ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

星山ダム

2023-01-25 17:10:03 | 宮崎県
2022年11月21日 星山ダム
 
星山ダムは左岸が宮崎県西臼杵郡日之影村七折、右岸が同村分城の一級河川五ヶ瀬川本流にある旭化成(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
五ヶ瀬川水系では日本窒素肥料(株)(日窒)が1923年(大正11年)の延岡進出を契機に、自家発電向け電源開発に着手します。
日窒は重要軍事物資である火薬の最大手メーカーだったこともあり、日本発送電による発電施設接収を免れたのみならず電力国家管理法成立後も自社発電施設の建設を進めます。
そして1942年(昭和17年)に完成したのが星山ダムおよび発電所で、星山ダムで取水された水は約2キロの導水路で発電所に送られ最大最大1万2200キロワットのダム水路式発電が開始されました。
戦後の財閥解体により延岡の日本窒素化学は旭化成工業(株)(現旭化成)として独立、五ヶ瀬川の発電施設も同社が継承し現在に至っています。

これまで下流からは道路沿いの木が邪魔になりダムの全景が見える場所はありませんでした。しかし2022年(令和4年)9月の台風14号により右岸道路の路肩が崩落し視界が広がりました。
12門のラジアルゲートで五ヶ瀬川を締め切ります。

 
左岸の水叩き
戦中戦後の発電ダムで多く見られます。


河川維持放流のため中央1門が開放中。


左岸の魚道の奥にバットレス状の建造物があります。
プラント跡のようです。


星山ダムでは巻き上げ機や梯子は黄色で統一。


訪問時は巻き上げ機のメンテナンス中
撮影はダメかと思ったんですが、『いいよ』。

部品をすべて解体し、一点ずつチェックしていました。


こちらは発電用取水口
最大毎秒49立米取水します。


左岸の魚道
擁壁のコンクリートは白く、近年改修があったようです。


天端は車両の通行ができますが、9トンの重量制限があります。
戦時色が激しくなる時期のダムですが、天端高欄には四角い窓が施され今どきの無機質な大量生産ダムと一線を画します。


水利使用標識。


上流から
ダム湖は総貯水容量173万1000立米、有効貯水容量93万5000立米。


ダム湖を跨ぐ第三五ヶ瀬川橋梁
2008年(平成20年)に廃線になった高千穂鉄道の鉄道橋で、鋼製トラス橋と日本初の連続方杖ラーメンの複合構造で、国の重要文化財に指定されるとともに選奨土木遺産に選ばれています。


5キロ上流の旭化成五ヶ瀬川発電所
1925年(大正14年)竣工で最大出力1万3500キロワット。
水圧鉄管も含め、これぞ由緒正しき水力発電所と言った美しい佇まい。

五ヶ瀬川は一級河川ですが、本流には治水機能を持つダムはありません。
2021年(令和3年)に『五ヶ瀬川水系河川整備基本方針』 が変更され、五ヶ瀬川の計画高水量が大きくなりました。
喫緊の話ではありませんが、いずれ五ヶ瀬川への新たな治水ダム建設が俎上に上がるかもしれません。

(追記)
星山ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

2812 星山ダム(1952)
左岸 宮崎県西臼杵郡日之影村七折
右岸          同村分城
五ヶ瀬川水系五ヶ瀬川  
30.5メートル
142メートル
1731千㎥/935千㎥
旭化成(株)
1942年
◎治水協定が締結されたダム

沖田ダム

2023-01-23 17:17:21 | 宮崎県
2022年11月21日 沖田ダム 
 
沖田ダムは宮崎県延岡市小野町の二級河川沖田川本流にある宮崎県県土整備部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
沖田川では1963年(昭和38年)9月の大洪水を契機に小規模河川改修事業が着手されるとともに、1971年(昭和46年)に上流部への治水ダム建設が採択されました。
しかし本体着工は27年後の1998年(平成10年)にずれ込み、2001年(平成13年)に沖田ダムが竣工しました。
沖田ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、沖田川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給を目的としてしています。
沖田川は洪水多発河川でしたが、ダム効果はてきめんで事業完成後は浸水を伴う洪水被害は皆無となっています。
実業団駅伝の強豪旭化成がある延岡らしく、ダム湖周回道路はランニングコースとして整備されているほか、ダム湖上流部は親水公園になっており特に夏場に開設される河川プールは家族連れの人気スポットになっています。
 
残念ながら下流からの展望ポイントはなく、樹間から垣間見るのが精いっぱい。


右岸から下流面
クレスト自由越流頂3門、自然調節式オリフィス1門を備えオリフィスから越流中。


天端は対岸の管理事務所まで車で入れます。


右岸天端が一周8.16キロの周回路スタート地点
訪問したのは平日の早朝でしたがすでに市民ランナーが数人ランニング中
さすが駅伝王国延岡。


水位は低く見えますが総貯水容量275万立米のうち8割超の225万立米が洪水調節容量なのでこれで常時満水位。


減勢工
右手は利水放流設備。


ダム湖には堆砂容量および不特定利水容量併せて50万立米が貯留されています。

左岸の繋留設備。


左岸ダムサイトの管理事務所
宮崎県所管ダムではおなじみ、民間人が住み込みで管理を受託しています。
こちらではシニアのご夫婦が管理人をやっていますが、ご主人がとにかく話好きで一度話し出すとなかなか解放してもらえません。


親柱の銘板は九州らしく金箔文字。


左岸から下流面。


利水放流設備
オリフィスから越流しているせいか、放流はなし。

河川プールが開設されていれば上流まで足を運んだんですが、夏場限定とのこと。
宮崎県営ダムでは日南の広渡ダムでも天然プールが開設されます。

2839 沖田ダム(1951)
宮崎県延岡市小野町  
沖田川水系沖田川
FN
36メートル
111メートル
2750千㎥/2350千㎥
宮崎県県土整備部
2001年

