ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

粟井ダム

2018-01-22 02:44:01 | 香川県
2017年12月23日 粟井ダム
 
粟井ダムは香川県観音寺市粟井町の柞田川右支流粟井川源流部にあるに香川県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、粟井川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への灌漑用水補給、観音寺市粟井町地区への上水道用水の供給を目的として2001年(平成13年)に竣工しました。
 
国道377号線から粟井ダムの標識に従って県道240号線を南下すると粟井ダムに到着します。
ダム直下には石積風のアーチ型砂防堰堤があります。
 
非常用洪水吐として自由越流式クレストゲート1門、常用洪水吐として自然調節式オリフィスゲート1門装備のゲートレスダムです。
 
堤高に対してずいぶん襟が高くなっています。
 
堤体上流面に取水設備がビルトイン。
 
天端。
 
 
減勢工と利水放流設備。
エンドシル下流に一番上の写真の砂防堰堤があります。
 
管理事務所の裏手に浮桟橋があり船が係留されています。
事務所の下にはアンカーボルトが並び建設工事の際の苦労が伺えます。
 
生活貯水池ダムということで。ダム湖は総貯水容量59万立米と溜池サイズ
 
右岸から下流面。
 
右岸からのダム下の眺め。
 
3092 粟井ダム(1234
香川県観音寺市粟井町
柞田川水系粟井川
FNW
42メートル
135メートル
590千㎥/540千㎥
香川県土木部
2001年

河内池

2018-01-22 01:45:27 | 香川県
2017年12月23日 河内池
 
河内(こうち)池は香川県観音寺市豊浜町和田の吉田川水系吉田川上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
池の起源は江戸時代中期に遡り下流にある姥ヶ懐池の上池として1720年(享保5年)ごろに築造されました。その後1931年(昭和6年)に大規模な改築が行われ現在の規模になったようです。
姥ヶ懐池ともども豊浜土地改良区が管理を行い、87ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
なおダム便覧では竣工年度を1909年(明治42年)としていますが、この根拠が不明確なためここでは大正時代の改築竣工年度を採用します。
 
洪水吐越しの下流面
奇麗に刈り払われすっきり。 
 
右岸の洪水吐
向かって右手に切り込みがあり小さな鋼製起伏ゲートが設置されています。
 
天端は車両進入可能ですが、対岸で行きどまり。
 
洪水吐のそばに記念碑が2基、
左は1986年(昭和61年)の改修記念碑
右は河内池の由来碑。
  
 
右岸にある施設
取水設備かと思いましたが左岸に斜樋があるので違うようです。
下池である『姥ヶ懐池』まで香川用水が来ているのでもしかしたらそこからの給水設備かもしれません。
 
左岸の斜樋。
 
天端からの眺め
ダム下は親水公園になっています
下流には下池である姥ヶ懐池がありますが山陰になって見えません。
 
洪水吐導流部
階段状になって流下してゆきます。
 
貯水量は24万3000立米。
 
上流面はコンクリートで護岸されています。
 
ダム下の親水公園に行けば底樋なども見れたのですが、入口が分からずスルーしてしまいました。 
下池の姥ヶ懐池が涸れると河内ダムから補給される仕組みです。
姥ヶ懐池は起源が16世紀安土桃山時代に遡る歴史のある溜池ですが堤高が13メートルのためダム便覧には掲載されていません。
 
2157 河内池(1234)
ため池コード
香川県観音寺市豊浜町和田
吉田川水系吉田川
17.8メートル
187メートル
230千㎥/230千㎥
豊浜土地改良区
1931年

大谷池

2018-01-19 03:07:29 | 香川県
2017年12月23日 大谷池
 
大谷池は香川県観音寺市大野原町丸井の柞田川水系右支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
池の起源は足利中期の1470年(文明2年)まで遡ります。その後度重なる改修を経て戦後を迎えますが1946年(昭和21年)に副堤が決壊し6名の死亡者と800名を超える被災者を出す大惨事となりました。
しかし地域住民と受益者の熱意と労力により1949年(昭和24年)に復旧され、1971年(昭和46年)、1990年(平成2年)と2度の県営事業による改修で現在の姿となりました。
また1975年(昭和50年)からは香川用水からの補給が開始され、大谷池の水事情は大きく改善しました。
池の管理は観音寺市大谷池土地改良区が行い160ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
 
