おはようございます^^ 祇園祭も終わりました…と締めくくってもいいのかよくわからないのが この祇園祭です・・・
昨日 山鉾巡行でしたから、まぁこれがクライマツクスでありますから、ハイ終わり(実は今月いっぱいがお祭り)・・・お名残り惜しゅうございます…
てな どこまでが本音か
わからん挨拶を交わして 別れてしまいますと、やれやれ・・今年の夏も終わってしうもたワイ てな愚痴ともつかん小言を独り言で済まして
家にかえるのが京の人間。ただし京でも祇園祭に関しては、中京(なかぎょう)の旦那衆のお祭りでした。そもそも京には、京都とは違った区域がありまして
ん…? 京と京都・・・どう違うのか・・あんまりこだわってしまうと、この人 心の狭い人だわぁ…となってしまいますから、そこはさり気なく
しかし要所要所を抑えた説明が必要ではないでしょうか。
まず、違いと言いますかそれぞれの地域の範囲があります。 京とは 794年桓武天皇が奈良から都を移されて、奈良の平城京のそうだったように
都の範囲を長方形に定めそれをもうひとつ小分けしたのが、京の場合、中京、上京、下京でした、ただしこれははきりとした区割りではなかったみたいで
1200年の悠久の中で戦乱のよって変更したり廃棄されたり復活したりと 様々な容姿に変わっていきました平安京のメイン道路を朱雀大路と呼んで
いましたが今では平凡な呼び名に代わって・・千本通り。昔の平安京は現在の地図に合わせてみますと、どうも中心が右(東)によってきてます。
今のメインが烏丸通りだと思いますが、平安の時代には 平凡な大路だったのでしょうか。この東側に寄ってきたわけが資料にありましたが、
それによりますと、千本通り(朱雀大路)から西側は 水はけば悪くてちょっと雨が降り続くとすぐにみず水があふれてしまい大衆はこぞって
東側に移動していったためだそうです。これはあくまでも推測の域を出ませんから・・・それと京の範囲とは、豊臣秀吉が土居を市中に張り巡らしました
が、それを 境に内側が都。外側が一般の地域・・山背(山城)の国。まぁ1200年もの年月ですから 紆余曲折があったのは当然でしょうが、
それでも京と京都の違いはあります。よくわかるのは京都市の市域でしょうか。
現在京都市には中京区、上京区、下京区、北区、東山区、左京区、右京区、山科区、伏見区、西京区、南区。11区ありますが、旧の京の市域(洛中)は
中京区、上京区の一部。、下京区の一部でした。今から考えると意外と狭かったんだなぁ…と思いますが、例えば京都駅の近くにリーガロイヤルホテル京都
があります。その敷地内に石碑がありまして、幕末に活躍した新選組の屯所があったようです。その場所塩小路堀川はいまではバリバリの京都の地ですが、
ほんの150年前は山城国 葛野郡 不動堂村・・
当時でも区別がはっきりしていたかわかりませんけど…京の外(洛外)だったのを京都に住んでいらっしゃる方でも、あれれ…と思われるのではないでしょうか。