門川防災ダム

2023-01-22 18:30:32 | 宮崎県
2022年11月21日 門川防災ダム
 
門川防災ダムは宮崎県東臼杵郡門川町加草の二級河川鳴子川本流にある農地防災目的のロックフィルダムです。
1966年(昭和41年)に農林省の補助を受けた県営防災ダム事業門川地区によって着工され、1972年(昭和47年)に竣工しました。
完成後は門川町が管理を受託し鳴子川流域約70ヘクタールの農地を洪水被害から守ります。
 
さらに農村農業整備事業によりダム下に運動場、貯水池内に門川防災ダム公園が整備され周辺住民の憩いの場にもなっています。

下流から遠望しますが・・・・
てっきりこれが堤体だと思ったんですが、実はダム下に盛土して作られた運動場の法面。


ダム右岸の洪水吐導流部
手前の白い建屋は常用洪水吐の放流設備。


右手が洪水吐の流路、手前は常用洪水吐放流口からの流路
普段はダムに貯留しない防災専用ダムのため流入量がそのまま放流されています。
右手は運動場の法面。


右岸から
こちらが正真正銘の堤体で下流側が盛土され運動場になっているのがよくわかります。
手前に洪水吐導流部があります。


洪水吐下流側
2枚目の写真はこの下から撮ったもの。


非常用となる横越流式洪水吐。


天端から超広角で
天端は車両通行可能で左岸に管理事務所があります。
ロックフィルですが、草が生えている上に堤体の下半分が盛土で隠れているので、見た目はロックかアースか判別がつきません。
遮水方式はロックフィルでは珍しい傾斜コアが採用されています。


総貯水容量73万7000立米、有効貯水容量60万2000立米のダム湖
平時は流入量はそのまま放流するため堆砂容量分13万5000立米だけ貯留。
ダム湖内は東屋やベンチ、芝生の広場などが設けらダム公園になっています。
ダム湖の中が公園と言うのは非常に珍しい。


こちらが常用洪水吐で、普段は流入量はここから流下し2枚目写真の放流設備から放流されます。


左岸から
管理事務所は普段は無人
運動場は野球グラウンド2面が取れる広さ。


ダム湖内の公園に下りてみます。
親水護岸されなかなかいい雰囲気ですが、もろ逆光。
写真右手の竹藪の手前に常用洪水吐があります。


こちらは順光
洪水になれば水没してしまいますが、大丈夫なんでしょうか?

ダム湖内の公園は全国でも珍しい。
そういえば同じ宮崎の高鍋防災ダムもダム湖内が湿原になり遊歩道が整備されています。

2835 門川防災ダム(1950)
宮崎県東臼杵郡門川町加草  
鳴子川水系鳴子川 
 

31メートル 
172メートル 
737千㎥/602千㎥ 
門川町
1972年

西畑ダム(再)

2023-01-21 18:38:49 | 宮崎県
2022年11月20日 西畑ダム(再)
 
西畑ダム(再)は左岸が宮崎県延岡市北方町下鹿川、右岸が同県西臼杵郡日之影町七折の一級河川五ヶ瀬川水系網の瀬川にある九州電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編整令により新たに誕生した九州電力は朝鮮戦争特需を契機とした電力需要急拡大に対処するため管内各所で積極的な電源開発を進めます。
網の瀬川では大正期に三菱鉱業(現三菱マテリアル)が黒原および梁崎発電所を稼働させていましたが、九州電力は両発電所上流で新たに水利権を獲得、1958年(昭和33年)に西畑ダム(元)及び新菅原発電所を建設し最大7500キロワットのダム水路式発電が開始されました。
しかし2007年(平成19年)台風5号による記録的豪雨でダム施設が大きく損壊、これを受け九州電力は2012年(平成24年)より十分なダム放流能力を確保するための再開発事業に着手し2016年(平成28年)に西畑ダム(再)が竣工しました。
再開発事業では、3門あったローラーゲートを撤去して自由越流にしたほか天端の嵩上げや堤頂長の延伸が行われました。
 
五ヶ瀬川から網の瀬川沿いに県道214号を約10キロ北上すると西畑ダム(再)に到着します。
ダムの敷地は立ち入り禁止ですが県道からダムと正対できます。

再開発によって3門あったローラーゲートは撤去され、全面越流式になっています。
堤高23.7メートルですが見た目は10メートルもありません。
基礎岩盤がかなり深いんでしょう。
また総貯水容量24万7000立米の貯水池は堆砂が進み有効貯水容量はゼロ、つまり堆砂率100%となっています。
取水ができればOKと言うことなんでしょうが、堆砂の放置は次なる水害の元凶にもなりかねません。

 
右岸の山道を辿るとダムのそばまで接近できます。


左の縦長のスクリーンが発電用の取水口。


上流にも遠望ポイントがあるようですが、私有地の農地に入るので自重しました。
ダムとは関係ありませんが、ダムに向かう途中には比叡山と言う花崗岩の岩峰が聳えており、これがかなりの絶景です。


有名なクライミングスポットのようで、福岡や関西ナンバーの車も止まっていました。
一方、西南戦争の際にはこの辺りで大激戦があり、敗北した西郷軍は鹿児島への退却を余儀なくされたそうです。

