ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

江永ダム

2019-06-12 00:44:49 | 長崎県
2019年5月25日 江永ダム
 
江永ダムは長崎県佐世保市江永町の小森川水系江永川にある長崎県土木部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、江永川および小森川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給を目的として1976年(昭和51年)に竣工しました。
 
佐世保市江永は三河内焼の里として知られ街には窯元の煙突が並んでいます。
市街地の狭い道を川沿い進むと正面に江永ダムが現れます。
道路はダム直下を通っていますが、枝葉が茂り堤体がほとんど見えません。
自由越流式クレストゲート2門、自然調節式オリフィスゲート1門を備えたゲートレスダムです。
日本初の完全ゲートレスダムは1973年(昭和48年)竣工の百谷ダムですので、1976年竣工の江永ダムもかなり初期のゲートレスダムとなります。
 
そのまま直進すると右岸ダムサイトに到着します。
長崎県営ダムではおなじみ、銅板の諸元プレート。
 
こちらは親柱。
 
下流面。
 
天端は車両通行可能でダム湖を一周できます。
 
上流面
手前に取水設備、奥にクレストゲートとオリフィスの流木除けゲージが見えます。
 
総貯水容量83万4000立米とコンクリートダムとしては小ぶりな貯水池。
 
減勢工と副ダム
ダムのすぐ下に江永の市街が続きます。
 
下流面。
 
ダム湖畔右岸に江永ダム水神宮が祀られています。
もともと江永川流域には複数の水神が祀られていましたが、ダム湖に沈むことになったためここにまとめられたようです。
 
1976年(昭和51年)竣工と長崎県営ダムとしてはかなり古いダムです。
ダムの全貌が見える場所がないのが玉にキズです。
 
(追記)
江永ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。  
 
2624 江永ダム(1462) 
長崎県佐世保市江永町
小森川水系江永川
FN
29.7メートル
125メートル
834千㎥/780千㎥
長崎県土木部
1976年
◎治水協定が締結されたダム

川谷ダム

2019-06-11 15:27:08 | 長崎県
2019年5月25日 川谷ダム
2019年7月14日
 
川谷ダムは長崎県佐世保市川谷の相浦川水系相浦川上流部にある佐世保市水道局が管理する重力式コンクリートダムです。
佐世保市街北部を貫流する相浦川は出水が多く、戦前より治水対策が求められていました。
一方終戦後に旧海軍水道を事業継承した佐世保市水道事業ですが、米軍の駐留や朝鮮戦争などにより水需要が急増し新たな上水道水源開発に迫られていました。
佐世保市水道局は相浦川上流部川谷地区で進められていた砂防ダム事業に着目、この事業を移管した上で上水道用水源に加えて洪水調節機能を持つ多目的ダムに計画変更し1954年(昭和29年)に川谷ダムが竣工しました。
川谷ダムは佐世保市に上水道用水を供給するほか、洪水期の5月1日から9月30日においては洪水調節容量が設定され防災目的が付加されます。
現在でも日量最大1万3300立米の上水道用水を供給する佐世保市水道屈指の水源となっています。
 
川谷ダムは県道43号線沿いにありますが、敷地は立ち入り禁止です。
ただ川谷トンネル手前の県道からダム正面が見れます。
洪水吐はクレストにラジアルゲートが2門だけで、オリフィスやコンジットゲートは見当たりません。
 
7月14日に再訪、前夜の雨でクレスト1門から放流していました。(2019年7月14日)
 
昭和20年代の設計らしく、ゲート上部だけ高くなっています。
苔生した導流面や、打継部から浸み出した骨材成分が70年近いダムの歴史を醸し出しています。
 
クレスト1門から放流(2019年7月14日)
 
ダム便覧ではダムの目的は灌漑・上水となっていますがこれは誤りです。
佐世保市水道局HPでは川谷ダムの容量については水道用水と、洪水期における洪水調節容量と記されています。
水道事業者が管理するダムながら洪水期のみ洪水調節容量が設定される珍しいダムです。
 
