ
ゲートは間隔をあけて3門、さらに各ゲートごとに六角形のスクリーンが設置されこれは本名ダム独特。
(2024年4月14日)

 
こちらは洪水吐ゲート
東北電力只見川4ダム共通の予備ゲート運搬用クレーンが設置。
(2024年4月14日)

対岸(右岸)にある予備ゲート
右岸のシェッドはもともと国道252号線が通っていましたが、バイパスの完成以降通行禁止。
(2024年4月14日)
浮桟橋に係留された作業船と巡視艇
作業船は東北電力只見川5ダムすべて同型。
(2024年4月14日)
 
そして左岸上流側湖岸にはおなじみ白洲の石碑。
碑文は
『  本名発電所の 竣功に際して
遠隔の地で幾多の 不便を忍び建設 運営に邁進しつつ
ある東北電力社員の 家族に対して心からの 感謝を捧げる
                       白洲次郎』
(2024年4月14日)
 

取水ゲートをズームアップ。
(2016年5月28日)


右岸から下流面。
(2016年5月28日)

 
(追記)
本名ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0488 本名ダム(0408)
福島県大沼郡金山町本名
阿賀野川水系只見川
51.5メートル
200メートル
25769千㎥/13472千㎥
東北電力(株)
1954年
◎治水協定が締結されたダム

上田ダム

2024-05-16 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 上田ダム
2024年4月14日
 
上田(うわだ)ダムは左岸が福島県大沼郡金山町中川、右岸が同町水沼の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、本名ダムとともに1954年(昭和29年)に完成したのが上田ダムです。
ダムの完成により上田発電所で最大4万2600キロワット(のちに6万3900キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に上田ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
上田ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

上田ダムは国道252号線が走る右岸側からのアプローチとなり、天端は車両通行可能です。
まずは左岸に渡りダム下流から。
右岸側に洪水吐ローラーゲート5門、左岸側に上田発電所という配置。
(2016年5月28日)

 
先行して完成した片門ダム柳津ダムと異なりゲートピアは鉄骨トラス剥き出し。
ローラーゲートはいずれも2段ゲートになっています。
(2016年5月28日)

 
上田発電所
完成当初は出力4万2600キロワットでしたが、のちに6万3900キロワットに増強されました。
(2016年5月28日)

 
発電所の放流口。
(2024年4月14日)

 
左岸上流側にあるコンクリートの遺構
クレーンの台座?
奥にはグリーンの作業船。
(2024年4月14日)

 
左岸上流から上流面
手前に発電用取水ゲート6門、奥に洪水吐ゲート5門
本名ダムと同様ピアは鉄骨トラス剥き出し。
豪雪地帯ということで被覆されています。
(2024年4月14日)

 
取水ゲートとピア。
(2024年4月14日)

 
天端からの下流の眺め
2011年(平成23年)新潟・福島豪雨の際には右手の集落があわや流出という水量だったそうです。
(2024年4月14日)

 
取水ゲート上流側の除塵機
右奥は分割式予備ゲート。
(2016年5月28日)


右岸から下流面
ゲート数は異なりますが、左岸に洪水吐ゲート、右岸にダム式発電所という配置は同時に建設された本名ダムと瓜二つ。
減勢工には四角いバッフルブロックが並び、左岸側(向かって右手)の1番ゲートだけ導流壁で仕切られています。
(2016年5月28日)

 
天端は車両通行ができますが、道路は対岸で途切れます。
たぶん山への入会権への配慮から開放されていると思われます。
手前の青いトラスは分割式予備ゲート運搬用のクレーン。
(2024年4月14日)

 
右岸にはおなじみ白洲の石碑と上田発電所の説明板。
碑文は
『建設に盡力したみなさん これは諸君の熱と力の 永遠の記念碑だ
             上田発電所竣功に際して   白洲次郎』
(2024年4月14日)

