民主党は308議席確保と圧勝し、一票を投じたものとしては感無量である。これで長い間、アメリカ市場中心主義を日本に継承してきた自公政権に終止符を打った。これからは、国民生活を考え、社会政策を資本主義に加える、いわば修正資本主義というヨーロッパ型の政策政治が行われていくだろう。高齢化・少子化の日本にふさわしい国づくりに変わっていく。大変喜ばしいことだ。一方初めて野党となる自民党は、これからの国会対策ではしばらく放心状態になるだろう。なぜなら民主党政権を自民党が野党として追及しようにも、例えば860兆円の借金をどうするんだと言っても「それはあなたたちが政権時代につくったものです」と切り替えされ、一事が万事、追究できなくなってしまうからだ。せいぜい、放言とかシモネタとか些細な品位のない追及しかできなくなるだろう。こうなれば119議席の自民党はさらに凋落し、以前の社会党のように霧散してしまう可能性がある。もう一つの公明党。議席を9減らして21議席になったが、これは創価学会の化身であり、池田大作さんはとにかく政権与党と仲良くして学会を守ることだけに終始しているから、公明党は早晩自民党と決別し、必ずや政権政党の民主党に「是は是、非は非」とかなんとか言って、民主党の政策に賛成し、コビを売って、擦り寄っていくだろう。とすると民主党は大手を振って、マニフェストの政策を実行できる下地があることになる。まず、ムダを排斥し、続いて、小泉以来、アメリカの市場主義でガタガタになった国民生活を、福祉政策の導入で弱肉強食の資本主義に修正を加え、穏やかなヨーロッパ型に変えることだ。官僚政治打破には、官僚たちの抵抗も強く最低任期の4年はかかるだろうが、国民はその時々に一喜一憂せず、民主党の改革を長い目で見守るべきだ。日本もやっと国民の手に政治が届き、感無量である。
いよいよこの時がきた。政治に対する国民の不満のマグマが爆発するだろう。しかし、自民党の各紙一面広告やチラシは自党の政策を載せず、民主党のここが悪いと民主党批判ばかり、貧すれば鈍するというのはこのことだ。最後まで所詮ビジョンなしの喧嘩太郎政権だった。ところが今朝の民主党の一面新聞広告のコピーは実にいい。「あなたは言う。どうせ変わらないよと言う。政治には裏切られてきたと言う。しかし、あなたはこうも言う。こんな暮らしはうんざりだと。私は言う。あなた以外の誰が、この状況を変えられるのか。あなたの未来は、あなたが決める。そう気づいた時、つぶやきと舌打ちは、声と行動に変わる。そして、あなたは知る。あなたの力で、世の中を変えた時の達成感を。本日、政権交代。民主党代表鳩山由紀夫」。他党のこうしますという月並みなコピーより、人の心を打つコピーになっている。鳩山が自分で書いたものなのか、優秀なコピーライターが書いたものなのか、いずれにしても熱がこもっている。さあ、投票に行こう!
