本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説065 : reProfesional#137

2008-11-25 23:53:45 | reProfesional
chapter#65 プライドと自己と他者と

言論の自由は保障されていたほうがいいし、自分のいう事にいちいち寄ってたかって批判をされたのでは、やるきをなくしてしまう。
でも、別に、ボク等は、やる気をなくすということを優先するために生きているわけでもないし、相手から、不幸にされるために生きているわけでもない、もっというと、相手を不幸にするために生きているわけでもない。

ここが難しいところで、自分を不幸にされるには、きわめて心外な気持ちを抱く多くの人も、相手を不幸にすることは、いとも簡単に、むしろ協力的に、行ってしまう。共他存在などという崇高な議論をする前段階として、ここに生じるプライドと自己、もしくは、自己のプライドと、他者ということの関係性をよく眺めておかないと、けっして有意義な議論の展開は出来ないのであろう。
プライドばかりの高慢な勃起した性器のような人間にまったく魅力を感じないのと同じく、プライドのかけらもない、こんにゃくのような人間にも、およそ魅力というものを感じることもまれであろう。

いいかえるなら、さきほどのitという議論とそのまま対置できることではあるが、itとは、いわば、プライドのことで、一人の人間と、一人の他者が触れ合う空間というのは、多かれ少なかれ、闘争的な要素を含んでおり、プライドとプライドをそれとなく、闘争的にならないような形で通常は、かわすというのが、コミュニケーションの原型ではないかと思う。
そのプライドをかけて相手が、投げかけているコトバに対して、ほうっとおいて、議論を無視したり、そのitを発展させないで置いたりすると、受け取る側からすると、いささか迷惑で押し付けがましく感じたりするようなことでも、発した側からすると、大きく損傷を伴うこととなる。

言論の自由は、保障されているのであろうし、保障されているべきだと思うが、闘争の自由などというやっかいなことは、むしろ制限されているだろうし、されているべきだと思う。コミュニケーションという原型に闘争的それがあるならこそ、丁寧に、私たちは自己開示を行えるようにならなければならない。
自己開平とでもいったほうが、語感はちかいかもしれない。
相手から、こちらにゆるやかに、もしくは激しく投げかけられるitとはどういうものなのか、それを見極めるために、自分のプライドの一種の形態として、それを平らなフラットな多くのものを受け入れやすい状態にしておくべきであろうと思う。

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