ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

大谷内ダム

2023-11-13 17:00:00 | 新潟県
2016年5月14日 大谷内ダム
2023年9月24日
 
大谷内(おおやち)ダムは左岸が新潟県中魚沼郡津南町秋成、右岸が同町中深見の信濃川水系釜川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
苗場山南西山麓は火山活動や隆起活動で形成された日本最大規模の河岸段丘が広がり段丘上の農地開発適地は1万6000ヘクタールに及びますが、浸食により谷は深く揚水技術のない時代段丘上の開墾は困難を極めました。 
苗場山麓では戦前より数次にわたる国営土地改良事業が進められ、当初は灌漑用溜池である大谷内溜池として建設されました。
その後1975年(昭和50年)に着手された国営総合農地開発事業苗場山麓第二地区で溜池の再開発が実施され1989年(平成元年)に竣工したのが大谷内ダムで、貯水容量は従来の溜池の2.5倍規模となりました。
運用開始後は津南郷土地改良区が管理を受託し、約700ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
大谷内ダム丘陵台地上を掘り込んだ皿池状の貯水池で貯水池外周がほぼすべて堤体となっており、堤頂長は日本のダム最長の1780メートルに及びます。
苗場山麓の国営土地改良事業も2012年(平成14年)の国営農地再編整備事業苗場地区の竣工をもって完了し、30年の年月をかけ約2400ヘクタールの農地が整備されました。
大谷内ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、夏場の渇水により水位が大幅に低下との報を受け2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
残念ながらその長大な堰堤の下流面を一望できるポイントはありません。
天端に向けて道路が斜行します。
(2023年9月24日) 

 
管理道路にはゲートがあり車両進入禁止。
土地改良区に確認したら徒歩での見学は問題ないとのこと。
(2023年9月24日) 


堤頂部の管理事務所
職員の常駐はありません。
そばには説明板や記念碑が並びます。
(2023年9月24日) 


事業説明板。
(2023年9月24日) 


初回訪問時はほぼ満水。
貯水池側はすべてコンクリートで護岸処理されています。
(2016年5月14日)

再訪時
ほぼ同じアングルですが水位の違いがはっきり分かるでしょう。
訪問直前の雨で水位は幾分回復していますが、それでも貯水率は30%程度。
(2023年9月24日) 

 
奥に見えるのはグリーンピア津南。
(2023年9月24日) 

ダム直上を柏崎刈羽原発から首都圏に通じる東京電力の新新潟幹線が通ります。
50万ボルトが2回線。
(2023年9月24日) 

大谷内ダムは流域面積17.4平方キロのうち自己流域はわずか0.4平方キロ。
その大半は釜川にある大場頭首工からの導水に依ります。
これはその導水路。
(2023年9月24日) 

導水路流入口
最大毎秒1.67立米導水されます。
2023年8月には渇水によりこの導水が停止、貯水率は一時10%割れとなりました。
(2023年9月24日) 


左岸の横越流式洪水吐。
この時はほぼ満水で、水位が越流部間際まであります。
(2016年5月14日)


アングルを変えて。
(2016年5月14日)

再訪時
水位の低さが一目瞭然。
(2023年9月24日) 


導流部は左岸堤体沿いを流下します。
(2016年5月14日)


洪水吐越しの堰堤と貯水池。
堀込式のダムのため、上流側も含め貯水池の周囲すべてが堤体となります。
(2023年9月24日) 

ダム湖中央にフローティングアーム式取水設備があり、最大毎秒1.57立米を取水します。
(2023年9月24日) 


国営土地改良事業の竣工により、津南町は「農を以て立町の基と為す」を町是とし、コシヒカリのほか野菜生産においても県内屈指の生産量を誇る農業王国となりました。
 
0795 大谷地ダム(0374)
左岸 新潟県中魚沼郡津南町秋成
右岸         同町中深見
信濃川水系釜川
23.2メートル
1780メートル
1206千㎥/1200千㎥
津南郷土地改良区
1989年

宮中取水ダム

2023-11-11 17:00:00 | 新潟県
2016年5月14日 宮中取水ダム
2023年9月24日
 
宮中取水ダムは左岸が新潟県十日町市宮中、右岸が同市小原の一級河川信濃川本流にある東日本旅客鉄道(株)(JR東日本)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
大正期に入り首都圏への人口集中による大量輸送に対応するため都心を中心に鉄道の電化が進められ、当時の鉄道省はその電源を信濃川中流部に求めました。
まず1939年(昭和14年)に当ダムと千手発電所が完成、1945年(昭和20年)の浅河原調整池の完成により千手発電所の発電能力は戦前の一般水力発電としては屈指の出力12万キロワットに達します。
さらに戦後の電力不足に対処するため1951年(昭和26年)に千手発電所の放流水を利用して山本調整池と小千谷発電所(最大出力12万3000キロワット)が完成。
1990年(平成2年)には追加の水利権を獲得し当ダムに宮中第二取水口が増設されるとともに山本第二調整池と小千谷第二発電所(最大出力21万キロワット)が竣工、3発電所合わせて最大45万キロワットの発電能力を有し、これはJR東日本管内で消費する全電力量の2割強に相当します。

宮中取水ダムは鉄道電化による輸送力増強に大きく貢献したことなどを評価し、2016年(平成28年)に千手発電所や浅河原調整池などとともに土木学会選奨土木遺産に選定されました。
一方で1997年(平成9年)の河川法改正による河川維持放流義務化前までは、当ダムで信濃川の水を根こそぎ取水していたため小千谷までの信濃川中流域は水無川となり、伝統のサケ漁業は壊滅し流域の自然環境にも大きな影響を与え長く流域自治体や住民との対立が続いてきました。
さらに2008年(平成20年)に不正取水と悪質な隠ぺい工作が発覚し、一時水利権はく奪という厳しい行政処分を受けました。
それ以降は不祥事の反省から流域地域への発電の理解を深める施策に力を入れ、魚道観察室を設け開かれたダムを目指す一方、地元漁協と連携したサケの稚魚放流やNPO団体と共同での自然保護活動に注力するなど地域との共存共栄を図る努力を続けています。

宮中取水ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
JR東日本信濃川発電所概要図(JR東日本パンフレットより)
宮中取水ダムで取水された水がいったん浅河原調整池に貯留され、千手発電所に送られ発電に利用されます。
さらにその放流水は山本調整池を経由して小千谷発電所に送られます。
一方、宮中第二取水口で取水された水は山本第二調整池を経て小千谷第二発電所に送られます。
 
ダム下流の宮中橋から、ダムと正対できます。
堤頂長330メートル、主ゲート9門と土砂吐ゲート2門で信濃川を閉め切ります。
宮中取水ダムは日本一の大河信濃川本流にある唯一のダムです。
(2023年9月24日)

河川維持放流は右岸にある魚道へ魚を誘導するため、右岸側ゲートで行われます。
訪問時は直前の大雨もあり4門から放流中。
(2023年9月24日)

 
ヘアピンカーブを描く右岸のは宮中取水ダムの特徴の一つ。
これぞ宮中取水ダム撮影の定番スポット。
(2023年9月24日)