観音寺市中心部から県道8号を南下、観音寺市大野原町萩原で交差する県道241号線を東に折れると南に大谷池の堤体が見えてきます。
主堤は大きく湾曲しており、ここから見えるのは230メートルの堤体のほんの一部です。
 
萩の丘公園の案内標識に従って坂を登ると総合福祉会館に出ます。
池周辺は萩の丘公園として整備され市民の憩いの場となっています。 
会館東側に副堤があり、1941年(昭和21年)にここが決壊して大惨事を起こしました。
副堤は堤高15メートル未満のためダム便覧には未掲載です。
 
右岸から見た主堤
延長230メートルでV字状に屈曲しています。
 
右岸右端にある洪水吐
ラビリンス型です。
 
 
洪水吐導流部。
 
主堤天端と貯水容量928万立米の貯水池。
古くから『大谷池に不作なし』と謳われ受益農家の貴重な水源となってきました。
 
天端からの眺め
海が見えるか?見えないか微妙。
 
右岸の斜樋
右奥は副堤。
 
1990年(平成2年)の改修記念碑。
 
 
底樋は確認しませんでした。
 
2139 大谷池(1233)
ため池コード
香川県観音寺市大野原町丸井
柞田川水系右支流
16.9メートル
230メートル
1000千㎥/1000千㎥
観音寺市大谷池土地改良区
1949年

井関池

2018-01-19 03:02:38 | 香川県
2017年12月23日 井関池
 
井関池は香川県観音寺市大野原町井関の柞田川水系井関川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
江戸初期の1644年(正保元年)に築造されるも直後に決壊し、10年後の1654年(承応3年)に修復されたという歴史があります。
1975年(昭和50年)の香川用水通水に伴い同用水からの補給がスタート、その後1982年(昭和57年)の大規模改修を経て現在に至っています。
ダム便覧では1982年の改修工事竣工を竣工年度としています。
この改修に合わせて池の右岸にある五郷山とともに五郷山公園として整備され、4 月には桜、5 月にはツツジが堰堤を彩り多くの花見客が訪れます。
池の管理は柞田川上流の豊稔池ダムともども豊稔池土地改良区が行い、約500ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
 
観音寺市中心部から県道8号を南下、観音寺市大野原町萩原を過ぎると左手に井関池の堰堤が見えてきます。
堤頂長350メートルにおよび堤体にはツツジが植えられ春には多くの花見客が訪れます。
今回は洪水吐改修工事のため、ダム敷地及び下流道路が立ち入り禁止となっており県道からの見学に留まりました。
 
 
堤体に植栽されたツツジ
満開の姿をぜひ見てみたいものです。
 
堤体はアーチ状に湾曲しています。
 
総貯水容量は54万立米
洪水吐改修工事のため水が抜かれています。
 
アーチ状の堤体とツツジの植栽、自然石の洪水吐など見所が多い井関池ですが、改修工事のため残念ながら立ち入ることができませんでした。
 
2147 井関池(1232)
ため池コード
香川県観音寺市大野原町井関
柞田川水系柞田川
16メートル
350メートル
540千㎥/540千㎥
豊稔池土地改良区
1982年

五郷ダム

2018-01-19 02:56:53 | 香川県
2017年12月23日 五郷ダム
 
五郷ダムは香川県観音寺市大野原町有木の柞田川右支流前田川にある香川県土木部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
香川県は昭和20年代後半から県内各河川へのダム建設に着手しますが柞田川では本流上流部に灌漑目的の豊稔池ダムがあったため、右支流前田川への治水ダム建設が進められ1964年(昭和39年)に竣工したのが五郷ダムです。
五郷ダムは前田川および柞田川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への補給を目的としています。
その後1994年(平成6年)の再開発で豊稔池ダムも農地防災ダム化され、柞田川水系の治水能力は大きく向上しました。
 
ダム下からの展望スポットはなく、樹間から眺めるのみ
香川県ではおなじみのローラーゲート1門のクレストゲート。
 
下流面。
 
対岸に管理事務所があります。
 
左岸にある案内板。
 
天端は車両通行可
頭でっかちなゲートピア。ゲート操作建屋だけ新調されてます。
 
減勢工と利水放流設備。
 
総貯水容量59万立米の小さなダム湖
水がずいぶん濁っています。
 
写真では少しわかりづらいですが、ローラーゲートは2段式。
 
香川県営ダムでははおなじみ螺旋階段。
 
2177 五郷ダム(1231)
香川県観音寺市大野原町有木
柞田川水系前田川
FN
50.5メートル
132メートル
2500千㎥/2250千㎥
香川県土木部
1964年

