まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

矢沢の永ちゃん、カッコイイ!

2009-07-31 | 発言
NHKのSONGSで矢沢永吉をやっていた。今年還暦を迎えるというが、青春の心そのまま歳を取った感じで、本当にカッコイイ。28歳の時に書いた「成りあがり」で一世を風靡し、同世代の生き方にまで強い影響力を与えたが、おいらは永ちゃんのロックは殆ど聞かなかったし、本も読まなかったし、まったく影響を受けなかった。最近になって、テレビでこうした特集をやるから、観る機会があって、歌や若者とのトークを聞いているが、やっぱりカッコイイ。どこがカッコイイかというと、ロックに対して真面目に真摯に一筋にやってきた人間としての気品がまず感じられる。その気品は年齢を超えた人間の魂とでも言えるものまで高められている。マイクを前に、手を振り、軟体動物のように腰をくねらせる。搾り出すような声、それでいて情感のある響き。彼は生まれた時からカッコよかったのではない。ロック表現という「理想」を演じ、演じ続け、何十年も演じ続けているうちに「理想」が現実として身についたものだ。人間は誰でもそうだ。人間は皆当初「あたりまえ」「ありきたり」である。だだ「ありきたり」の人間が「理想」を掲げ、それを演じ続けていくと、いつしか演技が演技でなくなり、とうとう本物になってしまう。何かを成した男というのはそういう風格が出てくるものである。今も年齢を超えてロックに打ち込む姿は実にカッコイイ。これから歳を重ねてヨレヨレになっても、カッコマンでつっぱっていてほしい。

政治が代われば、希望の光が差す!

2009-07-30 | 発言
年間の自殺者が34000人、親の子殺し、子の親殺しは日常茶飯事、三人に一人は非正規社員、老老介護など等、弱者の日常を取り巻く日本の社会環境は悪化の一途を辿っている。すべてアメリカの市場経済主義を無批判に導入した小泉の悪政の賜物である。弱者は社会に対して声が出ない。出ない代わりに、自殺か身内に刃を向けるかで自爆していくしかない。今日では、そういう追い詰められた事件があまりにも多すぎてマスコミに取り上げられるのはごく僅かだ。そんな中で、民主党はマニフェストで、子育て支援や母子加算の見直し等々、弱者へのセフティーネットを大きく打ち出した。大変いいことである。自民党は大判振る舞いと揶揄するが、弱者を救済してこそ政治である。「弱いものを助ける」、そういう政治理念が社会に浸透していけば、次第に孤独でささくれた日本の世情も変わっていく。近くの河原を歩いていたら、猫が三匹捨てられていて、女の子がエサをやっていた。人間というものはそういうものである。可哀相なものを見れば助ける心情というのが本来の人間である。にも関わらず、ホームレスに価値のない人間だと言って暴行を加える少年の心情は、やはり異常なのである。そういう歪んだエゴイスティックな世情が、政治が代わることによって、温かみのある社会に変わっていくことを切に願っている。

マスコミの寵児化に傲慢になった中田横浜市長の辞任劇!

2009-07-29 | 発言
東国原宮崎県知事もそうだが、マスコミによく出るようになると、自分が偉くなった気持ちになって、どうも自分を過大評価してしまうらしい。そして、周りや先が曇ってみえなくなってしまう。中田横浜市長の突然の辞任は、そんな辞任劇でもある。自民・民主と一線を画した「よい国つくろう!日本国民会議」という新党結成に専念したいということらしいが、周りも先も見えていない決断である。今や国民は二大政党を望んでいるのに、新党をつくったところで、二大政党に埋没してしまうのが関の山だろう。第一、なぜ、今なのかさえ、そのタイミングがわからない。次期衆議院選に立候補するわけでもなく、今秋に新党結成して、人が集まるとはとても思えないし、その頃になると中田人気も下火になっているのではないか。松下政経塾先輩の山田杉並区長だっていざとなって参加するかどうかも疑わしい。仮に国政に進出できたとしても、風は二大政党に吹いている。田中真紀子も渡辺喜美も無所属になるとめっきり活躍の場がなくなった。そういう政情の中での新党結成、どこから考えても勝算はなく、マスコミの寵児扱いで自己過信した決断でしかない。

