まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

検察は正義の番人か、政府の番犬か!

2009-05-31 | 発言
週刊誌というのはどこの出版社や新聞社でも治外法権化していて、編集長の判断で自由に取材掲載できるようになっている。それだけに勇み足で名誉毀損で訴えられるケースが多いが、記者クラブで政府の御用化したマスコミより、よっぽど突っ込みが効き、真実に迫るケースも多い。ところで検察は法務省の管轄であり、所詮霞ヶ関の一員である。仮に検察を治外法権化したらどうなるのだろうか。今の体制では政府の番犬になってしまって、「正義の番人」とはとても言いがたくなっている。勿論地検を治外法権化したら、また別のディメリットが出てくるだろうが・・。ところでたろうさんがまた昨日内閣副官房長官漆間巌の情報をコメント欄によせてくれた。それによると「<漆間巌がモスクワの日本大使館に赴任した当時の経緯が書かれている。漆間巌は警察庁が初めて送り込んだソ連駐在官であり、この男は大学でロシア語を学んでいた。漆間巌が何の目的で警察庁からソ連の日本大使館に派遣されたのか、後の経歴を見るだけでそれを想像するのに難くない。スパイだったのだ。諜報工作のためにソ連に潜入した工作員だったのだ。ここ数日の新聞報道には、漆間巌の警察官僚としての経歴が賑々しく紹介されているが、防衛庁陸幕調査部第2課に所属していた過去について触れている記事はない。昔で言えば、陸軍参謀本部謀略課である。要するに漆間巌は、(憲法9条下の戦後日本では消滅したはずの)「特務機関」の生粋のエリートであり、その組織の最高幹部に登りつめた人間だった言うことができる。」とあるブログを引用してくれたのだが、漆間氏がこういう人物なら、ぼくが以前何度もこのブログで書いたように、漆間副官房長官が東大の同級生である樋渡利秋検事総長 と組んで小沢を贈収賄で逮捕して潰そうとしたのかも知れない。麻生政権の支持率を上げたい漆間と、霞ヶ関に130人の民主党議員を入れようとする小沢を阻止したい樋渡の利害が一致して、小沢を陥れたのかも知れない。こういう恣意的な動きをする検察は、今回の一件で「正義の番人」という信頼性が失墜してしまった。そして今回も大久保秘書の保釈を検察は必死で阻止しようとしたが、裁判所は保釈させた。大久保被告はきっと無罪になるだろう。しかし、民主党の支持率が鳩山党首に代わって上がったことは、漆間、検察にとっては敗北感があるだろう。一度民主党政権に代わって、こういう霞ヶ関の体質を一掃しなければ、彼らの魑魅魍魎の画策が続くことになる。それにしてもマスコミの体たらくぶりには唖然としてしまう。インターネットのほうがはるかに真実性があるというのは、情けないかぎりだ。/font>

朝日新聞は検察と裏取引をした!

2009-05-30 | 発言
朝日新聞が不詳続きで、検察とベッタリになっているという情報を「たろうさん」がコメントに書き込んでくれて、なるほどなあっと思った。唯一朝日新聞だけが反骨精神を持っていると長年同紙を愛読していたが、小沢氏の一件以来、どうも朝日の論評や記事が恣意的でヘンだなと疑問続きだった。しかし検察と裏取引があったとすればその論調も頷ける。詳しい情報は昨日のコメントをクリックしてもらうと出ています。日刊サイゾーという情報誌が裏取引があるようだと書いています。今問題になっている障害者向けの郵便割引悪用に、朝日新聞の「朝日広告社」が関わっていたことや、次のような記述もありました。「朝日新聞が東京国税局の調べを受け、過去7年間に、架空経費の計上など、約3億9,700万円の所得隠しを含む約5億1,800万円の申告漏れを指摘されたことが今年2月に発覚した。中でも問題だったのが、京都総局のカラ出張で、総局長自ら不正に手を染めていたんだ。金額が金額だけに、刑事告発されたら検察が調べることになる。しかし、この京都総局長は、検察にも顔が利く人物。事件化しないとなると、検察となんらかの手打ちがあったのではないか、と囁かれているんだ」(日刊サイゾーより)。こんなことを書かれるようになったら、朝日も、ジャーナリストとしてもう終わりだなあっと思う。読売はナベツネが自民党ベッタリで客観性を欠くし、毎日、サンケイは経営不振で虫の息状態、その上「良識の朝日」「ジャーナリズム宣言の朝日」まで、裏取引があるとすると、もう、日本の新聞は終わりだ。「報道は社会の公器にて、我らはその真髄に生きる」、これはぼくが以前勤めていた雑誌社の社是でした。勿論長い雑誌記者生活の中で、その社是にそむかない生き方をしてきたかと問われると、金や権力になびいてしまう誘惑がなくはなかった。奇麗事だけでは経営は成り立たないからだ。しかし、これだけは譲れない、というものがいくつもあった。それはジャーナリストの端くれとしてのほこりだったかも知れない。テレビもそうだが報道に携わる人間は「ジャーナリストの魂」を忘れないでほしい。恣意的な思惑が錯綜する中で、真実を伝えることこそ、ジャーナリストの役割であるし、それがなくなれば民主主義は崩壊してしまう。現場の記者は毎日自戒しながら、国民に真実を伝えて欲しい。