(追記)
西畑ダム(再)は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

2820 西畑ダム(元)
左岸 宮崎県延岡市北方町下鹿川
右岸  同県西臼杵郡日之影町七折
五ヶ瀬川水系網の瀬川
17.8メートル
45メートル
247千㎥/85千㎥
九州電力(株)
1958年
----------------
3673 西畑ダム(再)(1949)
左岸 宮崎県延岡市北方町下鹿川
右岸  同県西臼杵郡日之影町七折
五ヶ瀬川水系網の瀬川
23.7メートル
87.5メートル
247千㎥/0千㎥
九州電力(株)
2016年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム

浜砂ダム

2023-01-20 16:58:56 | 宮崎県
2022年11月20日 浜砂ダム
 
浜砂(はまご)ダムは宮崎県延岡市宮長町の一級河川五ヶ瀬川水系祝子川にある宮崎県企業局が管理する発電・工水目的の重力式コンクリートダムです。
祝子川では1972年(昭和47年)に県土整備部による祝子川総合開発事業により祝子ダムが竣工し、祝子川の治水のほか発電、工水供給が開始されました。
しかし、旭化成の企業城下町である延岡の電力・用水需要は増加の一途をたどり新たな水源確保が迫られます。
一方、祝子発電所の出力調整による祝子川の水位変動は下流の既得灌漑用水等に悪影響を与え、その改善が求められていました。
これを受け1992年(平成4年)に祝子ダム下流約8キロ地点に建設されたのが浜砂ダムです。
浜砂ダムは祝子発電所の出力調整による水位変動を緩和するとともに併設する浜砂発電所で最大2400キロワットのダム式発電を行います。
また有効貯水容量91万8000立米のうち23万立米が工水容量として配分されています。

 浜砂ダムは県道207号岩戸延岡線沿いにありますが、これが離合も困難な隘路の険道で運転には気を使います。
ダム便覧にはダム下流の発電所からの写真が掲載されていますが、今は発電所への管理道路入り口にチェーンが張られ立入禁止のため、下流側は県道から垣間見るのみ。
発電用ダムではよく見られる全面越流式ですが、トラス橋の天端は珍しい。
ダムでは群馬の坂本ダム(再)くらいしか思い浮かびません。


天端は車道になっており、対岸からは林道が続きますが入り口にチェーンが張られ関係車両以外は進入禁止。
路面がかなり畝っており、重量超過の車の進入が多いのかも?


上流から
越流はしていませんがほぼ満水。


県企業局による浜砂ダム・発電所建設事業の概要銘板。


水利使用標識。


発電用取水塔とダム湖
ダム湖は総貯水容量243万立米で細く長く上流に続きます。


減勢工。


左岸の浜砂発電所
下流の水位変動を抑えるため常時発電を行います。
放流口から減勢工に放流が見えます。


右岸から
鉄道の廃線跡のよう。


右岸のリムトンネル。


(追記)
浜砂ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

3055 浜砂ダム(1948) 
宮崎県延岡市宮長町
五ヶ瀬川水系北川
IP
42.7メートル
86メートル
2430千㎥/918千㎥
宮崎県企業局
1992年
◎治水協定が締結されたダム

祝子ダム

2023-01-19 18:46:29 | 宮崎県
2022年11月20日 祝子ダム

祝子(ほうり)ダムは宮崎県延岡市北川町川内名の一級河川五ヶ瀬川水系祝子川にある宮崎県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
祝子川上流域は年間降水量2500ミリの多雨地帯となっており、豪雨のたびに下流延岡市街で洪水被害が多発していました。
一方延岡は旭化成の企業城下町として発展し、増加する電力、工水需要への対処が求められていました。
そこで宮崎県は祝子川上流への多目的ダム建設を軸とした祝子川総合開発事業に着手し、1972年(昭和47年)に竣工したのが祝子ダムです。
祝子ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、祝子川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、延岡市への工業用水の供給、宮崎県企業局祝子発電所(最大出力1万6800キロワット)でのダム水路式発電を目的としています。
またダム建設により廃止された九州電力(株)祝子川発電所の機材を活用してダム湖上流に上祝子発電所(最大出力3300キロワット)が建設されました。
さらに1992年(平成4年)には下流8キロ地点に逆調整池も兼ねた浜砂ダム・発電所(最大出力2400キロワット)が竣工、2012年(平成12年)には河川維持放流を利用した祝子第二発電所(出力35キロワット)が稼働しました。
一方2005年(平成17年)台風14号による計画を超える洪水量を受け、設計洪水量を従来の毎秒686立米から880立米に引き上げるための堰堤改良工事が2017年(平成29年)に竣工、左岸ラジアルゲート1門をゲートレス化するとともクレスト自由越流頂1門が増設されました。

祝子ダムへのアプローチは延岡から県道207号岩戸延岡線経由が一般的ですが、今回は下赤ダムから下赤祝子川林道を利用して祝子ダムに至りました。
下赤ダムからは車で30分ほどの行程です。

ダム下から
放流設備としては非常用クレスト自由越流頂4門、常用コンジット高圧ラジアルゲート1門を装備。
左岸側(向かって右手)の導流壁のコンクリートが白くなっているのが増設された洪水吐です。
改良工事以前の姿はダム便覧に掲載されているのでそちらをご覧ください。


左岸の県道から
管理事務所は斜面に張り付くように建っており、宮崎県ではおなじみ民間人のご夫婦が住み込みで管理業務を受託されています。


一番手前が2017年(平成29年)に後付けされたクレストゲート。
導流壁のコンクリートの色が違うのですぐにそれとわかりますが、知り合いの土木屋さんに言わせれば堤体の目地と後付けの導流壁の目地がずれているのがよろしくないとのこと。
ダミーゲートの上にはこちらも宮崎県営ダムではおなじみ、コルゲートパイプを使ったチューブ状のシェルターが設置されています。 