生き物の悲哀

2009-07-28 | 日記
庭ではミンミンゼミが鳴いている。八年の地中暮らしを経て、わずか二週間の地上暮らし、必死で鳴いている。その地上では、民主党がマニフェストを発表し、その「革命的な政策」に本当に出来るのか夢物語なのか話題をさらっている。一方では、今年上半期の自殺者が戦後ピークに達し、通年では34000人になるという。地上では悲哀こもごも、ミンミンゼミは短い夏をひたすら鳴き続ける。

健さんの歌で70年代を回顧

2009-07-27 | 随筆
京都にいる兄がウラ掲示板に高倉健さんの歌を貼り付けてくれた。「おろろん、おろろん、おろろんばぃー」、曲名は忘れたが実に懐かしい。「世間からはじかれた半端モン、どうして俺はこう出来がわるいのかな、かあちゃん、許してやんない」、このセリフがまたたまらない。多分、これからドスを持って、生死を賭けて悪いヤクザへ殴り込みに行くシーンである。70年代安保闘争の最中、高倉健のヤクザ映画はどの作品も大ヒットした。団塊世代のぼくらにとっては、社会の矛盾と対峙する気持ちと、健さんの殴りこみとがフィットし、映画館から出ると、その余韻で健さんになったつもりで、機動隊に突っ込んだものだった。「人間は闘える動物なんや。闘って社会を変えられる動物なんや」と青木雄三さんは言っているが、今日では「闘争」という言葉は死語になりつつある。誰も信念を持って闘わなくなったし、男が立たなくなった。今の若い人たちは闘うものがなくて可哀想だ。われらは、せめて青春期に自分を社会に思い切りぶつけるああいう時代を迎えられただけでもヨシとしなければならない。それにしても、懐かしく、青春が蘇ってくる。

鳩山よ、社会の絆を取り戻せ!

2009-07-26 | 発言
国民性というのは面白いもので、その時代その時代に老若男女問わず、共通した意識というものが現われてくる。文部省系の統計数理研究所が国民性調査を実施したが、それによると、20-30代の若年層で「ここ一ヶ月間にいらいらしたことがある」と答えた割合は、統計を取り始めた93年以降で最高の6割を超えたという。また、仕事以外の上役との付き合いも「あったほうがよい」が大幅に増え、「自分の好きなことをしたい」よりも「人のためになることをしたい」という割合がこれも78年以降最高になったという。一方で「あの世」を信じる割合も激増している。これらは今の閉塞した孤独な社会状況をよく反映している。孤立感のなかでイライラし、やっぱり生きるのには人とのつながりが大切だと思い、生きがいは「人のためになること」という、国民の意識はオーソドックスな人間の原点に帰還しつつある。「あの世」を信じるという意識は現実からの逃避行動で、それだけ現実が厳しいことを現しているのだろう。アメリカの弱肉強食の自由主義をそのまま日本に伝来しようとした小泉元首相のつくった日本の現実は、実に孤立感のある寂しい社会だった。鳩山民主党代表は「コンクリートより人の絆が大事」と友愛理念を打ち出しているが、まさに政治がリーダーとなって、この孤立した社会を打破し、国民に夢と希望、人のつながりの温かさといったものを示していけば、また世の中も変わるだろう。政治は現実路線だけでなく、そういう理念も大変重要なものである。

攻勢に出る民主に、守勢一方の自公!