多様な魚の遡上に対応するためアイスハーバー式魚道、階段式魚道、せせらぎ魚道の3種類の魚道が設けられています。
(2023年9月24日)

 
魚道観察室。
この日は魚は確認できず。
(2023年9月24日)

水利使用標識。
最大45万キロワットの発電のため、毎秒316.96立米もの水利権を有しています。
(2023年9月24日)

 
天端は職員駐在時間中の日中のみ開放され車両の通行もできます。
豪雪地帯ということでゲートビアは被覆。
機械室への階段がちょっとアンバランスな独特のデザイン。
(2016年5月14日)

管理橋の下には鉄骨トラスが隠れています。
(2016年5月14日)


主ゲートとなるローラーゲート。
(2016年5月14日)

こちらが1990年に増設された宮中第二取水口
山本第二調整池を経由して小千谷第二発電所で最大21万キロワットの発電を行います。
(2023年9月24日)

左岸高台から宮中第二取水口を俯瞰
戦前に建設された大がかりな宮中取水口に比べ、コンパクトな第二取水口は技術の進歩の証。
(2023年9月24日)


左岸から下流面
手前1番と2番ゲートは土砂吐ゲート。
(2023年9月24日)

当ダムで取水され発電に供された水は、その後各地の灌漑用水や消雪用水として再利用されます。
こちらはその水利使用標識。
全部で8枚の水利使用標識が並ぶのは珍しい。
(2023年9月24日)


(2023年9月24日)


こちらは1939年(昭和14年)に完成した宮中取水口
スクリーンの上には除塵機が鎮座します。
(2023年9月24日)

 
取水口の下流にある取水ゲート。
ここで取水量を調整します。
これだけで一つのダムのよう。
(2016年5月14日)


取水口と取水ゲートを俯瞰。
(2023年9月24日)

 
取水ゲートの下流にある巨大な沈砂池
JR東日本だけに恰もターミナルのようなスケール。
(2023年9月24日)

 
沈砂池にもスクリーンと除塵機が設置されています。
最初のスクリーンと併せ2段構えで除塵します。
(2023年9月24日)

沈砂池の先は浅河原調整池に通じる水路トンネル吞口となります。
(2023年9月24日)


水路トンネル吞口にも2段のゲート群が設置されています。
(2023年9月24日)


左岸の黄桜の丘公園にある選奨土木遺産のプレート。
(2023年9月24日)

宮中取水ダムは一般の発電ダムとは一線を画す複雑かつ独特の構造となっています。
見学の際は、全体の水の流れを頭に入れダムを個としてみるのではなく信濃川発電所のネットワークの一つとしてご覧になることをお薦めします。
 
(追記)
宮中取水ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0735 宮中取水ダム(0378)
左岸 新潟県十日町市宮中
右岸      同市小原
信濃川水系信濃川
16.8メートル
330.8メートル
970千㎥/710千㎥
東日本旅客鉄道(株)
1939年
◎治水協定が締結されたダム

小坂堤

2023-11-09 17:04:06 | 新潟県
2016年8月 6日 小坂堤
2023年9月24日

小坂堤は新潟県十日町市南鎧坂の信濃川水系小坂川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
信濃川沿岸の段丘上では揚水技術のなかった時代、目の前を流れる大河の水はただ見送るばかりで小河川や天水を水源とするしか手がなく小規模な畑作に留まっていました。
明治以降段丘上での新田開発が活発化し、併せて多数の小規模溜池が築造されますが小坂堤もそんな溜池の一つです。
ダム便覧には1881年(明治14年)に南鐙坂地区の事業で竣工と記されており、受益農家の持ち出して建設されたと思われます。
現在も受益農家で組織される十日町市土地改良区傘下の鎧坂水利組合が管理を行っています。

小坂堤は従来堤高15メートルとしてダム便覧及びダム年鑑委掲載されていましたが、その後の改修工事を受けて堤高11.5メートルとダム要件未達となってしまいました。
その結果、残念ながら2024年(令和6年)にダム便覧及びダム年鑑より削除されてしまいました。
小坂堤には2016年(平成28年)6月に初訪、その後改修工事が完了したとの報を受け2023年(令和5年)9月に再訪しました。
記事の前半は再訪時、後半は初訪時の写真となっています。

池は十日町市南鎧坂の東光寺というお寺の裏手にあります。
池下から
改修で刷新された洪水吐斜水路の白いコンクリートが目を引きます。
注目の堤高ですが、池の基盤をどこにするかで判断が分かれるでしょう。
単に堤の高さだけなら11.5メートルかもしれませんが、実際の池の基部はもっと下にあるように思えます。


緩やかにカーブを描く斜水路
向って右手に底樋管があります。


右岸から
改修後に植えられた草が未だまだら模様。


天端はコンクリート舗装ですが車両に進入はできません。


総貯水容量は便覧では1万8000万立米、ため池データベースでは3万1800立米。
いずれにしても小さな溜池です。


左岸の横越流式洪水吐と斜樋。
ともに改修で刷新されました。


洪水吐導流部。


横越流式洪水吐。


上流から
上流面はコンクリートで護岸。


洪水吐直上の斜樋。


対岸にある階段式池栓のあと。
改修以前はここから取水していました。


ここから先は2016年(平成28年)8月6日の写真となります。


天端はダート
車両の通行ができます。


見づらい写真ですが右岸の階段式池栓。
取水されており、ごぼごぼ音が鳴っています。


これまたわかりづらいですが左岸の洪水吐。


上流面は石積み護岸。


改修によりすっかりきれいな池に生まれ変わった小坂堤。
ダムかどうか?の議論はあるにせよ、今も受益農家の貴重な水源として重用されていることに変わりありません。

0713 小坂堤(0502)
ため池コード 152100151
新潟県十日町市南鎧坂
信濃川水系小坂川
11.5メートル
48.2メートル
31.8千㎥)/----
十日町土地改良区・鎧坂水利組合
1881年
2024年 ダム便覧より削除

浅河原調整池

2023-11-07 17:00:00 | 新潟県
2016年5月15日 浅河原調整池
2023年9月24日
 
浅河原調整池は左岸が新潟県十日町市小泉、右岸が同市北鎧坂の信濃川水系浅河原川にあるにある東日本旅客鉄道(株)(JR東日本)が管理する発電目的のアースフィルダムです。
大正期に入り首都圏への人口集中による大量輸送に対応するため都心を中心に鉄道の電化が進められ、当時の鉄道省はその電源を信濃川中流部に求めました。
まず1939年(昭和14年)に宮中取水ダムと千手発電所が、さらに1945年(昭和20年)に浅河原調整池が完成し千手発電所の発電能力は戦前の一般水力発電としては屈指の出力12万キロワットに達します。
さらに戦後の電力不足に対処するため1951年(昭和26年)に千手発電所の放流水を利用して山本調整池と小千谷発電所(最大出力12万3000キロワット)が完成、1990年(平成2年)には
山本第二調整池と小千谷第二発電所(最大出力21万キロワット)が竣工しました。
現在は3発電所合わせて最大45万キロワットの発電能力を有し、これはJR東日本管内で消費する全電力量の2割強に相当します。
一連の発電施設は鉄道向け発電ということで朝夕のラッシュ時と昼夜の閑散時の出力調整の幅が非常に大きく、上部調整池の果たす役割が一般的な発電施設よりもはるかに重要なため浅河原調整池では連絡水槽など一般の発電施設では見られない独自の調整施設が設けられています。
しかし、2004年(平成16年)の新潟中越地震では堤体に亀裂が入るなど大きな被害を受け大規模な補修を余儀なくされました。
さらに2008年(平成20年)には宮中取水ダムにおける不正取水と悪質な隠ぺい工作が発覚し、一時水利権はく奪という厳しい行政処分を受けた事実も記しておきます。