前面に張り出したコンジットゲート操作室
いかにも昭和30年~40年代のダムの体。


右岸ダム下の祝子第二発電所
2012年(平成24年)に稼働した小水力発電所です。


天端は立ち入り禁止。


門扉越しに天端を撮影
右岸側が屈曲しています。


上流面
2022年(令和4年)9月の台風14号の影響で大量の流木が残っています。
また祝子ダムでは計画を超えるペースで堆砂が進み、すでに計画堆砂容量を超えており今後堆砂の排出が重要な課題になりそう。


ゲートをズームアップ
左から2門目の扶壁にはゲートの跡が残っています。
右手はコンジット予備ゲート。


こちらは取水設備
実際の取水口は土手の下の水中にあります。


ダムの上流には日本300名山大崩山の大岩壁が遠望できます。


ダムの下流にはダム建設に合わせて廃止された九州電力祝子川発電所の遺構が残ります。
廃墟マニアには有名なスポットらしい。

ダム見学の2か月前、2022年(令和4年)9月の台風14号襲来の際にはEL324メートルのサーチャージ水位を超過、異常洪水時防災操作(緊急放流)が実施されました。

(追記)
祝子ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2834 祝子ダム(1947)
宮崎県延岡市北川町川内名
五ヶ瀬川水系祝子川
FNIP
60メートル
196メートル
5774千㎥/4864千㎥
宮崎県県土整備部
1972年
◎治水協定が締結されたダム

下赤ダム

2023-01-19 08:33:47 | 宮崎県
2022年11月20日 下赤ダム

下赤ダムは宮崎県延岡市北川町川内名の一級河川五ヶ瀬川水系北川にある大分県企業局が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
高度経済成長や大分臨海工業地帯造成事業着手による電力需要を賄うため、大分県電気局(現企業局)は昭和20年代後半より積極的な電源開発を展開します。
北川水系では県土木建築部による北川総合開発事業に参加し北川ダムおよび北川発電所とともに建設されたのが下赤ダムです。
下赤ダムは北川発電所の出力調整による水位変動を緩和するための逆調整池として北川ダムと同じ1962年(昭和37年)に竣工し、併せて併設する下赤発電所で最大1700キロワットのダム式発電を行っています。
注目すべきは大分県企業局の北川発電所及び下赤ダムが県境を越えた宮崎県で運用されている点で、地方自治体が運用する公営発電施設が県外で稼働しているのは全国でここだけです。

北川ダムから国道326号を約7キロ、10分弱で下赤ダムに到着します。
ダムのすぐ下流、地元公民館の広場にはロボット兵や王蟲などジブリ関連の象が多数設置され、インスタ映えスポットとして人気スポットになっています。
ジブリの地元、三鷹市民としてはこれは見ないわけにはゆきません。
天空の城ラピュタに登場するロボット兵。


王蟲。


ほかにも多々設置されていますが、ダムの見学に戻りましょう。
広場の裏手から河原に下りダムと正対できます。
向って右手が下赤発電所
放流設備は左岸にローラーゲート3門、右岸は鋼製起伏ゲートを備えた自由越流頂2門。


ピアがにょきにょきしており一見中国四国型のよう見えますが?
ゲート巻き上げ機がピアのトップにあり中国四国型とは構造が異なります。
一番右手のゲートにはフラッシュボードがついています。


ゲート直下は水叩きになっていますが、右岸側の叩きは厚く一段高くなっています。
こちらには国道が走っており、護岸や洗堀防止目的でしょう。
また天端はなく、鉄骨トラスの管理橋が渡されています。


右岸側自由越流頂の鋼製起伏ゲート。


堤体右岸側が屈曲し『カド』に。


水利使用標識
宮崎県にあるのに水利使用者名が大分県と言うのが味噌。


ダム湖は総貯水容量48万立米
奥に北川発電所の水圧鉄管が見えます。


上流面。


左手に取水用ゲートが見えます。
実際の取水口は水中に没して見えません。


上流から遠望。


(追記)
下赤ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

2827 下赤ダム(1946)
宮崎県延岡市北川町川内名
五ヶ瀬川水系北川
17.8メートル
153メートル
480千㎥/300千㎥
大分県企業局
1962年
◎治水協定が締結されたダム

大淀川第一ダム

2021-11-02 05:16:51 | 宮崎県
2021年10月19日 大淀川第一ダム
 
大淀川第一ダムは左岸が宮崎県都城市高崎町笛水、右岸が同市高城町有水の一級河川大淀川本流にある九州電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
宮崎県は主要河川がいずれも包蔵水力豊富なため、戦前から各河川で電源開発が進められてきました。
大淀川では電気化学工業(現デンカ)及び同社傘下の大淀川水力電気が電源開発を進め、1925年(大正15年)に電気化学工業によって建設されたのが轟ダムと大淀川第一発電所です。
当所の轟ダムは堤高15メートル未満の取水堰で、約3キロの導水路で大淀川第一発電所に送られ、最大1万5000キロワットの水路式水力発電を行っていました。
さらに1931年(昭和6年)には大淀川下流に高岡ダムおよび大淀川第二発電所が建設され最大3万キロワットのダム水路式発電が稼働します。
これらの発電施設は日本発送電の接収ののち、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により九州電力が事業継承しました。
 