2009-07-25 | 発言
民主党は、農家の戸別補償、ガソリン税の廃止、高速道路の無料化、母子加算の見直し、高校教育の無料化、子育て支援など、矢継ぎ早にマニフェストを打ち出してきた。おいおい、ちょっとバラマキ過ぎやしないか、本当に財源はムダ無くしで出来るんかい、というところだが、それはそれ、少々ハッタリかましても政権交代の大勝負である。また弱いとされてきた外交政策も、インド洋での給油活動の容認し、日米地位協定見直しの表現も弱めた。これに対して麻生首相は「あれだけ反対しておいて、変節だ」というが、これから与党という立場になれば、そう簡単に外交政策が変えられないのは自明の理だ。外国との信頼関係があり、徐々に変えていけばいいことである。このような民主党の攻勢に対して、マニフェストの一部すらも出ない自民党は何を言っても、もはや犬の遠声になってしまっている。一方注目されていた公明党の太田昭宏代表の東京12区には、青木愛参議院議員を立たせることに決定、小沢一郎は従来どおり岩手から立つようになった。小沢にとっては太田と勝負したかったろうが、西松献金問題で状況が変わり、万が一太田に負けるようなことがあってはと、万全策を取ったようだ。また、兵庫8区・公明党の冬柴鉄三大臣にも国民新党の田中康夫代表を民主党推薦で差し向ける。小選挙区制は文字通り一人、都議選のように二番手では当選できない。おそらく今の民主党の勢いからすれば、いくら固い創価学会の票といえども、この両首脳は落選するだろう。勿論比例代表で救いはするだろうが、公明党にとっては恥辱であるし、また、この二人は地方遊説どころか、地元で張り付かなければならなくなった。さすがに選挙に巧みな小沢の手腕である。一歩ではマニフェスト、かたや選挙戦の充実、今まで以上に手を緩めず、邁進していって欲しいものだ。民主党が政権を取り、この閉塞感を打破し、日本を明るい方向に持っていって欲しいものだ。

空白の日々

2009-07-24 | 日記
今日は書くことがなにもない。この頃、ウツっぽくなって、めまいがして身体もままならず、日中でも寝たり起きたりだ。でも、このブログには毎日沢山の人たちが読んでくださっている。出来るだけ空日は作りたくないと思っている。作家の宇野千代さんは、晩年「これからの私は幸せだけを人々に伝染させていく」とおっしゃっていた。心が澄んで清らかだったのでしよう。今のぼくはどうも幸せっぽいことが書けないでいる。心が汚れていて、自分に生きていて感動がないから、人に伝えることが出来ない。なさけなや、なさけなや、である。祈祷でもあげて、心清らか、解脱でもするかあ(笑い)。と、笑ってごまかす。

現役はいいよなー

2009-07-23 | 随筆
二時間ほどパチンコを打って、夜10時を過ぎたから、もういいかなーっと、カミさんを迎えにスナック「なおみ」に行った。客が少なく、カミさんを含めて二人だった。車に戻ってカミさんを待っていたら、ママさんが来て「ちょっと、寄って行きなよ」という。疲れて帰りたかったけど、駐車場に車を入れて、なおみに立ち寄った。60歳という客がひとり、実に歌いっぷりがいい。「ご主人、歌、うまいねー。語るように歌う、とっても味があるよ」とぼくが言う。「いやあ、お褒めにあずかって」。ママさんがお客を指差して「この人はね、店を二軒持ってるのよ」と言う。「従業員ってのは自分より上って思わないとね、なかなかうまく行かないよ。ここにはストレス発散で来るんですよ」とお客は言う。いいなー、現役って、ぼくは羨ましくて、なんだかその人がまぶしく見えた。「パチンコはね、絶対負けるように出来てるんですよ。行く人がバカなんだな。中途半端に行くから。行くなら徹底的に負けりゃあいいんですよ」。ここらの話になって、だんだん苛立ってきた。そりゃあ、その通りだよ、おっしゃる通りだ。だけどね、パチンコ屋に行ってごらん、みんな、やることがない高齢者が気晴らしにやってるのがほとんどだよ。負けるのを判っていながら、やることがないから行ってるだけなんだ。元気で、現役の人は正論をぶつ。しかし、おいらみたいに働きたくとも二時間も何かをすれば疲れて横になる不元気で、仕事をしたくても出来ない人や、高齢で働けない人もいるんだ、なんて言ってみたところで、こちらがだんだんミジメになってくる。「帰ろう」、ぼくはカミさんに言って、車に戻った。どうしょうもないことは、どうしょうもない。どうしょうもないことは世の中にたくさんある。その日は雲って、星も出ていなかった。


マイケルジャクソンのどこがいいのか解らない!