浅河原調整池はまだ土質工学が確立されていない時代に、海外の先端技術を駆使して築造された貴重なアースフィルダムであり、鉄道電化による輸送力増強に大きく貢献したことなどを評価し、2016年(平成28年)に宮中取水ダムや千手発電所などとともに土木学会選奨土木遺産に選定されるとともにBランクの近代土木遺産に指定されています。
浅河原調整池には2016年(平成28年)5月に初訪、2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
JR東日本信濃川発電所概要図(JR東日本パンフレットより)
宮中取水ダムで取水された水がいったん浅河原調整池に貯留され、千手発電所に送られ発電に利用されます。


下流から
堤高37メートル、堤頂長291.8メートル
ここから見ると大規模な溜池の堤体といった風。
(2023年9月24日)


左岸ダムサイトから
対岸に中学があり、天端は通学路として開放されています。
(2023年9月24日)

初訪時は調整池の水位がかなり高くなっていました。
手前の星型の構造物はサイフォン式余水吐。
奥に見えるのが浅河原調整池の中核をなす連絡水槽。
(2016年5月15日)

 
再訪時は水位が低く、湖面には水草が繁茂しています。
(2023年9月24日)

調整池は総貯水容量106万5000立米
こちらは初訪時の水位が高い時の写真。
手前の長方形のコンクリート構造物は余水吐。
制限水位を超えると壁の横に空いた穴から越流して余水を排出する仕組み。
(2016年5月15日)

再訪時に同じアングルで。
(2023年9月24日)

天端からの眺め
ダム下は運送会社の倉庫
正面に越後駒ヶ岳や八海山が遠望できます。
(2023年9月24日)

余水吐を真上から
まるで軍事要塞のよう。
(2016年5月15日)

二つの余水吐を並べて撮ってみました。
星形はサイフォン方式で、長方形は越流式で排水します。
これだけ見るととてもダムの設備とは思えず、湖上に浮かぶ巨大なクッキー。
(2016年5月15日)


同じアングルで
7年の間にずいぶん水草が繁茂しました。
(2023年9月24日)

連絡水槽を間近で見ます。
鉄道向け電源ということで、ラッシュ時と閑散時では発電の出力調整の幅が大きくなります。
発電所の出力が小さい際に調整池に水を貯留し、出力が大きいときには調整池の水を使用するバッファの役割を担う施設です。
初訪時は発電量が小さいためか、連絡水槽から調整池に水が流入していました。
(2016年5月15日)

再訪時はちょうど朝のラッシュ時
宮中取水口からの水は連絡水槽からそのまま千手発電所に送られています。
(2023年9月24日)


真正面から
前後2箇所にゲートが装備され、豪雪地帯らしく鉄骨トラスのビアは被覆されています。
ゲートが前後に二つあり、手前はが宮中取水口からの導水路のゲート、奥は浅河原調整池への水の出入りを制御するゲート。
宮中取水口からの水は手前足元から水槽に流入していますが角度的に見ることはできません。
一方奥に千手発電所への導水路入口となる穴があり、2箇所のゲートで流入、排出をコントロールします。
(2023年9月24日)

左岸湖岸に展望台があり、選奨土木遺産のプレートが設置されています。
(2023年9月24日)


展望所から連絡水槽を遠望します。
初回訪問時は連絡水槽から勢いよく流入中。
(2016年5月15日)
 
こちらはインレットにある水門
宮中第2取水口から山本第二調整池への導水路から分水された水の流入口。
2系統の微妙な水量調節などの際に利用されるのでしょう。
(2016年5月15日)

インレットから見た調整池。
(2023年9月24日)
 
調整池上流の浅河原川にある堰堤。
調整池の水はすべて宮中取水ダムからの導水に依っており、既得水利権のある浅河原川の水とは明確に分別されます。
浅河原川の水はこの堰から調整池をバイパスして下流に流下します。
(2016年5月15日)

次に千手発電所に移動します。
こちらにも選奨土木遺産のプレートが設置されています。
(2023年9月24日)


水圧鉄管は5本で最大12万キロワットの発電を行います。
(2023年9月24日)


千手発電所の全景
背後のタンクが上部槽になります。
(2023年9月24日)


連絡水槽や排水設備、余水吐など他のダムでは見ることができない珍しい設備がずらりと並んでいます。
まずダムのシステムが複雑なのでJRの概要図で水の流れを十分理解してから見学することをお薦めします。
 
0738 浅河原調整池(0385)
左岸 新潟県十日町市小泉
右岸      同市北鎧坂
信濃川水系信濃川
37メートル
291.8メートル
1065千㎥/853千㎥
東日本旅客鉄道(株)
1945年

笠堀ダム(再)

2023-11-06 17:00:00 | 新潟県
2023年7月21日 笠堀ダム(再)
     9月23日
 
笠堀ダム(再)は新潟県三条市笠堀の信濃川水系五十嵐川右支流笠堀川にある新潟県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
五十嵐川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、三条市への上水道用水の供給、新潟県企業局笠堀発電所(最大出力7200キロワット)でのダム式発電を目的として1964年(昭和39年)に竣工しました。
しかし1969年の昭和44年8月豪雨にて当初計画量を上回る出水となったことから、新たに五十嵐川本流への多目的ダム建設が進められ1993年(平成5年)に大谷ダムが完成、両ダム連携しての洪水調節が開始されました。
ところが2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨では改訂された計画雨量をさらに超える流入量が記録され、下流域で甚大な洪水被害が発生しました。
これを受け当ダムの嵩上げ再開発が着手され2017年(平成29年)に竣工、堤体を4メートル嵩上げすることで新たに180万立米の洪水調節容量が確保され、笠堀ダム(再)・大谷ダム合わせて最大毎秒1200立米の洪水カットが可能となりました。
笠堀ダムには2023年(令和5年)7月に初訪、その後渇水による水位低下の情報を得て同年9月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

ダムサイトまで県道365号線が通じていますが、ダム下へ通じる管理道路は関係者以外立ち入り禁止。
ダムを正面から見学するポイントはありません。
左岸から
堤高78.5メートル、堤頂長250メートルの堤体
コンクリートが白くなった襟が4メートル嵩上げされた部分です。
(2023年9月23日)

