まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

友愛は社会主義的政策でいいんだ!

2009-09-30 | 発言
亀井大臣は「困っている中小企業や住宅ローンの個人の借金返済猶予」に熱意を燃やしている。それに対してテレビ報道や新聞は批判的だ。昨日も書いたが新聞やテレビは時代を先取りする仕事でありながら、実は時代に鈍感で古い体質を持っている。大きなうねりの先を敏感に先取りすることなく、「以前はこうだった」と新しいことに否定的になる。世界が市場自由主義に走り過ぎ、リーマンショック以後の世界不況も、原因は金融工学に基づいた金で金を産もうとする様々な「金融商品」の開発にある。本来、金が金を産むということはないのである。あくまで金は労働の対価であり、価値の対価である。それが資本主義の先走りで、証券や銀行など金融企業にいいように走られて金融証券化のバブルを生み、それが弾けて世界不況を招いてしまった。世界にはそういう反省があり、何らかの規制を掛ける機運になっている。社会主義的に法的規制を行い、野放図な自由経済にブレーキをかけようというわけだ。日本においても、自民党政権は金融システムの崩壊につながると銀行に公的資金を12兆円も費やし銀行を助けたが、逆に世界不況で中小企業や個人は青色吐息である。そこに社会主義的借金返済猶予の法的整備を行い、今度は銀行に反省を促しセーブを掛けることは必要なことである。世界の趨勢として、行過ぎた自由経済に歯止めをかけ、所得の低い人々が暮らしやすくする必要のある時代に変わったのである。その認識がマスコミにはなく、相変わらず自由経済だから法的規制はおかしいといった古臭い視点である。友愛は野放図な市場第一主義ではなく、社会主義的でいいのである。それによって弱きを助けることこそ友愛精神である。世の中は変わったのであり、マスコミは頭の切り替えをしなければならない。


未だ変わらぬマスコミの自民党政権体質!

2009-09-29 | 発言
テレビ・新聞などの大手マスミは本来常に新しいニュースを追っかける、先取り精神を生命線とする。それだけに時代に敏感でなければならない。ところが世の中「革命」が興り、民主党政権に代わったというのに、マスコミの連中は、ぜんぜん頭の切り替えがなされていないようだ。例えばテレビでは相変わらず小泉自民党政権の権化である「塩ジイ」をコメンテイターとして使って、民主党内閣の動向にトンチンカンな発言をさせているし、自民党総裁選挙で谷垣新総裁になると、絵になるからと、一年生議員の小泉進次郎にコメントを求めて「世代交代を求めていました」などと生意気な発言を取り上げている。また鳩山首相の温室ガス25%削減宣言でも、小池元環境相に意見を求め「25%は不可能です」と言わしめている。小池が環境相時代に出来なかったことが「出来る」とでもコメントするとでも思ったのだろうか。始めから「出来ない」というコメントを貰いに行ったのである。このようにテレビ記者の取材先がちっとも自民党政権時代と変わらず、マスコミ自体の保守体質が浮き彫りになって実に見苦しい。今日の朝日新聞の社説では借金返済猶予に関して「亀井大臣に再考を求める」と銀行を弁護する内容になっている。亀井大臣は「銀行が金融危機で公的資金を導入して助けてやったのに、今度は借り手の中小企業や個人を助けることだ」という論法で借金返済猶予を打ち出したわけだが、社説では「銀行側にも至らぬ面はあるだろう。だがそれを正すには手段や手順を総合的に検討することが大事だ」と、なにやら役人のような文章で銀行を弁護し、「亀井氏にはもっと取り組むべきことがあるはずだ」と結んでいる。この急場に困っていることを考えれば、中小企業や個人貸し出し猶予については、その間利子さえ払うようにすれば、不良債権として焦げ付きにはならないはずであり、数年間で立ち直れるチャンスにもなり、私は支持している。しかし自民党政権時代のように相変わらず自由経済一点張りで朝日新聞は銀行の肩を持っている。国民の一票によって政権が代わっても、このようにマスコミの体質は実に時代に鈍感で、今だ旧態依然としている。先駆けのマスコミはもっと時代に敏感でなければならない。


中田宏前横浜市長の政治生命は終わった!