2608 川谷ダム(1461) 
長崎県佐世保市川谷町
相浦川水系相浦川
FW
46メートル
178メートル
2020千㎥/1910千㎥
佐世保市水道局
1954年

笛吹ダム

2019-06-10 14:45:26 | 長崎県
2019年5月25日 笛吹ダム
 
笛吹ダムは長崎県松浦市志佐町笛吹免の志佐川水系笛吹川にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで笛吹川および志佐川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、電源開発松浦火力発電所他向けの工業用水の供給を目的として2006年(平成18年)に竣工しました。
多目的ダムではありますが、電源開発松浦火力発電所の2号機増設向けの利水供給を主目的として建設されました。
 
松浦市志佐町笛吹免地区の県道11号に笛吹ダムへの案内標識があります。これに従って東に向かうと笛吹ダムに到着します。
ダム下は公園として整備され、ダムサイトへとつながる道路が立体交差しています。
 
自由越流式クレストゲート2門、自然調節式オリフィスゲート1門のゲートレスダム。
ダム下に高架橋があるので高い位置から正対できます。
 
ダム右岸の竣工記念碑は長崎ではおなじみ金箔仕様。
 
2006年(平成18年)竣工と比較的新しいせいかまだまだコンクリートはきれいです。
 
小さな減勢工ですが導流壁は背が高くなっています。
灌漑期ということで利水放流は多め。
 
天端から
ダム下で道路がループしています。
ダム下のループと言えばどこもきれいな円形ですが、ここはジェットコースターのようなアクロバティックなループ。
 
ダム湖は総貯水容量201万立米。
 
上流から
手前の遺構は何ぞや?
 
上流面
クレストゲートの間にオリフィスゲートがあり、ゲート左側に取水設備と言う並び。
取水設備そばに曝気装置があります。
 
左岸高台に展望台がありダムを俯瞰できます。右岸の建物は管理事務所。
 
展望台からは松浦市街も遠望できます。
正面の煙突は笛吹ダムから工業用水を送っている電源開発松浦火力発電所。
2基の発電所で計200万キロワットの発電を行っています。
 
用水供給が松浦発電所だけならダムの目的はFNPになったんでしょうが、発電所のほかか一部工場への供給ということで目的は工水(I)となったようです。
 
(追記)
笛吹ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。  
 
3182 笛吹ダム(1460) 
長崎県松浦市志佐町笛吹免
志佐川水系笛吹川
FNI
59.8メートル
296.5メートル
2010千㎥/1910千㎥
長崎県土木部
2006年
◎治水協定が締結されたダム 

久吹ダム

2019-06-10 10:40:06 | 長崎県
2019年5月25日 久吹ダム
 
久吹(くぶき)ダムは長崎県平戸市田平町福崎免の久吹川下流部にある灌漑目的のロックフィルダムです。
農水省の補助を受けた長崎県の事業で1981年(昭和56年)に事業着手され1989年(平成元年)に竣工しました。
運用開始後は田平土地改良区が受託管理を行っています。
 
下流から
堤高33.7メートルと農業のフィルダムとしてはそこそこ高さがあります。
右岸に洪水吐斜水路が、ダム下に揚水機場と放流設備があります。
 
ダムサイトは駐車場が整備されちょっとした公園のよう。
ダムの敷地は車両進入禁止のため歩いてダムを見学します。
天端から下流を見るとすぐ先には海、距離にして1キロ程度でしょうか?
下の田んぼは入り江が埋め立てられたようです。
 
ダム下の揚水機場
田平には観光名所でもある田平天主堂があり、揚水機場もカトリック教会をモチーフにしたデザインになっています。
 
総貯水容量は97万立米。
 
右岸の管理事務所裏手に斜樋と浮桟橋があります。
 
右岸の横越流式洪水吐
越流堤手前までロック材が敷かれています。
 
下流面。
 
天端は広い道路ですが、一般車両は入れません。
 
洪水吐導流部
斜水路手前に副ダムがあり切れ込みが入っています。
 
上流面
上流面から洪水吐までロック材が敷かれており、魚の鱗のよう。
 
ダムサイトに竣工記念碑や水利用標識があったのですが撮影するのを失念してしまいました。
 
2646 久吹ダム(1459) 
長崎県平戸市田平町福崎免
久吹川水系久吹川
33.7メートル
155メートル
970千㎥/870千㎥
田平土地改良区
1989年 

