しばらく前から気になっていた本だった。先日の休みの日に買って、次の日から読み出した。
第一部:清二
第二部:民雄
第三部:和也
親子三代にわたる警察大河小説である。貧しくも幸せな駐在所暮らしが、清二の突然の死によって狂い始める。それは、親から子へ、子から親へ、と引き継がれていく。運命なのか?宿命なのか?それが「警官の血」なのか?
ページを進めるうちに、その世界観に引き込まれ、続きを読まずには居られない。朝食後出勤前のわずかな時間を、往復の通勤電車での時間を、夕食後就寝までのその時間を、フルサイズで読み続けたのである。著者・佐々木譲氏の乾いた行間に時には戦慄を覚え、また時には甘く幸せな時間を感じた。ここまでして、読まずに居られない衝動に駆られたのは、もう本当に久しぶりのことである。清二の死の真相が、民雄の死の真相が、知りたくて知りたくてたまらなくなってくるのである。
ここから先は、若干のネタバレがあるかも知れないので、「読もう!」と思っている人は見ない方がいいかもね。
第一部で描かれる戦後の混乱期の泥臭い描写に父の生きた時代を想い、第二部で描かれる高度経済成長期末期の胡散臭い描写に幼少の私が見たセピア色の昭和を想い、そして第三部で描かれる平成の空虚な時代に現在の自身の居る都市社会を想う。移り変わる時代を通じて、人研ぎの台所からステンレスのキッチンへ、公衆電話から携帯電話へと語られる対象物も変わっていく、何よりも、清二の妻・民雄の恋人(後の妻)・和也の恋人の描き分けがとても興味深い。その時代その時代に本当にいたかもしれない絶妙な「開放性」を含んで描き分けられているのである。
そして、物語を一層リアルに近づける手法として、実際にあった事件に主人公が関わっているという設定で書かれているということである。私が判別できたのは「大菩薩峠」のくだりからだ。このあたりは、我々の親の世代は懐かしく読めるのではないかと思った。更に舞台が平成に移ると某宗教団体に関わる事件や、まだ記憶に新しいライブドア社長の逮捕の話があったりする。もちろん実名や団体名こそ語られてはいないが、そうとしか想像できないような書き方がされていてとても興味深い。まるで、我々のいる現実社会に安城たちが溶け込んでいるかの様でもあるのだ。
そもそも、タイトルである『警官の血』とは何を例えているのであろうか?
と読後に思った。読み始める前は「親子三代」というところで、当然にして『受け継がれしモノ』としての暗喩であり、それはつまり『繰り返されし宿命』のことなのかもしれないと想っていた。現に、三代目安城である和也を特務に抜擢する人事二課長の及川に作者は「血だ。きみには、いい警察官の血が流れている」と言わせている。
しかし、本当にそれだけなのであろうか?私にはこの『警官の血』というタイトルには多義的なニュアンスが盛り込まれているのではないかと思うようになった。それは『血の濃度』である。濃さの度合いである。血縁関係として重ねられる濃さの他に、時代を経て対社会との関係性として変質して行く警察組織という生き物の血の濃度、そして、それと交じり合うかのように描かれる安城親子の「血」の行方と・・・そういった類のモノを描いてはいやしないだろうか?果たして、薄まったのか?それとも汚れたのか?はたまた濃くなったのか?おそらく、早瀬勇三・勇作親子を巻き込んだ最後の駆け引きの場面で巧妙に描かれているのではないかと思った。
警官の血 上巻
警官の血 下巻
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