存在の彷徨
(四百字詰め換算 一一八枚)
‘ 谷口正雄
1
通勤電車、朝のラッシュ、なんと陳腐で明晰なことか。四ッ谷駅で俺は降りる。亡霊たちの洪水に溺れながら、ひたすら歩く。そして、小さなエレベーターに、なんとか、たどり着く。俺ひとりの空間、6、永遠に時空を昇れ。 しかし6を選択したのはこの俺だ。俺は6階を選択する臆病者だ。おはよう、おはよう、和の群れ。うすっぺらなうわべだけの和の群れ。赤ら顔の社長の檄。「いいかッ、毎日ボーズじゃ話にならんッ、取るんだアッ、熱意じゃアッ、わかったかッ」。藤原、弾けるようにエレベーターに駆け込む。「狭間もわかったな」。「はいッ」と俺。まるでゲームだぜ、生きていながらリアリティがねえのは一体なんなんだ。
逃げるようにビルを出る。俺は何から逃げているのか。獰猛な社長の怒りからか、何かに縛られた社会からか、情ない自分からか、まあいい、俺は歩く、今日の仕事は仕事だ。これで飯を食っている以上はこれが俺の人生であり生活だッ、か。虚勢の向日葵の群れ。俺は花屋で立ち止まる。カサブランカも黄色のガーベラもこいつらは一体なんなんだ。みんな均等に綺麗すぎるおまえらは本当のいのちか。根なし土なしの上半身だけの虚勢の群れ。生命はインスタントになった。
中央線に乗る。行くは丸ノ内。午前中で広告一頁はどこかで決めなくちゃならない。そう、それが俺の仕事で俺のノルマで俺のすべてで俺の人生だ。 やわい肌が触れる電車の中。おんなだ、後ろから押し付けられて俺は眼を閉じる。乳房があたる、柔らかな腹部が俺の尻に密着する、おお、その下はワギナだ。俺はおんなと溶ける、一方的に浸透していく。俺は少し生命を取り戻す。垣間、瞬間こそ永遠、か。
財閥系企業の歴史あるビル。その総務応接の一室に俺はいる。ドアのノックの音で試合は開始。担当者が入ってくる。
俺 (笑顔をつくり、深々と礼をする) 「どうも、ご無沙汰しております。 時期がまいりましたんで広告のお願いにあがりました」
担当者(反り返るようにソファに腰を下ろす) 「時期って、別にいつもおたくの雑誌に広告を出すって決まっていませんよ」
俺 (作り笑いをさらに倍加する)「いや、いや、ま、そんなこと、おっしゃらずに。去年もこの時期でてるわけですから、ま、お願いしますよ」
担当者「だいたいおたくの雑誌に広告出しても、なんのメリットもないんですから、発行部数だって何千部でしょ、実質」
俺 「そんなことないですよ、五万部ちゃんと出ていますよ、ま、そんなことより、付き合いですから、頼みますよ」
担当者「付き合いって、なんですか」
俺 (溜め息をひとつつき、コビ型から次の手に、言葉をゆっくりと重々しく発する)「今日は随分シビアですね。ま、いいですけどね。ところで、お宅の副社長にこの間お会いしましたよ、偶然クラブでね。時期社長でしょ、あの人。総務所轄で、あなたの上でもある」
担当者「…………」
俺 「部下の女性とお盛んですねって言ったらびっくりしてましたよ。ま、英雄色を好みますわね、それはそれでいいでしょ、しかし、部下に手を出しちゃいけない。あの秘書課の娘、やめたんですってね」
担当者「狭間さん、知っておられたんですか」
俺 「いやいや、ああいう人が社長になってはいけない。社会正義に反します。あなたもそう思うから私に辛く当たるんでしょ。まかしておいてください。あなたの意をくんで次号で書かせてもらいますよ。いや、お忙しいところ失礼しました」(そう言って俺は席を立つ)
担当者(実に慌てて)「は、狭間さん、ま、待ってくださいよ。ま、座ってください」(俺を押し止めようとする)
俺 (よし、勝った。生意気な分、二頁は貰おう)
生命に善も悪もない。在るものは「在る」。それだけだ。そして「在る」がごとく生き抜くこと。それが人生のすべてだ。
アパートの闇の中、俺は畳の上で寝そべっている。一日の疲れを時計の音が刻んでいる、静寂に。俺は部屋の明りを付けて、コンビニ弁当をかき食らう。
ある時コミュニストの姉が言った。「直人、あなたは財界におべっかを使うムシケラよ」。俺は言ってやった。「あんただって企業から給料貰って食っているじゃねえか。その大企業がどうだ、原料千円のものを五千円で売ってるじゃねえか。付加価値? 笑わせるんじゃねえよ。そりゃあ合法的詐欺ってもんだ。あんただって詐欺の片棒担いでおまんま食ってるんじゃねえか」 姉とは一〇年逢っていない。
目の前の水槽、今日も稚魚が一匹死んでいる。それを唯一生き残っている一センチにも満たない最後の稚魚が食べている。
水槽の金魚が初めて産卵し、親どもがそのすべてを食い尽くした。二回目の産卵の時、俺は別の水槽に約二百もの卵を移し替えた。そのうち約半数が無精卵で腐乱し、五日後百匹ちかくが新しい生命として動き始めた。その稚魚たちは無精卵を食べて大きくなり、死んだ仲間を食べて大きくなり、やがて先に大きくなったものが生きている仲間を食って大きくなった。勿論俺は生まれてきたすべてを大きくしょうと餌もやり水も替えた。 しかし残ったのは僅かこの一匹だ。それでさえ尾っぽが歪んでいる。いのちは、とにかく、与えられた環境の中で生き抜くこと。そこには善も悪もない。
存在を纏めようったって無駄なことだ。
存在は、ただ、在る。それに人間は意味をつけようとする。それが間違いのもとだ。
存在はただ在る。ただ、在るがままをうけいれること。形も性質も本質も、在るがままうけいれる。
蜘蛛が一匹、「無限」と書いたボードの上を通り過ぎる。「エロス」の紙の上でジャンプする。蜘蛛はボードの境で暫く止まったが、裏側に消える。見えない裏側に蜘蛛は「在る」。しかし、一匹ではなく実はボードの裏側には何千匹の蜘蛛がびっしりとへばりついている。 それが否定できるか? 時間前後の常識で「推察」するほかはない。何千匹もいて一匹しか表に出ないわけがないと。しかし偶然見た一匹すらも偶然見なかったならば、蜘蛛はボードの裏にはいないことになる。人間の認識は解っているようで何も解っちゃいない。存在は解らないことも含めて 在るがまま受け入れるしかない。
不思議は不思議のまま受け入れなさい。白か黒か明白である必要はないのです。
しかし明白でありたいのです。私は何のためにここにいて、何のために生きているのか、明白でありたいのです。そうでなければこころが不安で力強く生きてる感じがしませんもの。
いつになく風が強い。ベランダの洗濯モノのふかれる音、波板が発砲スチロールに擦れる音、空の遠くまで響き渡る音、その揺らぎは力強く生きている。生は「動き」なり、エネルギーなり、ひたすらエネルギーの発露なり。 エネルギーに善も悪もない。ひたすら「動き」なり。風に目標はあるか、風に生きがいはあるか。風はひたすら「動く」のみ。吹きつけるのみ。生きるとは動くこと、己が本質の有り体に「動く」のみ。まずは生きている。それだけでいい。次に、今、やりたいと思ったことが最良の道。
風は単独で存在しない。環境の中で生まれる。その環境も環境(他存在)の中で生まれる。人間(俺)もまた環境(他存在)の中から生まれたもの。他存在が俺を生み、俺は与えられたエネルギーとしてあるがままに「動け」ばいい。「俺はあるがままに動けばいい」。風もまた吹き続ける。そして停止し、また、生まれる。エネルギーは輪廻転生。今(現在)の俺はこれでいい。 次の俺も次のそれでいい。E=mc2乗。
俺はバックに女房の下着とパジャマを入れて、アパートを出る。
