まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

哲学小説「存在の彷徨」

2020-04-10 | 哲学小説「存在の彷徨」
存在の彷徨
                 (四百字詰め換算 一一八枚)

‘                              谷口正雄










  1


 通勤電車、朝のラッシュ、なんと陳腐で明晰なことか。四ッ谷駅で俺は降りる。亡霊たちの洪水に溺れながら、ひたすら歩く。そして、小さなエレベーターに、なんとか、たどり着く。俺ひとりの空間、6、永遠に時空を昇れ。 しかし6を選択したのはこの俺だ。俺は6階を選択する臆病者だ。おはよう、おはよう、和の群れ。うすっぺらなうわべだけの和の群れ。赤ら顔の社長の檄。「いいかッ、毎日ボーズじゃ話にならんッ、取るんだアッ、熱意じゃアッ、わかったかッ」。藤原、弾けるようにエレベーターに駆け込む。「狭間もわかったな」。「はいッ」と俺。まるでゲームだぜ、生きていながらリアリティがねえのは一体なんなんだ。 
 逃げるようにビルを出る。俺は何から逃げているのか。獰猛な社長の怒りからか、何かに縛られた社会からか、情ない自分からか、まあいい、俺は歩く、今日の仕事は仕事だ。これで飯を食っている以上はこれが俺の人生であり生活だッ、か。虚勢の向日葵の群れ。俺は花屋で立ち止まる。カサブランカも黄色のガーベラもこいつらは一体なんなんだ。みんな均等に綺麗すぎるおまえらは本当のいのちか。根なし土なしの上半身だけの虚勢の群れ。生命はインスタントになった。 
 中央線に乗る。行くは丸ノ内。午前中で広告一頁はどこかで決めなくちゃならない。そう、それが俺の仕事で俺のノルマで俺のすべてで俺の人生だ。    やわい肌が触れる電車の中。おんなだ、後ろから押し付けられて俺は眼を閉じる。乳房があたる、柔らかな腹部が俺の尻に密着する、おお、その下はワギナだ。俺はおんなと溶ける、一方的に浸透していく。俺は少し生命を取り戻す。垣間、瞬間こそ永遠、か。

財閥系企業の歴史あるビル。その総務応接の一室に俺はいる。ドアのノックの音で試合は開始。担当者が入ってくる。  

俺  (笑顔をつくり、深々と礼をする) 「どうも、ご無沙汰しております。    時期がまいりましたんで広告のお願いにあがりました」
担当者(反り返るようにソファに腰を下ろす) 「時期って、別にいつもおたくの雑誌に広告を出すって決まっていませんよ」
俺  (作り笑いをさらに倍加する)「いや、いや、ま、そんなこと、おっしゃらずに。去年もこの時期でてるわけですから、ま、お願いしますよ」
担当者「だいたいおたくの雑誌に広告出しても、なんのメリットもないんですから、発行部数だって何千部でしょ、実質」
俺  「そんなことないですよ、五万部ちゃんと出ていますよ、ま、そんなことより、付き合いですから、頼みますよ」
担当者「付き合いって、なんですか」
俺  (溜め息をひとつつき、コビ型から次の手に、言葉をゆっくりと重々しく発する)「今日は随分シビアですね。ま、いいですけどね。ところで、お宅の副社長にこの間お会いしましたよ、偶然クラブでね。時期社長でしょ、あの人。総務所轄で、あなたの上でもある」
担当者「…………」
俺  「部下の女性とお盛んですねって言ったらびっくりしてましたよ。ま、英雄色を好みますわね、それはそれでいいでしょ、しかし、部下に手を出しちゃいけない。あの秘書課の娘、やめたんですってね」
担当者「狭間さん、知っておられたんですか」
俺  「いやいや、ああいう人が社長になってはいけない。社会正義に反します。あなたもそう思うから私に辛く当たるんでしょ。まかしておいてください。あなたの意をくんで次号で書かせてもらいますよ。いや、お忙しいところ失礼しました」(そう言って俺は席を立つ)
担当者(実に慌てて)「は、狭間さん、ま、待ってくださいよ。ま、座ってください」(俺を押し止めようとする)
俺  (よし、勝った。生意気な分、二頁は貰おう)

 生命に善も悪もない。在るものは「在る」。それだけだ。そして「在る」がごとく生き抜くこと。それが人生のすべてだ。

 アパートの闇の中、俺は畳の上で寝そべっている。一日の疲れを時計の音が刻んでいる、静寂に。俺は部屋の明りを付けて、コンビニ弁当をかき食らう。
 ある時コミュニストの姉が言った。「直人、あなたは財界におべっかを使うムシケラよ」。俺は言ってやった。「あんただって企業から給料貰って食っているじゃねえか。その大企業がどうだ、原料千円のものを五千円で売ってるじゃねえか。付加価値? 笑わせるんじゃねえよ。そりゃあ合法的詐欺ってもんだ。あんただって詐欺の片棒担いでおまんま食ってるんじゃねえか」 姉とは一〇年逢っていない。
 目の前の水槽、今日も稚魚が一匹死んでいる。それを唯一生き残っている一センチにも満たない最後の稚魚が食べている。
 水槽の金魚が初めて産卵し、親どもがそのすべてを食い尽くした。二回目の産卵の時、俺は別の水槽に約二百もの卵を移し替えた。そのうち約半数が無精卵で腐乱し、五日後百匹ちかくが新しい生命として動き始めた。その稚魚たちは無精卵を食べて大きくなり、死んだ仲間を食べて大きくなり、やがて先に大きくなったものが生きている仲間を食って大きくなった。勿論俺は生まれてきたすべてを大きくしょうと餌もやり水も替えた。 しかし残ったのは僅かこの一匹だ。それでさえ尾っぽが歪んでいる。いのちは、とにかく、与えられた環境の中で生き抜くこと。そこには善も悪もない。
 存在を纏めようったって無駄なことだ。
存在は、ただ、在る。それに人間は意味をつけようとする。それが間違いのもとだ。
存在はただ在る。ただ、在るがままをうけいれること。形も性質も本質も、在るがままうけいれる。
蜘蛛が一匹、「無限」と書いたボードの上を通り過ぎる。「エロス」の紙の上でジャンプする。蜘蛛はボードの境で暫く止まったが、裏側に消える。見えない裏側に蜘蛛は「在る」。しかし、一匹ではなく実はボードの裏側には何千匹の蜘蛛がびっしりとへばりついている。 それが否定できるか? 時間前後の常識で「推察」するほかはない。何千匹もいて一匹しか表に出ないわけがないと。しかし偶然見た一匹すらも偶然見なかったならば、蜘蛛はボードの裏にはいないことになる。人間の認識は解っているようで何も解っちゃいない。存在は解らないことも含めて 在るがまま受け入れるしかない。
 不思議は不思議のまま受け入れなさい。白か黒か明白である必要はないのです。
 しかし明白でありたいのです。私は何のためにここにいて、何のために生きているのか、明白でありたいのです。そうでなければこころが不安で力強く生きてる感じがしませんもの。
 いつになく風が強い。ベランダの洗濯モノのふかれる音、波板が発砲スチロールに擦れる音、空の遠くまで響き渡る音、その揺らぎは力強く生きている。生は「動き」なり、エネルギーなり、ひたすらエネルギーの発露なり。 エネルギーに善も悪もない。ひたすら「動き」なり。風に目標はあるか、風に生きがいはあるか。風はひたすら「動く」のみ。吹きつけるのみ。生きるとは動くこと、己が本質の有り体に「動く」のみ。まずは生きている。それだけでいい。次に、今、やりたいと思ったことが最良の道。
 風は単独で存在しない。環境の中で生まれる。その環境も環境(他存在)の中で生まれる。人間(俺)もまた環境(他存在)の中から生まれたもの。他存在が俺を生み、俺は与えられたエネルギーとしてあるがままに「動け」ばいい。「俺はあるがままに動けばいい」。風もまた吹き続ける。そして停止し、また、生まれる。エネルギーは輪廻転生。今(現在)の俺はこれでいい。 次の俺も次のそれでいい。E=mc2乗。

 俺はバックに女房の下着とパジャマを入れて、アパートを出る。

 電話をしておいた狭間です。仕事で遅くなるものですみません。一か所だけ照明の付いた病院の受付は、黒い空洞の中に浮かび、その女は、三途の川で待つ番人のようだ。
 俺は給料袋から約半分の札を番人に渡して今月の支払いを済ます。エレベーターで昇るといつもの病室、ノックなどする必要はない。俺はゆっくりとノブをまわす。そしていつもの啓子がそこにいる。身動きひとつせず、いつもの啓子がそこにいる。椅子に座って俺はおまえをみつめる。愛すべきものがそこに在る。啓子の目頭は濡れている、ひとすじと、ふたすじと、水滴は耳を伝って枕に落ちている。医者は言うだろう、筋肉の弛緩によっておこるもので泣いておられるわけではありません、奥様には意識がないのですから……。
 俺は啓子の涙を舌の先で拭う。何度も、何度も、拭ってみる。そして俺の濡れた目頭を啓子の唇に押しつける。と、温かな唇から啓子が俺の中に入ってくる。俺は嬉しくなって、啓子の掌をとって、高みに昇る。暗天、あるいはクリムソンレーキー色の空間を泳ぐ。泳いでいるうちに俺は空間に拡散され、やがて空間が俺になる。ところが、その中で啓子はただ物体として浮遊している。頑強に空間との融和を拒絶しながら、物体として浮遊し続けている。俺は風になって啓子に抱擁を試みる。しかし啓子は動かずそれを拒否する。俺は月夜の薄闇のなかを超スピードで疾風し、啓子の存在を忘れようと荒れ狂い、地上にある一本の電信柱を意識が捉えたところで止まる。鈍い銀色の鉱物に俺は絡み付き、なめるように抱擁し、一体化を図ろうとする。しかし、セメントの突起物もやはり毅然と進入あるいは融和を拒否する。融和を図ろうとする俺に、あらゆるものは拒絶する。  もう、それでいい。それらは他存在であり、俺ではない。明確な境界線を引かれたほうが「俺」が解るというものだ。いや、解ったわけではない。俺は少なくとも電信柱ではない、啓子ではない、そういうことが解っただけだ。俺は渦巻いて塊となって地面に潜る。砂、及び土の隙間に浸透して、 下に下にと走っていく。
 神はいるか、いるはずもない。また、暗黒のモヤが包む。

 啓子は植物人間でありながら、拒絶を意志し、
 俺は「自己欺瞞」を確認して、ひとりのまま、生きるしかない。

存在、存在する。花を咲かす。毒か薬か、毒でも薬でも、個性が存在、輝きが存在。存在に善も悪もない。あるのは輝きの強と弱。新しさ。特出。  固体変異。広がり。次のもの。その次。止まらない。止められない。落ち着く時、それは死か。動き、新しさ、広がりを求めて、動きづめに動く時、生命は輝く。そこには善悪はない。存在の輝きは倫理道徳を越える。刺激は反応の動きを求める。
存在に善も悪もない。在るのは、存在の輝きが強いか弱いかだけ。光は念いの強さ、新しさと広がりへの。それが存在の意味。世界の意味。それが表層世界の、明るい世界の意味。そして、その裏には、沈黙、闇、無、空の世界が一体として、在る。
存在の輝きと死。

