まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

政治ビジョンなき麻生首相に自民断末魔の様相!

2009-06-30 | 発言
麻生という人物、もともと所信演説からしておかしかった。この国をどうもっていくのか、政治ビジョンを語るわけでもなく、その演説の殆どを民主党批判に費やしていた。その後の彼の言動を見ると、やはり野党批判ばかり。昨日の国会でも、政権交代したら景気も後退すると、同じこうたいの掛詞を使ってやじっている。この人には、もともとビジョンというものがないのである。生まれながらのボンボンで女中に「おぼっちゃま、おぼっちゃま」とかしずかれて育ち、今は「総理、総理」と側近にかしずかれるのが好きなだけである。だから都議選の応援など首相としてはどうでもいいことに熱を入れる。街頭のおばちゃんから「あそうさーん」としたわれるのが好きだから応援に行くのだ。そして公邸に帰って葉巻を吸いながら「ああ、今日も一日楽しかったなあ」と回顧する、まあ、政治は根っからおぼっちゃまの遊び道具である。そんな何のビジョンもないその場限りの言動に、もう自民党は断末魔の声をあげている。この声がまた自分だけは衆議院選で勝ちたいがための声ばかりである。麻生降ろしをして新総裁で闘おうとする中川や小泉チルドレン、一方では、「正義」の鳩山、かたや古賀は国民に人気の在るヤツに片っ端から声をかけている。自民党議員のこういった一連の動きは醜態の一言だ。まさに貧すれば貪するの様相を呈し、国民そっちのけのむき出しの我欲にうんざりさせられてしまう。民主党は政権交代をしたら、国民に希望を与え、理想のある、美しい品格のある政治を目指してほしいものだ。

食う、寝る、遊ぶ。

2009-06-29 | 随筆
うちの猫は金太郎、通称金ちゃんと呼んでいる。産まれてまもなく近くのダイエーで貰ってきて、カミさんに抱かれて育ったので、ぼくよりカミさんになついている。もう9年になるので、人間の歳でいうと丁度ぼくらと同じ年頃になる。彼の生態は「食う、寝る、遊ぶ」に徹底している。「食う」ということには一番執着があり、エサが欲しい時はぼくらの背中をカキカキして要求したりする。ダイエットもあって、なるべく一日80グラムに抑えるようにしているが、食べ終えると、すぐ睡眠に入る。猫は過ごしやすい温度というものをよく知っていて、冬は掘りごたつの中、春になると掘りごたつの横、梅雨時期になると二階の部屋、猛暑になると階段と、その時々の温度で最も過ごしやすい場所で眠る。暑くって部屋にエアコンを入れると、スーっと部屋から出て行く。猫はどうもエアコンのような不自然な冷房が苦手らしい。そして適性な場所でひたすら眠り、一日の三分の二は寝ている。夜になって、カミさんが少し遊んでやる。子供の頃や成長期はよく遊んでいたが、この頃はもう歳なのか夜の短時間に集約されている。そんな金ちゃんを見ていて、人生、「食う、寝る、遊ぶ」でいいんだなーっと思う。オーデンの詩に、次のようなのがある。「自分の存在なんて無用のものだということを喜びたまえ。そして、しかも活活と歩きたまえ。そして、自分が誰であるかを思い出したまえ」。しかし、おいらの場合、余計なことを考えてしまって、夜は眠れない、あまり食えない、あまり遊ぶことがない、と三拍子否定的な生態になっている。猫に比べると、ある意味不健康なんだろうなー。

ブルドッグは子供を育てないって本当?

2009-06-28 | 発言
今日も庭のエサ箱にスズメのヒナと親鳥が来て、せっせとヒナに親鳥がエサをやっている。ウグイスに抱卵させるホトトギスは別にして、動物のほとんどはひとり立ちできるまで親が子を育てる。ところが、犬のなかでブルドッグだけは赤ちゃんを産んでも育てないって聞いたけど、本当なんだろうか。ブルドックはイギリスで1800年代にウシと闘う闘犬として作出されたものだが、今ではおいらのように闘う意欲も失せて、家庭のペットとして飼われている。このブルドッグは赤ちゃんを産んでも育てないという。ぼくが思うには、ブルドッグは自分の顔を知らないから、赤ちゃんの顔を見て、その犬とは思えない表情にビックリし、育児を放棄するのではないだろうか。また散歩に歩いていると、異常に脚が短くお腹が地面に刷れそうな犬もよく見かける。こんな珍しい犬作りをめざして、いろいろ掛け合わせ、人間のエゴで、犬の生態を無視したような作出をしているのは、どうも頂けない。第一犬が可哀想だし、犬の生態をも狂わせてしまう。自然をいじくってはならない。

政界は所詮、利益代表のぶつかり合い!

