ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

長谷ダム

2017-09-30 03:36:55 | 福岡県
2017年9月19日 長谷ダム
 
長谷(ながたに)ダムは福岡市東区香椎の多々良川水系猪野川右支流長谷川にある福岡市水道局が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
九州最大の大都市である福岡市は高度成長期終焉後も人口増加ペースは衰えず、バブル以降でも政令指定都市中トップの人口増加率を誇り、1970年代からの40年間で人口が5割増加しました。
一方で大河川がない上に中小河川の集水域が小さいという地理的条件もあり、福岡市の水道事情は慢性的な水不足が続き、安定した水源確保を求めるための拡張事業は19回にも及んでいます。
長谷ダムは1973年(昭和58年)に事業着手された第17回拡張事業(多々良川取水)の中核施設として1993年(平成5年)に竣工ししました。流域面積94.8平方キロのうち長谷川はわずか1.8平方キロにすぎず、その大半は多々良川取水場からの揚水によって賄われており、実質的には河道外貯留方式のダムとなっています。
長谷ダムで貯留された水は多々良浄水場を経て市内へと給水されています。
 
ダム建設に合わせてダム下公園として整備されたようですが、今は利用する人も少なく荒れ気味
ダム直下手前にフェンスがあるため引いた位置からの撮影となります。
堤高53.8メートル、堤頂長159メートルと上水専用ダムとしてはかなり大規模ですが、実質的に河道外貯留方式のため洪水吐は自由越流式クレストゲート3門のみです。
福岡市水道局の事業で建設されましたが、実際のダム建設に際してはノウハウ豊富な福岡県県土整備部に委託したそうです。
 
下流面。
 
H形鋼と石でできた天端親柱。
 
天端は市道が通っておりそこそこ交通量があります。
高覧にも等間隔でH形鋼が建てられており、親柱と言いH形鋼が目立ちます。
 
減勢工と利水放流施設兼ポンプ室。
二つの水槽は多々良浄水場への送水設備のようです。
 
ダム湖は『三日月湖(みかづきのうみ)』
有効貯水量485万立米のうち98%は多々良川から揚水しています。
 
上流面と管理事務所。
 
ダム湖の碑
『三日月湖』はダムの北に位置する三日月山にちなんで命名されました。
 
左岸にある河童のモニュメント
多々良川から揚水された水の水圧を利用して回転します。
 
多々良取水場からの導水路。
 
上流面。
 
ダム湖左岸の管理道路はハイキングコースとなっているほか、ダムは三日月山の登山口にもなっています。
休日にはダムサイト駐車場は登山者やハイカーの車でいっぱいになるようです。
 
追記
長谷ダムには洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2446 長谷ダム(1120)
福岡市東区香椎
多々良川水系長谷川
53.8メートル
159メートル
4920千㎥/4850千㎥
福岡市水道局
1993年
◎治水協定が締結されたダム

古賀ダム

2017-09-29 17:04:27 | 福岡県
2017年9月19日 古賀ダム
 
古賀ダムは福岡県古賀市谷山の大根川水系谷山川源流部にある灌漑用水及び上水道用水目的のロックフィルダムです。
従来当地には河内池という灌漑用溜池がありましたが、1971年(昭和46年)に着手された福岡県の農業水利事業に当時の古賀町が水道事業者として参加し1975年(昭和50年)に古賀ダムが竣工しました。
運用開始後は古賀市が受託管理し、灌漑用水及び上水道用水の供給を行っています。
 
県道534号線大塚交差点から市道を南東に折れると採石場入口に到着します。採石場手前を左折して橋を渡ると古賀ダムの堤体が見えてきます。
ロックフィルダムですが下流面は草が覆い見た目はアースダムのようです。
 
右岸の横越流式余水吐。
 
上流面ロック材で護岸
対岸にも砂の山。
 
竣工記念碑。
長崎や佐賀でよく見られる金箔仕様の竣工記念碑。
 
右岸の斜樋
水位が低いため土砂吐のバルブまで顔を出しています。
 
ダム下は採石場。
 
堤体下の設備
左手は底樋枡なので利水放流設備かと思います。
 
ダム湖
総貯水容量は92万立米ですが、水不足なのか?水を抜いたのかは定かではありませんがほぼ空っぽ状態。
 
水位低下のせいでダム湖に沈んでいた砂防堰堤が顔を出しています。
 
左岸から
天端は車両進入禁止
ダムの右岸の山向こうも採石のために削られています。
 
古賀ダムで検索すると『水と緑の空間が広がる』『清涼感溢れる』『自然豊かな』と言った飾り言葉が溢れていますが、実際にはダム周辺が採石場になっており、砂埃が舞い立ち重機の音が間断なく響きなんとも雑然とした状況です。
 
