まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

学級崩壊と保育園の功罪!

2009-09-19 | 発言
昨日は長女の要請で、孫の保育園の「祖父母のとのつどい」に行ってきた。受付を済ますと、孫と写真撮影があって、それが済むと、孫のいつもいる三・四歳児の部屋で孫と積み木などして遊んでいた。ぼくの前には祖父母が来ない幼児が集まってきて、膝の上に座ったり、腕を舐めたりする。こういう場所は初めてなのでどう対応していいのか、いささか戸惑った。それが済むと、講堂で子供たちの歌を聞き、引田天功の弟子のマジックショーを観て帰った。帰る時、階段で孫がワーワー泣いていた。傍に保育士がいて、孫は彼女に「ダメっていうのがダメー」っと訴えていた。どうも子供同士の喧嘩で負けたらしい。「どうしたの、だいじょうぶだよ」、ぼくは孫を抱いてそう言った。それなりに楽しかったが、別の意味で保育園の功罪について疑問を持った。勿論、今の世の中、保育園なしでは成り立たない。第一共働きをしないと家計はやっていけないし、保育園が足らなくて26000人も待機児童がいるほどだ。専業主婦のお母さんだって預ければ余暇が出来て育児ノイローゼにならなくて済む。いろいろメリットは多いだろう。しかしなあーと思う。ひとつは早い子はゼロ歳児から小学校に上がる五歳までの間、こんな幼い頃から集団社会の人間関係を学ばなくてはならないのには、ちょっと子供がかわいそうだなあと思った。勿論、社会でもまれるわけだから、行かない子供より言葉も反応も早くなる。しかし、それぞれの子供が持つ未知なる可能性を、早い時期から集団社会の中でもまれることによってそぎ落とされて画一的になるのではないか、という疑問が沸いた。親が仕事を終えて迎えに来るまでの一日10時間もの間、ワイワイガヤガヤと集団の中で五年間も過ごすのである。三つ子の魂百までというが、幼児期にこういう集団社会で過ごす影響は計り知れないものがあるように思う。二つ目の疑問は小学校の学級崩壊と保育園との関連性である。専業主婦やお金持ちの子供たちは私立幼稚園、その下は公立幼稚園に行くが、ここはある程度教育というものがなされているらしい。しかし、保育園というのは観たところ託児所と一緒で、保育士さんたちは、まず子供たちを安全に預かるというのが第一のようで、教育はなさそうで、部屋でほとんど子供たちの好き放題にさせている。幼児たちは積み木をしたり、喧嘩をしたり、あばれたり、いろいろだ。こういう生活を一日10時間、五年続けていて、さあ、小学校入学となった時、今まで自由に行動していたものが、なかなか椅子に座って落ち着いて勉強する意識転嫁ができなくて学級崩壊になる要因になっているのではないかという疑問だ。学級崩壊は親がしつけをしていないからだとよく言われるが、親よりむしろ保育園での過ごし方のほうが子供たちに影響を与えているのではないだろうか。共働きをしなければ食っていけない世の中で、保育園の存在は必要不可欠だが、なんだか子供が可哀想だなあと思った。