この7月の完全失業率は、統計を取り始めた1953年以来の最悪、5.7%だと発表された。去年より100万人増えて359万人になり、世帯主の失業も31万人増えて89万人になったという。家族があって、一家が路頭に迷うことは大変なことだ。しかも企業の輸出や生産が回復に向かい、株価も一万円台に回復しているにも関わらず、失業率は今後一層悪化するだろうとの見方が多い。なぜかと言えば、昔の経営者は経済や国民生活というマクロ的な視点も鑑み経営していたが、今の企業というものは利益第一主義で経営しているからだ。リストラで業績が好転した会社なら、まず利益のために簡単に雇用を増やさないからだ。完全失業者が多くなり、まして仕事があっても非正規労働者で年棒200万円以下、これでは内需も起こらず、この7月の消費者物価も2%強下落している。完全なデフレスパイダル状況に陥っている。この10年、国の取った経済政策の失敗である。いざなぎ景気を超えたといわれた、ついこの間の景気の時に、労働者の最低賃金を上げるべきだったし、派遣も製造業まで認めるべきではなかった。小泉がグローバリゼーションの名の下に何でもかんでも規制緩和したおかげで、家族所得はこの10年で100万円も減り、国民の生活は今日のようにムチャクチャになってしまった。内需が興らなければ景気回復はないからだ。言ってみれば外需は脂肪分のようなものであり、内需こそが基礎体力である。それを大企業ベッタリで労働者に還元せず内需をおろそかにしたツケが今回ってきている。国民がこれだけ仕事や賃金で苦境に立っているのはリーマンショックや世界同時不況のせいではなく、このようなこの10年の自民党の失政が最も大きな要因である。
いよいよ衆議院総選挙の投票は明後日となった。今の情勢ではもはや民主党の圧勝はゆるぎない。長い間の自民党政権から民主党政権に国民自ら選ぶという、文字通り、国民が初めて政治に参加できる画期的な一票の行使である。長い間の自民党政権下では「政治なんて誰に入れても一緒」と一票の重みは軽く、シラケた国民も多くいた。しかし、相次ぐ自公政権の失政で国民の生活はメチャクチャになった。それまで「人に頼まれたからあの人に投票する」という人も、シラケて投票に行かなかった人も、今度だけは生活に火が点いたようで、国民の不満がマグマになり、不安ながらも自らの手でまず政権交代を望む一票となるだろう。そして国民は初めて政治に参加できる一票を行使できるわけだが、それだけに、自分の手で政権を代えたということであり、今度は一票を行使した責任も一人ひとりにかぶさってくる。小泉郵政選挙で熱に浮かされたように自民党を圧勝させて生活をムチャクチャにさせたのも国民なら、今回民主党政権を選ぶのも国民である。一票の行使とは本来それだけ責任の伴うものなのである。それだけに、これを機会に政治のあり方を常に注視し、民主党がマニフェストの公約通り実行していくかどうか見定めていくことも必要だ。
昨日は女子中学生が自殺、一昨日は男子の中学一年生が焼身自殺。今日は、車椅子の人が突然液体を顔にかけられ、病院に搬送。昨日は傘で若い女性を連続殴打、また81歳の夫が認知症の妻を殺害など、こういう事件は枚挙に暇がないほど増えている。自殺は学生の場合はいじめ、中年以降は経済的理由、老年になると健康が理由といろいろあるが、いずれにしても孤独の中で追い込まれ、死を決意していく。通り魔的犯行の増加も、追い込まれた犯人の孤独な苛立ちが、無防備な人を傷つけることによって癒されるという歪んだ精神状態がみてとれる。今の日本人は、弱いものから順次追い込まれている。連帯はなく、救済はなく、弱いものはひたすら孤独の淵を彷徨い続けている。