追記
古賀ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2428 古賀ダム(1119)
福岡県古賀市谷山
大根川水系谷山川
AW
34.5メートル
138.5メートル
985千㎥/920千㎥
古賀市
1975年
◎治水協定が締結されたダム

久末ダム

2017-09-29 15:47:37 | 福岡県
2017年9月19日 久末ダム
 
久末ダムは福岡県福津市久末の西郷川水系西郷川右支流(河川名未確認)にある上水道用水目的のアースフィルダムです。
1976年(昭和51年)に当時の宗像町・福間町・津屋崎町の3町は水道事業の広域連合である宗像水道企業団を設立、翌年より3基の上水用ダム建設に着手し、1980年(昭和55年)に久末ダムが、1983年(昭和58年)に吉田ダム多礼ダムが竣工しました。
久末ダムは西郷川にある西郷取水場から揚水した水を貯留し、東部浄水場を経て福津市の旧福間町地区に給水を行っていました。
その後、宗像地区水道企業団は一部事務組合である宗像地区事務組合に改組され、翌2008年(平成20年)からは北部福岡緊急連絡管からの受水が開始されます。
これに伴い上水道施設の統廃合が行われ東部浄水場の廃止に伴い久末ダムからの給水は停止されました。
同様に給水を停止した大井ダムは宗像市に移管され灌漑用ダムに目的変更されていますが、久末ダムについては現在も同組合管理下に置かれたままです。
有効貯水量67万立米の水を活用しない手はないかと思いますが、詳しい事情はよくわかりません。
 
久末ダム運用当時の宗像地区事務組合の上水道施設(宗像地区事務組合HPより)。 
 
現在の宗像地区事務組合の上水道施設(宗像地区事務組合HPより)
久末ダムと西郷川取水場、東部浄水場が消えています。
 
ダム周辺は『みずがめの郷』として公園化され、ダム湖を周回するウォーキング用の遊歩道や野球場などが整備されています。
県道531号に『みずがめの郷』を示す標識が現れ、これに従って左折すると公園の奥に久末ダムの見えてきます。
ダム下は公園で、遊具が並んでいます。
 
下流面。
 
左岸の余水吐導流部。
 
天端から見下ろすと
なんとダム下は野球場で一塁側を洪水吐導流部が流下します。
 
左岸の横越流式余水吐
余水吐周辺はフェンスに囲まれ立ち入り禁止です。
 
左岸から下流面
天端はダム湖を周回するウォーキングコースです。
 
67万立米の貯水池
対岸に副堤か?と思いましたが実は貯水池内を道路が横断しており、あの向こう側にも貯水池が広がっています。
 
右岸にある円形の取水塔
同時期に建設された吉田ダム・多礼ダムとよく似たデザイン。
 
上流面はコンクリートで護岸。
 
竣工記念碑
筆は合併前の福間町町長によるものです。
長崎や佐賀でよく見かける金箔仕様の記念碑。
 
2448 久末ダム(1118)
福岡県福津市久末
西郷川水系西郷川右支流
23メートル
170メートル
699千㎥/670千㎥
宗像地区事務組合
1980年

大井ダム(再)

2017-09-29 13:31:02 | 福岡県
2017年9月19日 大井ダム(再)
 
大井ダム(再)は福岡県宗像市大井の釣川水系大井川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
1969年(昭和44年)に宗像町(現宗像市)水道事業の上水道水源とし建設され、隣接する大井浄水場から町内に給水を行っていました。
1976年(昭和51年)に宗像地区水道企業団に移管されるとともに、その後の水道需要増加に対応して1978年(昭和53年)に貯水池掘削による再開発事業が行われ、貯水容量を約15万立米増加させました。
その後、宗像地区水道企業団は一部事務組合である宗像地区事務組合に改組され、翌2008年(平成20年)からは北部福岡緊急連絡管からの受水が開始されました。
これに伴い上水道施設の統廃合が行われ同組合管理下の大井ダムと久末ダムは上水道水源としての役割を終えることになります。
大井ダムは宗像市に移管され、2011年(平成23年)からは周辺53ヘクタールの農地向けの灌漑用水源となっています。
 
