まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

イチローは凄い!

2009-09-15 | 発言
昨日イチローは9年連続200本安打を達成した。ベースボールの本場アメリカで108年ぶりの記録達成というから、本当に凄い。108年前と言えばまだピッチャーなんか今のようにカーブやフォークなど多彩ではなかったろうから、前人未到の記録だとも言える。国民栄誉賞間違いなしの偉業である。今年は開幕から胃潰瘍で試合を休み、記録が危ぶまれていた。実質20試合近く試合を休んでの記録達成だから、本人の感激も一塩だろう。200本も9年続けて打つということは、精神的にも肉体的にも強靭でなければ出来ることではない。彼は剣をバットに代えたような武士のように求道精神を持って野球に取り組んでいる。バットは磨き、乾燥させるようにいつもジュラルミンケースに入れて持ち歩き、グラブも試作を何回も作り変えさせ手になじむものしか使わない。野球に対する求道に徹底的にこだわっているのである。ひとつの芸術と言ってもいいくらいだ。暗いニュースが多い中で、彼の偉業達成は本当に心を明るくさせてくれる。ありがとう、イチロー!

人生と矛盾へのこだわり

2009-09-14 | 発言
ぼくの家から車で10分のところに沖電気工業の工場がある。行きつけのパチンコ屋の近くなんで、その前をよく通る。正門では何十年も前から「不当解雇」のピケをはっている。
何十年も前の話なので、どういう事情で解雇されたのか定かではないが、未だに暑い日でも傘をさして、ギターなんかを弾いている。確か数十年前は数十人がビラを配っていたが、数十年経った今でも数人がピケを張っている。彼らは「不当解雇」という社会の矛盾に一生こだわって、沖電気と闘い抜く覚悟のようだ。社会にはいろんな矛盾がころがっている。たまたまそういう矛盾に出くわすと、「これが社会というものだ、仕方が無い」と心機転機して次の人生を歩む人と、沖電気のピケを張る元従業員のようにそれにこだわって一生それに費やす人もいる。まあ、それこそ人生いろいろだが、言えることは「一生を棒に振る人」というのは概ね「こだわり」が強い人だ。芸術分野ならこだわり続けることで磨かれていくが、人の世の中にこだわっても致し方ない。例えば彼氏に彼女が振られたとする。彼女は彼氏の心変わりに「許せない」とこだわって、憎み続けて一生を恨んで生きるとする。あくまでたとえ話でこれに似た例は山とあるだろう。そりゃあどうみても無駄な話である。変わりゆくものにこだわっても仕方ないのである。人生はこだわりを捨てて心機転機することで、また新しい道が開けるというものだ。

女性を生かす社会に

2009-09-13 | 発言
今朝の朝日新聞の社説に「女性を生かす社会に」とある。簡単な話、衆議院で女性議員が大幅に増えたといってもまだ10%、世界的にみればこの比率は120位前後だという。ついで英国の経済誌が「日本はもっと女性の能力を生かすと経済発展がみこめる」という。ところが日本では「夫は外で働き、妻は家庭を守る」という明治以来の家族観を引き摺ったままで、社会全体がこういう考え方を変えていく必要があると朝日新聞は説く。まあ、最もな話だけれど、こいつはなかなか難しいねー。芸術や医療分野など女性が活躍している分野はあるけれど、こと企業となると、なかなかねー。ひとつは、上司がどうせ鍛えても壽退社するだろうという意識があるし、女性側も結婚すればおしまいという意識や、少し上司から叱られるとむくれるという女性特有の甘えもある。男は外に出ると七人の敵というが、企業社会というのはいろいろと一種の闘いである。そこで生き抜くには厳しさが必要である。最も資生堂やイナックスなど女性が重役になっている企業もあるが、概して女性関連企業とも言える。三菱重工業とか新日鉄で女性が重役になるって、たぶん今後も在り得ないだろうなー。女性が能力を発揮することはとっても素晴らしいことだけど、やっぱり発揮できる分野ってあると思う。すべて男と同権同じ分野に進出って言ったって、女性がまわし締めて国技館で相撲取れるかい?男に子供産めるかい?やっぱり男は男、女は女の特技があると思うし、それを生かすことこそ、女性を生かすことだと思う私は、やっぱり古い人間なんでしょうかねー。