ぼくはタバコ暦40年、しかも最近はヒマで一日60本近く吸うヘビースモーカーである。昔は金属の重いライターを使っていたが、背広に穴をあけてしまうので、軽い100円ライターに切り替え、以来、プラッスチック製の100円ライターを使っている。ところがこの夏、突然異変が起こった。タバコに火を点けようと手にしたライターのプラッスチックの部分が、突然ピシッとひび割れて、ガスが噴出したのである。ぼくは慌てて、窓を開けて庭にとりあえず投げ捨て、ガスが全部出てしまうまで待った。「チャイナ製だしなー」、このひとつだけが欠陥品だと思っていた。ところが、その後使っていると、何度もピシッと割れるのである。しかも、メーカーも形状も異なるライターでも次々と同じ現象になる。卓上のアイスコーヒーのコップに触れていて、急に手の温もりで膨張したんだろうかとか、いろいろ考えてみたが、原因は判らず、一ヶ月半で13個も連続して同じ現象が起こった。ところが、同じようにタバコを吸っているカミさんの100円ライターは全く大丈夫なのである。先日、パチンコ屋で打っていて、胸のポケットからライターでタバコに火を点けようとしたら、火が付いたのと同時に突然割れたサイドのガスに引火し、火柱になって、ぼくは慌てて火を消しとめパチンコ屋の外まで走って投げ捨てたが、とうとう隣のおじさんの手に軽いやけどを負わせてしまった。もう今は恐くなって、それ以来、金属のライターを調達して使っているが、未だに原因は分からずじまいである。落下させたというのでもなく普通の使い方をしていて、メーカーも形状も異なるのに、しかも、何十年と大丈夫だったのに、この夏突然十数個も連続して、ぼくだけが割れる。全く不思議な現象である。しかし、やはりぼく自身に原因がありそうである。とすれば、最近「自律神経訓練法」をやっているので、「気」のめぐりがよくなって、手から強い「気」が出て、それでプラスチックが割れたんだろうか。原因はそんなことぐらいしか考えられないほど、不可思議な現象だ。
高校で進路指導に携わる教員が朝日新聞の声の欄で「親の雇用安定こそ子育て支援」と次のように書いていた。「多くの生徒が能力を生かして働き、自立したいと望んでいるのに、彼らが船出していく社会がそれを受け止める器を持たない現実に、心が痛む」。今や労働者の三分の一は非正社員、その中で年収200万円以下の「働く貧困層」は1000万人に達する。小泉自民党の大企業の利益優先のための労働者派遣法改正が大きく社会の構造を変えてしまった。大企業が儲かって末端も潤うという戦略が脆くも崩れてしまったわけだ。当たり前である。企業というものは常に利益第一主義で、一度賃金の安いうまみを知れば正社員を増やさないのが当然である。おかげでこの10年家族の所得は100万円も減ってしまった。内需拡大どころではない。その逆になってしまった。これは明らかに政策の失敗である。賃金を高くすれば国際競争力に勝てないとか、海外に工場が行って日本は空洞化してしまうとかの錦の御旗は明らかに間違いである。その前に国が潰れてしまえば何にもならないからである。多くの人は、恋人をつくり、結婚し、子供を育て、そして一生を終えることがあたりまえの幸福である。ところが、高卒で派遣社員になれば年棒200万円で、もう一生派遣社員から逃げられず結婚など出来ない世の中になってしまっている。景気をよくしようと意図的に行った派遣法改正が間違いであったのだから、ここはどうしても逆に意図的に労働者の正社員化を推し進める必要がある。見習い三ヶ月、あとは正社員と昔の雇用形態に戻すよう法制化すべきである。そうでなければ安心して働けず、日本の若者に将来はなく、若者に将来の無い日本に明日はない。ところが昨日学生との対話集会の席上で、学生の「若者に結婚するだけのお金がないから結婚が進まず、少子化になるのではないか」という質問に対し、麻生首相は「金がねえなら結婚しないほうがいい」と答えヒンシュクを買っている。非正規雇用が増えたのは政治のせいで、麻生首相がそれを自己責任に転嫁するとは、相変わらず許せない発言だ。これが一国の総理かと思うと情けなくなる。