電話をしておいた狭間です。仕事で遅くなるものですみません。一か所だけ照明の付いた病院の受付は、黒い空洞の中に浮かび、その女は、三途の川で待つ番人のようだ。
俺は給料袋から約半分の札を番人に渡して今月の支払いを済ます。エレベーターで昇るといつもの病室、ノックなどする必要はない。俺はゆっくりとノブをまわす。そしていつもの啓子がそこにいる。身動きひとつせず、いつもの啓子がそこにいる。椅子に座って俺はおまえをみつめる。愛すべきものがそこに在る。啓子の目頭は濡れている、ひとすじと、ふたすじと、水滴は耳を伝って枕に落ちている。医者は言うだろう、筋肉の弛緩によっておこるもので泣いておられるわけではありません、奥様には意識がないのですから……。
俺は啓子の涙を舌の先で拭う。何度も、何度も、拭ってみる。そして俺の濡れた目頭を啓子の唇に押しつける。と、温かな唇から啓子が俺の中に入ってくる。俺は嬉しくなって、啓子の掌をとって、高みに昇る。暗天、あるいはクリムソンレーキー色の空間を泳ぐ。泳いでいるうちに俺は空間に拡散され、やがて空間が俺になる。ところが、その中で啓子はただ物体として浮遊している。頑強に空間との融和を拒絶しながら、物体として浮遊し続けている。俺は風になって啓子に抱擁を試みる。しかし啓子は動かずそれを拒否する。俺は月夜の薄闇のなかを超スピードで疾風し、啓子の存在を忘れようと荒れ狂い、地上にある一本の電信柱を意識が捉えたところで止まる。鈍い銀色の鉱物に俺は絡み付き、なめるように抱擁し、一体化を図ろうとする。しかし、セメントの突起物もやはり毅然と進入あるいは融和を拒否する。融和を図ろうとする俺に、あらゆるものは拒絶する。 もう、それでいい。それらは他存在であり、俺ではない。明確な境界線を引かれたほうが「俺」が解るというものだ。いや、解ったわけではない。俺は少なくとも電信柱ではない、啓子ではない、そういうことが解っただけだ。俺は渦巻いて塊となって地面に潜る。砂、及び土の隙間に浸透して、 下に下にと走っていく。
神はいるか、いるはずもない。また、暗黒のモヤが包む。
啓子は植物人間でありながら、拒絶を意志し、
俺は「自己欺瞞」を確認して、ひとりのまま、生きるしかない。
存在、存在する。花を咲かす。毒か薬か、毒でも薬でも、個性が存在、輝きが存在。存在に善も悪もない。あるのは輝きの強と弱。新しさ。特出。 固体変異。広がり。次のもの。その次。止まらない。止められない。落ち着く時、それは死か。動き、新しさ、広がりを求めて、動きづめに動く時、生命は輝く。そこには善悪はない。存在の輝きは倫理道徳を越える。刺激は反応の動きを求める。
存在に善も悪もない。在るのは、存在の輝きが強いか弱いかだけ。光は念いの強さ、新しさと広がりへの。それが存在の意味。世界の意味。それが表層世界の、明るい世界の意味。そして、その裏には、沈黙、闇、無、空の世界が一体として、在る。
存在の輝きと死。
おまえらッ、何故取れんのだッ。ここは失業者の集まりかッ、俺は慈善事業しとるんじゃないぞッ。いいかッ、今週が勝負だッ。血を吐いてでも取って来い。おまえら狭間を見習え、狭間くんはしっかり取って来てるじゃないかッ。
朝礼で皆の冷ややかな視線が俺に集まる。俺には誇るなにものもない、 誰も読まない誰も喜ばない、自分が食らうがためだけの経済誌に広告の成績を上げることはむしろ加害者だ。一度足を洗ったはずの俺は食らうがために、再び戻って、ここに、いる。
木村ッ、おまえは仕事しているのかッ。住菱はどうしたッ、狭間に行かしたら、ちゃんと取ってきたじゃないかッ。大先輩が何をしとるんじゃッ。木村さんの眼鏡の奥が虚ろになる。突然木村さんは発する。しゃ、社長、私だって一生懸命やってますよ、狭間さんみたいに脅したりしないだけですよ。住菱の担当者が泣いていましたよッ、脅されたって。再び社長の檄が飛ぶ。馬鹿もんッ、狭間くんが脅すわけがない。それは木村ッ、負け犬の遠声だ、醜いぞッ。たとえ脅したっていいんだッ、それぐらいの元気を出せッ。
俺は 無表情で社長の訓示を聞いている真似を続けるほかはない。砂漠に幾万ともつかぬ野牛の群れ。身を守る凶器もないそれらは、自然大地の塵埃にまみれ、小さなオアシスで水を飲むために場所を奪い合う。それでも彼等は群れを離れない。生きるために理不尽な習性に身を任せ、群れは必ず群れとして行動する。
馬鹿な形而下に、意識は自由か。自由であるはずもない。
こうして、また一日が始まり、終わる。
目の前には、啓子が買った造花のハナが見え、二年前に死んだ洋一の、学校の工作でつくった鬼のお面が埃を被ってぶら下がり、正面の鏡に俺らしきものが写っている。俺は、そこ、ここ、にあるモノとどう違うのか。
肩の痛み、こわばりだけの意識、それがモノと違う俺か。その上で、時計らしきものが、秒速で動く。それだけが、今、の変化か。溜め息をついて瞼を塞ぐ。電車の音。空間。風の音。耳鳴り。そして時計の音。全く、別々の響き、波動。 因果的な関連のない個の存在。存在間のコミュニケートに期待するのは弱さであり、奢りである。存在群は不連続でばらばらなもの。
個は独りである。カップヌードルを食らい、焼きいもをほおばる。宇宙法則に於ける生物の目的は、環境の変化に対応し、生き抜くことのみ。カラスが鳴いている。電車の音。茫々とした空間。深い溜め息をついて、ここに 俺はいる。
みんなバラバラだなんて、馬鹿なこと言っちゃいけないよ。人類はみな兄弟です。人類だけじゃなく、あらゆる動物も植物も……
鏡に向かって、俺は言う。
いいですか、人間なんてエラそうなこと言っちゃいけないよ。言ってみれば人間なんてバクテリアの化身なんですよ。いいですか、あなたも私も、人間、約六〇兆の細胞から成り立っております。その一つの細胞を見たら 核と数千匹のミトコンドリアがいる。
いいですか、核もミトコンドリアも三五億年も前に地球上で生まれたバクテリアなんですよ。最も生命のタネは宇宙から降ってきた雑菌という説もありますがね。ま、そいつらが環境の変化に単体では対応できなくて生き延びるために複合体となって共存したんですよ。核は司令塔の役目を果たしミトコンドリアはエネルギーの生産を司る。植物だってそうですよ。植物はミトコンドリアの代わりに葉緑体、こいつもバクテリアです。こいつと核が共存して、植物という複合体で環境の変化に生き抜いてきた。「環境の変化に対応し生き抜くこと」。生物の目的はそれだけですよ あとに何もありゃあしません。バクテリアどもは生き延びるために「固体変異」という宇宙の法則に則って多様化を図った。宇宙には同じものがふたつとしてない、あれですよ。種類が多ければ多いほど、急激な環境の変化が地球上であったとしても生き延びる可能性がでてくるわけだ。そんなこんなで三五億年経った今、地球上の生物は三千万種を数えるに至ったわけですよ。しかしみんな同じバクテリアの化身ですよ、兄弟ですよ。たまたまそれが狸だったり人間だったりするわけですよ。それだけの違いで人間なんて なあんも エラくともなんともないですよ。
鏡の俺は、ニイッと笑う。
