ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

鏡ダム

2021-12-22 08:20:36 | 高知県
2021年11月24日 鏡ダム 
 
鏡ダムは左岸が高知県高知市鏡大利、右岸が同市鏡今井の二級河川鏡川本流中流部にある高知県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、鏡川の洪水調節(最大毎秒180立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、高知市への上水道用水及び工業用水の供給、四国電力(株)鏡川発電所(最大出力3300キロワット)でのダム式発電を目的として1966年(昭和41年)に竣工しました。
さらに、1979年(昭和54年)には『吉野川総合開発事業』の一環として『高知分水事業』が完成し、吉野川右支流瀬戸川及び地蔵寺川から流域変更した毎秒最大6立米の導水が開始されより安定した利水供給が可能となりました。
 
高知市内の国道33号線から鏡川沿いの県道6号を北に約8キロ走ると鏡ダムに到着します。
クレストラジアルゲート1門、両側にオリフィスラジアルゲート2門を装備
訪問時はクレストから放流していました。
鏡川両岸には桜が植えられ、春には華やかな眺めが広がります。
 
ゲートの並びは恰も三尊
やっぱりメカニカルなダムはいいですねー。
 
ダム下から
桜が咲くときれいでしょうね?
 
減勢工の副ダム。
暗渠が2門。

草に埋もれた仮排水路。 

よく見ると右岸には『カド』。 

左岸側には堤体に張り付くように建つ旧管理事務所。
奈良で言えば吉野建ってやつかな?
 
ダム下には四国電力鏡川発電所 
利水従属発電のため、ダムに発電容量の配分はありません。 

昭和40年代前半のダムと言うことで、取水設備も大がかり
取水ゲートはローラーゲート。
 
天端は車両通行可能。
右岸が折れています。
 
上流面
左手の建物は何でっしゃろ?
 
(追記)
鏡ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2320 鏡ダム(1771)
左岸 高知県高知市鏡大利
右岸     同市鏡今井  
鏡川水系鏡川 
FNWIP 
 
47メートル 
150メートル 
9380千㎥/8360千㎥ 
高知県土木部 
1966年 
◎治水協定が締結されたダム

岩倉池

2021-12-16 07:44:16 | 高知県
2021年11月24日 岩倉池
 
岩倉池は高知県安芸郡芸西村馬ノ上の和食川水系北川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
芸西村一帯は年間降水量1400ミリ以下の少雨に加え村内を流れる河川は集水面積が小さく戦前より灌漑用水源は溜池に依存してきました。
昭和40年代以降の減反政策により稲作から園芸農業に転換する農家が続出した結果、既存の溜池だけで用水需要を賄うことが困難となりました。
そこで新たな水源確保の一環として、貯水量3000立米の小規模溜池だった岩倉池の嵩上げ再開発が実施され1967年(昭和42年)に事業は竣工、貯水容量は従来の25倍近い7万3000立米まで増加しました。
ダム便覧ではこの年を竣工年度としています。
さらに1991年(平成2年)には新規灌漑用水源として奥出ダムが完成、現在では芸西村は村内各所にビニールハウスが立ち並ぶ全国屈指の園芸農業地帯となっています。
 
馬ノ上集落から北川沿いの隘路を北上すると岩倉池に到着します。
芸西村の溜池では珍しく上流面はコンクリートで護岸。
 
左岸の横越流式洪水吐。
 
洪水吐導流部。
 
少子高齢化の時代、池で泳ぐ子供はもういません。
 
総貯水容量7万3000立米。
もとは3000立米の小さな溜池でした。
 
海岸からは2.6キロ、天端から太平洋が見えます。
眼下の平坦地は見渡す限りのビニールハウス。
 
天端中央のゲート操作盤。
 
近年刷新されたと思われる斜樋。
 
堤高22メートルの下流面。
 
たぶんこれが調圧水槽
底樋桝と言った方が妥当か?
 
2319 岩倉池 (1770)
ため池コード 393070005
高知県安芸郡芸西村馬ノ上
和食川水系北川
22メートル
53メートル(ため池データベース 60メートル)
73千㎥/73千㎥
芸西土地改良区
1967年

丸塚池

2021-12-10 08:00:00 | 高知県
2021年11月24日 丸塚池 
 
丸塚池は高知県安芸郡芸西村馬ノ上の和食川水系谷内川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
芸西村一帯は年間降水量1400ミリ以下の少雨に加え村内を流れる河川は集水面積が小さく、戦前より複数の溜池が作られてきました。
終戦直後の食糧難を受け食糧増産機運が高まる中、1965年(昭和40年)に農林省(現農水省)の補助を受けた高知県の事業で建設されたのが丸塚池です。
丸塚池は貯水容量30万立米超と芸西村の農業用貯水地中最大規模を誇り、当池の完成で既存の水田のみならず丘陵上畑地の水田へ転換が可能となりました。
しかし、その後の減反政策により稲作から園芸農業への転換が相次いだことで用水不足が顕在化、これを補完するために小規模ため池だった岩倉池の嵩上げ再開発や新規貯水池として奥出ダムが建設されました。
現在では芸西村は村内各所にビニールハウスが立ち並ぶ全国屈指の園芸農業地帯となっています。
 