「メディア衆論」は朝日新聞のアリバイ工作だ!

2009-05-29 | 発言
今日の朝日新聞に一面をつぶして「西松事件は国策捜査だったのか」とある。おおっ、朝日さんもやっとこの視点から取材をしてくれたのかなっと精読したら、内容の無さにガックリ、なんじゃこりゃあっという感じである。あまりにも他人事のように、学術的な内容意味不明の記事に新聞の一面をつぶしてまでやる価値のない、まるで朝日新聞が西松の件で検察のいうがままに「大本営発表」を垂れ流し続けたことへ、一様別の視点からも取り上げましたよというアリバイ工作のようだった。例えば冒頭から村山治朝日新聞編集委員が「西松事件の最大の功績は、民主党や一部検察OBが、検察の横暴やメディアとの癒着を言い立てたことで、国民が、政治と検察、メディアの関係を見直すきっかけを与えたことだろう」と、まったく他人事のような発言から続く。そして、評論家の宮崎哲弥氏と川本裕司編集委員と三人の鼎談形式となり、延々と学術的な記述が続き、タイトルの「西松建設は国策捜査だったのか」に何の突込みもない内容になっていて、最後のまとめで「メディアは常に一定の距離を置いて検察を見ていなれけばならないと思う」と、まさにアリバイ工作である。張本人の朝日新聞がこの三ヶ月間検察の大本営発表を垂れ流し、小沢辞任に追い込み、政界をゆがめておいて、今更「メディアは検察と一定の距離を置いて」だと?戦時中「欲しがりません勝つまでは」と戦争を煽ったマスメディアが戦後「戦争反対」とヒラリと態度を変えたのとまったく変わりはないではないか。一面をつぶしてまで、他人事のようにアリバイ工作を計る「良識の朝日」の良識が信じられない。マスメディアはどこまで卑怯なのだろうか。

検察をかばう朝日新聞の馴れ合い

2009-05-28 | 発言
麻生首相と民主党の鳩山新代表の始めての党首討論が昨日行われた。麻生首相の首相にあるまじき「品の無さ」が目立った。政策論議をせず、西松、西松と鬼の首でも取ったように攻め立てる。野党じゃああるまいし、一国の総理が政策を討論せず、揚げ足取りばかりの品の無さだった。ところが気になったのは今日の朝日新聞の社説である。引用すると「気になったのは、鳩山氏が「一方は秘書が逮捕され、他方はおとがめなし。これが検察官僚のやることなのか。官僚国家に歯止めをかけなきゃいけない」と声を強めたことだ。そこに力点を置きすぎれば、自民党政治に突きつけた「官僚vs.国民主導」という肝心の対立軸がぼやけてしまう」、といかにも検察批判をやるなと、朝日新聞の社説は検察をかばっていることだ。ぼくだって、検察は正義の味方だと思っていた。しかし、今回の検察による一方的な政治介入に、正義の番人ではなく、政府の番犬だということを始めて知った。考えてみれば、お隣の韓国では、歴代の大統領が大統領を辞任するたびに五度も逮捕されている。常に現大統領が前大統領を逮捕し、国民から非難を浴びせることによって、政権を維持するという恣意的な逮捕のようだ。自然であれば五人も毎回逮捕というのはありえない話である。検察は官僚の一員である。正義ではなく、現政府を守るために逮捕するのである。日本においても今回の西松事件は全く同じである。二階経産相や森元総理など自民党議員にも西松から金がいっているのに、漆間副官房長官の「自民党には波及しない」とオフレコで語った通り、西松は小沢潰しにだけ使われた。そういう恣意的な検察の動きをマスコミは一切批判しないし、今日の朝日新聞のように、検察擁護までしている。簡単に言うと、検察を批判するとニュースが今後とれなくなるからだ。そういう企業論理でマスコミというものが動いてしまったら、国民は何を信用していいのか判らなくなってしまう。マスコミはジャーナリストとして、検察の動きが不自然であれば堂々と追究すべきである。そういう体質を常に作っておかねば、民主主義国家そのものが崩壊してしまう。マスコミの根性の無さには腹立たしいかぎりだ。

