ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

丸山ダム 見学会

2024-08-29 08:00:00 | ダム見学会
2024年5月29日 丸山ダム 見学会
 
5月25日(土)から5泊6日で木曽川流域のダム巡りを計画し、最終日の5月29日(水)に国土交通省が管理する丸山ダム(元)のダム見学会に参加しました。
丸山ダム(元)では毎週水曜日に事前予約により定員6名までの見学会を実施しており今回はこれに申し込みました。
ところが見学会2日前から東海地方ではまとまった雨となり、28日には豪雨と呼んでもおかしくない激しい雨脚となり、丸山ダム(元)ではピーク時に毎秒最大2400立米の放流が実施されました。
丸山ダム管理所のホームページには、ゲート放流の際には見学会は中止と記されており見学会が行われるのかやきもきしましたが、見学会の直前には放流量が毎秒600立米まで減ったことから無事開催される運びとなりました。
ここでは丸山ダム見学会の詳細についてご紹介してゆきたいと思います。

見学会開始前にダムの下流にある丸山ダム展望台・まるっとテラスおよび丸山大橋からダムを望みます。
こちらはまるっとテラスから
ダム左岸(向かって右)では転流工を建設中
右岸(向かって左)のエンジの建造物の下には新丸山発電所があります。


これは丸山大橋から
丸山大橋では駐車の自粛要請があるので駐車場からてくてく歩きました。
5門のクレストゲートから放流中。
これで毎秒600立米ですがそれでも激しい放流。未明には毎秒2400立米の放流が行われました。


ズームアップ。


左岸で建設中の転流工
ダム完成後は放流設備の放流口として活用されます。


午後1時から見学会が開始
まずは簡単なレクチャーから。
今回は我が家夫婦のほか男性2名の計4名。
gooブログを通じて知り合い『木曽川大堰ダム研見学会』でもご一緒したMさんも参加されました。

 
現在の丸山ダム(元)の諸元や目的、運用のほか新丸山ダム(再)建設についても説明がありました。
以下は新丸山ダム(再)建設の進め方。
これについては国土交通省新丸山ダム建設事務所ホームページに動画が掲載されているのでそちらも参照ください。








20分ほどのレクチャーのあと、管理支所屋上から説明を受けます。


上記のように新ダムは左岸側から施工されるため、左岸で掘削が行われています。


橋台が設置されているあたりには転流工の取水工が新設される予定。


ケーブルクレーンも架設済み。



管理支所での説明を終え、マイカーでダムの天端へと向かいます。
再開発工事中のダムの天端にマイカーで乗り付けるというのもなかなかできない経験。


まずはエレベーターで監査廊に下ります。


エレベーターを降り監査廊へ
階段がさらに続きますが今回はここまで。


監査廊では地元の酒蔵のお酒が貯蔵されています。


プラムライン。


昭和20年代のダムということで、各所で炭酸カルシウムが染み出しています。


こちらはミニ鍾乳石の様相。


エレベーターで天端に戻ります。
エレベーターには昔ながらの手動の蛇腹がついています。


あまり見かけない日立のロゴ。


極めつけは積載量の表記
キログラムは漢字で『瓩』、初めて見ました。


天端に戻りました。
ダムを施工した『間組』の銘板
今でこそ中堅ゼネコンに甘んじていますが、かつては『ダムの間』と呼ばれダム建設の第一人者でした。


ゲート部前面にはキャットウォーク(歩廊)が設置されています。
普段ならここからゲートを間近に見ることができたんですが、今回は放流中のため立ち入れません。




毎秒600立米まで減ったとはいえ、間近で見る放流はかなりの迫力、轟音もすごい。


ダムの下流
かつては橋の手前右岸側に管理支所がありました。 


ピア上の巻き上げ機を見上げます。
放流がなければこちらにも昇れたんですが、今回はお預け。


前日までの大雨でダム湖も濁りまくり
写真左手に関西電力の発電用取水工があります。
新ダム建設ではこの取水工も水没するため、奥の橋台部分に新しい取水工が建設されます。