阿奈田ダム

2019-06-10 01:08:05 | 長崎県
2019年5月25日 阿奈田ダム
 
阿奈田(あなた)ダムは長崎県平戸市大川原町の阿那田川水系阿那田川下流部にある平戸市水道局が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
昭和40年代に入り平戸市では本格的な水道整備が進められ、島北部の平戸中心部では1969年(昭和44年)に神曽根第2ダムと平戸浄水場が、1980年(昭和55年)に箕坪ダムが完成しました。
しかし平戸島中南部では依然として水源を地下水や小河川表流水に依存したため、渇水による取水制限が絶えませんでした。
平戸島中南部への水道用水供給の水源として2009年(平成21年)に竣工したのが阿奈田ダムと阿奈田浄水場で、両者の運用開始により平戸市中部紐差地区一帯での水道整備が大きく進展しました。
 
平戸市大川原町の県道60号直上に阿奈田ダムがあり、減勢工そばまで立ち入ることができます。
洪水吐はクレストに自由越流式ゲートが4門並んでおり左右非対称の導流壁が目を惹きます。
 
天端には車止めがあり立ち入りは徒歩のみ。
 
ゲートの手前に半六角形の取水設備があります。
 
左岸の竣工記念碑と諸元表
2007年竣工と比較的新しいダムなので金箔の文字もピカピカ。
 
導流部は左右非対称で左岸は直線、右岸はフーチングと波返しの付いた堤趾導流壁。
 
減勢工と副ダム。
 
同じポイントからズームアップ。
ダムのすぐ下流で県道が大きくヘアピンを描きます。海まで1キロもありませんが残念ながら霞んでいます。
左奥の建屋が阿奈田浄水場。
 
取水設備の操作ハンドル。
 
総貯水容量22万9000立米の小さなダム湖。
 
阿奈田で『あなた』と読みます。
『あなた!ダム』
『わたし?無駄・・・』
 
ダム名は『阿奈田ダム』、河川名は『阿那田川』
ちょっとややこしい。
 
3595 阿奈田ダム(1458) 
長崎県平戸市大川原町
阿那田川水系阿那田川
31.5メートル
95.5メートル
229千㎥/160千㎥
平戸市水道局
2009年

箕坪ダム

2019-06-09 22:02:24 | 長崎県
2019年5月25日 箕坪ダム
 
箕坪ダムは長崎県平戸市下中野町の箕坪川水系箕坪川の河口近くにある上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
昭和40年代に入り平戸市では本格的な水道整備が進められ、島北部の平戸中心部では1969年(昭和44年)に神曽根第2ダムと平戸浄水場が竣工しました。
しかしその後も人口増加や生活様式の近代化による水需要の増加に対処するため、新たな上水道水源として1980年(昭和55年)に竣工したのが箕坪ダムです。
ここで取水された水は神曽根第2ダム同様平戸浄水場経由で市内北部に給水されています。
 
平戸市主師町の県道19号『箕坪ダム入口』バス停がダムへの目印です。
バス停先の分岐を北に折れると貯水池の先に箕坪ダムが見えてきます。
ダムは河口から約500メートル、ダム越しに海が見えます。
 