いいですか、コンピューターの時代だとか言って、たかだか五〇年ですよ。 ちょんまげ切ったところから入れても一五〇年でしかないんですよ。今を席巻している自由主義経済の観念だって、たかだか二〇〇年ですよ。立派でも絶対でも何でもないですよ。自由と言ったって競争とセットで、もう、人間の心も地球もぼろぼろじゃあないですか。もう新しい観念をつくらにゃいけませんよ、傲慢じゃなく謙虚にね。世の中、コンピューターできたって、こりゃあ、進歩でも発展でもなんでもないですよ。何故って、仮に進歩や発展ということがあるとすれば、それは幸福に感じるひとが前よりも増えたということでしょう。しかし紀元前の時代の人類と較べてみて、幸福に感じる人間の比率が今のほうが増えたとはどうしても思えない。つまり世の中に進歩や発展なんてもともとないんですよ。あるとすればそれは「環境の変化」でしかない。だからその変化に生き抜く新たな観念の創出が必要な時期に来ているということでしょう。人類が生まれて三〇〇万年の歴史のうち、たかだか二〇〇年がエラそうにしちゃあいけませんよ、 もっと謙虚であらなくちゃあねェ。そして生命が生まれて三五億年ですよ。 宇宙の塵やガスから地球が生まれて四六億年、ビッグバンから宇宙が生まれて一五〇億年ですよ。人間は宇宙にひれ伏さなくっちゃいけません。 なめたらあかんぜよ、ですよ。
鏡の俺は、ニイッ、ニイッ、と笑う。
いいですか、我々は太陽系に位置していますよ。ところが我々の属している銀河系には、そんな太陽が一〇〇〇億個もあるんですよ。その銀河系も宇宙にはこれまた一〇〇〇億個もある。ええっと 仮に地球みたいなものが太陽一個にひとつとしたら、一〇〇〇億個×一〇〇〇億個、つまり……一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇個の地球があることになりますわね。
いいですか、月まで光の速さで一・三秒ですよ。太陽まで八分ですよ。冥王星まで五時間三〇分ですよ。ところが我々の銀河系のお隣りのアンドロメダ銀河まで二二〇万光年、最近発見された最も遠い銀河まで一四二億光年ですよ。光の速さで行ってですよ。
月に上陸したとか、木星に探査機が行った程度で、宇宙を制覇したような気持ちになって、笑わしちゃあいけませんぜ。人間の傲慢さにはヘドが出ちまいまさあ。
鏡の俺は、ニイッ、ニイッ、ニイッ、と笑う。
いいですか、この地球だって一〇億年たちゃあ無くなっちゃいますよ。火星に住むようになっても太陽は五〇億年で死んで爆発を起こしちゃいますよ。人間が死んで墓つくったって永遠には残らんのですよ。世の中で、いいことしたって、わるいことしたって、何も残らんのですよ。歴史に刻む偉大な一頁? 冗談じゃないですよ、歴史だって残りゃあしない。エジプトのピラミッドだって、ヒットラーだって、赤軍派だって、東日本大震災だって、AKB48だって 安倍晋三だって、狭間直人だって、谷口正雄だって、なんにも残りゃあしませんよ。飯だって、鏡だって、月だって、女房だって、クーラーだって、文字だって、兄弟だって、コップだって、鉛筆だって、造花だって、 指だって、夜だって、水だって、バイクだって、残らない。 垂れ目だって、光だって、草だって、土だって、茶碗洗いだって、親だって、電話だって、頭痛だって、写真だって、停電だって、服だって、 ………
世の中に、「絶対」、はない。
鏡の俺は、とっくに、消えている。
東阪ガスの社長の弱みを握っている俺に、そこの社長は頭が上がらない。 それを利用して、そこの資材部長から取引先に紹介の電話を入れさせる。 事務用品を納入している垣崎社長を前にして、俺は東阪ガスとの親しい関係を捲し立てる。
ま、そういうことで広告のほう、ひとつ頼みますよ、俺は言う。渋面する垣崎は不況で経費削減しているのでと言いながらも、秘書を呼び、持ってこさせた現金の入った封筒を俺に差し出す。こんな中小企業ですから広告の掲載は結構ですよ、ま、コンサルタント料とでもしておいてください。 領収書も結構ですから、狭間さん個人で受け取られても結構ですよ、垣崎は言う。いやいや会社にバレてこの金が退職金代わりになるとツマランですからね、あとで雑誌購読料名目の領収書を送りますよ。
俺は会社を後にして、地下鉄の六本木駅に向かってゆっくりと歩く。背広を脱ぐ。一件落着だ。これであの企業は半年に一回定番になる。定番? これが俺の人生の定番か。実になさけない定番。よろよろ上り坂を歩いて「定番」を考える。「おいしいとこだけ、一番搾り」の看板。「カラオケXで楽しもう」の旗。横の国道を自動車が何台も猛スピードで過ぎていく。 砂埃が歩道にまで舞い上がる。白髪で長身の男がひとり歩道で左手でパンフレットを通行人に差し出したまま右手で顔を隠すように本を読んでいる。 「神は本当にわたしたちのことを気遣っておられますか」 その小誌を俺は無言で受け取る。彼も無言で渡す。
歩く。ただ歩く。ただ歩くと、妙な音が次第に大きく響いてくる。ドンドン、ドドント、ドンドンドン。リズムカルで実に力強い音。大きく国道の高架の下に響き渡っている。こいつだ。もう少し行くと手ぬぐいを頭に巻いた精悍な顔付きの老人が金属の大きなゴミ箱を力一杯叩いている。ドンドン ドドント、ドンドンドン。出稼ぎの老人が故郷の村祭りの太鼓でも思い出しているのか、しかし老人に衒いはない。躍動しろ、躍動しろ、人間よ、躍動しろ、とゴミ箱は響く。神はここにも降りてきているではないか、俺はそう思う。
十億年後、すべては無くなる。それを待たなくったって、あと四〇年もすれば平均寿命で死んじまう。どう生きるか、何をもって生きるか、何も解らない。
俺は「絶対」を求めている。「神」を求めている。
新規を三軒回って門前払いを食わされた後、神田駅前の立ち食い蕎麦屋に入る。ざるそばにてんぷらのっけてェ。あいよ。てんぷらはタレつけないでそのままね。てんぷらはタレつけないでそのままと、あいよ、おまちどう。
俺はかき喰らう、旨いとかまずいとか感性のない味をかき喰らう。少なくともかき揚げはこうしてバリッと折って食べる瞬間にそばつゆにつけるのがいい。食っている最中に金を払ったかどうか判らなくなる、五〇〇円玉を握ってたところまでは覚えていたのだが……。ご主人、お金払いましたよね。「あいよ、三〇円お釣渡しましたよ、私の手はお金貰わないと動かないようになっているんでねェ」大柄な男が言う。ご主人面白いこと言うねェ、以前何やってたの? 「いろいろ、なんでもね、そば食っててんぷら食ったらビール欲しくなるでしょ」 仕事中ですから、ご主人酒強いんでしょ。 「いや、嗜む程度です。ま、あとは競輪かな。でも何万とやらないよ。三〇〇円とか五〇〇円買って、おーあいつ勝ったなって楽しむんですよ。光輪閣知ってるでしょ」 ええ名前だけは。「あそこで上からど~んと墜っこちるの見ましたよ。警察が来てそいつのポケット調べたら二〇円しかない。 イチかバチかやけくそになって勝負に出る奴多いんですよ。同じ場所で二度見ましたよ。あれって人呼ぶんだね。この中央線だってよく飛び込むよね。たいへんな人、一杯いるよ。そば食って笑ってられるの、いいほうよ」
ごちそうさん、ご主人そば旨かったよ。俺は外に出る。
三越の屋上からエレベーターに乗る。傍らの広告に原島実画伯個展とある。俺は七階で降りて会場に向かう。展示場は特売場に面した一角にあり主婦達が流れて観に来ている。どの油絵も二0号位の風景画で高校の美術部で一緒だった頃の原島のねばっこい半具象のタッチではなく、まるで別人のように夕日に染まったエーゲ海やミコノス島を詩情的なタッチで描いている。その絵の殆どに売却済の赤紙が貼られている。会場を一回りして出ようとした時、一五年ぶりの原島に出会う。
俺達は店内の喫茶店に入る。
俺 「大したもんだな、殆ど完売じゃねえか」