左岸から見た歩廊
前面の円形のバルコニーは昭和20年代らしい造形。


左岸では新ダム建設の備え絶賛掘削中
上部の法面はかなり出来上がっています。


タンクのある場所が新ダムのダム軸。


眼下の重機群がまるでおもちゃのよう。


最後に記念写真。


国土交通省中部地方整備局管内で今年から配布が始まった『ダム印』
丸山ダムには通常バージョンと見学会用バージョンの2種類があります。


2016年(平成28年)以来8年ぶりの丸山ダムでした。
今回は放流中ということで通常の見学会とは異なるメニューとなましたが、むしろ間近で放流を見れる方が希少な体験だったと思います。
新丸山ダム(再)の完成は2036年(令和18年)と14年も先。
今後も再開発の進捗に合わせて見学会に参加したいと思います。

丸山ダム(元)

2024-08-28 08:00:00 | 岐阜県
2016年1月10日 丸山ダム(元)
2024年5月29日
 
丸山ダム(元)は左岸が岐阜県可児郡御嵩町小和沢、右岸が同県加茂郡八百津町八百津の一級河川木曽川本流にある国土交通省中部地方整備局が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
電力国家管理政策により木曽川水系の発電施設を接収した日本発送電(株)は包蔵水力豊富な木曽川での電源開発を進め、1943年(昭和18年)に丸山ダム及び丸山発電所の建設に着手しますが、戦況悪化により事業は中断。
しかし、戦後の電力不足を受け1950年(昭和25年)に工事が再開され、電気事業再編成により木曽川水系の発電施設を継承した関西電力(株)が建設事業を継承しました。
一方、ダムによる木曽川の洪水調節を企図していた建設省(現国土交通省)は丸山ダムに着目、1952年(昭和27年)より丸山ダム建設事業に参加し関西電力と建設省の共同事業として1955年(昭和30年)に丸山ダム(元)が完成しました。
丸山ダム(元)は建設省(現国土交通省)と関西電力(株)が共同管理する『兼用工作物ダム』として運用が開始され、最大毎秒1800立米の洪水をカットする一方、丸山発電所(最大12万5000キロワット)でのダム水路式発電が開始されました。
さらに1971年(昭和46年)には新丸山発電所(最大出力6万3000キロワット)が稼働し合計18万8000キロワットと一般水力発電では国内有数の発電量を誇るに至りました。
丸山ダム(元)は近代的建設技術を駆使しわが国初の堤高100メートル級ダムとして完成し、その後の巨大ダム建設に大きな影響を与え建設業界におけるエポック的存在となっています。

ダム運用開始以降幾多の豪雨においてその治水能力を発揮した一方で、日本有数の大河川である木曽川本流における治水目的を持つ唯一のダムとしての丸山ダム(元)の治水能力には懸念も多く、その再開発は早期から遡上に上っていました。
1983年(昭和58年)の台風10号により木曽川中下流部で多大な洪水被害が発生したことを契機にダム再開発機運は一気に高まり、途中民主党政権下での事業検証による遅延はあったものの、2021年(令和3年)より新丸山ダム(再)本体建設が着手されました。
これに合わせ従来の国土交通省と関西電力の共同管理を国土交通省直轄管理に改め、兼用工作物多目的ダムから特定多目的ダムに変更されました。
現在は2036年(令和18年)竣工をめどに建設が進められている途上で、竣工の暁には丸山ダム(元)の総貯水容量に匹敵する7200万立米の洪水調節容量を有し、最大毎秒2500立米の洪水カットが可能となるほか、新たに不特定利水容量が付加されるとともに発電能力の増強が行われる予定です。

丸山ダム(元)には2016年(平成28年)1月に初訪、2024年(令和6年)5月に再訪シ、この際に職員様案内によるダム見学に参加しました。
当記事前半は初訪時、後半は再訪時の紹介となっています。また、見学については別項の『丸山ダム見学』にて紹介していますのでそちらをご覧ください。

