シラサギ
寒い冬の日、ぼくは大きな河の岸辺から魚釣りをしていた。辺りは、誰もいない。薄日が射していても、かじかむ掌を擦りながら、防寒服にまるまって、魚信のないウキとにらめっこしていた。
ぼくには中田さんという釣りの友達がいた。中田さんは工事現場でケガをして左手が不自由だった。
「谷さんよう、朝、出てくる時、中田さんはいいわねえ、毎日釣りができてって、近くのひとにいつも言われるんだ。働くとこさえありゃあ、俺だって毎日釣りなんかしたくねえよう。辛れえよう」
ある時、中田さんはぼくに、そう零していた。
それからしばらくして、ぼくが仕事で三週間ほど地方に出張している時、中田さんは、相模湖の釣り場で入水自殺して、帰らぬ人となった。現場にはコンビニで買った赤飯がそのまま置いてあったという。
その時ぼくは、死ぬほど苦しんでいるとは思わなかった。妻に留守中「谷口さんはいつ帰る?」と中田さんから電話があったという。あの時に仕事先から電話を掛けていればと悔やまれた。自分のことで精いっぱいで、勇気づけることも、なんにもしてあげられなかったおのれが情けなかった。
一年前のそんなことを思い出している時だった。
上流から、白いボールのようなものがぽっかり浮かんで流れてくるのに気がついた。よく見るとシラサギのようだった。
なにやらぼくを意識しながら泳いでいる。流れながら、川面のウキにコツンと当たっていく。河は広いんだから、わざわざこっちに来て釣りの邪魔をすることはない。失礼な奴だなあと思っていると、ぼくの近くの岸辺まできて、ぽっかりと浮かんでいる。わざわざ人の近くにまで来ることはないだろう。生き物が何もいなくって、淋しいんだろうか、ま、いいか、ぼくは構わず、またウキを凝視した。でも、アタリがないので、なにげなくシラサギを見ると、水の中に顔を沈めている。小魚を捕っているにしては時間が長すぎるし、その動きもない。こ、こいつ、溺れてるんだ。ぼくは慌てて鳥に近づき、水の中から両掌で持ち上げた。シラサギは死体のように冷たかった。そして、ぴくりとも動かなかった。寒さにやられたんだろうか、それならそれで同じ生きもの同志温めてやりながら見送ってやろう、ぼくは、膝の上に置いて、両掌でずっと温め続けた。
三〇分も経った頃だろうか、ぼくは穴を掘って埋めてやることを考えていた。ところが、掌の中で翼がかすかに動いたように思った。気のせいかなと思ったが、今度ははっきりと痙攣の振動が伝わった。そして嘴から水を吐いた。少しづつ、呼吸も始めた。こいつ、生き還るかも知れない。頑張れ、頑張れ、ぼくは両掌を伝って応援し続けた。
やがて、はっきりとした呼吸が伝わるようになった。この調子だと、動物病院に連れていって処置をしてもらえば助かるかも知れない。ぼくは防寒服を脱いで、それをシラサギに纏い、横に置くと、慌てて釣り道具を片付けた。車に乗ると、ヒーターを目一杯つけ、シラサギを膝の上に置いて、身体を撫でながら運転した。動いてる、動いてる、確かに、確実に、元気になってきている。運転しながら前方に気をつけて、ちらりと見ると、首を持ち上げ、膝の上で立とうとしている。おッ、やるじゃねえか、その調子だ、頑張れ。
危なくなって助手席に移すと、シラサギは羽を広げ、よろけながら必死で立とうとしている。この調子なら病院に連れていかなくても大丈夫かも知れない。ぼくは家に連れて帰って、古い下駄箱に網を貼って改造した。その間、シラサギは部屋の隅で立つ訓練をしていた。急遽のカゴに解氷した鮎と水を入れる頃には、もうシラサギは、すくっと、元気に立っていた。ま、無理せず、今晩は泊まっていけや。
次の朝、まさか死んではいないだろうか、ぼくは、こわごわ、覗いてみた。いるいる、元気に立っている。もう大丈夫だ。ぼくは信じられない思いだった。ほとんど死んでいたシラサギがぼくの温かさで生き還ったのだ。ぼくにそんな力があるとはとても信じられない思いだった。
考えてみれば、誰もいない河でわざわざぼくの近くにきたのは、同じ生きものとして、ぼくに助けてくれと最後の訴えをしたに違いない。
ベランダから、外に向かって、ゆっくりと網を開いた。
しばらく出てこないので、後ろからトントンと合図を送ると、向かいにあるアンテナの上に止まり、遠くの方向をしっかり見定めた。そして、まっすぐ、力強く、飛んで行った。
いいことをしたな、無力感に囚われていたぼくには、あのシラサギは、中田さんではなかったかと、ふっと、頭を掠めた。