 
上流面
手前から予備ゲート運搬用クレーン、洪水吐ゲート、発電用取水ゲートという並び。
(2024年4月14日)

 
発電用取水ゲート上流側の除塵機。
(2024年4月14日)

 
選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)

 
上流から遠望
(2024年4月14日)

 
(追記)
上田ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0487 上田ダム(0409)
左岸 福島県大沼郡金山町中川
右岸        同町水沼 
阿賀野川水系只見川
34メートル
283.7メートル
20500千㎥/4426千㎥
東北電力(株)
1954年
◎治水協定が締結されたダム

宮下ダム

2024-05-14 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 宮下ダム
2024年4月14日
 
宮下ダムは左岸が福島県大沼郡三島町名入、右岸が同町宮下の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正期に猪苗代湖から流下する日橋川で猪苗代水力(のちに東京電燈)が電源開発に着手、一方阿賀野川本流では昭和初期より東信電気による電源開発が開始されました。
一連の発電施設は配電統制令により日本発送電が接収しますが、同社も阿賀野川水系での電源開発の手を緩めることはなく、1941年(昭和16年)に支流の只見川で着工されたのが宮下ダムです。
宮下ダム及び発電所は終戦後の1946年(昭和21年)に完成し当初は3万2100キロワット(のちに9万4000キロワットに増強)のダム水路式発電が開始されました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電は分割され新たに9電力会社が誕生します。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川での新規電源開発に着手します。
宮下ダムにおいては新たに当ダムを下部調整池、自然湖である沼沢湖を上部調整池とする揚水式発電所である沼沢沼発電所(最大出力4万3700キロワット)が新設されました。
当発電所は日本最初の純揚水式発電所とされています。
さらに1982年(昭和57年)には沼沢沼発電所を再開発し、新たに第2沼沢発電所が建設され最大出力は10倍以上の47万キロワットに増強されました。

宮下ダム・発電所を含む東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され2023年(令和5年)に『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。

宮下ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。

宮下ダムは国道252号沿いにあり、下流の高清水橋から遠望できます。
右岸下流(向かって左手前)にあるのが宮下発電所です。


宮下発電所の脇から川沿いの山道を300メートルほど進むと至近からダムと正対できます。
東北電力只見川5ダムのうち宮下ダムは唯一日本発送電によって建設されたこともあり、その形状は他の4ダムとは大いに異なります。
まず発電方式は他の4発電所がダム式発電なのに対し、宮下ダムはダム水路式、さらに洪水吐ゲートも他の4ダムがローラーゲートなのに対し、宮下ダムはラジアルゲートとなっています。
ダムの全体的なデザインは鹿瀬ダムをプロトタイプとする東信電気の系譜です。


14門並ぶゲートのうち4番ゲート(向かって右から4番目)だけが他と異なりローラーゲートになっています。
実はダム建設期は只見線はダム直下の会津宮下までしか開通しておらず、只見川上流の木材運搬は舟運に依りました。
4号ゲートは舟筏路でこのゲートから木材を流下させるため減勢工も水叩きが切れ擂鉢状になっているのです。
しかし、ダム完成の翌年に只見線が全通し、この舟筏路が使われたのはわずか1年の間だけでした。


一方一番右岸側(向かって左)14番ゲートは塵芥ゲートになっており、かつては貯水池内のごみや流木をここから流下させました。
現在は河川法の改正でダムが捕捉したごみや流木の放流は禁止されています。


右岸から
被覆されたピアと扶壁前面に架かる歩廊の組み合わせも鹿瀬ダム以来の東信電気の特徴。


宮下ダム一番の特徴は減勢部。
先に建設された下流の山郷ダム新郷ダムでは減勢部にはコンクリートの叩きが設けられていますが、宮下では右岸側の叩きにはジャンプ台が設けられれいます。
さらに舟筏路のある左岸側には1940年ごろより普及し始めたすり鉢状の減勢工が採用されています。