 おまえらッ、何故取れんのだッ。ここは失業者の集まりかッ、俺は慈善事業しとるんじゃないぞッ。いいかッ、今週が勝負だッ。血を吐いてでも取って来い。おまえら狭間を見習え、狭間くんはしっかり取って来てるじゃないかッ。
 朝礼で皆の冷ややかな視線が俺に集まる。俺には誇るなにものもない、  誰も読まない誰も喜ばない、自分が食らうがためだけの経済誌に広告の成績を上げることはむしろ加害者だ。一度足を洗ったはずの俺は食らうがために、再び戻って、ここに、いる。
 木村ッ、おまえは仕事しているのかッ。住菱はどうしたッ、狭間に行かしたら、ちゃんと取ってきたじゃないかッ。大先輩が何をしとるんじゃッ。木村さんの眼鏡の奥が虚ろになる。突然木村さんは発する。しゃ、社長、私だって一生懸命やってますよ、狭間さんみたいに脅したりしないだけですよ。住菱の担当者が泣いていましたよッ、脅されたって。再び社長の檄が飛ぶ。馬鹿もんッ、狭間くんが脅すわけがない。それは木村ッ、負け犬の遠声だ、醜いぞッ。たとえ脅したっていいんだッ、それぐらいの元気を出せッ。
 俺は 無表情で社長の訓示を聞いている真似を続けるほかはない。砂漠に幾万ともつかぬ野牛の群れ。身を守る凶器もないそれらは、自然大地の塵埃にまみれ、小さなオアシスで水を飲むために場所を奪い合う。それでも彼等は群れを離れない。生きるために理不尽な習性に身を任せ、群れは必ず群れとして行動する。
馬鹿な形而下に、意識は自由か。自由であるはずもない。

こうして、また一日が始まり、終わる。

 目の前には、啓子が買った造花のハナが見え、二年前に死んだ洋一の、学校の工作でつくった鬼のお面が埃を被ってぶら下がり、正面の鏡に俺らしきものが写っている。俺は、そこ、ここ、にあるモノとどう違うのか。
 肩の痛み、こわばりだけの意識、それがモノと違う俺か。その上で、時計らしきものが、秒速で動く。それだけが、今、の変化か。溜め息をついて瞼を塞ぐ。電車の音。空間。風の音。耳鳴り。そして時計の音。全く、別々の響き、波動。 因果的な関連のない個の存在。存在間のコミュニケートに期待するのは弱さであり、奢りである。存在群は不連続でばらばらなもの。
個は独りである。カップヌードルを食らい、焼きいもをほおばる。宇宙法則に於ける生物の目的は、環境の変化に対応し、生き抜くことのみ。カラスが鳴いている。電車の音。茫々とした空間。深い溜め息をついて、ここに 俺はいる。

みんなバラバラだなんて、馬鹿なこと言っちゃいけないよ。人類はみな兄弟です。人類だけじゃなく、あらゆる動物も植物も……

鏡に向かって、俺は言う。

いいですか、人間なんてエラそうなこと言っちゃいけないよ。言ってみれば人間なんてバクテリアの化身なんですよ。いいですか、あなたも私も、人間、約六〇兆の細胞から成り立っております。その一つの細胞を見たら 核と数千匹のミトコンドリアがいる。
いいですか、核もミトコンドリアも三五億年も前に地球上で生まれたバクテリアなんですよ。最も生命のタネは宇宙から降ってきた雑菌という説もありますがね。ま、そいつらが環境の変化に単体では対応できなくて生き延びるために複合体となって共存したんですよ。核は司令塔の役目を果たしミトコンドリアはエネルギーの生産を司る。植物だってそうですよ。植物はミトコンドリアの代わりに葉緑体、こいつもバクテリアです。こいつと核が共存して、植物という複合体で環境の変化に生き抜いてきた。「環境の変化に対応し生き抜くこと」。生物の目的はそれだけですよ あとに何もありゃあしません。バクテリアどもは生き延びるために「固体変異」という宇宙の法則に則って多様化を図った。宇宙には同じものがふたつとしてない、あれですよ。種類が多ければ多いほど、急激な環境の変化が地球上であったとしても生き延びる可能性がでてくるわけだ。そんなこんなで三五億年経った今、地球上の生物は三千万種を数えるに至ったわけですよ。しかしみんな同じバクテリアの化身ですよ、兄弟ですよ。たまたまそれが狸だったり人間だったりするわけですよ。それだけの違いで人間なんて なあんも エラくともなんともないですよ。

鏡の俺は、ニイッと笑う。

いいですか、コンピューターの時代だとか言って、たかだか五〇年ですよ。  ちょんまげ切ったところから入れても一五〇年でしかないんですよ。今を席巻している自由主義経済の観念だって、たかだか二〇〇年ですよ。立派でも絶対でも何でもないですよ。自由と言ったって競争とセットで、もう、人間の心も地球もぼろぼろじゃあないですか。もう新しい観念をつくらにゃいけませんよ、傲慢じゃなく謙虚にね。世の中、コンピューターできたって、こりゃあ、進歩でも発展でもなんでもないですよ。何故って、仮に進歩や発展ということがあるとすれば、それは幸福に感じるひとが前よりも増えたということでしょう。しかし紀元前の時代の人類と較べてみて、幸福に感じる人間の比率が今のほうが増えたとはどうしても思えない。つまり世の中に進歩や発展なんてもともとないんですよ。あるとすればそれは「環境の変化」でしかない。だからその変化に生き抜く新たな観念の創出が必要な時期に来ているということでしょう。人類が生まれて三〇〇万年の歴史のうち、たかだか二〇〇年がエラそうにしちゃあいけませんよ、 もっと謙虚であらなくちゃあねェ。そして生命が生まれて三五億年ですよ。 宇宙の塵やガスから地球が生まれて四六億年、ビッグバンから宇宙が生まれて一五〇億年ですよ。人間は宇宙にひれ伏さなくっちゃいけません。 なめたらあかんぜよ、ですよ。

鏡の俺は、ニイッ、ニイッ、と笑う。

いいですか、我々は太陽系に位置していますよ。ところが我々の属している銀河系には、そんな太陽が一〇〇〇億個もあるんですよ。その銀河系も宇宙にはこれまた一〇〇〇億個もある。ええっと 仮に地球みたいなものが太陽一個にひとつとしたら、一〇〇〇億個×一〇〇〇億個、つまり……一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇個の地球があることになりますわね。
いいですか、月まで光の速さで一・三秒ですよ。太陽まで八分ですよ。冥王星まで五時間三〇分ですよ。ところが我々の銀河系のお隣りのアンドロメダ銀河まで二二〇万光年、最近発見された最も遠い銀河まで一四二億光年ですよ。光の速さで行ってですよ。
 月に上陸したとか、木星に探査機が行った程度で、宇宙を制覇したような気持ちになって、笑わしちゃあいけませんぜ。人間の傲慢さにはヘドが出ちまいまさあ。

鏡の俺は、ニイッ、ニイッ、ニイッ、と笑う。

いいですか、この地球だって一〇億年たちゃあ無くなっちゃいますよ。火星に住むようになっても太陽は五〇億年で死んで爆発を起こしちゃいますよ。人間が死んで墓つくったって永遠には残らんのですよ。世の中で、いいことしたって、わるいことしたって、何も残らんのですよ。歴史に刻む偉大な一頁? 冗談じゃないですよ、歴史だって残りゃあしない。エジプトのピラミッドだって、ヒットラーだって、赤軍派だって、東日本大震災だって、AKB48だって 安倍晋三だって、狭間直人だって、谷口正雄だって、なんにも残りゃあしませんよ。飯だって、鏡だって、月だって、女房だって、クーラーだって、文字だって、兄弟だって、コップだって、鉛筆だって、造花だって、 指だって、夜だって、水だって、バイクだって、残らない。 垂れ目だって、光だって、草だって、土だって、茶碗洗いだって、親だって、電話だって、頭痛だって、写真だって、停電だって、服だって、 ………

世の中に、「絶対」、はない。

鏡の俺は、とっくに、消えている。

 東阪ガスの社長の弱みを握っている俺に、そこの社長は頭が上がらない。  それを利用して、そこの資材部長から取引先に紹介の電話を入れさせる。  事務用品を納入している垣崎社長を前にして、俺は東阪ガスとの親しい関係を捲し立てる。  
 ま、そういうことで広告のほう、ひとつ頼みますよ、俺は言う。渋面する垣崎は不況で経費削減しているのでと言いながらも、秘書を呼び、持ってこさせた現金の入った封筒を俺に差し出す。こんな中小企業ですから広告の掲載は結構ですよ、ま、コンサルタント料とでもしておいてください。 領収書も結構ですから、狭間さん個人で受け取られても結構ですよ、垣崎は言う。いやいや会社にバレてこの金が退職金代わりになるとツマランですからね、あとで雑誌購読料名目の領収書を送りますよ。
 俺は会社を後にして、地下鉄の六本木駅に向かってゆっくりと歩く。背広を脱ぐ。一件落着だ。これであの企業は半年に一回定番になる。定番? これが俺の人生の定番か。実になさけない定番。よろよろ上り坂を歩いて「定番」を考える。「おいしいとこだけ、一番搾り」の看板。「カラオケXで楽しもう」の旗。横の国道を自動車が何台も猛スピードで過ぎていく。  砂埃が歩道にまで舞い上がる。白髪で長身の男がひとり歩道で左手でパンフレットを通行人に差し出したまま右手で顔を隠すように本を読んでいる。 「神は本当にわたしたちのことを気遣っておられますか」 その小誌を俺は無言で受け取る。彼も無言で渡す。
 歩く。ただ歩く。ただ歩くと、妙な音が次第に大きく響いてくる。ドンドン、ドドント、ドンドンドン。リズムカルで実に力強い音。大きく国道の高架の下に響き渡っている。こいつだ。もう少し行くと手ぬぐいを頭に巻いた精悍な顔付きの老人が金属の大きなゴミ箱を力一杯叩いている。ドンドン ドドント、ドンドンドン。出稼ぎの老人が故郷の村祭りの太鼓でも思い出しているのか、しかし老人に衒いはない。躍動しろ、躍動しろ、人間よ、躍動しろ、とゴミ箱は響く。神はここにも降りてきているではないか、俺はそう思う。
十億年後、すべては無くなる。それを待たなくったって、あと四〇年もすれば平均寿命で死んじまう。どう生きるか、何をもって生きるか、何も解らない。
俺は「絶対」を求めている。「神」を求めている。

 新規を三軒回って門前払いを食わされた後、神田駅前の立ち食い蕎麦屋に入る。ざるそばにてんぷらのっけてェ。あいよ。てんぷらはタレつけないでそのままね。てんぷらはタレつけないでそのままと、あいよ、おまちどう。
俺はかき喰らう、旨いとかまずいとか感性のない味をかき喰らう。少なくともかき揚げはこうしてバリッと折って食べる瞬間にそばつゆにつけるのがいい。食っている最中に金を払ったかどうか判らなくなる、五〇〇円玉を握ってたところまでは覚えていたのだが……。ご主人、お金払いましたよね。「あいよ、三〇円お釣渡しましたよ、私の手はお金貰わないと動かないようになっているんでねェ」大柄な男が言う。ご主人面白いこと言うねェ、以前何やってたの? 「いろいろ、なんでもね、そば食っててんぷら食ったらビール欲しくなるでしょ」 仕事中ですから、ご主人酒強いんでしょ。  「いや、嗜む程度です。ま、あとは競輪かな。でも何万とやらないよ。三〇〇円とか五〇〇円買って、おーあいつ勝ったなって楽しむんですよ。光輪閣知ってるでしょ」 ええ名前だけは。「あそこで上からど~んと墜っこちるの見ましたよ。警察が来てそいつのポケット調べたら二〇円しかない。 イチかバチかやけくそになって勝負に出る奴多いんですよ。同じ場所で二度見ましたよ。あれって人呼ぶんだね。この中央線だってよく飛び込むよね。たいへんな人、一杯いるよ。そば食って笑ってられるの、いいほうよ」

