ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

一の坂ダム

2020-11-30 11:17:07 | 山口県
2020年11月20日 一の坂ダム
 
一の坂ダムは山口市宇野玲の椹野川水系一の坂川上流部にある山口県土木建築部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
一の坂川は流路延長5.3キロ、流域面積10.5平方キロの小河川ですが、当地を治めた守護大名大内氏は一の坂川を京都の鴨川に見立てて山口の町割りを進め、山口が『西の京』と呼ばれる所以となりました。また市街地でも6月にはホタルが乱舞する自然豊かな河川として市民に愛されてきました。
しかし、上流は急流河川のため豪雨のたびに洪水被害が頻発、とりわけ1971年(昭和46年)の台風19号では100棟近くが床上浸水となる大きな被害が出ました。
これを受け山口県は風紀保存を求める地元住民の意見を入れながら『ホタル護岸』と呼ばれる蛍の生息に配慮した河川改修を行う一方、一の坂川上流部への治水ダム建設事業に着手、1983年(昭和58年)に竣工したのが一の坂ダムです。
一の坂ダムは建設省(現国交省)の補助を受けた補助治水ダムで、一の坂川の洪水調節のほか、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給を目的としています。
また、河川維持放流を活用して山口県一の坂ダム管理用発電所で最大100キロワットの小水力発電を行っています。
 
左岸を通る県道62号から見た一の坂ダム下流面。
非常用洪水吐としてクレスト自由越流式洪水吐が4門、常用洪水吐としてオリフィスゲートを1門装備。
Ⅴ字の斬縮型堤体導流壁がダムの表情を引き締めています。
でも目が向かうのは赤い帽子をかぶった円形の管理用発電所。
 
ダム湖は上流の錦鶏の滝の名前をとって錦鶏湖
ダム湖を示すこの看板も山口県営ダムではおなじみ。
 
ダム下の様子
赤い帽子の管理用発電所には2条の放流口があり、一方は河川維持放流用の放流管、もう一方は発電所の放流口となっています。
奥の建屋は発電所が建設される以前の放流設備のようです。
 
天端から
ダムの下流2キロほどでもう山口市中心街です。
 
錦鶏湖と名付けられたダム湖
総貯水容量は148万5000立米。
治水ダムですが、不特定利水及び堆砂容量分が貯留されています。
 
発電所が目立つのでダム下の写真を何枚も撮ってしまいます。
 
天端は車両通行可能
市街地近くということでウォーキングをするシニアが散見されました。
 
右岸に建つ完工記念碑。
 
左岸県道沿いの管理事務所
艇庫とインクラインが併設されています。
 
上流面
クレスト・オリフィスの右手に選択取水設備。
オリフィスとクレストの間が洪水調節容量となります。
 
自然保護を訴える市民や活動家の間では、自然環境や風紀とコンクリート建築物であるダムは両立ないという見方が強くあります。
しかし現実は異なります。
一の坂ダムはダム完成により河川流量が安定したことで、ホタルをはじめとした河川生息物にとってはより良い生息環境が出来上がった好例となっています。
 
(追記)
一の坂ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2089 一の坂ダム(1575) 
山口県山口市上宇野令
椹野川水系一の坂川
FN
42.1メートル
143.5メートル
1485千㎥/1285千㎥
山口県土木建築部
1983年
◎治水協定が締結されたダム 

荒谷ダム

2020-11-30 01:55:52 | 山口県
2020年11月20日 荒谷ダム
 
荒谷ダムは山口市宮野上の椹野川水系椹野川源流部にある山口県土木建築部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
荒谷ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、椹野川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、山口市への灌漑用水及び上水道用水の供給を目的として1987年(昭和62年)に竣工しました。
 
ダム下流に架かる荒谷橋が絶好の展望所となっています。
堤体は渓谷に合わせた左右非対称。
非常用洪水吐としてクレストには10門の自由越流式洪水吐が並び、常用洪水吐としてオリフィスゲートが、さらにダム下部に河川維持放流用ゲートを装備しています。
訪問時はオリフィスから放流していました。
 
ややアングルを変えて
クレストにずらっと並ぶ自由越流式洪水吐はいかにも昭和末期のダム。
左右両岸には堤趾導流壁が設置され、減勢工の導流壁へと続きます。
 
天端は車両通行可能。
 
右岸の完工記念碑。山口県では竣工ではなく完工という言葉が使われます。
碑の周りには小さな堀が作られ親水公園のようになっています。
もともとは常時水が張られていたのかも?
 