JR鹿児島線東郷駅北側の日の里北口交差点から県道528号を西に進むと大井ダムに到着します。
隣接する大井浄水場への揚水機場と導水管がそのまま残っています。
 
右岸の余水吐。
 
右岸ダムサイトは小さな公園になっており竣工記念碑が建っています。
これは1969年に上水道ダムとして建設された際の竣工記念碑。
 
竣工記念碑銘文。
 
水利使用標識
2011年(平成23年)から灌漑用水への補給を行っています。
1978年(昭和53年)の再開発により有効貯水容量は121万立米となりましたが、灌漑目的への転用により貯水量は70万9600立米に減じられたようです。
 
天端も含め堤体への立ち入りは禁止。
 
ここからはフェンス越しの撮影となります
余水吐に架かる管理橋。
 
余水吐越流面には切欠があります。
貯水量が減じられたことにより満水位が変更になったため、ここに切欠を入れたようです。
 
上流面と取水塔
上流面はコンクリートで護岸されています
元は上水道目的のダムらしく円筒形の取水塔。
 
引いた位置から。
 
追記
大井ダム(再)はダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
3376 大井ダム(元)
福岡県宗像市大井
DamMaps
釣川水系大井川
W
29メートル
206メートル
1058千㎥/1016千㎥
宗像市
1969年竣工
-------------
 2447 大井ダム(再)(1117)
福岡県宗像市大井
釣川水系大井川
19メートル
206メートル
709.6千㎥/709.6千㎥
宗像市
1978年再開発竣工
2011年灌漑目的に変更・貯水量変更
◎治水協定が締結されたダム

多礼ダム

2017-09-29 13:03:49 | 福岡県
2017年9月19日 多礼ダム
 
多礼ダムは福岡県宗像市多禮の釣川水系四十里川にある宗像地区事務組合が管理する上水道用水目的のロックフィルダムです。
1976年(昭和51年)に当時の宗像町・福間町・津屋崎町の3町は水道事業の広域連合である宗像水道企業団を設立、翌年より3基の上水用ダム建設に着手し、1980年(昭和55年)に久末ダムが、1983年(昭和58年)に吉田ダムと多礼ダムが竣工しました。
吉田ダムと多礼ダムは隣接しており、それぞれ釣川にある吉田取水場から揚水した水を貯留し、多礼浄水場を経て宗像市及び福津市の旧津屋崎町地区に給水しています。
自己流域からの集水はほとんどないため、河道外貯留方式のダムと言えるでしょう。
2007年(平成19年年)に宗像地区水道企業団は一部事務組合である宗像地区事務組合に改組され、同組合が水道事業を引き継ぎました。
翌2008年(平成20年)には福岡と北九州との間の緊急用水道連絡管である北部福岡緊急連絡管を通じ北九州市水道事業及び福岡地区水道企業団からの受水がスタートしています。
 
宗像地区の上水道施設(宗像地区事務組合HPより)。 
 
宗像退社辺津宮から釣川沿いの県道69号を南に進み、上多礼橋から左手の農免道路に入るとすぐに右手に多礼ダムの堰堤が見えてきます。
残念ながらここから先は関係者以外立ち入り禁止。
ロックフィルダムですが、吉田ダム同様草木が覆い一見アースフィルダムのようです。
 
天端入口にも厳重なフェンス
これはフェンス越しに撮影。
 
右岸に駐車場があり竣工記念碑が立っています。
 
上流面を遠望。
 
対岸の横越流式余水吐。
 
取水塔。
 
 
吉田ダムよりは見えるポイントは多いですがやはりガードは厳しい。
多礼浄水場は予約をすれば見学できるようですが、ダムはどうなんでしょう?
 