豊稔池ダム(再)

2018-01-18 03:03:28 | 香川県
2017年12月23日 豊稔池ダム(再)
 
豊稔池ダム(再)は香川県観音寺市大野原の柞田川上流部にあるマルティプルアーチ式粗石モルタル工ダムです。
柞田川流域の大野原村(現観音寺市大野原町)は古くから『月夜にも焼ける』といわれるほど干ばつ被害に悩まされ、一帯農家にとって安定した灌漑水源確保は永年の悲願となっていました。
1920年(大正9年)、1924年(大正13年)と立て続けて発生した干ばつを契機に貯水池建設機運が一気に高まり、1926年(大正15年)から貯水池建設事業が着手されました。
土木建築の第一人者であった佐野藤次郎指導のもと海外の最新技術であるマルティプルアーチ型式が採用され、組合員総出による延べ15万人の人海戦術により1930年(昭和5年)に貯水池は無事竣工し『豊稔池』と命名されました。
豊稔池ダムは日本初のマルティプルアーチ(多供扶壁式)ダムであり、且つ日本初の農業用コンクリートダムとなっています。
その後1994年(平成6年)にかけて大規模な再開発事業が行われ、従来の灌漑目的に加えて防災機能を備えた農地防災ダムとして生まれ変わりました。
管理は豊稔池土地改良区が行い柞田川流域530ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
 
戦後、宮城県の大倉ダムがマルティプルアーチダムとして建設されますが、その後の河川構造令改正により同型式のダム建設は築造できなくなり現在日本には同型式のダムは2基しかありません。
1997年(平成9年)に貴重な土木建築としての評価から国の有形文化財に登録され、2006年(平成18年)には重要文化財の指定を受けました。
またAランクの近代土木遺産、ため池百選、日本100ダムにも選ばれています。
 
ダム周辺は遊水公園として整備されダム下に駐車場があります。
遊水公園入口の案内板。
 
公園入口から。
 
下流から正対
両端部は重力式、中央部がマルティプルアーチ式になっています。
5連の扶壁が並ぶ様はも中世欧州の城郭のようです。
 
中央4列の欠円アーチ部分が越流式になっています。
 
遊水公園の石碑とともに。
 
中央4本の扶壁にはサイフォン式余水吐の放流口があります。
一方左岸(向かって一番右手)の扶壁には上樋(利水放流口)があります。
また写真では分かりづらいですが、アーチ部基部には取水及び土砂吐用の樋管が取り付けられています。
 
放流がない時は扶壁直下まで立ち入りが可能。
欠円アーチ部を見上げます。
 
 
水叩きも重厚な石張り。
 
左岸県道9号から。
 
堰堤そのものが巨大なラビリンスのようです。
 
今回は石積をじっくり堪能することができました。
サイフォン式余水吐からの放流も迫力満点のようですので、次は是非放流時に訪問してみたいものです。
 
2156 豊稔池ダム
香川県観音寺市大野原町田野々
DamMaps
柞田川水系柞田川
MA
32.3メートル
158.4メートル
1590千㎥/15930千㎥
1930年
-------------
3048 豊稔池ダム(再)(1230)
FA
MA
30.4メートル
128メートル
1643千㎥/1593千㎥
豊稔池土地改良区
1994年 再開発事業竣工

戸川ダム

2018-01-18 02:59:57 | 香川県
2017年12月23日 戸川ダム
 
戸川ダムは香川県三豊市財田町財田上の財田川水系谷道川にある防災・灌漑目的のアースフィルダムです。
農林省(現農水省)の補助を受けた県の防災ダム事業で建設された農地防災ダムで、谷道川および財田川流域の農地防災、同流域農地への灌漑用水の供給を目的として1957年(昭和32年)に竣工しました。
その後、県営地域ぐるみため池再編総合整備事業が1998年(平成10年)に竣工し、ダムの改修および周辺の環境整備が行われました。
ダム湖畔の『戸川ダム公園』は桜の名所としてさぬき百景に選ばれるほか、道の駅や日帰り温泉施設などが併設され近隣随一のレジャースポットとなっています。
ダムの管理は三豊市が受託しています。
 
戸川ダムは国道32号線沿いにありダムに隣接した『道の駅たからだの里さいた』が目印となります。
堤体下流側が盛土造成されて道の駅が建設されたためどこが堤体かわからなくなっています。
とりあえずこれが下流面??
 