右岸上流から
対岸には艇庫とインクライン、管理事務所が並びます。
 
天端から。
 
ダム直下にはアーチの荒谷橋が架かります。
1枚目、2枚目の写真はあの橋の上から撮ったものです。
 
宮野湖と命名された貯水池は総貯水容量520万立米。
 
左岸から下流面
個人的な好みでついつい堤趾導流壁に目が行ってしまいます。
 
左岸から上流面。
 
椹野川は上流部では絶滅危惧種の川魚が多数生息するほか、河口の干潟には同じく絶滅危惧種のカブトガニが産卵生息するなど自然豊かな清流として知られています。
ダム建設に当たっては環境の維持に配慮がなされ、河川維持放流による流量の安定は環境維持に大いに役立っているようです。
 
(追記)
荒谷ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2103 荒谷ダム(1574) 
山口県山口市宮野上
椹野川水系椹野川
FNW
56メートル
160メートル
5200千㎥/4950千㎥
山口県土木建築部
1983年
◎治水協定が締結されたダム 

阿武川ダム

2020-11-29 02:48:39 | 山口県
2020年11月20日 阿武川ダム
 
阿武川ダムは山口県萩市川上の阿武川水系阿武川中流部にある山口県土木建築部が管理する多目的重力式アーチダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、阿武川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、山口県企業局新阿武川発電所での最大1万9500キロワットのダム式発電を目的として1975年(昭和50年)に竣工しました。
 
ダム湖である阿武湖は総貯水容量1億5350万立米と中国地方最大、地方自治体管理のダムとしては全国第3位、全ダムで見ても全国23位の規模となっています。
また堤高95メートルは重力式アーチダムとして全国第2位を誇り、補助多目的ダムとしては日本最大クラスのダムの一つです。
阿武川ダム完成以降、日本で重力式アーチダムは建設されておらず、阿武川ダムは日本で最後に作られた重力式アーチダムとなっています。 
 
ダム下流にはダム建設工事中に湧出した阿武川温泉があり、温泉施設を抜けると目の前に阿武川ダムが聳え立ちます。
クレストには非常用洪水吐として左右2門ずつ計4門のローラーゲートを、コンジットには3門のバーチカルリフトローラーゲートを装備しています。
ダム左岸(向かって右手)に山口県企業局新阿武川発電所があります。
 
コンジットゲートをズームアップ
ずいぶん低位に位置しています。
 
発電所と放流口。
新阿武川発電所ではピーク発電を行っています。
 
左岸ダムサイトまで上がってきました。
ダムサイトには駐車場や管理事務所があります。
 
堤体から突き出た発電用水圧鉄管。
有効落差76.75メートルのダム式発電を行っています。
訪問時は点検作業中、人や車と比べると鉄管の太さがわかるかと思います。
 
天端はゲート手前で立ち入り禁止。
ゲートピアは被覆され豪雪地帯のダムのようです。
クレストゲートの間にコンジットの予備ゲート運搬用のガントリークレーンがあります。
 
左岸の管理事務所
 
天端から下流の眺め
赤い屋根は新阿武川発電所
副ダムの下流がカヌー競技場となります。訪問時は競技場の整備工事が行われていました。
 
阿武湖と命名されたダム湖。
総貯水容量1億5350万立米は中国地方最大。
 
上流から
堤体上部がずいぶんオーバーハングしています。
左から取水設備、クレストローラーゲート、コンジット予備ゲートと運搬用ガントリークレーン
ガントリーから吊り下げられた予備ゲートはキャタピラゲートのようにも見えます。
 
県ダムとしては日本有数のスケールを誇る阿武川ダム。
できればダム下で行われるカヌー競技を見てみたいものです。
 
追記(追記)
阿武川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2081 阿武川ダム(1573)
山口県萩市川上
阿武川水系阿武川
FNP
GA
95メートル
286メートル
153500千㎥/131500千㎥
山口県土木建築部
1974年
◎治水協定が締結されたダム