追記
多礼ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2450 多礼ダム(1116)
福岡県宗像市多禮
釣川水系四十里川
27.5メートル
191メートル
1205千㎥/1153千㎥
宗像地区事務組合
1983年
◎治水協定が締結されたダム

吉田ダム

2017-09-29 11:55:19 | 福岡県
2017年9月19日 吉田ダム
 
吉田ダムは福岡県宗像市吉田の釣川水系吉田川にある宗像地区事務組合が管理する上水道用水目的のロックフィルダムです。
1976年(昭和51年)に当時の宗像町・福間町・津屋崎町の3町は水道事業の広域連合である宗像水道企業団を設立、翌年より3基の上水用ダム建設に着手し、1980年(昭和55年)に久末ダムが、1983年(昭和58年)に吉田ダムと多礼ダムが竣工しました。
吉田ダムと多礼ダムは隣接しており、それぞれ釣川にある吉田取水場から揚水した水を貯留し、多礼浄水場を経て宗像市及び福津市の旧津屋崎町地区に給水しています。
自己流域からの集水はほとんどないため、河道外貯留方式のダムと言えるでしょう。
2007年(平成19年年)に宗像地区水道企業団は一部事務組合である宗像地区事務組合に改組され、同組合が水道事業を引き継ぎました。
翌2008年(平成20年)には福岡と北九州との間の緊急用水道連絡管である北部福岡緊急連絡管を通じ北九州市水道事業及び福岡地区水道企業団からの受水がスタートしています。。
 
宗像地区の上水道施設(宗像地区事務組合HPより)。 
 
宗像市辺津宮の宗像大社から県道502号線を東に向かい、釣川に架かる片田橋を右折して農免道路を南に進むと正面に吉田ダムの堰堤が見えてきます。
草が繁茂しており遠目にはアースフィルのようにも見えます。
 
余水吐からの水路
右手の農地に立ち入ればもっと接近できますが、私有地なので自重しました。
 
天端への道路はフェンスで厳重に閉ざされています。
上水道水源なので仕方ありません。
 
上水道の水源ということでガードが厳しく、写真はこの3枚のみでした。
 
追記
吉田ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2449 吉田ダム(1115)
福岡県宗像市吉田
釣川水系吉田川
24メートル
217メートル
877千㎥/855千㎥
宗像地区事務組合
1983年
◎治水協定が締結されたダム

遠賀川河口堰

2017-09-29 00:01:20 | 福岡県
2017年9月19日 遠賀川河口堰
 
遠賀川河口堰は一級河川遠賀川河口から2キロ上流地点の左岸が福岡県遠賀郡芦屋町祇園町、右岸が遠賀郡水巻町猪熊10丁目にある国交省九州地方整備局が直轄管理する多目的可動堰です。
遠賀川は福岡県北部唯一の一級河川ですが、感潮河川のため河口一帯ではたびたび塩害被害が発生、また当地には『伊左座堰』と呼ばれる取水用固定堰がありましたが、通水能力が低いため堰が洪水の原因となることが多く河口周辺での治水対策が強く求められていました。
さらに北九州での水需要が急増し、安定した水源確保も喫緊の課題となっていました。
そこで1969年(昭和44年)に当時の建設省九州地方建設局は遠賀川への新たな可動堰建設事業に着手し、1983年(昭和58年)に竣工したのが遠賀川河口堰です。
遠賀川河口堰は遠賀川下流域の洪水調節および高潮による塩害の防止、北九州市への上水道用水及び工業用水の供給を目的としています。
遠賀川河口堰の堤高は6.5メートルで河川法上のダムの要件である15メートルに及びませんが、特定多目的ダム法に基づく特定多目的ダムとして建設されたため、法律上もダムとして分類されダム便覧にも正式に掲載されています。
 
遠賀川河口堰右岸(水巻町側)に管理事務所があり、事務所前に竣工記念碑が立っています。
 
河口堰には7つの操作棟があり7色に色分けされているそうですが・・・
 
着色が薄いせいか全部白に見えちゃいます。
どうせならゲートの色を七色にしちゃえばよかったのに。笑
 
右岸上流から
主ゲートは7門、そのほか左岸に魚道ゲートと調節ゲート、右岸に調節ゲートがあります。
 
天端は歩行者および自転車のみ通行可能
地元の方が数人ウォーキングで何往復もされていました。
 
河口堰のプレート。
竣工は昭和55年になっています。
 
主ゲート。
 
下流の眺め
河口から2キロですが川幅は500メートルを超え海のようです。
下流の橋は奥がなみかけ大橋、手前が国道495号線芦屋橋。
 
左岸の魚道公園
九州で唯一サケが遡上する川ということで、自然との共生をテーマに自然に水辺空間が作られています
右手の水路が魚道です。
 
魚道公園下流側。
 
2432 遠賀川河口堰(1114)
左岸 福岡県遠賀郡芦屋町祇園町
右岸 福岡県遠賀郡水巻町猪熊10丁目
遠賀川水系遠賀川
FWI
MB
6.5メートル
517メートル
11140千㎥/8840千㎥
国交省九州地方整備局
1983年