しかし1954年(昭和29年)のジェーン台風により大水害が発生、轟ダムが流下を阻害し洪水被害を増幅させたとの批判が強まります。
これを受け九州電力は、轟ダム下流約3キロの大淀川第一発電所直上に大型洪水吐を備えた新ダムを建設に着手、1961年(昭和36年)に大淀川第一ダムが竣工しました。
ダム建設に合わせて新たに大淀川発電所1号機(最大出力4万2000キロワット)が増設され、2号機となった既存発電所と併せて出力合計は5万5500キロワットに増強されました。
この結果、大淀川第一発電所では1号機はダム式発電、2号機はダム水路式発電と一つの発電所で異なる方式の発電が行われています。
なおダム便覧では轟ダム竣工の1925年(大正15年)を大淀川第一ダムの竣工年度としていますが、轟ダムと当ダムでは建設地点が3キロ離れており同一ダムとみなすには無理があります
ここでは現ダムが竣工した1961年(昭和36年)を竣工年度とします。
 
ダム下への管理道路入り口には門扉があり普段は立ち入りできません。
今回は作業のため開放されており許可を得てダム下まで入らせていただきました。
クレストにラジアルゲート3門、その両側にオリフィスラジアルゲートが1門ずつ、計5門を装備
ダム直下には出力4万2000キロワットの大淀川第一発電所1号機があります。

少しズームアップ
右手が1号機。


ゲートをズームアップ
中央のクレスト3門と両端のオリフィス2門の越流高さが異なります。
両端2門の越流高が低くなっているのは両側の護岸が目的でしょう。
クレスト右手のゲートにはフラッシュボードがついています。


水圧鉄管はダム水路式発電の2号機用。


左岸から超広角で
右から堤体、第一発電所、開閉所の並びになります。


このアングルだと取水ゲートと水圧鉄管、発電所の配置がよくわかります。




天端。
訪問時は作業のため車が数台止まっています。


よく見ると天端にはレールが!!
今は使われていないようですが、かつては除塵機のゴミの排出や備品等の運搬にこのレールを使っていたようです。
天端にガントリーのレールが敷設してあるのは複数例ありますが、このような鉄道サイズのレールは初見。

上流面と貯水池
総貯水容量は850万立米、有効貯水容量295万立米で堆砂率は62%強
網場の向こうは水草が密生しています。

 
左手がダム水路式の2号機、右手がダム式の1号機の取水口
共に取水ゲート手前に除塵機が並びます。

 
ダムサイトの案内板。

 
1号機と2号機で発電方式が異なる発電所を持ち、また越流高の異なるラジアルゲートを装備するなど戦後の発電ダムの中でもちょっと毛色が異なる大淀川第一ダムです。
 
(追記)
大淀川第一ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

2826 大淀川第一ダム(1735) 
左岸 宮崎県都城市高崎町笛水 
右岸     同市高城町有水 
大淀川水系大淀川 
 
 
47メートル 
178.6メートル 
8500千㎥/2950千㎥ 
九州電力(株) 
1925年轟ダム竣工 
1961年大淀川第一ダム竣工 
◎治水協定が締結されたダム

岩瀬ダム(元)

2021-11-01 08:36:51 | 宮崎県
2021年10月19日 岩瀬ダム(元) 
 
岩瀬ダム(元)は左岸が宮崎県小林市野尻町東麓、右岸が同県都城市高崎町笛水の大淀川水系岩瀬川にある宮崎県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。 
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、岩瀬川および大淀川の洪水調節、宮崎県企業局岩瀬川発電所(最大出力1万8600キロワット)でのダム式発電を目的として1967年(昭和42年)に竣工しました。
2018年(平成30年)に変更された大淀川水系河川整備計画で直近最大の洪水被害をもたらした2005年(平成17年)台風14号と同規模の洪水を安全に流下させるための『岩瀬ダム再生事業』が採択されました。
具体的には低水放流設備の増設により既存の発電容量及び死水容量を洪水調節容量に振り替え治水機能の向上を図るというものです。
この再生事業の採択によりダム便覧の表記は『岩瀬ダム』から『岩瀬ダム(元)』に変更されました。
 
岩瀬ダム天端は市道として開放されていますが、ダム下流や上流からの撮影ポイントがなくマニア泣かせのダムの一つです。
左岸から
堤頂部の襟が高いのが特徴、ラジアルゲート2門を装備していますが下流側から見ることはできません。
 
天端は市道で車両通行可能。
 
ダム下の宮崎県企業局岩瀬川発電所
最大1万8600キロワットのダム式発電を行います。
 
上流面がきれいに見えるのはここまで。
 
樹間から何とか撮影
縦長の大きなラジアルゲートです。
 
ゲートの隣の堤体にビルトインされた発電所の取水口。
 
天端から。 

ダム湖は野尻湖
小さく見えますが細長く上流まで続き総貯水容量は5700万立米にも及びます。
 
ラジアルゲート巻き上げ機は宮崎県営ダムではおなじみのコルゲートパイプで被覆
ただ綾南ダム松尾ダム渡川ダムでは堤体に並行に設置されていますが、当ダムでは扶壁上に堤体と垂直に設置されています。 
対岸の管理事務所はシニアのご夫婦が住み込みで管理を受託しています。
 
堤体から突き出しているのはゲート操作の際の空気孔
奥に巡視艇が繋留されています。
 
ダム便覧にはダム下流から撮った写真が掲載されていますが、今は立ち入り禁止。
 
(追記)
岩瀬ダム(元)には洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2833 岩瀬ダム(元)(1734)
左岸 宮崎県小林市野尻町東麓
右岸 宮崎県都城市高崎町笛水
大淀川水系大淀川
FP
55.5メートル
155メートル
57000千㎥/41000千㎥
宮崎県県土整備部
1967年
◎治水協定が締結されたダム
--------------
3705 岩瀬ダム(再)
左岸 宮崎県小林市野尻町東麓
右岸 宮崎県都城市高崎町笛水
大淀川水系大淀川
FP
55.5メートル
155メートル
57000千㎥/41000千㎥
国交省九州地方整備局
2019年~