2009-07-22 | 発言
マイケルが急死して、BSでマイケルジャクソンの2001年のライブを観た。名前と顔と曲名の「スリラー」くらいしかぼくは知らない。世間で言う大人気の元は何なんだろうか、興味もあって、一時間半の歴代ヒットメドレーのステージを観て聞いた。画面上には、バックダンサーのエネルギッシュで肉食的な踊り、観客は幅広いフアン層の誰もが立ち上がり陶酔して熱狂している姿も映し出されていた。確かにマイケルのダンスはその機敏な動きにスゴサを思わせる。でも、舞台と観客から醸し出されるこの「あぶらっこさ」には、やっぱり民族の違いを感じさせられる。稲作草食人種のぼくから観ると、ステーキを食っているアメリカ人の、肉食的な、例えて言えば、フライパンに油を一杯注いで、肉をジューっと焼くようなそんなステージに、こりゃあ、民族性がぜんぜん違うなーっとつくづく思った。本当にあぶらっこいのだ。感動する以前に民族性の違いにひいてしまった。日本の歌手や芸能人がアメリカに行ってもヒットしないのは、あぶらっこさが格段に違うから受け入れられないのだろう。いくら日本がアメリカナイズされても模倣の域を超えないのは根本的に民族性が違うからだと思った。

幼少期の育ちと食の嗜好

2009-07-21 | 随筆
食の嗜好というものは幼少の頃どんなものを食べたのかで決まるのだろうか。少なくとも、ぼくはグルメではない。むしろ、おかずのシナは一品のほうがいい。二品以上あるとなんかムナブクレしてしまうのだ。食に関して言えば、美味しいと感激もしなければ、まずいとも言わない。つまるところ食にあまり関心がないのだ。そんなことは育ちに影響しているのかも知れない。ぼくの母親は大正時代、お女中を何人も抱えた大きな風呂屋のお嬢様だった。ところが思春期の頃継母に苛められ、性格がねじれてしまった。京都の疎水のほとりで毎夜泣いているのを近所の人が見て、自殺するのではないかと心配したほどだ。それでぼくの祖父は18歳で大きな織物問屋の若旦那のもとに嫁がせた。ところが性格がねじれていたので、若旦那は手もつけず半年で離縁した。ところが世間体もあって出戻りで実家に帰ることも出来ず、嫁入り道具一式と母親を取りあえず九条の間借りに住まわせた。当時、父の兄が風呂屋の釜焚きをしていて「うちの弟と一緒にさせよう」と祖父に持ちかけて、京都伏見に嫁入り道具をそっくり持ってきて、機械工で当時20歳の父と一緒にさせた。そういう経緯の母親だったから、母親は料理など作ったことはないのだろう。料理はからっきしダメであった。ぼくのおふくろの味という記憶をあえて言うなら「洋食ランチ」である。皿にキャベツを切って添え、近所で買ってきた出来合いのコロッケか魚のフライ、それにトマトがやはり切って添えてある。毎日そういうものばかり食べていたし、作るのに時間のかかるような煮物を食べた記憶が全くないのである。その後、ぼくはカミさんと結婚して、まず、関東と関西の違いで食のカルチャーショックを受けた。関西ではラッキョウと納豆は食べたことがないのである。カミさんの実家に行くと義父が「全部残さず食べなさい」とラッキョウを勧める。「は、はい」、ご機嫌を損ねてはマズイと、ぼくは実家に行くといつも出されるラッキョウを無理してほおばっていた。初めはかなり無理していたが、そのうち慣れてきて、さらに好きになって、今ではスーパーで自ら買うようにもなった。納豆も同じである。こんな腐ったものと当初は初めて口にして吐いたものだ。ところがカミさんは関東人、食卓に並べて子供たちに食べさせるので、次第にぼくも食べれるようになり、これも今ではスーパーで自ら買うようになった。煮物もカミさんは得意でいつも食卓に並べるが、これも子供時代に食べたことがないので当初は苦手だった。しかし長い年月を経て、今ではようやく好きになっている。幼少の頃食べなかったものが食べられるようになるのには随分時間がかかるものだ。ところが機械工のおやじが給料日にはいつも沢山の最中を買ってきてくれ、おいらは夢中でお腹一杯食べたものだ。だから今でもあずき関係の和菓子には目がなく、スーパーの買い物のついでに、そっとカゴに入れてしまう。育ちと食の嗜好というのは深い関係があるようだ。