2009-09-28 | 発言
中田宏前横浜市長の辞任はあまりにも突然だった。本人は、「市長としてやることはやったから、どうせ辞めるなら今辞めたほうが、市長選を衆議院選挙と同一日に出来るので効率的だ」、当時任期を残しての突然の辞任理由をそのように言っていた。それでもなんだかオカシイ時期の辞任だなあと思っていた。ところが今日横浜開国博が閉幕して、予想入場者500万人を遥かに下回る120万人、そのうち50万人は関係者に配った無料招待券や学校の生徒であり、横浜開国博は大失敗であり、税金を80億円つぎ込んだほかに、さらに30億円以上血税て埋め合わせしなければならない状況だと発覚した。中田前市長はテレビに出て、「私が今までムダを無くして貯めてきたお金だ」と、横浜開国博の無駄遣いをヘンな肯定の仕方をし、また財団が運営をして自分が運営したわけではないと弁明していたが、まったく見苦しい責任逃れであった。当時突然市長を辞めた理由は、どう考えても横浜開国博の大失敗が事前に判っていての逃亡のようだ。「自分の責任だ」と言えばまた救いもあるが、「財団がやったこと」と開き直られては、全く救いようがない。まして「ムダを無くして貯めた金をどう使おうと俺の勝手」という論法は傲慢のなにものでもない。彼は秋に国政を目指して新党を結成すると言っていたが、卑劣な責任逃れによって、もう政治生命は終わったも同然だ。大阪の橋下知事と一緒に地方分権をPRし、国民の人気を得ていたが、完全に化けの皮が剥がれたようだ。

「歌を忘れたカナリヤは裏のお山に捨てましょかー」

2009-09-27 | 随筆
一日、府中の東京競馬場で、博打をやった。惨敗だった。家に帰って、風呂の湯船に浸かりながら、煙草を吸った。若い頃、ゴダール監督の映画「気狂いピエロ」でジャンポールベルモンドが湯船で葉巻を吸いながら、子供に詩を読んで聞かせるシーンが印象的だった。この映画は物質文明の世の中に「絶望」と言いながら、最期は体中にダイナマイトを巻いて自爆するところで終わる。俺の名画ベストスリーに入る傑作だ。ところでこの主人公のように湯船で煙草を吸うと実に贅沢な気分になる。俺はいつも湯船に浸かって煙草を吸いながらバカな一日を忘れるようにしている。「自分に勝ち、味方に勝ち、敵に勝つ。人生は闘いじゃ、闘え、闘え」、そう以前勤めていた雑誌社の社長は言っていた。男はやはり外に出て闘ってこそ、生きがいがある。しかし、仕事を辞めてしまった俺には闘うものがない。外に向かって闘わないから、自分に勝つという克己心もない。心も服装もだらけっぱなしである。せいぜい、闘う世界はギャンブルだけで、パチンコの台と闘って負けて、女房の生活費の封筒から金を盗んで怒られる始末だ。「歌を忘れたカナリヤは裏のお山に捨てましょかー」、いえいえそれは可哀想、とは、誰も言ってくれない。すべては俺が悪いのだ。


どうする、日本航空!