洪水吐は堤体右岸側に寄っています。
ゲート部分をズームアップ
と言ってもわずかにアームが見えるのみ
非常用洪水吐としてクレストラジアルゲートおよびオリフィスラジアルゲートを1門ずつ、常用洪水吐としてコンジット高圧ラジアルゲートを1門装備。
(2023年7月21日)


アングルを変えて。
(2023年9月23日)

  
監査廊入り口
右手のパイプは既得灌漑用水向け水路。
(2023年9月23日)


ダムサイトに建つカモシカの銅像。
ダム周辺は手つかずの自然が残り1971年(昭和46年)に『笠堀のカモシカ生息地』が天然記念物に指定されたのを機に設置されました。
(2023年9月23日)

ダムサイトの竣工銘板
嵩上げ以前は親柱にあったものが移設されたようです。
(2023年9月23日)
 
天端は取水設備手前まで立ち入り可能。
(2023年7月21日)

 
堤体直上の浮桟橋と巡視艇。
(2023年7月21日)
 
天端からダム下を望む
左は新潟県企業局笠堀発電所
堤体から張り出しているのがコンジットゲートハウス
その右手にオリフィス、クレストの導流部が並びます。
(2023年9月23日)

導流壁の並びが独特です。
ダム下から見てみたいなあ。
(2023年9月23日)


ダム湖は総貯水容量1720万立米
嵩上げ再開発により180万立米増量しました。
常時満水位は草付き上端のEL207メートルですが、訪問時は洪水期のためEL194.5メートルが制限水位となっています。
(2023年7月21日)

再訪時は渇水の影響で貯水量が大幅に低下。
貯水率は30%まで低下していました。
(2023年9月23日)

 
選択取水設備
発電後に利水利用されるため、基本表層取水となります。
(2023年7月21日)

 
取水設備建屋。
(2023年7月21日)
 
水利使用標識。
(2023年7月21日)


こちらは大谷ダム上流からの導水路流入口で発電容量はすべてこの間接流域33.5平方キロにより補給されます。
これは笠堀ダム(再)の流域面積103.5平方キロのうち約3割に相当します。
(2023年9月23日)


ゲート配置や減勢工の形状に特徴のあるダムですが、立ち入り制限区域が多く肝心な場所が見れないのが残念なところ。
新潟県営ダムでは5人以上で事前予約すれば堤体内も含めた見学が可能とのこと。
機会があれば人数を揃えて、当ダムや奥胎内ダムなど規制が多いダムをじっくり見学してみたいものです。

(追記)
笠堀ダム(再)には洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

0753 笠堀ダム(元)
新潟県三条市笠堀
信濃川水系笠堀川
FNWP
74.5メートル
224.5メートル
15400千㎥/13300千㎥
新潟県土木部
1964年
---------------
3676 笠堀ダム(再)(2013)
新潟県三条市笠堀
信濃川水系笠堀川
FNWP
78.5メートル
250メートル
17200千㎥/15100千㎥
新潟県土木部
2017年 再開発事業竣工
◎治水協定が締結されたダム

刈谷田川ダム

2023-10-30 17:00:00 | 新潟県
2016年5月21日 刈谷田川ダム
2023年9月23日
 
刈谷田川ダムは新潟面長岡市栃堀の信濃川水系刈谷田川にある新潟県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
刈谷田川は『谷や田を刈る』という名が示すように暴れ川で豪雨の度に流域での出水被害が多発していました。
1967年(昭和42年)の羽越豪雨を契機に新潟県は県所管各河川の抜本的な治水対策に乗り出します。
刈谷田川では豪雨直後に上流部への多目的ダム建設事業が採択され1974年(昭和49年)より本体着工、1980年(昭和55年)に刈谷田川ダムが竣工しました。
刈谷田川ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで刈谷田川の洪水調節(最大毎秒170立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と既得灌漑用水への補給、上工水の供給を目的としています。
その後1990年(平成2年)に河川維持放流を利用した新潟県企業局刈谷田発電所(最大1100キロワット)が増設されました。
 
しかし2004年(平成16年)7月の新潟・福島豪雨の際にはダムの計画高を超える洪水に見舞われ、これを機に利水容量の一部が洪水調節容量へ振り替えられ、洪水期には有効貯水容量415万立米の大半が洪水調節容量となる治水重視の運用となりました。
運用の変更と河川整備の成果は大きく、2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨の際にはほぼ2004年とほぼ同量の降雨を記録したにもかかわらず刈谷田川流域での洪水被害は軽微にとどまりました。

刈谷田川ダムの容量配分(ダムパンフレットより)


刈谷田川ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

ダムは狭隘な谷間から平野への出口に作られ、細長い漸縮型堤体導流壁がダムを一段と縦長に見せます。
右手前の建屋が県企業局刈谷田発電所。
(2016年5月21日)

 
洪水吐はクレストラジアルゲート2門、オリフィス高圧ラジアルゲート1門を装備。
導流壁左手四角い穴はオリフィスの空気孔。
(2016年5月21日)


ダム直下に近づくと灌漑用の分水ゲートが現れます。
『大江』と呼ばれる灌漑用水でダムの減勢工から取水しています。
こちらはダム建設以前から慣行水利権でダムの目的としてはNの不特定利水となります。
(2023年9月23日)


副ダムと刈谷田発電所
発電所は河川維持放流を利用した利水従属の小水力発電となります。
(2016年5月21日)


左岸から下流面
下流からの姿とは一転、堤高83.5メートル、堤頂長202.5メートルのダムらしい姿。
(2023年9月23日)


ダム建設に併せて左岸ダムサイトは園地として整備されました。
今はやや荒れ気味ですがこのライオンのモニュメントは何気に目を引きます。
てか、かわいい!
(2023年9月23日)


ダムサイトの竣工記念碑。
(2016年5月21日)

初回訪問時の上流面。
(2016年5月21日)


再訪時は洪水期常時満水位に約1メートル程足りない水位。
コンクリートの茶色い部分が非洪水期満水位となります。
オリフィス上部には予備ゲート
(2023年9月23日)


天端は徒歩のみ開放
インクラインはなく巡視艇はこのクレーンで昇降させます。
これも胎内川ダム加治川取水ダムなど新潟県営ダムではおなじみの設備。
(2016年5月21日)

初訪時は天端に置かれた巡視艇が、再訪時はこちらに移動されていました。
(2023年9月23日)


洪水吐導流部と減勢工
上から見ても細長い導流壁、そして減勢工も深い。
(2016年5月21日)


再訪時は河川維持放流用の放流管から放流中。
(2023年9月23日)

発電所の水利使用標識。
利水従属発電となります。
(2023年9月23日)


初訪時のダム湖
非洪水期満水位でEL249.5メートルまで貯留されています。
(2016年5月21日)


再訪時のダム湖
洪水期の制限水位EL239.4メートルから1メートルほど低い水位です。
湖岸の植生を見れば非洪水期との水位差が見て取れるでしょう。
(2023年9月23日)