「生きること」が生きること。

2009-07-20 | 日記
最近、疲れがひどい。身体がだるくって、ひどい時は昼寝を二度もする。39歳の時に倒れて以来の持病で、ちょっとしたストレスで自律神経が乱れてしまい、疲労感が増幅する。だから殆ど人に会ったり遠出はしなくなった。すぐ疲れるからだ。ストレスは最近の蒸し暑さといった気候の変化や精神的なものも疲れとなって現われる。二週間前、息子に突然大声で罵倒され、そのショックもアタマから離れない。20年前倒れた原因である出版社の社長の罵倒を思い出したくらいである。昨夜は暗転閃光といって、眼がチカチカしだした。いつもの持病で、横になった。そんな時は、抗精神薬ホリゾンと精神安定剤ドクマチールを飲むと、少し疲労感が取れる。もう20年以上も飲み続け、手放せない状況になっている。病気の人や歳老いてくると「生きること」が人生の生きる目標になってくる。元気で若いときは、人生の目標は「自己表現」であったり、「仕事」であったり、「子育て」であったりするが、身体が思うように動かなくなるとそれどころではなくなる。まず、生きることが目標になる。近くの土手を歩いていると、老人たちが一生懸命歩いたり、走ったりしている。今日も一日健康で生きられますようにと願いながら。それにしてもあと一ヶ月もこの蒸し暑さが続くかと思うとぞっとする。


人生の失敗は、その人の性格の中にある!

2009-07-19 | 発言
「多重債務の整理、お任せください」、そんな司法書士や法律事務所の広告が、やたらと目に付くようになった。電車の乗っていても辺りを見回すと何件も広告が貼り出されているし、新聞広告のチラシにも入っている。こんな仕事が広告を打ってもペイするのだから、逆に言うと、借金で苦しんでいる人がいかに多くなったかという反映である。苦しんでいる人に追い討ちを駆けるわけではないが、人生の失敗は、それぞれその人の性格の中にある。俺が知っている人でも、クロちゃんはパチンコで700万円の借金で自己破産し、取立てを免れたと思っても、未だにパチンコ屋に通っている。二度目の破産も近いかも知れない。オカドさんは税金未納で国税庁に追われて倒産、ホソノさんも脱税で国税庁に入られ倒産、二人とも、どこかでホームレスになっているのか、行方不明になった。シゲちゃんは音大まで出て教師になっていたのに、持ち前の人間関係で離婚し、その後はホームレスに転落、河原のテントで住んでいる。みんな人生に投げやりだったり、人生に甘かったり、原因はその人の性格の中にあるような気がする。そういう俺だって、一歩間違えていればホームレス状態だった。昔、「大きな愛を得るために、小さな愛を犠牲にしてはならない」と置手紙をして同棲していた女は姿を消した。文学を志し、お金や日常生活のことなど殆ど無視して生きてきたからだ。その後結婚し、子供が二人出来たって、その性格は変わらなかった。子供二人が無事巣立ったのはカミさんの功績が大きい。50歳になるまで、家庭のことは殆ど顧みず、文学のことばかり考えていたからである。50歳で初めて自分の納得できる哲学小説を一遍書き上げ、ぼくは文学を卒業した。家庭を見ると、30年も済み続けた古ぼけたアパートにカミさんがぽつんとひとり座っている。「迷惑をかけたな。これからは、カミさんの家と、カミさんの老後資金を稼ぐことを目標にする」、そう思ったぼくは三畳一間の部屋から雑誌作りに取り組んだ。以来清算する57歳までの7年間で、小さな中古の家と最低の老後資金を何とか確保することが出来た。その間、苦難は何度もあったが、その都度、うまく事が運んだ。どうも、死んだカミさんの父、親友の新谷、津岡などがあの世から導いてくれたように思う。いずれにしても、50歳で文学に決着を付けていなければ、今頃はホームレスになっていたかも知れない。多分悲惨な生活を送っていただろう。人生の失敗は、その人の性格の中にあって、その性格の欠陥に自ら気づけば立ち直れる。ぼくは今でもそう思っている。


