まっしゅ★たわごと

街歩き、建築、音楽、フランス、それに写真の話題を少々

ノンステップバス

2004年09月17日 21時24分01秒 | 
 生活習慣が変わったせいか、昔と比べて地元でバスを利用することが多くなった。同じ路線でも乗り続けていると、様々な型式のバスが走っていることに気付く。中でも「過渡期」なのかなと思うのがノンステップバスである。

 地元で走っているノンステップバスも、わかるだけで、最低4種類走っている。これら四つを乗り比べるといろいろと試行錯誤の痕跡があって面白い。関西のバスの多くが「後ろ乗り前降り」の後払い制なのだけど、乗降口の位置が数センチ単位で違っているようである。

 ノンステップ状態なのが乗り口から降り口までの範囲のため、どうしても車体後部に並ぶ座席に大きな階段が付くことになり、床面と座席面との高さ関係や前の座席との前後関係で適正な値を見出せていないようでもある。したがって後部座席に座って比べてみると、バスごとに足が引っかかったり、高級ドイツ車のように1人分のスペースがゆったりしていたりと雲泥の差がある。

 客席の窓の高さとか、それこそタイヤの大きさとか、または全体的のデザイン(見た目のバランスも含め)などいろいろと根本的に考え直さないといけないような気がしてならない。

 ちなみに、このノンステップバス、たまに乗降時に車体が左に傾くものがある。御存知の方もおられると思うが、ニーリング(車高調整)装置というらしい。空気圧で「ひざまずくように」車体を下げて走行時と比べて6センチ前後車高が低くなるとか・・・。じっとしていると急にフワっと感じる一瞬があるので、一度気をつけて乗ってみるといいでしょう。

連鎖反応

2004年09月15日 21時03分29秒 | サイバー
 ここ数日、妙な連鎖でブログ立ち上げが盛んのようです。確かに、フツーの日記やBBSよりも機能が豊富でいろんな展開が期待できそうで楽しみです。まだ全ての機能は未知ですけどね。

 最近では、日常の単語でネット検索するとヒットするサイトがほとんど、ブログによるものだったりして驚きです。逆に、つれづれなるままに書いただけの文章が不特定多数による「検索」でヒットされてしまうというのも、ある意味恐ろしい気がしました(^^;)



台風の置土産

2004年09月13日 22時31分40秒 | 自然
 先日の台風は強烈な風で海上の塩を陸地にばら撒いただけで、ほとんど雨が降ることはありませんでした。そのせいで樹木に降り注いだ海水は、とうとう洗い流されることなく陽の光を浴び茶色く朽ち果ててしまっています。

 道端には紅葉するまもなく枝から落ちた葉っぱが無残にも散乱し、またかろうじて枝に留まっているいくつかの葉たちも葉脈は既にズタズタになり、あとは重力に逆らう力も無くただただ、太陽の元で迫りくる死期を悟っているかのようにうな垂れております。少なくとも西宮・神戸・明石・姫路近辺の特に表六甲山系の紅葉は今回は期待できないでしょうね。

 また街に出たときにでも、ちょいと立ち止まって見上げてみて下さい。今年の樹木は例年とは違った表情をしているはずですから。

シベ2を聴いた

2004年09月12日 14時17分28秒 | 音楽
 今朝NHK-FMでシベリウスのシンフォニーをやっていた。現在、私が目覚まし代わりにかけているCDがたまたまシベリウスの交響曲第1番で、朝、冒頭のところでまどろみつつも確かに消したつもりなのに、まだどこかで鳴っているような気がして、目が覚めたら隣の部屋で親が付けていたラジオからしシベ1が流れていたのである。

 シベ1が終わると指揮者紹介があり、解説者の黒田恭一氏から指揮者とオケの紹介があった。指揮者は、スコットランドのシックスティーン・ナンタラという人らしいが、正直誰それ?って感じである。けれど、古い録音で全体的に音質は良くないにもかかわらず、ものすごく情熱的な作品に仕上がっているのに感動した。

 続く、第2シンフォニーもなかなか聴き応えがあった。個人的にはこの第2交響曲は今までどの演奏を聴いても第一楽章がとても緩慢な気がしてあまり好きではなかったのであるが、初めてこの曲に対して心躍る思いをした。