佐々並川ダム

2020-11-27 14:47:17 | 山口県
2020年11月20日 佐々並川ダム
 
佐々並川ダムは山口県萩市川上の阿武川水系佐々並川にある中国電力が管理する発電目的のアーチ式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令で誕生した中国電力(株)は戦後の復興を受けた電力需要拡大に対処するため各所で電源開発を進めます。
中国電力は深い渓谷が続きダム建設にはうってつけの地形となっていた佐々並川に着目、1956年(昭和31年)から発電所及びダム建設事業に着手し1958年(昭和33年)に本体工事着工、翌1959年(昭和34年)に竣工したのが佐々並川ダムです。
ここで取水された水は約4.5キロの導水路で下流の佐々並川発電所に送られ最大1万4200キロワットのダム水路式発電を行っています。
佐々並川ダム一番の特徴はその堤体の薄さです。堤高67.4メートル、堤頂長127.3メートルに対して堤頂幅は2.5メートル、厚みは最も厚い基礎部分でもわずか8.8メートルとなっており、ダム愛好家の中では『日本で最も薄いアーチダム』として知られています。
さらに堤体積3万1000立米に対して総貯水容量2010万立米となっており、貯水効率はアーチダムでは屈指の648倍となっています。
 
今回は生雲ダムのある阿武川上流から佐々並川ダムを目指しましたが、一般には阿武川ダム経由の方がわかりやすいかと思います。 
ダム手前100メートルほどでダムと正対できます。
放流設備として自由越流式クレストゲートを5門、さらに放流管を1門装備しています。
 
クレストゲートをズームアップ
ゲート間の扶壁も極薄仕様。
 
減勢工
当然エレベータなどはなく減勢工に下りるにはキャットウォークを歩くしかありません。
 
水利使用標識。
 
堤体へ続く管理道路は立ち入り禁止ですが、右岸の道路からダムを俯瞰できます。
手前には竣工記念碑や説明板などがありますが、あそこまで立ち入ることはできません。
 
ゲート部分をズームアップ
堤頂幅はわずか2.5メートル。
 
堤体と貯水池(佐々並湖)
堤体積3万1000立米で総貯水容量2010万立米の貯水池を支えます。
 
アングルを変えて
奥は取水設備。
堤体の薄さが実感できます。
 
少しずつ上流側に移動して撮影します。
 
ここが限界
とにかく『薄い』。
 
佐々並川発電所への取水設備
作られたのは昭和30年代前半ということで大掛かりな設備になっています。
 
堤体へは立ち入りできませんが、アーチダムが一番映えるのは高台からの俯瞰です。
このダムは高台からの撮影ポイントは多く、どこからでもその薄さを実感できます。
 
(追記)
佐々並川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2070 佐々並川ダム(1572) 
山口県萩市川上 
阿武川水系佐々並川 
 
 
67.4メートル 
127.3メートル 
20100千㎥/16000千㎥ 
中国電力(株) 
1959年 
◎治水協定が締結されたダム

生雲ダム

2020-11-27 14:37:41 | 山口県
2020年11月20日 生雲ダム
 
生雲(いくも)ダムは山口市阿東生雲中の阿武川水系生雲川にある中国電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令で誕生した中国電力(株)は戦後の復興を受けた電力需要拡大に対処するため各所で電源開発を進めました。
生雲ダムもそんな発電施設の一つで、阿武川に設けられた榎谷ダムから導水された水に加え、生雲川の水を約1.3キロの導水路で長門峡発電所に送水し、最大7500キロワットのダム水路式発電を行っています。
 
ダム周辺は長門峡を巡る中国自然歩道の起点になっており、各種案内板が設置されています。
ただ落石により生雲ダムから竜宮淵に通じるハイキングコースは長く立ち入り禁止のようです。
 
 
ダム下やダム上流からダムと正対できる場所はなく、上流からの撮影はこれが精いっぱい。
 
ローラーゲート2門に自由越流頂3門を擁しています。
 
水利使用標識。
 
天端へ通じる門扉の銘板。
 
 事前調査では天端への立ち入りは可能でしたが、在駐した職員に確認すると門扉の先は立ち入りできないとの言。
 
堤体右岸に取水口がありこれは取水口スクリーンの除塵装置。
 
下流側
中国電力らしくゲート扶壁前面にゲート操作室建屋が乗っかるスタイル。
 
ダム便覧フォトアーカイブスのほか各種訪問記を見ても天端への立ち理は可能のようです。
なんとなく消化不良感を抱えたまま見学は終了。
念のため帰宅後中国電力に確認したら天端は立ち入りできるとのこと。
現地の職員はクソ野郎でした。 
 
(追記)
生雲ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2065 生雲ダム(1571) 
山口県山口市阿東生雲中
阿武川水系生雲川
17.5メートル
66メートル
346千㎥/165千㎥
中国電力(株)
1953年
◎治水協定が締結されたダム