高岡ダム

2021-10-31 23:29:58 | 宮崎県
2021年10月17日 高岡ダム
 
高岡ダムは左岸が宮崎県宮崎市高岡町浦之名、右岸が同県都城市高城町四家の一級河川大淀川本流にある九州電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
宮崎県は主要河川がいずれも包蔵水力豊富なため、戦前から各河川で電源開発が進められてきました。
大淀川では電気化学工業(現デンカ)及び同社傘下の大淀川水力電気が電源開発を進め、
1925年(大正14年)の大淀川第一発電所に次いで1931年(昭和6年)に完成したのが高岡ダムです。
ここで取水された水は約6.3キロの導水路で大淀川第二発電所に送られます。
これらの発電施設は日本発送電の接収ののち、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により九州電力が継承しました。
完成当初の大淀川第二発電所の最大出力は3万キロワットでしたが、昭和30年代に最大7万1300キロワットに増強されました。
 
見学はダム左岸のみで、ほぼフェンス越しとなります。
8門のラジアルゲートで大淀川を閉め切っており、すり鉢状の減勢工は昭和初期の発電ダムらしい作り。



クレストに並ぶ8門のラジアルゲート
扶壁は鮫の背びれのよう。

 
両端が絞り込まれたすり鉢状の減勢工
対岸には波返しの付いた導流壁。


右岸に魚道があります。



 
上流面
ほぼ満水
対岸に魚道の吞口があります。
 
ゲート直上の第二取水口
昭和30年代に増設されました。

 
第二取水口の取水ゲート。

 
第二取水口の上流に第一取水口があります。


取水ゲート。

上流から見た第一取水口。

水利使用標識。
 
(追記)
高岡ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

2806 高岡ダム(1734)
左岸 宮崎県宮崎市高岡町浦之名
右岸 宮崎県都城市高城町四家
大淀川水系大淀川
34.9メートル
124.2メートル
12464千㎥/3653千㎥
九州電力(株)
1931年
◎治水協定が締結されたダム

日南ダム

2021-10-31 16:39:23 | 宮崎県
2021年10月19日 日南ダム 
 
日南ダムは宮崎県日南市酒谷甲の広渡川水系酒谷川にある宮崎県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受け、酒谷川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水(既得灌漑用水)への補給を目的とした補助治水ダムとして1984年(昭和59年)に竣工しました。
2016年(平成28年)に河川維持放流を利用した宮崎県企業局酒谷発電所(最大520キロワット)が稼働しました。
利水従属発電になりますが、これにより宮崎県ではダムの目的を『FN』から『FNP』に、治水ダムから多目的ダムに変更しており当ブログでもこれに従うことにします。
 
下流から
一部樹木に隠れていますが、クレスト自由越流頂と自然調節式オリフィスを備えたよくあるゲートレスダムに見えます。

 
ダム下には2016年に完成した宮崎県企業局酒谷発電所
これにより治水ダムから多目的ダムに変更されました。

 
左岸高台、国道222号線日南ダム展望所から
ここから見るとダムの様相は一変します。
まず目につくのが右岸側の半円形越流式オリフィス。いわゆるダム穴風洪水吐
さらに上流側にせり出した左右両側のクレスト自由越流堤
滋賀の青土ダムも衝撃的ですが、それに引けを取らない『異形』のダムです。

 
直線の天端管理道路に対して、屈曲したクレスト越流頂や導流壁が立体交差。

 
こちらは半円形越流式オリフィス
越流部には振動防止のスポイラーが並びます。

 
いよいよダムサイトへ
ダムの説明板。 


堤体左岸側は『逆Z字』に折れ曲がり『カド』になっています。

 
上流面
左岸クレスト越流頂は上流側にオフセット。

 
左岸は逆Z、右岸は円形と文字通りの左右非対称。


オリフィスの左手は取水ゲート。グリーンの予備ゲートが格納されています。


左岸導流部は減勢のために階段状になっています。


天端から減勢工。


右手は酒谷発電所
左手は低水放流用バルブ。

 
オリフィスは越流中
ダム湖は総貯水容量600万立米で細長く上流に続きます。


右岸から。


左右非対称かつ不規則に折れ曲がった堤体
上流にオフセットセットされたクレストとダム穴風オリフィス
訪問前から楽しみにしていたダムでしたが、生で見ると期待以上の衝撃。
惜しむらくは九州の最果てにあるため、知る人ぞ知る存在になっていること
もし首都圏近郊にあったなら、日本100ダム間違いなし。

2840 日南ダム(1732) 
宮崎県日南市酒谷甲 
広渡川水系酒谷川 
FNP 
 
47メートル 
189メートル 
6000千㎥/4640千㎥ 
宮崎県県土整備部 
1984年 

広渡ダム

2021-10-31 08:40:54 | 宮崎県
2021年10月19日 広渡ダム 
 
広渡ダムは宮崎県日南市北郷町北河内の広渡川水系広渡川にある宮崎県県土整備部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
国交省の補助を受けて建設された補助治水ダムで、広渡川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水(既得灌漑用水)への補給を目的として1993年(平成5年)に竣工しました。
 