2009-09-26 | 発言
このままでは日本航空は倒産する。それを阻止するために西松遙社長は民主党新政権に対して1000億円の資金援助を要求している。潰すべきか、救うべきか、難しい問題である。日本航空は1953年、日本航空法に基づいて政府系の特殊法人として設立され、その後、国際線・国内線の日本航空、国内線の全日空、国内ローカル線の日本エアシステム(前・東亜国内航空)の三社体制となり、その後の民営化で、日本航空はエアシステムを吸収合併し、全日空も国際線を持つようになり、二社体制となった。ところがリーマンショックによる不況と豚インフルエンザの影響で利用客が減り、今10月期の決算予想では日本航空が1390億円の赤字、全日空が400億円の赤字となっている。全日空はその後回復基調になりそうだが、日航は資金調達に滞りが出ている。日航はもともと政府系ということもあって労働組合が異常に強く、年金や賃金、そのほか経営上高コストの体質的な問題があり、リーマンショック以前から赤字が続いている。その赤字体質の一つに次のようなものもある。例えば長い自民党政権時代、議員たちはそれぞれ田舎の地元に飛行場を造った。全国で40ヶ所近くあり、一つ造るのに400億円の公共事業となり、また飛行場を造ることによって地域振興をもくろんだ。しかし当初から乗客数は少なく、すべて政府系の日航のみが赤字覚悟で今も運行を続けているありさまだ。ところで日航の労働組合は連合系で民主党を支持しており、前原国交相など民主党政権が果たしてどう対応するのかが注目される。倒産すれば国内航空会社は全日空一社となり、それでいいのかどうか。救うとなれば1000億円の血税を注入することになり、それだけの金を投入しても助かるかどうかも判らない。しかしそのことは、ムダを省くといった民主党の理念と反しないか。自由経済で滅びる企業は滅びるのが当然だ。まさに、さまざまな議論に分かれるところだ。前原国交相もおいそれ資金援助しましょうとも言えず、「再建案を再度持ってくるように」と留保し、日航対策チームも編成した。しかし資金ショートの期限が迫っており、果たしてどう決断するか、注目されるところだ。


民主党政権は国民が興した無血革命!

2009-09-25 | 発言
鳩山首相の気候変動サミットでのガス25%の削減宣言、核廃絶、そしてオバマ大統領との充実した会談、ロシアのメドベージェフ大統領とは北方領土を現世代で解決しようと一致、そのほか中国、韓国とも、友好かつ前向きな提案を行い、官僚に乗っかった自民党政権とは全く違い、内容の濃い外交を立派にこなしている。またその間国内でも各大臣が懸案事項を矢継ぎ早に対応している。八ッ場ダム問題や日航問題で前原国交大臣が、また築地市場移転問題では赤松農水相、年金問題、後期高齢者医療制度の廃止問題では長妻厚労相などが活発に動いている。やるべきことは国民と約束したマニフェストの実行と、スピードも速い。実に頼もしい内閣だ。政官財の癒着を断ち切り、ムダを無くし、弱者救済など国民生活第一のこれら政策を実行する民主党政権は、国民の一票で興した、いわば無血革命である。革命であるがゆえに、今まで自民党政権に恩恵を受けていた人たちは逆にどうしても泣くことになる。例えば八ッ場ダムの地域住民がそうだ。また亀井金融相の借金返済の延期措置によって、中小企業や住宅ローンで苦しんでいる個人は救済できるものの、銀行業界やサラ金は不良債権の増大を迫られることになる。経営危機に立っている日本航空にしても自民党政権ならすぐにOKを出すだろうが、民主党政権が1000億円もの税金を救済のためにつぎ込むかは疑問だ。さらに今後、公共事業の激減で苦境に立たされる建設・土木関連企業が数多く出てくるだろう。しかし、仕方の無いことである。これこそが国民の一票で勝ち取った無血革命なのだから。78%の内閣支持率を国民から得ているわけだから、さらに民主党政権は自信を持って、マニフェストの実現に向かって邁進してほしい。それこそが国民の代弁であり、無血革命で世の中が変わった証となるだろう。

映画「おくりびと」にみる生と死!