こちらは新丸山ダム(再)の完成予想図。
丸山ダム(元)の50メートル下流側に新ダムが建設されます。
新ダム建設の進め方については国土交通省新丸山ダム建設事務所ホームページに動画が掲載されているのでそちらを参照ください。

 
【2016年1月10日】
ダム下の県道358号線からダムと正対できます。
堤高は98.2メートルでわが国初の100メートル級のダムとして建設されました。
クレストにはローラーゲート5門を装備し最大毎秒4800立米の放流能力を持ちます。

 
ゲートをズームアップ
当初は大井ダムのような堤頂一杯にゲートを並べる構造が想定されていましたが、巨大ゲートの導入により5門のゲートに収まりました。
当ダム以降、それまで主流だった横並びのゲートで川を閉め切るダムは姿を消しました。
ピアにはアーチのデザインが採用されています。
前身の大同電力を指揮した福澤桃介はアールデコを好みましたが、これに敬意を表したのかも?

 
右岸展望台から
導流部の膨らみはちょっと中空ダムっぽい。

 
ダム湖右岸にある関西電力の取水工。
奥は丸山発電所、手前は新丸山発電所の取水工となります。

 
上流面。

 
天端
ゲートごとに金属製のグレーチングがありますが、これは予備ゲート嵌め込み用。

施工した間組の銘板
当時は『ダムの間』と呼ばれ、ダム建設における第一人者でした。

 
ゲート部前面にはキャットウォーク(歩廊)が架かっています。
半円形のバルコニーはいかにも昭和20年代といったフォルム。


減勢工は深い渓谷。

丸山蘇水湖と命名されたダム湖は総貯水容量7952万立米。

 
下流面。


【2024年5月29日】
ここからは2024年(令和6年)の再訪時の記事となります。
新ダム着工に合わせて新たに設けられた丸山ダム展望台・まるっとテラスから
前日までの大雨で訪問時は毎秒600立米を放流中。

 
これは新たに建設された丸山大橋から
初訪時に写真を撮った、ダム直下の県道はすでに通行禁止。

 
その県道を工事用ダンプが横切ります。

 
ダム左岸では転流工を建設中。
ダム完成後は放流設備の放流口となります。

 
右岸の新丸山発電所
巨大なガントリーが四つ足ロボットのようです。

まるっとテラスには各種石碑が移設されています。
これはダム建設を指揮した関西電力社長太田垣士郎の揮毫で、『静中動』とは見た目は静かながらもその内には機に応じて動くべく熱量が潜められているという意。 

 
右岸から
掘削や法面補強など新ダム建設工事が進行中。

 
天端から放流を見下ろす
毎秒600立米でもかなりの迫力、前夜のピークには毎秒2600立米の放流を行ったそうです。



 
新丸山ダム(再)の竣工は12年も先。
定期的に見学会が開催されているので、機会があればまた参加しようと思います。
 
(追記)
丸山ダム(元)にはには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1084 丸山ダム(元)(0185)
左岸 岐阜県可児郡御嵩町小和沢
右岸 岐阜県加茂郡八百津町八百津
木曽川水系木曽川
FP
98.2メートル
260メートル
79520千㎥/38390千㎥
国土交通省中部地方整備局
1955年
◎治水協定が締結されたダム
--------------
1136 新丸山ダム(再)
左岸 岐阜県可児郡御嵩町小和沢
右岸 岐阜県加茂郡八百津町八百津
木曽川水系木曽川
FNP
118.4メートル
340.6メートル
131350千㎥/90220千㎥
国土交通省中部地方整備局
2036年竣工予定