2009-06-27 | 発言
国民による、国民のための政治、これが民主主義の根幹だが、個別の政治家ごとにその言動をみると国民というより、自分の関わる団体・地域・組織の利益代表として、どれだけわが身に利することができるか、そのせめぎあいが政治のようだ。麻生首相は頂点に立ったから「総理の椅子」でどれだけ遊べるかだけを考え、古賀は自民党保持のことだけを考え、人気の東国原、橋下に立候補を打診する。東国原は自己顕示欲を満足できればよいし、橋下も中田も地方に税金をよこせという。公明党は池田大作先生さえ守れればいい、そのためには庶民をなおざりにして自民べったりになってもかまわない。ざわざわ、がやがや、政界は利益代表でぶつかり合い、なにか、美しいものを全く感じない。テレビや新聞の報道を見ていても虚しさが残るだけだ。「国民のための政治」の美名の下に、どれだけわが身の顕示欲が満足できるか、どれだけわが陣の利益が確保できるか、その闘争でしかない。

今度は朝日新聞の鳩山潰しが始まった!

2009-06-26 | 発言
朝日新聞は「赤い、赤い、朝日は赤い」と揶揄されるほど、どちらかいうと、左翼寄りの新聞と言われ、自民党批判、野党応援という図式が多かった。ところが最近はまったく逆で民主党潰しに異常なほど奔走している。西松建設の企業献金でスクープした朝日は検察と一体になって小沢降ろしの先陣をきって、連日キャンペーンを張った。そして今度は鳩山代表の個人献金疑惑をスクープし、またぞろ批判キャンペーン記事を大きく連日掲載している。ところが一方の政府や自民党問題では、二階経産相、森元総理の西松献金を不問にし、与謝野大臣の先物取引会社からの迂回献金も、それとなく小さくベタ記事で済まし、昨日も佐藤総務相が談合6社から企業献金1500万円を受け取っていたことが発覚しても、これまた三面に小さくベタ記事で済ませている。民主批判は連日大きくキャンペーンを張り、政府大臣の疑惑などはベタ記事で済ませる、このアンバランスな政府寄りの記事掲載は一体なんなのかと疑問がわく。この朝日新聞の変節ぶりに「朝日新聞社は社内の脱税問題で検察と裏取引があった」とか「子会社の朝日広告社が障害者郵便割引を悪用していたのを裏取引で不問にしてもらった」とか、まことしやかに囁かれているほどだ。朝日新聞社は政府・検察に何か借りを作ったのだろうか。そんなことで、公正な報道ができないと思いたくないが、それほど最近の朝日新聞は政府よりに偏向していることは事実だ。不偏不党を貫くことこそ、ジャーナリストとしての原点である。愛読者の一人として、義憤に堪えない。

与謝野献金疑惑でも動かない検察と朝日新聞!

2009-06-25 | 発言
西松建設の献金問題では、小沢氏と同じように貰っていた二階経産相や森元総理に対して検察は全く動かなかったし、朝日新聞も小沢氏の場合は収賄のごとく検察報道を垂れ流したのに対して、二階氏や森氏は雲泥の差の小さな記事で済ませていた。ところが、またまた政府に弱い検察と朝日新聞の体質が露呈した。昨日、毎日新聞が、与謝野馨財務相が商品先物取引会社から5530万円もの政治団体を通じて迂回献金を受けていたことをスクープした。これは西松の小沢に対する献金問題と全く同じやり方である。それにもまして小沢をはるかに上回る金額であり、また、献金は与謝野が通産相を務め、先物取引を監督する立場の時も行われており、職務権限にも関わる重要な疑惑だ。ところが、検察は事情聴取もせず、まったく動こうとしないし、立件する意志もなさそうだ。朝日新聞もまた夕刊で、アリバイ工作のように三面記事にあと追い取材もなく、小さくこの記事を掲載している。検察は政治資金規正法というザル法を盾に、政府に都合の悪い議員だけを挙げ、政府関係者はこのように一切不問としている。朝日新聞もまた、小沢以上の問題なのに、一切読者に取材して伝えようとしない。これでは双方ともキャッチコピーを代えたほうがいい。正義の番人から「政府を助ける帝國憲兵をめざす検察」。そしてジャーナリズム宣言から「政府ご用達宣言の朝日新聞」へと。嘆かわしいかぎりだ。民主主義国家を北朝鮮のように歪めようとしているのは君たちだ。