2009-09-24 | 発言
アカデミー外国作品賞を取った滝田洋二監督、本木雅弘主演の映画「おくりびと」がもうテレビで放送されて、観ることができた。読者の皆様も観られた方も多かったのではないかと思います。誰もが忌み嫌う「死」というものを送る立場で描いたこの作品はなかなかのものでした。本木演じる主人公が交響楽団の解散でチェロ奏者の仕事がなくなり、故郷の山形に帰り、「旅のお手伝い」という広告を見て、ひょんなことから納棺師になる。納棺師とは、遺体を清め、旅立ちの正装をほどこし、化粧をほどこし、納棺する仕事である。ひとびとはそれぞれの人生を生き、そしていずれそれぞれの死を迎える。人間にとって「死」は最大の恐怖であり、誰もが忌み嫌う。しかし、主人公の納棺師は次第に様々な死というものを受け入れ、優しい慈悲深い心で死体のお世話をするようになっていく。それは観る側も「死は終わりではなく一つの門であり、新たな旅立ちだ」という気持ちにさせてくれる。輪廻という日本仏教の考えはアメリカにはないから、死をこういう視点で考えるのはアメリカ人にとって新鮮にうつったかも知れない。しかし科学的に考えても、人間は細胞60兆個から成り立ち、さらに一つの細胞はミトコンドリアと核というバクテリアから成り立っている。それをさらに最小にしていくと所詮人間は原子の集合体である。原子に死はなく、死によって結合が離散し、また新たな結合で新たに生まれ変わるものである。勿論その後は、原子のあるものは空気になり、あるものは海になり、あるものは土になり、またアリンコになるかも知れない。とにかく現世に生を受け、人間として生き、そして死という新たな門をくぐって、また生まれ変わっていく。その死者に対して、誰もが現世の「おくりびと」であり、やがて自分も「おくられびと」になる時がやってくる。映画の合い間合い間に飛び立つ渡り鳥たち、本木のチェロの響きが、一層、死と生の物悲しさを際ださせていた。 

鳩山首相の国連発言に賛同!

2009-09-23 | 発言
地球温暖化の阻止に鳩山首相は国連で90年度比25%のガス削減を宣言した。いいことである。日本の大胆な決意を世界に示し、世界の地球環境に対する意識を変えていかないと、人類が住める地球は後200年も持たない。大気圏のオゾンの破壊によって取り返しのつかないことになる。紫外線の直射日光で世界的に人類は皮膚ガンに侵され、動植物の生態も大きく変わり、食糧危機や天災にみまわれるだろう。わかっていながら、今日の糧に奔走してガスを排出してしまう。しかし、欲望に打ち勝って人類が住めなくなるまでの自然破壊は絶対阻止しなければならない。ガス排出大国は中国とアメリカである。この二大国が意識を変えなければ人類は滅んでしまう。ところが、この二大国は欲望の盛んな国柄である。中国は国民全体が拝金主義に陥っているし、アメリカは自然を開発するというパイオニア精神で成長してきた国だから、もともとこの二大国は欲望が優先し、欲望をセーブするという意識がない。「足るを知る」という文化がないのである。そこで日本がリードし訴えかけていくことは大変いいことだ。核廃絶にしても、アメリカに遠慮せず、唯一の被爆国である日本が広島・長崎の悲惨な実態を世界に示し、核廃絶を訴えかけていくことが大切である。鳩山首相のリーダーシップに期待したい。

生き延びよ!

2009-09-22 | 随筆
今日はこれから畑仕事です。と言っても庭のアサガオの種を採り、庭の土を掘り起こし、雑草を抜いて整地して、また来春の開花を楽しみに菜種を撒く程度です。菜の花が大好きで、毎年種を収穫しては秋に撒き、また次の春を楽しみに待っています。木陰のスペースなんで、あまり陽が当たらず、立派には咲きません。小さいのになるとまるでスミレのようです。こんな陽の当たらないところに撒いて可哀想だなと思うけど、でも、先代から受け継いだいのちをまた開花させてくれます。アサガオも種を採って毎年開花させていますし、近所の人にもらった桜草も種を撒いて成長させ花を咲かせて二年になります。季節の流れに草花たちのいのちをつなげていって、生き延びよ、生き延びよっと水をやり、それに応えて開花してくれると、とってもうれしい気持ちになります。さあ、土の掘り起こしをやろうかな。結構重労働です(笑い)。