大井ダム

2024-08-20 20:00:00 | 岐阜県
2016年1月 9日 大井ダム
2023年4月20日
2024年5月29日
 
大井ダムは左岸が岐阜県恵那市大井町、右岸が同県中津川市蛭川の一級河川木曽川本流にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
水量豊富で急流が多い木曽川では大正中期より木曽電気製鉄(株)による電源開発が進められていました。
1921年(大正10年)に同社を含む3社の合併により新たに大同電力(株)が誕生、電力王と呼ばれた福沢桃介指揮のもと同社は木曽川での電源開発に邁進し、同社初の発電ダムとして1922年(大正11年)に大井ダムが建設着手されます。
大井ダム建設事業はわが国初の本格的コンクリートダム建設事業であり、海外の先端技術を導入し機械化が進められ、関東大震災による資金不足や洪水による堤体流失などの障害を乗り越え1924年(大正13年)に無事竣工しました。
併せて建設された大井発電所も1925年(大正14年)に運用を開始、最大出力4万2900キロワット(のちに4万8000キロワットに増強)は当時のわが国発電所の最大出力を誇りました。
大井ダム建設の成功は大同電力のみならず、例えば東信電気による阿賀野川の鹿瀬ダムなど他の電力各社の電源開発にも大きな影響を与え、まさに戦前日本のダム建設の金字塔ともいえる事業となっています。
大井ダム・発電所をはじめ木曽川水系の大同電力の発電施設は配電統制令により日本発送電に接収されたのち、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により関西電力(株)が事業継承し現在に至っています。
木曽川は中部電力(株)の営業管内ですが、日本発送電の分割に際しては発生電力はどの地域に供給されるか?という『潮流主義』が採用され、阪神地域への送電線網を持つ木曽川の発電施設はほぼ関西電力が受け継ぎました。
その後1983年(昭和58年)に新大井発電所(最大出力3万2000キロワット)が新設、1997年(平成9年)には大井発電所の出力が5万2000キロワットに増強され、大井ダムの発電能力は計8万4000キロワットとなっています。

大井ダムは日本初の本格的ダムとしての評価が高くダムおよび発電所は土木学会選奨土木遺産に、ダムはAランク、発電所はBランクの近代土木遺産および近代化産業遺産に指定されています。
またダムは日本ダム協会による日本100ダムに、ダム湖の恵那峡はダム湖百選に選ばれています。

大井ダムには2016年(平成28年)1月、2023年(令和5年)4月、翌2024年(令和6年)5月の3度訪問しています。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

先ずは2015年(平成17年)に完成した県道82号バイパスの東雲大橋から。
水面からの高さは80メートルあり、まるで空撮のようなアングルでダムを俯瞰できます。
ここから見ると大正期に木曽川を締め切るダム建設事業がいかに難工事だったかが容易に想像がつきます。 
ダムの背後にそびえるのは日本百名山の恵那山
(2023年4月20日)

3度目の訪問時は前日までの豪雨で水位が上昇し、21門全門からの放流を見ることができました。
かなり高い位置ですが放流の轟音が響きます。
(2024年5月29日)


堤体をズームアップ
21門のラジアルゲートで木曽川を締め切ります。
ゲートはもちろん関電ブラック。
湖面では浚渫船が稼働していますが、大井ダムの浚渫は川砂採取業者が行っています。
(2023年4月20日)

普段は穏やかな表情のダムも、全門放流となるとまるで暴れまわる竜のようです。
(2024年5月29日)


ダム下の東雲橋に移動します。
ここも大井ダム撮影の定番スポット
手前が1925年(大正14年)運用開始の大井発電所。
現在はピーク発電を行っていますが、訪問時岐阜県は気温30度に迫る季節外れの夏日。見学中の正午ちょうどに発電が開始されました。
右奥は新大井発電所でこちらは常時発電を行います。
(2023年4月20日)

(2024年5月29日)


木曽川左岸の阿木川合流点にあるのは中部電力(株)奥戸発電所
1921年(大正10年)竣工と大井発電所よりも歴史の古い発電所ですが、こちらは阿木川の水を利用した水路式発電所で大井ダムとの水利関係はありません。
(2023年4月20日)


発電所下流の支流和田川に流下する大井発電所のサージタンクからの余水吐流路。
擁壁や流路はすべて石積、石敷で竣工当時のものと思われます。
(2023年4月20日)