空白の日

2009-09-12 | 発言
今日は何も書くことがない。釣り場の公園で写した上の写真の老人のように、眠ってしまおうか。空はどんより曇り、今日はこれから雨が降るという。冷え込んで冬のようにセーターを一枚着こんでしまった。テレビではアルカイダとの戦いに疲弊した米軍兵、高卒で来年の就職求人が落ち込んでいる話、鳩山は来週そうそうに組閣を決める、天下りの駆け込みが後を絶たないなど、次々とニュースを流す。世間の動きというものと自分とは何のかかわりもない、そんなことを知らなくったって生きていける。今日のぼくは空模様と同じでどんよりしている。ここは一発、10時の開店でパチンコ屋で気合を入れるか。と、書いたところで突然携帯が鳴った。京都にいる兄貴からである。「起きとるかー、今、おふくろの声聞かしたるよー」。兄は京都で88歳になる母のめんどうをみている。母はもう耳が聞こえずホワイトボードに字を書いて喋っているという。「もしもし」。母の声だ。「もしもし、もしもしばっかりで言うことあらへん。元気かー」。久しぶりの母の声だ。「どうや、聞こえたか」と兄。「うん。耳が聞こえんでも喋れるんやねー」「その代わり大声になるけどな(笑い)。心配してるかなと思うてな」「おおきに、声聞かしてくれて」。電話を切った後、心優しい兄貴に感謝する。母親もとにもかくにも俺を育ててくれたんだ。人のつながりに、心がほっとする。

ハイキングで初秋の味覚と出会う!

2009-09-11 | 随筆
一昨日は涼しそうだったので、裏山へハイキングに出かけた。上記の写真はその時の収穫だ。なにしろ歳を取ると歩くのが健康に第一。カミさんが握り飯を作って、水やビニールシートなどをリユックに詰め込んで出かけた。ぼくの住宅団地は山を切り開いた高台にあるので四方山に囲まれている。だからハイキングといってもバスに乗ることなく、ウラの公園を横切り、山道を下っていくと、もう立派な雑木林や沢があって、自宅から往復二時間くらいの行程でいつもハイキングをしている。ほとんど未開発の地なので、あぜ道の両サイドにはイノシシがミミズを食べた堀跡が連なっている。小鳥の声を聞いたり、セミの鳴き声を聴きながらしばらく歩いていると栗の木がある。初秋だというのにもう栗が落ちていて、ほとんど先陣に取られてしまったイガグリが落ちていた。それでもよく探すと、まだ残っている。風かなにかで、時折落ちてくるから、行き返りに採ったら、上記の写真くらい取れた。農家の人が落としたのかゴーヤまで道に落ちていたので1本拾った。それからいっちん(どんぐりの一種)も拾った。一時間ほど歩いていつも休憩場所にしている沢のほとりでシートを引いて、握り飯をほおばった。ふと木々をみると、すだちの木があり、すだちが沢山なっていた。何も道具を持っていないので背の高さで取れる範囲でとった。家に持って帰り、今年初めての栗を茹でて食べ、ゴーヤは豚肉と一緒にチャンプルにし、すだちを擦ってお椅子物に入れた。ぷうんとすだちのいい香りがする。初秋の味覚を食べて得した気持ちになった。食後、幼い頃いっちんをくりぬいて笛を作ったことを思い出し、千枚通しでくり貫いて吹いてみた。ピーっといい音が懐かしく鳴った。夜になるとアオムシやコウロギなど秋の虫たちが庭で演奏をはじめる。今年もまた秋がやってきた。

政治手法の硬直化を露呈する自民・民主・国民新党!

2009-09-10 | 発言
ここのところ各党の動きをみていると、本当に政治家は従来の手法で硬直化しているんだなあというのがつくづく判る。自民党は昨日の両議院総会で、首班指名に白票で出すの、麻生総理で出すの、手続き上のどうでもいいことですらカンカンガクガクでもめ、総裁候補の推薦人が10人だの20人だのでも揉めにもめて、どうでもいいことに、なんだーこの党はと思えるほど硬直化して前に進まない。社民も国民新党も民主党との連立にダダを捏ねて存在感をアピールしようとする。やっとこゴネた末に三党合意に至ったが、これも従来の政治手法だ。このような国民そっちのけの党利党略や、どうでもいい手続き上の問題ですら派閥が壁となって紛糾する行動を国民に見せていると、再び来年の参議院選挙で、自民・社民・国民新党は票を確実に落とすだろう。

クミコさんの歌に何故おばちゃんたちは癒されるのか!

