まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

国松警察庁長官狙撃の警視庁発表は横暴!

2010-03-31 | 発言
誰が考えても1995年の国松孝次警察庁長官(上記写真)が銃撃された事件はオウムの仕業に違いない。事実麻原教祖の四女が「警視庁総監のクビを取れ」という内部の話を現場で聞いている。しかし、それにしても、だ。結局、証拠固めが出来ずに時効を迎えたというのに、警視庁が「オウムの組織的・計画的テロ」と発表したことは全く納得できない。犯人も立件できず、証拠固めもできなかった警視庁は、素直に「犯人の特定ができなかった」とだけ発表すべきで、立件もできないのに「オウムの仕業」と発表するとは、完全に一線を越えている。警察はあくまで証拠主義に基づくべきで、証拠・犯人を確定できなかったものを、「推定有罪」と断定することは警察の権限を越えた行為である。小沢一郎の胆沢ダム工事における「天の声」を連呼した検察同様、確たる物的証拠もなく「推定有罪」を断ずるは冤罪につながり、明らかに越権行為である。親分がやられて、その犯人を掴まえることが出来なかったと、よほど悔しかったのだろうが、こういう推測発表は断じて行うべきではない。検察・警察は、物的証拠に基づかない魔女狩り的な社会風潮を形成するような行為は断じて行うべきではない。

桜の木の下には死体が埋まっている

2010-03-24 | 随筆
いよいよ桜の季節だ。最初、河津桜が二月に咲き、今、カンザクラ(上記写真)が満開だ。そしてソメヨシノが開花宣言、郊外はいよいよピンク色に染まる。桜の下には死体が埋まっている、誰か往時の文学者がそう書いたけれど、それほど桜は奇異に美しい。河原を歩いてベンチに腰掛けていると、唯一咲き始めたソメヨシノの花びらを、ヒヨドリが全部平らげた。そんなに焦らなくてもこれから一杯咲くぞ、そんな思いで煙草をくゆらせる。米軍基地は始めから県外移設など在りえないのに政府の茶番劇。マスコミはあいも変わらず「政治とカネ」の視点一辺倒で国民を誘導する。今朝の新聞の声の欄にはアルバイトの50歳の男性が「春闘は誰のための春闘か。私は年金を納めるどころか、今日のカネに困っている」とあった。その奥には同じような1000万人の貧困者たちがいる。彼らの生活の苦しみはいかほどかと思う。そして、そう思う、傍観者の俺がいる。傍観者の俺は、もはや「今」を生きず、その日その日を自堕落に暇を潰している。世の中はおしくらまんじゅうのように喧騒で、おいらは死人のように喜怒哀楽の波はない。それらどんな人の肩にも、これから桜の花びらが、満遍なく、ひらひらと落ちていく季節になる。「ポンチュ、お前は生きてるかー」、10年前に桜の季節に暴漢に襲われ他界した親友が、そう桜の木の下から叫んでいる。

生方幸夫の副幹事長「解任」は当然!

2010-03-19 | 発言
民主党生方幸夫議員の副幹事長解任は当然である。生方は組織というものが全然判っていない。読売新聞記者出身で、「会社」という組織を肌で知らない。簡単に言えば赤提灯で話す話と、外部に向かって話す話の分別が全然できていないのだ。上司や社長の悪口はあくまで赤提灯の範囲内で許されるもの、内輪のグチを外に向かって公表すべきものではない。そんなことを許せば、会社の信用を落とし、組織が保てなくなる。「政治とカネで小沢を辞めさせるべき」と世間に向かって執行部批判を言うのであれば、自分が民主党を出ればいい。自民党を離党した鳩山邦夫と全く同じケースである。働きアリを100匹集めると必ず二割はさぼるという。人間も組織からはぐれるものが必ず出てくるものだ。生方氏のブログを見ると、新聞記者上がりだけに、まるで「評論家」である。「民主党は今まで自由に話ができたが、今は中央集権化して、権力が集中している」。当たり前である。野党時代なら自由でいいが、政権与党となったら責任もあり、統率が必要である。そこらが生方氏は全然わかっていない。政権与党とは実行部隊であり、相変わらずの評論家きどりでは、残念ながら解任されても仕方がない。今朝のみのもんたの朝ズバに生出演して、久々にスポットを当てられニコニコ執行部批判を喋る生方氏、やっぱり出たがりの評論家でしかない。解任どころか、民主党を除名すればいいし、次回生方氏は自民党公認で立てばいい。

笑ってしまう鳩山邦夫「私は龍馬になる」!