残念ながら訪問時、丸塚池は改修工事中のため立ち入りできませんでした。
 
工期は2022年1月までの予定。
でもこの池のためだけに高知まで出かけるのは難しいな。
 
2318 丸塚池
ため池コード 393070001
高知県安芸郡芸西村馬ノ上
和食川水系谷内川
28.2メートル(ため池データベース 30.5メートル)
70メートル
305千㎥/305千㎥
芸西土地改良区
1965年

桜ヶ池(下)

2021-12-09 20:00:00 | 高知県
2021年11月24日 桜ヶ池(下)
 
桜ヶ池(下)は高知県安芸郡芸西村和食の赤野川水系長谷川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
芸西村一帯は年間降水量1400ミリ以下の少雨に加え村内を流れる河川は集水面積が小さく、戦前より多数の溜池が作られてきました。
桜ヶ池もそんな溜池の一つで、まず明治期に稲作向け水源として桜ヶ池上池が作られ、その後の新田開発の進展を受け1911年(大正8年)に新たに桜ヶ池下池が築造されました。
建設当初の貯水容量は6万立米程度だったようです。
戦後の減反政策を受けて、稲作から園芸農業への転換が相次いだことに対応して1961年(昭和36年)に嵩上げ再開発が行われ貯水容量は従来の1.5倍の9万立米となりました。
上池ともども東地水利組合が管理を行い両池合わせて約30ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
なお上池は堤高10メートルのためダムの要件は満たしていません。
 
桜ヶ池(下)へは上流側からのアプローチとなります。
上流面は石積で護岸、堤体中央に斜樋があります。
 
こちらは古い取水設備
シャフトは1本。
 
天端には轍が残ります。
 
斜樋とゲート操作盤。
 
2012年(平成24年)の改修で刷新された現在の斜樋。
 
 
石積護岸の上流面
石の大きさは不揃いで荒い積み方。
 
海岸線からは2キロ足らず
天端から太平洋が見えます。
 
総貯水容量は9万立米
上池と合わせて計11万5000立米で約30ヘクタールの農地に灌漑用水を供給します。
 
右岸の小さな洪水吐。
 
池下への踏跡がありましたが草が繁茂しているので自重しました。
 
2297 桜ヶ池(下) (1769) 
ため池コード 393070002
高知県安芸郡芸西村和食
赤野川水系長谷川
20メートル(ため池データベース 23.5メートル)
62メートル(ため池データベース 66メートル)
90千㎥/87千㎥
東地水利組合
1919年

ジル蔵池

2021-12-09 14:00:00 | 高知県
2021年11月24日 ジル蔵池
 
ジル蔵池は高知県安芸郡芸西村和食の赤野川水系メサイ川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では1955年(昭和30年)に竣工と記されています。(事業者不明)
芸西村一帯は年間降水量1400ミリ以下の少雨地帯で、当池の受益地となる丘陵地帯は水利に乏しく戦前は畑作中心でした。
戦後の食糧不足を受け米作への転換が図られその水源として建設されたのがジル蔵池で、現在は吉野水利組合が管理し約25ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
 
ジル蔵池はごめん・なはり線赤野駅から北へ約4キロ、標高約320メートルの山中にあり、池へは上流側からのアプローチとなります。
上流面と洪水吐。
 
天端と下流面
今回訪問した芸西村の溜池はこの時期草が茂っているところが大半ですが、ここはきれいに刈られています。
 
総貯水容量は17万立米。
稲作から園芸農業に転換する受益農家が多く、普通なら農繁期のこの季節でも貯水池は満水。
 
右岸の斜樋。
 
上流面は石積護岸。
 
洪水吐には木が渡されています。
 
池側から見た洪水吐。
擁壁は石積み。
 
ダム下まで降りられます。
堤高はダム便覧が21.52メートル、ため池データベースは18.4メートル 
見た目はため池データベースが妥当な感じ。 
 
底樋管。
 
洪水吐導流部は近年改修があったようで減勢のため階段状になっています。
ため池の導流部でこれだけの階段洪水吐は珍しい。
 
ジル蔵という名前に惹かれ、普段ため池をスルーするマニアもここは訪れる人が多いようです。
山中に佇む静かな溜池、のんびり過ごすにはいい場所です。
 
3582 ジル蔵池 (1768)
ため池コード 3930700014
高知県安芸郡芸西村和食
赤野川水系メサイ川
21.52メートル(ため池データベース 18.4メートル)
60メートル  (ため池データベース 60.3メートル) 
170千㎥/170千㎥
吉野水利組合
1955年

