ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

小ヶ倉ダム

2019-07-23 13:02:38 | 長崎県
2019年7月12日 小ヶ倉ダム
 
小ヶ倉ダムは長崎県長崎市上戸町の鹿尾川水系鹿尾川上流にある長崎県土木部が管理する多目的の表面石張り粗石コンクリート重力式ダムです。
1891年(明治24年)に日本初の水道用ダムとして本河内高部ダムが完成し、長崎市水道は横浜、函館に次いで日本で3番目の近代水道として事業が開始されました。
その後の町の発展に合わせて事業の拡張が進められ、長崎市水道4番目の水源として1926年(大正15年)に完成したのが小ヶ倉ダムです。
戦後に入り1974年(昭和49年)に鹿尾川下流への多目的ダム建設事業が着手されますが、1982年(昭和57年)の長崎大水害では小ケ倉ダム下流の鹿尾川曲流部で大規模な氾濫が発生し未曾有の大災害となりました。
これをうけ翌1983年(昭和58年)に長崎県は長崎水害緊急ダム事業に着手し、未着工だった鹿尾川下流への鹿尾ダム建設に取り掛かると同時に、小ヶ倉貯水池左岸上流部に新たに常用洪水吐となる越流堰を設け洪水調節容量を確保しました。
事業は1987年(昭和62年)に竣工し、小ケ倉ダムの管理は長崎市上下水道局から長崎県土木部に移管されるとともに、ダムの目的は従来の上水道用水に加え『洪水調節』が追加され補助多目的ダムとなりました。
竣工当時小ヶ倉ダムの堤高41.2メートルは水道用ダムとしては最高を誇り、現在でも戦前の石積ダムとしては河内ダム上田池ダム千苅ダムなどと並ぶ高さとなっています。
このような小ヶ倉ダムの土木技術的・文化的価値を評価して、2009年(平成21年)に土木学会選奨土木遺産及びAランクの近代土木遺産に選定され、翌2010年(平成22年)には国の登録有形文化財となりました。
 
地図の赤マルが小ヶ倉ダム常用洪水吐越流堰
水位が上昇すると小ヶ倉ダム下流域の上戸町や新戸町市街をバイパスして越流堤から直接鹿尾ダムに水が流入する仕組みです。
 
長崎南環状線新戸町インターから県道237号を北上、上戸町4丁目のローソンのある交差点を右折し浄水場手前の分岐を右に取ると小ヶ倉水園入口に到着します。ここがダムへの入口となります。
 
川沿いの遊歩道を進むとすぐにダムが見えてきます。
堤高41.2メートルは戦前の水道用ダムとしては最高、石積堰堤としても河内ダム、上田池ダムに次ぐ高さです。
 
千刈ダムや上田池ダムのようなアーチ状の装飾はありませんが、規律正しく積み上げられた切り石が男性的な力強さ、美しさを醸し出しています。
 
選奨土木遺産と国の登録有形文化財のプレート。
 
ダム下は長崎水道創設百周年を記念して小ヶ倉水園として公園化されました。
 
訪問した日は梅雨の晴れ間の蒸し暑い夏日。
思わず飛び込みたい衝動に駆られます。
 
ダム下には石積アーチ状の副ダムがあります。
雨後には水が茶色に濁るようで、まるで有馬温泉の露天風呂。
文字通り黄金のアーチ。
 
ダム下から。
濁った水のせいでモノトーンの堤体が一段と引き立ちます。
 
丁寧に布積みされた石積堰堤が天端まで伸びてゆきます。
 
洪水吐をズームアップ。
簡素だけど力強く美しい。
 
実は堤体に触れることもできます。
とにかく丁寧に布積みされています。
 
小ヶ倉水園を後にしてダム右岸の道を上流へ進むと
フェンス越しではありますが、石積堰堤としてはおなじみの半円形の取水設備が見えます。
高欄の装飾は簡素。
 
今度は左岸沿いの隘路を遡上します
長崎大水害をきっかけに1987年(昭和62年)に新設された分水越流堰。
従来非常用洪水吐としてのクレストゲートしかなかった小ヶ倉ダムの常用洪水吐にあたります。
水位が上昇するとここから越流し、洪水吐トンネルを経て下流の鹿尾ダムに放流される仕組み。
前々日までまとまった雨が降ったせいで折り良く越流しています。
この洪水吐新設により小ヶ倉ダムの貯水容量が増加し、洪水調節容量が付加されました。
 
(追記)
小ケ倉ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2589 小ヶ倉ダム(1479) 
長崎県長崎市上戸町
鹿尾川水系鹿尾川
FNW
41.2メートル
135.6メートル
2040千㎥/1940千㎥
長崎県土木部
1926年竣工
1987年常用洪水吐越流堰新設
◎治水協定が締結されたダム 


コメントを投稿