寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

命の話し

2015年12月22日 06時41分42秒 | 日記
おはようございます。今年も 残すところ、10日となりました^^;
一年とは早いものですね~
その早さは年々加速する気がしますが、 それは何を意味するかと考えてみたら 自分の死期に近づいていることではないかと思えるのです。 のっけから 縁起の悪い話だとお叱りを受けそうですが^^;…
まぁ、暫く我慢して このお話にお付き合い下さいませ。
私が 死期について 考えだした切っ掛けは 生命保険でした。
それは5六年前に 自身の保険が満期になり その間 何事もなく 満期を迎えるとは 幸せなことなのでしょうね。しかし保険屋のおばちゃんは ろくすっぽおめでとうございます、とも言わず当然のように次の保険を薦めてくるのです。
保険なんて 自分の身に何かあればと家族の為に 入るものであって 子どもも成長し独り立ちした今 親の義務を果たし 生命保険も同じような頃、満期をもって役割を済ませて私には必要ないと思ってました。
♪人間五十年~織田信長が桶狭間にいる今川義元に奇襲を仕掛ける際に 夜半湯漬け(茶漬け)をかけ込み、よしやるぞ!と 勇躍し 逸(はや)る心を鎮めるがためか舞った 能、が 有名な、篤姫 の一節で、それにあるように 人の一生とは およそ半世紀でオシマイなのですね。 生命保険もその通り私が五十を過ぎて満期を迎えやっぱりと納得していました。 ところが保険屋のおばちゃんは 満期の手続きもそこそこにして驚くような事を言ったのです。。
人間が五十年なんて む・か・し (ここ強調してました)の話ですよ~
なんて 確かに私の前で喋っている保険屋のおばちゃんは私より遥か歳上でした。
そして 「高村さん、今は人間八十年の時代ですよ」
あなたはまだ 若いからあと三十年は生きられますから…と 励みとも何ともわからない言い方をしながら、 これからは死んだ時のお金よりも病気をした時のお金を用意しなきゃあね。
と話ながらカバンからパンフレットを取り出して中身の説明を始めるのです。
話の内容は皆さんが想像するような三大疾病と言われる成人病を患った時の入院費を賄うために出る保険金や手術した時の費用など
です。
説明の内容は永くなるから割愛しますが、 要はこれから 長寿の時代に備え病気になった時の保険を入るように ということでした。
なるほど、煩わしい話の内容はさておいて、私は家族の為に入っていた保険から自分の為の保険に切り替える時期になったのだと悟りました。
それで小さな保険に入り直しましたが、その保険料をみて医療保険とは実に高いものだなぁ…と思いました。
だって私が入っていた生命保険と比べてまだ高いのですから…果たしてこれだけの保険料を毎月払い続けて いざ病気になった時に貰う入院費と見比べ計算してみたのですが… よほどの大病をしないと割りが合わないと思いました。 それは 以前入っていた生命保険の場合もよく似た話で 普通に生活していたら 全く掛け金が損じゃないか、と憤る人の気持ちわかりますね。
又 試しに 何千万円の保険に入っていた若いころ と同じ保険金を貰える設定で入れる保険を頼んでみたところ 仰天するような保険料を示されました。そして 高村さんの場合 子どもさんもご成長されたし 長生きの時代は病気に対する備えをするのが肝心ですよ。
これ有り難いアドバイスととったら良いのか、しかしもうひとつ釈然としないのが
私は大体保険の話は大嫌いでそれは自分の死に対する予防的な話ではなくて
死んだら だとか 大ケガをすれば などタラレバの世界であるし、まったくもって縁起でもないからです。
世の賢人は すべてに於いて然るべき手を打つ のが その賢人たる由縁だと思うのですが、愚人な私には とても自分の死を直視できるはずもありません。出来ない人が 万が一に備えるだけの思慮はありませんよね。

だから 生命保険会社は 愚人、凡人に代わり その備えについて ご相談を致しましょ(^^) と なるわけですね^^;
話はちょっと逸れましたが、 人間五十年を過ぎて 振り返ってみると 人生とは先に行けば行くほど 生きる心配をしていくのに気がついたのです^^; 平均寿命 とはよく耳にしますが 平均余命… 私は知らなかったのですが、平均寿命は 今生まれた赤ちゃんが何歳まで生きられるか という数字で 男性も最近八十歳を越えたそうですが、これは今年生まれた赤ちゃんが統計上生きられる年齢なんですね。
だから 八十歳のお年寄りが 遂にワシモ寿命が尽きたか…と悲観する必要はないのです。
もっとも そんな悲観する人なんかいませんけどね^^;
それじゃ 現在八十歳のお年寄り は何歳まで生きられるか?とした統計上の数字が平均余命です^^;
これを見ると八十歳の男は 七歳くらいでしたか^^; しかし同じ歳の女は十歳くらいあるのです(^^)
当たり前といえば 男女別の寿命の違いだそうなのですが、
それを私に当てはめると
保険屋のおばちゃんがいう通り 三十年足らずの余命があるのです。
こんな風にあれやこれやと 考えているうちに あまり気にしなかった自分の寿命を意識するようになりました。
冒頭に 一年が年々早くなった気がする…と書きましたが、
残り三十年を僅かと思うか まだまだ と考えるかは 各々(それぞれ)でしょうが、
三十年が長いか短いかを 私の好物のポテトチップスに例えてみると 最初袋一杯あるポテトを食べていくにつれ 途中から気にしなかった 残りを意識し出す時があるでしょう。 それは 指先で ガサリと 触る感触で 何となくわかってきます。 また 上の方は 完全な形のポテトですが 半分を過ぎて底が見えだしたころから 掴み損ねた欠けたポテトや割れたポテトが 出てきますよね。
ポテトを食べる時って 何かをしながらでしょう(^^)
最初は殆ど意識は何かにいっていて たまに袋に突っ込む手が空振りになるくらいで
残りのポテトなんかまったく頭にないのです。
それが
半分を過ぎたて あれ?とか 思ったら それはエンドを意識する時でしょうね。

ポテトは又お代わり を買えばいいですが…人生は足したり買い増しできないでしょう。 人生を八十歳として イヤ、平均余命で 無理やり九十歳 まで延ばしてみても 還暦に近い私は 三割を残しているのです。
贔屓目にみて三十年、ここから
毎年カウントダウン^^;
欠けたポテトは身体の不調や衰えなどに置き換えてみると 頷けるのは 私の悲観し過ぎでしょうか!?
コメント
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