右岸ダムサイトの選奨土木遺産のプレート。


水利使用標識
こちらは宮下発電所の水利使用標識。


上流面
一番右手の小さなゲートが14番の塵芥ゲート。


浮桟橋と作業船
先端にミニシャベルのついた作業船は他の4ダムと同型。


そばを走る只見線越しに宮下ダムへの二つの取水ゲートがあります。


今度は左岸の国道252号線へ移動
国道からの宮下発電所
当初は出力3万2100キロワットでしたが、のちに3倍近い9万4000キロワットに増強されました。
2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨で甚大な被害を被りました。


国道252号線から俯瞰。


さらに上流から。


ここから見ると取水口のスクリーンや取水ゲートの配置がよくわかります。


湖岸には巡視艇が格納されていました。

(追記)
宮下ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たな洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0481 宮下ダム(0414)
左岸 福島県大沼郡三島町名入
右岸        同町宮下
阿賀野川水系只見川
53メートル
168.5メートル
20500千㎥/4056千㎥
東北電力(株)
1946年
◎治水協定が締結されたダム

柳津ダム

2024-05-13 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 柳津ダム
2024年4月14日
 
柳津ダムは左岸が福島県河沼郡柳津町飯谷、右岸が同町柳津の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、片門ダムとともに1953年(昭和28年)に完成したのが柳津ダムです。
ダムの完成により柳津発電所で最大5万キロワット(のちに7万5000キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に柳津ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
柳津ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

下流高台の野老沢集会所から。
(2016年5月28日)

 
ダム左岸下流から
発電所はダムの左岸側にあり、同時に建設された片門ダムとは左右対称ですが、ゲート数やピアの形状などは瓜二つ。
(2024年4月14日)  


再訪時は融雪期で水量が多く3番ゲートから放流中。
(2024年4月14日)  

 
右岸高台から
ダムの手前に分割式予備ゲートが置かれ、ダムの右岸には予備ゲート運搬用のクレーンが設置されています。
(2016年5月28日)


右岸から下流面
対岸が柳津発電所。
(2024年4月14日)  

 
減勢工には鋸歯上のブロックが並びます。
(2016年5月28日)

 
右岸には白洲の石碑が建ちます。
碑文には片門ダムと同じく
『この発電所の完成は 地元の人々の理解ある 協力と東北電力従業員
不抜の努力なくしては 不可能であった その感激と感謝の 記録にこれを書く
                                白洲次郎』
と刻されています。
(2024年4月14日)  

 
同じく右岸に建つ選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)  

 
天端は地元の生活道路として開放され、6トン車まで通行可能。
片門ダムの天端は軽車両のみ通行可でしたが、こちらは普通自動車や小型トラックも通れます。
(2016年5月28日)

 
水利使用標識。
(2024年4月14日)  
 
天端から下流を見ると
ちょうど川が蛇行する手前にダム・発電所が建設され、放流水は正面の断崖にぶつかる形となります。
1枚目の写真は左奥の杉林の切れ目から撮りました。
(2024年4月14日)  


総貯水容量2430万9000立米、有効貯水容量は586万4000立米
かなり堆砂が進んでいますが、発電ダムの性格上取水できれば堆砂は問題ないという考え方なんでしょう。
(2024年4月14日)  


浮桟橋の係留された作業船
東北電力只見川5ダムはすべて同型の作業船です。
(2024年4月14日)  

 
左岸から下流面
手前が発電所と取水ゲート、奥が洪水吐ゲート
片門ダムと同じくコンクリート製ピアに鉄骨トラスが内包されています。
(2024年4月14日)  


左岸にあるコンクリートの遺構
バッチャープラント跡か?
(2024年4月14日)  

 
上流から
洪水吐ゲート5門、取水ゲート6門は片門ダムと全く同じ。
(2016年5月28日)

 
(追記)
柳津ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0486 柳津ダム(0415)
左岸 福島県河沼郡柳津町飯谷
右岸        同町柳津
阿賀野川水系只見川
34メートル
216.7メートル
24309千㎥/5864千㎥
東北電力(株)
1953年
◎治水協定が締結されたダム