普当池

2021-12-09 08:00:00 | 高知県
2021年11月24日 普当池
 
普当池は高知県安芸市赤野甲の赤野川左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のロックフィルダムです。
池の受益地である安芸市赤野地区は標高60~100メートルの海岸段丘に位置し、水利が乏しく戦前は芋畑や桑畑が広がる畑作地帯でした。
戦後の食糧不足を受け稲作への転換がはかられその水源として建設されたのが普当池で、ダム便覧には1956年(昭和31年)に赤野土地改良区の事業で竣工と記されており、団体営事業で建設されたと思われます。。
現在の高知県安芸市周辺は減反政策をうけてハウス農業にかじを切り、ビニールハウスが立ち並ぶ四国屈指の園芸農業地帯となっています。

一方ダム便覧での当池のロックフィルダムの分類につては諸所議論があったようですが、管理者によってロックフィルダムであることが明言され、普当池は日本で4番目に古いロックフィルダム且つ四国で6基しかないロックフィルダムの一つであることが確認されました。
 
ビニールハウス群を抜け集落最上部から普当池に向かいますが、道路には路肩崩壊により通行止めの標識。
やむを得ずここに車をデポして歩くことに
 
距離にして約600メートル、約10分弱で池に到着。
件の路肩崩壊は修復され車でも問題なく通行できました。
左岸に洪水吐があります。
擁壁は石積み。
 
改修があったようで洪水吐導流部はコンクリート製。
 
上流面は石積護岸。
 
石積をズームアップ。
隣接する芸西村のジル蔵池桜ヶ池(下でも同様の石積護岸が見られます。 
 
堤体中央から湖面に延びる管
これが取水設備。
 
堤体中央のコンクリート構造物。
電線がつながってるので取水関連の電気設備か?
 
貯水池は貯水容量2万立米
小規模とはいえ水利に乏しい海岸段丘上の農地にとっては貴重な水源です。
そして湖面の白い浮きの下に取水設備があるようです。
 
下流面
明確なルートがないので池の下に降りるのは自重しました。
よって底樋管や放流設備は未確認。
 
 
下流面は草が茂り目視ではロックフィルである証は確認できませんが、日本で4番目に古いロックフィルダムが鄙びた溜池であることは、溜池ファンとしてはちょっとうれしい気分。
 
2283 普当池 (1767)
ため池コード 392030005
高知県安芸市赤野甲
赤野川水系左支流
15.5メートル
55メートル  
20千㎥/20千㎥
赤野土地改良区
1956年

伊尾木川ダム

2021-12-08 20:00:00 | 高知県
2021年11月24日 伊尾木川ダム
 
伊尾木川ダムは高知県安芸市古井の二級河川伊尾木川本流上流部にある四国電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令により、日本発送電は解体され四国では新たに四国電力が誕生します。
同社は戦後の電力不足を補うために各所で積極的な電源開発を進め、その一環として1954年(昭和29年)に建設されたのが伊尾木川ダムです。
ここで取水された水は約10キロの導水路で伊尾木川発電所に送られ最大7700キロワットのダム水路式発電を行います。。
 
 安芸市伊尾木から伊尾木川沿いの県道を北に約20キロ走ると伊尾木川ダムに到着します。
しかし県道とは名ばかり、隘路が続くうえに各所で工事が行われており運転には注意が必要です。
ダムと正対できるポイントはありませんが、下流の樹林の切れ目からゲートが1門見えます。
 
ゲートをズームアップ
ラジアルゲートを2門装備していますが見えるのは1門だけ
さらに左岸側に排砂ゲートがありますが、フレームに収めることができません。
 
余水吐を利用して河川維持放流が行われています。
 
天端は立ち入り禁止。
頭上には除塵機で集めたごみを運搬するモノレールの架線。
ゴミの搬出シーンを見てみたい。
 
右岸の取水口。
上記河川維持放流は取水口の余水吐から放流しています。
 
モノレールは右岸ダムサイトの管理事務所の脇まで伸びています。
 
水利使用標識。
 
上流に回り込みます。
右手のガーダー橋は森林鉄道の遺構。
昭和40年ごろまで運用されていたので、ダム建設にも利用された可能性大。
 
総貯水容量88万7000立米に対し、有効貯水容量32万7000立米
堆砂率64%ですが、実際にはもっと堆砂が進んでいそう
 
ゲートと取水口をズームアップ。
 
(追記)
伊尾木川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2308 伊尾木川ダム(1766)
高知県安芸市古井 
伊尾木川水系伊尾木川
22.8メートル
57メートル
887千㎥/327千㎥
四国電力(株)
1954年
◎治水協定が締結されたダム