見えない鎖につながれた犬

2009-05-26 | 随筆
あーあ、パチンコと競馬にボロ負けして金はなくなったし、やることがない。あとはカミさんの見えない鎖に繋がれて、今日は裏山でも一緒に歩くとするかー。リュックを背負って、自宅から公園の脇の山道を下っていくと、もう人気のない山道に入ります。イノシシが道の脇を掘り返してミミズを取った後がやたらとあります。その道をゆっくり登っていくと、中国から来たガビという鳥がけたたましく鳴いています。この鳥は息継ぎをどこでしているのかわからないほど何分も鳴き続けます。そんな鳥の鳴き声を聞きながら山道を歩いていくと沢が見え、今度は沢づたいに歩いていきます。一時間強ほど歩いた沢のほとりで、シーツを引いて、カミさんの作ったおにぎりを二人でほおばります。せせらぎに足を漬けたりします。でも山水で、痛くなるほど冷たいです。まあ、自宅から歩いてハイキングできるとは、贅沢なことですが、やっぱりぼくの頭の中は「ちきしょう、金が欲しいなー、パチンコ行きていな」ばっかりで、美しい自然も目に入りません。これ、ほとんどビョーキですぅ。

いのち賭けてもダメじゃん!

2009-05-24 | 随筆
あーあ、パチンコと競馬に勝ち続け月初めに16万円あった小遣い銭が、今度はパチンコと競馬に負け続け、昨日はとうとうカミさんの隠している生活費の封筒から一万円をちょろまかし、競馬場に逃走。この一万円を十五万円に増やすぞおーっといのち賭けたのにダメじゃん、一レースも取れずに残金174円の生活になりやした。まあ、所詮バクチはこんなもんです。一昨日もパチンコ屋でスランプ台に嵌って、もう出るぞ、爆発するぞーっと打っていたら、熱いリーチを外してしまって、ガックリ。で、台を代わったら、後にそこに座った男が出るわ出るわ、瞬く間にドル箱を積み上げていました。あーあ、もう少しガマンして打ってたらなーと嘆き節・・まあ、バクチとはそんなもんどす。足を洗わなきゃなあと思うけど、勝負!の好きな性根は死ぬまで直りません、根っからヤクザな男どす。

世襲禁止は選挙法改正でせよ

2009-05-22 | 発言
国会議員が歌舞伎役者じゃあるまいし、世襲によって受け継がれていくというのは、民主主義の国というより北朝鮮に近い。選挙基盤や親の七光りで、日本は圧倒的に世襲になってしまった。「世襲でも先代より立派な人はいますよ」とテレビでバカなコメンティターは言っているが、そういう問題ではない。本当に自らの発意で国を憂い、国会議員になる人と、先代の選挙基盤に推されてミコシになる人とは、根性もやる気も根本的に違うのである。小渕少子化担当相のように選挙基盤を受け継いで簡単に当選できて、議員になってから「これから勉強します」では困るのである。民社党の世襲議員禁止を受けて、自民党は世襲議員を公認しないという。しかし当選してから入党させるのは目に見えている。国民に対する目クラ騙しにしか過ぎない。小泉元総理の息子が立候補している横須賀市で「どうして、横須賀市民でないといけないのですか?」とテレビでレポーターが市民にインタビューすると、「そりゃあ、ここらの道路は綺麗になったし、いろいろ地域にいいことは一杯あるよ」と語っている。国会は国の立法機関であり、国会議員は国民の代表であり、地域の代表ではないのである。しかし日本のバカな国民は相変わらず「おらが先生」で一票を投じてしまう。だからこの小選挙区制だけでは、世襲と地域利益誘導はどうしても避けられなくなっている。選挙制度そのものを改正して、民主党のいうような世襲議員だけでなく、全議員が一度立候補した地域からは立候補できないようにすべきである。そうすれば、地域との癒着はなくなるし、世襲議員もふるいにかけられるようになる。

