私達、役員専用運転士の予定の入っていない日はどうしているのでしょう?昨日述べました通り私達も普段はごく普通に出勤致します。朝は九時に出勤ですね。 一応バソコンで今日の予定を確認します。そして予定が入っていればそれなりに、なければ、取り敢えず洗車です。私達運転士にとって唯一肉体労働と言える時かも知れません。 まず車を洗車場(と言いましても社内の片隅で~す)に持ってゆきホ―スでジャブジャブ水洗いです。これで埃や汚れを洗い流すのですね。そしてタオルで水気を拭き取ります。仕事が入っている時はこれにて完了!ない場合洗車シャンプーで隅々まで洗い直します。これでほんときれいになりますね。人間がお風呂に入って一日の疲れや汚れを取るように…あとワックスですね。これは半月に一度。メタリック専用の数千円の一番良いやつ。『えっ!半月?半年じゃあないの?』そうです。半月です!確かにワックスには数ヶ月から半年は保ちます。と明記してありますから読者の皆さん間違いじゃあないの?と思いますよね。しかしそれは月に何回かのペースで洗車した場合なんですよ。私達みたいに暇さえあれば洗車しているとと
ても何か月も保ちません。ボディーは洗えば埃も取れてきれいになりますが、同時にワックスも洗い流しているのですね。シャンプーまでの水洗いは毎日欠かさずします。(雨天中止)途中雨が降ったり汚れが目立ったりなるとすかさず洗車です。ちなみにガススタなんかの洗車機は絶対に使いません。洗車機に通すと白いブラシ傷が付く恐れがあるから百パ―セント手洗いですね。それに私達にとって車は仕事をする上に於いてなくてはならないもの、言わばパートナーです。心を込めて掃除致します。イチローがグローブの手入れを入念にするのと同じ事なんですね。ワックス掛けが済み拭き取りが終了しますとあとはなし!
なし!とは…
そうです。もう退社時刻まですること無いんですね。控室で待機ですよた・い・き。いやぁこの仕事に就いて待機する事が仕事だ、なんて知りませんでしたね(笑)私は日頃の睡眠不足を補う為に仮眠を取る場合がよくあります。この前もじっと目を閉じ休息していたところこの会社に入る前のことを思い出しました…。
私はちょうど四年前無職でした。
その以前小さな会社に勤めておりましたが業界の構造不況…要するに時代の変動に追いていけなかったんですが、倒産致しました。 営業部長まで任されていたので、私にも多少責任があるかも知れませんが、取り敢えず顔と経験を活かして自分で商売をしたのです。しかしそれは長続きしませんでした。得意先の倒産や売り上げ不振などで立ち行かなくなりました。数年で廃業、五十前の中年に世間は実に厳しかった…やったことのない仕事、情けない給料、絶望的な環境で幾つも職を変わりました。営業一筋でしたから、経験を活かした営業職を求めていても、若い年代の求人ばかりでした。仕方なしにいろいろな仕事に就きましたが高校卒程度の給料なのに目茶苦茶な仕事内容 まるで職に困っているのを見透かしたようなそれは愚劣な環境ばかりでした。楽観的な私でさえもさすがに参りました。それまでにも多少は知識として持ち合わせていましたが、これ程悲惨とは…私は自分の力のなさを痛感すると同時に世の中を呪いました。
そんな折りたまたま折り込みチラシの一部にこの仕事の求人が載っていたのです。 最近の求人は当局の指導により年齢・性別は明記できません。『性別は男女雇用機会均等法に抵触するし年齢を外す事で幅広くいろんな人材から選考をできる。』と当局は言うのであります。つまり『中高年はいらないよ。』ではだめで経験のある中高年も選考の対象として下さいよ、と言った指導(お願い)なのですね。しかし実態は、安くて使い易いフットワ―クの良い人を求めているのです。
だから企業のリクエスト通りの求人を載せたら若い人だらけの求人票になってしまうので、有効求人倍率なんて目茶苦茶な数字になってしまいます。 私がハローワ―クで担当者と面談した時に『求人が無いから困ってるんです』とこぼすと担当者は渦高く積まれた求人票を指して『何を言って言ってるんですか、こんなにあるじゃないですか』と言うではありませんか。
まだ30代位の担当者でした。
この担当者は恐らく現状が分かっているんだろう、と私は直感で知りましたね(苦笑) 建て前だけだよ!顔にそう書いてありましたから…
そんなことがありましたから私は魅力的な条件にもそう期待せずに面接会場のホテルに行きました。ホテルのロビーには案の定沢山の人が来ていました。グルッと見回して20、30、40代様々な人が20人はいたでしょうか。私は溜め息が出ました。恐らく私が一番の年上でしょうね。ほとんど諦めム―ドで面談を受けたところ担当者の方が形式的な質問を幾つかした後頷きながらニコニコして私に話し掛けました。『この仕事は若い人は駄目なんですよ』『えっ?』
『いやぁ若いのは辛抱しないからね…』何を言ってるんだろ、と私は思いました。
それから例の待機の話があり一度若いのを入れたら地味な待機がバカバカしくなるのか何処かに遊びに行ってしまって困ったことがあったそうだ。と話し始められました。
『高村さん、あなたは二三時間待つ事ができますか』と来たもんだ。 車の中で待つくらいどうってことないよ。それが仕事ならね。
『ハイ、大丈夫です』私は答えました。担当者も満足げに頷きながら『分かりました、検討しまして後日連絡致します』
面接の後はクラウンでホテルの周辺をぐるりと回り試験は終わりました。
私には面接の担当者の胆(はら)がわかりませんでした。手応えも今一つでした。以前はそうでも無かったのですが、ここ数年の面接落ちが私の感をすっかり狂わせていたのでした。次の日連絡があり私は採用されました。 受かる時はあっさりしたもので、しばらくは実感が沸かなかったですね(笑)
職を失って苦節五年ようやくまともな仕事に就けた瞬間でした。
ても何か月も保ちません。ボディーは洗えば埃も取れてきれいになりますが、同時にワックスも洗い流しているのですね。シャンプーまでの水洗いは毎日欠かさずします。(雨天中止)途中雨が降ったり汚れが目立ったりなるとすかさず洗車です。ちなみにガススタなんかの洗車機は絶対に使いません。洗車機に通すと白いブラシ傷が付く恐れがあるから百パ―セント手洗いですね。それに私達にとって車は仕事をする上に於いてなくてはならないもの、言わばパートナーです。心を込めて掃除致します。イチローがグローブの手入れを入念にするのと同じ事なんですね。ワックス掛けが済み拭き取りが終了しますとあとはなし!