右岸発電所脇からサージタンクの下を通り天端へ向かいます。
サージタンクから大井発電所に伸びる水圧鉄管。
内径は306~370センチ、有効落差は42.42メートル。
(2023年4月20日)


大井ダムの特徴の一つ、エプロン直下のシュート。
ブロックを積み上げたような幾何学形状のシュートは大井ダムならでは。
さらに21番ゲートからの導流部も大きく転流する独特の形状。
(2023年4月20日)


右岸天端には各種記念碑や説明板が並びます。
こちらは福沢諭吉のレリーフで『独立自尊』の文字が刻まれています。
大同電力を率いた福沢桃介の義父であり、維新直後から水力発電による国家近代化を訴えた諭吉を顕彰しています。
(2023年4月20日)


こちらの記念碑には大井ダム・発電所建設事業に貢献した大同電力幹部、国内外技術者、さらに資金難に陥った大同電力に出資した海外投資家など13人のレリーフが嵌め込まれています。
(2023年4月20日)


左岸ダムサイトの新大井発電所取水ゲート
1983年(昭和58年)に増設されたためコンクリートやゲートは見た目にも新しい。
(2023年4月20日)

右岸から下流面
21門のゲートが並びます。
この後全国で建設される発電ダムの多くが大井ダムをモデルとしました。
(2023年4月20日)


左岸エプロン下のシュート。
減勢や河底洗堀防止目的ではありますが、染み出した錆色の骨材成分と相まってもはや芸術作品の領域。
(2023年4月20日)


新大井発電所の取水工
スクリーン上に除塵機が鎮座します。
(2023年4月20日)


天端は恵那峡遊歩道として開放されています。
大正期のダムということで照明や天端高欄の意匠も手が込んでおり、当時流行だったアールヌーボーやアールデコが多用されています。
(2023年4月20日)


天端から
右手に新大井・大井発電所
手前の橋が東雲橋、高架橋が東雲大橋。
(2023年4月20日)


右岸にある大井発電所取水工
背の高いクレーンは取水工周辺の浚渫用。
(2023年4月20日)


左岸から発電所・サージタンクを俯瞰
ここから見ると発電所やサージタンクの位置関係がよくわかります。
(2023年4月20日)


ズームアップ
撮影時は新旧発電所ともに運転中
発電所手前に擁壁がありますが、1983年(昭和58年)の台風10号により浸水被害が出たため、この擁壁が増設されました。
(2023年4月20日)


左岸ダムサイトから。
(2023年4月20日)

このブログでは一つのダムについては投稿写真を10枚超に抑えるようにしていますが、さすが大井ダム。
見どころが多く添付写真は20枚に膨らんでしまいました。
大井ダムだけに見どころも写真も『多い』…ちゃんちゃん・・・

(追記)
大井ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1057 大井ダム(0180)
近代化産業遺産
左岸 岐阜県恵那市大井町
右岸  同県中津川市蛭川
木曽川水系木曽川
53.4メートル
275.8メートル
29400千㎥/9250千㎥
関西電力(株)
1924年
◎治水協定が締結されたダム

阿木川ダム

2024-08-19 20:00:00 | 岐阜県
2016年 1月 9日 阿木川ダム
2016年10月22日
2024年 5月29日 
 
阿木川ダムは岐阜県恵那市東野の一級河川木曽川水系阿木川にある水資源機構が管理する多目的のロックフィルダムです。
木曽川の主要支流である阿木川は沿岸の都市用水源となる一方、洪水被害も多く抜本的な治水・利水対策が求められてきました。
一方東濃地区の木曽川沿岸農地は木曽川に新規水利権を配分する余裕がなく慢性的な水不足に悩まされてきました。さらに、牧尾ダムを水源とする愛知用水事業も高度経済成長による水需要の急増に対し同ダムだけでは対応しきれず新たな水源確保が喫緊の課題となっていました。
1969年(昭和44年)に当時の建設省により阿木川への多目的ダム建設が採択され、のちに水資源開発公団(現水資源機構)が事業を継承、1981年(昭和56年)に本体着工、1990年(平成2年)に竣工したのが阿木川ダムです。
阿木川ダムは6月1日~10月15日の洪水期に最大毎秒730立米の洪水カットによる阿木川および木曽川の洪水調節、安定した河川流量の維持と木曽川沿岸の不特定利水への用水補給、岐阜県東濃地区への上水道用水の供給、愛知用水への上水・工水の供給を目的としています。
また利水放流を利用した阿木川ダム発電所で最大2600キロワットの管理用発電を行っています。
ダム湖の阿木川湖は地元恵那市民憩いの場としてレクリエーション施設が整備されダム湖百選に選ばれています。