片門ダム

2024-05-10 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 片門ダム
2024年4月14日
 
片門ダムは左岸が福島県河沼郡会津坂下町片門、右岸が同町坂本の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、着工翌年の1953年(昭和28年)に柳津ダムとともに完成したのが片門ダムです。
ダムの完成により片門発電所で最大3万8000キロワット(のちに5万7000キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に片門ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
片門ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

まずはダムの下流へ
ダムの下流を磐越自動車道が跨ぎアーチ橋越しのダムの眺めはなかなかにフォトジェニック。
橋の橋脚の色は異なりますが、埼玉県の玉淀ダムとよく似た構図。
(2024年4月14日)  

洪水吐はローラーゲート5門。
(2024年4月14日)

右岸高台からダムを見下ろします。
右岸(手前側)に取水ゲートが6門、奥に洪水吐ゲートが5門
取水ゲートの下流側に片門発電所があります。
(2016年5月28日)

右岸の高台にある白洲次郎の石碑
この時期に建設された片門、柳津、上田、本名各ダムに白洲の碑が設置されています。
碑には
『この発電所の完成は 地元の人々の理解ある 協力と東北電力従業員
不抜の努力なくしては 不可能であった その感激と感謝の 記録にこれを書く
                                白洲次郎』
と記されています。
(2024年4月14日)


こちらは2023年(令和5年)土木学会選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)


ゲート上流側にはレール移動式の除塵設備。
(2024年4月14日)

 
取水ゲートは6門
奥の1A~2Bゲートは昭和28年(1953年)日立造船製
手前の3Aと3Bゲートは昭和44年(1969年)石川島播磨重工業製
完成当初の片門発電所は1号機、2号機体制で最大出力3万8000キロワットでしたが昭和44年に3号機が増設され最大出力は5万7000キロワットに増強されました。
これが取水ゲートの製造時期とメーカーが異なる理由です。
(2024年4月14日)

 
右の2Bゲートは日立造船
左の3Aは石川島播磨
16年の年月でゲートの形状も随分変わりました。
(2024年4月14日)

発電所に掲示された発電所横断面図。
(2016年5月28日)

水利使用標識。
(2024年4月14日)

 
減勢工に並ぶバッフルブロック
左岸側が窪んでおり通常はこちらのゲートを開放するんでしょう。
(2016年5月28日)

天端から
正面には磐越自動車道のアーチ橋
高速からだと眺めがよさそうですが、実は橋梁には高い塀があり視界を妨げられます。
(2024年4月14日)

 
貯水池は総貯水容量1617万2000立米
でも堆砂が進み有効貯水容量は449万7000立米。
基本、取水ができればいい発電ダムあるある。
(2024年4月14日)


天端は車両通行可能ですが、道幅が1.5メートルなので軽自動車か二輪じゃないと通れません。
頭上には予備ゲート運搬用のクレーン。
(2024年4月14日)

左岸ダムサイトのクレーン終点に積まれた予備ゲート
奥に繋留された作業船は只見川の東北電力共通。。
(2024年4月14日)


左岸から。
(2024年4月14日)

同時並行で建設された柳津ダムと同じく様コンクリート製のピアの中に鉄骨トラスが隠れています。
一方完成が1年遅れの上田ダム本名ダムはピアは鉄骨トラス製。
(2024年4月14日)


片門発電所を真横から
2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨の際にはあわや発電機水没の危機だったそうです。
(2016年5月28日)


(追記)
片門ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0485 片門ダム(0416)
左岸 福島県河沼郡会津坂下町片門
右岸          同町坂本
阿賀野川水系只見川
29メートル
194.8メートル
16172千㎥/4497千㎥
東北電力(株)
1953年
◎治水協定が締結されたダム