ごちそうさん、ご主人そば旨かったよ。俺は外に出る。

 三越の屋上からエレベーターに乗る。傍らの広告に原島実画伯個展とある。俺は七階で降りて会場に向かう。展示場は特売場に面した一角にあり主婦達が流れて観に来ている。どの油絵も二0号位の風景画で高校の美術部で一緒だった頃の原島のねばっこい半具象のタッチではなく、まるで別人のように夕日に染まったエーゲ海やミコノス島を詩情的なタッチで描いている。その絵の殆どに売却済の赤紙が貼られている。会場を一回りして出ようとした時、一五年ぶりの原島に出会う。
 俺達は店内の喫茶店に入る。
俺 「大したもんだな、殆ど完売じゃねえか」
原島「そりゃあ、皮肉か? 俺はな、あの頃と違って、所詮絵は白壁に掲げる窓だと解ったんだよ。例えば美人を描くとするだろう、誰も買いやせん  旦那が美人画を買って家に持って帰ったら奥さんに何言われるかわからんからだ。窓だよ、窓。窓に一番適しているのは外国の風景だよ。売るにはこいつが一番だ。それにしてもお前、雑誌屋だって? もったいねえな、俺より遥かに旨かったのに。今でも覚えてるよ。お前が突然『絵は平面だ』とか言って美術部を辞めた日の事を。あれから全然描いてないのかい」
俺 「若気の至りだな、本当は絵は平面じゃないんだろうけど、身体でもっと感じたかったんだろうな、社会や存在を」
原島「そういやお前『絵は存在の探求だ』って執拗に言ってたな」
俺 「今でもそう思ってるけどね。しかしたまに公募展なんか見に行くけど、俺の感受性が薄れたのか描き手がいいかげんになったのか判らんけど、昔のようにひとつの絵に何時間も張り付けになるような絵には全く出くわさなくなった。先が見えないというか、次が見えていない。しかも独我的な視野で閉鎖的で、こんなもんで絵だと作者自身が自分に妥協している幼稚なものばかりだ。逆説的に言うと、存在を捉えられない「今」をよく表現していると言えるけれどね」
原島「相変わらずこ難しい事言ってるな。俺はそんなもん止めたよ。売れてナンボだよ絵は」
俺 「しかし芸術家は時代の斥候隊であって欲しいよ、なるほど次の世界はこんなだというドキっとするようなものが欲しいね。芸術は唯一、人間の中に託された神からの啓示だよ。それを売るのを目的にやった時点で、形而下に埋没してしまう。芸術家は存在を探求し、形而下から形而上へ昇華していって、少しでも神に近付いて、その世界を見せて欲しい」
原島「描かねえ奴がよく言うよ。てめえは、どうなんだ、立体的な社会体験やらを積んで、言語で次の世界とやらを提示しているのかよ」
俺 「いや、なにも。ま、絶望的になっている」
原島「当たり前だよ、そんなもん誰にも解りゃあしねえよ。いいか、てめえが理屈で描いた妖怪と喧嘩したって勝てるわけはねえんだよ」             

「神は本当にわたしたちのことを気遣っておられますか」 三越の屋上のベンチで昼の休憩をとる。カンコーヒーを飲みながら、先程のパンフを捲ってみる。
 ……この二〇世紀だけでも何百万人というユダヤ人の大量虐殺があり、現在でも、毎年幾千万人の人が飢えや病気で死ぬ一方、少数のひとが膨大な富を所有しております。人間は地球を汚染し、略奪しています。これらはサタンがアダムとエバに神の自由意志を誤用させ、二人が欠陥のある罪人になって子孫に罪を伝え、罪を通して病気も死も伝わっていった結果です……
「馬鹿な 神に背いたから死という原罪というならば、昆虫も植物もみんな神に背いたというわけか、アホなこと言うなッ」
……エデンで反逆が起きた時、神は、この地球を人々の楽園の住家にするひとつの政府をつくるという目的を明らかにされました。後にイエスは神の主要な代弁者として、病人や手足や目や耳の不自由な人、口のきけない人をいやされました。さらに死者をよみがえらせることさえ行われていたのです……
「インチキ野郎がッ。神の考えたものではないことは、この文章読めば判るではないか、なぜ神たるものが人間本位にモノを考えるのか。その他の動植物のことを神は考えないとでも言うのかッ。イエスは当時確かに薬も使わず病人を治しもしたんだろう、釈迦だってそうだ。それは外気功でも先天的に出せる能力があったんだろうよ。それを後世の人間がびっくりして神だと信じてつくった教義がひとり歩きした、それだけの話しよ。宗教なんてものはすべて人間がつくったインチキだッ」
……神は何千年も悪の存在を許してこられました。そして神の支配から独立した人間は、苦しみを取り除くのではなく、かえって増してきたのです。しかし、聖書予言が示すところによると、キリストの治める神の国は一九一四年に設立され、今やサタンの体制全体を打ち砕く態勢を整えています。そしてやがて大患難であるハルマゲドンとの戦いがやってきます。その時、神を信じるものだけが助かり、戦いの後、神の王国の指導のもとで、利他的な仕事に自分の精力をささげます。地球は人類のための美しく平和で満足のゆく住まいへと変わります。そして、病気も老いも死もない大きな幸福がもたらされることでしょう……
「なんと教義を作った人間に都合のいいように書いた文章であることか、 いいかげんにせい、本当に「神」が怒るぞ。それに病気も老いも死もない大きな幸福って何だ。今以上に人口爆発が起こって、食い物は一体どうするんだ」

……あなたは神の存在を疑いますか? 神がおられるかどうかを確かめる一つの方法は造られたものには必ず造り手がいるという確証された原則を適用することです……
 
造り手は、存在するのか。確かに宇宙の始まりであるビックバン以降は解ったとしても、爆発前の凝縮された一センチ立方の物体はなぜそこに「在った」のか。またブラックホールが実在世界の死で虚の世界の入り口であり、ホワイトホールが虚の出口で実世界の誕生はそこからだとしても、 なぜ、輪廻転生するそのものが「存在」するのか。やはり造り手は存在するのか。そして「宇」である空間も「宙」である時間もなぜ「存在」するのか。  やはり造り手は存在するのか。ならば、何のために造り手は存在するのか。
 仮に神が存在するとして、神と俺との関係を考えた場合、たとえば俺は俺の体内の一匹のミトコンドリアだとして、俺全体が神だとすると、俺は俺全体が解るか。どんなに動き回っても一細胞からは永遠に出られず六〇兆からなる俺の全体を捉えることは不可能だ。俺は一細胞の中で時折送られてくる電気信号によってその時々の行動を決定する。その電気信号は細胞核が発信しているのだろうか。エネルギーをつくれ、ちょっと子孫が多すぎる、子づくりを控えろ。一匹のミトコンドリアの俺は核から送られてくる電気信号と隣のミトコンドリアの行動を意識しながら自分の行動を決定する。一匹のミトコンドリアの俺は核に尋ねる。あなたの信号はあなたが考えて発信しているのかと。核は答える。私もまた付近から送られてくる電気信号と隣の核の発信を参考にして君達に信号を送っていると。俺は尋ねる。隣はどうなっているんだ、その隣はどうなんだ、われわれの全体は何なんだ。核がいう。解らない、解らない、何がなんだか解らない。ただ全体というものが仮にあったとして、それが仮に解ったとしてどうなるっていうんだ。君はそれが解ったからといっても、やっぱり私から送られてくる信号と近くの仲間たちの行動を参考にしながら動くしか手がないし、それが君に与えられた最良の人生なんだよ。
 設定 神はいたとする。いまはまだ解らないがそのうち人類は神の存在を認知する時がくるとする。そうした場合、俺の人生はそれから変わるか。俺が自分の一細胞の中の一ミトコンドリアだとして、しかも全体像のたとえば手の指先の一細胞の一ミトコンドリアだと自分の使命を知った場合、まずなにより命令に忠実にならざるを得ないではないか。まったく遊びの許されない人生。それはそれで悩まなくて済む。そして考える必要もないから意識の退化も進むだろう。それはそれで幸福だろうが、やはり、俺には不明確なほうがいい。神の存在と自分の使命が不明確だからこそ自由でいいかげんな暮らしができる、考えもする。
 しかし そのことに疲れているではないか。まったくわけがわからなくなっているではないか。
 俺の意識は漂う。止まりたいが、信念したいが、観念したいが、漂う。
暗空の閉ざされた虚。
そして、
俺はワイシャツに零したコーヒーのシミを、
どうして取ろうか、考えている。


哲学小説「存在の彷徨」

2020-04-10 | 哲学小説「存在の彷徨」


 

 2

 俺は布団を敷き、湿った掛け布団を首にあたりにまでもってくると、やがて薄い眠りに入る。ところが突然、意識が空中に飛ぶような感覚に襲われる。全身の気怠さは自分の身体でありながら、まったく自分ではない異質なものに感じられる。俺は俺でなくなってしまいそうになる。やがて俺の意識を包んでいた乳白色のヴェールが消えていくと、俺は完全に空中に浮かんだままだ。手も脚も肉体的な意識は殆ど薄れ、力を入れようとしてもまったく俺のものではなくなっている。俺を日常に止めている些細な事柄、その俺との繋がりが、暗闇の中で、ぷつんと切れてしまっている。    俺は怯える。今までに入り込んだことのない無の意識に、死の世界に、途方もない恐怖を感じる。俺は今このまま眠れば完全に死ぬ。俺は怯える。  俺は今何かに繋ぎ止めなければ完全に死ぬ。
 俺は怯えの中で必死で繋ぎ止める何かを捜す。何でもいい。俺は何かを捜す。ところが浮いたままの俺の意識は次第に狭まり、小さくなっていく。  俺は焦る。闇のなかで、最期の声を絞り、ケ イ コーッ と絶叫する。
 どうしたの? すまん、なんでもいい、そこにある本を読んでくれ。新聞しかないわ。なんでもいい頼む。
  ……都心の本社から離れたオフィスを設けるサテライトオフィスブームに最近陰りが見えている。情緒を重んじる日本的人事管理に慣れ親しんだ層にとって上司と部下が顔を合わせない勤務スタイルには、戸惑いや反対が多い。とはいえ情報通信機器の発達は………
 俺の意識は、少しづつ、日常に、繋がっていく。俺は眼を開ける。俺は助かったと思う。
 妻は、勿論、いない。次第に、そのことにも、気付いていく。