竜王池

2021-12-08 14:00:00 | 高知県
2021年11月24日 竜王池
 
竜王池は高知県安芸市伊尾木にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には伊尾木岡台土地改良区の事業で1925年(大正14年)に竣工と記されており、当地で大正時代に始まった海岸段丘上の開拓に併せ土地改良区の前身となる耕地整理組合等によって建設されたと思われます。
現在の管理者は組合を引き継いだ伊尾木岡台土地改良区です。
一方、池の堤高は便覧の17.5メートルに対しため池データベースは14.9メートルとなっており、仮にデータベースの数値が正しいとすればダムの要件未達となります。 
またダム便覧では河川は伊尾木川水系伊尾木川となっていますが、国土地理院地形図を見ても伊尾木川とは別水系なのは明らかです。
ただ河川名は確認できませんでした。
 
池周辺は東山森林公園になっており遊歩道が整備されていますが、いわゆる都市型公園ではなく自然保護的な公園です。
池へ通じる道路は車止めがありここから徒歩。
 
遊歩道の道標。
 
100メートル歩けば池に到着
天端の写真ですがもろ逆光。
 
上流面はウレタン防水素材で遮水されています。
 
総貯水容量6万立米の小さな溜池。
池周辺は常緑広葉樹を中心とした自然林が広がっています。
奥の白い建物はごみ焼却場。
 
上流面の階段
この下に取水設備があるようで、階段左手に取水管が伸びています。
このほか左岸側にも取水設備があります。
 
左岸の越流式洪水吐。
 
洪水吐導流部。
 
堤体の階段からダム下へ降りてみました。
 
2箇所の取水設備からの導水管がここに来ます。
改修によって取水設備が刷新された際に、いわゆる底樋ではなく導水管が堤体上を降りる構造になったようです。
 
取水設備が底樋ではなく、簡易な導水管になっているのが特徴です。
こういうタイプの取水設備は初めて見ました。

2300 竜王池 (1765)
ため池コード 392030004
高知県安芸市伊尾木
河川名未確認
17.5メートル(ため池データベース 14.9メートル
48メートル  (ため池データベース 47メートル) 
60千㎥/60千㎥
伊尾木岡台土地改良区
1925年

西山ダム

2021-12-08 08:00:00 | 高知県
2021年11月24日 西山ダム
 
西山ダムは高知県室戸市羽根町にある室戸市が受託管理する灌漑目的のアースフィルダムです。
ダムのある室戸市北西部は山が海まで迫り海沿いには平坦地がありません。
江戸末期より標高120~160メートルの西山台地と呼ばれる海岸段丘上で開拓がはじまりますが、水源は中小溜池に依存し零細な営農を余儀なくされていました。
そんな中、1982年(昭和57年)より農水省の補助を受けた県営かんがい排水事業が着手され1997年(平成7年)に竣工したのが西山ダムです。
灌漑設備の整備と併せて圃場整理や大規模農道が建設され、現在の西山台地はビニールハウスが立ち並ぶ園芸農業地帯となっています。
 
室戸市吉良川町の国道55号線吉良川大橋西詰から河岸段丘上の農免道路に入り突き当りを右折、約1.5キロほど北上すると西山ダムに到着します。
ダム下へは手前の分岐を右に採ります。
コンクリートの建屋は放流設備、奥に洪水吐斜水路が伸びます。
 
右は洪水吐減勢工、左が放流設備。
メンテナンスや整備には来ないんでしょうか?ダム下への道路も放流設備周辺も草木が茂り車の転回も一苦労です。
 
こちらが下流面
アースフィルダムなんですが、放置状態で松が茂り始めています。
このままじゃ早晩森に。
 
天端
一応車は入れますがすぐ先の洪水吐で行き止まり。
 
上流面はコンクリートで護岸
 
竣工記念碑。
筆は当時の県知事橋本大二郎氏。
 
天端からは太平洋。
これが当ダム一推しポイントでしょう。
 
上流面と洪水吐。
 
総貯水容量は5万6000立米と極小ため池サイズ。
左手に斜樋が伸びています。
 
横越流式洪水吐。
 
一連の事業で西山台地の農業経営が大いに活性化したのは間違いありません。
だからこそ、もう少しダムの整備もお願いしたいところです。
 
2327 西山ダム (1764)
ため池コード 392020061
高知県室戸市羽根町
河川名未確認
27.2メートル
74.7メートル(ため池データベース 75メートル) 
56千㎥/54千㎥
室戸市
1997年

沢の池

2021-12-07 14:00:00 | 高知県
2021年11月23日 沢の池
 
沢の池は高知県長岡郡本山町吉延にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には経緯度の記載はありますが、同時に位置未確認となっています。
本山町ため池マップに沢の池が記載されており、ダム便覧の経緯度にある池が沢の池で間違いありません。
ダムの起源について、ダム便覧には1916年(大正5年)に高知県の事業で竣工と記されており、当地の開墾に併せて県営事業で築造されたと思われます。
一方、堤高についてはダム便覧が15メートルなのに対しため池データベースでは10.9メートルに留まっており、これが正しければ河川法上のダムの要件未達となります。
 