ダムは県道33号都城北郷線沿いにあります。
下流から
クレスト自由越流頂8門、自然調節式オリフィス1門のゲートレスダムです。
訪問時はオリフィスから放流中。

 
堤体両岸には波返しのついた堤趾導流壁。

左岸ダムサイトの管理事務所
宮崎県営ダムではおなじみ、こちらも管理人さんが常駐しているはずですが訪問時は買い物でも行かれたのか?不在でした。

 
竣工記念碑。


上流面
一見水位は低めですがこれで常時満水位。
堤体中央に低水放流用の取水ゲートがあります。

天端から減勢工を見下ろす。

 
ダム湖は上流まで細長く続き総貯水容量は640万立米あります。 
上流には広渡ダムレイクサイド公園があり、夏に開設されるウォータスライダー付き天然水プールは子供たちに大人気。 


右岸の艇庫と長ーいインクライン。

 
天端は徒歩のみ開放
右手は資料館、左手は管理事務所。

 
右岸から下流面
個人的にこういうアングルの堤趾導流壁が好み。

 
右岸から上流面

 
バブル期着工のダムということで、補助ダムにもかかわらず資料館兼備。
ただ、訪問が早朝だったこともあり管理人さんは不在、資料館も閉まっていました。
 
2843 広渡ダム(1731) 
宮崎県日南市北郷町北河内
広渡川水系広渡川
FN
66メートル
170メートル
6400千㎥/5350千㎥
宮崎県県土整備部
1993年

天神ダム

2021-10-30 16:33:57 | 宮崎県
2021年10月19日 天神ダム
 
天神ダムは左岸が宮崎県都城市山之口町山之口、右岸が宮崎市田野町乙の大淀川水系境川にある灌漑目的のロックフィルダムです。
大淀川右岸地区は南九州特有の透水性の高い火山灰土壌で形成され、地味が薄い上に水利に乏しく安定した水源確保と灌漑施設の整備が強く求められていました。
1981年(昭和56年)に農水省による国営大淀川右岸地区かんがい排水事業が着手され、その灌漑用水源として2001年(平成13年)に完成したのが天神ダムです。
土地改良事業全体も2004年(平成16年)に完了し大淀川右岸土地改良区の約1900ヘクタール超の田畑のかんがい排水設備が整備され、大淀川右岸地区は宮崎県有数の野菜、果樹等園芸農業地帯となっています。
ダムの管理は宮崎市が受託しています。

一方、2005年(平成17年)台風14号により貯水池上流で大規模な山体崩壊が発生し、大量の土砂流入により計画以上の堆砂が進行するとともに貯水池の濁水が常習化しました。
これに対処するため2023年(令和5年)竣工をめどに国営施設機能保全事業が着手され、土砂流入防止設備や清水選択放流設備などが整備されてます。
 
堤高62.4メートル、堤頂長441.7メートルと農業用ロックフィルダムとしてはなかなかのスケール。

 
洪水吐直下まで車で入れますがスペースがないのでUターンが大変。
転回できないと500メートル以上の鬼バック。

 
左岸から下流面
リップラップにはセイタカアワダチソウが繁茂。

 
上流面も然り。


左岸の横越流式洪水吐。


天端からの眺め
左手は洪水吐、奥の高架橋は宮崎道。

総貯水容量670万立米の貯水池。
2005年(平成17年)に貯水池上流で大規模な山体崩壊が発生しました。

山体崩壊による濁水対策として国営施設機能保全事業で設置された清水選択放流設備。
表層の清水を選択取水できるようになりました。

 
右岸の斜樋
巡視艇繋留用浮桟橋が隣接しています。

広い天端ですが車両は進入禁止で徒歩のみ開放。

 
洪水吐脇の親柱には『田の神様(たのかみさあ)』が安置されています。
南九州特有の民間信仰で田んぼの守り神とされています。

竣工記念碑。


水利使用標識
受益農地の過半が畑地のため、年間を通じて水利権が配分されています。

 
管理事務所。

 
宮崎県北部のダムでは必ずついて回る2005年(平成17年)の台風14号ですが、県南部の天神ダムでもその災厄を受け、対応を余儀なくされました。
 
(追記)
天神ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

2844 天神ダム(1730) 
左岸 宮崎県都城市山之口町山之口 
右岸 宮崎県宮崎市田野町乙 
大淀川水系境川 
 
 
62.5メートル 
441.7メートル 
6700千㎥/6270千㎥ 
宮崎市 
2001年 
◎治水協定が締結されたダム

渡川ダム

2021-10-30 08:30:13 | 宮崎県
2021年10月18日 渡川ダム
 
渡川ダムは左岸が宮崎県東臼杵郡美郷町南郷中渡川、右岸が同県日向市東郷町下三ケの一級河川小丸川上流部にある宮崎県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1935年(昭和10年)に内務省は河川総合開発の先駆となる『河水統制事業』を採択し全国で治水・利水を一貫した河川開発が実施されることとなりました。
宮崎県では1938年(昭和13年)に県電気建設部(現県企業局)により小丸川の治水と発電を目的とした『小丸川河水統制事業』が採択され、4基のダムおよび発電所の建設が着手されました。
このうち浜口ダム(現川原ダム)と川原発電所、戸崎ダムと石河内第二発電所は1940年(昭和15年)に完成するも直後に日本発送電に接収され、戦後は九州電力が事業を継承しました。 
一方多目的ダムとして松尾ダムが戦時中の中断を挟んで1951年(昭和26年)に竣工、こののち小丸川河水統制事業は『小丸川総合開発事業』に衣替えし、同事業により1956年(昭和31年)に小丸川最上流部に渡川ダムが竣工しました。
渡川ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで小丸川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、宮崎県企業局渡川発電所(最大1万2000キロワット)でのダム水路式発電を目的としています。
渡川ダムの完成により、1938年に着手された『小丸川河水統制事業』は着手より18年の年月をかけようやく全事業が竣工するに至りました。
 
