「『82歳の講師』が教壇に立つ深刻すぎる教員不足、教員の自己犠牲で成り立つ公立学校は崩壊寸前」というタイトルの東洋経済オンラインの記事がネットに出ていた。衝撃的なタイトルではあるが、誇張がすぎるわけではない。私もここで何度か書いてきたが、教育現場はもはや崩壊しつつあるのだ。学校によってはすでに崩壊していると言ってもいい。教員不足は喫緊の問題となっている。
政治家の教育に対する無理解の根本は、教育に対する過信である。「教師が不足するという事態が起こるはずがない。教師はやりがいのある安定した職業であり、教師になった人間はいくらでも無休で残業する。休日出勤だって苦と思わない。」 政治家たちはそう思い込んでいた。だからいくら教員が騒いでも小手先の改革をしてアリバイ作りをしながらごまかしてきた。教育界の多忙化は一向に解決せず、むしろひどくなっているのだ。
繰り返し申し上げるが、教員はもはや疲弊している。やめたくてしかたがない人間がたくさんいる。そういう状況を改善するには、教育予算の大幅な増額しかない。これは給料をあげろと言うのではない。事務職員や部活動指導員などの職員数を増やし、教職員の仕事を授業に専念させるということだ。小手先の改革でどうにかなると思っていては手遅れになる。いや、すでに手遅れだ。
教育改革はすぐに結果があらわれるものではない。将来を見据えての改革である。最近の政治は目の前のことしか見えていない。だから教育はつねに後回しにされてきた。その政治の在り方を変えていかないと本当におかしくなってしまう。この国には本当の意味での「骨太の方針」がないのだ。