右岸ダムサイトの竣工記念碑。
やや色あせていますが金箔仕様。
 
上流面
クレストは自由越流式ゲートが2門
取水設備は独特の半六角形。
 
減勢工
ダムの下流約500メートルがもう海。
 
望遠で
左奥に見えるのは生月島。
 
右岸の山の中腹にある遺構
建設時に使用されたケーブルクレーンの土台。
 
ダム湖は総貯水容量58万立米
ダム湖両岸は常緑広葉樹林が続き水源の森として保護されています。
 
取水設備の操作ハンドル。
 
天端。
 
左岸から下流面
フーチングの階段を途中まで下りられます。
 
ダム便覧には下流から遠望した写真が掲載されていますが、ダム右岸から河口へと向かう道は半ば廃道になっており無理はしませんでした。
 
2643 箕坪ダム(1457) 
長崎県平戸市下中野町
箕坪川水系箕坪川
36.7メートル
130メートル
580千㎥/520千㎥
平戸市水道局
1979年

桜川ダム

2019-06-07 11:23:49 | 長崎県
2019年5月25日 桜川ダム
 
桜川ダムは長崎県平戸市生月町南免の桜川水系桜川の河口付近にある平戸市水道局が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
生月島は平戸島の北西にある南北約10キロ、東西2キロの細長い島で1975年(昭和50年)に島内最初の上水用ダムとして神の川ダムが完成しました。
1980年代後半に、平戸島と生月島を結ぶ生月大橋架橋が決定し観光客の大幅な増加が見込まれることになりました。
これを受け当時の生月町は新たな上水道水源建設を決め、生月島大橋建設事業に合わせ1995年(平成7年)に竣工したのが桜川ダムです。
ここで取水された水は神の川浄水場を経て各配水場に送られています。
ダム完成当初は生月町が管理運用を行っていましたが、その後の市町村合併により現在は平戸市水道局が引き継いでいます。
またダム便覧には1991年竣工と記されていますがこれは1995年の誤りです。
 
道の駅『生月大橋』から島の西側の海岸沿いを走るサンセットウェイに入り、桜川にかかる高架橋から眼下にダムを見下ろせます。
ダムと海をこんなアングルで見ることができるのは全国でも桜川ダムだけでしょう。
右奥には遥か五島列島も望めます。
 
高架橋の先をすぐに右折すると桜川沿いの車道に出ます。
この道がダム右岸へと続いています。
 
自由越流式クレストゲートが2門、その右手に取水設備があります。
シャフトが4本ほど見えるので選択取水設備でしょうか?
左奥に見えるのは平戸島。
 
上流面
 
天端は立ち入り禁止
上水ダムなので仕方ありません。
 
竣工記念碑
竣工当時の事業主体である生月町の名があります。
奥はサンセットウェイの高架橋。
 
下流面。
 
減勢工とポンプ場
ここから神の川浄水場まで揚水されます。
 
左岸下流側から
ダムの両岸は高さ50メートル程度の断崖が続いており、桜川が作った渓谷を塞いでダムがつくられています。
 
正面から
実はこの玉石はもう海岸線、足が海水に浸かるような位置から撮った写真です。
 
ダム便覧に掲載されていたダム越しに海を見下した写真を見て、ずっとずっと恋焦がれていた桜川ダムにようやく来ることができました。
桜川ダムのみならず生月第1池や山頭溜池など生月島の5基のダムはどれも本当に素晴らしい。
一般的なダムマニアの方とは価値観が異なるけど、個人的にはこの島はダムの聖地です。
 
3218 桜川ダム(1456) 
長崎県平戸市生月町南免
桜川水系桜川
33.9メートル
110メートル
123千㎥/120千㎥
平戸市水道局
1995年

神の川ダム

2019-06-07 10:12:57 | 長崎県
2019年5月25日 神の川ダム
 
神の川(こうのかわ)ダムは長崎県平戸市生月町南免の神の川下流部にある平戸市水道局が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
生月島は平戸島の北西にある南北約10キロ、東西2キロの細長い島で、生活用水は長く湧水や井戸水に依存してきました。
しかし高度成長期以降の生活様式の変化により水需要が増加したことから、昭和50年代より生月町は島内水道事業の整備に着手します。
その水源として1975年(昭和50年)に建設が始まり1979年(昭和54年)に竣工したのが神の川ダムです。
ここに貯留された水はダム直下にある神の川浄水場から島内各地の配水場に送られています。
その後1995年(平成3年)には新たに桜川ダムが完成し島内の水道事情は大きく改善しました。
 