ダム便覧には10年以上前に撮影された下流からの写真が掲載されていますが、今は木が茂りこの写真が精いっぱい。
クレストにラジアルゲート3門を備えています。
 
ダム下流面が望めるのはこのアングルだけ
堤頂部の襟がなく曲線でスロープに続く独特のフォルム
一方黒ずんだ堤体はコルゲートパイプのシェルターで被覆されまるでクロヒョウのような雰囲気。
 
撮影ポイントがないので同じような絵が続きます。
 
ズームアップ
コルゲートパイプを使ったチューブ状のシェルターは同じ宮崎県営の綾南ダム松尾ダムなどで見られます。
 
渡川ダム貯水池図
ずいぶん傷んでます。
 
水利使用標識
ダム便覧では有効貯水容量は2990万立米となっていますが、こちらは2790万立米。
当ブログでは水利使用標識に従います。
 
湖岸にしがみつくように建つ管理事務所。
こちらにも管理人さんご夫婦がが住み込みで駐在されています。
 
撮影ポイントがないのは宮崎県ダムあるある。
無理に欲張らず見えるところで満足するのも長く安全にダム巡りするコツだと思います。
 
(追記)
渡川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2818 渡川ダム(1729) 
左岸 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷中渡川 
右岸 宮崎県日向市東郷町下三ケ 
小丸川水系渡川 
FNP 
 
62.5メートル 
173メートル 
33900千㎥/27900千㎥ 
宮崎県県土整備部 
1956年 
◎治水協定が締結されたダム 

上椎葉ダム

2021-10-29 23:06:26 | 宮崎県
2021年10月18日 上椎葉ダム
 
上椎葉ダムは宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良の二級河川耳川上流部にある九州電力(株)が管理する発電目的のアーチ式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な耳川水系では戦前から九州送電による電源開発が進められ、1938年(昭和13年)には戦前としては最も堤高が高い塚原ダムが建設されるなど、日本有数の電源地帯となっていました。 
電力管理法によって誕生した日本発送電は戦中より当地へのダム建設を検討、戦後の経済急回復を受け1950年(昭和25年)に日本初の本格的アーチダムである上椎葉ダム建設に着手します。 
しかし翌1951年(昭和26年)の電気事業再編令で同社は解体され、事業は九州電力が引き継ぎ、5年の歳月をかけた難工事の末1955年(昭和30年)に上椎葉ダムが完成しました。
竣工年度では島根県の三成ダムに遅れるものの、堤高100メートルを超える大ダムとしては日本初のアーチダムで、上椎葉ダムの成果は同じ九州電力の一ツ瀬ダムへと受け継がれのちに黒部ダムという大輪を咲かせることになります。
ここで取水された水は上椎葉発電所に送られ最大9万3200キロワットのダム水路式発電を行っています。
さらに2013年(平成25年)には河川維持放流を利用した上椎葉維持放流発電所(最大出力330キロワットの小水力発電)が稼働しました。
 
上椎葉ダムは両岸にジャンプ台式減勢工を備えた独自のスタイルとも相まってダム愛好家の間では『閣下』の愛称で親しまれています。
また特に毎年11月に開催される観光放流はダム愛好家のみならず一般観光客にも人気のイベントになっています。
上椎葉ダムは日本ダム協会により日本100ダムに、ダム湖の『日向椎葉湖』はダム湖百選に選ばれています。
また2018年(令和元年)には土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
上椎葉ダムには展望スポットが多く、事前に整理してゆかないと右往左往する羽目になります。
ダム下から
上椎葉ダムはいわゆる円筒型アーチ、ドーム型アーチのような圧迫感はない代わりに直下から見上げるとその高さを実感できます。
 
山中展望台への途中から
真正面は凹凸感が消え平面的な絵になります。
 
山中展望台から
ダムをこのアングルから見下ろせるのはいいですね。
貯水池の日向椎葉湖は総貯水容量は9155万立米。
有効貯水容量はダム便覧の7600万立米から堆砂の進行により6307万5000立米に減少しています。
 
椎葉村と言えば平家の落人伝説もあり九州山地の秘境というイメージですが、ダムは市街地近くてびっくり。
ダムのそばには中学校もあります。
堤高100メートル超えのダムと学校がワンフレームに収まるのはここだけかも?
 
右岸高台から
ゲート部分の屈曲がよくわかります。
 
ゲートは左右に2門ずつ、計4門
こちらは右岸のラジアルゲート。
 
ゲートを至近から。
 
右岸から
普通の広角ではフレームに収まらないので超広角で。
 
アングルを変えて。
左右両岸にジャンプ台式減勢工を備えることで、放流時、両岸から放流された水が谷の中央部でぶつかりエネルギーを相殺し堤体への影響を最小限にしようとしました。(ウィキペディア引用)。
 
天端中央から。
 
左岸ダム湖畔の取水設備
取水ゲートはキャタピラゲート。
 
左岸から。
 
ダムの銘板と選奨土木遺産プレート。
 
『日向椎葉湖』の石碑とダム湖百選のプレート
石碑は日向椎葉湖と命名した文豪吉川英治の筆。
椎葉は平家落人伝説の村、吉川英治は大河ドラマにもなった『新平家物語』の著者という縁。
 
左岸展望台から
やっぱりアーチダムは下流側高台から俯瞰するのが一番格好いい。
肉厚且つ円筒型アーチであることがよくわかります。
 
『大本命は一番最後にやってくる』と言いますが、耳川水系の最上流部にあるのが上椎葉ダム。
下流から順番にダムを辿って、最後に登場したのはやはり大本命でした。

2815 上椎葉ダム(1728) 
宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良 
耳川水系耳川
110メートル
341メートル
91550千㎥/63075千㎥
九州電力(株)
1955年