まっしゅ★たわごと

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「大審問官スターリン」という書籍

2006年07月18日 23時44分05秒 | おすすめ
書店に並んでいる幾多の書籍に紛れて「大審問官スターリン」という背表紙のタイトルを見た瞬間、私は心なしかトキめいた。「このタイトルのこの単語の組み合わせは出来過ぎている」そう直感的に思ったのは私だけではないはずである。

大審問官」はロシアの文豪ドストエフスキーの書いた「カラマーゾフの兄弟」に出てくる劇中劇の主人公をまず想起するし、そこにまたソビエト社会主義共和国連邦の圧制者スターリンの名がくれば、「その道」の人はビビっと来るはずである。

ココで言う「その道」の人とは、別に政治思想的に偏りの有る方のことではなく創作の代名詞でもある「大審問官」という言葉と、社会主義レアリズムの代名詞「スターリン」という固有名詞の組み合わせの妙がわかる方のことである。そして、手にとってその本の帯を見た瞬間、私の直感が正しかったということがすぐにわかった。

『芸術とは、権力とは何か?神は存在するのか、しないのか?
 ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、パステルナーク、
 ゾーシチェンコ、ドヴジェンコら、世界的な芸術家、作家たちと
 歴代の秘密警察長官を巻き込み、スターリン支配下に現出した
 恐るべきテロルの実態をえぐる迫真のドキュメント!』

これまで様々な音楽関連書を読み漁り、そのときショスタコーヴィチはいかなる状況で二枚舌を用い、いかにして交響曲第五番を創作し、いかにして粛清を免れてきたかを知ろうとしたのであるが、これまでのどんな専門書にも書かれていなかった恐るべき真実が語られているのである。

スターリンという生き方に巻き込まれていく幾多の芸術家の姿が浮き彫りにされていく。音楽好きとしての聴き手や演奏者という立場からでは決して読み取る事の出来ない恐るべき時代の大テロルの実態と、それに至るスターリンのパラノイアに対する分析、そして粛清された芸術家たちはどこで何を間違えて消されて行ったのか?スターリンは彼等の描いた「どの言葉に?」「どの音に?」そして「どの思想に?」ダメ出しを下したのか??

戦後間も無い有る時期にスターリンはこう言ったという。
「1人の人間が死ぬときは悲劇だが、何万人の人間が死ぬときは統計だ」恐ろしい言葉であるが、それは悲しいかな事実でもある。

当時「プラウダ紙」の批判にさらされるということが一体どういうことであったのか?彼等は一体誰の為に作品を作り続けたのか?それでも何故作り続けたのか?本書を読み終えた昨夜、その答えの一端を垣間見たような気がした。