原島「そりゃあ、皮肉か? 俺はな、あの頃と違って、所詮絵は白壁に掲げる窓だと解ったんだよ。例えば美人を描くとするだろう、誰も買いやせん 旦那が美人画を買って家に持って帰ったら奥さんに何言われるかわからんからだ。窓だよ、窓。窓に一番適しているのは外国の風景だよ。売るにはこいつが一番だ。それにしてもお前、雑誌屋だって? もったいねえな、俺より遥かに旨かったのに。今でも覚えてるよ。お前が突然『絵は平面だ』とか言って美術部を辞めた日の事を。あれから全然描いてないのかい」
俺 「若気の至りだな、本当は絵は平面じゃないんだろうけど、身体でもっと感じたかったんだろうな、社会や存在を」
原島「そういやお前『絵は存在の探求だ』って執拗に言ってたな」
俺 「今でもそう思ってるけどね。しかしたまに公募展なんか見に行くけど、俺の感受性が薄れたのか描き手がいいかげんになったのか判らんけど、昔のようにひとつの絵に何時間も張り付けになるような絵には全く出くわさなくなった。先が見えないというか、次が見えていない。しかも独我的な視野で閉鎖的で、こんなもんで絵だと作者自身が自分に妥協している幼稚なものばかりだ。逆説的に言うと、存在を捉えられない「今」をよく表現していると言えるけれどね」
原島「相変わらずこ難しい事言ってるな。俺はそんなもん止めたよ。売れてナンボだよ絵は」
俺 「しかし芸術家は時代の斥候隊であって欲しいよ、なるほど次の世界はこんなだというドキっとするようなものが欲しいね。芸術は唯一、人間の中に託された神からの啓示だよ。それを売るのを目的にやった時点で、形而下に埋没してしまう。芸術家は存在を探求し、形而下から形而上へ昇華していって、少しでも神に近付いて、その世界を見せて欲しい」
原島「描かねえ奴がよく言うよ。てめえは、どうなんだ、立体的な社会体験やらを積んで、言語で次の世界とやらを提示しているのかよ」
俺 「いや、なにも。ま、絶望的になっている」
原島「当たり前だよ、そんなもん誰にも解りゃあしねえよ。いいか、てめえが理屈で描いた妖怪と喧嘩したって勝てるわけはねえんだよ」
「神は本当にわたしたちのことを気遣っておられますか」 三越の屋上のベンチで昼の休憩をとる。カンコーヒーを飲みながら、先程のパンフを捲ってみる。
……この二〇世紀だけでも何百万人というユダヤ人の大量虐殺があり、現在でも、毎年幾千万人の人が飢えや病気で死ぬ一方、少数のひとが膨大な富を所有しております。人間は地球を汚染し、略奪しています。これらはサタンがアダムとエバに神の自由意志を誤用させ、二人が欠陥のある罪人になって子孫に罪を伝え、罪を通して病気も死も伝わっていった結果です……
「馬鹿な 神に背いたから死という原罪というならば、昆虫も植物もみんな神に背いたというわけか、アホなこと言うなッ」
……エデンで反逆が起きた時、神は、この地球を人々の楽園の住家にするひとつの政府をつくるという目的を明らかにされました。後にイエスは神の主要な代弁者として、病人や手足や目や耳の不自由な人、口のきけない人をいやされました。さらに死者をよみがえらせることさえ行われていたのです……
「インチキ野郎がッ。神の考えたものではないことは、この文章読めば判るではないか、なぜ神たるものが人間本位にモノを考えるのか。その他の動植物のことを神は考えないとでも言うのかッ。イエスは当時確かに薬も使わず病人を治しもしたんだろう、釈迦だってそうだ。それは外気功でも先天的に出せる能力があったんだろうよ。それを後世の人間がびっくりして神だと信じてつくった教義がひとり歩きした、それだけの話しよ。宗教なんてものはすべて人間がつくったインチキだッ」
……神は何千年も悪の存在を許してこられました。そして神の支配から独立した人間は、苦しみを取り除くのではなく、かえって増してきたのです。しかし、聖書予言が示すところによると、キリストの治める神の国は一九一四年に設立され、今やサタンの体制全体を打ち砕く態勢を整えています。そしてやがて大患難であるハルマゲドンとの戦いがやってきます。その時、神を信じるものだけが助かり、戦いの後、神の王国の指導のもとで、利他的な仕事に自分の精力をささげます。地球は人類のための美しく平和で満足のゆく住まいへと変わります。そして、病気も老いも死もない大きな幸福がもたらされることでしょう……
「なんと教義を作った人間に都合のいいように書いた文章であることか、 いいかげんにせい、本当に「神」が怒るぞ。それに病気も老いも死もない大きな幸福って何だ。今以上に人口爆発が起こって、食い物は一体どうするんだ」
……あなたは神の存在を疑いますか? 神がおられるかどうかを確かめる一つの方法は造られたものには必ず造り手がいるという確証された原則を適用することです……
造り手は、存在するのか。確かに宇宙の始まりであるビックバン以降は解ったとしても、爆発前の凝縮された一センチ立方の物体はなぜそこに「在った」のか。またブラックホールが実在世界の死で虚の世界の入り口であり、ホワイトホールが虚の出口で実世界の誕生はそこからだとしても、 なぜ、輪廻転生するそのものが「存在」するのか。やはり造り手は存在するのか。そして「宇」である空間も「宙」である時間もなぜ「存在」するのか。 やはり造り手は存在するのか。ならば、何のために造り手は存在するのか。
仮に神が存在するとして、神と俺との関係を考えた場合、たとえば俺は俺の体内の一匹のミトコンドリアだとして、俺全体が神だとすると、俺は俺全体が解るか。どんなに動き回っても一細胞からは永遠に出られず六〇兆からなる俺の全体を捉えることは不可能だ。俺は一細胞の中で時折送られてくる電気信号によってその時々の行動を決定する。その電気信号は細胞核が発信しているのだろうか。エネルギーをつくれ、ちょっと子孫が多すぎる、子づくりを控えろ。一匹のミトコンドリアの俺は核から送られてくる電気信号と隣のミトコンドリアの行動を意識しながら自分の行動を決定する。一匹のミトコンドリアの俺は核に尋ねる。あなたの信号はあなたが考えて発信しているのかと。核は答える。私もまた付近から送られてくる電気信号と隣の核の発信を参考にして君達に信号を送っていると。俺は尋ねる。隣はどうなっているんだ、その隣はどうなんだ、われわれの全体は何なんだ。核がいう。解らない、解らない、何がなんだか解らない。ただ全体というものが仮にあったとして、それが仮に解ったとしてどうなるっていうんだ。君はそれが解ったからといっても、やっぱり私から送られてくる信号と近くの仲間たちの行動を参考にしながら動くしか手がないし、それが君に与えられた最良の人生なんだよ。
設定 神はいたとする。いまはまだ解らないがそのうち人類は神の存在を認知する時がくるとする。そうした場合、俺の人生はそれから変わるか。俺が自分の一細胞の中の一ミトコンドリアだとして、しかも全体像のたとえば手の指先の一細胞の一ミトコンドリアだと自分の使命を知った場合、まずなにより命令に忠実にならざるを得ないではないか。まったく遊びの許されない人生。それはそれで悩まなくて済む。そして考える必要もないから意識の退化も進むだろう。それはそれで幸福だろうが、やはり、俺には不明確なほうがいい。神の存在と自分の使命が不明確だからこそ自由でいいかげんな暮らしができる、考えもする。
しかし そのことに疲れているではないか。まったくわけがわからなくなっているではないか。
俺の意識は漂う。止まりたいが、信念したいが、観念したいが、漂う。
暗空の閉ざされた虚。
そして、
俺はワイシャツに零したコーヒーのシミを、
どうして取ろうか、考えている。