頓田第2ダム(再)(頓田第2貯水池)

2017-09-28 19:13:48 | 福岡県
2017年9月19日 頓田第2ダム(再)
 
頓田(とんだ)第2ダムは福岡県北九州市若松区頓田にある北九州市上下水道局が管理する上水・工水目的のアースフィルダムです。
戦後の発展を受け北九州の都市用の需要は急増を続けます。。
小倉・八幡・戸畑・若松の4市は効率的な水道運営を行うために1952年(昭和27年)に北九州水道組合を設立し水道事業の拡張に着手、1959年(昭和34年)に既存の頓田第1ダムの西側に建設されたのが頓田第2ダムです。
1968年(昭和48年)には第1、第2ダムそれぞれの嵩上げが行われ合計有効貯水容量は915万立米に拡大しました。
現在、頓田貯水池は北九州水道組合を引き継いだ北九州市上下水道局が管理を行っており、ここに貯留された水は本城浄水場を通じて若松区および八幡西区へと給水され北九州市水道事業最大の水がめとなっています。
なお頓田第1第2を併せた頓田貯水池は近代水道黎明期の貴重な施設として近代水道百選に選定されています。 
 
頓田貯水池の位置関係
赤線が第1ダムの堰堤、青線が第2ダムの堰堤。
第1貯水池と第2貯水池には仕切りの堰堤がありますが、両者は貯水池中央でつながっており余水吐は第1ダムにのみ設置されています。
 
竹並バイパスから見た頓田第2ダムの堰堤。
 
下流面。
 
天端は第2貯水池を周回するサイクリングロードの一部になっています。
 
堤体は左岸寄りでほぼ直角に屈曲しています。
 
第2貯水池の有効貯水容量は第1貯水池を凌ぐ475万立米。
第1貯水池同様取水塔は円筒形。
 
取水塔をズームアップ。
 
頓田貯水池の説明板
日本水道百選に選ばれています。
 
天端からの眺め。
 
 
天端左岸側には東屋と展望台があります。
 
2409 頓田第2ダム(再)(1113)
福岡県北九州市若松区頓田
北緯33度54分30秒,東経130度43分39秒
遠賀川水系遠賀川
WI
21.6メートル
474メートル
5293千㎥/4750千㎥
北九州市上下水道局
1968年

頓田第1ダム(再)(頓田第1貯水池)

2017-09-28 15:09:10 | 福岡県
2017年9月19日 頓田第1ダム(再)
 
頓田(とんだ)第1ダムは福岡県北九州市若松区頓田にある北九州市上下水道局が管理する上工水目的のアースフィルダムです。
福岡県の事業で1952年(昭和27年)に建設され、完成後は福岡県と門司市を除く旧四市によって設立された北九州水道組合が管理を受託しました。
自己流域はなく、遠賀川で取水した水がここに導水され貯留する河道外貯留ダムです。
その後の水需要増大を受け、1959年(昭和34年)に第1ダム西側に第2ダムが建設され、さらに1968年(昭和48年)には第1、第2ダムそれぞれの嵩上げが行われ合計有効貯水容量は915万立米まで拡大しました。
現在、頓田貯水池は北九州水道組合を引き継いだ北九州市上下水道局が管理を行っており、ここに貯留された水は本城浄水場を通じて若松区および八幡西区へと給水され北九州市水道事業最大の水がめとなっています。
また頓田第1第2を併せた頓田貯水池は近代水道黎明期の貴重な施設として近代水道百選に選定されています。
 
頓田貯水池の位置関係
赤線が第1ダムの堰堤、青線が第2ダムの堰堤。
第1貯水池と第2貯水池には仕切りの堰堤がありますが、両者は貯水池中央でつながっており余水吐は第1ダムにのみ設置されています。
 