野道溜池

2020-11-27 12:53:21 | 山口県
2020年11月20日 野道溜池
 
野道(のどう)溜池は山口市阿東徳佐下の阿武川水系下谷川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では1957年(昭和32年)に徳佐土地改良区の事業により竣工となっており、農林省(現農水省)の補助を受けた団体営事業で建設されたものと推察します。
土地改良区の統合により現在は阿東土地改良区が管理を受託しています。
 
天端の入口は国道315号線沿いにありますが、手前の枝道に入るとダム下に行けます。
ダム便覧では堤高が22.3メートルとなっていますが、見た目はそんな高さはありません。どうやらダム下は盛土が施されているようです。
訪問時は溜池改修工事の真っ最中で、天端にはプレハブが設置され工事車両が2台、ダム下にも散水車が止まっていました。
 
左岸の余水吐導流壁越しに
 
余水吐導流部。
たぶん余水吐減勢工の底が基礎地盤に近い高さと思われます。
ここからだと堤高20メートル超も納得できます。 
 
減勢工はそのまま下谷川となります。
底樋は確認できませんでした。
 
国道沿いにある天端入口へと向かいます。
国道わきの改修工事の看板。令和3年3月まで続くようです。
 
国道沿いに建つ竣工記念碑。
農業用のダムや溜池に行くとたいてい記念碑には銘文が刻されていますが、よくもまあ色々と文章が思い浮かぶものだと感心します。
 
天端と下流面、工事のため立ち禁です。
奥に工事用のプレハブが設置され工事車両が止まっています。
 
左岸の斜樋。
 
上流面
対岸に横越流式余水吐があります。
改修工事は余水吐周りで行われているようです。
 
山口県の危険ため池一覧では野道溜池は取水設備の老朽化、余水吐の老朽化及び断面不足の2点でCランクの評価がなされています。
今回の改修工事はそれに対応するものと思われます。
 
2068 野道溜池(1570) 
ため池コード  355040054
山口県山口市阿東徳佐下
阿武川水系下谷川
22.3メートル
205メートル
565千㎥/565千㎥
阿東土地改良区
1957年 

福谷溜池

2020-11-27 01:49:50 | 山口県
2020年11月20日 福谷溜池
 
福谷溜池は山口市阿東徳佐中の阿武川水系福谷川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では1926年(大正15年/昭和元年)竣工となっている一方、現地記念碑には『工事着手大正十四年 工事完了昭和八年』と記されています。
溜池の建設工事に8年の年月を要するのはちょっと時間がかかり過ぎているようにも思えますが、ここでは記念碑の昭和8年(1933年)を竣工年度とすることにします。
その後1997年(平成9年)6月に当時の阿東町を震源とする山口県北部地震が発生し、堤体に約50メートルの亀裂が発生するとともに底樋が破損しました。折から襲来した台風により堤体決壊が危惧されたため、余水吐を破壊し貯水池の水抜きが行われ下流への災禍が防がれました。
同年10月より県の災害復旧事業が着手され2000年(平成12年)に竣工し現在に至っています。
池の管理は受益者で組織される福谷溜池維持組合が行っています。
 
山口市阿東徳佐中の国道315号から、福谷川沿いのダートの隘路をひたすら北に進むと福谷溜池に到着します。
 
ダム下から
堤体の枯れ草が陽を浴びて黄金色に輝いてなかなかの眺めでした。
写真では分かりづらいですが左岸(向かって右手)に余水吐導流部があり、ダム下をL字に折れて手前の水路に至ります。
一方堤体中央右岸側に底樋樋門があります。
 
堤体直下には2基の石碑があります。
左は大正から昭和にかけての溜池建造に至る由来碑、右は山口県北部地震による復旧工事の竣工記念碑。
 
 
天端。
 
コンクリートで護岸された上流面
対岸に横越流式余水吐があります。
 
下流の眺め
余水吐からの導水路は堤体直下で底樋と合流しこの流れが福谷川となります。
 
総貯水容量26万立米の貯水池。
二つの沢の合流地点に池は作られたようで、池の中央に尾根が突き出しています。
 
右岸から上流面
対岸に斜樋があります。
 
斜樋をズームアップ。
シャフトが2本。
 
左岸の横越流式余水吐
コンクリートが白いので、近年さらに改修があったのかもしれません。
 
上流側から見た余水吐
中央のコンクリートが越流部となります。
 
3572 福谷溜池(1569) 
ため池コード 355040063
山口県山口市阿東徳佐中
阿武川水系福谷川
16.8メートル
75メートル
260千㎥/260千㎥
福谷溜池維持組合
1933年