出会いと人の一生

2009-09-21 | 随筆
人に会うのに出不精のぼくだが、昨日は西国分寺のナリガサワさん宅にカミさんと訪れた。ナリガサワさんは今年84歳になられ、出版の大先輩でもある。ナリガサワさんから自著の小説集を送って戴いたので、そのお礼を兼ねて、先週山で採ったすだちをお持ちした。40年前、うちのカミさんがナリガサワさんの経営する「食品流通経済」という生鮮食料品仲買人向けの業界雑誌を発行する会社にお世話になっていたことがあり、その後カミさんがぼくのいる出版社に転職し、ぼくとカミさんは知り合ったわけだが、そんな縁で、ぼくとカミさんが結婚した時にも、ささやかな8人の披露宴にナリガサワさんは来てくださった。以来、四十年のお付き合いになる。ナリガサワさんは網走の出身で、出版社を経営する傍ら小説を書き続けておられたようだ。お子さんもなく、自分の分身のような今まで書いた小説と最近の一遍を後世に残しておきたいとこの度単行本にまとめられた。そのほか今まで「軍事原論」や「いのちの書」など評論集もまとめてこられてきた。雑誌を造る傍ら、小説、評論活動と、ある意味、ぼくと生き方が似ているところがあって、ぼくは「ナリガサワ先生」と読んでいる。ご自宅で安らいだ後、近くの「夢庵」に行って奥さんと四人で食事をした。「今日は若い元気をいただきました」。84歳のナリガサワさんはヨタヨタ生きている61歳のぼくの手をそう言って固く握ってくださいました。ナリガサワさんは血圧が高く、食事中、「たぶん、逝くとなれば、脳梗塞か脳溢血でしよう」と言っておられた。確かに男の84歳は、もう突然いつ逝ってもおかしくない年齢だ。こうして一期一会をあい交わす時は、今日が最期かもしれない。そんなことを言っていて、ぼくのほうが早いかも知れない。いずれにしてもぼくたちにはこの世の時間が少なくなっている。ひとの一生、ぼくの人生、一期一会、そして、生き物はすべて消滅する哀しいものだ。

ビジョン無き自民党は野垂れ死にする!

2009-09-20 | 発言
自民党総裁選に三人が名乗り出た。どんな顔ぶれかと思いきや、谷垣禎一、河野太郎、西村康稔の三人。おいおい自民党にはもうこんな人材しかいないのかいと思わせる顔ぶれである。河野氏は会見で森元総理が私の推薦人に「河野を出すな」と圧力をかけたといい、西村氏は世代交代ばかりを口にする。三人の討論会でも、これからの日本をどうするのかというビジョンが全く出てこない。出てくるのは派閥の権力闘争や世代交代・内輪の話ばかりで、相変わらず国民目線になっていない。最も政策が出てこないのは長い間政策はすべて官僚任せで、政策を考える能力すら無くなっているようだ。唯一三人が言うことは「大企業を儲けさせ、国民全体の所得をアップする」という政策だ。これだって、戦後官僚主体でやってきたことである。確かにそれによって経済大国世界二位となったが、小泉政権での規制緩和・派遣法改正・市場第一主義によって、大企業は儲かったものの、日本企業の95%を占める中小企業や国民所得には全く還元されず生活がガタガタになってしまったではないか。その建て直しを願って国民は民主党政権に変えたことを自民党は全く理解できないで、相変わらず大企業優先の政策が最良としている。なんのビジョンも打ち出せず、国民の空気が読めない自民党は、二大政党どころか、もはや風前の灯火である。

学級崩壊と保育園の功罪!

