まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

「怒れない」日本の若者たち!

2011-10-10 | 発言
アメリカやフランスでは行き過ぎた資本主義による格差の是正を求めて、若者を中心にデモが拡大している。資本主義が純化すれば、一部の裕福な特権階級と貧困層だけという図式になっていく。日本だって小泉首相時代に認めた労働派遣法の改正で、今では働いても年収200万円以下の人が1000万人を超えるようになった。日本は社会主義国家だの、一億総中流階級だの言われていたのに、アメリカさんの資本論理を追従したおかげで、完全な貧困層というものがこの日本にも定着してしまった。小泉の製造業の派遣認定を巡っては、財界人すらも「ほんとにいいの?」とびっくりしたぐらいだ。日本人の賃金は高すぎる、それをしなければ日本企業は世界で通用しなくなる、それが小泉の論理だった。しかし、無残にも日本に貧困層を作りたててしまった。今では賃金に関係なく「円高」で海外に逃げる企業が続出している。このように世界経済が怪しくなり、日本も既得権益者や役人が跋扈するなかで、貧困にあえぐ人たちが急増している。そういった時代に変革を求めるのはいつの世も若者のはずである。ところが日本の若者はどうだろうか。最近、脱原発などで少しデモを始めたが、「闘争」にはほど遠く、まだまだお祭り騒ぎの域を脱していない。最近ぼくのこのブログに「憤る」若者A君の足跡がたくさんあって、「こんな死にかかりのじじいの戯言に文句を言っても」と苦笑したが、逆にそのA君が今の日本人の若者を象徴しているかもしれないと思うとやるせなくなった。本当に「怒り」を語る相手もなく、「闘争」する対象も見つからず、ただパソコンの向こうにいる相手に「つながり」を求めるその孤独の淵にいるのは何もA君だけではない。今の日本人は老若男女を問わず、そういう孤独の淵に立っている。40年以上も前、ぼくらの時代には賛否の是非は別にして、学生を中心に安保闘争があった。「正義を信じる主体」として、既得権益者と「闘争」していたものだ。そこには闘いを通じ何らかの共生感があった。海外でこれだけ格差是正を求めてデモが積極化してきたのに、日本の学生はまったく動かない。それは多分就職にさしさわるという身の保身だろう。そして年収200万円以下のワーキングプアの若者たちは無力感と孤独に苛まれデモどころではないのだろう。しかしそれでは状況は少しも変わらない。時代を変えるのは、いつの世も、いつの時代も、若者である。「怒り」を胸に、社会の矛盾と闘ってほしいところだが・・。

いのちの生命力!

2011-10-05 | 随筆
小さな庭で、夏の間はアサガオをいっぱい咲かせている。白、青、赤など、日中でも咲く西洋アサガオもおりまぜている。アサガオはどんどん伸びて、横の梅ノ木を覆うようになって、まるでクリスマスツリーのように木に花を咲かせてくれた。でも、秋になると来春のためにまだ咲いているアサガオを抜いて、いつもそこに菜種をまいている。で、今年も「まだ咲いているのに可哀そうだな」と思いながらも、アサガオをみんなひっこ抜いて、整地し、菜種を蒔いた。ところが、根がないのに、梅ノ木にまとわりついたアサガオが毎日、しかも、もう10日間以上も次から次と咲き続けているのにはびっくりした。アサガオの葉は枯れても、茎の残った栄養素などが最期の一滴まで「咲かせるぞお」っと、必死でつぼみのほうに集中しているのだろう。いっとき、コンクリートの割れ目に育ったダイコンがテレビでも報じられ有名だったが、我が家でもアスファルトを突き破ってヒアシンスの花が咲いたことがある。割れ目からたまたま出たのではなく、アスファルトを持ち上げ自ら突き破ったのである。やわらかなものがどうして固いアスファルトを突き破れるのか、いのちには生命力の不思議を感じる。おやじが亡くなる数日前に見舞いにいったことがある。おやじはベットに横たわり、無意識のなかで、指を口に持って行って、何かを「食べたい」意志表示をしていた。「食べたい」すなわち「生きたい」ということである。「いのち」は最期の最期まで、生きる執念を見せるものだ。

ぼくの兄貴。

2011-10-04 | 随筆
下にあるぼくの人生の手記「青春哲学の道」を映像入りで再編集してくれたのは七つ年上のぼくの兄貴だ。若い頃は現代詩がうまくって、詩の芥川賞といわれるH賞もとれるんではないかという才能の持ち主だった。大日本印刷に勤める傍ら詩を書いていたが、結婚を契機に「詩ではメシが食えん」と小説に転向した。小説に転向しても、新人賞候補に何度ものぼり、その才能を発揮していた。ところが女にすぐ惚れる性格で、カミさんに何度もばれてしまった。本人は「女性に惚れることが小説を書くエネルギーになっている」と言っていたが、とうとうカミさんと離婚するハメになった。これからという時に、障害者の二男を抱え、勤める傍ら、彼は今までやったことのない炊事洗濯をし、生活を根本から変えざるを得なくなってしまい、それを契機にプッツリと小説を書かなくなった。人様の心情のことなので定かではないが、逃げて行ったカミさんを今でも思っているフシがある。それだけに離婚の傷もただ事ではなかったようだ。彼は「厭世観」が強く、「死」を夢見ることがある。しかしそれをバネして、あらゆる分野に才能を発揮する。詩や小説だけでなく、何十年も前会社にコンピュータが導入された時も、釘一本打てなかった兄貴はいち早くモノにしてしまったし、料理なんか作ったことのない兄貴が離婚後は必要に迫られたとはいいながらも料理の腕をメキメキあげ、挙句の果ては土作りから始めて無農薬野菜まで作っている。趣味といえば競馬好き。これもコンビニで弁当まで盗むほどスッテンテンになるまでのめり込んでしまう。ところが、いつもタダでは起きない。彼はどうしたら競馬に勝てるか、パソコンに独自のデーターを入力し、自らの必勝ソフトを編み出し、万馬券を何度も取るようになった。会社では「シノギの謙ちゃん」と言われていたらしいが、苦境を逆にバネにしてチャンスに変えるところがある稀有な存在である。「厭世観」「鬱っぽい」というのはどうも母親からの血で、我々兄姉三人ともそのケがある。おいらも手記にあるようにうつ病クサイし、四つ年上の姉も母親の看護を契機に「適応障害」になってしまった。血というものはあらそえないものである。とにもかくにもそんな兄貴に映像入りで再編集してもらい、とても感謝している。「各章仔細」なんか、そのままコピーすればおいらの立派な履歴書になってしまい、これから面接にすぐ使えそうである。しかしこれ一枚、人生ってのは長そうで短いものである。おいらなんかもう終わったも同然だが、兄貴は姉からバトンタッチして母親の面倒を看て、障害者の二男の面倒を看て、本当に頭が下がる。「厭世観」があっても、今は死ぬに死ねない兄貴である。俺は兄貴が大好きである。