次の日。
オーストラリアに於ける御社の不良投資で経営は大丈夫か? 海外に勤務している知人から現地情報を得た俺は、カメラマンを引き連れて、いかにも記事にするぞ、と、中堅の不動産会社の社長に二時間のインタビューを試みる。蒼褪めた社長は広報担当の常務をよび、六頁の広告出稿を約束する。その時突然、強烈な眩暈に襲われ、それでも相手に悟られまいぞ、 倒れまいぞ、と、応接室の肘掛けを両手で握り締める。周りが薄い透明に色褪せ、すべての存在が稀薄になる。再びいい知れぬ不安  ……じゃあ、 今日はこれで、常務、後日電話します。なんとかそう言う。俺は気力を出して立ち上がる。俺を彼等がどういう表情で見ているのかさえ判らない。  常務らしき者が案内する出口に向かって、俺は歩く。これは一体なんなのか、俺に何が起こったのか。意識が途切れ、途切れに、消えていく。俺はようやく道路に出たように思う。狭間さん、スゴイですね、やりましたね。 歩きながら田熊がそう言ったように思う。  ……俺は道路に蹲る。強烈な陽射しにも拘らず、寒い。手足が冷たくなり痺れている。なにが、起こったのだ。もう、動けない。狭間さん大丈夫ですか……  意識が消えていく……

 やけに空が綺麗だ。俺は田熊の呼んでくれた救急車のベッドに横たわり、 窓から見える青い空を実に美しいと思う。そして、俺は死ぬんだなあ、と 思う。過去もない、未来もない、現在、ただ在るだけの、やすらかな感覚。  狭間さん、大丈夫ですか?  田熊の言葉が耳に入る。路上で倒れた時の恐怖と形容のしょうのない悪い気分は今はない。逆に今まで感じたことのない澄んだ意識と空の美しさが同居し、同次元で結ばれている。これが死の玄関口の感覚だと、味わう。救急処置室に運ばれるタンカーの上でも その意識は変わらない。異常に覚醒された感覚の中で、物の存在と死が同化し、同次元で結ばれている。血圧ッ 脈拍ッ 心電図ッ 医師たちが俺の周りを慌ただしく動いている。俺の身体は硬直している。また、いいようのない気分の悪さに襲われていく……
 ……意識が揺れている……  おぼろげに見える医者のひとりが、心電図のデーターを携えながら、俺に言う。大丈夫です、一時間も寝ていればよくなるでしょう。俺は思う。馬鹿な、こんな異常な感覚は死への味わいだ。医者は言う。過換気症侯です。カカンキショウコウ?  緊張のあまり 異常に呼吸をし過ぎて体内に酸素の量が多くなりすぎたんです。朝礼なんかで女子学生が倒れるでしょ、あれです、大丈夫です。
 やわな女子学生がおこす発作と同じとは、かなしい話だ。それでも立てない俺は屈辱を感じる。二時間ほど病院で休んで、這うように乗った電車の座席で、俺は肩を落とし、先程の異常さはないにしても、間歇的に襲ってくる悪寒に耐え、消え入りそうな意識を必死で手繰り寄せる。

 何日も何日も微熱が続く。しかし会社を休むことも辞めることもできない。殆ど蓄えのない俺はそんなことをすれば啓子の病院代が払えなくなるし食えなくなるのは目に見えている。俺は毎日なんとか出社し、営業日報にでたらめを書いて、大学病院の検査を受ける。脳神経科、内科、いろんな科を盥回しにされ三〇種類以上に亘る検査を受けても原因らしいものは判らない。しかし依然として眩暈がひどく歩道すらまっすぐ歩いているつもりでも気がつくと車道にでてしまう。広告営業で担当者と二〇分も話していると何かが弾くように突然気分が悪くなる。
そして言いようもない脱力感、疲労感が続く。しかし相変わらず照り返すビルの間を徘徊する他はない。倒れそうになると公園のベンチを見つけて、俺は、横になる。
 いったい俺はどうなっちまったんだろう。
昼間から石のベンチの上で横になり瞼を閉じる。鳥の声、木立ちの風に揺れる音……
 旦那、仕事あるよ。その声で目が覚めるとチャリンコに乗った男が俺の隣のベンチに寝ている浮浪者に声を掛けている。
「日当一万円どうだい?」「日払い?」「週払い、この景気に日払いはねえよ」「日払いでなきゃあやんねえよ」男はまた眠る。チャリンコの男は俺にもチラっと視線を向けるが、別のベンチに去っていく。世間の状況はなにも変わらない。変わったのはこの俺だ。
 狭間ッ、この頃成績が上がらんじゃないか、怠けておるのか。「いえッ、頑張っております」 気合いを入れろッ、気合いが足らんのだッ、減俸するぞッ。 「はいッ、頑張りますッ」 相変わらずの社長の脅しを聞いて、俺は外に出る。あの野郎は社員を奴隷にしか考えていない。そんな暴君に俺は食らうがために傅いている。情け無い俺がすべての原因か。

エゴグラム  以下の質問にお答えください。理想を持ってその実現に努力しますか? 他人に対して思いやりの気持ちが強い方ですか? 自分の損得を考えて行動する方ですか? 何事も事実に基づいて判断しますか? 情緒的というよりむしろ理論的な方ですか? 先のことを冷静に予測して行動しますか? 人から気に入られたいと思いますか? 他人の顔色や言うことが気になりますか? 他人の期待にそうよう過剰な努力をしますか? 劣等感が強い方ですか? 現在「自分らしい自分」「本当の自分」から離れているように思えますか………
 慢性病でお困りの方、当クリニックへ。そんな看板が目に止まり、俺はビルの一室にある小さな「唐木神経内科」で診てもらうようになる。唐木院長はいつも不在で、髭を蓄えた山根という副医院長が診察に当たる。彼は俺の病気を自律神経失調症といい不安神経症にもなっているという。
山根「狭間さんの場合は、いわゆるストレスで自律神経を司る間脳がパンクしたわけです。前にも言ったように心と身体はひとつのものです。ですから身体の病気を治すには、あなたの心を治さなければなりません」
俺 「私の心が病んでいると……」
山根「そうです。あなたの書いてくださった資料やエゴグラムから性格分析しますと、こう言ってはなんだが、あなたは精神の根底から病んでいます」
俺 「精神の根底から? 凄いことをおっしゃる。私の精神のどこが病んでいるというのですか」
山根「まあ、まあ、落ち着いてください。それを二人でこれから一緒になって考えて行こうというのです。この作業は相互の信頼がなければ成り立ちません。あなたは本当に病気を治したいのなら、まず、私を信頼してください。それがダメなら他の病院に行ってください」
俺 「大学病院を何か所回っても、微熱さえとれませんでした。それが、ここの薬を飲んだら、実によく効きました。当然、信頼はしていますよ」
山根「そうでしょう、じゃあ、これから一緒に考えていきましょう」
俺 「その前に先生、ひとつだけ聞いてもいいですか?」
山根「どうぞ」
俺 「この薬は一体何ですか?」
山根「……今のところ、成分はちょっと言えません。漢方主体とだけ言っておきます」
俺 「言えないって、薬事法かなんかで患者は貰った薬のことを聞く権利があるんじゃないですか」
山根「あなたは治したいのか、そうでないのか、どちらなんですか。治したいのなら私を信頼なさい」
俺 「………」
 いつも企業を脅している俺が医者に脅される始末だ。微熱が取れただけでも有り難いことだが 俺は保険の利かない高額な粉薬を飲み続ける。そして啓子の病院代にも手をつけ始めている。

再び、ある日。

山根「お具合の方はどうですか」
俺 「だいぶ仕事のほうもこなせるようになったんですが、日によってまだ突然いいようのない悪い気分に襲われる時があります」
山根「ところで、奥さんは入院中で、お子さんを亡くしておられる……」
俺 「………」
山根「前にも言いましたように、あなたの病気はストレスです。みんな生きている以上は何らかのストレスの中で暮らしているわけですが、あなたの場合ストレスが大きすぎるのか、自我が弱いのか、問題はストレスに耐えられるかどうかです。薬は所詮対症療法で、こころを治さなけりゃあ、いつまでも薬から抜け出すことは出来ません。できれば、何でも喋ってください」
俺 「……二年前、女房は相模湖のダム下の吊り橋から、子供と一緒に落ちました。洋一は死んで、女房は意識が戻らないままです……」
山根「ほほう、それはお気の毒でした。失礼ですが、事故か何かで……」
俺 「雨降りの翌日で、板も滑りやすく、腐ったロープが切れていたので、警察では事故だと……しかし、自殺かも判らない……」
山根「どういうことですか?」
俺 「……あなたッ、女房や子供と言ったって、本当の気持ちの中まで立ち入れないですよッ。判らんですよ、事故か自殺か」
山根「………」
俺 「前日にちょっと女房と言い合いをしました。……なんにも解らんですよ」
山根「………」
俺 「……私、昔は天下国家考えていたんですよ。なんか世直ししたかったんですよ。それには言論だと思って、たまたま入ったのが経済誌でした。売れませんでねェ、経済誌ってのは。結局、企業の提灯記事書いて広告貰うか、企業の恥部を脅しのネタに使うかです。まあ、世直しとはほど遠い所です。そこで女房と知り合って、子供ができた。何度も転職しょうと考えましたが、結局どこ行ったって一緒でしょ。どの企業だって世直しとは関係ないでしょ、利益優先で。裏じゃあ汚いこと沢山やってる。まあ、経済誌はそれがダイレクトなだけです。……だらだらと続けたある日、本当にイヤになりました。ある大企業が乗っ取りはする、タコ配はする、営業部長は自殺するというスクープを掴みましてね、ま、話が長くなるんで経由ははしょりますが、これだけは金に代えたくない、絶対書くと、初めてジャーナリスト魂を燃やして、結果的には挫折してしまって、もう二度とこの業界に入るまいと辞めました。辞めてから何をするのもイヤになって、毎日ごろごろしてました。当然、生活は窮して、スーパーの仕事から帰ってきた女房が『あなた、これからどうするの?』って言いました。家賃だって二か月も溜まってるのに、その時に私はね『馬鹿野郎、俺は今、人生を考えてるんだッ、生活ッ、生活ってなんだッ、生きる意味が解って初めて生活があるんだッ』なんて馬鹿なことを言いましてね、襟首を挽きづり回しました。それが事故の前日です。
  その夜、洋一が明日皆で動物園に行きたいと言いまして、子供ながら両親の和解の場を作ろうとしたんでしょう。しかし、当日、私は書き置きをして朝早く相模湖のいつもの釣り場にひとりで出掛けました。釣りをしながら女房子供一人にさえ夢を与えられない俺は最低の人間だと思いました。もうやめよう、人生、どうしていいのか解らないなら、せめて女房子供だけは大事にして生きよう、他のことはもういい、アパートに戻って皆で動物園にいこう、俺は生まれ変わろう。お笑いですね、そう思って釣り道具を片付けてた時、聞いた救急車に女房子供が乗っていたんですよ。私は偽善者ですよ」
山根「………そうですか、お気の毒なことです。……しかし、狭間さん、それはやはり事故ですよ、自殺じゃない。お子さんはたぶん『お父さんのところに行こう』と奥さんを誘って、奥さんも行かれたのですから……。死ぬような気持ちなら行かないでしょう」
俺 「……何も、解りません。途中で発作的に飛び込んだのかも知れない。……解らんですよ、何も。……私は、本当に女房を愛していたのか、子供を愛していたのか、それさえ解りませんよ。私は肉親でさえ、自分と他者との関係が解らんのですよ」
山根「狭間さん、自分を責めないことです。アイアムOK、アイアムOK、何でもいいから、小さいことでもいいから、ご自分を少しでも誉める努力をしてください。この病気には、まずその事が大事です」 
              
