まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

小泉の悪法を改正し、国民の生活を守れ!

2008-11-30 | 発言
来年3月までに現段階で上がった数字でも3万人以上の派遣社員や請負など非正規社員が首を切られる。彼らは、低賃金で預金も少なく、首切りと一緒に寮まで追われ、ホームレスになるひともいる。年末までにまだまだこの数字は増え続けるだろう。これらの原因は遡ってみれば、1999年の労働法改正にある。ブッシュ大統領にプレスリーの真似までして傅いた小泉元首相がグローバル化の名の下に、低賃金で首切りがいつでも出来る派遣社員を製造業まで緩和したからだ。その非正社員の数は膨れ上がり、現在では就業人口4600万人の三分の一にまで達し、そのうち1000万人が年収200万円を切っている。さらに社会は弾力性を失い、一度非正社員になればもう正社員の道はなく、一生低年収で働き続けなければならない現状だ。大企業と下請けという産業の二重構造で日本は戦後やってきたが、このように個人所得の階級的二重構造まで大きく発展してしまった。日本にはアメリカのようにジャパニーズドリームがない、累進課税で所得格差がない、企業は社員を丸抱えでまるで社会主義国家のようだとは、戦後の発展期によく言われたものだ。しかし、その国造りこそが国民の殆どが中流生活を送れる理想的な国だったのだ。それを小泉はすべてぶち壊してしまった。そして不況になった現在、輸出依存から国内需要拡大といっても、所得の下層階級をつくってしまった現状では、可分所得の少ない人が増え、その転換は見込めない。また、将来、非正規社員で過ごしてきた殆どは生活保護を受けるようになり、社会保障費が膨大に膨れ上がるだろう。まったくひどい日本になったものだ。
しかし嘆いてもいられない。一日も早く対策を打つべきだ。その対策は三つある。ひとつはなんと言っても早急的なセフティーネットの充実だ。年収1800万円の人にまで、わけのわからん二兆円の給付金を出すなら、その金で、寮を追われた彼らを住まいを確保したり、生活保障、再雇用の促進などに金を使い、最低限の生活を保障することだ。二つ目には、小泉の悪法を改正し、請負、派遣などを原則禁止とし、非正規社員でも正社員なみの年収を得られるようにすることだ。企業側にしてみれば、グローバル化の中でそんなことをすれば国際競争力に負けてしまうというが、そんなことはない。社員の生活を保障できないそんなことで負けてしまう企業なら、初めから存在価値がない企業なのだ。企業というものはどんな条件下でも生き残っていくバイタリティーを持っているのが企業の本質である。三つ目に、役人にも民間並みの競争原理を導入することだ。これだけ民間の人たちが苦しい思いをしているのに、役人にはスト権がないかわりに首切りもないという公務員法を改正し、ぬくぬくと生活している公務員を民間並みの荒波にさらすことだ。そうしないと大変不公平である。役人というのは、ちよっとした街の窓口に行っても、非常に不勉強で、ちんたら仕事をして高給を取っている。民間との落差を肌で感じるほどだ。こんな不公平があってはならない。最低、これら三つの政策を早急的に実施すべきだ。そうでなければ、日本は大変なことになる。

高齢者の下宿住まい

2008-11-29 | 発言
昨日テレビで北海道などで高齢者の下宿住まいが盛んになっているというレポートを観た。疲弊した地方の財政で、とうとう高齢者が下宿にまで追いやられたかと、胸がつまった。以前学生に貸していた下宿に今は高齢者が住んでいるのだ。四畳半一部屋が自分の個室で、お風呂、洗濯機などは共同で使う。朝夕二食の食事がついて、一ヶ月家賃が7万~11万円ぐらいだ。有料老人ホームだと安くっても200~300万円の頭金がいる。しかし、下宿なら不要だ。これならなんとか年金収入でやっていけるひともいる。それに学生と一緒に高齢者が住んでいる下宿もある。そこのおばあさんは、孫のような学生を玄関まで送って「いってらっしゃい」という。おばあちゃんに今一番大切なものは何ですか?と聞くと「ひとの和」と答えた。次第に胸のつかえがなくなってきた。コミュニケーションの場として、こういうのもアリかなと思った。事実、持ち家で一人住まいのおばあちゃんが、わざわざ半年下宿住まいをしている。人のつながりが恋しいのだ。ドイツでは50年も前から老人ホームと小学校の校庭が共同になっていて、老人と子供が校庭で語り合っている。東京は全国でも最も一人住まいの老人が多い。しかし、こういう類の下宿は一軒もないという。二兆円の給付金を使うなら、民間のアパートを借り受けて、こういう下宿屋さんを造れば、どれほど助かる人がいることか。弱いものが一人で生きていくにはあまりにも淋しい社会だ。コミュニケーションが生活の場に組み込まれた共同社会の新たな場ができれば、ひとの和がさらに広がるだろう。