(四百字詰め換算 一一八枚)
‘ 谷口正雄
1
通勤電車、朝のラッシュ、なんと陳腐で明晰なことか。四ッ谷駅で俺は降りる。亡霊たちの洪水に溺れながら、ひたすら歩く。そして、小さなエレベーターに、なんとか、たどり着く。俺ひとりの空間、6、永遠に時空を昇れ。 しかし6を選択したのはこの俺だ。俺は6階を選択する臆病者だ。おはよう、おはよう、和の群れ。うすっぺらなうわべだけの和の群れ。赤ら顔の社長の檄。「いいかッ、毎日ボーズじゃ話にならんッ、取るんだアッ、熱意じゃアッ、わかったかッ」。藤原、弾けるようにエレベーターに駆け込む。「狭間もわかったな」。「はいッ」と俺。まるでゲームだぜ、生きていながらリアリティがねえのは一体なんなんだ。
逃げるようにビルを出る。俺は何から逃げているのか。獰猛な社長の怒りからか、何かに縛られた社会からか、情ない自分からか、まあいい、俺は歩く、今日の仕事は仕事だ。これで飯を食っている以上はこれが俺の人生であり生活だッ、か。虚勢の向日葵の群れ。俺は花屋で立ち止まる。カサブランカも黄色のガーベラもこいつらは一体なんなんだ。みんな均等に綺麗すぎるおまえらは本当のいのちか。根なし土なしの上半身だけの虚勢の群れ。生命はインスタントになった。
中央線に乗る。行くは丸ノ内。午前中で広告一頁はどこかで決めなくちゃならない。そう、それが俺の仕事で俺のノルマで俺のすべてで俺の人生だ。 やわい肌が触れる電車の中。おんなだ、後ろから押し付けられて俺は眼を閉じる。乳房があたる、柔らかな腹部が俺の尻に密着する、おお、その下はワギナだ。俺はおんなと溶ける、一方的に浸透していく。俺は少し生命を取り戻す。垣間、瞬間こそ永遠、か。
財閥系企業の歴史あるビル。その総務応接の一室に俺はいる。ドアのノックの音で試合は開始。担当者が入ってくる。
俺 (笑顔をつくり、深々と礼をする) 「どうも、ご無沙汰しております。 時期がまいりましたんで広告のお願いにあがりました」
担当者(反り返るようにソファに腰を下ろす) 「時期って、別にいつもおたくの雑誌に広告を出すって決まっていませんよ」
俺 (作り笑いをさらに倍加する)「いや、いや、ま、そんなこと、おっしゃらずに。去年もこの時期でてるわけですから、ま、お願いしますよ」
担当者「だいたいおたくの雑誌に広告出しても、なんのメリットもないんですから、発行部数だって何千部でしょ、実質」
俺 「そんなことないですよ、五万部ちゃんと出ていますよ、ま、そんなことより、付き合いですから、頼みますよ」
担当者「付き合いって、なんですか」
俺 (溜め息をひとつつき、コビ型から次の手に、言葉をゆっくりと重々しく発する)「今日は随分シビアですね。ま、いいですけどね。ところで、お宅の副社長にこの間お会いしましたよ、偶然クラブでね。時期社長でしょ、あの人。総務所轄で、あなたの上でもある」
担当者「…………」
俺 「部下の女性とお盛んですねって言ったらびっくりしてましたよ。ま、英雄色を好みますわね、それはそれでいいでしょ、しかし、部下に手を出しちゃいけない。あの秘書課の娘、やめたんですってね」
担当者「狭間さん、知っておられたんですか」
俺 「いやいや、ああいう人が社長になってはいけない。社会正義に反します。あなたもそう思うから私に辛く当たるんでしょ。まかしておいてください。あなたの意をくんで次号で書かせてもらいますよ。いや、お忙しいところ失礼しました」(そう言って俺は席を立つ)
担当者(実に慌てて)「は、狭間さん、ま、待ってくださいよ。ま、座ってください」(俺を押し止めようとする)
俺 (よし、勝った。生意気な分、二頁は貰おう)
生命に善も悪もない。在るものは「在る」。それだけだ。そして「在る」がごとく生き抜くこと。それが人生のすべてだ。
アパートの闇の中、俺は畳の上で寝そべっている。一日の疲れを時計の音が刻んでいる、静寂に。俺は部屋の明りを付けて、コンビニ弁当をかき食らう。
ある時コミュニストの姉が言った。「直人、あなたは財界におべっかを使うムシケラよ」。俺は言ってやった。「あんただって企業から給料貰って食っているじゃねえか。その大企業がどうだ、原料千円のものを五千円で売ってるじゃねえか。付加価値? 笑わせるんじゃねえよ。そりゃあ合法的詐欺ってもんだ。あんただって詐欺の片棒担いでおまんま食ってるんじゃねえか」 姉とは一〇年逢っていない。
目の前の水槽、今日も稚魚が一匹死んでいる。それを唯一生き残っている一センチにも満たない最後の稚魚が食べている。
水槽の金魚が初めて産卵し、親どもがそのすべてを食い尽くした。二回目の産卵の時、俺は別の水槽に約二百もの卵を移し替えた。そのうち約半数が無精卵で腐乱し、五日後百匹ちかくが新しい生命として動き始めた。その稚魚たちは無精卵を食べて大きくなり、死んだ仲間を食べて大きくなり、やがて先に大きくなったものが生きている仲間を食って大きくなった。勿論俺は生まれてきたすべてを大きくしょうと餌もやり水も替えた。 しかし残ったのは僅かこの一匹だ。それでさえ尾っぽが歪んでいる。いのちは、とにかく、与えられた環境の中で生き抜くこと。そこには善も悪もない。
存在を纏めようったって無駄なことだ。
存在は、ただ、在る。それに人間は意味をつけようとする。それが間違いのもとだ。
存在はただ在る。ただ、在るがままをうけいれること。形も性質も本質も、在るがままうけいれる。
蜘蛛が一匹、「無限」と書いたボードの上を通り過ぎる。「エロス」の紙の上でジャンプする。蜘蛛はボードの境で暫く止まったが、裏側に消える。見えない裏側に蜘蛛は「在る」。しかし、一匹ではなく実はボードの裏側には何千匹の蜘蛛がびっしりとへばりついている。 それが否定できるか? 時間前後の常識で「推察」するほかはない。何千匹もいて一匹しか表に出ないわけがないと。しかし偶然見た一匹すらも偶然見なかったならば、蜘蛛はボードの裏にはいないことになる。人間の認識は解っているようで何も解っちゃいない。存在は解らないことも含めて 在るがまま受け入れるしかない。
不思議は不思議のまま受け入れなさい。白か黒か明白である必要はないのです。
しかし明白でありたいのです。私は何のためにここにいて、何のために生きているのか、明白でありたいのです。そうでなければこころが不安で力強く生きてる感じがしませんもの。
いつになく風が強い。ベランダの洗濯モノのふかれる音、波板が発砲スチロールに擦れる音、空の遠くまで響き渡る音、その揺らぎは力強く生きている。生は「動き」なり、エネルギーなり、ひたすらエネルギーの発露なり。 エネルギーに善も悪もない。ひたすら「動き」なり。風に目標はあるか、風に生きがいはあるか。風はひたすら「動く」のみ。吹きつけるのみ。生きるとは動くこと、己が本質の有り体に「動く」のみ。まずは生きている。それだけでいい。次に、今、やりたいと思ったことが最良の道。
風は単独で存在しない。環境の中で生まれる。その環境も環境(他存在)の中で生まれる。人間(俺)もまた環境(他存在)の中から生まれたもの。他存在が俺を生み、俺は与えられたエネルギーとしてあるがままに「動け」ばいい。「俺はあるがままに動けばいい」。風もまた吹き続ける。そして停止し、また、生まれる。エネルギーは輪廻転生。今(現在)の俺はこれでいい。 次の俺も次のそれでいい。E=mc2乗。
俺はバックに女房の下着とパジャマを入れて、アパートを出る。