ダムのある本山町吉延地区は川を挟んだ大石地区とともに美しい棚田で知られており、最近ではダイハツロッキーのテレビCMのロケ地にもなりました。
本山町中心部の国道439号線から県道267号を南に折れ約3キロ、吉延集落を抜けると棚田の真っただ中に出ます。
道路左手の『棚田絶景スポット入り口』の標識が沢の池への目印です。
グーグルの空撮写真では池まで細い道路が続いていますが軽トラでぎりぎりの道幅、周辺の眺めもいいのでここは歩くことにします。
 
2~3分も歩くと眼下に美しい棚田が広がります。
 
 
棚田の中を道路が錯綜しており、登山アプリを使って無事に沢の池に到着
絶景スポット入り口から15分ほど、約1キロ程度の行程です。
 
よくわからない写真ですがこれが下流面
見た目は到底15メートルの高さがあるとは思えません。
 
天端には轍が残ります。
池のすぐそばまで棚田が続いており、農作業の軽トラが入ってくるのでしょう。
 
右岸に洪水吐があり越流部は石積み、
中央に管が通してあります。
 
こちらが洪水吐導流部
下に降りれないこともありませんが傾斜が急だし落ち葉で滑りそうなので自重しました。
両岸は石積みの擁壁、流路にも石が敷かれていますがいずれも片岩。
さすが三波川変成帯です。
 
先ほどと逆方向、左岸から撮った天端。
右手が貯水池です。
 
上流から
正面が堤体になります。
貯水容量はダム便覧では3万4000立米、ため池データベースでは4万4000立米。
沢から導水しているようです。
小さな溜池ですが吉延の棚田にとっては貴重な水源となります。
残念ながら取水設備は見つかりませんでした。
 
ため池データベースではダムの要件を満たしていない沢の池ですが、一方でこの池や周辺の沢水を水源とする棚田はお米日本一コンテストで二度の最優秀賞に輝いた『土佐天空の郷』の産地となっており、吉延は四国の魚沼と言われています。
ダムかどうかなんて、今も棚田の貴重な水源として活躍する沢の池にとってはどうでもいい話なんでしょう。
 
2282 沢の池 (1763)
ため池コード 393410001
高知県長岡郡本山町吉延
吉野川水系樫の川右支流
15メートル(ため池データベース 10.9メートル
109メートル(ため池データベース 94メートル)
34千㎥/34千㎥(ため池データベース 44千㎥)
吉延地区
1916年

高薮発電所本流取水堰

2021-12-07 08:00:00 | 高知県
2021年11月23日 高薮発電所本流取水堰
 
高薮発電所本流取水堰は左岸が高知県吾川郡いの町高薮、右岸が土佐郡大川村下切の一級河川吉野川本流上流部にある住友共同電力(株)が管理する発電目的の表面石張り練積コンクリート曲線重力式堰堤です。 
別子銅山を経営していた住友財閥は新居浜に金属精錬および関連事業を集約、その電力確保のため傘下の土佐吉野川水力(株)(のちに四国中央電力(株)、現住友共同電力(株))を通じ吉野川上流域での電源開発に乗り出します。
そして1930年(昭和5年)に完成したのが高薮発電所本流取水堰で、ここで取水された水は約2.8キロの導水路で高薮発電所に送られ、最大1万4300キロワットの水路式発電を行っています。
同社は吉野川上流域での電源開発をさらに進め、1939年(昭和14年)に当取水堰上流約3キロ地点に大橋ダムを建設するとともに、水量豊富な吉野川の水をより効率的な発電のために仁淀川水系に流域変更させる『仁淀川分水発電事業』に取りかかります。
しかし電力国有化の流れの中、高薮発電所を除くすべての発電施設は日本発送電に接収され、戦後の電気事業再編政令により四国電力が事業継承しました。
そのため高薮発電所及び取水堰堤は現在吉野川本流で住友共同電力が所有する唯一の発電施設となっています。
また当取水堰堤は堤高11.6メートルとダムの要件を満たしていませんが、戦前の貴重な石積堰堤としてダム便覧に参考掲載され、その技術的・歴史的価値を評価してBランクの近代土木遺産に選ばれています。
 
大橋ダムから東に約3キロ、吉野川に架かる県道17号線高薮橋から高薮発電所本流取水堰堤を見下ろすことができます。
表面は石張り、緩やかに曲線を描く美しい石積堰堤です。
 