2010-03-15 | 発言
薩長同盟の仲介役を務めた坂本龍馬。鳩山邦夫はその坂本龍馬になるという。つまり自民党谷垣執行部批判を繰り返している与謝野馨と桝添要一を合体させ、新党を作る構想だ。ああ、貧すれば鈍するということかねー。だいたい彼らには坂本龍馬のように志しがない。単なる目先の参議院選挙を前にして沈没寸前の自民党を抜け出して票を獲得したいだけの話だ。新党と言えば国民が祝票でもくれると思っているのだろうか。だいたいこの三人は麻生政権下の閣僚ではないか。自民党の政策のここが間違いで、我々はこういう明日の日本のビジョンを提示する、というなら一考に価するが、志しもビジョンもなく、同じ顔ぶれの離合集散による「新党」ではどうにもならんでしょう。それにしてもこの鳩山邦夫、「正義」「正義」と自分の考えはすべて「正義」と思い込みの強い男である。大局の見られぬ器でしかない。民主党政権も足踏み状態、自民も悪あがき状態、本当に目先だけのビジョン無き日本の政局にはうんざりですなー。

愛子さまの叫び「象徴天皇を解放してください」!

2010-03-12 | 発言
外交官として活き活きとしておられた雅子さまは、皇太子妃となられ、「適応障害」といううつ病を発症して久しい。その一粒種の愛子さまも「不登校」になられた。週刊誌も含めて全メディアは「学習院の一部の男子生徒の行動に愛子さまは不安を感じられ、不登校になられた」という宮内庁発表の線で取材をしている。しかし真意の程は定かではない。愛子様がお生まれになって数年過ぎると「お言葉がてない」「自閉症ではないか」と一部で囁かれた。「それを病んで雅子様はうつ病になられた」という説もある。そのようなことが囁かれると、時を同じくして、それまで「天皇は女性でもいいのではないか」という議論が、何故かそれ以来ピタっと議論されなくなった。誰が止めたのか、不思議なことである。また、不登校になられた愛子さまの「不安」は、母親である雅子さまの「不安」が育児の過程で影響したのではないかとも考えられるし、逆に愛子さまの不自然な成長に雅子が悩んでうつ病になられたのかも知れないが、いずれにしても皇室の情報はタブーで真実は定かではない。しかし、皇室の苦しさだけは伝わってくる。天皇も皇太子も雅子さまも愛子さまも、天皇制度というプレッシャーのなかで、ひしひしとその苦悩だけは伝わってくる。憲法には「何人も職業の選択の自由がある」と謳っている。しかし天皇家にはその自由がない。天皇家に生まれた以上は「公務」以外の職業を選ぶ自由はない。ぼくが天皇の立場になって想像してみたら「これは拷問だなあ」と思う。国民のための、国民による日本という民主主義国家にあって、天皇家だけが「象徴天皇」として人間としての自由を奪われている。そんなことを国民が強いる権利が、果たして国民にあるのだろうか。ぼくは同じ人間として「ない」と思う。今世界で、天皇など君主制をとっている国は、先進国ではイギリスだけ、あとはエチオッピアなど後進国の10数カ国でしかなくなった。そのイギリスだって、皇太子が「浮気」をしたり、事故を起こして亡くなったり、なんだかややっこしい。日本でも「国民の象徴」である方が、うつ病であったり、登校拒否であったり、そういう方を「国民の象徴」というのもおかしな話だ。日本はもはや民主主義の国である。憲法を改正し、天皇制度を廃止し、時代に即した国体にするべきである。そうすれば、不自由を強いられる痛々しい天皇家は開放されるし、宮内庁もいらなくなり、税金も削減できる。もはや象徴天皇制度は廃止すべき時代にきている。

寄らば与党の陰と、池田大作先生の鶴の一声!

