ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

本河内高部ダム(再)

2019-07-23 16:30:15 | 長崎県
2019年7月12日 本河内高部ダム(再)
 
本河内高部ダム(再)は長崎県長崎市本河内3丁目の中島川水系中島川上流部にある長崎県土木部が管理する上水道用水および不特定利水目的の重力式コンクリートダムです。
長崎市水道事業は横浜、函館に次いで日本で3番目の近代水道として1891年(明治24年)に創設されました。
本河内高部ダム(元)は日本最初の水道用ダムとして1891年(明治24年)に竣工し当ダムの運用開始とともに長崎市水道事業がスタートしました。
その後町の発展に合わせて本河内低部ダム西山ダム小ケ倉ダム浦上ダムが建設されてゆきます。 
しかし1982年(昭和57年)の長崎大水害では中島川流域で大規模な氾濫が発生し未曾有の大災害となりました。
翌1983年(昭和58年)に長崎県は長崎水害緊急ダム事業に着手、市内の上水用ダムの多目的ダム化事業に取り掛かりますが、建設省(現国交省)の『歴史的ダム保全事業』の指定を受け文化的価値の高い旧ダムを保全しながら新ダムの建設及び再開発が行われることになりました。
本河内高部ダムでは2002年(平成14年)より再開発事業が開始され2006年(平成18年)に竣工しました。 
新ダムは日本初の水道用ダムであるアースフィルの旧堤体を保全するため旧ダム上流に新設され、新旧堤体間は盛土で埋め立てられました。
再開発事業竣により総貯水容量は36万1000立米から49万6000立米に増加しダムの目的に『不特定利水』が付加され、またダムの管理は長崎市上下水道局から長崎県に移管されました。
旧ダムは日本初の水道用ダムとして評価が高く土木学会選奨土木遺産、Aランクの近代土木遺産、近代水道百選に選定されるとともに2017年(平成29年)には『本河内水源地水道施設』として本河内浄水場とともに重要文化財に指定されました。
 
長崎市中心部から国道34号線日見バイパスを東進、妙相寺通交差点で左手の枝道に入りバイパスの高架を潜ると本河内浄水場に到着します。浄水場の左右両岸からダムにアプローチできますが、今回は浄水場の左手(右岸側)を選びました。
浄水場の裏手に1891年(明治24年)に日本初の水道用ダムとして建設された本河内高部ダム旧堤体が現れます。
近代土木遺産に選定されていますが、残念ながら旧堤体は一般公開されておらず敷地外から遠望するのみです。
 
旧ダムの底樋樋門。そばで見てみたいのですが・・・・。
 
新ダム上流面。
半円形の取水設備がビルトインされています。
 
右岸に横越流式洪水吐がありこちらは導流部。
 
緩やかにカーブを描く横越流式洪水吐。
コンクリートダムに横越流式洪水吐は珍しい組み合わせですが、旧ダム保全のためにこういう形になったのでしょう。
奥は国道34号線日見バイパスの橋梁。
 
右岸の斜樋。
こちらは建設時の仮排水トンネルを活用し、中島川の不特定利水向けの取水設備です。
 
天端は車両の進入はできませんが歩行者には開放されています。
新ダムと旧ダムの間は建設残土で埋め立てられ公園になっています。
 
竣工記念碑。
 
新ダム下流面
堤高28.2メートルですが建設残土で埋め立てられているため高さは全く感じられません。
 
旧ダム導水隧道の遺構
煉瓦構造で目地には英国から輸入したセメントが使われていました。
 
旧ダム給水塔頭頂部。
 
長崎大水害と言う災厄を契機に歴史的文化遺産と防災事業の両立がうまく図られた好例だと思います。
もちろん当初の姿からは変貌しましたが文化遺産を時代に合わせて守って行くというのはこういうことなんじゃないでしょうか?
惜しむらくは旧ダムが非公開であること。事前予約をすれば浄水場の見学はできるようですが遠方からの訪問ではそれも叶わず。
 
(追記)
本河内高部ダム(再)には洪水調節容量がありませんが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3620 本河内高部ダム(元) 
長崎県長崎市本河内3丁目
中島川水系中島川
18.8メートル
127.3メートル
361千㎥/335千㎥
長崎市上下水道局
1891年
-----------
2570 本河内高部ダム(再)(1480)
長崎県長崎市本河内3丁目
中島川水系中島川
NW
28.2メートル
158メートル
496千㎥/386千㎥
長崎県土木部
2006年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム

小ヶ倉ダム

2019-07-23 13:02:38 | 長崎県
2019年7月12日 小ヶ倉ダム
 
小ヶ倉ダムは長崎県長崎市上戸町の鹿尾川水系鹿尾川上流にある長崎県土木部が管理する多目的の表面石張り粗石コンクリート重力式ダムです。
1891年(明治24年)に日本初の水道用ダムとして本河内高部ダムが完成し、長崎市水道は横浜、函館に次いで日本で3番目の近代水道として事業が開始されました。
その後の町の発展に合わせて事業の拡張が進められ、長崎市水道4番目の水源として1926年(大正15年)に完成したのが小ヶ倉ダムです。
戦後に入り1974年(昭和49年)に鹿尾川下流への多目的ダム建設事業が着手されますが、1982年(昭和57年)の長崎大水害では小ケ倉ダム下流の鹿尾川曲流部で大規模な氾濫が発生し未曾有の大災害となりました。
これをうけ翌1983年(昭和58年)に長崎県は長崎水害緊急ダム事業に着手し、未着工だった鹿尾川下流への鹿尾ダム建設に取り掛かると同時に、小ヶ倉貯水池左岸上流部に新たに常用洪水吐となる越流堰を設け洪水調節容量を確保しました。
事業は1987年(昭和62年)に竣工し、小ケ倉ダムの管理は長崎市上下水道局から長崎県土木部に移管されるとともに、ダムの目的は従来の上水道用水に加え『洪水調節』が追加され補助多目的ダムとなりました。
竣工当時小ヶ倉ダムの堤高41.2メートルは水道用ダムとしては最高を誇り、現在でも戦前の石積ダムとしては河内ダム上田池ダム千苅ダムなどと並ぶ高さとなっています。
このような小ヶ倉ダムの土木技術的・文化的価値を評価して、2009年(平成21年)に土木学会選奨土木遺産及びAランクの近代土木遺産に選定され、翌2010年(平成22年)には国の登録有形文化財となりました。
 
地図の赤マルが小ヶ倉ダム常用洪水吐越流堰
水位が上昇すると小ヶ倉ダム下流域の上戸町や新戸町市街をバイパスして越流堤から直接鹿尾ダムに水が流入する仕組みです。
 
長崎南環状線新戸町インターから県道237号を北上、上戸町4丁目のローソンのある交差点を右折し浄水場手前の分岐を右に取ると小ヶ倉水園入口に到着します。ここがダムへの入口となります。
 
川沿いの遊歩道を進むとすぐにダムが見えてきます。
堤高41.2メートルは戦前の水道用ダムとしては最高、石積堰堤としても河内ダム、上田池ダムに次ぐ高さです。
 
千刈ダムや上田池ダムのようなアーチ状の装飾はありませんが、規律正しく積み上げられた切り石が男性的な力強さ、美しさを醸し出しています。
 
選奨土木遺産と国の登録有形文化財のプレート。
 
ダム下は長崎水道創設百周年を記念して小ヶ倉水園として公園化されました。
 
訪問した日は梅雨の晴れ間の蒸し暑い夏日。
思わず飛び込みたい衝動に駆られます。
 
ダム下には石積アーチ状の副ダムがあります。
雨後には水が茶色に濁るようで、まるで有馬温泉の露天風呂。
文字通り黄金のアーチ。
 
ダム下から。
濁った水のせいでモノトーンの堤体が一段と引き立ちます。
 
丁寧に布積みされた石積堰堤が天端まで伸びてゆきます。
 
洪水吐をズームアップ。
簡素だけど力強く美しい。
 
実は堤体に触れることもできます。
とにかく丁寧に布積みされています。
 
小ヶ倉水園を後にしてダム右岸の道を上流へ進むと
フェンス越しではありますが、石積堰堤としてはおなじみの半円形の取水設備が見えます。
高欄の装飾は簡素。
 
今度は左岸沿いの隘路を遡上します
長崎大水害をきっかけに1987年(昭和62年)に新設された分水越流堰。
従来非常用洪水吐としてのクレストゲートしかなかった小ヶ倉ダムの常用洪水吐にあたります。
水位が上昇するとここから越流し、洪水吐トンネルを経て下流の鹿尾ダムに放流される仕組み。
前々日までまとまった雨が降ったせいで折り良く越流しています。
この洪水吐新設により小ヶ倉ダムの貯水容量が増加し、洪水調節容量が付加されました。
 
(追記)
小ケ倉ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2589 小ヶ倉ダム(1479) 
長崎県長崎市上戸町
鹿尾川水系鹿尾川
FNW
41.2メートル
135.6メートル
2040千㎥/1940千㎥
長崎県土木部
1926年竣工
1987年常用洪水吐越流堰新設
◎治水協定が締結されたダム