愛知用水概要図(出典 水資源機構愛知用水総合管理所HP)


阿木川ダム容量配分図
(出典 水資源機構 阿木川ダム管理所HP)


阿木川ダムには2016年(平成28年)1月と10月、2024年(令和6年)5月の3度訪問、掲載写真にはそれぞれ訪問日時を記載しています。

ダム下から
2024年(令和6年)5月訪問時は前日までのまとまった雨を受けオリフィスゲートから最大毎秒195立米の放流が行われていました。
(2024年5月29日)

 
こちらは2016年(平成28年)10月。
堤頂部に5門の多彩なゲートを配しており、堤頂部で幅68メートルとかなり幅が広い導流部になっています。
(2016年10月22日)


真正面から。
(2024年5月29日)


ゲートをズームアップ
中央にオリフィスゲートとなる高圧ラジアルゲート1門、
その両側に常用洪水吐となるラジアルゲート2門、さらに両端に非常用洪水吐となるフラップゲート2門と特徴的なゲート配置となっています。
訪問時は中央のオリフィスゲートからの放流でした。
(2024年5月29日)


洪水吐ゲートのほか利水放流バルブとしてフィクストコーンバルブ1門、緊急放流バルブとして高圧スライドゲート1門を装備。
減勢工の下流にその放流口があります。
(2024年5月29日)


ダムの右岸を国道257号が通り、落葉期にはダムの下流がよく見えます。
(2016年1月9日)


天端は徒歩のみ開放、水資源機構管理ダムということで堤頂は2車線幅になっています。
(2024年5月29日)


洪水吐管理橋親柱のプレート
水資源開発公団になっています。
(2024年5月29日)


洪水吐はゲートに合わせて5つのラインになっています。
中央のオリフィスゲートから放流中。
(2024年5月29日)


減勢工の先でS字にクランクしそのまま阿木川として流下します。
(2024年5月29日)

堤頂長は362メートル
堤体は緩やかなアーチ状。
(2024年5月29日)

 
天端からの眺め
眼下には恵那市街、はるか彼方には御岳山が遠望できます。
(2016年1月9日)

 
総貯水容量4800万立米の阿木川湖
ダム湖百選に選ばれています
右手は選択取水設備。
(2024年5月29日)

 
左岸には水資源機構の文字。
(2024年5月29日)

 
左岸から下流面。
(2016年1月9日)

 
(2016年10月22日)

 
左岸ダムサイトの慰霊碑
斬新なデザインでぱっと見慰霊碑とは思えません。
(2024年5月29日)


ダム湖にかかる国道257号線阿木川大橋から遠望。
(2024年5月29日)


洪水吐をズームアップ
こちらから見るとゲート配置がよくわかります。
繰り返しになりますが、中央にはオリフィスゲートとなる高圧ラジアルゲートと予備ゲート
その両側に常用洪水吐となるラジアルゲート
両端には非常用洪水吐となるフラップゲート
本格的なダムの洪水吐にフラップゲートが装備されてるのは珍しい。
(2024年5月29日)

 
左岸の選択取水設備と隣接する艇庫とインクライン。
(2024年5月29日)

都合3度訪問しましたが、3度目の訪問では運よくオリフィスからの放流を見ることができました。
阿木川ダムでは10人以上が条件ですが、事前申し込みでダムの見学ができます。
できれば特徴的な洪水吐ゲートを間近で見てみたいものです。
 