天端は道の駅の駐車場。
祝日のお昼時ということで駐車場はほぼ満車。
 
上流面
1998年(平成10年)の改修により自然石を使った親水護岸が施されました。
 
右岸の斜樋。
 
総貯水容量は21万1000立米。
湖岸には桜が植えられ、春には多くの花見客でにぎわいます。
 
左岸から。
 
 
湖畔上流側も公園になっています。
 
ダム湖は谷道川から導水し、余水は谷道川に戻します。
こちらは谷道川沿いにある洪水吐、越流式で越流堤には鋼製起伏ゲートがついています。
 
もとは国道沿いにあったただの農地防災溜池が、改修に合わせて環境整備され日帰り温泉や道の駅の設置で朝から大賑わい。
知名度の高いメジャーなダムじゃなくても、別にカードやカレーで無理無理盛り上げなくてもダムを活用した地域経済や交流の活性化は可能だという好例でしょう。
様はソフトの問題。
 
2169 戸川ダム(1229)
香川県三豊市財田町財田上
DamMaps
財田川水系谷道川
FA
19.6メートル
177メートル
211千㎥/206千㎥
三豊市
1957年

多冶川ダム

2018-01-18 02:46:27 | 香川県
2017年12月23日 多冶川ダム
 
多治川ダムは香川県仲多度郡まんのう町山脇の財田川水系帰来川上流部にある防災目的の重力式コンクリートダムです。
農林省(現農水省)の補助を受けた県の防災ダム事業で建設された農地防災ダムで、帰来川流域の農地防災を目的として1957年(昭和32年)に竣工しました。
運用開始後はまんのう町が受託管理を行っています。
 
三豊市財田町財田上で国道32号から県道202号を東に折れ、土讃線の踏切を渡って山脇地区に入ります。そのまま帰来後川沿いに東進して最後の民家の先のヘアピンカーブが多冶川ダムへの入口となります。
路肩に車を止め右手の山道を進むとすぐに多冶川ダム右岸に到着します。
自由越流式洪水吐が2門の古いコンクリート防災ダム。
 
天端高覧の造りが昭和30年代の香りを醸し出しています。
二つの建屋はゲート操作室と思われます。
 
天端。
 
堤体下部の導水管の交換でもするんでしょうか?
 
減勢工
左岸側に防災ダム特有の穴が見えそこから放流が行われています。
これが常用洪水吐になるんでしょう。
 
防災専用ダムですがダム湖は満水
総貯水容量は20万立米と小さな貯水池ですが、実際には流域の灌漑用水源としての役割があるのかも知れません。
 
四国堰堤ダム88箇所巡りのサイトを読んで1時間以上の徒歩を覚悟しましたが、なんと車道からほんの1~2分歩けばダム右岸に到着できます。
そのかわり多冶川集落内の隘路でBMWM6が立ち往生、地元の方の助力のおかげで1時間かけて何とか脱出できました・・・・
どうもありがとうございました。
 
2164 多冶川ダム(1228)
香川県仲多度郡まんのう町山脇
財田川水系帰来川
21.7メートル
48メートル
200千㎥/197千㎥
まんのう町
1957年

仁池

2018-01-18 02:40:24 | 香川県
2017年12月23日 仁池
 
仁池(にいけ)は香川県丸亀市飯山町上法軍寺の大束川水系中大束川左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダムの歴史は古く江戸初期の1648年(慶安元年)に築造されました。
明治維新以降1920年(大正9年)、1947年(昭和22年)の改修を経て現在の規模となり、総貯水容量150万立米を超える香川県屈指の溜池となりました。
また1995年(平成7年)からは香川用水仁池分水からの補給が開始されており、安定した用水補給が可能となりました。
池の管理は仁池土地改良区が行い337ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
なおダム便覧では竣工年度を1967年としていますが、この根拠がわかりません。ここでは池が現在の規模となった1947年の改修事業竣工年度を採用します。
 