あまりにも悲しい日本人の自爆

2008-11-28 | 発言
インドで聖戦士と名乗る武装集団がホテルや駅など10ヶ所で同時テロを行い、300人にも及ぶ罪も無い死傷者がでた。テロといえばアルカイダが有名だ。別にテロはあってはならないことだし、賛美するつもりもない。しかし若者が国を思い、宗教に裏打ちされて、わが身を投ずることでその思いを晴らそうとしている。また日本の特攻隊も軍に誘導されたものであっても、若者が自ら死を賭けて国を守ろうとしたことにかわりはない。赤軍派もオウム真理教もそれぞれひとつの思いを持っている。繰り返して言うが別に戦争やテロに対して賛美を送っているわけではないが、「世の中をよくしよう」という社会改革や革命を目指し、それぞれの思いを自らの死を賭けても貫こうとしていることは事実だ。また団塊世代が経験した全共闘や安保闘争など、それらにはそれぞれのイデオロギーがあった。ところが今の日本人の自爆にはイデオロギーがない。「世の中をよくしよう」というのではなく、この世の中から消えることが目的なのだ。まず、広い意味で年間三万人を超える自殺者は自爆といってもいい。それに秋葉原殺傷事件のように「誰でもよかった」という殺人も捕まれば死刑は間逃れないのを知った上での行為で、自爆テロだ。最近では毎日マスコミを賑わしている元厚生省事務次官連続殺傷事件も、小林容疑者は文字通り自爆テロといっていい。それらの現状をみると、自殺者も犯罪者も孤独の淵にどんどん追い込まれて、「もう、この世に未練はない」と自爆しているケースが圧倒的だ。今の日本は個人がバラバラで何の連帯意識も持てない。そういう社会風潮に輪をかけて、小泉元首相のお陰でますます生活格差を産んでしまい、一度ワーキングプアになると二度と敗者復活できない弾力性のない社会になってしまっている。堕ちる者はどんどん堕ちてしまう。そして実に悲しい自爆だけが待っている。「世の中、ひとのために生きる」という社会風潮や社会改革を目指すといった意識は今の日本人にはない。そういう社会風潮だと連帯感も生まれるのだが、他人に対しての猜疑心や人間不信ばかりが取り巻いて、信じることができるのはペットだけである。だからこそ皆ペットブームでペットに孤独を癒している。元事務次官殺しの小林容疑者も子供の頃可愛がっていた野良犬を保険所で処分されて、所管が厚生省と勘違いして元次官を殺傷した。動物を愛するものに悪いヤツはいないというが、小林容疑者も、もともとは気の優しい男だったのだろう。「弱い」野良犬の仇を「強い」役人トップを討つことで、堕ちていった自分の人生に、せめて自己存在の証を立てて、もう未練のないこの世の中に決着をつけたかったのだろう。「年金テロ」と勘違いした人たちはネット上で「よくやった」「天誅」などと賞賛を送った。このことは国民の中には「役人天国」と「堕ちこぼれた生活者」の落差に苛立ちを覚えている人が多いことの証左だ。今の日本にはそんな社会の歪みはいくらでもある。それが社会改革のうねりにならないのは何故なのだろう。意見は自由に言っていい国なのに、みんな沈黙したままだ。社会改革の息吹がみえなくなったのは日本が老朽化した証なのだろうか。誰も何も言わず、そして孤独に追い詰められた弱い人たちが次々と自爆していく。実に、淋しくって、悲しい状況だ。

ひどい総理を選んだもんだ

2008-11-27 | 発言
麻生首相は「政局より政策だ。経済の建て直しが最優先」と言って解散を引き伸ばしたが、その経済対策の二次補正予算の提出を年越しに持ち越すという。言ってることとやってることが全く逆である。その他にも「医者は常識がない」と放言したり、経済対策なのか福祉対策なのかわからん定額給付金は二転三転、政策が一向にまとまらない。この人にはもともと国をどうするという政策がないのである。往時、舞妓を情婦にするため30万円を手渡し、三本の指でわずか三ヶ月で総理を辞任した宇野宗佑なみの至上最悪の総理といっても過言ではない。もともと所信演説からしておかしかった。この国をどうもっていくのかというビジョンを語る所信表明で民主党の悪口や逆質問ばかりの演説だった。麻生は九州の財閥に生まれ、生まれた時から東京ドームの何十倍という豪邸に住み、「おぼっちゃま、おぼっちゃま」と女中にかしずかれて育ったのだろう。この人は日本という国のことも、国民のことも、自民党のことすらも考えていない節がある。考えているのは、自己顕示欲を満足させる総理の椅子だけである。自己満足だけが目的だからビジョンがないはずである。みんなから総理、総理とかしずかれ、この上なく自己顕示欲を漫筆し、帰りに高級ホテルのバーで一杯ひっかけながら「ああ、今日も楽しかったなあ」と回顧する。子供時代のおぼっちゃまとちっとも変わらないのである。それにしても、こんな体たらくが続くと安部、福田、麻生と三代たらい回しをしたが、ほんとうに自民党には人材がいないんだなあとつくづく思ってしまう。麻生はたぶん来年の総選挙まで解散もせず総理をまっとうするだろう。だって、麻生にとって、国民がどうなろうと、自民党がどうなろうと、総理の座ほど楽しい椅子はないのだから、おぼっちゃまのダダッコのように飽きるまで椅子の上で遊ぶでしよう。