 アパートの台所で、水道水を飲む。一日の疲れなのか、生きていることの疲れなのか、俺はつっ立ったままだ。自分と他者との関係など解るわけがない。瞼を閉じるとその奥に俺の過去が映る。
 「おしくらまんじゅ、おされて泣くな、おしくらまんじゅ、おされて泣くな」 一〇人程の子供達が、公園の地面の白線の円の中で、夕焼けを背に「おしくらまんじゅう」をしている。
仲間に入れて貰えない一〇才の俺が ひとり、ぽつんと立って、それを見ている。
「おしくらまんじゅ、おされて泣くな、おしくらまんじゅう、おされて泣くな」。子供達はお互い尻を押し付けて楽しそうに揉み合っている。
仲間に入りたい俺。
子供達「おしくらまんじゅ、おされて泣くな」
俺「(我慢し切れず)……なッ、なッ、なッ……(吃って、声が出ない。必死で喋ろうとする)……なッ、なッ、……」
子供達「おしくらまんじゅ、おされて泣くな」
俺は無視されている。「……なッ、なッ、なあ~、なか、……なかまに入れてくれェ~ッ(俺は絶叫する)」
子供達は敢えて俺を無視するように奇声をあげる。
俺は、悲しそうな、泣き出しそうな顔で、また喋ろうとする。「……い、い、……、い、い、い」
奇声をあげていた子供のひとりが冷やかすように言う。「いい、いいって、直人、なにがええんや、仲之町の花子とちちくりあったんが、そんなにええんか」。どっと笑う子供達。
俺「……、い、い、……い、い、いれッ、いれてくれ」。
「入れてくれ、花子にそう言われたんか」。奇声をあげて喜ぶ子供達。誰からともなくおしくらまんじゅうの歌が代わる。「入れてくれ、入れてくれ、入れてくれェ~」
悲しそうな俺の顔。
俺を見る楽しそうな子供達の眼。
俺は意を決して、泣き顔から作り笑顔をつくる。そして皆と調子を合わせて「い、い、い~、入れてくれ、入れてくれ」、さらに大きな声で「入れてくれェ」、そういうなり仲間の中に入る。
子供達と一緒におしくらまんじゅうをする俺。
子供達と俺「入れてくれ~、入れてくれ~、入れてくれ~、入れてくれェ~」、俺は涙を拭いて本当の笑顔に変わる。
仲間に入れて貰えて本当に嬉しそうな俺。
その瞬間、仲間がさっと円から出る。「わあい、どもりがうつる、どもりがうつる」。
去っていく仲間達。
 だだっぴろい公園に、ぽつんと残された俺は、どうしていいか判らない。

 「今」の存在のあり方に、「過去」など何の役にも立ちはしない。「今」の存在のあり方に、「過去」など何の役にも立ちはしない。
 俺は医者から処方された粉薬を一服飲む。 

田町駅を降りて、大手ゼネコンの総務担当部長だった小室と会う。前の雑誌社からの永い付き合いだ。今は子会社の建築部長をしている。その小室も今年で定年だという。
 小さな応接室で、小室と向き合う。
小室「狭間さんにはいろいろ世話になったよね。あれ程嫌がっていた経済誌に戻って、もう二年になる?」
俺 「取り柄がないもんで、食うにはこれしかないんですよ。小室さんはいいですよね、これから年金生活で悠々自適ですか」
小室「……いやあ、永いサラリーマン生活で、人間の一生って何だったんだろうかって思うよ、私も結構つまらん仕事してきましたからねェ。口では言えん上層部の文字通り汚い尻拭いを二〇年もやりましたからねェ。そんなこと言うとミもフタもないけれどね。……そう、そう、こんど、ドナー登録しようと思うんですよ」
俺 「ドナー登録?」
小室「いわゆる私が死んだら臓器提供するってやつですよ。眼も、肝臓も、心臓も、腎臓も、使えるかどうか判りませんが、全部やろうと思うんです。私が死んでも誰かの眼として生きられる、誰かの肝臓として生きられる、誰かの心臓として生きられる。死んだ後も、何人もの人生を生きられると思ったら痛快じゃないですか。……人生それほど楽しくはないけれど、ひょっとして若い奴に移植されて、今までとは全く違った楽しみに出会うかも知れないしねェ」
 俺は何も言えない。小室さんの年齢じゃあせいぜい病院に献体して、全身解剖され、ばらばらにされて医学の発展に寄与するという位じゃあないですか。そう思うが俺は口ごもる。俺は何も言えないまま、急に襲ってきた眩暈に息を整え、問題は「今」でしょう小室さんという言葉を飲み込んで、別れを告げる。
 問題は「今」でしょう小室さん。「過去」も「今」の意識にあり、「未来」も「今」の意識にある。そして「空間」も「今」の意識にあり、「時間」も「今」の意識にある。「存在」も「死」も「今」の意識の中にある。
 俺は、歩く。揺れ動きながら、歩く。アスファルトから立ち上る熱気に「今」無目的な俺の存在そのものが気怠い。俺は病気ではなくて自分の存在そのものを持て余しているのかも知れない。
 突然足元でドーンと衝撃音。通行人の視線が俺を取り巻く。これ、鳥じゃねえか、何の鳥だろう。俺の目の前にモズのような鳥が嘴から血を出し 腹から内臓を出して横たわっている。すごい音だもんなあ、そうとう高いところから落ちてきたんだぜ。通行人が喋っている。飛んでる時に心臓麻痺にでもなったのかなあ。頭の上に落てたら俺たちも死んでたぜ。あんた運がよかったね。
 偶然の死。突然の死。その屍からうっすら薄煙りのような何かが立ち昇ったような気がする。ほんの一瞬の出来事で、それが何なのか判らない。         砂埃が舞ったのか、直射日光での陽炎だったのか、或いは疲れ眼による錯覚だったのかも知れない。しかしその一瞬の「何か」は、俺に鳥の屍が単なる即物的な「死」ではないという疑問を沸かせる。「死」は存在の終りではないのかも知れない。ばかな、死は存在の終りだ。
 駅前近くまで来た時 突然動悸が激しくなる また来たぞッと俺は思う。  思うとさらに動悸が波を打ち、呼吸が浅く速くなり、落ち着こう落ち着こうと思っても、ますます苦しい異常な意識になり、その意識でさえ次第に消えかかっていく。俺は歩道のガードレールの側に蹲り、朦朧とした意識の中で鞄を探り、中からビニール袋を取り出し、慌てて口元に持っていく。そして自分の吐いた息を吸う。それは過喚気になった時の医者の指示だ。苦しいが続ける。歩道を歩く他者達の脚波だけがぼんやり見える。 それらが時折立ち止まる。スーツを着たいい男が何故昼間から道端でシンナーなんか吸うのか、そんな怪訝そうな顔がぼんやり映る。誰が何と思おうと俺は必死だ。そして死の恐怖に怯えながら俺は道端で震え続ける。  やがて長い時間をかけて、ゆっくりと、意識が正常になってくる。
 「にいさん、大丈夫かい?」 何とか治まりかけた頃、近くからか細い声が聞こえてくる。声のほうを振り向くと、発砲スチロールの箱に座った浮浪者の老婆が俺の顔を覗き込んでいる。日除けに歪んだ黒い蝙蝠傘を差し、側には水の入った一升瓶が二本と紙袋がある。「ああ、だいぶラクになった、ちょっと眩暈がして」 「暑いからね」
 喉が乾いてかさかさだ。過喚気になるといつもこうなる。俺は近くの売店に行って冷たいカンコーヒーを二本買う。振り向くと、子供達が老婆をこわごわ覗いては二三歩下がり、また、近付く。そのうち俯いている老婆の頭を叩き、奇声を挙げて逃げて行く。  
俺は、蹲った場所に再び戻る。よかったら飲むかい? 老婆にその一本を差し出す。老婆は座ったままで深々と会釈すると、妙に可愛く澄んだ眼を細めて、コーヒーを受け取る。
老婆「ありがとう。にいさんだけだよ、こんなにしてくれるのは……ああ、つめたくて美味しい」
俺 「……何か、欲しいものはないか?」
老婆「……何も、ありゃしません、……あ、よかったら煙草を一本……」
俺 「ああ、いいよ何本でも」
老婆「こんなにいりゃしません、……じゃ、にいさん、二本だけ、ありがと。……煙草でこの脚が治るとですよ、食い込んだガラスが煙草で溶けると聞きよりました  ……この脚さえ、動きゃあねェ」
俺 「……脚、どうしたの?」
老婆「真夜中に横浜の公園で、夜討ちにあったとですよ。みんなやられました」
俺 「……悪い奴、いるからねェ……毎日食い物なんかどうしてるの?」
老婆「時々、どっかの会の人が持ってきてくれるとですよ、水は、あの便所で汲んで飲んどります。近くのひとはあまりかまってくれんとです。あの魚屋も、もうこの箱くれんとです。もう、すり切れてしもうて……両手ですって動くもんですから……」
俺 「福祉のほうかどっかの施設に入ったほうが、いいんじゃないか? 言ってやろうか。このままだと死んじまうぞ」
老婆「にいさん、あれは、人殺しですけん。私は車に寝かされて、毒の注射ば、打たれそうになりました。殺されるなら、まだここのほうがいいとですよ。………夜になると、月やいっぱいの星に出会えるとです。それ見てると、なんか、おだやかで、平和で、……懐かしくて、そこに、戻りたいと思いますけに……今の私は仮の姿ですけに……本当の私は木だったと思いますけに」

俺は向いの魚屋で発砲スチロールの箱を二つ仕入れると 老婆の前に置き 駅に向う

 見えぬもの、解らぬもの。たとえば、砂浜の、砂の存在。歩けば、ギッシ、 ザックの音が、砂か。口に含めば、塩っぱさとざらつきが、砂か。寝転んで 身体を押し止めるが、砂か。それらは、やっぱり、まったく、答えになっていない。砂は闇、闇は砂。非存在と存在の一体にして、分離の表相。思うがゆえに、解らず、聞くがゆえに聞こえない。存在は、考えるがゆえに闇に隠れ、闇の中に気配だけが残る、幽霊のように。存在は気配の認識か。