国民をなめた、傲慢不遜な東国原知事!

2009-06-24 | 発言
どうもこの男には品位が感じられなくて、ぼくは好きになれない。そのまんま東のタレントから宮崎県知事になって、何をしたか。橋下大阪府知事のように府の財政危機を訴え、涙しながら改革を断行したわけでもなく、タレントの乗りでテレビに出て宮崎を宣伝しただけではないか。そんな人間が宮崎県人にも、国民にも人気があるようだ。うんざりしていまう。その人気を戴こうと、昨日自民党の古賀選挙対策委員長が時期衆議院選で自民党からの出馬要請をすると、「総裁に推すことが出馬の条件」と発言し、古賀の眼を白黒させた。総裁ということは、東国原を首相にしろということである。支持率低落の自民党も舐められたものだが、某テレビ局でアンケートを銀座で取ったところ、通行人の過半数が東国原首相でもいいという。だいたい国民も国民だ。麻生首相に対しても当初は「明るくていい」と支持をしておきながら、今は辞めろという。実にいいかげんなものだ。こういう軽薄な国民性だから、政治はちっとも変わらない。国民のリーダーたるべき首相には、底辺に美しいものが流れる品格というものがなければならない。オレを総理にしろと、自分の人気に酔ったような、傲慢不遜なタレントの言動に、国民も、自民党もなめられたものだ。

庭木の散髪

2009-06-23 | 随筆
今日は32度になって蒸し暑くなるというので、朝の涼しいうちに、道路にはみ出している庭木を二時間かけて剪定した。クタクタになった。ぼくが切って、カミさんがそれを掃除する。みんな最近の家の庭は、庭師が入ったりして、綺麗に刈り上げている。ぼくはどうもああいう人工的な刈り上げは苦手で、自然の雑木的な庭が好きだ。掘りごたつの居間から自分の庭を眺めると、雑草が伸びていたり、木の枝が伸びていたり、自然に任せている。道路にはみ出した部分は近所の人に迷惑がかかるので切ったが、できるだけ自然のままがいい。友人が来て「なんじゃ、お前の庭はひとが住んでないみたいじゃないか」と言っていたが、ぼくはそれでいいと思っている。この間も、ピンクの貧乏草とアザミモドキの雑草をわざわざ採ってきて庭に植えたぐらいだ。雑草を採ってきて庭に植える人も珍しいだろうが、雑草の花もいいものである。雑木に雑草に、小鳥たちがやってくる。そんな自然を見ているとほっとする。上の写真はタチアオイで、ぼくの好きな花だが、園芸店には売ってないので、近くの土手に咲いていたタチアオイの種を採ってきて育てた。でもぼくの庭は雑木で日陰になるので草花は育ちが悪い。でも、なんとか小さな花でも咲かしてくれた。毎日、庭の小さな自然に、慰めてもらっている。