上流面
奥は選択取水設備、手前はオリフィス予備ゲート
ゲート、取水口スクリーンの枠、クレーンが赤で統一されています。
水位は低く見えますが洪水調節容量が過半を占めるためこれで常時満水位。
洪水期になるとさらに水位が下がります。
(2016年5月21日)


 (追記)
刈谷田川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0771 刈谷田川ダム(0399)
新潟県長岡市栃堀
信濃川水系刈谷田川
FWIP
83.5メートル
202.5メートル
4450千㎥/4150千㎥
新潟県土木部
1980年
◎治水協定が締結されたダム

牛ヶ島大堤(貝の沢池)

2023-10-28 17:02:15 | 新潟県
2016年7月20日 牛ヶ島大堤(貝の沢池)
2023年9月23日
 
牛ヶ島大堤は長岡市川口牛ヶ島にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では貝の沢池と表記されていますが、新潟県ため池データベースや長岡市のため池ハザードマップには貝の沢池は存在しません。
便覧では貝の沢溜池の事業者は牛ヶ島集落となっており、牛ヶ島集落のある長岡市川口には堤高10メートルを超える溜池は牛ヶ島大堤しか存在しないため、牛ヶ島大堤が貝の沢池であることはほぼ間違いないと思われます。
当ブログでは牛ヶ島大堤と記すことにします。
池の起源ですが、ダム便覧では1945年(昭和20年)に牛ヶ島集落の事業により竣工と記される一方、現地記念碑には築造は宝暦6年(1756年)に遡りその後1989年(平成元年)に県のため池等整備事業が行われたとあります。
また堤高についても便覧が15メートルなのに対しため池データベースは13.3メートルとなっておりこちらを採ればダムの要件未達となります。
現在も池の管理は川口牛ヶ島地区が行っています。

牛ヶ島大堤には2016年(平成28年)7月に初訪、2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。
 
越後川口から国道17号小千谷方面に向かい、牛ヶ島交差点の先の狭い道路を左折すると池に到着。
まずは池下から。
堤高15メートル(ため池データベース13.3メートル)
右岸(向かって左手)に洪水吐斜水路、ダム中央の底樋管から灌漑用水路が伸びています。

 
アングルを変えて。
天端中央は階段
草が刈られ今も貴重な灌漑用水源であることが伺えます。

 
洪水吐斜水路。 

 
底樋管
訪問時はそろそろ稲刈りのシーズンですがいまだ勢いよく放流中。

 
分水ゲート
向って右手は灌漑用水路
左手は河川維持放流となります。

 

 
ダムサイトに上がります
右岸に建つ記念碑。

 
下流面。


池の下の赤い屋根の建物は鉄工所で池とは関係ありません。

 
横越流式洪水吐。

 
天端は道路で車両の通行もできます。 

 
上流面は草が生えていますが、コンクリートブロックで護岸。

 
池下左手にも小さな池があります。
そばの小屋も併せて個人所有の池のようです。

 
総貯水容量3万5000立米の小さな溜池
2023年(令和5年)の新潟は各所で渇水が発生しましたが、この池は水不足とは縁がなかったようです。

 
0739 牛ヶ島大堤(貝の沢池)(0488)
ため池コード 152029001
新潟県長岡市川口牛ヶ島
信濃川水系信濃川右支流(河川名不明)
15メートル(ため池データベース 13.3メートル
80メートル(ため池データベース 55メートル)
35千㎥(ため池データベース 23千㎥)/35千㎥
牛ヶ島地区
1756年築造
1945年竣工(ダム便覧)
1989年ため池等整備事業竣工(記念碑)

太田ダム

2023-10-27 17:00:00 | 新潟県
2016年5月21日 太田ダム
2023年9月23日
 
太田ダムは新潟県小千谷市山谷の信濃川水系太田川にある農地防災・灌漑目的のアースフィルダムです。
現地竣工記念碑によれば1922年(大正11年)に25町歩(約25ヘクタール)の開田に合わせ太田溜池として建設されました。
その後県営防災ダム事業により再開発され、1999年に農地防災容量が付加された太田ダムとして新たに竣工しました。
運用開始後は小千谷土地改良区が管理を受託し、64ヘクタールの農地に灌漑用水を供給するとともに流域の農地防災を担っています。
ダム便覧では竣工年度が1996年(平成8年)になっていますが、この根拠が不明なためここでは竣工記念碑の1999年を竣工年度とします。

太田ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、渇水により貯水池が枯れているとの報を受け2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
ダム下から
堤体は堤高26.5メートル、堤頂長115メートル
犬走を挟んだ2段構成で右岸(向かって左)に洪水吐斜水路があります。
(2023年9月23日)

 
ダム下流の放流設備
ここで河川維持放流と灌漑用水を分水します。
(2023年9月23日)

 
洪水吐に架かる管理橋
左手の水路管が灌漑用のパイプライン。
(2023年9月23日)


 管理橋から斜水路を見上げる。
(2023年9月23日)


 減勢工にある転流工吐口。
(2023年9月23日)

 
河川維持放流ゲート
2枚目写真の放流設備から分水されます。
(2023年9月23日)

 
左岸から下流面。
(2023年9月23日)

天端は立ち入り禁止
ダムを所有する小千谷市に立ち入り交渉をしましたが残念ながら却下。
(2016年5月21日)


左岸の竣工記念碑。
太田溜池時代からの来歴が詳しく書かれています。
(2023年9月23日)


2023年(令和5年)は新潟県各所で渇水が発生、
太田ダムも8月に貯水率がゼロになり以来流入量をそのまま放流する低水運用を行っています。
上流面はコンクリートで護岸
対岸に横越流式洪水吐と斜樋があり高台には管理棟が建っています。
(2023年9月23日)


こちらは初回訪問時
これで常時満水位。
(2016年5月21日)

 
同じアングルで再訪時。
(2023年9月23日)

 
初回訪問時の貯水池。
有効貯水容量16万4000立米のうち灌漑容量11万5000立米が貯留され、残り4万9000立米が農地防災容量となります。
(2016年5月21日)


初回訪問時の斜樋。
(2016年5月21日)


再訪時
貯水池に溜まっているのは堆砂容量1万立米のみ
水位は取水設備の最低取水口を下回り、流入量は土砂吐ゲートからそのまま放流しています。
(2023年9月23日)

2023年(令和5年)7月にも新潟のダムを回りましたが、その時には予想もしなかった渇水。
当ダムのほか多くのダムで水不足に陥り、新潟県内の農家や土地改良区は近年まれにみる苦難を強いられました。
 
3116 太田ダム(0390)
新潟県小千谷市山谷
信濃川水系太田川
FA
26.5メートル
115メートル
174千㎥/164千㎥
小千谷土地改良区
1922年 太田溜池竣工
1996年 太田ダム竣工(ダム便覧)
1999年       (竣工記念碑)