山根「そうですか、また過喚気になられましたか」
俺 「……いつも前触れなく突然なんで自分でもちょっとびっくりします」
山根「どうですか、あなたの場合、今から言うような状況の時に過喚気になるケースが多いんじゃありませんか? 例えば、本当はやりたくないのに嫌々する時とか、何かに自分が拘束された感じになる時とか、緊張するような場面とか、突発的な刺激に動揺する時とか、いかがです?」
俺 「……言われてみればそうかも知れません。電車でも各駅だといいんですが、しばらく降りられない電車とか、そんな時は車中で過喚気気味になったことがあります。ま、今日は仕事したくないと思っても、やらなくちゃいかん時とか、確かにそうです。家にいる時は全く大丈夫ですが……」
山根「狭間さん、実はこういうことです。あなたの場合、確かに自律神経が少々狂った時に不整脈が起こったり眩暈がしたりすることは事実でしょう。人間生きているのですから少々調子が悪い時があって当たり前なんですよ。ところがあなたの場合完全主義者、つまりヒポコンドリー性格のため、少しの狂いも気になってしまい、どんどん自分を追い込んで過喚気になる。つまり「完全によく生きる」という生の執着が非常に強いわけです。それは逆に言うと「今」は「よく生きていない」と思っておられるからです。だから「このまま死ねるか」という意識が強くって死が怖くなる。そして「存在の不安」というものが身体的症状となって顕在化するわけです。         この間伺ったところによると今の仕事に罪悪感をお持ちのようです。いかがですか、いっそうのこと転職なさっては……」
俺 「先生、何をやっても同じですよ、今の日本では。すべては利害得失の世の中で、異常なほどの利益至上主義が当たり前になっている。今の仕事はそれがちょっとダイレクトなだけです。ま、先生のような本当に人の役に立つような仕事があればいいですけど……」
山根「狭間さん、ひとの畑は良く見えるだけですよ。私だって、ま、いろいろ、あります。……ただ、狭間さん、この世は所詮観念の世界ですよ。同じ状況でも本人の「気づき」のレベルをちょっと変えるだけで、不幸に感じたり、幸福に思えたりするものです。また、本人が何を毎日「自己暗示」しているかによって決まるものです。いかがです、意識を少し変えてみませんか」
俺 「………」
山根「勿論いますぐ『仕事は楽しい』と思いなさいと言っても、これは無理な話です。しかし、自律神経訓練法というやり方があります。例えば、眼を閉じて両手が重いと自己暗示を掛けて、両手に意識を集中させていくと、やがて催眠状態になります。その時に潜在脳が開きますから『私は今の仕事が楽しい』と暗示を掛けていくんです。二週間も続けていると、必ず気持ちがラクになってきます」
俺 「しかし、それは真実から眼を逸らすことになるのではありませんか?」
山根「富士山を登る道はいくつもあって、そのどれもが真実なんですよ。あなたのように物事を暗く考える事も真実ならば、明るくポジティブに考える事も真実です。要は『気づき』のレベルの問題です」
俺 「利益至上主義の日本は素晴らしいと暗示をかけることが真実ですか」
山根「あなたは病気を治すためにここに通っておられるのでしょ。そのためにはまずあなたの心の中の『葛藤』を取り除くことなんです。あなたは今の仕事が自分の本心良心に恥じていると思いながらも続けざるを得ない。そこに問題があるんです。良し、とすることで葛藤を取り除くことです。第一、こう言っちゃなんですが、あなたが日本の将来を憂いても、あ  なたに何ができますか?」
俺 「勿論、何も出来やしません。無力感で一杯です。しかし、自分だけが意識を変えて幸福になりゃあいいという問題でもないでしょ。もしあったとすれば、自分の良心というものは一体何なのか、そして環境にどう対応することが出来るのか、もう少し考えていきたいと思っています」
山根「あなたも頑固な方ですな。そういうのをヒポコンドリーというのですよ。それを変えないかぎり、ますます悪化しますよと言ってるのですよ。         ……仕方がないですな。じゃあ、視点を変えましょう。……あなたの今の実感は何ですか」
俺 「実感……漂っている、というのが正直な実感です。何らかの欠落の意識が行動にかりたてるとしても、生きていることに歓喜するようなことも、生きている価値も解らない。だから、漂っているというのが唯一の実感です」
山根「その、あなたの漂いという実感はどこからきていると思いますか」
俺 「歓びがないということでしょうか」
山根「生まれてからずっと歓びがなかったわけではないでしょう。実感として今まで歓びを感じた時はどんな時ですか」
俺 「遠い話で、すぐには思い出せません」
山根「どんな事でもいいですよ。例えば……」
俺 「例えば、………解らない」
山根「あなたの場合、エゴグラムで見ると、チャイルドの部分、つまり、子供のようにのびのびと自由な精神の部分をかなり抑圧しています。精神のバランスからいくと、この部分を伸ばす、あるいは解放する必要があります。……長い人生ですから楽しいこともあったはずです。しかし、それすらも今のあなたは思い出せないほど抑圧されているのです。先程この  世は観念の世界だと言いましたが、今のあなたは想像力が欠如するほど何かに抑圧されているのです。過去の歓びを今一度想像してみてください。そして、自分にとって『幸福な一日』とはどんな一日なのか、一度想像してみてください。勿論実現しなくてもいいのです。子供のように無邪気に想像してみてください」

 帰りのプラットホーム。ドアにへばりつく歪んだ顔。自分が今、なぜ、ここに立っているのか、解らなくなる。何台も満員の乗客を乗せて電車が過ぎて行く。
 ここでない、そこ。俺でない、俺。   
 そして、いつか俺もその電車に乗っている。押し詰められた人の群れ。精気のない肉畜の群れ。右に揺れ左に揺れる肉畜達の群れ。息苦しく上を仰ぐと、広告どもが責めたてる。 パンフレットでわかったアルルの旅はそこが違うのね・ジャルパック なにも足さないなにも引かない・サントリーピュアモルトウイスキー うしろのセレナ君は小回りが得意だ・イチロニッサン  お葬儀をどこでなさいますか・式場案内セレモピアン 話し方生き方教室・あなたは話し下手で損をしてませんか………
 消費、消費、消費、消費って一体なんだッ。消費に疲れているではないか。 昔アイヌは遡る一〇匹の鮭に対して三匹は神様のために見逃し、三匹は鮭の子孫のために見逃し、後の四匹を自分達が生きるために感謝をしながら捕ったというではないか。いまは一〇匹全部とっつかまえるではないか。何億年と眠っていた石油をがぼがぼ消費し、森林を消費し、肉をたらふく食い、それが幸福か。そして天敵のない人間は今や人間を食っている。  企て、商品を消費させ、言葉を消費させ、お仕着せのゲームを与え、ここで感動するのよっと感動までマニュアル化するかッ。消費は惰性を生む。厭く。新製品はすでに新製品ではない。消費のための生産はそれが本当の仕事かッ。それが消費社会だとッ? したり顔でわかったようなことを言うなッ。なあ、殺したぶんは育てろよ。殺したぶんは育てろよ。頼むから、殺したぶんは育てろよ……

 日野のあたりを過ぎるとようやく乗客が減ってくる。下を向いて両手をだらりと下げ蹲るように眼を閉じている男。ビジネス鞄を膝の上に立てその上に両手を乗っけて考え込む男。惰性でスマホをいじる男。眼をつむりながらイヤホーンをつけている男。肘をついて眼を閉じている女。座席に座っている顔は、どれもが精気なく死んでいる。おい、幸福な一日を考えてみろよ、実現できなくっても想像でいいんだぜ、さあ、お前ら、やってみろよ。  
禿げで眼鏡を掛けた向かいの男は雑誌を読んでいる。黒の背広がよれている。つまらなさそうにページを捲る。何か面白いことはないか、ちょっと眼を止めて読むが、次のページを捲って、溜め息をつく。彼も疲れている。 雑誌を膝の上に置き、斜め上を見て、とろんと放心する。
 その横の小太りな男が向かいの若者になにやら言っている。すいませんッ、 大きな声に変わる。若者はウォークマンのイヤホーンを外して男を見る。  小太りが言う、「すみません、咳払いをする時は口をこう押さえてください」。若者は何も言わず再びイヤホーンを耳に入れる。
 『幸福な一日』、俺の『幸福な一日』とは何か。例えば……朝、起きる。家族がいて全員で太陽に向かってまず拝む。食事も感謝の気持ちを持って、 私たちは生かされているという気持ちを持って戴く……それから……それから……そんなことが幸福な一日なのか、馬鹿な、何にも浮かんではきやしない。  
 高尾駅に降りる。夜空を見上げる。しかし俺には、月も星も、座り続ける老婆のように平和で懐かしくは見えず、閉ざされた暗天幕の針穴にしか見えない。

 いつもの朝、また社長の檄が飛ぶ。二週間前に入った新人の富田に檄が飛ぶ。なんじゃ、富田ッ、面接の時はホラばっかり吹いて、まだ一件も取れてないじゃないかッ。交通費ばっかり使いおって、何やってるんだッ。おどおどしながら富田くんは答える。毎日一生懸命回ってるんですけど、おたくの雑誌は広告宣伝に繋がらないって言われます。そう言われるとそうですし……
 社長の顔がみるみる紅く硬直する。馬鹿モンッ。いいかッ、そこを取るのが営業マンだッ。営業マンはどんな時でも金がすべてだッ。根性が足らんぞ。  いいか、お前らよく聞けッ、もっと金儲けに情熱を持てッ。金儲けの何が悪いッ、金というものはお客が必要だから払うんだ。広告をお前らに出さんというのは雑誌じゃなく、お前らに価値がないからだ。金というものは生きていて必要な価値のある人間にだけ動くもんだ。金が流れてこないのはお前らに生きてる価値がないからだッ。いいかッ、お前らッ、どんなことをしても相手に自分の必要を感じさせろッ、たとえ嫌われるような手段を取っても相手が無視できないと思えば、それがお前らの存在価値だ。そうすると自然と広告が取れる。金とはそういうものだッ、解ったかッ。
 それから狭間ッ、価値のない奴に金は払えん。今月より五万の減俸ッ、  以上ッ。
 それがお前の幸福か、ひとを金で認め、金で支配するのがお前の幸福か……

 サラ金で金を借り、啓子の病院代の払いを済ませ、夜の新宿を歩く。  立ち止まって煙草を一服吸う。俺の前で茶パツの若者が軽いリズムに乗って、通り行く女達に声を掛けている。ねッねッお茶しない? ねッ彼女だめェ? 衒いもなく、無視されても、断られても、次々と行く。どうしょうかな、やっぱダメ。笑いながら応える女子高風の女に脈があると見たのか、執拗に食い下がり二人は往来の人波の中に消えていく。

 「狭間さん、しばらく」、俺の前に見覚えのある女が笑顔で立っている。  小沢昌代。前の雑誌社で知り合い、二三度寝たこともある女だ。もう四年は会っていない。
 「私、もう三〇でしょ、来月結婚するの。彼、病理の医師なのよ。彼ったらね、死体解剖する時、Y字型にメスを入れるらしいんだけど、その時、何とも言えない快感があるって言うの、いやねェ」
 歌舞伎町のラブホテルの一室で昌代は手慣れた仕種で下着を脱ぎながら、そう言う。
「確かに死んでるっていっても人間を切り刻むなんて、ちょっとしてみたい気もするけど普通の人じゃできないものねェ」、ベッドの上でそう言いながら俺の股間をまさぐってくる。「……久し振りね、以前のように激しくして。独身最後の思い出にしたいわ」。女の肌に触れるのは俺も久し振りだ。 ふくよかな乳房を撫で、舌を絡ませ、ワギナのぬめりを確認する。執拗な愛撫を繰り返し昌代は何度も艶声を発する。しかし俺は、眼前の物体とそれに触れる俺の掌・舌・腹などの物体を異常に意識し、淫乱の中に溶け込めないでいる。
昌代は長い前戯に悶え「入れて、入れて」を連発する。しかし俺の局部は何故か小さくなったままだ。昌代は「欲しい、欲しい」と狂ったようにフェラチオを繰り返すが、俺の局部は少しの快感も感じない。
 「馬鹿な思い出をつくってしまったわ」
昌代は終電車にまだ間に合うと言って部屋を出ていく。天井の鏡に映る全裸の俺は、多分、本能でさえも忘れてしまったのだろう。