狂ってきた日本人の生態

2009-06-22 | 発言
繁華街を歩いていると女性のファッションに、昔でいう「ももひき」をはいたようなのがブームのようだ。おいらから観て、あれはどうもいただけない。この蒸し暑いのに、蒸れないかねー、第一、ちっとも美しいとは思わない。また、もうこの10年、日本人の服装は、男も女も黒あるいはグレーを主体にした地味な色彩ばかりが主流になっている。どぶねずみ色ばかりである。なんだか、みんな目立ちたくないんだろうねー。一方ではギャルのお姫様スタイルがブームだけれど、あれは殆どマンガの延長だ。どぶねずみかマンガかと、日常生きていて、ストレートな自己表現、自己実現というものがなく、なにか、日本人の心が屈折しているようだ。それがファッションに現われているように思える。おいらは韓国ドラマや韓国映画に嵌っているが、なぜかというと主人公も脇役も感情豊かなことが第一にあげられる。そして躍動感がある。人間としての心根、愛や友情や正義などが描かれている。それらドラマなどに出てくる役者のファッションを見ると、やはりあでやかな原色系が多い。どぶねずみの日本とは正反対だ。本来の人間というものは、男は男らしく、女は女らしく、である。男は男らしさを求めて「男を磨く」。女は女らしさを求めて「女を磨く」。そういう生き方が、いつの世も、人間が美しくいられる秘訣だと思う。男は強く、勇勇しく、そして弱いものを庇護する優しさを持って生きる。女は身も心も清らかな美しさを磨いていく。そういう本来人間が人間として感動できる「生き方」が今の日本人は出来ないでいる。それができるようになれば「どぶねずみ」から脱し、原色系の美しさを自信を持って着こなすことができるのだが・・

「わが最愛なる家族」の絵

2009-06-21 | 発言
上記の写真はぼくの描いた油絵だ。25号で葉書25枚程度の大きさで、もう13年も前に描いたものだ。当時雑誌社に勤めていて、財界人の絵を表紙にしていたが、ぼくのこの絵を社長が観て、表紙に掲載した。父亡き後、この絵は今は京都の母のもとにある。その時に掲載誌に同時に書いた「表紙の言葉」が以下の文章です。

京都で病床にある父に、昔の元気な頃を思い出してもらおうと、30年ぶりに絵筆を執りました。ですから表題にもあるように、これは40年前の実家近くの風景と私の家族たちです。中央が小学校1年生の私、姉が4年生、兄貴が中学2年生くらいでしょうか。そしておやじ、おふくろも30代の元気な頃を思い出しました。おやじは石川県の出身で、京都に出てきて機械工として油まみれで僕らを育ててくれました。家族がなにかにつけて行き詰まったとき、「宇宙はひとつや。もっと大きな気持ちの人間になれ」と励ましてくれました。母からは純粋な慈愛の大切さを教えてもらいました。家は貧しくとも家族みんなが肩を寄せ合って、一番幸せな時期だったかも知れません。その両親を京都に置いて、私は上京し、気がついたら私も二人の子供を育て、もう殆ど手のかからない年齢になっていました。両親には本当に感謝をしていますが、遠くにいて、何もしてやれず、申し訳なく思うばかりです。せめて元気な頃の自分と家族を思い出してもらい、喜んでもらえたらと描いたものです。若い頃、絵描きになりたいと思った時もあったのですが、「絵は所詮平面だ」と思って捨ててしまいました。世の中や人生を小さなキャンバスの中でなく、もっと「体感」したかったのでしよう。ですから、押入れに眠っていた30年前の絵の具を使い、感慨深いものがありました。まだまだ直したい所があったのですが、おやじがクタばってからでは描いた意味がないので、完成としました。

検察よ、「天の声」ってなんじゃあ!

2009-06-20 | 発言
西松事件の裁判の冒頭陳述が昨日あった。「天の声」により西松建設の国沢前社長は政治献金をしたと検察は陳述した。証拠に基づく検察ともあろうものが「天の声」という抽象論を起訴理由にするとはどういうことなのか。「天の声」とは、いつ、だれが、どこで、なにを指示したのか、証拠に基づく具体性がなければ、小沢降ろし・民主党つぶしの恣意的な国民に聞かせるための冒頭陳述に思える。その理由は他にもある。公共受注を欲しがる側が聞いた「天の声」ならば、二階経産相や森元総理など自民党議員にもその金がいきわたっているのに、なぜ、小沢の「天の声」だけで、検察は冒頭陳述で自民党議員の名前を挙げなかったのか。実に検察の恣意的な卑怯なやり方だ。また二階経産相の政治資金規正法違反も不起訴にし、第三者の検察審査会が「不起訴不当」、つまり起訴しろと結論を下しても、検察は動こうとしない。明らかに政府の意を汲んだ、政府を助けるための検察になっている。現大統領を堅持するために前大統領を次々と逮捕していく韓国とまったく同じ、政府の番犬に成り下がっている。検察は不偏不党の正義の番人に立ち戻らなくては、国民の信頼を失うだろう