電話をしておいた狭間です。仕事で遅くなるものですみません。一か所だけ照明の付いた病院の受付は、黒い空洞の中に浮かび、その女は、三途の川で待つ番人のようだ。
俺は給料袋から約半分の札を番人に渡して今月の支払いを済ます。エレベーターで昇るといつもの病室、ノックなどする必要はない。俺はゆっくりとノブをまわす。そしていつもの啓子がそこにいる。身動きひとつせず、いつもの啓子がそこにいる。椅子に座って俺はおまえをみつめる。愛すべきものがそこに在る。啓子の目頭は濡れている、ひとすじと、ふたすじと、水滴は耳を伝って枕に落ちている。医者は言うだろう、筋肉の弛緩によっておこるもので泣いておられるわけではありません、奥様には意識がないのですから……。
俺は啓子の涙を舌の先で拭う。何度も、何度も、拭ってみる。そして俺の濡れた目頭を啓子の唇に押しつける。と、温かな唇から啓子が俺の中に入ってくる。俺は嬉しくなって、啓子の掌をとって、高みに昇る。暗天、あるいはクリムソンレーキー色の空間を泳ぐ。泳いでいるうちに俺は空間に拡散され、やがて空間が俺になる。ところが、その中で啓子はただ物体として浮遊している。頑強に空間との融和を拒絶しながら、物体として浮遊し続けている。俺は風になって啓子に抱擁を試みる。しかし啓子は動かずそれを拒否する。俺は月夜の薄闇のなかを超スピードで疾風し、啓子の存在を忘れようと荒れ狂い、地上にある一本の電信柱を意識が捉えたところで止まる。鈍い銀色の鉱物に俺は絡み付き、なめるように抱擁し、一体化を図ろうとする。しかし、セメントの突起物もやはり毅然と進入あるいは融和を拒否する。融和を図ろうとする俺に、あらゆるものは拒絶する。 もう、それでいい。それらは他存在であり、俺ではない。明確な境界線を引かれたほうが「俺」が解るというものだ。いや、解ったわけではない。俺は少なくとも電信柱ではない、啓子ではない、そういうことが解っただけだ。俺は渦巻いて塊となって地面に潜る。砂、及び土の隙間に浸透して、 下に下にと走っていく。
神はいるか、いるはずもない。また、暗黒のモヤが包む。
啓子は植物人間でありながら、拒絶を意志し、
俺は「自己欺瞞」を確認して、ひとりのまま、生きるしかない。
存在、存在する。花を咲かす。毒か薬か、毒でも薬でも、個性が存在、輝きが存在。存在に善も悪もない。あるのは輝きの強と弱。新しさ。特出。 固体変異。広がり。次のもの。その次。止まらない。止められない。落ち着く時、それは死か。動き、新しさ、広がりを求めて、動きづめに動く時、生命は輝く。そこには善悪はない。存在の輝きは倫理道徳を越える。刺激は反応の動きを求める。
存在に善も悪もない。在るのは、存在の輝きが強いか弱いかだけ。光は念いの強さ、新しさと広がりへの。それが存在の意味。世界の意味。それが表層世界の、明るい世界の意味。そして、その裏には、沈黙、闇、無、空の世界が一体として、在る。
存在の輝きと死。
おまえらッ、何故取れんのだッ。ここは失業者の集まりかッ、俺は慈善事業しとるんじゃないぞッ。いいかッ、今週が勝負だッ。血を吐いてでも取って来い。おまえら狭間を見習え、狭間くんはしっかり取って来てるじゃないかッ。
朝礼で皆の冷ややかな視線が俺に集まる。俺には誇るなにものもない、 誰も読まない誰も喜ばない、自分が食らうがためだけの経済誌に広告の成績を上げることはむしろ加害者だ。一度足を洗ったはずの俺は食らうがために、再び戻って、ここに、いる。
木村ッ、おまえは仕事しているのかッ。住菱はどうしたッ、狭間に行かしたら、ちゃんと取ってきたじゃないかッ。大先輩が何をしとるんじゃッ。木村さんの眼鏡の奥が虚ろになる。突然木村さんは発する。しゃ、社長、私だって一生懸命やってますよ、狭間さんみたいに脅したりしないだけですよ。住菱の担当者が泣いていましたよッ、脅されたって。再び社長の檄が飛ぶ。馬鹿もんッ、狭間くんが脅すわけがない。それは木村ッ、負け犬の遠声だ、醜いぞッ。たとえ脅したっていいんだッ、それぐらいの元気を出せッ。
俺は 無表情で社長の訓示を聞いている真似を続けるほかはない。砂漠に幾万ともつかぬ野牛の群れ。身を守る凶器もないそれらは、自然大地の塵埃にまみれ、小さなオアシスで水を飲むために場所を奪い合う。それでも彼等は群れを離れない。生きるために理不尽な習性に身を任せ、群れは必ず群れとして行動する。
馬鹿な形而下に、意識は自由か。自由であるはずもない。
こうして、また一日が始まり、終わる。
目の前には、啓子が買った造花のハナが見え、二年前に死んだ洋一の、学校の工作でつくった鬼のお面が埃を被ってぶら下がり、正面の鏡に俺らしきものが写っている。俺は、そこ、ここ、にあるモノとどう違うのか。
肩の痛み、こわばりだけの意識、それがモノと違う俺か。その上で、時計らしきものが、秒速で動く。それだけが、今、の変化か。溜め息をついて瞼を塞ぐ。電車の音。空間。風の音。耳鳴り。そして時計の音。全く、別々の響き、波動。 因果的な関連のない個の存在。存在間のコミュニケートに期待するのは弱さであり、奢りである。存在群は不連続でばらばらなもの。
個は独りである。カップヌードルを食らい、焼きいもをほおばる。宇宙法則に於ける生物の目的は、環境の変化に対応し、生き抜くことのみ。カラスが鳴いている。電車の音。茫々とした空間。深い溜め息をついて、ここに 俺はいる。
みんなバラバラだなんて、馬鹿なこと言っちゃいけないよ。人類はみな兄弟です。人類だけじゃなく、あらゆる動物も植物も……
鏡に向かって、俺は言う。
いいですか、人間なんてエラそうなこと言っちゃいけないよ。言ってみれば人間なんてバクテリアの化身なんですよ。いいですか、あなたも私も、人間、約六〇兆の細胞から成り立っております。その一つの細胞を見たら 核と数千匹のミトコンドリアがいる。
いいですか、核もミトコンドリアも三五億年も前に地球上で生まれたバクテリアなんですよ。最も生命のタネは宇宙から降ってきた雑菌という説もありますがね。ま、そいつらが環境の変化に単体では対応できなくて生き延びるために複合体となって共存したんですよ。核は司令塔の役目を果たしミトコンドリアはエネルギーの生産を司る。植物だってそうですよ。植物はミトコンドリアの代わりに葉緑体、こいつもバクテリアです。こいつと核が共存して、植物という複合体で環境の変化に生き抜いてきた。「環境の変化に対応し生き抜くこと」。生物の目的はそれだけですよ あとに何もありゃあしません。バクテリアどもは生き延びるために「固体変異」という宇宙の法則に則って多様化を図った。宇宙には同じものがふたつとしてない、あれですよ。種類が多ければ多いほど、急激な環境の変化が地球上であったとしても生き延びる可能性がでてくるわけだ。そんなこんなで三五億年経った今、地球上の生物は三千万種を数えるに至ったわけですよ。しかしみんな同じバクテリアの化身ですよ、兄弟ですよ。たまたまそれが狸だったり人間だったりするわけですよ。それだけの違いで人間なんて なあんも エラくともなんともないですよ。
鏡の俺は、ニイッと笑う。