 3

 体調は日によっても一日の時間によっても違う。少し元気な時もあると思えば、死の恐怖は何かに弾かれたように突然やってくる。例えば信号待ちの時、赤色を見た瞬間、突然気分が悪くなり、呼吸が早くなり、動悸が高鳴りして蹲ってしまう。蹲りながら死の恐怖と格闘する。一時間もすればなんとか立ち上がれるようにはなるが、心身ともに磨耗して虚脱状態になる。そういう発作が度々繰り返し、俺は次第に小さな音にさえびくつくようになる。そして、いつ発作が起こるか判らないとなると、自分のちょっとした体調の変化や外部の些細な刺激にさえ異常に神経が張り巡らされる。
 情ない自分に愕然とする。俺の存在はエネルギーそのものと言ったのではなかったか。
 エネルギーの赴くままに生きればいいと言ったのではなかったか。その俺が死の恐怖に怯え、びくびく、おどおどし、これが俺の本質かと……。              
 カサカサの皮膚、痩せこけた頬、鏡に写る亡霊のような俺の顔。俺は何にこれほど衰弱しているのか。外に出るのさえ怖くなってしまった俺は、 始めの一報だけで、一週間も会社を休み、アパートの一室に閉じ籠る。  虚脱状態の中で、鏡の亡霊が俺に言う。
 お前は袋小路に入ったんだよ。お前は、死ねばどんな者でも完成する、 死ねばすべては終わる、だから何だって出来る、そう思っていたはずだ。  ところがこの死の恐怖は一体なんだとびっくりしている。怖じ気づいた今の自分をあまりにも情ないと思っている。所詮人生は観念の世界だ。しかし今のお前は情ない自分から抜け出せないでいる。いいか、観念の世界ならば、このままびくついて暮らしても一生、嘘でもいいから勇気凛々堂々と暮らしても一生だ。
 いいか、教えてやろうか。
 死の恐怖は、生の答えが解らないまま無理やり決着をつかされるところからくるんだ。
 しかし解らなくてもいい。その絶望の域を掘れ。その手を休めるな。なんの手立てもないまま、今を掘れ。入り口は出口だ。お前は言うだろう。  どこから入ったかも解らないまま状況Aは在ると。しかし歌うな、漂うな。 自分の内なる壁や社会に対して、それらを押し広げる努力こそが生きるということだ。
 畳みの上で胡座をかき、丸くなった背中。俺は大きな溜め息とともに煙草の煙りを吐き出す。
鏡の俺は言う。自分にとって「よく生きる」ということはどういうことか? 
 俺は考える。毎日心が澄んでいて安らぎがあること。常に変化する環境のなかでその時々に心底やりたいと思うことをやること。
 鏡の俺は言う。その通りだ。自分の生き方を宇宙存在の法則に合わせればいい。宇宙存在の目的は環境の変化に適応して生き延びることにある、植物も動物も、人間も。だから、まず自分が生き延びること。ついで自分の子孫を増やすことにある。窓の外に見えるあの大きな樫の木を見ろ。樫の木は他の植物に気を使って遠慮しているか。木の下には植物が育っていないではないか。ようやく遠まきに雑草が生えている。あの雑草にしても遠慮しながら生えているわけではない。生きるための必死の攻めぎあいの結果、共生しているのだ。だから自分を滅ぼしてまで存在は他存在になんら気をつかうことはない。いいか、鏡に写る自分は『他人が見ている自分』だ。人間だけが『他者がみる自己』を見るのだ。鏡の発明者ほど人間を不幸に陥れたものはいない。それは自己確認ではなく『他者から見る自己』で本当の自己ではないからだ。動物も植物も本来自我意識などない。いいか、自我意識を持つことが不幸なのだ。自己存在に眼を向けること自体 自然の法則に反している。だから不安が波打って押し寄せてくるのだ。意識は自己存在に向けるのではなく、他存在に徹底して注ぐものだ。いいか、 道を歩いていて黄金虫がいたとする。黄金虫はお前の大きな足を見て「私はこのままでは踏まれる」と意識して逃げるのではない。黄金虫には私という自我はない。無我に於いて本能のままに逃げるのだ。いいか、コギト、 我思う故に我在りより、我他存在思う故に無我なり。それが本来の自然の法則に乗っ取ったものだ。意識は外に向けるものだ。意識を乗っけて強い視線で他存在を見るのだ。そうすれば心が澄んでくる。他存在を能動的に見詰め、そして心の奥深いところから発する思いのまま動けばいいのだ。存在はなんら他存在に対して反省することも遠慮することもいらない。存在はなんら存在に気をつかうことはないのだ。他存在に気を使わず、心底やりたいと思うことをすることが最良の道だ。
 ところがお前にはそのやりたいことが解っていない。いいか、お前を形成している六〇兆の細胞はすべて明確な目的意識を持って生きている。たとえば眼の水晶体の細胞はレンズとしての目的をもち、網膜の細胞は写った映像を電気信号にして脳に送る目的で動いている。胃も腸も、そしてその一細胞の中のミトコンドリアに至るまですべて明確な目的を持って生きているのだ。にもかかわらず、その総体であるお前に生きる目的がないのはなぜだ。
 いや、おそらく解っていたかも知れない。が、お前は大きくなるにしたがって、他存在に気を使うあまり、環境に抑圧され続けてそれらを封じ込めてしまったのだろう。みろ、食欲もない、睡眠もとれない、性欲もない、本能ですらも封じ込めてしまったのだ。
 ……本能。俺は傍らの事典をまさぐる
 「本能」、同じ種に属する生活体が生まれつきもっており、生後経験によって学習する必要のない要求行動。マクドウガルの学説。逃走本能(恐れ)、 拒否本能(嫌悪)、好奇本能(驚異)、闘争本能(怒り)、屈従本能(屈従感)、 ……
 ほうら 読んでいてお前は何かを感じないか。怒り、怒り、怒り、怒り、 怒り。そうだ、「怒り」という字を見るだけでも、なぜか気持ちが落ち着いてくるだろう。それはお前が長々と心の奥底に封じ込めてきたものだからだ。いいか、動物は敵に対して逃げるか戦うかの二つの行動しかない。ところがお前には何が敵なのか解らない。しかし目に見えない何か敵がいることをいつも感じている。それに耐えられなくなってお前は病気をつくって そこに逃げだしたんだ。お前みたいな奴は今の日本にごろごろしている。 何が自分の敵なのか解らなくなっている。学校のいじめもそうだし、企業内もそうだし、政治までもがそうだ。見えない何か大きな有機体に蠢かれて、見えないだけに個人的には打つ手立てがない。次第に無力感に陥り、 戦う気力、すなわち怒りを胸のうちに封じ込めてしまったのだ。そして後は逃げるだけだ。しかし、これだけ大きくなった人間の社会からは逃げだそうとしても逃げられない。逃げてもそこに残るのは不安だけだ。いいか、逃げからは不安しか生まれない。結果、その不安に押し潰されて自爆行為に走るのが関の山だ。
人間の六〇兆の細胞はすべて、目的すなわち意志を持って動くが、その総体であるお前にそれらを統一する意志力がなれけば混乱を来して当然だ。    
 いいか、もう逃げるな。逃避がお前を抑圧してきたんだ。怒って戦え、 意志力を発露しろ、この世の創造主に怒れ、死という不条理に怒れ、人間社会の欺瞞に怒れ、己に怒れ……
    
 通勤電車、朝のラッシュ。なんと陳腐で明晰なことか。四ッ谷駅で俺は降りる。亡霊たちの洪水。小さなエレベーター、6、選択したのはこの俺だ。  一週間ぶりの出社。どのツラさげて、また来たんだッ。今までの給料だ、お前はクビだッ。俺は懐に薄いそれを入れ、こんなことは何の解決にもならないが、そう言って、社長の赤茶けた頬に俺の拳を食い込ます。
 「唐木神経内科」の看板が業者の手でロープを伝って降ろされている。  俺はビルの一室を開ける。化粧の濃い受付けの女性が強張った顔で「潰れた」という。山根先生医師免許持っていなかったんですって。唐木院長は八五才の高齢でしょ、名義だけで実際は山根先生がすべてしておられたのよ。 これは噂話なんだけど、山根先生どっからかそのことで脅されてクリニックのお金を横領してたらしいわ。山根先生どっかに消えてしまったの、びっくりだわ。私達も全く知らなくて、再就職先も決まっていないんですもの、 イヤになっちゃう。残務処理の別の先生に今聞いてきました。狭間さんの薬は抗精神薬スルピリド、精神安定剤ジアゼパム、筋肉弛緩剤テルネリン、 それに漢方の安中散をこの調合比率で混ぜたものらしいです。唐木院長が昔から使ってた薬らしいです。それにすみません、他に行けば健康保険が利く薬剤だそうです。

俺は女房の下着を持って病室に入る。
 洋一を殺したのも、お前をこうしたのも、この俺かも知れないし、お前かも知れない。しかし、俺はもう自己と他者の関係の思考を停止する。    洗面器のお湯に浸して温かくしたタオルで啓子の動かない身体を、何の思考もないまま、ゆっくりと、拭っていく。背中から臀部あたりが何か所も床ずれで赤黒くなっている。全裸で死体のように横たわったままの啓子。 相変わらず目尻に涙がつたわっている。耳朶の黒子、首筋のしみ、かわいい乳房、臍の辺りの産毛、陰部の繁み、艶のある太腿、爪のちいさな指を持つ足……俺はその存在をあるがまま見詰めていく。
 俺は全裸になって啓子に寄り添う。唇に触れ舌を裏側の粘膜に這わせる。 乳首を口に含み、また、柔らかな乳房に優しく何度も何度も舌を這わせる。あるがまま、思いのまま、陰部の繁みを撫で、指を入れる。神の啓示にも似た啓子の体臭が漂ってくる。俺はごく自然に二〇代のように完全に勃起したペニスをゆっくりと挿入する。快感が走り、ペニスは波打って射精する。



茫漠とした宇宙、空間、時間、そして、人間。
 炎天下の太陽がじりじり焼き尽くす。もう九月だというのに今日の暑さは何だ、三五度以上軽く越えているのではないか。細い路地の三叉路で俺はもう何時間も突っ立っている。警備会社から派遣された今日の仕事は水道工事で迂回を促す交通整理だ。しかし車は殆どやってこない。おめえはいいな、立ってるだけで銭が貰えるんだから。近くの自動販売機に飲み物を買いにきた作業員が汗と泥に塗れた顔を手ぬぐいで拭いながら冷ややかにそう言って現場に戻っていく。
 俺だってヘルメットの下も背中も立っているだけで汗びっしょりだ。しかし立つことだけが俺の仕事だ。存在は何等他存在に気を使う必要はない。
 環境は変わっていく。少しづつだが変わっていく。そして俺の意識もそれに呼応して、少しづつだが変わっていく。少なくとも逃げることだけはやめよう、俺の本心がそう語る。しかし、今日の太陽は異常に熱い。お前によって俺は生かされているが、そのお前とも俺は戦わなくてはいけない。 それが生きるということだ。生きる。よく生きる。
「何故人間はよく生きなればならないのか」
 完璧な生、よく生きる、ほんとうはそんなもん、ありゃあしないのに  神はどうして向上と進化を求めるのだ。なぜ、向上せねばならんのだ。 それは環境の変化に生き抜く適応力。なぜ生き抜かなければならんのか。 こいつはゲームだ、神のサバイバルゲームだ。俺はいつも思う、世の中は進化ではなく変化だと。しかし宇宙は膨脹している。膨脹は存在の密度が薄められることでもある。その密度を別の何かで絶えず埋め合わせなければ存在のバランスが保てないのではないか、それが進化なのか。人間は神の奴隷か。
                  