吉ヶ平ダム

2024-05-09 08:00:00 | 福島県
2017年5月28日 吉ヶ平ダム
2024年4月13日
 
吉ヶ平(よしがだいら)ダムは福島県会津若松市湊町共和の阿賀野川水系原川左支流大清沢川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
会津若松市湊町は猪苗代湖西側の南北に延びる谷筋に位置しますが、猪苗代湖との間は山で隔てられ揚水技術のない時代は水利に乏しく、安定した水源確保は地域農家の宿願となっていました。
1964年(昭和39年)に大清水沢川源流にある陣馬湖という自然湖をダム化し灌漑用水源とする県営かんがい排水事業が着手、現地竣工記念碑では1969年(昭和44年)、ダム便覧では1972年(昭和47年)に吉ヶ平ダムが竣工し約600ヘクタールの水田への灌漑設備が整備されました。
ダムの管理は会津若松市湊土地改良区が受託し、ここで貯留された水はダム直下の頭首工で取水され吉ヶ平用水路を経由して受益農地に供給されます。
吉ヶ平ダムには2017年(平成29年)に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。
 
国道294号線から県道374号線に入ると吉ヶ平ダムを示す標識が現れます。これに従って左折すると右岸ダムサイトに到着します。
ダムサイトに建つ立入り規制板。


天端はダートですが車両の通行ができます。
かつては上流に数軒の集落があったようですが今は廃村。
下流面はきれいに草が刈られ今も貴重な水源であることが伺えます。

 
上流面は石積み護岸。

 
総貯水容量は125万3000立米と本州の農業用アースフィルダムとしては結構なサイズ。
向かって左側、ダム湖右岸沿いに別荘が並んでいます。
バブル期に別荘地として開発されたようですがデベロッパーはすでに破綻。
私有地のため立入り制限となっていますが、居住者がいるのかどうかは不明。

 
右岸の斜樋。

 
右岸の竣工記
一見監査廊入り口のような形状。

 
記念碑をズームアップ
裏面には諸元等の記載がありますが字が薄れて読み取り困難。

 
左岸の円形越流式余水吐
いわゆる『パイ生地型』。

 
余水吐の擁壁にはめ込まれた定礎石
こんなところに鎮座するのはちょっと珍しいかも?


ダム下に降りてみます。
堤体は犬走を挟んで2段、基部は石積みの擁壁。
手前側にわずかに雪が残ります。
左手のコンクリート構造物はドレーン施設。

余水吐導流部
一応ジャンプ台。


減勢工からそのまま大清水沢川となります。


右岸ダム下の底樋門
まだ灌漑期ではなく河川維持放流分だけ放流中。


すぐ先に頭首工の吞口が見えます。
取水された水は吉ヶ平用水路を経て約600ヘクタールの水田に灌漑用水を供給します。


ダムに至る道路が吉ヶ平用水路と交差しています。
非灌漑期なので水は流れていません。


0512 吉ヶ平ダム(1013)
福島県会津若松市湊町共和
阿賀野川水系大清水沢川
22.5メートル
190メートル
1253千㎥/1222千㎥
会津若松市湊土地改良区
1969年竣工(現地記念碑)
1972年竣工(ダム便覧)

東山ダム

2024-05-08 08:00:00 | 福島県
2017年5月28日 東山ダム 
2024年4月13日
 
東山ダムは左岸が福島県会津若松市門田町黒岩、右岸が同市門田町湯川の一級河川阿賀野川水系湯川にある福島県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
東山温泉を抜け会津若松中心部を東西に横断する湯川は古来より出水が多く抜本的な治水対策が求められていました。
一方高度成長期以降の人口増加や生活様式の変化を受け、会津若松市の都市用水需要が急増し安定した水源確保が喫緊の課題となっていました。
これを受け、福島県は湯川総合開発事業を採択し1982年(昭和57年)に竣工したのが東山ダムです。
東山ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、湯川の洪水調節(最大毎秒315立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持、会津若松市への上水道用水の供給を目的とし併せて河川維持放流を利用した管理用小水力発電も行っています。
また着工ベースでは日本で初めて堤趾導流壁を採用したダムとされています。
東山ダムには2017年(平成29年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時が記載してあります。
 