 音楽史的にはシベリウスはスメタナと同じ国民楽派に分類され、「音楽によって民族独立の手助けをした人」であるということになっている。彼の主要作品の中には、映画「ダイ・ハード」で効果的に使われた「フィンランディア」やフィンランドの民族意識に訴えた「エン・サガ(ある伝説)」などと共に、この交響曲第2番も挙げられている。フィンランドでは、このシベリウスの業績を讃えて「英雄」と呼ぶ人も多いらしいし、独立記念日では各地で「フィンランディア」が流されるらしいが、また一部の人々に言わせると「あいつは、(世渡りが)うまい」という話になるらしい。つまり、わざと、民族の独立に重ね合わさるような曲を発表して地位と名誉を勝ち取った音楽家ということになるらしいのだ。つまり、曲自体が冗長でヤラセっぽいってことですかね。

 ところで、この指揮者なんで「十六」って名前なんだろね?日本でいうところの「一(はじめ)」とか「一二三(ひふみ)」「五十八(イソヤ)」みたいな感覚なんでしょうけれど・・・ちなみに、「ナンタラ」は聞き取れなかったための表現で実名ではないことをお断りしておきます。

某M社の話

2004年09月11日 16時43分56秒 | 
 ちなみに私の車は、某M社製である。某M社製とは、もはや説明するまでもなかろうが、かつてトレーラーによる死亡事故を発端にしてトータルリコール状態になった自動車会社である。まぁでも、そんなのはブラウン管の中の話で現場の社員は、日常の業務をちゃんとこなしていっているのだろうと思っていた。あのことがあるまでは・・・。

 七月も終わる頃に車のクーラーが効かないことに気付き、ディーラーに持っていった。応対してくれた営業マンは40代半ばの次長さんで「クーラーのガスが詰まっているので部品の取替えになる。工賃含めて三万円くらいかかる。部品は取り寄せになるけど、二三日で届くので、届き次第電話する」という主旨の説明を受け、車検証のコピーに連絡先電話番号を書いて渡し、その日は何事も無く自宅へ帰った。

 はて?・・・それから一週間たち、10日たち、いっこうに連絡が無い。とうとう二週間目に痺れを切らした私は、営業店に電話を入れ担当の営業次長に取り次いでもらった。電話に出てすぐは、なんのことか理解できていないらしく「はぁ、はぁ」と、少し挑戦的な相槌を打ってきたのだけど、【事情を思い出すや否や】いきなり「あ!!」と素っ頓狂な声を上げて「今確認しますから、お客様のお電話番号頂戴できますか?」とのこと。まさか、『電話番号を書いた車検証コピーも無くしているのでは?』と不安に思い。少しイヂワルして「前に車検証に書いた番号でいいから」といい電話を切る。
 
 それから、およそ15分を過ぎた頃、営業マンから携帯に電話が入る。そして、明らかに息を切らしながら「まだ、商品届いていないので確認して来週中頃までに必ず揃えます」とのこと。『その荒い息遣い、さては書類棚ひっくり返して探していたのではないだろうか?』と、またもや疑念を抱かずにはおられなかった。

 てかさぁ・・・七月の終わりに修理依頼したのに、もう盆休みぢゃん!
こちらの都合もあって、結局は八月の終わりに修理という最悪の結末を迎えようとしていた。ああ、夏が終わる・・・。

 営業次長と最終的な日時の詰めを行い。その時間に営業店に赴くも担当営業マンはフツーに休暇とって休んでいた。これって、どうよ!アポとって約束しているんだから、休むなら「休む」って言えよな。おっさん、もう40過ぎなんだし、せめてそのくらいキッチリしてよ!というか、そんな某M社がバカらしくてもう・・・(怒)

 カウンターで受付やってた人たちもさわやかな対応だっだし、修理も滞りなく終わったけど、こちらが求めない限り見積すら出て来やしない。おまけに、受付の誰もが「納品ミスがあったこと」や「見積提示が出来ていないこと」を把握していない。引継ぎも無ければ、客へのフォローも出来ていない。この会社は【役所仕事しかできない役人的業務をどこまで追求できるのかを研究している企業】なのか?てっきりブラウン管の向こうの世界の話だと思っていた某M社の「恒久性隠蔽体質シンドローム」の片鱗を目の当たりにすることになった。

 ところで、某M社と言えばリュック・ベンソン監督の、フランスはマルセイユとパリを舞台にしたアクション映画「TAXI2」で効果的に使われているのだけれども御存知だろうか?この映画、日本人が何人か出てくるけれど「監督、もしかして日本向けに作った?」と思えるほどおかしな日本人が出てくるので必見であるが、それはさておき・・・。