2010-03-11 | 発言
政官財のトライアングルを推進してきた自民党政権に、弱いものの味方を標榜していた公明党が連立を組んだ時には驚いたものだが、自民が落ち目になると、今度は与党の民主党に擦り寄って、何かと話題になっている。10年度予算や子供手当ても賛成に回り、今や国民新党や社民党を凌ぐ民主党の応援団になった。もともと公明党という党は、創価学会の池田大作名誉会長の鶴の一声ですべては決まり、党のしての一貫した政策というものは何もない。設立当初は「公明正大に、庶民の味方」を標榜し、学会員だけでなく浮動票も一部獲得して議席を伸ばした。日本のどちらか言うと低所得者層を支持層としていたが、やがて共産党とバッテングするとなると、唯物論と唯心論が一体となって「10年協定」を結んだのだから、世間は驚いたものだ。これも池田大作先生の一言で決められたものだ。池田先生の意向を踏まえ協定を結んだものの、さすがにこの協定は無理が多く、その後有名無実化で立ち消えになってしまった。池田先生が最も恐れるのは学会への弾圧である。また、その元になる風評をも断たねばならない。昭和45年、評論家藤原弘達氏の「創価学会を斬る」という暴露本が出るや否や書店の本を学会員に買いまくりの指示を出した。遠い記憶で忘れたが、確か当時、この問題を自民党時の政権に助けてもらったという記憶がある。ここから与党と仲良くすることこそ創価学会を守れる道となったのだろう。その後、新進党と組し、政権与党のうまみも肌身で知った。与党になれば、政教分離や、税金や、言論弾圧やあらゆることで叩かれなくて済む。そして自民党と組し、10年安泰でいられた。ところが民主党政権になった今、池田先生が最も恐れているのは、元公明党委員長矢野洵也氏の国会証言である。彼はいつでも国会で政教一致を証言してもいいと言っているからだ。あらぬことを暴露されれば、当然池田大作先生は証人喚問となって国会で追及される。そのため創価学会の広報部はお金を出して、「リベラルタイム」や「財界にっぽん」等、お金に弱い月刊誌に、矢野洵也氏の中傷記事を書かせたりしていた。しかしそんなことより、やっぱり与党民主党に擦り寄ることが一番となったのだろう。2月に池田大作先生の指令で秋谷栄之助創価学会前会長が小沢一郎と会い、そこらの利害が一致し、瞬く間にその後の公明党は民主党の応援団に豹変である。これで池田大作先生は証人喚問もなく、ばんばんざいである。

敗戦国日本に核持込は当然である!

2010-03-10 | 発言
昨日、岡田外相は日米の密約に関する「広義の密約があった」とする検証報告書を公表して、各マスコミは大々的に報道している。各紙は「歴代首相らが核の持込を黙認していた」と報じている。しかし、密約があろうがなかろうが、こんなことは当たり前の話である。日本は広島・長崎に原爆を投下され「非核三原則」を国民の「総意」とした。しかし、それは日本国民の感情の話であって、アメリカからしてみれば、「おれらが日本を守ってやってるんだ。日本に寄港する船に核が搭載されていようとも日本国民は黙っておれ」というのが本音である。基地撤去費用についても「日本が払え」となることは当然である。それを時の政府としては飲むしかなく、密約で飲んでおいて国民には「核の持込」「基地費用の肩代わり」は一切ありませんとごまかしの建前を言い続けてきた。しかし、敗戦国日本がアメリカと安保条約を締結した以上、アメリカの言いなりにならざるを得ないことは当然である。いくら奇麗事を言ったって、これが敗戦国日本の現実である。だから国の前途を考えると、安保条約がある以上、この「ごまかし」は必要なのである。もともと国民の総意というものもいいかげんなものである。国民一人ひとりが本当に国のことを真剣に考えているかと言えばそうではない。国民の9割は、その時々の社会風潮に影響され、右へ左へと感情的に流されているだけである。内閣支持率や世論調査などはそういう「軽薄な総意」でしかない。そんな軽薄な意識の「総意」に国の前途を委ねていたら、国は大変なことになる。このことは民主主義の弱点でもある。一票というものは、真剣に考えて投じる一票も、「知人から頼まれたから」と軽薄に投じる一票も同じ重さなのである。「バカはタテマエでごまかせばいい」、これがそういった国民を見透かした政治家の本音だろう。

暴利を貪る痔の漢方薬に国のお墨付き!

2010-03-03 | 発言
漢方薬の全部を否定するつもりはないが、本当に効くのかどうか疑わしいものも多い。相対的に効くには効くが「穏やかに効く」というのも漢方薬の特徴だ。ダイオウを中心とした漢方処方の便秘薬はむしろ西洋の処方より優れている。ところで、今年72歳になるぼくの魚釣りの師匠の話だが、ぼくも若干痔持ちだけれど、彼は今、痔で苦しんでいる。「師匠、病院で切ってもらえばいいのに」、ぼくがそう言うと、「血液が凝固しない薬飲んでるから手術が出来ないんだよ」という。彼は5年前に心臓の弁を人工弁に代える大手術をした。以後、大学病院で血液が凝固しない薬を貰って飲んでいるという。だから血が出ると止まらない可能性があるので痔の手術は難しいらしい。そこで師匠は、半年前から銀座まで行って、高額な痔の薬を買って、塗っている。よく「創業は江戸年間、痔でお困りの方に・・」と一流新聞に広告がでているアレだ。「この薬高いんだよ、もう40万円も使っちまったよ」。「で、効いてるの?」。「半年塗ってるけど、よくわからねえ。行くと、6万円もする薬を二日で使えっていうんだ。年金暮らしだというのによう。もう10万円買おうかどうか、今、迷ってる」。ぼくはその薬のパンフレットを見せてもらった。分厚いパンフレットには痔の説明のほかにもいろいろ書いてある。「なんだか宗教みたいでよう」、師匠が言う。通称「医師」というのが何人も写真入りで掲載されているが、どこの医師なのかは一切書いていない。中段にくると「この薬はサプリメントではないので領収書は税金で医療控除が受けられるので、控除を受けてください」とある。確かにサプリメントなら「痔が治る」とうたえば薬事法違反になる。ということは国が薬だと認めているわけだ。しかしちっとも効かないようだ。もうひとつテレビなんかで「動悸、息切れ、気付けに○○」ってのがある。あれも飲んでいる人が「この薬高いのよ、こんなちょっとしか入ってないのに15000円もするの」と言っていた。この人も効いているのか効かないのかよく判らないという、これもやはり昔からの漢方の薬である。漢方を薬と認めたのは田中角栄である。日中国交回復のために、中国栽培の漢方を日本で認めることによって、中国へのお土産としたのだ。とすれば、日本に古来からある漢方薬も認めないわけには行かない、そういうことで「薬」として認可したのだろう。しかし効いている様子はなく、しかも何万円もする暴利としか思えない高額さである。こんなものに国はお墨付きを与えていいものなのだろうか、それを逆手にとって「国が認めているのだから」と患者に高額な金を要求している。ほっといていいはずはない。(写真は要さん撮影)

