まっしゅ★たわごと

街歩き、建築、音楽、フランス、それに写真の話題を少々

【池袋】オーケストラ・ダスビダーニャ 第23回定期演奏会 in 東京芸術劇場

2016年01月31日 21時30分39秒 | 東京


ショスタコーヴィチの交響曲第5番を『革命』と呼ぶ人がショスタコ好きを自称するならば、それはモグリ以外の何物でもないと思う。そしてショスタコ好きならば、みなそう思っているに違いない。

ショスタコーヴィチ好きによるショスタコーヴィチ好きのためのショスタコーヴィチ演奏会はどこの演奏会かと聞かれてオーケストラ・ダスビダーニャと答えられないことも、またモグリではないかと疑ってしまう。

そして今回、オーケストラ・ダスビダーニャに巧妙に張り巡らされた罠にまんまとハマった私。ショスタコ好きであるから余計にそう思うのではないかとも思っている。



まずは公式ホームページ。ここには「《革命》と呼ばないで」とある。そして、冒頭の写真のように会場で手渡されるパンフレットにも「《革命》と呼ばないで」とある。しかもパンフレットはあたかもショスタコーヴィチがそう言っているかのように演出が施されている。

私が学生の頃は(もう20年経つのか・・・遠い目)まだ、ヴォルコフ氏による「ショスタコーヴィチの証言」という書籍に対する扱いが曖昧で、その内容を真とするか偽とするかで揺れていたころだと思う。。。が、『近年は研究が進み、今世紀に入り新たな説が登場した』とパンフレットの曲目解説は語りだすのである。

詳しい内容は割愛するが、何でもビゼーのカルメンのモチーフを引用し、自身の経験に基づく男女の間の心境を反映させているのだとか。そして終楽章のコーダに現れる金管楽器と弦楽器、そしてティンパニーで連打されるAの音はすなわち「ラーラーラー・・・」とかつての愛人の名前「リャーリャ」を呼び続けているのだと結論付けている。それはまた、終楽章のテンポ記号問題にも周到に結び付けられていて、これまで論争となっていた「♩=188」説と「♩=138」説に加え、ショスタコーヴィチからムラヴィンスキーに献呈された筆写譜には「♩=88」と指定されていて、これはもしかしたら故意に書き間違えたのではないかというもの。

曲目紹介は観客にクイズを出している。【問:「カ○メ○」---2つの○に一文字ずつ入れてショスタコーヴィチの交響曲第5番に関する言葉をまとめよ】答えは掲載されていなかったが、その答えは演奏内容にあったのである。

この新しい説を念頭に入れてこのシンフォニーを聴くと、もうそういう風にしか聞こえないし、はたまた、最後の「強制された歓喜」ということになっていたアノ部分の進行速度はやたらに遅く、もうこうなったら「リャーリャ!」「リャーリャ!」「リャーリャ!」って叫んでいるようにしか聞こえないし・・・いろいろな意味で濃いい演奏やった。

アンケートの中で「今回の演奏会について五・七・五・七・七で表してください」という問いがあったので、私はこう書いてみた。『カクメイか? シャレにならない カルメンか? そこ問題よ ショスタコさん!』

それともう一つ、これもさすが、ダスビ!!と思ったのが、終楽章のコーダに向かっていく途中、284小節のヴァイオリンとヴィオラの音型が何とムラヴィンスキー版の音型であったこと。地味な改変だけどこだわりがあるね、素敵だよダ・ス・ビ!!・・・いやいや、もしかしてこの部分をムラヴィンスキー音型とすることで、『その昔、ショスタコーヴィチからムラヴィンスキーに献呈された筆写譜版に基づいた演奏である設定』ということを暗に主張しているのかもしれない。。。ということに、今気が付いた。

いや奥深い演奏やった。今回の演奏は、私が今まで聴いた幾多のショス5の演奏を完膚までに無きモノにしたと言っても過言ではない。

ちなみに第一部のアンコールは


チェロ協奏曲初演の年にニューヨークで演奏されていた曲だとか。とても同じ時代の曲とは思えん。しかしながら、このアンコールを演奏する演奏者の目が死んでいるように見えたのは気のせいか?彼らのショスタコを演奏するときのあのキラキラした感じはどこにもなかったように感じた。



第二部のアンコールは2曲あって、2曲目のレスギンカは・・・こんな高速回転超絶爆走モードのレスギンカは初めて聴いた。いや、ほんとはっちゃけ過ぎですってば!!