2009-09-09 | 発言
アラカン(60歳前後)世代の女性に圧倒的な支持を得ているのが今や秋元順子さんとクミコさんの歌で、双璧といってもいい。秋元さんはジャズ畑の出身だが、クミコさんはシャンソン畑だ。エリットピアフや越路吹雪の歌を得意としている、今年55歳の歌手だ。たまたまBSでじっくり聴く機会を得て、なぜおばちゃんたちがリサイタルを観に行って誰もが癒されて涙ぐむのか、わかったような気がした。クミコさんの歌唱力には独特のものがある。普通、歌手というのは、個性とか、自己顕示欲とか、なにかこう、観させる聴かせるというものがあるのだが、クミコさんの歌というのは、逆に聴いていると引き込まれていくというものがある。これはもう少し解りやすく説明すると、例えばおばちゃんっていうのは、これはもう長い人生を百戦錬磨で渡って来た人たちだ。怒りもし、騙しもし、汚れた心だって沢山持っている。ところがクミコさんの優しい説得力のある女の人生歌を聴いていると、おばちゃんたちの心の隅っこにあった思春期の清らかな心が引き出され、その清らかさで次第に心が一杯になってくる、そんな歌唱力なのだ。男のぼくでさえ、これはすごいなーっと思って聴いていた。まして女性なら誰もが持っていた思春期の清らかな女性の心を思い出させてくれて、聴いているうちに、どんどん胸一杯清らかになってくると、こりゃあもう、思春期のように純になって泣いてしまう。まさにアラカン女性、癒しのクミコさんの正体見たり、でした。

貧困による高校中退が激増!

2009-09-08 | 発言
少子化で日本を背負う次世代が少ないっていうのに、学校に行く金がなくって已む無く高校を中退する少年が激増しているという。なかでも経費削減で補助金を減らした大阪府は特出していて、橋下知事はそういう子供たちと討論会を持ったが、席上橋下知事は子供たちに向かって「それは自己責任」と発し、子供たちは涙ぐんでいた。破綻寸前の大阪府の経費削減は解るが、高校生の少年少女たちに貧乏は自己責任と言うは、ちと言いすぎではないか。また定時制高校生も激増し、定員オーバーで入れない少年も多くなっている。鳩山兄弟は東大を出ているが、お母さんが厳しく、朝の3時に起こして学校行く前に必ず予習させていたという。また家庭教師もついていたのだろう。貧乏な家庭はそんな勉強どころではない。だから裕福は高学歴で裕福な子に、そして貧乏な家庭は低学歴でその子供もまた貧乏が続く。貧乏は連鎖するのである。ぼくらの時代、昭和30年代も貧乏だったが、多くの人がマジョリティーとして貧乏だった。ぼくのところも鉄工所に勤めるおやじの給料は安くって、子供三人を到底まともに学校に行かせる余裕はなかった。だから、七つ上の兄と三つ上の姉は定時制高校に入って、昼間は工場に勤めた。ぼくも公立高校1本で、もし落ちたら中卒で働くつもりだったが、中学一クラス55人中5番以内に入れたのでなんとか受かることができた。日本全体がこれだけ裕福になってきたというのに、昭和30年代を思わせる少年たちの悲しみに心が痛む。また、夫の収入減で妻が働こうと思っても、保育所が満杯で待機児童が25000人もいるという。自民党は少子化担当大臣を置いたが、子供たちに対して全くの無策であった。ここに来て、やっと民主党政権に変わり、生活保護の母子加算の見直し、子供手当て26000円、公立高校の無料化など矢継ぎ早に政策を掲げているので、少しは将来が見通せるようになった。子供は明日の日本を担う国の宝である。勉学には貧富に関係なく平等な機会を与えることは何よりも大事なことである。


日本からデパートが消える日!