精神科医はいいかげん、ぼくと雅子様の病気!

2010-03-01 | 発言
雅子様は長らく適応障害ということで、この頃少しはよくなられたようで公務に時たま出られられているが、アップダウンがあるようだ。ぼくも同じだからよく解るが、神経の病気というのは、完治しないし、常にアップダウンがあり、身体をごまかして生きるしかない。心療内科や精神科に行く患者さんに、医者はそれぞれ症状に応じて病名をつける。死にたくなったり、生きるのに悲観的な人は「うつ病」、不安感が急に押し寄せて来て呼吸が速くなる人は「過呼吸症候群」「パニック障害」、疲労感が募り、寝てばっかりの人は「慢性疲労症候群」、など等病名をつけるが、なかなかよくならないのが通例である。ぼくが「過換気」の発作で路上で倒れて、初めて慶応病院に担ぎ込まれたのは、もう20年以上も前である。仕事と文学思考の狭間で、精神的なストレス(ストレスとは自分ではまったく気がつかないものです)と、毎日睡眠時間3時間というのが重なり、脳内が悲鳴をあげたようです。以来20年間、ヘンテコな病気とお付き合いしてきたが、医者は病名をつけ、薬は出すけど、その医者自身が精神科の場合「病気」自身をよく解っていないようだ。ガンや内臓の病気なら、CTやMRなどの検査や血液検査で病んでいる場所、原因などが判る。けれど、神経というのは、検査する機械もなければ科学的方法もない。医者は患者の答える問診だけが頼りで、いっぱしの病名だけはつけるが、実はなんにも判っていないのである。ぼくの場合も、当初、病院はどこに行ってもダメでした。身体は辛くって、過呼吸の発作だけでなく、めまい、極度の疲労感、毎日続く微熱、下痢など、こんなに身体的な症状があるのにと言っても、医者自身がよく判ってないなあというのが肌で感じた20年でした。日本でも精神科で有数といわれていた駒込病院の教授に診てみたら「これは治りません」とまで言われてしまった。脳の中のことは、まだ先端科学でも5%くらいしか判らないと言われている。しかし上記の精神的な病の多くは、脳の神経細胞同士の伝達物質、セロトニンの量がストレスなどの原因で分泌が減ったことからくるようだ。昔で言う「自律神経失調症」というのもそれに含まれるだろう。それらは人によって症状が違うから、雅子様のような「適応障害」、「パニック障害」、「神経症」、「心身症」など症状別に病名がつけられていているが、元の原因はひとつのような気がしている。ぼくの場合も、「過呼吸症候群」が定着して「パニック障害」になったり、疲労感がひどくって、いつも横になっていないと辛いという「慢性疲労症候群」のようでもある。39歳で倒れて、それでも仕事をしないと食っていけないから、その後の20年間はほんとに辛かった。ぼくの場合、向精神薬のホリゾンと精神安定剤のドグマチールという薬が何とか利くので、それを飲むと体力・精神力が以前の半分くらいは復活するので、医者にもらって飲み続けている。それで身体と頭を騙しだまし、その後自分で出版社を興し、8年やったところで、やっぱりしんどくなって、四年前に清算し、その後は隠遁生活をしている。自分の身体は自分が一番よく判る。精神科医はほとんど手探り状態で判っていないのが実情である。ぼくも男だからまだまだ現役で働きたいなあと思うけど、これも人生、仕方が無いと諦めている。余生を、だましだまし生きていくほかはない。