左岸には放流ゲートが2門、さらにその左手(右岸側)には魚道があります。
堰堤直下には三波川変成帯らしく結晶片岩がごろごろ。
 
小型の石が不規則に積まれています。
堤頂部はコンクリートで強化されていますが、こちらはまるで子供の粘土細工のような設え。
 
ゲート扶壁は独特な階段状。
 
導流部と魚道を仕切る導流壁側面も石積。
 
導流壁と堰堤との間からはカエルの顔のような岩が突き出ています。
自然の岩盤をうまく利用して築かれたようです。
 
 
高薮発電所への取水口と過激派のアジトのような管理棟。 

早明浦大橋長沢大森川と大物が続く吉野川上流域ですが、小粒でもピリリと辛いそんなビンテージ堰堤です。
 
S512 高薮発電所本流取水堰(1762) 
左岸 高知県吾川郡いの町高薮 
右岸 高知県土佐郡大川村下切 
吉野川水系吉野川 
 
 
11.6メートル 
53.4メートル 
---千㎥/---千㎥ 
住友共同電力(株) 
1930年 

大橋ダム

2021-12-06 20:00:00 | 高知県
2021年11月23日 大橋ダム
 
大橋ダムは左岸が高知県吾川郡いの町葛原、右岸が同町脇ノ山の一級河川吉野川本流上流部にある四国電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
別子銅山を経営していた住友財閥は新居浜に金属精錬および関連事業を集約、その電力確保のため傘下の四国中央電力(株)を通じ吉野川上流域での電源開発に注力します。
1930年(昭和5年)にまず高薮発電所を建設、次いで水量豊富な吉野川の水を仁淀川水系に流域変更させることで有効落差を稼ぎより大きな発電能力が得られる『仁淀川分水発電事業』に着手します。
一方で分水による水量減少の影響を軽減するため、1939年(昭和14年)に竣工したのが大橋ダムで、吉野川の水位変動の緩和及び大橋発電所(最大出力5500キロワット)でのダム式発電を目的としました。
一連の発電施設は電力国有化による日本発送電の接収を経て1951年(昭和26年)の電気事業再編政により四国電力が事業を継承しました。
1980年代に入り、電化製品の普及に伴う電力消費の日量格差格差拡大を受け、余剰電力の効率的運用が可能な揚水式発電に注目が集まります。
四国電力も1982年(昭和57年)に新たに建設した稲村ダムを上部池、当ダムを下部池とする同社初の純揚水式発電所である本川発電所を建設し、有効落差528.4メートルを利用して最大61万キロワットの揚水式発電が稼働しました。 
大橋ダムは昭和10年代屈指のコンクリートダムとしての評価が高く、2002年(平成14年)に土木学会選奨土木遺産に選定されました。
またBランクの近代土木遺産にも選ばれています。
 
早明浦ダムから吉野川沿いの県道17号線を約32キロ西に進むと大橋ダムに到着、県道17号線から下流面を望むことができます。
堤高73.5メートルは戦前完成のダムとしては日本第4位の高さを誇ります。
 
放流設備はローラーゲート4門
扶壁前面中央に円形のバルコニー、その両側にゲートハウス、外側に四角のバルコニーが並びます
明らかにシンメトリーを意識した造り。
 
右岸から
くっきりとした打ち継ぎ目がビンテージダムの証。
 
扶壁前面のゲートハウスからピアトップを経由したワイヤーを使ってゲートの昇降が行われるいわゆる中国四国型発電ダム。
ワイヤーにはカバーがつけられています。
 
ダム右岸に残るバットレスのプラント跡。
 
赤字の銘板は四国電力では大美谷ダム長沢ダムでも見られますが、こちらは独特の書体。
○○堰堤という表示も吉野川流域のダムでは一般的。
  
 
上流面と右岸の取水塔
こちらは大橋発電所への取水設備。
 
右岸の取水ゲート。
 
天端は車両通行可能
四角いゲートハウスの作りは山口の向道ダムをはじめとした、中国四国型発電ダムの典型的なフォルム。 
 
天端高欄の洒落た照明
この辺り意匠はダムを作った住友のセンスの一端。
 
天端から
減勢工は昭和10年代らしいすり鉢型、四角っぽい形状は後に続く長沢ダムと似ています。
吉野川はこの先すぐ右に屈曲しており、減勢のため狭隘な谷間やカーブなど自然の地形をうまく利用しているのがよくわかります。
 
ダム湖右岸上流には四国電力のPR館である『本川水力センター』があります。
手前のコンクリートが揚水式発電を行う本川発電所の入口。発電所はこの遥か奥の地下にあります。
 
上流から遠望
総貯水容量は2403万立米。
 
吉野川上流部に大戦前後に建設された大橋ダム、長沢ダム大森川ダムはダム自身はそのスケールや貯水容量相応の発電を行ってはいません。
いずれも仁淀川分水発電や高薮発電所など下流の発電能力向上を主目的にしている点が特徴です。
 
(追記)
大橋ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2303 大橋ダム(1761) 
左岸 高知県吾川郡いの町葛原 
右岸        同町脇ノ山 
吉野川水系吉野川 
 