なし!とは…
そうです。もう退社時刻まですること無いんですね。控室で待機ですよた・い・き。いやぁこの仕事に就いて待機する事が仕事だ、なんて知りませんでしたね(笑)私は日頃の睡眠不足を補う為に仮眠を取る場合がよくあります。この前もじっと目を閉じ休息していたところこの会社に入る前のことを思い出しました…。
私はちょうど四年前無職でした。
その以前小さな会社に勤めておりましたが業界の構造不況…要するに時代の変動に追いていけなかったんですが、倒産致しました。 営業部長まで任されていたので、私にも多少責任があるかも知れませんが、取り敢えず顔と経験を活かして自分で商売をしたのです。しかしそれは長続きしませんでした。得意先の倒産や売り上げ不振などで立ち行かなくなりました。数年で廃業、五十前の中年に世間は実に厳しかった…やったことのない仕事、情けない給料、絶望的な環境で幾つも職を変わりました。営業一筋でしたから、経験を活かした営業職を求めていても、若い年代の求人ばかりでした。仕方なしにいろいろな仕事に就きましたが高校卒程度の給料なのに目茶苦茶な仕事内容 まるで職に困っているのを見透かしたようなそれは愚劣な環境ばかりでした。楽観的な私でさえもさすがに参りました。それまでにも多少は知識として持ち合わせていましたが、これ程悲惨とは…私は自分の力のなさを痛感すると同時に世の中を呪いました。
そんな折りたまたま折り込みチラシの一部にこの仕事の求人が載っていたのです。 最近の求人は当局の指導により年齢・性別は明記できません。『性別は男女雇用機会均等法に抵触するし年齢を外す事で幅広くいろんな人材から選考をできる。』と当局は言うのであります。つまり『中高年はいらないよ。』ではだめで経験のある中高年も選考の対象として下さいよ、と言った指導(お願い)なのですね。しかし実態は、安くて使い易いフットワ―クの良い人を求めているのです。
だから企業のリクエスト通りの求人を載せたら若い人だらけの求人票になってしまうので、有効求人倍率なんて目茶苦茶な数字になってしまいます。 私がハローワ―クで担当者と面談した時に『求人が無いから困ってるんです』とこぼすと担当者は渦高く積まれた求人票を指して『何を言って言ってるんですか、こんなにあるじゃないですか』と言うではありませんか。
まだ30代位の担当者でした。
この担当者は恐らく現状が分かっているんだろう、と私は直感で知りましたね(苦笑) 建て前だけだよ!顔にそう書いてありましたから…
そんなことがありましたから私は魅力的な条件にもそう期待せずに面接会場のホテルに行きました。ホテルのロビーには案の定沢山の人が来ていました。グルッと見回して20、30、40代様々な人が20人はいたでしょうか。私は溜め息が出ました。恐らく私が一番の年上でしょうね。ほとんど諦めム―ドで面談を受けたところ担当者の方が形式的な質問を幾つかした後頷きながらニコニコして私に話し掛けました。『この仕事は若い人は駄目なんですよ』『えっ?』
『いやぁ若いのは辛抱しないからね…』何を言ってるんだろ、と私は思いました。
それから例の待機の話があり一度若いのを入れたら地味な待機がバカバカしくなるのか何処かに遊びに行ってしまって困ったことがあったそうだ。と話し始められました。
『高村さん、あなたは二三時間待つ事ができますか』と来たもんだ。 車の中で待つくらいどうってことないよ。それが仕事ならね。
『ハイ、大丈夫です』私は答えました。担当者も満足げに頷きながら『分かりました、検討しまして後日連絡致します』
面接の後はクラウンでホテルの周辺をぐるりと回り試験は終わりました。
私には面接の担当者の胆(はら)がわかりませんでした。手応えも今一つでした。以前はそうでも無かったのですが、ここ数年の面接落ちが私の感をすっかり狂わせていたのでした。次の日連絡があり私は採用されました。 受かる時はあっさりしたもので、しばらくは実感が沸かなかったですね(笑)
職を失って苦節五年ようやくまともな仕事に就けた瞬間でした。