2009-09-07 | 発言
100円ライターがここのところ何度も割れて危ないので、金属製のライターをそごうに買いに行った。デパートに入るのは久しぶりである。エスカレーターに乗って6階の紳士雑貨売り場まで行く途中、各階の様子をみると、お客がほとんどいない。15年前の開店時には駅続きということもあって盛況だったが、今は売り子がボーっと立っているだけだ。6階についても状況は同じだった。広いフロアーに見渡しても客は私ひとりである。そごうは興銀出身の水島廣雄社長がデパートを不動産経営の発想で土地値上がりを背景に次々と店舗を拡充し破綻したもので、マーチャンダイジングもなにもあったものではなく、フロアーを区切ってテナントに貸しているだけのデパートとしては実にお粗末なものだったので潰れて当然だが、各デパートも明らかに店のコンセプトが時代に合わなくなってきている。三越、高島屋、大丸はのれんの重さで勝負してきたが、のれんに重きを置くお客さんは今の時代殆ど他界してしまっている。西武はマーチャンダイジングで自信を持ち、自らの商品を開発したものの売れなくて在庫が山となった過去を持つ。業界で最もマーチャンダイジングの力を持っているのは伊勢丹である。しかしここも収益性の高い高級婦人服の低迷で苦戦している。デパート業界はどこも毎年10%づつ売り上げを減らしている。時代の変遷でデパートの存在価値がなくなったからだ。唯一存在価値があるのは日ごろスーパーの食材で飽きている人たちを呼び込むデパチカぐらいだろう。いわゆるデパートの各層にカテゴリーキラーが現われてしまったからだ。家電はヤマダ電機やビックカメラなどの量販店、紳士服はアオキ、青山商事などの専門店、子供服は西松屋、婦人服はしまむら、雑貨に至ってはドンキホーテなど等、この商品はあそこにいけば安く揃っているというカテゴリーキラー専門店にデパートは太刀打ちできなくなっている。結局は一部セレブ族のステータスシンボルとしての価値しかなくなってきている。これだけでは大型店舗は運営できない。各デパートも安売りやバーゲンセールをやって売り上げの確保に必死だが、これではスーパーと変わらない。よほど顧客を満足させる新たなコンセプトを提案できなければ、もはやデパートは日本から消える運命にある。自民党のように改革することなくのれんにアグラをかいてきた結果、時代に全く合わなくなってしまった。経営に日々日々生まれ変わる努力は必要不可欠である。

マスコミ人よ、社会の木鐸としての見識を持て!

2009-09-06 | 発言
ジャーナリストというのは不偏不党、中立の立場で国民に情報を伝え、その情報を判断するのは国民である、とする。しかしこれは大きな錯覚である。どの情報をどの視点で切り取ったかで、すでに不偏不党の中立の立場はありえず、右か左に偏っているものなのである。例えば富士山という真実は、山梨県側からみるのと静岡県側からみるのとでは違うのである。真実に迫る事実というものはそういうものである。ジャーナリストとして大事なことは、不偏不党・中立ではなく、「この情報は本当に国民のためになっているか」という見識、そのものを見る眼が常に国民の利益を考えているかどうかである。ところが、日夜報道されるテレビ、朝日・読売などの大マスコミに携わる者に、その見識が如何に劣化しているか、情けない限りである。テレビのキャスターなどで、唯一その見識を持ってまとめているのはNHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスター(上記写真)ぐらいである。あとはひどいもので、朝ズバのみのもんたは自分はさも偉そうに、時々の政局やニュースを下品に面白おかしく揶揄しながら報道する。報道ステーションの中館にしても饒舌意味不明の解説ばかりで、何を言いたいのかさっぱり伝わってこない。もともと司会者は所詮司会者でジャーナリストの資質はなくそんなものにニュースを任せるテレビ局の報道姿勢が問題でもある。一方ジャーナリストの新聞は本当に国民のためを思って書いているのかと言えばそうではない。朝日・読売・毎日新聞にしても、例えば「小沢氏権力の中枢に」とか「民主強まる小沢色」「権力の二重構造」とか、党内がむしろ分裂すればいいような煽り方をしている。これは国民のためという見識から記事を書いているのではなく、単に自民党議員の恨み節や一部反小沢分子の戯言は取材しやすいから書いているという、実にイージーなレベルで書いているのである。ところが、国民は党内のゴタゴタなどどうでもいいのである。そんな低い次元で政治を考えてはいない。国民はとにかく腐敗しきった自民党を懲らしめたい、小泉改革でガタガタになったこの国と国民生活を少しでも再生して欲しい、その一心で民主党に一票を投じたのである。だからこそマスコミは国民のために民主党が政策を実現できるよう応援するような取材をすべきなのに、相変わらず何の見識もないゴシップ記事の視点である。マスコミ人よ、報道というのは一種国民に対して「洗脳機能」を持っている恐ろしく責任のある機関である。それだけに大マスコミ人は、党内内情や永田町のタレ流し情報などはいいかげんやめるべきだし、むしろ見識を持って、どうやればこの国を変えられるか、60年に及んだ自民党の悪政を点検し、官僚のサボタージュや抵抗を粉砕し、マスコミも一緒になってこの国の改善策を考えていくべきだろう。マスコミ人よ、ジャーナリストとして、国民の側に立った本当の見識を持て!