これだけ政権交代を前にして衆議院総選挙が注目されているのに、日本のこれからを担う若い世代が投票に行かないとして、朝日新聞が若者の声を掲載していた。「今この国で何が問題なのか、もっと政治家がわかりやすく言ってくれれば選挙に行きたくなる」「毎日疲れきっているのに、なんで投票のためにだけわざわざ足を運ばないといけないの」「せっかくの日曜日は遊びや買い物に使いたい」など等。その下には偶然23歳の女性が5000円近く焼肉を無銭飲食して捕まったという記事が載っていた。「仕事もなく、お金もなく、立て替えてくれる人もなく、最後にお腹一杯焼肉を食べたかった」という。このように、若者たちが選挙に行かない理由は、まだ社会のことに目を向ける余裕がなく、自分のことで精一杯というところだろう。自立できなければ、社会的責任なんてことに目覚めないし、一方では日本人特有の甘えの精神構造もあるようだ。たとえば判りやすく言ってくれれば選挙に行きたくなるという意見は、親や世間がこうしてくれたらこうするという、人間として自立できていない他者依存の現われでもある。自ら聞き取ろうという意欲・自主性がない。結局は、行き着くところ、コミュニケーションの無さが大きな原因になっている。社会と自分との関係性といったものは、自分の世界だけでなく、他人の世界も知ることによって芽生えてくる。しかし、今の日本人は世代間のコミュニケーションや、同世代でも他者とのコミュニケーションの取り方が不得意になって、みんな孤立してしまっている。他者との交流がなければ社会(他者)の情報も得られないし、社会にアンガージュ(参加)している存在価値も希薄になる。教育現場において、詰め込みの教育だけでなく、もっと自ら考えさす教育と、自分の意見を持たせる教育、そしてそれら意見を交流させるコミュニケーションの力を高めさすことがとっても必要になっている。そんな話をカミさんにしていたら、「皆に投票行って貰うのは簡単よ。投票所で来た人に一万円あげるようにすればいいのよ」。な、なぬうー。「民主主義を金で買う気か」って思ったけれど、考えてみれば、実にいいアイディアだ。500円券の一万円分の地域振興券にすれば内需拡大にも繋がるし、一万円と言えば、若者だって飛びついて行く。行くなら、せっかくの一票誰にいれようかと、いろいろ考えるだろうし、社会参加の一歩になる。また「政治なんて誰に入れても一緒」としらけて行かなかった人たちも一万円となれば話は別になる。おばあさんだって息子におぶられながら投票に行くだろう。組織票たよりの自民・公明にとっては投票率が低いほうが自党に有利だったので、こういうやり方は在り得なかったが、民主党政権になれば、選挙法を改正して法令化すればいい。そうすれば投票率90%の本当に国民の意見が反映した政治に生まれ変わるだろう。定額給付金よりずっといいアイディアだ。衆参両議院選挙に端を発し、知事選や市議会議員選挙も交付金を出すようにすれば、投票率は地方選挙でもほぼ90%、確実に市民の声を反映させることができるだろう。
九州の民主党候補の後援会の一人が国旗を二枚切って、つなぎ合わせ、民主党旗にして壇上に掲げてしまった。たかだかバカな後援会の一人がやったことである。それを麻生首相は民主党全体が国旗をないがしろにしたと、鬼の首でもとったように各地で演説をし続けている。麻生首相というのは、漢字どころか事の大小の見極めも出来ないらしい。大局的に日本の将来を背負う首相たるものが、日本の将来ビジョンを語らずして、バカな庶民の一人の出来心を天下に問い続けるとは、本当に情けないかぎりだ。各紙の世論調査では、どこも民主320議席前後、自民は150も当選しないと出ている。むべなるかなである。麻生おぼっちゃまは、所信演説から終末のこの期にいたるまで、一貫してビジョンを語らず批判ばかりだった。そのことは麻生首相が人物として、根っから三流であったことを証明している。その麻生首相を盾にし続けてきた自民党の没落は至極当然である。
セミの話
2009-08-22 | 随筆