 
71メートル 
216.6メートル 
31900千㎥/28430千㎥ 
四国電力(株) 
1949年 
◎治水協定が締結されたダム 

分水第一発電所吉野川取水堰

2021-12-06 18:00:00 | 高知県
2021年11月23日 分水第一発電所吉野川取水堰
 
分水第一発電所吉野川取水堰は高知県吾川郡いの町長沢の一級河川吉野川本流上流部にある四国電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリート堰堤です。
別子銅山を経営していた住友財閥は新居浜に金属精錬および関連事業を集約、その電力確保のため傘下の四国中央電力(株)を通じ吉野川上流域での電源開発に注力します。
1930年(昭和5年)にまず高薮発電所を建設、次いで水量豊富な吉野川の水を仁淀川水系に流域変更させることで有効落差を稼ぎより大きな発電能力が得られる『仁淀川分水発電事業』に着手します。
しかし電力国有化により、同事業は日本発送電に引き継がれ1940年(昭和15年)に完成したのが分水第一発電所吉野川取水堰です。
ここで取水された水は大森川取水堰を経由して約5.3キロの導水路で分水第一発電所に送られ最大2万6600キロワットの水路式発電が行われます。
さらに翌1941年(昭和16年)に分水第二発電所(最大出力7800キロワット)と第三発電所(最大1万900キロワット)、戦後の1950年(昭和25年)に第四発電所(最大8100キロワット)が完成し、計5万3400キロワットの発電能力を持つに至ります。
これらの発電施設は1951年(昭和26年)の電気事業再編政により四国電力が事業継承しました。
また1949年(昭和24年)に当取水堰上流1キロに長沢ダムが完成、さらに1959年(昭和34年)の大森川ダム完成により、季節変動の少ない安定した取水が可能となり分水発電所での効率的発電が可能となりました。 
 
長沢ダムの下流約1キロ、県道40号線沿いに取水堰があります。
堤頂には2門のフラップゲート、右岸には岩盤を利用した放流ゲートがあります。
 
放流ゲートも後付け、もとは排砂ゲートだったんでしょう。
 
 
導流面はコンクリートブロック張りのようです。
 
フラップゲートと右岸の取水口
赤っぽいのはレンガ積みか?
 
右岸の導流部は岩盤に合わせて絞りが入った上にプチジャンプ台。
シュート部分は強化のため石張りです。
 
やはり導流部表面はコンクリートブロック張り
一方シュート部の石張りは竣工当初のもの??
 
ここで取水された水は大森川取水堰を経由し仁淀川水系枝川川の分水第一発電所に送られます。
 
四国中央電力による仁淀川分水計画は、あくまでも水量豊富な吉野川の水をより効率的な発電のため敢えて有効落差が稼げる仁淀川水系に流域変更させるというものです。
同じ流域変更でも利水重視の香川用水や高知分水、銅山川分水とは根本的目的が異なります。
 
分水第一発電所吉野川取水堰
高知県吾川郡いの町長沢
吉野川水系吉野川
29.5メートル
79.5メートル
四国電力(株)
1940年

長沢ダム

2021-12-06 14:00:00 | 高知県
2021年11月23日 長沢ダム
 
長沢ダムは高知県吾川郡いの町長沢の一級河川吉野川本流上流部にある四国電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
別子銅山を経営していた住友財閥は新居浜に金属精錬および関連事業を集約、その電力確保のため傘下の四国中央電力(株)を通じ吉野川上流域での電源開発に注力します。
同社は1930年(昭和5年)の高薮発電所を手始めに1939年(昭和14年)に大橋ダム・大橋発電所、さらに1940年(昭和15年)には吉野川から仁淀川水系に流域変更して発電を行う分水発電所を完成させます。
次いで1941年(昭和16年)に建設着手されたのが長沢ダムですが電力国有化の流れの中、高薮発電所以外の発電施設はすべて日本発送電に接収され、長沢ダム建設事業も同社の手で継続されます。
しかし戦中戦後の物資不足や混乱の中、事業は大きく遅延し1949年(昭和24年)にようやく長沢ダムは完成、併せて最大5200キロワットの発電を行う長沢発電所が稼働しました。
ダム完成の2年後の1951年(昭和26年)に日本発送電は解体され、長沢ダムを含めた四国における同社の電気事業はすべて四国電力が継承します。
 
ダムのスケールや貯水量に比べ、長沢発電所の発電能力はわずか5200キロワットであまりにも非効率です。
これは長沢ダムの主目的が同発電所での発電ではなく、3000万立米を超える貯水容量を生かし吉野川の河川流量の季節変動を平準化することで、分水第1~第4発電所での発電効率向上だったからです。
その後1959年(昭和34年)には吉野川右支流大森川に大森川ダムが完成し、大森川ダムを上部調整池、当ダムを下部調整池として大森川発電所で最大1万2200キロワットの混合揚水式発電が開始されました。
 
国道194号線から吉野川沿いの県道40号を約3キロ西進すると長沢ダムに到着します。
ダム下の河原からダムと正対できます。
ここは三波川変成帯、河原には結晶片岩がごろごろ
放流設備はクレストローラーゲート2門だけ。
 