豚インフルエンザ、東京一番はわが市だった

2009-05-21 | 随筆
いよいよ東京にも豚インフルエンザが来たなと思いきや、ぼくの住んでいる市だった。しかも娘・義息子が勤めている病院に入院した。上記の写真がそうだ。ぼくの自宅から車で10分のところにある。まあまあ東京上陸は時間の問題と思ってたけど、一番乗りがわが市とはねー。わが市はベットタウン、これから通勤で都心にも大きく蔓延するだろう。しかし死亡率はアメリカでは0.1%、今の段階では普通のインフルエンザと変わらず、そう大騒ぎするほどでもないだろう。しかし、素人眼でも、今の暖かい時期にインフルエンザが流行るということは、伝染力の強いウイルスだろう。今年の晩秋からシーズンに入ると大流行するに違いない。もうひとつは、豚のウイルスであったのが、豚から人へ、人から人へと、ウイルス自体が変異して適応していっていることだ。変異しやすいウイルスということは、今は弱毒性であっても、強毒性へさらに変化する可能性がある。人もタミフルなど抗ウイルス剤を開発するが、ウイルスも生き延びるために進化を遂げていく。生き延びるための競争である。おいおい、今日からパチンコ屋もマスクして行くようだな、そこまでして賭け事やるか、フツウ。

クリエイターとプランナー

2009-05-20 | 随筆
おいらは絵描きとか小説家とか、いわゆるクリエイターを目指していた。けれど誰からも「お前は企画屋だ。クリエイターには向いていない」とよく言われた。「そんなことあるかい。やればできる」と何回も挑戦したが、ちっともクリエイターにはなれなかった。若い頃皆で海水浴に行った時、磯に小魚がいた。おいらは友人に「このタオルのハジを持ってくれ。片方を水に沈めて、網のように掬っていくぞ」、網がなかったので、とっさに網がわりにタオルを使ったら、後で友人は感嘆していた。またカミさんと車で花火を観にいった時、終わって帰ろうとしたらあぜ道はすでに帰りの車で渋滞し、車が出られそうになかった。カミさんに「おい、ちょっと来る車を止めてくれ」、そういうなり、おいらは車を出して、100m程バックで走って本道に出て、カミさんを乗っけて、なんなく帰ることが出来た。「まさか、バックで進行するなんて、考えられなかったわ」、カミさんは感嘆していた。ちょっとそういった、とっさの判断というか、企画力というか、確かにそういった機転には自信がある。雑誌時代も、この人に取材するには、こうしたらいいとか、広告を取るには、こう網を張ろうとか、どんどん発案して、それを実行していった。しかし、いい小説を書こうとか、いくら考えてもいいものは出来なかった。やはり、自分は企画屋であってクリエイターには向いていなかったのだろう。自分ののしたいことと、能力・才能というのは別のモノかも知れない。この歳になるまで気がつかなかったとは、なんと機転の利かないことだろう。

カラスも巣立ちの季節

2009-05-19 | 随筆
 そのカラスは、翼に穴が空いている。トンビかタカと闘ったのだろう、穴が空いているから、いつものカラスだと判る。カミさんと河原をウオーキングして、石の階段のことろで、いつも昼食を摂るのはだが、丁度その向かい岸に神社の木があって、そこに巣がある。ぼくらがほかほか弁当や小僧寿しを買って食べていると、気がついて対岸からこちらにいつもやってくる。ぼくは石段の上に、から揚げやエビのしっぽなどを置くと持ち去って、量が多いときには、岸辺の草むらに隠したりして保存している。そんなぼくらの関係が10年も続いていた。ところが去年はそのカラスをさっぱり観なくなった。「もう、死んだのかねー、世代交代したんだねー」、ぼくらはそう思っていた。ところが今年になって、また昼食を摂っていると現れるようになった。「おまえ、まだ生きてたのか?1年もどこに行ってたんだ?」。以前もここに書いたが、そのカラスは、エサをると、帰り道のぼくらのところに時々わざわざ飛んできて、別れの挨拶をしてくれる。そのカラスが、昨日も土手をウオーキングしていると、飛んできた。しかも、巣立ちしたばかりのヒナを三羽連れてである。「おい、お前、お母さんだったのか。三羽も立派によく育てたなー」。フツウ、カラスの巣を下から見ると1羽が多い。エサの関係で後のヒナが育たなくて死んでしまうのか、三羽のヒナというのを見たのは初めてだった。穴あきカラスの後ろで、口を開け、羽を震わしておねだりしている。「今、まだウオーキングの行きなんだ、何もないよ。帰りにいたらやるからね」、そう言ってぼくらはまた歩きだした。「きっと、お披露目にきたんだねー」、カミさんが言った。中継点で柔軟体操をして、また、小僧寿しを買って、階段にくると、もうカラスたちはいなかった。ほかほか弁当屋が潰れて、この頃は寿司なので、せいぜいエビのシッポしかやらなくなった。以前はわざわざカラス用のカラアゲまで買ってやったことがある。「どっか、いっちゃったねー」「向こうの電線にとまってるの、あの穴あきカラスじゃない?」、「エビのシッポと、タマゴ、置いてみるか」、ぼくが石段の上段に置くと、すぐ飛んで来た。そして、自分で飲み込まず、口に一杯くわえて、巣の隣にある学校の桜の木に飛んでいった。「あっちの木にヒナがいるんだね、いるいる、数羽見えるよ」「もう、巣には入れさせないんだね、巣立つと」。一年間もいなかった穴あきカラスはなぜいなかったんだろう。夫婦喧嘩して家出して、また復縁したんだろうか、よく分からない。でもまた巣に戻って立派に三羽もヒナを育てていたんだ。ぼくらは心温かくなって帰途に着きました。