坂出から県191号線を南下すると前方に仁池の堤体が見えてきます。
堤高は16メートルながら平野部に続く全長320メートルを超える堤体はまるで大河の堤防のようです。
 
上流面はコンクリートで護岸。
 
仁池は左右両岸に洪水吐があります
こちらは右岸の横越流式洪水吐。
 
総貯水容量150万2000立米とため池王国香川県でも上位に位置する大規模ため池です。
朝霧が掛かり幻想的な眺めとなりました。
 
天端から
ダム下には3つの用水路へ分水するプールのような巨大な分水工があります。
 
ダム下の分水工。
 
堤体中央の斜樋。
 
天端は市道になっており、歴史が古い溜池らしく多くの記念碑が並びます。
 
左岸に展示された1920年(大正9年)製の石製樋管。
 
左岸の洪水吐
奥に鋼製起伏ゲートがあります。
 
2149 仁池(1227)
ため池コード
香川県丸亀市飯山町上法軍寺
大束川水系中大束川左支流
16メートル
328メートル
1502千㎥/1502千㎥
仁池土地改良区
1947年

鵜生池

2018-01-16 16:07:10 | 香川県
2017年12月22日 鵜生池
 
鵜生池(うのいけ)は香川県綾歌郡綾川町畑田の本津川水系本津川右支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
池の起源は江戸初期寛永年間(1620年代)まで遡り、受益地である畑田、福家の農民が当時谷間で葦が一面に茂り鵜が生息していた湿地に池を築造したことから『鵜生池』の名がついたとされています。
1976年(昭和51年)に香川県の老朽ため池等整備事業で大規模な改修が行われほぼ現在の姿となり、ダム便覧ではこの改修竣工をダムの竣工年度としています。
さらに1978年(昭和53年)からは池南端を通る香川用水からの補給が開始され水利状況は大きく改善しました。
現在は国分寺町土地改良区が管理を行い、71ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
 
下流から
基部はコンクリートブロックの擁壁、堤体は草刈りのあと野焼きされています。
 
ダム下中央、取水設備からの底樋。
 
右岸の改修記念碑。
 
天端からの眺め。
 
総貯水容量は33万7000立米
南端を通る香川用水から補給を受けています。
 
天端は市道。
 
堤頂長236メートルの長い堤体
上流面はコンクリートで護岸されています。
 
斜樋。
 
左岸の洪水吐。
 
水利に乏しい香川ではどの溜池も規模に対して小さな洪水吐です。
 
3615 鵜生池(1226)
ため池コード
香川県綾歌郡綾川町畑田
本津川水系本津川右支流
15.1メートル
236メートル
337千㎥/337千㎥
国分寺町土地改良区
1976年

神内上池

2018-01-16 16:06:21 | 香川県
2017年12月22日 神内上池
 
神内(じんない)上池は香川県高松市西植田町の新川水系春日川(上流では天満川)上流部、神内池の上流約1キロ地点にある灌漑目的のアースフィルダムです。
新川水系春日川流域には古くから公渕池城池松尾池、神内池の4つの溜池があり四箇池と総称されていました。
明治維新後の新田開発により耕作面積が増加したことで新たな水源確保の必要性が高まり、1916年(大正5年)に神内上池が完成しました。
1960年(昭和35年)に当池を嵩上げするとともに当池をを調整池として松尾池・城池・公渕池に配水する四箇池用水が完成、さらに2003年(平成15年)には香川県のため池等整備事業により大規模な改修が行われました。
現在は四箇池に加え神内上池、坂瀬池の6基の池を四箇池土地改良区が管理し、春日川流域1100ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。 
高松道高松中央インターから県道43号線を南下して西植田町交差点を過ぎると右手(西側)に神内池が見えてきます。神内池をやり過ごし次の三差路を右折、天満川手前の分岐を左に採ると神内上池右岸に到着します。
堤高29.7メートルの立派な堤体。
 