 ストーリー的には、スピード狂のタクシー運転手とドジでマヌケな刑事のコンビが犯罪者を追い詰めていくというもの。シリーズ2では「日本の大使がマルセイユ経由でパリの式典に行く」という話を主軸に、日本人大使を拉致監禁する「忍者」のコスプレを身にまとったマフィアと地元警察の追跡劇が展開されるのだけれど、逃亡を繰り返す犯罪者集団の乗る車がなぜか某M社製の乗用車、「Why?」って、やっぱ、シンボルマークが手裏剣のカタチをしているからなのでしょうか?

昨夜の出来事

2004年09月09日 21時25分35秒 | 
 昨夜自宅で寝支度をしていると、突如、車スリップ&ブレーキ音が闇を切り裂いた。一瞬の沈黙の直後「グシャ・・・」金属が鈍く潰れる音が聞こえてきた。何ヶ月か前も車同士が軽く接触する現場に居合わせたことがあるが、車の潰れる音というのはドラマや映画ののように「ガシャーン」という音ではない。アルミホイルをオモムロに握りつぶしたような音である。

 もともとドラマや映画で演出される効果音というのは得てして事実と異なる場合が多い。夜の港の風景を演出する「キュィーん」という音も実際に夜の港では聞く機会など一度もないし、拳銃の発砲音も実際は「パンパン」という乾いた音である。少し話題がずれたが、この「グシャ」という音は、表現を変えれば「多次曲線の美しい表皮に守られた複雑でグロテスクな部品が幾つも同時に壊れる音」なのかなと私は思う。

 つまり最近の流線型の美しいフォルムの車を見て無意識にこれらの輝ける鉄板の中も「蒲鉾のように」均質で淀みの無いメタルな素材が詰まっていると錯覚していることに改めて気付かされたということ。そういう錯覚に陥った感覚のまま、このような多層的な破壊音を感じたとき、そのギャップがある意味、一種の清涼感のような存在として昨夜、私は受け止めてしまっていたのである。

 しばらくして救急車がやってきたが、今でも腑に落ちないのが「スリップ音」から「接触音」までの約一秒ほどの間にナニがあったのか?ということ。自宅の周りは相当の高低差があり、少なくとも近所に3ヶ所ものS字カーブがあるのだけれど、さては宙を飛んだか!?

 真相は当分わからないだろうと思うのだが・・・。

台風一過

2004年09月08日 23時08分27秒 | 自然
 恐ろしく大きな被害を出した台風は、ようやく温帯低気圧になったそうだ。勤め先が港町のはずれにあるのだけれども、海水が排水溝から逆流して町にあふれ出し、事務所のすぐ近所まで浸水していたのには驚いた。おかげで国道は通行封鎖され、その迂回路として事務所前の道路は大渋滞。おまけに緊急車両がひっきりなしに不安な音色を発しながら、そこかしこと走り回っているそんな夜であった。

 事務所の入居しているビルを出て、少しだけ浸水現場に立ち寄ってみたが、ものすごい暴風で通行封鎖された交差点の向こうの路面は絶えず大きな波紋が立っていた。大気中の塩分濃度はかなり高く、少し歩いただけで口の周りが塩辛くなる始末。

 風に煽られて転倒の危機も感じたのはこのときが始めてで、まっすぐ帰宅の途に向わずに寄り道しているので、ここで大事を起こしたら、『台風シーズンにバカンスに出てて帰って来られないくらい』恥ずかしいので、咄嗟に身を屈める。その刹那、脳裏にこんなアナウンスが駆け抜けていく

「帰宅途中の会社員が風に煽られて転倒、胸部骨折の重傷、これで台風によるケガ人は○人になりました」

 とにかくこんなに文明が進化しているのにも関わらず、人は「ただ渦を巻いて流れてくる雲」に対して無力なのですね。大雨や台風が来ると楽しくて仕方がなかった少年の時期に、ある教諭から事業中にこんな言葉を聴かされたことがあった。

「ニンゲンは風が吹いただけでも、雨が降っただけでも命を落とすことがある」

 だから、どうなんだということでもないのだけれど、それが現実なのだなあとこの季節になると、ついついそんな言葉を思い出したりする今日この頃。