頓田貯水池一帯は響灘緑地(グリーンパーク)として整備され、貯水池を周回するサイクリングロードや大芝生広場、野外ステージのほか様々なレクリエーション設備が設置されています。
今回はそういった施設とは反対の南側からアプローチ。
水田の先に第1ダムの堰堤が見えてきます。
 
下流面。
 
右岸堤体下に頓田排水処理場があります。
 
右岸にある横越流式余水吐
立ち入り禁止のためこんな写真しか撮れません。
 
天端は遊歩道として開放され多くの市民がウォーキング、ランニングを楽しんでいます。
 
堤体からの眺め
 
頓田第1貯水池
有効貯水容量440万立米。
 
戦前に着手されたダムらしく取水塔は円筒形。
 
第1貯水池と第2貯水池を仕切る堰堤は車道になっています。
道路沿いに桜が植えられ春には満開の桜が彩りを加えます。
 
上流から見た余水吐。
 
良く予習して見学しないと何がどこにあるのか戸惑ってしまうほど広大な頓田貯水池です。
 
2401 頓田第1ダム(再)(1112)
福岡県北九州市若松区頓田
遠賀川水系遠賀川
WI
21.6メートル
817メートル
5011千㎥/4400千㎥
北九州市上下水道局
1952年 竣工
1968年 再開発事業竣工

菖蒲谷貯水池(菖蒲谷ダム)

2017-09-28 13:44:34 | 福岡県
2017年9月19日 菖蒲谷貯水池(菖蒲谷ダム)
 
菖蒲谷貯水池は福岡県北九州市若松区小石の赤崎川水系赤崎川上流部にある北九州市上下水道局が管理する上水道用水目的のアースフィルダムです。
明治後期より石炭の積み出し港として発展した若松ですが半島地形のため上水道水源の確保に苦労し、1912年(明治45年)に洞海湾を挟んだ対岸の戸畑に浄水場を作り海底送水管による給水を開始しました。
若松市の発展に対応した第2期拡張事業で1925年(大正14年)に建設されたのが菖蒲谷貯水池で日量1400立米の給水能力がありました。
戦後も上水道水源として活躍しましたが、1967年(昭和42年)の浄水場統合によりその役割を終え、現在は緊急時の予備水源として北九州市上下水道局が管理を行っています。
大正以降の若松の発展に大きく貢献した点を評価され経産省による近代化産業遺産に選定されています。
 
若松区小糸町に菖蒲谷自然公園を示す標識がありこれに従って赤崎川沿いを西に進むと左手に菖蒲谷ダムが見えてきます。
下流から見る限りはただのため池。
 
天端左岸に近代化産業遺産の説明板があります。
 
左岸の余水吐導流部
木が茂りなんだかよくわからない写真。
 
左岸の横越流式余水吐
こちらも同様、木の間に越流面が見えます。
 
総貯水容量26万4000立米
現在は緊急用予備水源という扱い。
 
明治大正期の上水用水源地でよく見られる円筒形の取水塔
ここから水を送っていた畑谷浄水場はすでに廃止となっています。
 
空気が澄んでいれば洞海湾を挟んで戸畑、さらに下関まで遠望できるのですが・・・。
 
天端
上流面は谷積の石で護岸されています。
 
階段で堤体直下まで降りることができます。
ダム下は公園になっていますが、木が茂り下流面の写真を撮ることはできませんでした。
地図では菖蒲谷自然公園と記され、北九州市のHPでも桜の名所と紹介されていますが、訪問した時期が悪かったのか?草が生しかなり荒れ気味の公園です。
 
2377 菖蒲谷ダム(1111)
近代化産業遺産
福岡県北九州市若松区小石
赤崎川水系赤崎川
18メートル
140.4メートル
264千㎥/210千㎥
北九州市上下水道局
1924年

釜底溜池

2017-09-28 12:32:23 | 福岡県
2017年9月19日 釜底溜池
 
釜底溜池は福岡県宮若市水原の遠賀川水系犬鳴川左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
1937年(昭和12年)に当時の若宮町の事業で建設され現在は宮若市が管理を行っています。
釜底溜池は九州自動車道わきにあり若宮インターから県道9号を東に向かうとすぐに到着します。
周辺は宮田工業団地になっており、トヨタグループの工場が集積しています。
 