今回は北の落木場溜池から南下したので上流側からのアプローチとなりました。
左岸上流から俯瞰
海とダムが同時に見れます。
 
ズームアップ
クレストに自由越流式ゲート2門が見えます。
 
アングルを変えて。
 
 
ダム湖を回り込み右岸に到着します。
 
クレストゲートの左手は取水設備。
湖面に見えるのは水質保全の攪拌装置で隣には噴水があがっています。
 
総貯水容量は23万立米
少雨の影響か水位がずいぶん低くなっています。
 
 
天端は立ち入り禁止。
 
天端にはパイプラインが通っています。
西側約1キロ地点に作られた桜川ダムから神の川浄水場への送水管です。
 
実は神の川ダムはダム下まで行くことができるのたのですが、事前の予習不足でダム下への入り口がわかりませんでした。
ダム便覧にはダムの背後に風力発電が並ぶ美しい写真が掲載されておりこれを見れなかったのは非常に残念。 
 
3602 神の川ダム(1455) 
長崎県平戸市生月町南免
神の川水系神の川
25.2メートル
233メートル
230千㎥/223千㎥
平戸市水道局
1979年

落木場溜池

2019-06-07 00:26:10 | 長崎県
2019年5月25日 落木場溜池
 
落木場(おちこば)溜池は長崎県平戸市生月町南免の神の川水系神の川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
生月島は古くから漁業や捕鯨の拠点となってきましたが、水利に乏しく農業は湧水を水源として僅かに営まれてきただけでした。
しかし明治末期から大正にかけて近代土木技術を導入して多数の溜池が築造されたことで、傾斜地が各所で開墾され多くの棚田が作られました。
神の川流域ではまず1914年(大正3年)に山頭溜池が建設され、次いで1926年(大正15年)に山頭溜池直下に建設されたのが落木場溜池です。
現在は両溜池とも山田土地改良区が管理を行っています。
なおダム便覧では堤高20.6メートル、堤頂長127メートルと記されていますが、2020年(令和2年3月)に作成された長崎県のため池データベースでは堤高14.4メートル、堤頂長127メートルとなっています。
データベースのスペックを採用すると、落木場溜池は河川法上のダムの要件を満たさなくなります。
 
今回は山頭溜池から落木場溜池へと向かいました。
山頭溜池からは棚田の先に落木場溜池が見えており、池を反時計回りに回り込むと落木場溜池右岸に到着します。
下流から遠望
道路が堤体を斜めに横断しています。
 
右岸の洪水吐導流部
路床保護のため石が貼られているようです。
 
下流面。
 
下流面を横切る車道
わかりづらいですが、道路に沿ってイノシシ除けのフェンスが設置されています。
 
右岸の越流式洪水吐。
 
越流堤。
 
導流部
コンクリートの色が白いので洪水吐は近年改修があったようです。
 
洪水吐と上流面
上流面はコンクリートブロックで護岸されています。
 
左岸の斜樋。
 
上流から遠望。
田植えの季節で用水最需要期、さらには少雨ですが貯水池は満水。
水源の森が保護されてる効果てきめん。
 
ダム下に行かなかったので底樋は確認しませんでした。
 
2588 落木場溜池(1454) 
ため池コード422070119
長崎県平戸市生月町南免
神の川水系神の川
20.6メートル(ため池データベース14.4メートル
127メートル
129.3千㎥(ため池データベース165千㎥)/
129.3千㎥(ため池データベース165千㎥)
山田土地改良区
1926年

山頭溜池

2019-06-06 18:31:47 | 長崎県
2019年5月25日 山頭溜池
 
山頭(やまがしら)溜池は長崎県平戸市生月町南免にある灌漑目的のアースフィルダム、灌漑用溜池です。
生月島は古くから漁業や捕鯨の拠点となってきましたが、水利に乏しく農業は湧水を水源として僅かに営まれてきただけでした。
しかし明治末期から大正にかけて近代土木技術を導入して多数の溜池が築造されたことで、傾斜地が各所で開墾され多くの棚田が作られました。
山頭溜池は生月島で最初に建設された大型溜池で、ダム便覧には山田土地改良区の事業で1912年(大正元年)着工、1914年(大正3年)竣工と記されています。
戦前には土地改良区はありませんので、その前身となった耕地整理組合もしくは水利組合の事業で建設されたと思われます。
池の管理は山田土地改良区が行っています。
 