【中野】思い立ったが吉日!そうだ!中野ブロードウェイ探検に行こう!!《後編》

2016年01月31日 00時08分56秒 | 東京


中野に行くならこの店!!と言っても過言ではないと思っている店の一つに行ってきた。その名も丸子亭。「丸子」と書いて「まりこ」と読むが、パソコンで「まりこ」から変換しても「丸子」はちゃんと出てくる。



静岡県産の自然薯を使ったとろろ汁が自慢の名物店だとか。その昔、アド街ック天国の中野特集で丸子亭が紹介されたときに、峰竜太がいたく懐かしんでいたことが今でも鮮烈な記憶として残っている。いったい何のために中野ブロードウェイに来たのか?もしくはブロードウェイの居住区に住んでいたのでは?などと思ったものである。



当初は「丸子」を頼むつもりでいたが、釜揚げしらすと、静岡名物という黒はんぺんというのが気になり、上位メニューの三保にしてみた・・・のだが、はて?出てきた料理を見て、もじもじしていた私に、カウンター越しに満面の笑みで「さぁ、お召し上がりください」と。

なにぶん初めてのお店なので勝手がわからず、お櫃からお茶碗に麦ごはんを取り分けた後に、勇気を振り絞って聞いてみた。「あのー、このメニューにはとろろ汁は付かないのですか」と。



どうやら、出すの忘れていたみたい。しかも急いで持ってきたそのおばちゃんの親指、しっかりととろろ汁に漬かっていたし、いや、いいんだけどね。。。



でもって「ささぁ、写真取り直して、取り直した写真を使ってくださいね」って再三言われたけれども、こんな中途半端な写真だけだと今一つ感しかないし、ブログネタとしてはここをカットするのはちょっとねぇ、、、ということで、使うとも使わないとも言わずに美味しかったとだけ言ってお店を出た。

まあ、そんなこともあったけど、味は確か。サービスも確か。おっちゃんもおばちゃんもすごく愛想がいいし親切だし感じがいい。だてに何十年も同じ場所でお店を切り盛りしているわけではないのだと、やっぱりまた今度ここに食べに行きたくなったよ。



地上階を堪能したあとは、地階へ足を運ぶ。地階の半分は西友と生鮮食品などの食料品屋さん。もう半分は衣料品・日用品を中心とした各種店舗。だけれども、メイン通りを一歩裏手に入るとやはり空きスペースがあって、地上階は各店舗ごとにシャッターが付いているが、地階の一部スペースはシャッターがなく、このようにスペースだけが歯抜けになっている。



贅沢なATMスペース。



界隈ではおそらく時代の最先端を言っている3Dプリンター屋のすぐ近くには50年位前から商いを続けていそうな寂れたラーメン屋さんがあったりとか、前編にも少しだけ書いたけど全体の印象としては大阪駅前ビルの地下街を賑やかにしたような印象を受ける。



ちなみに北側入口はこんな感じになっていて、各階への誘導が昭和的でチープさが半端でない。



これだけの商業施設で今どき階段で2階に誘導する建物は希少なのではないかと思う。



そして、築50年という年月を考えた時に、そう長くない将来に建替えなんて話も出てくるのではないだろうかと思っている。それはきっと、中野サンプラザと中野区役所を含んだ駅前再開発事業が完成するころまでに何がしかの決着をつけているのではないかと勝手に思っている。



1階から2階渡り廊下を望む。



とは言いながらも、これだけの人が日々往来し、多くの店舗が入居し、しかも居住区もまだまだ現役で人が住んでいて、しかも高級住宅の部類に君臨しているというのだから、



案外、次の50年までも存続してしまったりするのかなとも思ってみたり。その行方やいかに。
おしまい。