右岸から下流面
ダム便覧では堤高20メートルになっていますが、工業団地造成の際に盛土されたようで見た目は5メートルほどの高さです。
福岡県ため池データベースでは堤高は6.5メートルになっており、こちらを取れば河川法上のダムの要件には届きません。
当ブログでは諸元はため池データベースを採用します。
 
写真右手に取水設備からの底樋があり、灌漑用水路が伸びています。
 
上流面はコンクリートで護岸。
 
上流面の斜樋、その右手の小さな穴が余水吐になります。
 
この水路が余水吐からの流路、左手からの水路は斜樋からのものです。
 
堤体直下はトヨタ系の工場で出荷前の新車がずらっと並んでいます。
 
総貯水容量は21万4000立米。
釜底という名前通りの形状です。
 
貯水池に残る遺構
溜池建設前にあった橋の一部だそうです。
 
右岸から
対岸を県道が6号が通り天端も立派な車道になっています。
ただし天端と県道の間にはガードレールがあり県道から天端に車で入ることはできません。
 
昭和12年の竣工記念碑。
 
記念碑の隣にある中国風の祠。
 
2388 釜底溜池(1110)
ため池コード 402261014
福岡県宮若市水原
遠賀川水系犬鳴川左支流
6.5メートル(ダム基準未達)
106メートル
214千㎥/192千㎥
宮若市
1937年

本入溜池

2017-09-27 18:05:33 | 福岡県
2017年9月18日 本入溜池
 
本入溜池は福岡県鞍手郡小竹町新多の遠賀川水系本入川源流部にある灌漑用目的のアースフィルダムです。
1917年(大正6年)に小竹町の事業により建設され、現在も小竹町が管理を行っています。
福岡県の遠賀川流域は年間を通して降水量が少なく、大河からの揚水技術のなかった時代の灌漑用水は天水や小河川に頼らざるを得ず、九州有数の溜池密集地帯となっています。
小竹町にも多くの溜池があり本入溜池もそんな溜池の一つとして建設されたようです。
 
県道74号線沿いに本入溜池堤体への道がありますが、フェンスが行く手を阻みその全容を見ることはできません。
 
わずかに民家の脇から余水吐と堤体の下流面を垣間見るのみ。
 
正面に堤体
堤高15メートルということでぎりぎりダムの要件を満たしています。
 
余水吐のコンクリートはまだ白く、改修があったことが伺えます。
余水吐右岸側(向かって左側)の導流壁に底樋樋門があります。
 
2375 本入溜池(1109)
ため池コード 404010015
福岡県鞍手郡小竹町新多
遠賀川水系本入川
15.2メートル
68メートル
600千㎥/550千㎥
小竹町
1917年

弁城ダム

2017-09-27 16:05:24 | 福岡県
2017年9月18日 弁城ダム
 
弁城ダムは左岸が福岡県田川郡福智町弁城、右岸が同町上野の遠賀川水系福地川左支流岩屋川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
1966年(昭和41年)に農林省の補助を受けた福岡県の事業で建設され、管理は福智町農政課が行っています。
遠賀川流域は年間を通して降水量が少なく、揚水技術のなかった時代は灌漑用水源を小河川や天水に頼らざるを得ず、九州有数の溜池密集地帯となっています。
福智町も例に違わず溜池が密集しており、扇状地の頂点に建設された弁城ダムは下流に広がる農地の貴重な水源となっています。
 
弁城ダムへのルートは複雑で細く入り組んだ集落内の隘路を辿って何とか到達することができました。
ダムへの入口となる左岸に顕彰碑があります。
 
左岸上流から
上流面はコンクリートで護岸されており、右岸に余水吐と斜樋があります。
 
天端には轍がありますが、軽トラじゃないと進入は難しいでしょう。
 
総貯水容量は20万8000立米。
扇状地の頂点にあるため下流の溜池や農地にとっては重要な水源です。
 
右岸の斜樋。
 
左岸の建物はちょっとヤバい関係の施設だそうです。くわばらくわばら・・・。
 
右岸の横越流式余水吐
わずかに湾曲しています。
 
余水吐導流部。
 
堤体直下に円筒分水工があるとのことで下流からもアプローチを試みましたが・・・
草が深くギブアップ。
 
洪水吐。
 
追記
弁城ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに3万4000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2412 弁城ダム(1108)
左岸 福岡県田川郡福智町弁城
右岸        同町上野
遠賀川水系岩屋川
23.1メートル
151メートル
208千㎥/187千㎥
福地町農政課
1966年
◎治水協定が締結されたダム