「脳死」、難しい問題だなあ

2009-06-19 | 発言

昨日は「脳死」が人間の死であるとの法律が衆議院を通過した。寝たっきりの「植物人間」と「脳死」の違いは、自発的呼吸で生きているのが「植物人間」。人工呼吸器をつけないと生きていけないのが「脳死状態」だという。人工呼吸器をつけていれば、爪も伸びるし、髪の毛も伸びるし、成長する。それを「死」と言えるのかどうか、難しい問題だ。医学の進歩によって人間の生死の境がわからなくなってきた。ぼくは「ぼくという魂」があると思っている。それが本当のぼくだと思っている。その魂というのは幼い頃から「ぼく」としてちっとも変わらなく体内にいる。どこに魂がいるのかというと、大脳の下に間脳というところがあって、そこに鎮座しておられる。だから、後頭部から針でちょっと間脳を突いただけで人間は即死してしまう。大脳も身体もその魂の道具であって、その魂が抜け出た時が本当の死である、そう思っている。しかし、人工呼吸器を着けなければ呼吸が出来ない状態で「魂」がいるのかどうか。あるいは爪も髪の毛も伸び成長を続ける脳以外の60兆の細胞は歴然と生きており、それが「脳」を再び蘇らせることはないのか。とても難しい問題だ。ええい、従来の自然の生死観を変えて、延命措置も臓器移植も何でもOKにするか。例えば、腎臓、心臓、ありとあらゆる臓器を10人以上の人から貰って移植した場合、その人は「その人」なんだろうか。将来脳の移植だって可能になるかもしれない。整形も行えば、まさに「改造人間」だ。遺伝子工学で遺伝子も弄繰り回し、人間の生体も改造して、果たして「自然界の創造主」からお咎めを受けないだろうか。

党首討論は鳩山民主代表の圧勝!

2009-06-18 | 発言
昨日の第二回目の党首討論は鳩山代表の圧勝だった。「討論にならなかった」と麻生総理は後で記者に語っているが、そりゃあそうだ、鳩山は政治家としてのビジョンを語っているのに、麻生は「そんなことは学者に任せておけ」と言うだけで、麻生自身はビジョンを語れない。そして麻生首相は「たぶん鳩山は郵政西川の話を持ち出すだろうな」とか、あらかじめ役人に作らした原稿を、鳩山の話ごとにめくって棒読みばかり、これじゃあ、そりゃあ討論にならない。ずいぶん品格の違いが露呈した党首討論だった。鳩山は「先進国で異常なほど自殺者の多いこの日本を、コンクリートより人を大事にする国づくりを一緒になって造ろうじゃありませんか」と政治理念を語り、「社会保障の充実を訴え、その財源はムダを徹底的になくすことによってうまれる」と説く。麻生は財源を消費税増税に置き、民主党は空理空論だと言う。最後に時間間際になって劣勢一方の麻生首相は突然安全保障の問題に切り替え、民主党内でも意見が分かれる弱点を突こうとした。相撲でいうならうちっやりを計ろうとしたが、「終了間際になって突然の話に、これを観ている国民の皆さんも唖然とされたんじゃないでしようか」と鳩山も失笑するほど麻生に余裕はなかった。まあ、麻生首相というのは、所詮、昔でいうなら庄屋のぼんぼん、「おぼっちゃま、おぼっちゃま」とばあやにかしずかれて育った気風というのがそのまま残っている。庄屋のぼんぼんは「ぼくはエライんだあ」と子分をつくって、村の弱いものイジメをする。そんな気風そのままで大きくなったようで、なんのビジョンも理想も持ち合わせていない。そしてなんとか相手をへこませてやろうとそればかり考えている、人格・品格の感じられない、そんな気風が露呈した党首討論だったと言える。一方の鳩山は五年前の党首の時代より一回り大きく成長したようだ。総理の座にふさわしい品格というものが出てきた。今回の党首討論は鳩山の圧勝といえる。

