西宮の大谷美術館に「パラモデルの世界はプラモデル」展に行ってきた。以前好ちゃんがブログに紹介していたけど、気が付いたら8/1までで終わりということで急遽行くことになった。同展を紹介するチラシには、部屋中にプラレールが敷き詰められる光景が載っているので、そんな作風を期待して行ってみると、のっけがら度肝を抜かれた。まず、チケットを購入し、本来なら庭を楽しむためのサロンみたいなところ(おそらく通常はベンチソファーが置かれていて、ゆっくりと庭や池を静かに観賞する空間)の床のタイルカーペットが剥がされ、奇妙なものたちが整然と置かれていたのである。
穴が三つあれば、それは顔に見えるように、どうやら彼ら(パラモデル)には物体があれば、それに車輪を付けたくなる強迫観が存在しているようである。彼らのここに置かれている作品たちには皆車輪が付いていた。もちろん後付けの車輪でそれは観念的な車輪なのだ。別に車軸が存在していなくても、取ってつけたようなものでも、写真の上からグルグルっと描いただけのものでもいいのである。ただ、車輪があれば全ては彼らの手中に納まるのである。
ほら、こんなところにも・・・
そして、迎えたのがプラレールの部屋!!会場には作家が常駐し今でも刻々と作品を増殖させていっているのである。
作りかけなものだから、会場の片隅にはまだ配置をされぬままの線路がたくさん転がっている。プラレールと言えば、私の幼少の頃の日常の遊び道具で、今となってはものすごく懐かしい素材である。相当なものが相当な形でデフォルメされているにも関わらず、とてもシンプルで愛らしい玩具だと私は思うのである。特に複雑な機構であるポイント(分岐)部分をあの黄色いクチバシでのみ表現し得ているのは、個人的にはなかなかポイントが高いような気がする。私の特にお気に入りはオレンジ色の車庫と赤い終点とクロッシングポイント(十字型分岐)である。
庶民暮らしをしていると、なかなかこうやって大胆に十字ポイント使いができず、きっと何度となくこういう風景を夢想したことであろうかと、今になって思う。こういう風景が百貨店の売り場でないところ(特に絨毯の上)で再現されているところが妙にツボだったりもするのだ。いやあ、ホントに萌えるねぇ~
真上から撮ると、まるでゼビウスみたいだし、
鳥瞰風に撮ると、70年代の(メタボリズムが流行った頃の)建築模型やウルトラの国のようにも見える・・・
ところで、このパラモデルというユニットはどんな作風なのかなあというと、常に増殖あるいは建設中であるところに一つの力点を置いているように見える。展覧会の会期中ずっと作製し続けるという行為は客寄せのためのただのパフォーマンスではなく、むしろ彼らの世界観の一部であるのだなあと思う。それはプラレールだけではなく、パイプ(配管設備)を繋いで構築している部屋しかり、木の板に描かれた絵画(木目自体も作風の大事な構成要素の一部であったりもする)も何かの建設途上だったりもするし、クレーンをモチーフにした作品も数多くあり、ホントに面白いアートだなあと思う。
まるで同じ素材を繰り返し繰り返し使っているだけのように見えるが場当たり的に繋いでいるわけではなく、彼らの中にちゃんと設計図があり、その設計図を基に壁や天井をグリッド割して繋いで行っているのであるところにも建築的な要素を感じるし、そこから常に新しいものを模索しつつ前進しているようにも見えて、何だかとても心地良く共鳴できる部分が多いなあと思った。
ちなみに、大谷美術館の庭は入場料無料の庭園で誰でも出入りができるようになっているが、いろいろなところに彼らの遊び心が詰まっている。ちょろっと顔を出すプラレール・・・しかもそれだけではない!
樹木の縁石にプラスチックの植木鉢を4つ横倒しに配置していたりする。普通はここまで思いつかないよなあ!遊び心で満ち溢れているよなあとただただ感心するばかりである。
更に、外壁の装飾柱に、ちょこんと捨て置かれたような意味不明のカプセル・・・実はこれ、
写真では見えにくいけれども、手前と奥の装飾柱に設置されているのだから面白い。
いやあ、見に行って本当に良かったと思う。1971年と1976年生まれの東大阪市出身の2人組、きっとそこのところの近さも共感できる要素の一部になっているのかもしれないが、現代アートでなかなかここまで共感できるものって少ないと思う。でも、これは腹の底から楽しめるし、わくわくするよ。他にもここでは紹介しきれないほど色々なことをやっているので、興味のある人は一度「パラモデル」で検索して頂きたい。