福智山ダム

2017-09-27 14:09:35 | 福岡県
2017年9月18日 福智山ダム
 
福智山ダムは福岡県直方市頓野の遠賀川水系彦山川右支流福地川源流部にある福岡県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、福地川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、直方市への上水道用水の供給を目的として2003年(平成15年)に竣工しました。
ダム建設地点は北九州国定公園にしてされ建設に際しては自然環境への配慮が行われる一方、完成後は親水公園やキャンプ場のなど環境整備が進められています。
 
国道200号線直方バイパスから『直方いこいの村』を目指すと福智山ダムの案内板が現れます。
ダムへ向うヘアピンカーブ手前で目の前に福智山ダムが姿を見せ、堤体直下まで接近できます。
 
非常用洪水吐として自由越流式クレストゲートを2門、非常用洪水吐として自然調節式オリフィスゲートを1門の装備。
シミュラクラ現象で人の顔に見えるダムです。
 
ダム湖を周回する道路は時計回り一方通行、右岸ダムサイトに駐車場があるのでここに車を置いて見学します。
ダム湖は総貯水容量271万立米、1キロ下流にある福智山池とほぼ同じサイズです。
正面に見えるのはダム名の由来になった福智山で当ダムが登山口となっています。
 
上流面
手前が取水設備、対岸に管理事務所があります。
 
減勢工
右手の建屋は利水放流設備。
 
眼下に福智山池が見えます。
 
天端は歩行者のみ通行可。
 
左岸から下流面
堤体中央はエレベーター棟です。
 
竣工記念碑。
 
左岸上流から管理事務所越しに見た上流面。
 
福智山は地元では登山者に人気の山で、ちょうど山を挟んで東西にあるます渕ダムと福智山ダムがともに登山口になっおり、どちらの登山者の車が列をなして止まっていました。
 
追記
福智山ダムには129万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに57万6000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2442 福智山ダム(1107)
福岡県直方市頓野
北緯33度45分24秒,東経130度47分00秒
遠賀川水系黒川
FNW
 
64.5メートル
255メートル
2710千㎥/2560千㎥
福岡県県土整備部
2003年
◎治水協定が締結されたダム

福智山池(内ヶ磯ダム)

2017-09-27 11:41:37 | 福岡県
2017年9月18日 福智山池(内ヶ磯ダム)
 
福智山池は福岡県直方市頓野の遠賀川水系福地川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
1953年(昭和28年)に農林省の補助を受けた福岡県の事業で建設され、現在は直方市産業建設部が管理を行っています。
ダムのある集落の名前をとって『内ヶ磯ダム』とも呼ばれ、グーグルマップなどでも内ヶ磯ダムと記されています。
池の上流は親水公園として整備され、桜や紅葉の時期は周辺住民の憩いの場所となっています。
2003年(平成15年)には上流1キロ地点に県営の多目的ダムである福智山ダムが竣工しました。
 
ダム下から
左岸に余水吐斜水路があり越流しています。
 
取水設備からの底樋樋門
扁額付きのポータルです。
 
底樋から続く水路には円筒分水工があります
田植えの時期には水が溢れるんでしょう。
 
天端は車道。
 
総貯水容量は271万立米と溜池としては非常に大きな貯水池。
 
天端からは上流の福智山ダムが遠望できます。
 
左岸の横越流式余水吐。
 
 
余水吐導流部
この下が1枚目の写真となります。
 
右岸の斜樋
ここで取水された水が3枚目の写真の底樋へと送られます。
 
1キロの間隔で福智山池と福智山ダムが並んでおり、ちょっと紛らわしいかな?
 
追記
福智山池は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに6万7000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2403 福智山池(1106)
福岡県直方市頓野
遠賀川水系福地川
22.5メートル
112.6メートル
416千㎥/374千㎥
直方市産業建設部
1953年
◎治水協定が締結されたダム