上流面
右岸寄りに斜樋があります。
 
天端から
下流に神内池が見えます。
 
天端。
 
総貯水容量は75万立米
天満川の水はいったん神内上池に貯留され四箇池用水で公渕池・城池・松尾池に配水されます。
 
上流面はコンクリートで護岸。
 
天端には2基の石碑が建ちます。
 
 
左岸の円形越流式洪水吐
石が・・・・。
 
洪水吐から。
 
洪水吐導流部。
 
神内上池は四箇池の上部調整池となっており、他の池で用水不足が発生すると当池から補給を行い、逆に余裕がある時は当池で貯留する仕組みです。
 
2153 神内上池(1225)
ため池コード
香川県高松市西植田町
新川水系春日川(天満川)
29.7メートル
130メートル
750千㎥/750千㎥
四箇池土地改良区
1916年

神内池

2018-01-16 16:05:34 | 香川県
2017年12月22日 神内池
 
神内池は香川県高松市西植田町の新川水系春日川(上流では天満川)にある灌漑用目的のアースフィルダムです。
新川水系春日川流域には古くから公渕池城池松尾池、神内池の4つの溜池があり四箇池と総称されていました。
神内池は四箇池最初の溜池として1635年(寛永12年)に生駒家時代の高松藩によって築造されました。
1916年(大正5年)に上流に神内上池が竣工し池は5基となり、1969年(昭和39年)の大規模改修により現在の規模となりました。
ダム便覧ではこの大規模改修の竣工もってを竣工年度としています。
四箇池に加え神内上池、坂瀬池の6基の池を四箇池土地改良区が管理し春日川流域1100ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
 
県道43号線から眺める神内池。
 
天端は車両通行可能。
 
上流面はコンクリートで護岸
釣師が残したごみが散乱・・・。
 
天端からの眺め。
 
総貯水量138万立米の巨大な貯水池。
対岸の建物はカフェジョルダンという庭の芝桜が有名なカフェ・レストランです。
 
堤体中央の斜樋。
 
左岸の洪水吐
手前に切れ込みがあり鋼製起伏ゲートが設置されています。
起伏ゲートつきの洪水吐は同じ四箇池土地改良区が管理する城池でも見られます。
 
アングルを変えて。
 
洪水吐導流部。
 
神内池の説明板。
 
底樋は民家の私有地先だったため確認できませんでした。
 
2182 神内池(1224)
ため池コード
香川県高松市西植田町
新川水系春日川(天満川)
15.2メートル
249メートル
1160千㎥/1160千㎥
四箇池土地改良区
1635年築造
1969年大規模改修竣工

松尾池

2018-01-16 02:39:58 | 香川県
2017年12月22日 松尾池
 
松尾池は香川県高松市西植田町の新川水系春日川右支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
新川水系春日川流域には古くから公渕池城池、松尾池、神内池の4つの溜池があり四箇池と総称されていました。
松尾池は四箇池3番目の溜池として1672年(寛文12年)に高松藩の普請によって築造されました。
戦後1960年(昭和35年)に神内上池を調整池として松尾池・城池・公渕池を結ぶ四箇池用水が完成、さらに1971年(昭和46年)に県の事業で大規模な改修工事が行われ現在の姿となりました。
ダム便覧ではこの大規模改修の竣工をもって竣工年度としています。
現在は四箇池に加え神内上池、坂瀬池の6基の池を四箇池土地改良区が管理し、春日川流域1100ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
また竣工当時の姿を残す煉瓦作りの底樋管はCランクの近代土木遺産に選ばれています。
 
直角に屈曲した堤頂長423メートルの長大な堤体で、付近は香川県特有の三角錐の山々が続きます。
 
左岸の斜樋と洪水吐を遠望。
 
松尾池の説明板。
 
 
総貯水容量は132万立米。
 
天端は車両通行可能。
 
越流式洪水吐。
 
下流面は奇麗に刈り払われています。
 
洪水吐導流部。
 
底樋管はCクラスの近代土木遺産です。
煉瓦造りで扁額入りの立派なポータル。デザインは公渕池とそっくりですが公渕がコンクリートなのに対してこちらは煉瓦製。
 
分水用ゲート。
 
3614 松尾池(1223)
ため池コード
香川県高松市西植田町
新川水系春日川右支流
18.7メートル
423メートル
1322千㎥/1322千㎥
四箇池土地改良区
1672年築造
1971年大規模改修竣工