岩船ダム

2023-08-28 17:08:00 | 新潟県
2016年6月11日 岩船ダム
2023年7月23日
 
岩船ダムは新潟県岩船郡関川村片貝の一級河川荒川本流にある荒川水力電気(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
高度成長時期に入り、当時アルミ精錬国内最大手だった日本軽金属(株)は新潟工場向けの電力を賄うために、1960年(昭和35年)に東北電力(株)との合弁で荒川水力電気を設立します。
同社によって翌1961年(昭和36年)に建設されたのが岩船ダムで、ダム直下の岩船発電所で最大1万1500キロワットのダム式発電を行っています。
その後、同社は建設省(現国交省)による大石ダム建設事業に事業参加し、1978年(昭和53年)に大石発電所(最大出力1万900キロワット)が稼働、現在は合計2万2400キロワットの発電能力を有しています。
岩船ダムには2016年6月に初訪、2023年7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
国道113号荒谷トンネル手前から
ローラーゲート4門を装備していますが、下流からはこれが精いっぱい。
初訪時左右で異なっていたピアの高さが統一されています。
(2023年7月23日)


ダムへはJR米坂線の踏切を渡り旧道を進みますが・・・
2022年の令和4年8月豪雨により米坂線は各所で寸断され未だ運休状態、線路もさび付いたまま。
もともと運行本数も少なくこのまま廃線になる公算大です。
(2023年7月23日)


右手の青い屋根が岩船発電所建屋
最大1万1500キロワットのダム式発電を行います。
(2023年7月23日)


当然のことながらダムや発電所は立ち入り禁止、フェンス越しの見学となります。
荒川水力電気株式会社の表札。
(2023年7月23日)


こちらは初訪時の写真
当時は左岸2門と右岸2門でピアの高さが異なっていました。
(2016年6月11日)


水利使用標識。
(2023年7月23日)


左岸の取水ゲート
左奥は管理事務所。
(2023年7月23日)


最大毎秒65立米の取水を行います。
(2023年7月23日)


国道113号から上流面を遠望できます。
(2016年6月11日)

ズームアップ。
左右のゲートピアの形状が異なり右岸2門は鉄骨トラス製のピアでした。
1枚目写真でわかるように今は高さも形状も統一されています。
(2016年6月11日)

(追記)
岩船ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0748 岩船ダム(0443)
新潟県岩船郡関川村片貝
荒川水系荒川
30.2メートル
92.6メートル
5875千㎥/1072千㎥
荒川水力電気(株)
1961年
◎治水協定が締結されたダム

下条川ダム

2023-08-26 17:00:03 | 新潟県
2016年6月12日 下条川ダム
2023年7月21日

下条川(げじょうがわ)ダムは新潟県加茂市下条の一級河川信濃川水系下条川にある新潟県土木部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
1967年(昭和42年)の羽越豪雨を契機に新潟県は県所管各河川の抜本的な治水対策に乗り出します。
下条川では羽越豪雨発災直後に治水ダム建設が採択され、1973年(昭和48年)に下条川ダムが竣工しました。
下条川ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで下条川の洪水調節(最大毎秒100立米の洪水カット)を目的としています。
建設に際しては建設省(現国交省)により『地域に開かれたダム』の指定を受け、ダム湖に生態系の保護を図るためのビオトープや遊歩道が整備され自然学習館やキャンプ場が設けられました。
また湖岸は広く開放され新潟県有数のヘラブナ釣りスポットとなっているほか、桜の名所としても知られています。
下条川ダムには2016年(平成28年)6月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載してあります。

左岸下流から
堤高31メートル、堤頂長138メートルの小ぶりな堤体。
見た目の高さは20メートルほどで、堤高31メートルは基礎岩盤からの高さとなります。
(2023年7月21日)

豪雪地帯らしくピアは被覆され、落雪のためゲートハウスの屋根はダム湖側に傾斜しています。
(2023年7月21日)


親柱のダムプレート。
(2023年7月21日)

天端は4トン未満の車両が通行可能。
ゲート部分は下流側にクランクしています。
(2023年7月21日)

天端から減勢工を見ろします。
左手は放流管(常用洪水吐)となるコンジットバルブ。
治水専用ダムのため、普段は流入量はここからそのまま放流します。
(2023年7月21日)


アングルを変えて
右手に溜まっている水が謎?
(2023年7月21日)

雪対策でプラスチックカバーで覆われたピアの階段。
夏は暑そう。
(2016年6月12日)


照明には寒椿の装飾。
このデザイン、同じ新潟県内のヒメサユリの装飾がある大谷ダムの照明と似ています。
(2016年6月12日)


上流面
対岸に管理事務所。
(2016年6月12日)


放流設備は非常用洪水吐となるクレストローラーゲート1門と放流管のコンジットバルブ1条。
総貯水容量153万立米、うち有効貯水容量110万立米すべてが洪水調節容量となる治水専用ダムです。
ダム湖には堆砂容量分43万立米が貯留され、これで常時満水位。
(2016年6月12日)

事務所の右手には小さな艇庫とインクライン。
(2016年6月12日)


上流からゲートをズームアップ
主ゲートの左手がコンジットバルブの取水口。
(2016年6月12日)


ダム建設に合わせて環境整備が進められ、学習館やビオトープ、親水護岸などが設置されました。
この吊橋もその一つですが、老朽化により立ち入り禁止。
再訪時は平日でしたが湖岸では多くの釣り師が糸を垂れていました。
(2023年7月21日)


(追記)
下条川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

0763 下条川ダム(0457)
新潟県加茂市下条
信濃川水系下条川
31メートル
138メートル
1530千㎥/1100千㎥
新潟県土木部
1973年
◎治水協定が締結されたダム

大谷ダム

2023-08-22 17:00:00 | 新潟県
2016年5月21日 大谷ダム
2023年7月21日
 
大谷ダムは新潟県三条市大谷の信濃川水系五十嵐川にある新潟県土木部が管理する多目的ロックフィルダムです。
三条市内を横断して信濃川に合流する五十嵐川では1964年(昭和39年)に右支流笠堀川に笠堀ダム(元)が完成しましたが、1969年の昭和44年8月豪雨で計画量を上回る出水となったことから、新たに五十嵐川本流への多目的ダム建設が着手され1993年(平成5年)に大谷ダムが竣工しました。
大谷ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、笠堀ダムと連携した五十嵐川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、三条市・加茂市・田上町への上水道用水の供給を目的とするほか、河川維持放流を利用して大谷ダム管理発電所(最大出力190キロワット)で小水力発電を行っています。
しかし、2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨では改訂された計画雨量をさらに超える流入量が記録され、下流域で甚大な洪水被害が発生しました。
これを受け笠堀ダムの嵩上げ再開発が着手され2017年(平成29年)に竣工、これにより両ダム合わせて最大毎秒1200立米の洪水カットが可能となり、五十嵐川流域の治水能力は大きく向上しました。

大谷ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載してあります。

大谷ダム下流に架かる国道289号線大谷大橋の右岸から、旧道を進むとダムの直下に出ます(再訪時は草木が繁茂しこの場所への立ち入りは不可能)。
洪水吐斜水路の下の穴は常用洪水吐放流口
向って左手の穴は河川維持放流(小水力発電)の放流口。
(2016年5月21日)