月曜日病

2009-05-18 | 日記
今日は何だか気だるいねー。月曜日というのはサラリーマン時代は一番イヤだったね。ああ、これから一週間仕事か、なんてね。今は毎日が日曜日なのに、月曜病か。これって、バクチに負けたことが多分にあるみたい。月のアタマの週には、競馬・パチンコに勝ち続け、小遣いが16万円あったのに、半ばまで負け続け、今は残高2万円になっちまった。今日、またパチンコに行ってきっとゼロになるぜ。そしてそのうちまたカミさんの隠している生活費の封筒から一万円盗むようになる。それでもダメで、人生を反省するようになる。まあ、そんな繰り返しだね。情けないところで生きてるよ。なんか、生活変えなくちゃなあって、いつも思うけど、やっぱり、ダラダラ同じこと繰り返してる。おっと、かなりマイナーだな。やっぱり月曜病かー。

カラスは礼儀を知っている

2009-05-16 | 随筆
健康のためにカミさんと近くの河原をウオーキングするのが日課になっている。往復一時間程度だが、丁度昼食と重なる時間帯には近くの小僧寿しに行って、寿司を買って、土手の階段に座り、ふたりで昼食を摂る。その時、必ずエビのしっぽを階段にのっけて置く。その日もふたりがお腹一杯になって、ひょっこらひょっこら帰りの途についていると、エビのシッポを食べたカラスが、ぼくらの歩いている前にわざわざ飛んできて道をふさぐようにとまる。「美味しかったか?」「うん、ありがとね、また頂戴ね」、そんな感じで、わざわざ見送ってくれるのだ。こんなことがたびたびある。以前は橋を渡っていると欄干まで飛んできて見送ってくれた。そうして大きくクビを振って別れの挨拶をするのである。カラスは逞しいし、頭もいい。歩くときはひょうきんで、遊び心も持っている。なんだかカラスで心が和む二人でした。

政権交代で官僚政治を打破せよ

2009-05-15 | 発言
今回の補正予算では、アニメの殿堂づくりに117億円とか、廃止を閣議決定したはずの産学官の共同研究拠点づくりに695億円とか、わけのわからぬハコ物づくり、しかも官僚の天下り拠点の充実に多額の予算が計上されている。自民党の長期政権はこれまで、予算や法案作成まで官僚に丸投げし続けてきた。今回の補正予算はその典型といえるものだ。政府はノーチェックなために、霞ヶ関の官僚たちは頭に乗り、税金を自分たちの増殖に有利なようにジャブジャブと使っている。そして国には膨大な借金が膨らんで、誰も責任を取ろうとしない。「小泉さん、素敵ー」のバカな国民人気で10年遅れたが、とにかく、民主党に政権を交代させ、この官僚政治を打破しなければ、日本は大変なことになる。しかし、官僚体制は強固で、大臣や副大臣を置いた程度では、非力でお飾りになってしまう。各省庁に民主党議員を200人くらい送り込み、各省庁内部の役人で改革に賛同する人材を応援し、中から意識改革を図っていかなければならない。勿論、鳩山総理になって政権交代しても、未熟者の集まりだ。必ず、失態があって、また支持率が下がって、ヨロヨロになる時があるだろう。しかし、解散はしないことだ。小泉、安部、福田、麻生と自民がたらい回ししたように、民主党も鳩山、岡田、長妻、小沢とたらい回しして、衆議院解散目一杯まで政権を維持し、その間に、官僚政治の刷新を行えばいい。長い間に培われた官僚体質というものは、かなりの抵抗や巻き返しもあるだろうし、そうそう簡単に刷新できるものではない。しかし、官僚政治を打破するという固い信念さえあれば、必ず貫徹できると信じている。政権交代で官僚政治を打破せよ。