会津若松中心部から東山温泉の標識に従って県道325号線を南下、東山温泉街を抜けてさらに進むと東山ダムに到着します。
東山温泉の先右手にダム下へ通じる管理道路入口があります。
ゲートがあり立ち入りは微妙でしたが、ダム管理所に確認したら徒歩での立入りは規制していないとのこと。
ということでまずはダム下へ
入り口から約600メートル、歩くこと10分ほどでダム下に到着。
堤高70メートル、堤頂長275メートル
堤体は左岸側が折れています。
堤趾導流壁を採用しクレストには16門の自由越流頂が並びます。
(2024年4月13日)

 
常用洪水吐であるオリフィスゲートは洪水期と非洪水期の2門
このほか放流設備としてジェットフローゲートを装備
また河川維持放流を利用した管理用発電所があり、平時は小水力発電所経由で放流されます。
(2024年4月13日)

 
非洪水期(10月11日~6月20日)はEL396.5メートルが常時満水位
洪水期(6月21日~10月10日)はEL393.2が洪水期制限水位となります。
訪問時は非洪水期のため上部のオリフィスから越流中。
(2024年4月13日)

 
管理用発電所の水利使用標識。
(2024年4月13日)

 
ダムに通じる管理道路沿いには会津若松市向け上水道用水の水路管があります。
(2024年4月13日)

 
右岸ダムサイトに上がります。
管理事務所はスペースがないせいか基礎をコンクリートで固めバットレスで支える構造。
(2017年5月18日)

 
上流から遠望
右手は多段式取水設備
左はオリフィスゲート
ゴミ除けのスクリーンでよく見えませんが、右手の洪水期用ゲートはスライドゲートで塞がれています、。
6月20日~10月10日までの洪水期にはこのゲートが開けられます。
(2024年4月13日)
 
 
管理所および天端への入口
ここから先は車両進入禁止。
(2024年4月13日)

上水道用水の水利使用標識
ダムで直接取水され導水管で浄水場に送られます。
(2024年4月13日)

 
管理事務所わきの竣工記念碑。
(2024年4月13日)

 
ダムの概要説明板。
(2024年4月13日)

 
下流面
着工ベースでは日本で最初に導流された堤趾導流壁
今どきのがっつりした堤趾導流壁と比べるとフーチングの幅や導流壁の厚さがかなり華奢。
(2017年5月18日)

 
天端は徒歩のみ開放。
(2024年4月13日)

 
天端からダム下を見下ろす
減勢工右手奥が管理用発電所、手前は放流設備となるジェットフローゲート
基本河川維持放流は発電所経由で行われます
左手には『東山ダム』の植栽
完成から40年以上経過していますが、手入れが行き届いているのか?東山ダムの文字がきれいな状態に保たれています。
(2024年4月13日)

 
ダム湖は総貯水容量1250万立米
『湯の入湖』と命名されています。
東山温泉から上流を『湯の入』と呼んだことに由来します。
(2017年5月18日)

 
左岸の艇庫とインクライン
残念ながら左岸側の道は落石の恐れがあるため全面通行止め。
(2017年5月18日)


左岸から
堤体が折れているのがよくわかります。
こちらから見ても堤趾導流壁とフーチングがか細い。
(2017年5月18日)

東山ダムのホームページではダムのパンフレットがアップされています。
詳しくはリンクをご覧ください。
 
(追記)
東山ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0520 東山ダム(1012)
左岸 福島県会津若松市門田町黒岩
右岸       同市門田町湯川
阿賀野川水系湯川
FNW
70メートル
275メートル
12500千㎥/11500千㎥
福島県土木部
1982年
◎治水協定が締結されたダム