 
左岸から
堤高75.5メートル、堤頂長360メートルのリップラップ
ダム左岸を通る国道289号線は現在福島県との間で八十里越トンネルが建設されており、ダム下はその残土置き場になっています。
(2023年7月21日)


ダムに沿った国道の壁面にはヒメサユリやサケの壁画が描かれています。
(2016年5月21日)

左岸から
左から管理事務所、資料館、取水設備機械室。
(2016年5月21日)

ズームアップ
左は資料館、右は水道用水取水口
ちょっとわかりづらいですが水道用水取水口の左に常用洪水吐があります。
(2016年5月21日)


天端は2車線幅の車道で一般車両通行可能。
(2016年5月21日)

天端の照明にはヒメサユリのデザイン。
(2016年5月21日)


ダム湖は『ひめさゆり湖』と命名され総貯水容量は2110万立米。
(2016年5月21日)

洪水吐斜水路から減勢工
下流の橋が国道289号線大谷大橋。
(2016年5月21日)

非常用となる横越流式洪水吐と管理事務所
2011年(平成23年)の新潟福島豪雨では、ダム完成以降初めてこの洪水吐から越流しいわゆる緊急放流が実施されました。
(2016年5月21日)

右岸からの上流面。
(2023年7月21日)


管理事務所手前にあるモニュメント、定時に鐘が鳴ります。
(2023年7月21日)

記念碑
(2023年7月21日)


右岸上流から
向って右手は上水用取水設備、左手は常用洪水吐。
常用洪水吐の上部には空気孔があります。
(2023年7月21日)


水利使用標識。
(2023年7月21日)
 
ダム着工がバブル期に当たるため、補助ダムながら資料館が併設されるほか照明やモニュメント、湖岸の公園などが整備されています。
しかし、初訪時は営業中だった資料館はすでに閉館、湖岸の公園も草が目立ち、経費節減の色を強く感じます。
ただ八十里越トンネルが開通すれば交通量の増加も期待でき、立ち寄りスポットとして大谷ダムの位置づけも変わるのではないかと思います。
ちなみに大谷ダムがダム巡りを初めて400基目のマイルストーンとなりました。
 
(追記)
大谷ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0781 大谷ダム(0400)
新潟県三条市大谷
信濃川水系五十嵐川
FNW
75.5メートル
360メートル
21100千㎥/17050千㎥
新潟県土木部
1993年
◎治水協定が締結されたダム

山本第二調整池

2023-08-20 17:00:00 | 新潟県
2016年5月21日 山本第二調整池
2023年7月21日
 
山本第二調整池は新潟県小千谷市山本にある東日本旅客鉄道(株)(JR東日本)が管理する発電目的のロックフィルダムです。
大正期に入り首都圏への人口集中による大量輸送に対応するため都心を中心に鉄道の電化が進められ、当時の鉄道省はその電源を信濃川中流部に求めました。
まず1939年(昭和14年)に宮中取水ダムと千手発電所が竣工、さらに1945年(昭和20年)に浅河原調整池が完成し発電能力は12万キロワットとなりました。
その後、戦後の電力不足に対処するため1951年(昭和26年)に千手発電所の放流水を利用して
山本調整池と小千谷発電所(最大出力12万3000キロワット)が完成、さらに1990年(平成2年)には山本第二調整池と小千谷第二発電所(最大出力21万キロワット)が竣工しました。
現在は3発電所合わせて約45万キロワットの電力を発電し、これはJR東日本管内で消費する全電力量の2割強に相当します。
一方、2004年(平成16年)の中越地震では貯水池全般に大きな損傷を受け、大規模な補修工事を余儀なくされました。

山本第二調整池には2016年(平成28年)5月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

JR東日本信濃川発電所概要図(JR東日本HPより)


下流面
堤頂長は1392メートルに及びますが、立ち入り制限などにより下流から一望することはできません。
草が伸びていますがロックフィルダムとなります。
(2016年5月21日)


右岸から
天端には2車線幅の道路になっていますが立入禁止。
三方が堤体となっており堤頂長は1392メートルに及びます。
(2016年5月21日)

上流面
こちらも草がついていますが、ロック材で護岸されています。
奥の構造物は余水吐。
(2023年7月21日)

余水吐をズームアップ
初訪時は早朝の訪問で朝のラッシュに備えて満水。
余水吐の大半が水没しています。
(2016年5月21日)

再訪時
午前10時ごろで朝のラッシュも一巡し水位が低下、おかげで余水吐の構造がよくわかります。
四角い穴がサイフォン式吞口で、余水は直接信濃川に放流されます。
発電所への取水口は水中にあるので見れません。
(2023年7月21日)


宮中取水ダム第二取水口からの導水路流入口。
(2023年7月21日)

JRらしく湖岸の柵はレールが使われています。
(2016年5月21日)

湖岸には導水路トンネル建設時に使用されたシールドマシンが展示されています。
(2023年7月21日)


マシンのすぐそばの竣工記念碑。
(2023年7月21日)


記念碑から上流面を遠望。
(2023年7月21日)

流入口
初訪時は水位が高く流入口もほぼ水没。
(2016年5月21日)


再訪時
ちょうど土手の草刈り作業中。
草刈り用のロボットを初めて見ました。
(2023年7月21日)

山本第二調整池から送水される小千谷第二発電所
小千谷発電所に遅れること39年後の1990年(平成2年)に稼働
約40年の技術革新で、小千谷発電所よりもはるかに小規模ならが出力は倍近い21万キロワットを誇ります。
(2023年7月21日)


3032 山本第二調整池(0392)
新潟県小千谷市山本
信濃川水系三国川
42.4メートル
1392メートル
3640千㎥/3200千㎥
東日本旅客鉄道(株)
1990年

山本調整池

2023-08-17 17:00:00 | 新潟県
2016年5月21日 山本調整池
2023年7月21日
 
山本調整池は左岸が新潟県小千谷市谷内、右岸が同市山本にある東日本旅客鉄道(株)(JR東日本)が管理する発電目的のアースフィルダムです。
大正期に入り首都圏への人口集中による大量輸送に対応するため都心を中心に鉄道の電化が進められ、当時の鉄道省はその電源を信濃川中流部に求めました。
まず1939年(昭和14年)に宮中取水ダムと千手発電所が竣工、さらに1945年(昭和20年)に浅河原調整池が完成し発電能力は12万キロワットとなりました。
その後戦後の電力不足に対処するため1951年(昭和26年)に千手発電所の放流水を利用して山本調整池と小千谷発電所(最大出力12万3000キロワット)が完成、さらに1990年(平成2年)には
山本第二調整池
と小千谷第二発電所(最大出力21万キロワット)が竣工しました。
現在は3発電所合わせて約45万キロワットの電力を発電し、これはJR東日本管内で消費する全電力量の2割強に相当します。

小千谷及び小千谷第二発電所は鉄道向け発電ということで朝夕のラッシュ時と昼夜の閑散時の出力調整の幅が非常に大きく、上部調整池の果たす役割が一般的な発電施設よりもはるかに重要なため山本調整池では浅河原調整池同様、独自の調整施設が設置されています。
山本調整池には2016年(平成28年)5月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