(追記)
阿木川ダムにはには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1127 阿木川ダム(0178)
岐阜県恵那市東野
木曽川水系阿木川
FNWI
101.5メートル
362メートル
48000千㎥/44000千㎥
水資源機構
1990年
◎治水協定が締結されたダム

読書ダム

2024-08-05 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 読書ダム
2024年 5月26日
 
読書(よみかき)ダムは長野県木曽郡大桑村野尻の一級河川木曽川本流にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
戦前の5大電力の一つで福沢桃介率いる大同電力(株)は急流かつ水量豊富な木曽川に着目し1920年代以降、次々と発電所を建設します。
読書発電所もその一つで1923年(大正12年)に運用が開始され、当初は最大4万700キロワットの水路式発電を行っていました。
木曽川流域の発電施設は電力国家管理政策による日本発送電(株)の接収を経て1951年(昭和26年)の電気事業再編成で関西電力が事業継承します。
同社は戦後の電力不足に対応するため各所で活発な電源開発を進めますが、とりわけ包蔵水力豊富な木曽川水系では既設発電施設の再開発や新規電源開発が積極的に展開されました。
その一環として1960年(昭和35年)に完成したのが読書ダムで、その完成により取水量が大幅アップした読書発電所では発電機が増設され発電能力は従来の2倍以上となる最大11万7100キロワットに増強されました。
2011年(平成23年)には読書ダムの河川維持放流を利用した大桑野尻発電所(最大出力490キロワット)が運用を開始しますが、同発電所は同社として河川維持放流を利用した初の小水力発電所となります。
また読書発電所は大正期の発電所の形態をほぼ完全に残す貴重な建設物として1994年(平成6年)に稼働中の発電所としては初めて重要文化財の指定を受けたほか、Bランクの近代土木遺産に選定されています。

読書ダム構内は関係者以外立入り禁止ですが、左岸ダム下流側から堤体を眺めることができます。
堤頂長293.8メートルの過半は左岸段丘上に伸び、見えている洪水吐はダムの一端に過ぎません。

 
洪水吐は関電ブラックのラジアルゲート5門を装備、左岸側(向かって右手)1門の減勢工のみ導流壁で隔てられています。


扶壁、下流側の鋼板に目が行きます。
どういう役割なんでしょう? 


左岸から
堤体越しに延びる水管は後付けの河川維持放流設備
2011年(平成23年)には維持放流を利用した大桑野尻発電所が新設されました。

 
大桑野尻発電所をズームアップ
関西電力としては初の河川維持放流を活用した小水力発電所となります。


さらに引いた位置からダム全景を眺めます。
上記のように堤頂長293.8メートルの過半は左岸段丘上に伸び、洪水吐部分と段丘部の境界で堤体は『く』の字に折れています。

 
屈曲部をズームアップ
下流側に突き出るように折れておりいわゆる『カド』になります。
対岸には読書発電所への取水ゲートが2門あります。

 
大桑野尻発電所の竣工記念碑。

 
ダムの右岸に移動しますが、構内は立入り禁止のためフェンス越しの見学。
読書発電所への取水ゲートが2門。


上流面。


後付けの河川維持放流用取水工。


ダムの下流約8キロにある読書発電所。
こちらは1923年(大正12年)運用開始の1~3号機建屋で現役の発電所としては初めて重要文化財に指定されました。


円形の窓など当時ヨーロッパで流行していたアールデコが多用され、同様のデザインは桃山発電所や大井ダムでも踏襲されます。


重要文化財指定を受けた読書発電所の説明板。


1923年(大正12年)の読書発電所竣工記念碑
碑文には『流水有方能出世』(りゅうすいほうありよくよにいず)とあります。
これは『流水は方法によって電気にすることができ、世の中の文明を開くことができる』 との意(出典 関西電力ホームページ)。


(追記)
読書ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1012 読書ダム(0059)
長野県木曽郡大桑村野尻
木曽川水系木曽川
32.1メートル
293.8メートル
4358㎥/2677㎥
関西電力(株)
1960年
◎治水協定が締結されたダム