関西にはクマゼミというのがけたたましく鳴いているが、関東はアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシなどだ。クマゼミは九州から温暖化で静岡くらいまで北上しているというが、まだ関東には来ていない。ところで今年の東京は冷夏でいつになくセミの鳴き方も弱弱しいようだ。庭にモミジの木があって、毎年幹にセミたちが止まって鳴く。その生態を見ていると、どうもセミは生まれた所からそう遠くにはいかないようだ。モミジの下で生まれたセミたちがモミジに止まって交尾をし、またモミジの下に卵を産んで短い地上での一生を終えるようだ。先日三歳になる孫がやってきて、モミジのセミを採ってくれという。孫が可愛いか、セミが可哀想か、一瞬迷ったが、三歳の孫には初めてのセミだし、孫を右手でダッコし、左手の網で一匹採って虫かごに入れた。初めてのセミに孫は喜んだが、セミは虫かごの中で大暴れしてのうしんとうを起こした様だった。セミの採り方は先日カミさんに教わった。桜並木の河原の土手をウオーキングしていると、「あっ、セミがいる」とカミさんが桜の幹を指差した。ようし、採ってやるぞお、おいらはそろりと下から手を伸ばして掴もうとしたら、オシッコを引っ掛けられて逃げられてしまった。「だめよ、セミは飛ぶとき上に逃げるから、上から採らないと逃げるわよ」。カミさんは幼い頃生まれ育った草津でよくセミを採ったらしい。「おい、ここにもいるぞ、今度はお前採ってみろよ」。カミさんは静かにふっとセミを上から掴んだ。「うまいもんだなー、そうか、上から下に掴むのかー」。その後、歩きながらセミを探すが、6対1匹と、セミを探すのにも圧倒的にカミさんがうまかった。ところで、上記のセミの写真、家のモミジに止まっていたミンミンゼミだが、お腹のサイドに白い袋を二つ携えている。カミさんが発見して「新種かなー」なんてシャッターを押したものである。ところが後日裏山を歩いていると、やはり同じような袋を持ったミンミンゼミが小道にいたので、掴んで、その白い袋を触ってみた。取れそうなので袋を取ったら、中に米粒ほどの幼虫がいた。どうも寄生虫らしい。セミに付着して、セミの栄養分を吸って生きているのである。地中にいるセミがヌケガラを這い出してセミになる、その過程で、どこでどう寄生するのか、気持ち悪い不思議な発見をひとつした。こんなのは初めてて、冷夏でセミにも異変がおこったのだろうか。
68歳になる京都のおにいちゃんに電話を掛けた。「別に、用事はないんやけど、どうしてるかなっと思って・・」。兄は離婚してもう20年以上にもなるが、障害者の次男、90歳になる母親のめんどうをみながら暮らしいる。河のほとりに家があって、先日京都を襲った大雨の時、ぼくより三つ年上の姉から「もし、危なそうやったら、こっちの家に避難したらええし、迎えにいくよ」と電話があったという。その姉は以前母親のめんどうをみていたが、介護に神経がパンクして、今は兄が看ている状況だ。「こっちは、大丈夫や、なんとかやってるで。そんなことより、遊んどるかー、人間、泣いたり笑ろうたり、喜怒哀楽を表に出して、もっと遊んで、心の筋肉を鍛えるこっちや」、そんなことを姉に話したという。「心の筋肉を鍛える」、いい言葉やなーっと思った。兄は大日本印刷に勤める傍ら、小説家をめざして、新人賞の候補に何度も上り、これからという時に、どん底に堕ちてしまった過去がある。恋愛を小説のエネルギーにしていたこともあって、妻子がいながら、度々別の女性と恋に落ちていた。そうした頃、次男が突然統合失調症で発病し、妻は他の男の元に逃げてしまい、結局離婚となった。それまでの兄は自分のことだけ考えて生きているような性格だったが、このどん底を境に、兄は180度変わった。小説はプッツリと止め、次男と共に生きることによって、人への思いやりや深さといったものを持ち合わせるようになって、愚弟のぼくにとっては、足元にも及ばない立派な人間になった。「心の筋肉を鍛えろよ」、そういう兄の言葉だけに説得力があり、姉だけでなく、のっぺらぼうの能面のような表情で毎日を過ごしているおいらにもズシンと答える言葉だった。そっかー、おいらも心が固くなってきてるなー、もっと躍動して、心の筋肉を鍛えないとなー、そう反省させらる言葉だった。
