ぼくの家から車で10分のところに沖電気工業の工場がある。行きつけのパチンコ屋の近くなんで、その前をよく通る。正門では何十年も前から「不当解雇」のピケをはっている。
何十年も前の話なので、どういう事情で解雇されたのか定かではないが、未だに暑い日でも傘をさして、ギターなんかを弾いている。確か数十年前は数十人がビラを配っていたが、数十年経った今でも数人がピケを張っている。彼らは「不当解雇」という社会の矛盾に一生こだわって、沖電気と闘い抜く覚悟のようだ。社会にはいろんな矛盾がころがっている。たまたまそういう矛盾に出くわすと、「これが社会というものだ、仕方が無い」と心機転機して次の人生を歩む人と、沖電気のピケを張る元従業員のようにそれにこだわって一生それに費やす人もいる。まあ、それこそ人生いろいろだが、言えることは「一生を棒に振る人」というのは概ね「こだわり」が強い人だ。芸術分野ならこだわり続けることで磨かれていくが、人の世の中にこだわっても致し方ない。例えば彼氏に彼女が振られたとする。彼女は彼氏の心変わりに「許せない」とこだわって、憎み続けて一生を恨んで生きるとする。あくまでたとえ話でこれに似た例は山とあるだろう。そりゃあどうみても無駄な話である。変わりゆくものにこだわっても仕方ないのである。人生はこだわりを捨てて心機転機することで、また新しい道が開けるというものだ。
何十年も前の話なので、どういう事情で解雇されたのか定かではないが、未だに暑い日でも傘をさして、ギターなんかを弾いている。確か数十年前は数十人がビラを配っていたが、数十年経った今でも数人がピケを張っている。彼らは「不当解雇」という社会の矛盾に一生こだわって、沖電気と闘い抜く覚悟のようだ。社会にはいろんな矛盾がころがっている。たまたまそういう矛盾に出くわすと、「これが社会というものだ、仕方が無い」と心機転機して次の人生を歩む人と、沖電気のピケを張る元従業員のようにそれにこだわって一生それに費やす人もいる。まあ、それこそ人生いろいろだが、言えることは「一生を棒に振る人」というのは概ね「こだわり」が強い人だ。芸術分野ならこだわり続けることで磨かれていくが、人の世の中にこだわっても致し方ない。例えば彼氏に彼女が振られたとする。彼女は彼氏の心変わりに「許せない」とこだわって、憎み続けて一生を恨んで生きるとする。あくまでたとえ話でこれに似た例は山とあるだろう。そりゃあどうみても無駄な話である。変わりゆくものにこだわっても仕方ないのである。人生はこだわりを捨てて心機転機することで、また新しい道が開けるというものだ。