城池

2018-01-16 02:24:41 | 香川県
2017年12月22日 城池
 
城池は香川県高松市東植田町の新川水系春日川右支流朝倉川にある灌漑用目的のアースフィルダムです。
新川水系春日川流域には古くから公渕池、城池、松尾池神内池の4つの溜池があり四箇池と総称されていました。
城池は四箇池2番目の溜池として1647年(正保4年)に高松藩の普請によって築造され、近くに戸田山城があったことから城池と命名されました。
1960年(昭和35年)には神内上池を調整池として松尾池・城池・公渕池を結ぶ四箇池用水が完成、さらに1975年(昭和50年)に公渕池及び城池を含む一帯が公渕森林公園として整備されるのにあわせて県の事業で大規模な改修工事が行われ現在の姿となりました。
ダム便覧ではこの大規模改修の竣工を竣工年度としています。
現在は四箇池に加え神内上池、坂瀬池の6基の池を四箇池土地改良区が管理し、春日川流域1100ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
 
高松道高松東インターから県道30号を南下、公渕池をやり過ごし朝倉川を渡った先を左(東)に折れる城池の堤体が見えてきます。
 
奇麗に刈り払われた下流面。
 
天端は車道で車両通行可能
並んでいる車は釣り師のものです。
 
城池の説明板。
 
右岸の洪水吐導流部
まるで城の堀のよう。
 
右岸の円形越流式洪水吐。
 
越流部には切れ込みがあり鋼製起伏ゲートが設置されています。
 
天端からの眺め。
 
総貯水容量は72万立米。
四箇池の中では最小です。
 
左岸の斜樋。
 
 
底樋は確認しませんでした。
 
3513 城池(1222)
ため池コード
香川県高松市東植田町
DamMaps
新川水系朝倉川
16.5メートル
190メートル
720千㎥/720千㎥
四箇池土地改良区
1647年築造
1975年

公渕池

2018-01-16 02:18:54 | 香川県
2017年12月22日 公渕池
 
公渕(きんぶち)池は香川県高松市東植田町の新川水系春日川右支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
新川水系春日川流域には古くから公渕池、城池松尾池神内池の4つの溜池があり四箇池と総称されていました。
公渕池は四箇池の中では一番新しく、1863年(文久3年)に高松藩の普請で築造されました。『公渕』という名称は屋島の戦いで敗れた平家の公達がこの地の渕に身を投げたことに由来するそうです。
1933年(昭和8年)の県営事業による改修で総貯水容量176万立米という香川県屈指の規模の溜池となりました。
ダム便覧ではこの県営事業の竣工を持って竣工年度としています。
1960年(昭和35年)には神内上池を調整池として松尾池・城池・公渕池を結ぶ四箇池用水が完成し、四箇池に加え神内上池、坂瀬池の6基の池を四箇池土地改良区が管理し、春日川流域1100ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
また竣工当時の姿を残すコンクリート作りの底樋管はCクラスの近代土木遺産に選定されています。
 
なお、香川県のデータとダム便覧では堤高や堤頂長の数字が異なっていますが、ここでは香川県の数字を採用します。
 
高松道高松東インターから県道30号を南下し東植田町に入ると正面に公渕池が見えてきます。
1975年(昭和50年)に公渕池及び城池を含む一帯が公渕森林公園として整備され周辺住民の憩いの場となっています。
 
取水設備からの底樋樋門
コンクリート造りの樋門は1933年(昭和8年)の改修工事により設置されたもので、底樋管はCランクの近代土木遺産に選ばれています。
 
堤体は直角に屈曲。
 
右岸の斜樋。
 
広大な天端は車両通行可能で公渕森林公園利用者の駐車スペースにもなっています。
 
天端から
三角錐の山がそびえる香川県特有の景色が広がります。
 
斜樋の建屋
こちらも1933年(昭和8年)のもので扁額付き。
 
貯水量176万立米は四箇池最大、香川県でも屈指の規模を誇ります。
 
貯水池の規模に比べて小さな洪水吐
越流部分に切れ込みがあります。
 
各種石碑と社
公渕池の由来や歴史、四箇池用水について詳しく記述されています。
 
公渕池及び城池周辺は森林公園として遊歩道が整備され、平日にもかかわらず非常に多くの人がウォーキングやジョギングを楽しんでいました。
 
2158 公渕池(1221)
ため池コード
香川県高松市東植田町
新川水系春日川右支流
27.8メートル
260メートル
1793千㎥/1785千㎥
四箇池土地改良区
1933年築造
1991年改修