新型インフルエンザの感染が全国的に急増しているのを受けて、昨日の午前の記者会見で、やっとこさ舛添厚労相は「本格的な流行が始まった」と話したが、流行の原因は「国民全体の慢心」をあげている。とんでもない話だ。マスコミは政府発表しか記事にしないので、世間が新型インフルエンザに騒がなくなったのは、国民の怠慢でなく、政府・厚労省の怠慢である。春からさらに梅雨になって暑くなっても患者は増え続けているのに、弱毒性ということで、経済優先のために新型インフルを「開放した」のは政府自身ではないか。また夏休みにも関わらず患者が増え続けている統計をみれば誰でもヤバイと判るのに、やっと「流行」を認めたのは昨日である。非常に政府の対応が遅い。この要因は総選挙である。選挙前になんとか経済成長を確保したいがために、経済封鎖を遅らせたことが要因である。なのに「国民の怠慢」とはお話にならない。またこの流行に、今になっても政府は何の対策も発表していない。夏休みが終わると、このままでは爆発的な流行となるだろう。政府は、爆発的な流行を阻止するために、手洗い・うがい・マスクの着用の啓蒙運動を行うべきだし、新型ワクチンは、生産をフル回転させ、打てるものから打たせるべきだろう。国内生産で1700万本、輸入を含めて5400万本確保するというが、しかしこのワクチンにしても作用・副作用が打ってみなければ判らないという。夏の暑い最中に激増していることを考えれば、涼しくなるとウイルスがさらに活性化し、爆発的流行が目に見えている。なのに、「国民の慢心」のせいにして、選挙のために経済優先をとった政府のやり方は明らかに間違っている。
いよいよ選挙戦がスタートした。長い準備期間があって、いささか間延びし、都議選の勢いが途絶え、自民党支持が若干持ち直したようだが、再度心を引き締めて、ここは民主党に一回任せてみよう。そうでなければ、この日本の閉塞感は、到底、自民・公明で打破することが出来ない。打破できているのであれば、長年の自民党政権でこれほど荒んだ日本にはなっていないはずだ。しかし、民主党とて、官僚政治の打破、ムダの廃絶、貧困者へのセフティーネットなど、とてもどれだけ出来るかは疑問だ。しかし、自民・公明にまったく期待できないのだから、ここは民主党に期待を寄せるしかない。まず民主党は四年任期満了まで政権を放り出さないことである。そうすぐさま官僚改革ができるわけはないからだ。自民・官僚などの抵抗があり、きっと改革は思うように進まないだろう。しかし、鳩山から小沢、岡田、長妻と総理を代えても四年間は続けるべきだし、国民も短絡的に見捨てるのではなく、四年間を待つべきだ。民主党の言う改革の基礎づくりには少なくとも四年はかかるからだ。そうして、自民・公明には出来なかった新たな人と人との絆のある社会を建設して欲しいものだ。この閉塞感の漂う日本に明るさを取り戻して欲しいものだ。
さて、昨日の話しの続きです。自分の性格や欠点、あるいは目標など、何でも自己催眠をかけて暗示することで治したり、自分を無意識にいい方向に向かわせることができます。たとえばトマトが嫌いで食べられないとします。でも自己催眠で「トマトが好きだ」と暗示をかければ、そのうち食べられるようになります。ただし、その反対も可能なので、マイナスイメージや悪い暗示はかけないことです。そしてこの方法には副作用はないので安心して行ってください。ただし、催眠状態に入りますので、後でいう最後の「解除」だけはしっかり行ってください。この自己催眠にはドイツのシュルツ博士が開発した自律神経訓練法を応用します。例えば興奮した時呼吸が浅くなったり、血圧が上がったり、心と身体は一体化しています。この自律神経訓練法というのは、潜在脳を開かせ、正常な自律神経に戻すので、肩こり、血圧、便秘、肥満など慢性病にも利くという効用があり、また無用な緊張感やストレスをほぐしてくれます。それに加えて催眠状態の中で、自分の願いを暗示をかけて叶えていきます。
「自律神経訓練法」と「自己催眠」のやり方
まず、部屋の壁などに背中をもたれて、伸ばした脚の膝に両手を置いて、目を閉じ、両肩の力を抜いてリラックスします。その形で、1)両手が重い 2)両手が温かい 3)心臓が規則正しく動いている 4)呼吸がラクだ 5)お腹が温かい 6)額が涼しい 7)自己暗示項目 8)解除・握りこぶしを作って両胸に力強く二度持っていって「解除します」と言って目を開けます。