クレストをズームアップ
扶壁前面のゲートハウスからピアトップを経由したワイヤーでゲートを動かす、いわゆる中国四国型発電ダム。
 
打ち継ぎ目がはっきりし、傷みが目立つコンクリート。
戦中戦後の物資不足をやりくりして建設されました。
 
下流面
堤頂からいったん上流側に深く抉れたのちバケットカーブが始まる特徴的なフォルム。
 
天端親柱の銘板も独特
赤字の銘板は大美谷ダム大橋ダムでも見られますが、この書体は当ダムオリジナル。
 
竣工年度も同じ。
 
竣工記念碑も同様の書体。
事業者に日本発送電の名が残る記念碑はここと広島の高暮ダムくらいでしょう。
 
天端から
堤体から突き出た水圧鉄管が長沢発電所に続きます。
発電能力は最大5200キロワット。
 
減勢工も戦中戦後のダムらしいすり鉢型
四角がかっているのはほぼ同意時期に着工された津賀ダムと酷似しています。
 
総貯水容量は3190万立米
ダム湖上流左手の志沢に混合揚水式の大森川発電所があります。
 
天端は車両通行可能
ここは三波川変成帯、左岸には片岩の岩峰が並び四国最高峰の石鎚山へと続きます。
 
上流から
ピアは中国四国型発電ダムでおなじみ、にょきにょきタイプ。
ゲート左側に取水設備、対岸に管理事務所があります。
 
(追記)
長沢ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2306 長沢ダム(1760) 
高知県吾川郡いの町長沢 
吉野川水系吉野川 
 
 
71メートル 
216.6メートル 
31900千㎥/28430千㎥ 
四国電力(株) 
1949年 
◎治水協定が締結されたダム 

大森川ダム

2021-12-06 08:00:00 | 高知県
2021年11月23日 大森川ダム
 
大森川ダムは高知県吾川郡いの町寺川の一級河川吉野川右支流大森川にある四国電力(株)が管理する発電目的の中空重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令で誕生した四国電力は戦後の復興や高度経済成長による電力需要拡大に対処するため各所で電源開発や既設発電施設の増強を進めます。
吉野川水系では戦前より四国中央電力(のちに日本発送電)による『仁淀川分水発電事業』が進められ大橋ダム長沢ダム・分水発電所が建設されました。
四国電力がこの分水発電事業のより効率化を進めるために1959年(昭和34年)に建設されたのが大森川ダムで、中部電力井川ダムに次ぐ我が国2例目の中空重力式ダムとなっています。
大森川ダムは当ダムを上部調整池、長沢ダムを下部調整池として大森川発電所で最大1万2200キロワットの混合揚水式発電を行いますが、混合揚水式発電を採用した背景には、豊水期に揚水し渇水期に発電放流を増やすことで河川流量の季節変動を平準化させ分水第1~第4発電所での発電を安定させるという目的があります。
 
大森川ダムの名前を高めるのは貴重な中空式ダムと言うだけではなく、同ダムへの厳しいアプローチにもよります。
一番安定したルートと言われる南奥川林道でさえ、約10キロの隘路とダート走行を余儀なくされます。
今回は国道194号線大森山トンネル手前からその南奥川林道を使って大森川ダムに至りました。
幸い路面状況は予想したほど劣悪ではなく、レンタカーのヴィッツでも大過なくダムに到達することができました。
 
林道に入り約10キロ、運転に辟易してきたころに突然目の前にダムが姿を見せます。
『かっけーー!』
ここはもう声を出さずにはいられません。
谷間の間の逆三角のダムは美しいの一言、勝手に中空の貴婦人と名付けさせていただきます。
 
クレストにはラジアルゲート1門、後付けの放流設備から河川維持放流が行われています。
まっすぐに降りる導流壁とジャンプ台式洪水吐がいかにも昭和30年代のダムと言った風。
 
正対してるので立体感はありませんが、中空ダムらしく襟がなく堤頂から始まるスロープが見て取れます。
放流設備は河川法改正により維持放流が義務付けられたことに対応した後付け。
 
減勢部はジャンプ台
ジャンプ台の下にはバルブがあるようですが木が邪魔で視認できません。
 
まずは右岸ダムサイトに上がります。
銘板は四国でよくみられる『○○堰堤』。
 
天端は立ち入り禁止
訪問時は工事中のためごちゃごちゃ。
 
貯水池はほぼ満水、中空ダムおなじみのタコ足スリットは確認できません。
対岸左岸に管理事務所があります。
 
ゲート上流面。
よく見るとゲート上部が凹型になっています。オーバーフローさせるタイプなんでしょう。
 
左岸にやってきました。
中空ダムらしく堤頂から始まるスロープ。

水利使用標識。

概要板。


左岸上流側に取水設備があるのですが工事の関係で進入できず。

(追記)
大森川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2311 大森川ダム(1759) 
高知県吾川郡いの町寺川
吉野川水系大森川 
 
HG 
73.2メートル 
191メートル 
19120千㎥/17320千㎥ 
四国電力(株) 
1959年 
◎治水協定が締結されたダム