2009-09-19 | 発言
昨日は長女の要請で、孫の保育園の「祖父母のとのつどい」に行ってきた。受付を済ますと、孫と写真撮影があって、それが済むと、孫のいつもいる三・四歳児の部屋で孫と積み木などして遊んでいた。ぼくの前には祖父母が来ない幼児が集まってきて、膝の上に座ったり、腕を舐めたりする。こういう場所は初めてなのでどう対応していいのか、いささか戸惑った。それが済むと、講堂で子供たちの歌を聞き、引田天功の弟子のマジックショーを観て帰った。帰る時、階段で孫がワーワー泣いていた。傍に保育士がいて、孫は彼女に「ダメっていうのがダメー」っと訴えていた。どうも子供同士の喧嘩で負けたらしい。「どうしたの、だいじょうぶだよ」、ぼくは孫を抱いてそう言った。それなりに楽しかったが、別の意味で保育園の功罪について疑問を持った。勿論、今の世の中、保育園なしでは成り立たない。第一共働きをしないと家計はやっていけないし、保育園が足らなくて26000人も待機児童がいるほどだ。専業主婦のお母さんだって預ければ余暇が出来て育児ノイローゼにならなくて済む。いろいろメリットは多いだろう。しかしなあーと思う。ひとつは早い子はゼロ歳児から小学校に上がる五歳までの間、こんな幼い頃から集団社会の人間関係を学ばなくてはならないのには、ちょっと子供がかわいそうだなあと思った。勿論、社会でもまれるわけだから、行かない子供より言葉も反応も早くなる。しかし、それぞれの子供が持つ未知なる可能性を、早い時期から集団社会の中でもまれることによってそぎ落とされて画一的になるのではないか、という疑問が沸いた。親が仕事を終えて迎えに来るまでの一日10時間もの間、ワイワイガヤガヤと集団の中で五年間も過ごすのである。三つ子の魂百までというが、幼児期にこういう集団社会で過ごす影響は計り知れないものがあるように思う。二つ目の疑問は小学校の学級崩壊と保育園との関連性である。専業主婦やお金持ちの子供たちは私立幼稚園、その下は公立幼稚園に行くが、ここはある程度教育というものがなされているらしい。しかし、保育園というのは観たところ託児所と一緒で、保育士さんたちは、まず子供たちを安全に預かるというのが第一のようで、教育はなさそうで、部屋でほとんど子供たちの好き放題にさせている。幼児たちは積み木をしたり、喧嘩をしたり、あばれたり、いろいろだ。こういう生活を一日10時間、五年続けていて、さあ、小学校入学となった時、今まで自由に行動していたものが、なかなか椅子に座って落ち着いて勉強する意識転嫁ができなくて学級崩壊になる要因になっているのではないかという疑問だ。学級崩壊は親がしつけをしていないからだとよく言われるが、親よりむしろ保育園での過ごし方のほうが子供たちに影響を与えているのではないだろうか。共働きをしなければ食っていけない世の中で、保育園の存在は必要不可欠だが、なんだか子供が可哀想だなあと思った。


孫と一期一会のひととき!

2009-09-18 | 随筆
四歳になる孫の保育園で祖父母とのつどいが今日ある。出不精になっているし、どうもそういうのは行くのが苦手である。しかし去年「どうして、ぼくのマサオとミエコはこないの?」と孫が長女に言ったらしく、今日は仕方なく行く予定だ。長女の孫は同じ市に住んでおり、保育園が長女の勤務先の近くということもあって、迎えに行った帰りにちょくちょく立ち寄る。「マサオー、にかいにいるんかー」などと大声で叫んで、階段を二階に上がってくる。ぼくは「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれるより、実名で呼ばれたほうが好きで、そう呼ばせている。なんだか友達感覚でいられるし、おじいちゃんと呼ばれるとおじいちゃんに違いはないけれど自分で歳取った感覚になるのがイヤだから、実名のほうがうんといい。しかし三、四歳というのは実に可愛い。それなりのコミュニケーションが出来るし、純で真っ白なのがいい。活き活きと、春に撒いた種から生まれでた新芽のようだ。それに、俺の小さいときにそっくりなのだ。左利きまで受け継いでしまって、「おいらのようにどもりになると可哀想だから右手に矯正だけはしないように」と長女に言ってある。「マサオ、コーヒーつくる」と、コーヒーメーカーに紙、コーヒー、水の順で一緒に用意し、スイッチを孫が入れる。「マサオ、ギター弾いて」おいらはギター片手に「友よー」と歌い出す。そして一通りが終わると、気に入ったお菓子や果物を自分でスーパーの袋に入れて、きっちりお土産として持って帰る調子の良さだ。そういう仕草を見て、おいらもカミさんもかなり目が細くなっているが、あと三年、小学校上がると学童保育は学校の近くになり、おいらの家とはかなり遠くなるので、もう来れなくなる。半年に一回会えればいいほうだろう。孫との一期一会のひとときである。

さすが頭のいい鳩山新首相!