歩くこと

2009-09-05 | 随筆
東京は久しぶりの晴れだ。気持ちがいい。今日はカミさんと競馬場に行く予定だ。競馬場に行くとよく歩くのでいい運動になる。現役のころは毎日一日2万歩ぐらい歩いていたが、今では5000歩くらいになっている。ぼくらの年齢では一日一万歩が健康の目安らしい。歩かないとすぐ身体がだるくなってしまうので、近くの河原を歩いたり出来るだけ歩くようにしているが、それでも5000歩にしかならない。以前勤めていた出版社の社長は糖尿病を患っていたが、医者から「歩くこと」と言われたので、万歩計を付け、信号待ちをする時も足踏みをし、病院で診察を待っている時も、電車の中でも足踏みをして計数を上げるように努力していたが、結局糖尿は悪化し、60歳でこの世を去った。ぼくの場合は少し歩かないと、肩は凝るし、身体がかったるくなるし、それがイヤだから歩くようにしている。本当は一日2時間はウオーキングするといいんだけれど、なかなかねー。

小沢一郎は何故マスコミに嫌われるのか!

2009-09-04 | 発言

小沢一郎が民主党の幹事長になることが決まった。マスコミは揃って「権力の二重構造」「闇将軍」とはやし立てている。今回の選挙で308人の民主党議員が当選、そのうち新人が140名、その中で「小沢チルドレン」といわれる人が100名、旧自由党議員の50名をあわすと、小沢派閥は150名となり、民主党議員の半分を占める大所帯となる。気の早いマスコミは民主党を割って出るというバカな論評をするものさえ出ている。しかし小沢は派閥ということも考えなければ、権力の二重構造でもないし、まして闇将軍でもない。ひたすら政権奪取が彼の望みなのである。そういう意味合いでは純粋な男である。総理という表舞台を鳩山、党の管理を小沢というガッチリした体制で、来年7月の参議院選でも圧勝すれば、日本は福祉・社会政策の充実で、明るい方向に変わっていくことだろう。それにしてもマスコミは「権力の二重構造」というが何が一体「二重構造」なのか分からない。鳩山政府と小沢権力と言いたいのだろうが、もともと議会制民主主義は党の代表が内閣を構成するわけで、小沢は外の人間ではなく党員である。二重構造どころか、これからの党人事や大臣ポストを鳩山と一緒に決めていけばいいことで、「二重構造」「闇将軍」と小沢を揶揄するマスコミは品位の無いゲスの勘ぐりである。マスコミは面白おかしく取り上げるのではなく、もっと品位を持って、日本の将来を見定めて欲しいものだ。
 

今日はおやじの月命日

2009-09-03 | 随筆
上の写真はぼくのおやじです。京都から東京に遊びに来た時、相模湖の釣り場でおやじが生まれて初めて自分で釣ったへらぶなです。おやじは石川県白山のふもとの村で生まれ、京都に出てきて、ぼくら三人の子供たちを大きくしてくれましたが、本当に怒らない人間味のある立派なおやじでした。おやじとぼくら子供の頃の話を、京都にいる七つ年上の兄貴がマンガに「よねどん一家」として描いているので、ご興味のある方は次のアドレスをクリックしてみてください。ぼくらの貧しくとも愛に包まれた最も楽しい一時期でした。本当におやじはいい人でした。お線香あげてこ。ここをクリックするとマンガがでます 

