とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

高校国語改革

2016-02-20 13:35:07 | 国語
 高校国語の科目改定案が文部科学省から提出された。現在、必修科目である「国語総合」がなくなり「現代の国語」「言語文化」というふたつの必修科目になるという。また現在は選択科目として「国語表現」「現代文」「古典」などの科目があるが、新たに「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」という科目になるという。ただし、科目名はまだ仮称だということだ。かなり大きな改定である。

〔現在の国語教育の問題点〕
 改定の意図は明らかである。現在の高校の国語教育にいくつかの大きな問題点があるからである。私が感じる3つだけあげておく。

〔1.評論がむずかしすぎる〕
 1つ目の問題は、現代文の評論が非常に難解なものが多く、授業がその内容の解説に終始してしまうということである。評論の内容が現代思想といってもいいものまであり、とてもではないが高校生のレベルを超えている。なぜこのようなものばかりになったのか。センター試験にその原因がある。マーク式ではその問題文の内容が難解なものにしないと平均点が上がりすぎる。平均点があがりすぎると入学試験としての意味がない。だから問題文がどんどん難解なものになっていった。それに伴い教科書の内容も難しくなっていったのである。生徒は内容理解で精一杯となり、真の読解力がつくわけではい。さらに自分で自分の意見を書く能力にも直結しなくなっている。これはもはや「国語」ではない。

〔2.小説は100年前のものばかり〕
 2つ目の問題は、現代文の小説教材が「羅生門」「山月記」「こころ」などの定番が依然として残っている。それらの一時代前の作品だけが授業で取り上げられ、現代の小説がほとんど取り上げられないということである。これは国語教師の怠慢のせいである。新たな教材よりも定番のほうが教材研究の必要がなく楽だからなのだ。教科書会社もせっかく新たな教材を開発しても、教師に受けがよくないので教科書改訂の際に外してしまう。定番さえ入れておけばいい、という教科書が多くなり、新たな小説教材を開発する努力も乏しくなってしまったような気がする。これでは生徒は本を読む楽しみを感じられなくなる。

〔3.漢文訓読って必要なの?〕
 3つ目の問題は「漢文」にある。「漢文」は日本の古典の重要な部分を占めており、思想的にも大切なものであり、しっかりと学ぶべきものである。しかし、返り点とか句形とかはそんなに大切なものではない。それなのにそれを説明するだけでかなりの時間が必要になり、その時点で生徒もいやになってしまう。漢文の訓読の仕方は現代において特に重要なものではない。それに時間をかけざるをえないのは、やはりセンター試験のせいであろう。今のままでは逆に漢文の良さがわからなくなってしまう。
 
〔改革のためのハードル〕
 以上のように現状の高校国語教育は問題点が大きく、改革しなければいけないのは明らかだ。しかし、その改革はうまくいくのかというと大きなハードルが待ち受けている。2点あげる。

〔大学入試は変化するのか〕
 センター試験が廃止になり、新テストになるということである。おそらく今回の国語改革もその大学入試改革と一体のものであろうと考える。しかし、その新テストがうまくいくのか心配である。先日新テストの問題例が公開された。この一部の問題で評価することはできないが、何を国語力ととらえているのかよくわからない内容のものであった。しかも、その採点はどうするのだろうか。客観性の保持は困難であろう。さまざまな批判にさらされながら維持することは可能なのであろうか。結局は妥協に妥協を重ねてとてもいい加減な問題になってしまうのではないかと危惧する。

〔国語科教員は変化するのか〕
 国語教員はこれまでどのような改革をしてきてもほとんど変化してこなかった。またこのような改革をしても国語教師は変化しないのではないかと思うのである。教師が変化しないのはもちろん教師の怠慢である。しかし、一方ではどの教師も自分が受けた教育の真似をすることからスタートするのだから、大きく変化できないのも当たり前のことなのである。だから理念は理解できてもそれに対応できないという状況は容易に想像できる。

〔改革のために〕
 現在、高校の国語教師はやる気を失っている。英語や社会科、あるいは理系の科目は改革が進み、改革の努力をやってきている。しかし国語は改革の波には取り残されており、一方では小論文指導、作文指導に借りだされ、試験の時は人一倍作成にも採点にも時間がかかり、多忙な中にいる。自分の存在意義を見失っている状況なのである。
 改革のためには国語教育の改革の重要性を広く世間に認めてもらい、大きなムーブメントを起す必要がある。政治家やマスコミの人々がもっと国語教育の応援をしてほしい。そして、国語教師を一時的にでも増加させ、みんなで研修できるようにしてほしい。国語教師は基本的には真面目な努力家がほとんどである。そういう状況にさえなればみんなが競うように努力しはじめるはずである。
 ことばは人間社会の基本的で最も重要な存在である。その教育は国にとって最も重要なものである。ぜひこの改革を成功させたい。
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