2009-09-17 | 発言
鳩山新首相は東大の理系出身、助教授時代には、問題解決を数式を使って解いてゆく手法を研究したという。それだけに、首相初の記者会見でも、各記者の質問に今までの自民党総理のように質問をはぐらかしたりせず、また従来のように官僚に原稿を作らせることなく、自分の言葉で実直に答えていた。一方組閣の顔ぶれを見ても、政策通を配置し、挙党体制のベストメンバーである。さすがにすっきりとした配置である。国民の信頼を得られる体制だ。これで、国民の生活第一を根底に、ムダを無くし、官僚政治の打破を果たし、希望の持てる友愛の日本をリードしていって欲しいものだ。しかし特殊法人や天下りの廃止ほか、年金、医療、子育て支援、公共事業の見直しなど、従来の自民・官僚政策の刷新で、各省の官僚とのバトルがこれから繰り広げられることになる。かなりの抵抗も予測され、初めての刷新ゆえに、数々の失敗は出てくるだろう。しかし政権を絶対投げ出さないことだ。また国民も目先の失敗に一喜一憂することなく、長い眼で政権を育てることが必要だ。少なくとも自民政権よりはるかにマシなのだから、国民目線を標榜する民主党政権に期待し、また国民も政権を育てていくという意識が重要だ。新たな歴史的な第一歩に感無量だが、新政権に頑張ってもらい、これからの日本が明るく変わっていくことを切に願っている。

俺だったら必ずのし上がる!

2009-09-16 | 発言
カミさんと昼前に河原の土手をウォーキングした後、小僧寿しで寿司を買って、土手の石段に座って、寿司を食べた。飲み物のお茶も入れて一人500円の昼食である。美味しく戴いて、帰ろうと歩いていると、土手に女の子がぽつんと一人座っている。何気なく見ると、警備の制服姿で、お手製のおにぎりをほお張っている。おかかのようで、お手製と判ったのはサランラップに包んであったからだ。ぼくらは歩きながら喋った。
俺「みた?」
カミさん「みた」
俺「派遣だよね。昼ごはん、自分で作ったおにぎりだよ。飲み物もなくって、ノド詰めないかな。なんだか、一人でもの悲しそうだったねー」
カミさん「みんな、大変なのよ」
俺「二十歳前後だよねー。俺が二十歳前後の女の子だったら、こんな厳しい世の中でも、あんな惨めたらしい人生送らないよ。やり切れないぜ。人生は一回きりだぜ。キャバクラ嬢になって、バーっと稼いでさあ、資金をまず作って、何か起業して、人を雇って、のし上がっていくよ。こんな世の中だから、清く正しく貧しく生きたって、可哀想だって同情されるだけで誰も助けてくれないよ。それだったら自分でヤッタルゾオーっと太ももくらい男に触らせて、男を手玉にとって、俺ならバンバン稼ぐぞお」
カミさん「それが出来ない人なのよ」
俺「ハラを決めて自分の道は自分で切り開かなくっちゃあ。キャバクラでバンバン、ちょっと待てよ、キャバクラ嬢くらいじゃあ、そんな儲からないか、やっぱりソープで身体売らないとダメか。しかし、一線は崩したくないしなあ、いや、きっと何かいい方法があるよ、その時なったら考えよう」
カミさん「その時ってねえアンタ、あんたが今さら女の子になれるわけないじゃない、バーカ、本気になって考えてる」