項目は以上の順序でやります。例えば1)の「両手が重い」は両手に意識を持っていって、「両手が思い」と心の中で言いながら、両手の重さを感じるようにします。2)の温かいも同様にして、温かさを感じるようにします。二週間もすれば、本当に手がじわーっと温かくなるのが分かるようになります。リラックスして血管が広がるからです。以下解除までの7項目全部で15-20分位の所要時間です。寝起きと寝る前の二回は行うようにして、二週間もすると必ず効果が現われてきます。6)までの集中意識で脳波はアルファファになり、一種の催眠状態になり、潜在脳が開かれた状態になっています。ここで自分の願い事の自己暗示をかけます。ただし、願い事は「お願いします」ではなく、もうなった状態を命令口調で暗示をかけます。例えば身体の調子が悪い人は「健康になりますように」ではなく、「私は元気だ」と暗示をかけます。そして解除を最後に必ず行います。人間というのは脳と無意識な行動というのが一体化しているし、また神経と身体というのも一体化しています。ですから、脳や神経をこれらを利用して適性化することによって、ずいぶんいい方向に代えることが出来ますよ。試してみてくださいね。
「自律神経訓練法」と「自己催眠」のやり方
まず、部屋の壁などに背中をもたれて、伸ばした脚の膝に両手を置いて、目を閉じ、両肩の力を抜いてリラックスします。その形で、1)両手が重い 2)両手が温かい 3)心臓が規則正しく動いている 4)呼吸がラクだ 5)お腹が温かい 6)額が涼しい 7)自己暗示項目 8)解除・握りこぶしを作って両胸に力強く二度持っていって「解除します」と言って目を開けます。
項目は以上の順序でやります。例えば1)の「両手が重い」は両手に意識を持っていって、「両手が思い」と心の中で言いながら、両手の重さを感じるようにします。2)の温かいも同様にして、温かさを感じるようにします。二週間もすれば、本当に手がじわーっと温かくなるのが分かるようになります。リラックスして血管が広がるからです。以下解除までの7項目全部で15-20分位の所要時間です。寝起きと寝る前の二回は行うようにして、二週間もすると必ず効果が現われてきます。6)までの集中意識で脳波はアルファファになり、一種の催眠状態になり、潜在脳が開かれた状態になっています。ここで自分の願い事の自己暗示をかけます。ただし、願い事は「お願いします」ではなく、もうなった状態を命令口調で暗示をかけます。例えば身体の調子が悪い人は「健康になりますように」ではなく、「私は元気だ」と暗示をかけます。そして解除を最後に必ず行います。人間というのは脳と無意識な行動というのが一体化しているし、また神経と身体というのも一体化しています。ですから、脳や神経をこれらを利用して適性化することによって、ずいぶんいい方向に代えることが出来ますよ。試してみてくださいね。
暗くなりかけて、魚釣りの帰りに細いあぜ道を歩いていたりすると、カミさんはきまって歌を歌い出す。おばけが恐いからだ。ぼくも一人で真っ暗な湖の岸辺で夜釣りをしていると、何か出てくるのではないか、恐いっと思い出すとますます恐くなるし、魚のことばかり考えていると恐さは感じない。そのように暗示によって、恐くなったり、そうでなかったり、どちらにも転ぶものだ。貧困層が増え、日本の社会は孤立感が漂い「うつの時代」とよく言われているが、気の持ちよう、意識の持ちようというのがとても生きていく上に大事だ。人間はどうしても外部から感化されやすいように出来ている。テレビや人間関係や社会から絶えず何かしらの感化を受け、暗示にかかる。健康的ないい暗示ならいいのだが、なんやら悪い暗示も受けやすい。そういうところで、自己暗示法というのがある。自己催眠をかけて潜在脳を広げたところで、「私は元気だ」とか、いい暗示を自分にかける方法だ。このやり方については明日お話します。