室戸台風・伊勢湾台風と親父

2009-09-02 | 随筆
一昨日東京を小さな台風がかすめていった。上記の写真にあるように玄関口にはプランターのサフィニアが咲き誇っていて、ぼくは台風が来るというので、サフィニアのプランターを家の中に入れて置いた。結局一日中雨が降っただけだったので、また今朝外に出したが、ふっと、幼い頃のことを思い出した。ぼくは京都の出身で、関西はよく台風が来る。しかも小学生の頃、室戸台風や伊勢湾台風というどでかいのが来た。ぼくの家は貸家で五軒が連なる二階建てになっていた。京都は震災に合わなかったから、大きな柱の昔作りのがっしりした長家だった。一家五人と一階には一人身のおっちゃんが住んでいた。本来おっちゃんが一人で住んでいたところに二階を間借りしたものだが、おっちゃんはボクトツな恐そうな風貌に似ず人が良く、上も下もぼくらは我が物顔で走り回っていたものだ。おしっこに、夜階段を下りると、寝ているおっちゃんがよく「トテチテパー」っと進軍ラッパを口ずさんでいた。軍隊時代のことをいつも思い出していたのだろう。室戸台風が来て、近くの新川が決壊し、水つきになった時、おっちゃんは寝ていて、畳が水で持ち上がり、やっと目覚めたことがある。豪傑であまり小さなことにこだわらない人だった。そのおっちゃんも亡くなって、伊勢湾台風が来た時は、おやじが鉄工所から帰ってくると、物干しの戸に、大雨の中を外に出て、クギを打ち付けていた。子供だったぼくらはそういうおやじを見て頼もしく思った。玄関の戸も板を張ったが思いのほか風が強く、フワーフワーっと、玄関の窓一帯が風で抜けそうになったので、物干し竿で一家五人が支えたこともある。翌日になって、風は止んだが「新川が決壊するぞおー」っと叫び声があり、ぼくらは二階の窓から見ていると、堤防からどおーっと水が押し寄せてきて、瞬く間に3m以上の水かさになった。こんなのははじめてて、ぼくらは不安だった。やがて道路だったところに舟が来て「避難しますかー」と言っている。ところが、おやじは「これ以上増えたら、屋根の上に上がりまっさかい、大丈夫です」と応えていた。おやじが大丈夫というから大丈夫、ぼくらは安心した。頼もしいおやじだった。おやじは、どんなに風が吹こうとも、水かさが増えようともどっしりしていたので、子供たちに不安はなかった。そのおやじも8年前、80歳でこの世を去った。

草木とともに

2009-09-01 | 随筆
桃栗3年、柿8年というが、今の家に引っ越してきて5年、その年に記念樹として植えた柿の木に初めて上の写真の柿の実が15個ほど生った。けれどまもなく9つが落ちて、今6個がなんとか成長している。なんとか秋の収穫までもってほしいなあと思って、頑張れよっと、毎日声を掛けている。ところで今日は、桜草の苗をプランターに植え替えた。春に一杯咲いてくれて、こぼれダネが庭で小さな苗になっていたので、また来春用に植え替えた。それに玄関の塀沿いの隙間にピンクの花を6月ごろ咲かすアルメリア・シレネの種を撒いた。これも毎年収穫して撒くのが恒例になっている。どこの家も雑草など綺麗に抜いているのが普通だが、ぼくはあえて家の周りに種を撒いている。庭も自然体で、雑草もあまり刈らない。今はアサガオが満開になっている。これも種を採り、毎年撒いて、成長できるように長い棒で格子を庭に作って絡ませている。アサガオが終わると、土を掘り起こして整地して、来春のために菜種を撒く。そして、チューリップ、スイセン、ゆりの球根を植える。どうも毎日手入れするのは苦手で、撒いたら撒きっぱなし、植えたら植えっぱなしというのがぼくの園芸で、おおちゃくなものだ。あとは、生きるものは生きて花を咲かす、枯れるものは仕方が無いと自然の摂理にまかしている。それでも春夏秋冬、タネから育てたものがいろいろ花を咲かせてくれて、種をとるのも、その時々が楽しみである。「よく、頑張ったなあ、よく咲いてくれたなあ」と、心が和らいでいく。人と話すことより、草木やペット、庭に遊びに来るスズメやシジュウカラなどの野鳥を見いてるほうが、はるかに心が癒されるとは、寂しいことではあるけれど・・