まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

室戸台風・伊勢湾台風と親父

2009-09-02 | 随筆
一昨日東京を小さな台風がかすめていった。上記の写真にあるように玄関口にはプランターのサフィニアが咲き誇っていて、ぼくは台風が来るというので、サフィニアのプランターを家の中に入れて置いた。結局一日中雨が降っただけだったので、また今朝外に出したが、ふっと、幼い頃のことを思い出した。ぼくは京都の出身で、関西はよく台風が来る。しかも小学生の頃、室戸台風や伊勢湾台風というどでかいのが来た。ぼくの家は貸家で五軒が連なる二階建てになっていた。京都は震災に合わなかったから、大きな柱の昔作りのがっしりした長家だった。一家五人と一階には一人身のおっちゃんが住んでいた。本来おっちゃんが一人で住んでいたところに二階を間借りしたものだが、おっちゃんはボクトツな恐そうな風貌に似ず人が良く、上も下もぼくらは我が物顔で走り回っていたものだ。おしっこに、夜階段を下りると、寝ているおっちゃんがよく「トテチテパー」っと進軍ラッパを口ずさんでいた。軍隊時代のことをいつも思い出していたのだろう。室戸台風が来て、近くの新川が決壊し、水つきになった時、おっちゃんは寝ていて、畳が水で持ち上がり、やっと目覚めたことがある。豪傑であまり小さなことにこだわらない人だった。そのおっちゃんも亡くなって、伊勢湾台風が来た時は、おやじが鉄工所から帰ってくると、物干しの戸に、大雨の中を外に出て、クギを打ち付けていた。子供だったぼくらはそういうおやじを見て頼もしく思った。玄関の戸も板を張ったが思いのほか風が強く、フワーフワーっと、玄関の窓一帯が風で抜けそうになったので、物干し竿で一家五人が支えたこともある。翌日になって、風は止んだが「新川が決壊するぞおー」っと叫び声があり、ぼくらは二階の窓から見ていると、堤防からどおーっと水が押し寄せてきて、瞬く間に3m以上の水かさになった。こんなのははじめてて、ぼくらは不安だった。やがて道路だったところに舟が来て「避難しますかー」と言っている。ところが、おやじは「これ以上増えたら、屋根の上に上がりまっさかい、大丈夫です」と応えていた。おやじが大丈夫というから大丈夫、ぼくらは安心した。頼もしいおやじだった。おやじは、どんなに風が吹こうとも、水かさが増えようともどっしりしていたので、子供たちに不安はなかった。そのおやじも8年前、80歳でこの世を去った。