なおダム便覧では堤高18.5メートル、堤頂長128メートルと記されていますが、2020年(令和2年3月)に作成された長崎県のため池データベースでは堤高14.5メートル、堤頂長128.8メートルとなっています。
データベースのスペックを採用すると、山頭溜池は河川法上のダムの要件を満たさなくなります。
 
山頭溜池は『山頭草原』が目印となります。
ダム下から
ダム便覧の写真と同じ、棚田の石垣越しに見る山頭溜池。
良質の石が採取されるため、生月島の棚田では美しい石垣が各所で見られます。
 
右岸の洪水吐は近年改修があったようでコンクリートが白く輝いています。
 
洪水吐導流部。
 
天端へは『山頭園地駐車場』に車を止め徒歩で向かいます。
ここが山頭溜池への入口となります。
 
山頭草原は牛の放牧用の草原で、牧柵の中に遊歩道が続いています。
 
園地から歩くこと10分ほどで山頭溜池左岸に着きます。
溜池にはイノシシ除けのフェンスがありますが立ち入り禁止ではありません。
 
上流面はコンクリート護岸されていますが草が覆っています。
 
左岸の斜樋。
 
天端からの眺め
真下には先ほどの石垣のある棚田が続き、森の奥には海が広がります。
 
溜池は総貯水容量9万3000立米と小ぶりです。
池の上流には山頭草原の放牧地が続きまるで信州の霧ケ峰のよう。
 
放牧地では黒毛が草を食んでいます。
正面のピークが池の名前の由来となった標高257メートルの『山頭』で、山頂まで遊歩道が続いています。
 
近年改修された越流式洪水吐
側壁のコンクリートは真っ白。
 
池直下の棚田と、池を取り巻く山頭草原の牧歌的な風景。
時間に余裕があればのんびり遊歩道を歩いて上から池を俯瞰してみたい、そんな山頭溜池でした。
 
2575 山頭溜池(1452) 
ため池コード 422070118
長崎県平戸市生月町南免
神の川水系神の川
18.5メートル(ため池データベース14.5メートル
128.8メートル
93千㎥/93千㎥(ため池データベース87.5千㎥)
山田土地改良区
1914年 

生月第1池

2019-06-06 14:32:15 | 長崎県
2019年5月25日 生月第1池
 
生月第1池は長崎県平戸市生月町里免にある灌漑目的のアースフィルダムです。
生月島は平戸島の北西にある南北約10キロ、東西2キロの細長い島で、古くから漁業や捕鯨の拠点となってきた一方、農業は湧水を水源として僅かに営まれてきたのみでした。
しかし明治末期から大正にかけて近代土木技術を導入して多数の溜池が築造され、傾斜地が各所で開墾され多くの棚田が作られました。
生月第1池もそのような溜池の一つで、ダム便覧では生月土地改良区の事業で1915年(大正4年)着工、1920年(大正9年)竣工と記されています。
戦前には土地改良区はありませんので、その前身となった耕地整理組合もしくは水利組合の事業で建設されたと思われます。
池の管理は生月土地改良区が行っています。
 
生月島西岸を走る通称『生月サンセットウェイ』を北に進み里免地区に入ります。
JAの肥育センター脇を東に折れ狭い農道を登ってゆくと生月第2池に出ます。ここを右折すれば番岳の麓に第1池が見えてきます。
生月第1池を遠望
背後の三角錐の山は番岳で山麓の森は水源の森として保護されています。
 
生月第1池直下には小さな溜池があります(名称不詳)
向かって右手は生月第1池の洪水吐で、越流した水は直下の溜池に流入します。
下の池は減勢工の役割にも見えますが、むしろ貴重な水は少しも逃さないという工夫にも思えます。
 