JR東日本信濃川発電所概要図(JR東日本HPより)


国道351号線旭町バイパスで信濃川を渡ると左手に発電所が見えてきます。
右手が小千谷発電所、左が小千谷第二発電所。
(2023年7月21日)


右上の取水口から5条の水圧鉄管で発電所に水が送られます。
赤いトラス橋は国道117号山辺橋。
(2023年7月21日)

 
国道117号をくぐり小千谷発電所へ5条の水圧鉄管が並びます。
内径4.5メートルの鉄管が5本並ぶさまは圧巻。
(2023年7月21日)

 
発電所の取水ゲート直下を道路が通ります。
(2023年7月21日) 

こちらは1990年(平成2年)に増設された小千谷第二発電所。
最大出力は小千谷発電所(最大12万1000キロワット)の2倍近く、21万キロワットに及びます。
(2023年7月21日) 


取水ゲート右岸高台から複雑な取水設備全体を俯瞰できます。
大幅な出力調整に対応できるよう2段の分水工が設けられています。
この分水工の仕組みについては水力ドットコム様にわかりやすい説明が記載されています。
(2023年7月21日) 

取水設備中央にダム穴のような長円形の調節水槽が設けられています。
左手の直線上の構造物はスクリーン。
(2023年7月21日) 

スクリーンをズームアップ
除塵機用のレールが敷かれています。
(2023年7月21日) 

右手は千手発電所からの導水路の流入ゲート。
(2016年5月21日)


取水設備左岸側に移動します。
こちらは慰霊碑。
大正末期の着工以来の計150余名の殉職者を慰霊しています。
(2023年7月21日) 


千手発電所から送られた水は扇形の調節水槽により、水位に応じて6本の水圧鉄管への送水を調整します。
まるで巨大なダム穴。
(2023年7月21日) 

鉄道の運行状況に合わせて発電出力が調整されるため、余水は調整池に貯留されます。
必要以上に余水が発生した場合は右手の余水吐から直接信濃川に放流されます。
(2023年7月21日) 

調節水槽と導水路からの流入ゲート。
(2023年7月21日) 

余水吐をズームアップ
戦場のトーチカのようです。
(2023年7月21日) 

アングルを変えて。
(2023年7月21日) 


ここまで紹介してきたのはあくまでも調整池からの発電所への取水設備。
ダムの堤体はこちら
堤頂長926.6メートルに及ぶアースフィル堤体。
2004年(平成16年)の中越地震では堤体に亀裂が入るなどの損傷が発生しました。
(2023年7月21日) 

左岸から調整池越しの上流面。
(2023年7月21日) 


上流から余水吐、調節水槽、流入ゲートを遠望。
(2023年7月21日) 

 
出力調整の幅が大きな鉄道向け発電施設のため、他所では見られない独特の施設が多々設けられています。
事前に十分な予習をしてそれぞれの設備が持つ役割をよく理解してから見学されることをお薦めします。
 
3632 山本調整池(0391)
左岸 新潟県小千谷市谷内
右岸      同市山本
信濃川水系信濃川
27.5メートル
926.6メートル
1071千㎥/1032千㎥
東日本旅客鉄道(株)
1954年

小布勢溜池

2022-05-04 10:00:00 | 新潟県
2022年4月24日 小布勢溜池
 
小布勢溜池は新潟県佐渡市西三川の西三川川水系西三川川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1932年(昭和7年)に小布勢水利組合の事業で竣工と記されているのみで詳細は不明です。
現在は小布勢土地改良区が管理し、約80ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。

西三川地区金山集落から西三川川(金山川)沿いを約1.5キロ遡上すると小布勢溜池に到着します。
池の手前700メートルほどにチェーンが掛かりこの先は徒歩。

まずダム下へ向かいます。
堤高は18メートル、右手のパイプは洪水吐から伸びています。


底樋管。


田植えの早い佐渡では4月から水田に水が張られます
底樋管からは『ごぼごぼ』音を立てて水が湧き出ています。
洪水吐からのパイプは越流した水も利水利用しようという意図のようです。


左岸から見た天端。


左岸の洪水吐
堤体に切れ込みが入り、コンクリートで固めただけの簡易な洪水吐。


洪水吐導流部。


上流面。


総貯水容量37万2000立米の貯水池
約80ヘクタールの水田に灌漑用水を供給します。


右岸から
天端には大量のワラビが生えていますが、すでに長けていました。


右岸の取水設備。
2枚目写真の底樋管


0731 小布勢溜池(1806)
ため池コード 152240173 
新潟県佐渡市西三川
西三川水系西三川川
18.2メートル(ため池データベース 18メートル)
60.1メートル(ため池データベース 60メートル)
372千㎥/372千㎥ 
小布勢土地改良区
1932年

竹田川ダム

2022-05-03 20:00:00 | 新潟県
2022年4月24日 竹田川ダム
 
竹田川ダムは新潟県佐渡市竹田の国府川水系竹田川にある灌漑目的のロックフィルダムです。
佐渡は離島としては珍しく広大な農地を有する一方、水源となる河川はいずれも流域面積が小さく雨水の河川流出が早いため、慢性的な用水不足に悩まされてきました。
これを受け島内各河川で農林省(現農水省)の補助を受けた農業水利事業が進められました。
小倉川および竹田川流域では1956年(昭和31年)に県営用水改良事業国府川左岸地区が着手され、両河川を水源とする灌漑用水の整備が進められました。
そしてその灌漑用水源として小倉川ダムとともに1967年(昭和42年)に竣工したのが竹田川ダムです。
運用開始後は国府川左岸土地改良区が管理を受託し、佐渡市真野地区及び畑野地区の約200ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。

佐渡大規模農道から竹田川沿いを南に遡上するとダムに到着します。
残念ながら下流側からの撮影ポイントはありません。
左岸洪水吐に架かる橋。
入り口にはチェーンが掛けられ『進入禁止』と書かれています。
土地改良区に問い合わせると車両進入禁止であり徒歩については問わないとのこと。


横越流式洪水吐
手前の導流壁の形が独特
奥には取水設備の機械室があります。


洪水吐導流部
このまま竹田川として流下します。


洪水吐と上流面。




機械室のプレート
長井式自動温水取水装置!!ググっても何も出てきません。
その後の改修でどうやらフローティンアーム方式の取水設備に置換したようです。
その改修工事の施工は昭和64年1月ですが、昭和天皇崩御は1月7日なので7日しかないんですが…


貯水池側からの洪水吐
佐渡は4月から田植えが始まるためほぼ満水。


天端両岸にはガードレール
今は廃道寸前ですが右岸湖岸に道路が続いています。
下流面には草が茂り、ロックかアースか見分けがつきません。


総貯水容量90万3000立米のダム湖。


これが取水設備
藤津川ダム佐和田ダム同様フローティングアーム方式取水設備。


0755 小倉川ダム(1805)
33.4メートル
101メートル
903千㎥/880千㎥ 
国府川左岸土地改良区
1967年