太陽が強い陽射しとともに俺に語る。

その通りだ。
『宇宙は膨脹と密度の稀薄さの渦中にあり、その両極端なものの絶妙なバランスのうえに存在しており、その恒常性の動きこそが宇宙のすべてのものを存在たらしめている。それが宇宙存在の法則であり、絶対の真理だ』。  膨脹と密度、星同士の引力、エネルギーのプラス・マイナス、この世は両極端な二つの力が影響し合って、そのバランスの中で、ある種の運動として成り立っている。宇宙に存在するものはすべてがそうだ。そして人間もまた 自我意識と他存在、善と悪、明と暗、喜びと悲しみ、永遠と瞬間、交換神経と副交換神経、理想と現実、清と濁……すべてが両極端なもののバランスの上に成り立っている。つまり存在は磁石のように相反する二つの力の引合いの中央で微妙な運動の中に固定化せず絶えず流動(運動)しながらこそ存在する。
 そして存在は一方の力に極端に傾いた時、バランスが崩れた時、存在の死となる。つまり運動とはバランスが崩れない範囲での遊びの部分であり、たえずホメオスタシス(恒常性)が働ける範囲である。この遊びの部分、 いいかげんな部分、精神の自由があるからこそ、新たな掛け合わせ・統合ができるのだ。そしてその運動こそが存在を存在たらしめているものである。この真理は絶対である。
俺は言う。
 しかし、これが現世の絶対ならば、「不動」という絶対もあることになる。 動きの反対は動かない。          
太陽が言う。                               
たぶんその通りだろう。しかし、我々宇宙の存在から不動の世界は絶対解らない。
 我々現世の宇宙が動の世界であれば、非宇宙は不動の世界である。  非宇宙は絶対解らない。その世界は非存在であるから存在からは絶対解らない。
 さらに、存在世界は相反する力の及ぶ所の運動が見えるものとなって現れる世界とすれば、非存在は何の力も及ばない世界ということになる。
俺は言う。
 エネルギーと非エネルギーの世界。何の力も及ばない非エネルギーの世界とは……
太陽が言う。
 おそらく非宇宙、非存在、非エネルギーの世界も存在するだろう。  しかし、それは、我々には全く関係のないことだ。
俺は言う.。
 死は非エネルギーの世界か。
太陽は言う。
 死は非エネルギーあるいは非存在ではない。何故なら死はこの宇宙エネルギー世界での出来事であり、力の及ぶ世界の出来事である。その世界でバランスを保てなくなっただけの事であり、また新たなエネルギーの集合体として再生する過程、あるいは変化でしか過ぎない。
俺は言う。
 人間もまた動きこそ存在なのか。
太陽は言う。
その通りだ。たとえば自我意識と他存在との関係で「矛盾」を感じるとする。すると、その矛盾を解決しょうと動き始める。存在は動きなのだ。  宇宙のひとつでもある人間もまた変化する環境に対応し生き抜くことを命じられており、「膨脹と密度の稀薄」という瞬時の固定もない無常なる環境の変化の中で調和・統一を図り適応するため、進化と向上を強いられている。だからよく生きることを本能的に掻き立てられる。  ゆえに、存在するならばよく生きなければならないのだ。

宇宙は完全なる統一にはなっていない。
しかし、宇宙の全存在が『完全な統一』を意志し、行動を続けている。 

俺は言う。
 すべての存在が 生き抜かなければならないのは神の意志か。
太陽は答える。
 それは解らない。しかし、例えば水を火にかけると、蒸発して水素と酸素になるだろう。それは水の原子が火という環境の変化に対応して生き抜くための意志による行動なのだ。つまり、「生き抜く」という意志は宇宙の我々を構成する原子に宿命づけられているのだ。厳密に言えば意識は意志にまで密度が高まったからこそ原子になったのである。つまり「存在」とは「意識」が「意志」にまで高められ、それが見えるものとして顕在化したものである。だから化学者がよく口にする「化学反応」とは、環境の変化に対応する原子の「意志」の行動である。その意志は、環境の変化に自己の適合不可能な「欠落」を感じた時『異質なもの同志の掛け合わせ・統合によって対応する』。つまり原子意志は「分子構成」をする。さらに掛け合わせ・役割分担・統合が繰り返され、さらに大きな『存在』となって顕在化するようになる。だから有機物に意志があるのは勿論だが無機物にも意志がある。存在するもの全てに意志がある。「原子は意志を持っている」。 
 ゆえに宇宙に存在する我々はすべて兄弟だ。
 ここに至っては神の存在はどうでもいいことだが、あえて神というならば、神は私の中にもいるし、お前の中にもいる。神は私で、お前が神なのだ。すべての存在が神なのだ。そして神の使命は生き抜くことにある。

 突然、クラクションの音。
 「どうしたの? 通れないの? ちゃんと指示してよ」
 乗用車が目の前にあり、中から険しい女性の顔が見える。
 「すみません、水道工事中なもので、戻るか左の道を行ってください」
 チェっと舌を打ちながら自動車は左の道を去っていく。

俺は再び太陽に問う。
「どうすれば、よく生きれるのか」  

太陽は答える。

 まず生き方を宇宙存在の法則に合わせることだ。 それが真善美の真 宇宙の心に合わせるということになる。真善美についてはカントが「純粋理性批判」で語り、古くはプラトンもイデア論で語っている。しかし私の言う真善美の意味合いは少し異なる。
お前が何の後ろめたさもなく心の奥底から楽しいと思った行動が実は宇宙の法則に合致した行動なのだ。そしてその楽しさは必ず美しいと感じるものだ。奥深い楽しさは美の入り口でもあり、美こそが宇宙創造主からの人間がよく生きるための啓示なのだ。
例えばおまえにひとつ質問をしよう。啓子とのファックは楽しいか?
楽しい。それは、地球上のすべての生物が環境の変化を乗り切る適応力として、異質なものの掛け合わせにあるからだ。その「異質なものの掛け合わせ」こそが愛であり善であり美でもあるのだ。
しかし今の日本の風潮は異質なものを認めない傾向にある。これは、由々しき問題だ。たとえばお前らが着る服一つとってみてもダークスーツばかりだ。多様な個性が表現できない社会になっている。異質を恐れ、 異質を認めない社会は掛け合わせが出来ず、いずれ退化し硬直化し、環境の変化に対応出来ず、衰退していくだろう。
宇宙は休むことなく動き続けている。よって「完全な完成された調和・統一」は常に無い。しかし宇宙は「完全な完成された調和・統一」を常に求めている。それが人間には求め目指すものとして、美の啓示となって現れているのだ。
宇宙存在の法則とは何か。
それは、
『異なる者を認め役割分担を行い共生し、そして異なる者同志が合体し新たな者を生み、環境の変化に対応することだ』
 いいか、美なるものには今まで言った宇宙に存在するのに必要な条件がすべて啓示されているのだ。美しいと感じるものはすべて調和統一したものだし、生き抜くためには異質なものの掛け合わせが必要であり、だからこそ異質なものにも美を感じるようになっている。難しいことはいらない。 美しいと思った行動こそがよく生きるに合致した人間として最良の道なのだ。
 そして真(宇宙の心)、善(異質なものへの愛)、美(調和)、は人間という種族が生き延びるためのツールとして本心良心として心の奥深いところに刻み込まれている。
 人間の悩みはすべて真善美が達成できていないところからくるのであり 悩みは環境変化への不適応の証左でもある。 
 ならば悩みが出た場合、真善美に照らし合わせて間違っている環境に立ち向かって是正していくしかない。しかし「醜」とのバランスを図りながら進めないと存在のバランスを崩してしまう。それは存在の死を意味する。 存在するにはバランスを保つ意志力の強さが必要なのだ。                 人間社会は巨大化し、真善美に適応できていない環境といえども、そこからは逃げることはできない。だからこそ人間の使命は、歪んだ人工社会に怒り、闘い、是正するしかないのである。いくら個人の力が無力といえども、それが創造主の兄弟である我々の使命なのだ。

 顎の先から汗が滴って、足元のアスファルトが濡れている。一匹の蟻が近付き、匂いを嗅ぐような仕種を見せて、去っていく。
 存在はバランスを保ち生き抜くための動き、逃げずに、遠慮せず、闘っていけばそれでいい。

俺は、宇宙存在のすべてが解ったような気がした。俺は大きな安息を得る。

 この季節はずれの異常な暑さで再び蝉が鳴き出している。向かいの民家の垣根越しに種をたわわに実らせた枯れた向日葵が頑強に立っている。         放置されたゴミ袋をつついて中のものを引き出す烏は何かをくわえて飛び去っていく。民家から出てきた老婆は焼けたアスファルトにバケツの水をうつ。
 やがて、濡れたアスファルトから蒸気が立ち込め、その向こうで工事をする作業員たちが陽炎のようになびいて見える。仕事が終わったら啓子のところに寄ろう、俺はそう思う。見るでもなく見ないでもなく、ぼうっとしている俺の眼に、男達の背中がなんだか霞んで見える。俺は眼の辺りをタオルで拭う。しかし霞みは取れるどころか、男達からなんだか白い靄のようなものが立ち昇っているようにも見える。暑さでやられたかな、おれは軒の日陰に移動する。また三叉路のミラーに俺が映っている。ところがその俺からもなにやら白いものが立ちこめている。ばかな、暑さで視神経がいかれたか。足元を見るとなんだか作業靴の輪郭もはっきり見えない。 俺は眼を擦って鮮明に見るよう努力する。しかし黒いがっちりした靴のはずなのに、その輪郭が鮮明でなく、さらによく見ていると、溶け出してだんだんと小さくなっていくようにも見える。そして陽炎のようなゆらめくなにかが立ち昇っている。それはやがて脚からも立ち昇り、ズボンも俺の脚までも輪郭が溶けて縮んでいっている。手も胸もすべてがそうだ。  「俺は溶けている」
 「ギャアー」突然作業員から悲鳴が起こる。俺は道路の中央にいく。
「おいッ、何が起こったんだ、どうしたっていうんだ、なんだッー」 男達の絶叫が繰り返される。男達も溶け出している。これは眼の錯覚なんかじゃない。民家のけたたましい戸の音がしたとおもうと、子供のように小さくなった老婆が恐怖の声を挙げて飛び出してくる。
 よく見ると人間だけではない。杉の木も垣根からも陽炎が立ち昇っていく。傍らを通る猫、蟻、存在のあらゆるものから霊気のようなものが立ち昇っていく……。

 俺はほとんど霧散してゆく意識のなかで、
地球のバランスのなにかが大きく変わったことを直感する。     
                                       (完)