下流面。
 
天端入口にはイノシシ除けのフェンスがありますが立ち入り禁止ではないようです。
草が伸びていますが、さほどのことはなく対岸まで歩けます。
 
堤体上部はコンクリートブロックで護岸
上流面は石積護岸されておりここは建設当時のままかもしれません。
 
天端からの眺め
棚田と溜池が続き、奥には海が望めるまさに絶景!!
奥の池が生月第2池です。
 
貯水池は総貯水容量14万6000立米
水源の森の効果でしょうか、灌漑期そして少雨にもかかわらずほぼ満水。
 
右岸の斜樋。
 
わかりにくいですがこれが洪水吐。
こちらにもイノシシ除けのフェンスがありました。
生月大橋の開通で橋を伝って本土からイノシシが来島したようです。
 
洪水吐導流部
手前側は近年改修があったようで床もコンクリート張り、奥は昔ながらで流路床部分は石張りになっています。
 
ダム便覧でこの池の天端からの写真を見て以来、長く憧れでもあった生月島の溜池をようやく目にすることができました。
幸い天気にも恵まれ期待にそぐわぬ素晴らしい眺めを堪能できました。
最後に余談ですが、長崎県の松浦市や平戸市では語尾に『免』という地名が各所にみられます。
松山田免、郭公尾免、里免、南免といった具合です。
他にも島原では『名』、大村や五島では『郷』、壱岐では『触』の文字がつくことが多いようです。
地域としては
『免』は旧平戸藩領、『名』は旧佐賀藩および島原藩領、『郷』は旧大村藩および五島藩領、『触』は壱岐となっています。
由来については諸説あるようですが、有力な説としては
『免』は中世以降の年貢減免を受けたいわゆる免田、『名』は年貢徴収の単位となった田畑、『郷』は律令や荘園制度下での行政区分単位、壱岐の『触』については『村』の古代読みである『ムレもしくはフレ』に由来すると言われています。
以上本題に関係のない蘊蓄でした。
 
2584 生月第1池(1451) 
ため池コード 422070109
長崎県平戸市生月町里免
うこの川水系うこの川
17.5メートル(ため池データベース16.5メートル)
122メートル(ため池データベース109.1メートル)
145千㎥/145千㎥
生月町土地改良区
1920年 

神曽根第2ダム

2019-06-06 12:18:31 | 長崎県
2019年5月25日 神曽根第2ダム
 
神曽根(こうぞね)第2ダムは長崎県平戸市下中野町の神曽根川下流部にある上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。 
平戸市の中核をなす平戸島には大河がなく、高度成長期までは上水道水源の大半を地下水(井戸水)に依存してきました。しかし、高度成長による人口増加や生活様式の変化を受け、昭和40年代より本格的な上水道整備が進められ平戸島最初の上水道水源として1969年(昭和44年)に完成したのが神曽根第2ダムです。
管理は平戸市水道局が行い、ここで取水された水は500メートルほど下流の平戸浄水場に送られたのち平戸市中心部へ給水されます。
なおダム便覧では神曽根第2ダムと記されていますが、現地では神曽根ダムと呼ばれています。地図などでも第1ダムは見当たらず単に神曽根ダムと言う名前でよいのではないかと思います。
 
県道19号の生田峠から神曽根第2ダムが遠望できます。
 
洪水吐は全面越流式1門
自治体管理の上水ダムの典型的スタイル。
 
残念ながら天端やダム湖は立ち入り禁止のため見ることはできません。
 
3683 神曽根第2ダム(1451) 
長崎県平戸市下中野町
神曽根川水系神曽根川
25.65メートル
86.33メートル
128千㎥/120千㎥
平戸市水道局
1969年

郭公尾溜池

2019-06-05 22:05:09 | 長崎県
2019年5月25日 郭公尾溜池
 
郭公尾(こっこのう)溜池は長崎県松浦市御厨町郭公尾免にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には松浦市の事業で1940年(昭和15年)着工、1950年(昭和25年)竣工と記されています。
ただし戦前は新御厨町で1955年(昭和30年)の町村合併により松浦市となったため、厳密に言えば事業者は新御厨町(現松浦市)と言う記述が正確かと思います。
池の管理は御厨土地改良区が行っています。
 