いいですか、コンピューターの時代だとか言って、たかだか五〇年ですよ。 ちょんまげ切ったところから入れても一五〇年でしかないんですよ。今を席巻している自由主義経済の観念だって、たかだか二〇〇年ですよ。立派でも絶対でも何でもないですよ。自由と言ったって競争とセットで、もう、人間の心も地球もぼろぼろじゃあないですか。もう新しい観念をつくらにゃいけませんよ、傲慢じゃなく謙虚にね。世の中、コンピューターできたって、こりゃあ、進歩でも発展でもなんでもないですよ。何故って、仮に進歩や発展ということがあるとすれば、それは幸福に感じるひとが前よりも増えたということでしょう。しかし紀元前の時代の人類と較べてみて、幸福に感じる人間の比率が今のほうが増えたとはどうしても思えない。つまり世の中に進歩や発展なんてもともとないんですよ。あるとすればそれは「環境の変化」でしかない。だからその変化に生き抜く新たな観念の創出が必要な時期に来ているということでしょう。人類が生まれて三〇〇万年の歴史のうち、たかだか二〇〇年がエラそうにしちゃあいけませんよ、 もっと謙虚であらなくちゃあねェ。そして生命が生まれて三五億年ですよ。 宇宙の塵やガスから地球が生まれて四六億年、ビッグバンから宇宙が生まれて一五〇億年ですよ。人間は宇宙にひれ伏さなくっちゃいけません。 なめたらあかんぜよ、ですよ。
鏡の俺は、ニイッ、ニイッ、と笑う。
いいですか、我々は太陽系に位置していますよ。ところが我々の属している銀河系には、そんな太陽が一〇〇〇億個もあるんですよ。その銀河系も宇宙にはこれまた一〇〇〇億個もある。ええっと 仮に地球みたいなものが太陽一個にひとつとしたら、一〇〇〇億個×一〇〇〇億個、つまり……一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇個の地球があることになりますわね。
いいですか、月まで光の速さで一・三秒ですよ。太陽まで八分ですよ。冥王星まで五時間三〇分ですよ。ところが我々の銀河系のお隣りのアンドロメダ銀河まで二二〇万光年、最近発見された最も遠い銀河まで一四二億光年ですよ。光の速さで行ってですよ。
月に上陸したとか、木星に探査機が行った程度で、宇宙を制覇したような気持ちになって、笑わしちゃあいけませんぜ。人間の傲慢さにはヘドが出ちまいまさあ。
鏡の俺は、ニイッ、ニイッ、ニイッ、と笑う。
いいですか、この地球だって一〇億年たちゃあ無くなっちゃいますよ。火星に住むようになっても太陽は五〇億年で死んで爆発を起こしちゃいますよ。人間が死んで墓つくったって永遠には残らんのですよ。世の中で、いいことしたって、わるいことしたって、何も残らんのですよ。歴史に刻む偉大な一頁? 冗談じゃないですよ、歴史だって残りゃあしない。エジプトのピラミッドだって、ヒットラーだって、赤軍派だって、東日本大震災だって、AKB48だって 安倍晋三だって、狭間直人だって、谷口正雄だって、なんにも残りゃあしませんよ。飯だって、鏡だって、月だって、女房だって、クーラーだって、文字だって、兄弟だって、コップだって、鉛筆だって、造花だって、 指だって、夜だって、水だって、バイクだって、残らない。 垂れ目だって、光だって、草だって、土だって、茶碗洗いだって、親だって、電話だって、頭痛だって、写真だって、停電だって、服だって、 ………
世の中に、「絶対」、はない。
鏡の俺は、とっくに、消えている。
東阪ガスの社長の弱みを握っている俺に、そこの社長は頭が上がらない。 それを利用して、そこの資材部長から取引先に紹介の電話を入れさせる。 事務用品を納入している垣崎社長を前にして、俺は東阪ガスとの親しい関係を捲し立てる。
ま、そういうことで広告のほう、ひとつ頼みますよ、俺は言う。渋面する垣崎は不況で経費削減しているのでと言いながらも、秘書を呼び、持ってこさせた現金の入った封筒を俺に差し出す。こんな中小企業ですから広告の掲載は結構ですよ、ま、コンサルタント料とでもしておいてください。 領収書も結構ですから、狭間さん個人で受け取られても結構ですよ、垣崎は言う。いやいや会社にバレてこの金が退職金代わりになるとツマランですからね、あとで雑誌購読料名目の領収書を送りますよ。
俺は会社を後にして、地下鉄の六本木駅に向かってゆっくりと歩く。背広を脱ぐ。一件落着だ。これであの企業は半年に一回定番になる。定番? これが俺の人生の定番か。実になさけない定番。よろよろ上り坂を歩いて「定番」を考える。「おいしいとこだけ、一番搾り」の看板。「カラオケXで楽しもう」の旗。横の国道を自動車が何台も猛スピードで過ぎていく。 砂埃が歩道にまで舞い上がる。白髪で長身の男がひとり歩道で左手でパンフレットを通行人に差し出したまま右手で顔を隠すように本を読んでいる。 「神は本当にわたしたちのことを気遣っておられますか」 その小誌を俺は無言で受け取る。彼も無言で渡す。
歩く。ただ歩く。ただ歩くと、妙な音が次第に大きく響いてくる。ドンドン、ドドント、ドンドンドン。リズムカルで実に力強い音。大きく国道の高架の下に響き渡っている。こいつだ。もう少し行くと手ぬぐいを頭に巻いた精悍な顔付きの老人が金属の大きなゴミ箱を力一杯叩いている。ドンドン ドドント、ドンドンドン。出稼ぎの老人が故郷の村祭りの太鼓でも思い出しているのか、しかし老人に衒いはない。躍動しろ、躍動しろ、人間よ、躍動しろ、とゴミ箱は響く。神はここにも降りてきているではないか、俺はそう思う。
十億年後、すべては無くなる。それを待たなくったって、あと四〇年もすれば平均寿命で死んじまう。どう生きるか、何をもって生きるか、何も解らない。
俺は「絶対」を求めている。「神」を求めている。
新規を三軒回って門前払いを食わされた後、神田駅前の立ち食い蕎麦屋に入る。ざるそばにてんぷらのっけてェ。あいよ。てんぷらはタレつけないでそのままね。てんぷらはタレつけないでそのままと、あいよ、おまちどう。
俺はかき喰らう、旨いとかまずいとか感性のない味をかき喰らう。少なくともかき揚げはこうしてバリッと折って食べる瞬間にそばつゆにつけるのがいい。食っている最中に金を払ったかどうか判らなくなる、五〇〇円玉を握ってたところまでは覚えていたのだが……。ご主人、お金払いましたよね。「あいよ、三〇円お釣渡しましたよ、私の手はお金貰わないと動かないようになっているんでねェ」大柄な男が言う。ご主人面白いこと言うねェ、以前何やってたの? 「いろいろ、なんでもね、そば食っててんぷら食ったらビール欲しくなるでしょ」 仕事中ですから、ご主人酒強いんでしょ。 「いや、嗜む程度です。ま、あとは競輪かな。でも何万とやらないよ。三〇〇円とか五〇〇円買って、おーあいつ勝ったなって楽しむんですよ。光輪閣知ってるでしょ」 ええ名前だけは。「あそこで上からど~んと墜っこちるの見ましたよ。警察が来てそいつのポケット調べたら二〇円しかない。 イチかバチかやけくそになって勝負に出る奴多いんですよ。同じ場所で二度見ましたよ。あれって人呼ぶんだね。この中央線だってよく飛び込むよね。たいへんな人、一杯いるよ。そば食って笑ってられるの、いいほうよ」
ごちそうさん、ご主人そば旨かったよ。俺は外に出る。
三越の屋上からエレベーターに乗る。傍らの広告に原島実画伯個展とある。俺は七階で降りて会場に向かう。展示場は特売場に面した一角にあり主婦達が流れて観に来ている。どの油絵も二0号位の風景画で高校の美術部で一緒だった頃の原島のねばっこい半具象のタッチではなく、まるで別人のように夕日に染まったエーゲ海やミコノス島を詩情的なタッチで描いている。その絵の殆どに売却済の赤紙が貼られている。会場を一回りして出ようとした時、一五年ぶりの原島に出会う。
俺達は店内の喫茶店に入る。
俺 「大したもんだな、殆ど完売じゃねえか」