寒い冬の日、ぼくは大きな河の岸辺から魚釣りをしていた。辺りは、誰もいない。薄日が射していても、かじかむ掌を擦りながら、防寒服にまるまって、魚信のないウキとにらめっこしていた。
ぼくには中田さんという釣りの友達がいた。中田さんは工事現場でケガをして左手が不自由だった。
「谷さんよう、朝、出てくる時、中田さんはいいわねえ、毎日釣りができてって、近くのひとにいつも言われるんだ。働くとこさえありゃあ、俺だって毎日釣りなんかしたくねえよう。辛れえよう」
ある時、中田さんはぼくに、そう零していた。
それからしばらくして、ぼくが仕事で三週間ほど地方に出張している時、中田さんは、相模湖の釣り場で入水自殺して、帰らぬ人となった。現場にはコンビニで買った赤飯がそのまま置いてあったという。
その時ぼくは、死ぬほど苦しんでいるとは思わなかった。妻に留守中「谷口さんはいつ帰る?」と中田さんから電話があったという。あの時に仕事先から電話を掛けていればと悔やまれた。自分のことで精いっぱいで、勇気づけることも、なんにもしてあげられなかったおのれが情けなかった。
一年前のそんなことを思い出している時だった。
上流から、白いボールのようなものがぽっかり浮かんで流れてくるのに気がついた。よく見るとシラサギのようだった。
なにやらぼくを意識しながら泳いでいる。流れながら、川面のウキにコツンと当たっていく。河は広いんだから、わざわざこっちに来て釣りの邪魔をすることはない。失礼な奴だなあと思っていると、ぼくの近くの岸辺まできて、ぽっかりと浮かんでいる。わざわざ人の近くにまで来ることはないだろう。生き物が何もいなくって、淋しいんだろうか、ま、いいか、ぼくは構わず、またウキを凝視した。でも、アタリがないので、なにげなくシラサギを見ると、水の中に顔を沈めている。小魚を捕っているにしては時間が長すぎるし、その動きもない。こ、こいつ、溺れてるんだ。ぼくは慌てて鳥に近づき、水の中から両掌で持ち上げた。シラサギは死体のように冷たかった。そして、ぴくりとも動かなかった。寒さにやられたんだろうか、それならそれで同じ生きもの同志温めてやりながら見送ってやろう、ぼくは、膝の上に置いて、両掌でずっと温め続けた。
三〇分も経った頃だろうか、ぼくは穴を掘って埋めてやることを考えていた。ところが、掌の中で翼がかすかに動いたように思った。気のせいかなと思ったが、今度ははっきりと痙攣の振動が伝わった。そして嘴から水を吐いた。少しづつ、呼吸も始めた。こいつ、生き還るかも知れない。頑張れ、頑張れ、ぼくは両掌を伝って応援し続けた。
やがて、はっきりとした呼吸が伝わるようになった。この調子だと、動物病院に連れていって処置をしてもらえば助かるかも知れない。ぼくは防寒服を脱いで、それをシラサギに纏い、横に置くと、慌てて釣り道具を片付けた。車に乗ると、ヒーターを目一杯つけ、シラサギを膝の上に置いて、身体を撫でながら運転した。動いてる、動いてる、確かに、確実に、元気になってきている。運転しながら前方に気をつけて、ちらりと見ると、首を持ち上げ、膝の上で立とうとしている。おッ、やるじゃねえか、その調子だ、頑張れ。
危なくなって助手席に移すと、シラサギは羽を広げ、よろけながら必死で立とうとしている。この調子なら病院に連れていかなくても大丈夫かも知れない。ぼくは家に連れて帰って、古い下駄箱に網を貼って改造した。その間、シラサギは部屋の隅で立つ訓練をしていた。急遽のカゴに解氷した鮎と水を入れる頃には、もうシラサギは、すくっと、元気に立っていた。ま、無理せず、今晩は泊まっていけや。
次の朝、まさか死んではいないだろうか、ぼくは、こわごわ、覗いてみた。いるいる、元気に立っている。もう大丈夫だ。ぼくは信じられない思いだった。ほとんど死んでいたシラサギがぼくの温かさで生き還ったのだ。ぼくにそんな力があるとはとても信じられない思いだった。
考えてみれば、誰もいない河でわざわざぼくの近くにきたのは、同じ生きものとして、ぼくに助けてくれと最後の訴えをしたに違いない。
ベランダから、外に向かって、ゆっくりと網を開いた。
しばらく出てこないので、後ろからトントンと合図を送ると、向かいにあるアンテナの上に止まり、遠くの方向をしっかり見定めた。そして、まっすぐ、力強く、飛んで行った。
いいことをしたな、無力感に囚われていたぼくには、あのシラサギは、中田さんではなかったかと、ふっと、頭を掠めた。