先走る橋下大阪府知事に疑問符!

2009-07-18 | 発言
連日賑わしている自民党内のケンカは馬鹿馬鹿しくて書きたくもないし、風見鶏東国原の衆院不出馬も我欲まるだしで、話題にするとこちらのペンさえ汚れてしまうほどだ。橋下知事こそはと思いきや、知事会も所詮は税金のぶん取り合戦、地方分権とは聞こえがいいが、地方に金を回せという話。その底が見えたのが橋下知事の「消費税を増税して、その金をこちらに回せ」という発言である。地方財政が赤字なのはよく判るが、国の財政赤字と一緒で、まずは、徹底的にムダを省くことが先決である。国が各省の積み上げた予算をノーチェックでムダ使いしているのと同じように、全国の地方だって、役人の作った予算をそのまま通過させて、赤字だ、では話が通らない。橋下大阪府は予算削減にそれなりに頑張ってはいるが、全国の地方単位でみると、乾いた雑巾どころか、ぬれた雑巾さえ絞っていないところが山とある。民主党に代わり、国も公約通り財政圧縮に力を注ぐだろうが、地方だって、乾いた雑巾を絞るところまでやらなければ、破綻が相次ぐだろう。そこまで絞るには4年はかかる。その4年間は消費税増税は一切なしである。それなのに、もう矢継ぎ早に「消費税増税して、地方に回せ」では話にならない。橋下氏よ、地方分権もウサン臭く聞こえてくるぞ。


「疑う」ということと、「信じる」ということ。

2009-07-17 | 発言
その日発表された事実を記事にする新聞記者やテレビの報道記者に、「速報」では月刊でも週刊でも雑誌記者はとても勝てない。ニーチェのいう「真実は虚妄の中にある」ではないが、新聞記者の集めた「事実」から、掘り下げて「真実」に近づくか、あるいは大宅荘一の言ったように「世間が黒と言っていたら、白の視点を見出す」、そんな作業をして雑誌記者は、マスコミにない視点から真実に迫ろうとする。いずれにしても「事実」を疑うことから出発する。そんな生活を35年も続けていると、何に関しても疑いの眼を持ってみるようになる。世の中への疑問から、その眼は自己存在意義にまで及ぶようになる。一方、宗教人は「信じる」ことから出発する。神様か仏様か、あるいはキリストや日蓮など、それぞれの神を信じ、後世が作った教典を実生活に活かそうとする。また、「信じる」ということについては、宗教だけでなく、「恋愛」も「友情」も「信頼」も「正義」等すべて「情」に関する事柄は、信じることで成立し、不信によっていとも簡単に消滅してしまう。人間というものは脆いものである。人間はなぜ存在し、どこへ行こうとしているのか。その弱さ、脆さは、何かを「信じる」ことによって少しは支えられ、掬われる。ぼくみたいに疑念を持つより、信じる生き方のほうが、ずっと明るく生きやすい。ほかの動植物は、疑念を持つということがない。だから迷うこともなければ悩むこともない。ひたすら、子孫を後世に残すことだけに生をまっとうしている。しかし、ぼくには「信じる」ものがない。これはぼくの不幸である。