原島「そりゃあ、皮肉か? 俺はな、あの頃と違って、所詮絵は白壁に掲げる窓だと解ったんだよ。例えば美人を描くとするだろう、誰も買いやせん 旦那が美人画を買って家に持って帰ったら奥さんに何言われるかわからんからだ。窓だよ、窓。窓に一番適しているのは外国の風景だよ。売るにはこいつが一番だ。それにしてもお前、雑誌屋だって? もったいねえな、俺より遥かに旨かったのに。今でも覚えてるよ。お前が突然『絵は平面だ』とか言って美術部を辞めた日の事を。あれから全然描いてないのかい」
俺 「若気の至りだな、本当は絵は平面じゃないんだろうけど、身体でもっと感じたかったんだろうな、社会や存在を」
原島「そういやお前『絵は存在の探求だ』って執拗に言ってたな」
俺 「今でもそう思ってるけどね。しかしたまに公募展なんか見に行くけど、俺の感受性が薄れたのか描き手がいいかげんになったのか判らんけど、昔のようにひとつの絵に何時間も張り付けになるような絵には全く出くわさなくなった。先が見えないというか、次が見えていない。しかも独我的な視野で閉鎖的で、こんなもんで絵だと作者自身が自分に妥協している幼稚なものばかりだ。逆説的に言うと、存在を捉えられない「今」をよく表現していると言えるけれどね」
原島「相変わらずこ難しい事言ってるな。俺はそんなもん止めたよ。売れてナンボだよ絵は」
俺 「しかし芸術家は時代の斥候隊であって欲しいよ、なるほど次の世界はこんなだというドキっとするようなものが欲しいね。芸術は唯一、人間の中に託された神からの啓示だよ。それを売るのを目的にやった時点で、形而下に埋没してしまう。芸術家は存在を探求し、形而下から形而上へ昇華していって、少しでも神に近付いて、その世界を見せて欲しい」
原島「描かねえ奴がよく言うよ。てめえは、どうなんだ、立体的な社会体験やらを積んで、言語で次の世界とやらを提示しているのかよ」
俺 「いや、なにも。ま、絶望的になっている」
原島「当たり前だよ、そんなもん誰にも解りゃあしねえよ。いいか、てめえが理屈で描いた妖怪と喧嘩したって勝てるわけはねえんだよ」
「神は本当にわたしたちのことを気遣っておられますか」 三越の屋上のベンチで昼の休憩をとる。カンコーヒーを飲みながら、先程のパンフを捲ってみる。
……この二〇世紀だけでも何百万人というユダヤ人の大量虐殺があり、現在でも、毎年幾千万人の人が飢えや病気で死ぬ一方、少数のひとが膨大な富を所有しております。人間は地球を汚染し、略奪しています。これらはサタンがアダムとエバに神の自由意志を誤用させ、二人が欠陥のある罪人になって子孫に罪を伝え、罪を通して病気も死も伝わっていった結果です……
「馬鹿な 神に背いたから死という原罪というならば、昆虫も植物もみんな神に背いたというわけか、アホなこと言うなッ」
……エデンで反逆が起きた時、神は、この地球を人々の楽園の住家にするひとつの政府をつくるという目的を明らかにされました。後にイエスは神の主要な代弁者として、病人や手足や目や耳の不自由な人、口のきけない人をいやされました。さらに死者をよみがえらせることさえ行われていたのです……
「インチキ野郎がッ。神の考えたものではないことは、この文章読めば判るではないか、なぜ神たるものが人間本位にモノを考えるのか。その他の動植物のことを神は考えないとでも言うのかッ。イエスは当時確かに薬も使わず病人を治しもしたんだろう、釈迦だってそうだ。それは外気功でも先天的に出せる能力があったんだろうよ。それを後世の人間がびっくりして神だと信じてつくった教義がひとり歩きした、それだけの話しよ。宗教なんてものはすべて人間がつくったインチキだッ」
……神は何千年も悪の存在を許してこられました。そして神の支配から独立した人間は、苦しみを取り除くのではなく、かえって増してきたのです。しかし、聖書予言が示すところによると、キリストの治める神の国は一九一四年に設立され、今やサタンの体制全体を打ち砕く態勢を整えています。そしてやがて大患難であるハルマゲドンとの戦いがやってきます。その時、神を信じるものだけが助かり、戦いの後、神の王国の指導のもとで、利他的な仕事に自分の精力をささげます。地球は人類のための美しく平和で満足のゆく住まいへと変わります。そして、病気も老いも死もない大きな幸福がもたらされることでしょう……
「なんと教義を作った人間に都合のいいように書いた文章であることか、 いいかげんにせい、本当に「神」が怒るぞ。それに病気も老いも死もない大きな幸福って何だ。今以上に人口爆発が起こって、食い物は一体どうするんだ」
……あなたは神の存在を疑いますか? 神がおられるかどうかを確かめる一つの方法は造られたものには必ず造り手がいるという確証された原則を適用することです……
造り手は、存在するのか。確かに宇宙の始まりであるビックバン以降は解ったとしても、爆発前の凝縮された一センチ立方の物体はなぜそこに「在った」のか。またブラックホールが実在世界の死で虚の世界の入り口であり、ホワイトホールが虚の出口で実世界の誕生はそこからだとしても、 なぜ、輪廻転生するそのものが「存在」するのか。やはり造り手は存在するのか。そして「宇」である空間も「宙」である時間もなぜ「存在」するのか。 やはり造り手は存在するのか。ならば、何のために造り手は存在するのか。
仮に神が存在するとして、神と俺との関係を考えた場合、たとえば俺は俺の体内の一匹のミトコンドリアだとして、俺全体が神だとすると、俺は俺全体が解るか。どんなに動き回っても一細胞からは永遠に出られず六〇兆からなる俺の全体を捉えることは不可能だ。俺は一細胞の中で時折送られてくる電気信号によってその時々の行動を決定する。その電気信号は細胞核が発信しているのだろうか。エネルギーをつくれ、ちょっと子孫が多すぎる、子づくりを控えろ。一匹のミトコンドリアの俺は核から送られてくる電気信号と隣のミトコンドリアの行動を意識しながら自分の行動を決定する。一匹のミトコンドリアの俺は核に尋ねる。あなたの信号はあなたが考えて発信しているのかと。核は答える。私もまた付近から送られてくる電気信号と隣の核の発信を参考にして君達に信号を送っていると。俺は尋ねる。隣はどうなっているんだ、その隣はどうなんだ、われわれの全体は何なんだ。核がいう。解らない、解らない、何がなんだか解らない。ただ全体というものが仮にあったとして、それが仮に解ったとしてどうなるっていうんだ。君はそれが解ったからといっても、やっぱり私から送られてくる信号と近くの仲間たちの行動を参考にしながら動くしか手がないし、それが君に与えられた最良の人生なんだよ。
設定 神はいたとする。いまはまだ解らないがそのうち人類は神の存在を認知する時がくるとする。そうした場合、俺の人生はそれから変わるか。俺が自分の一細胞の中の一ミトコンドリアだとして、しかも全体像のたとえば手の指先の一細胞の一ミトコンドリアだと自分の使命を知った場合、まずなにより命令に忠実にならざるを得ないではないか。まったく遊びの許されない人生。それはそれで悩まなくて済む。そして考える必要もないから意識の退化も進むだろう。それはそれで幸福だろうが、やはり、俺には不明確なほうがいい。神の存在と自分の使命が不明確だからこそ自由でいいかげんな暮らしができる、考えもする。
しかし そのことに疲れているではないか。まったくわけがわからなくなっているではないか。
俺の意識は漂う。止まりたいが、信念したいが、観念したいが、漂う。
暗空の閉ざされた虚。
そして、
俺はワイシャツに零したコーヒーのシミを、
どうして取ろうか、考えている。