淋しさと酒

2009-06-17 | 随筆
「ミエよう、今、ブタ箱から出てきた」
早朝、スナック「なおみ」の67歳になるママさんからの電話である。カミさんが受け応えしている。
「ブタ箱?」
「高尾警察のブタ箱だよう」
「なんでまた・・」
「わかんねえよ、気がついたら入ってたんだよう」
ナオミは相当酩酊しているようだった。酒を相当飲んで暴れたんだろう。どうも旦那のマスターが警察に電話したらしい。旦那が警察に電話するほどだからよっぽど暴れたんだろう。
「留置所でさあ、オシッコしたくて、ドンドン叩いてさあ、掌を真っ赤にしても出してくれねえんだ。死にたくなってさあ、指輪外して、身体を指輪でかきむしったけど、死ねなかったよう」
小一時間ほどカミさんが話を聞いていた。
「まあさあ、疲れてるんだよ。今日、明日は休みだし、ゆっくり眠りな」
「ミエちゃんと話して、少しはラクになったよ。薬一杯飲んで寝るかー」
そう言って、電話は切れた。
人生はいろいろだ。みんな、いろんな悩みや寂しさを抱えて生きている。ところが酒が一定量以上入ると、パチっと何かが弾けたように人格が変わる人が多い。今は亡き親友だった新谷も、ビール四本くらいから、目が据わり、からむようになった。オレと飲む場合は暴力までいかなかったが、内妻には暴力を振るい、とうとう逃げられてしまった。同じく親友だった津岡も酒好きで、ふだんはいい男なのに、酒が入ると竹刀で子供や奥さんをぶん殴っていた。それが原因で奥さんは過呼吸症候群になり、長男は人格形成で少し障害をきたすようになった。うちのカミさんだって、適量だと実に陽気なのだが、一定量を超えると感情的になり、絡んでくる。長男がそんな時電話を掛けてくると「バー、飲んでるな」っと言ってすぐ電話を切ってしまう。言葉のイントネーションですぐ判るようだ。
「酒は飲むもの、飲まれるな」とはよく言うが、適量だと陽気になっていいが、適量を超えた飲み方をすると、このように人格まで変わってしまう。おいらは、水割りでせいぜい数杯程度で、顔が真っ赤になるほど弱いのだが、それも精神薬を飲むようになってからは併合すると副作用が出るので、酒は飲まなくなった。酒は神経を和らげ、心のなかの寂しさを癒してくれる。しかし、人格も変わるので、ほどほどにというところだが、酒飲みはついついそのほどほどを超えてしまうようだ。

国民は何を観ているのか!

2009-06-16 | 発言
各紙の世論調査が一同に出揃った。最も気になったのが日本郵政の西川社長を辞めさせたほうがいいと国民の75%がそう思っているというデーターである。おかしな話である。郵政民営化賛成といって300議席も自民党に差し上げた国民が、今度は郵政民営化反対かい?国民は一体郵政民営化賛成なのか、反対なのか、どっちなんだろう。答えは簡単である。国民はよくわからないのである。解らないから、常にその場その場の雰囲気に流されてしまう。まあ、国民がこの程度だから、政治もこの程度なのである。かんぽの宿が格安で売却、とんでもないことだと鳩山が言えば、こういう話は解りやすいから「郵政けしからん」となる。そして鳩山を辞任させた麻生の支持率は20%前後とガタンと落ちた。民主党は国民新党との協調があるから郵政の株を3分の1は国が持つと、国有化路線である。ぼくからすると、例えば小泉の労働者派遣法改正は格差社会をもたらした元凶だし、その責任は大きい。一方、郵政民営化は、それをしなければ、200兆円を超える預貯金の運用が今後大きな問題になってくるだろうし、そのカネが不要な道路建設や役人天下りの特殊法人に流れているからだ。ぼくは民営化に賛成である。そして民営化ならば生粋のバンカーである西川善文氏が適任だと思っている。しかし国民は、かんぽの宿の格安売却などわかりやすいから鳩山を「正義の味方」だと思っている。一方の民主党、ぼくは政権を交代して、130人の議員を霞ヶ関に送り込み、行政改革をやってもらいたいと思っている。しかし、その民主党は郵政民営化に反対である。このようにぼくから観れば自民党と民主党も政策にいいところもあれば賛成しかねるところもある。しかし、小異を捨てて大道に着く、まずは政権交代が最重要だと思っている。ただ、民主党は郵政問題をもっと議員が勉強すべきだし、安易に国営賛成のほうが票田を確保できると、票読みから民営化反対ならば、今後この問題は民主党の命取りになるだろう。