こんにちわ
春はあけぼの ようよう白くなりゆく 山際すこし明かりて 紫立ちたる 雲のほそくたなびきたる
有名な徒然草の序章の第一節です。
古文が出てくるとつい 難しく思えますが 同じ日本人の書いた文だからわかるでしょう と気軽に読んで見たら
なるほど 簡単でした(笑)。春はあけぼの・・あけぼの 最近亡くなられた大相撲の元横綱の曙、この曙(あけぼの)とは
夜明け という意味のようです。ここさえ解れば あとは もう書いてある通り。
少しずつ白くなって山際も明るくなり雲が紫色に染まってたなびいている。とまぁ こんな感じですか。
私の解説がいまいちな人は、朝の四時ころ起きて外に出てまわりをずずっと眺めてみて下さい。
要は春の夜が白々と明けてゆくところを模写した文章でした。
そして 作者の清少納言は この夜明けの情景が私は趣(おもむき)がある としています。
清少納言が済んでいたのは今から千年ほど前の平安時代でした。
この清少納言はそんなに偉くなかったようですが、それでも貴族の娘で皇室の中で妃さんらの話し相手として
働いていました。この頃光る君の紫式部と同じ時代にして 千年も前の事ですからはっきりしませんが
どうもお二人は 火花を散らすライバル関係にあったようですね。詳しく書くとややこしくなるので割愛しますが
お仕えする方同士、最高権力者の関白太政大臣の藤原道長とこちらは皇室の天皇や皇后さま。
当時は、権力の綱引きが多少残っていたようです。
ところでこの貴族、彼らは生産的な働くなどの労働は一切しません。じゃあ何をしていたのか?と思いますが
普段はその階級の仕事、主に下から上ってくる租税(穀物)の納品を管理したり、もめ事の仲裁や訴状の対応
など下に行くほど仕事が多かったようです。上にいけるのはいつの時代も同じで 今なら上級試験に受かった
人が高級官僚として 威張れますが、当時は血族の引きが一番で道長の子はいずれ大臣になるのが当然になっていました。
藤原氏の子(女の子)は次の天皇になれる皇太子と結婚して将来の天皇になるのでした。道長の三人の孫はすべて天皇になりましたから
そりゃぁ権力を我が物に出来ますよね。ですからこの時代の系図を見てますと、姪が自分の息子と結婚したり、
いとこ夫婦も普通にあるしややこしい限りでした。
ですから若くして夭折するのは当たり前。ちなみに道長はキジの刺身が大好物で宮中の料理人はいつでも出せるように
キジを飼っていたそうです。死因は空き木も同じの糖尿病が重くなって亡くなったのが有力な説ですね。
そんな貴族の暮らしでしたから 清少納言は外の景色を眺めて ああ春らしくなったなぁ・・とのんびりと思ったのでしょうね。
まぁそんな事でも考えていないとすることがなかったのでしょうか。庶民などは ああ夜明けはきれいだなぁ などと
のんびりしていたら 暮らしていけませんから早起きして畑や田んぼを耕して種を植えたり野菜を採ったり 機械も肥料も
ありませんからひたすら人力で励んだのでした。
なにか 社会の教科書調になりました(笑)