池のすぐ下を県道144号が走っています。
堤高17.3メートルですが堤体中段を県道が通っており、ここから見た高さは数メートルしかありません。
 
下流面
実際の堤体は県道のずっと下まで続いています。
 
右岸にある越流式洪水吐。
 
堤体は右岸側で直角に折れ曲がり、洪水吐導流部は右岸堤体に沿って流下してゆきます。
 
下流から。
 
導流部は県道を潜りさらに流下してゆきます。
 
上流面はコンクリートブロックで護岸されています。
 
総貯水容量は33万立米。
 
右岸にある斜樋の操作建屋
 
斜樋
右側のシャフトが壊れています。
 
2606 郭公尾溜池(1450) 
ため池コード 422080010
長崎県松浦市御厨町郭公尾免
竜尾川水系寺ノ尾川
18メートル(ため池データベース17.3メートル)
170メートル(ため池データベース148メートル)
330千㎥(ため池データベース310千㎥)/250千㎥
御厨土地改良区
1950年

松山田溜池

2019-06-05 15:01:04 | 長崎県
2019年5月25日 松山田溜池
 
松山田溜池は長崎県松浦市調川町松山田免の調川川水系調川川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には松浦市の事業で1941年(昭和16年)着工、1950年(昭和25年)竣工と記されていますが、溜池築造当時はまだ合併前のため、厳密には事業者は調川町(現松浦市)が正確かと思われます。
その後1970年(昭和45年)に農林省の補助を受けた県の老朽ため池改修事業により大規模な改修が行われ現在に至っています。
管理は調川地区土地改良区が行っています。
 
県道146号線で調川町松山田免地区に入ると正面に松山田溜池が遠望できます。
堤高18.8メートルですが、数字以上に存在感があります。
 
県道から溜池に向かうと長大な洪水吐導流部が現れます。
 
越流式洪水吐と貯水池
総貯水容量21万立米、背後の森は湯の谷水源の森として県森林公社が管理しています。
 
洪水吐越流堤。
 
下流面。
 
天端は車道。
 
上流面はコンクリートで護岸されています。
 
天端からは海が見えます
正面は星鹿半島、奥は的山大島かな??。
 
右岸の斜樋。
 
1970年(昭和45年)の改修の際に建てられた金箔文字の記念碑。
 
 
ダム下にはゆかなかったので底樋は確認できませんでした。
 
2605 松山田溜池(1449) 
ため池コード 422080038
長崎県松浦市調川町松山田免
調川川水系調川川
28メートル(ため池データベース18.8メートル)
90メートル(ため池データベース83.6メートル)
210千㎥/210千㎥
調川地区土地改良区
1950年

都川内ダム

2019-06-04 22:57:23 | 佐賀県
2019年5月24日 都川内ダム
 
都川内(みやこがわち)ダムは佐賀県伊万里市大坪町丙の伊万里川水系古賀川左支流都川内川にある佐賀県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、都川内川・古賀川・伊万里川下流部の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、伊万里市への工業用水の供給を目的として2002年(平成14年)に竣工しました。
多目的ダムですが、伊万里市への工業用水供給を主目的として建設されました。
 
まずはダム下から
洪水吐は自由越流式クレストゲート1門だけで。
越流部に切り込みがありこれで常用・非常用を兼ねています。
左下の建屋は低水放流設備。
 
左岸から下流面
ダム下から見上げるとさほど幅がないように見えたんですが、堤頂長は200メートル近くあります。
対岸の建物は管理事務所。
 
ダム一帯は公園として整備されています。
市街地に近いことからウォーキングや散歩をする市民が多いようです。
 
天端は車両通行可能。
 
竣工記念碑は金箔仕様。
 
天端中央のベンチ。
焼き物の街らしく高欄には伊万里焼の陶板がはめ込まれています。
 
そのうちの1枚。
 
減勢工と低水放流設備
ダム下も親水公園になっています。
 
ダム湖の名前は『いなさ湖』
総貯水容量は113万立米と県営ダムとしては小さめ。
 
上流面
手前から取水設備とクレストゲート。
 
3138 都川内ダム(1448) 
佐賀県伊万里市大坪町丙
伊万里川水系都川内川
FNI
31.5メートル
199.6メートル
1130千㎥/1110千㎥
佐賀県県土整備部
2002年