朝日新聞、小沢嫌いの裏に「何が」ある

2009-05-14 | 発言
今日の朝日新聞も一面で「小沢辞任対立の始まり」「親小沢vs非小沢激化」と民主党が割れることを煽り、小沢=悪と決め付けたうえで、鳩山を「小沢院政」とし、そして社説では「小沢院政では駄目だ」とヒステリックに論じている。一体この朝日新聞の尋常とは思えない小沢=悪という論じ方はどこからくるのか、何か裏があるのではないかと勘ぐらないではいられない程である。ひとつ言えることは小沢が「記者クラブ」の解散を提唱していることだ。検察、国会などあらゆる公的機関の記者会見などはすべて大手新聞やテレビ等マスコミだけの「記者クラブ」の所属記者しか取材できない既得権益になっている。そして各当局の担当記者たちは、例えば検察担当だと検察批判を少しでもすれば、もう検察から情報がもらえなくなり「特オチ」(自社だけニュースを掲載できなくなること)になり、担当記者はすぐ左遷させられてしまう。それを恐れて、各担当記者は発表されたままの記事を毎日垂れ流している。こういう体質は健全なマスコミとは言えず、小沢は「記者クラブ」の解散を提唱し、それまで会見に入ることの出来なかった雑誌記者、外国特派員記者、フリーランサーなど自由に取材できるように提唱している。自分が総理大臣になればそれを実行すると明言している。そうなれば、記者クラブというマスコミだけの既得権益がなくなってしまう。どうも日ごろ高慢な朝日新聞はその小沢の発言にガチンとアタマに来たのではないか。だから朝日新聞の記事は初めから「小沢=悪」という前提からどれも書かれている。しかし小沢の指摘は正しい「記者クラブ」など解体すべきである。この記者クラブがあるからこそ、今のマスコミの殆どが権力側の「大本営発表」を垂れ流すガンになっている。自由に取材が出来て、自由に書けてこそ、権力側の批判もできて、健全な民主国家が成り立つのである。

ヒステリックなほど反小沢の朝日新聞

2009-05-13 | 発言
朝日新聞の反小沢は異常なほどである。もともと西松献金の第一報をスクープしたのは朝日新聞だ。そのことで地検と裏取引でもあったのかとかんぐりたくなるほど反小沢である。大久保秘書逮捕後、反小沢、「ワルの小沢」というイメージを読者に持たせるような地検情報に基づくキャンペーンを連日打ち、社説では「小沢辞めろ」とやる。そして、小沢が代表を辞任すると、「世論離れた改革者」「腐心の変身3年で幕」「会見、説明尽くさず」と当日の新聞でもこき下ろし、今日、翌日の新聞でも「突如豪腕小沢が復活」「毒舌」などと、明らかに冷静を欠いたジャーナリストにあるまじき感情的にも思える活字が目に付く。そしてオピニオン「小沢一郎とは」と一面の誌面を使い、反小沢の立花隆らの「金権体質」と一方的な誌面を割いている。これは異常としか思えない。私は別に、熱烈な小沢びいきではない。しかしこの魔女狩り的な紙面づくりは何なんだろうと思う。新聞というものは、「逮捕者」や「辞任者」となると徹底的に叩く。「逮捕」や「辞任」だから叩いても「安全」だからである。権力におもねき、漆間副官房長官が「西松関連は自民党に波及しない」と20人の記者の前で言い、そう報道すると「誤報だ」と侮辱されても、朝日新聞は口黙って何も言わない。西松関連で、二階経産相や森元総理が金を貰っていても、一切取材しようとしない。そういった偏る検察批判も一切行わない。政府・検察の意を汲んだような「大本営発表」ばかりで、血祭りにあげるのは小沢一人である。権力におもねき、へつらい、弱いものイジメをする、こんな新聞はジャーナリストとは言えない。朝日新聞はなぜか大きく変節してしまった。