紅白出場おめでとう、秋元順子さん!

2008-11-26 | 発言
昨夕、秋元順子さんがNHKの紅白歌合戦に初出場が決定して、カミさんともども飛び上がって喜んだ。秋元さんの歌を初めて聞いたのは、予約ダビングしていたFMの歌番組だった。「雨の旅人」という歌で、知らない人に曲想を言葉で伝えるのも難しいが、歌の雰囲気は、丁度、五輪真弓の「恋人よ」のような人生を感じる曲です。いくつくらいの人だろうか、30-40代にも聞こえたが、その後次の「愛のままに」もヒットし、テレビにも出るようになって、61歳だとわかった。カミさんともども大フアンになって、めったにCDなど買ったことのないぼくらが、彼女のアルバムを二枚とも買った。情感たっぷりに歌い上げる彼女の歌唱力は本当にすばらしいものです。若い頃はジャズを歌っていたが、結婚し、子育てし、娘さんから「お母さん、そんなに歌が好きなら、もう一度歌えば?」と背中を押されて、インディーズで「マディソン郡の恋」というCDを三年前に出した。これがクチコミでフアンが広がり、メジャーデビューが58歳という熟年の新人である。彼女は「夢を諦めないと奇跡が起こるんだなあという気持ちです」と語っているが、堂々と歌い上げる彼女の歌は、まさに新人ではなく大ベテランのようだ。こういう素晴らしい歌手が認められて、嬉しいかぎりだ。もうひとつ心動かされる曲がある。フジテレビで放送中の連続ドラマ「風のガーデン」のエンディング曲、平原綾香さんの「ノックターン」だ。これも放送の度に何度も聴いて心打たれ、英語の詩に「黒人霊歌だろうか?」なんて思っていたぼくは、とうとうCDを買った。説明を見てみるとショパンの曲に日本人が英語の歌詞をつけたようだ。彼女のヒット曲・ジュピターと同じ方式である。この曲もせつせつと哀愁、哀訴の歌いっぷりが実に素晴らしい。平原さんは今回紅白に出るかどうか知らないが、でればぜひ「ノックターン」を聞かせて欲しいものだ。ド演歌でもない、若いわけのわからん歌でもない、本当に心に染みるこんな人生歌が世に出てきたことはとっても嬉しいことだ。

遺体が語るもの

2008-11-25 | 随筆
日曜日にはカミさんとコンビニで昼弁当を買って、津久井湖に魚釣りに出かけた。上の写真がそうだが、釣れても釣れなくても、静かで暖かな陽だまりで、釣りをしながら昼飯をほおばるのである。自動車を道路の行き止まりの隅に駐車して、山道を下って湖畔に降りるのだが、その山道は自然のままなので春にはウグイスやガビがよく囀っている。イノシシやタヌキ、キツネも沢山いるので、ぼくも何度か出会ったことがある。でも日曜日はちょっと違っていた。山道を降りる途中、もう釣りを止めて引き上げてきた人と出合った。「もう、終わりですか?」、ぼくが声を掛けると、「ドザエモンがひっかかってるんだと。気持ち悪いから帰るんだ」「どのヘンで?」「入り江のむこうらしい」。釣り人は急ぎ足で去っていった。「気持ち悪い」カミさんがたじろいでいる。「大丈夫だよ、むこうって言ったから沖のほうじゃねえの」、せっかく来たのだし、大丈夫と言いながら、ぼくらはいつもの岸辺にたどりついて、シートを広げた。まだ左右に釣り人が四人くらい釣っていた。ぼくはエサを作り釣り竿を出して、釣りのセットをする。カミさんはいつものようにビール片手にスパゲッティーをほおばった時だった。山道を救助服を着た警察官が10人以上下ってきて、無線で連絡を取り合っている。静かな湖畔の空気が一変した。警察官の一人が10mほど離れた右にいる釣り人に話しかけた。「ボートに乗って釣りをしていた大学生から通報があったんだけど、どのあたりですか?」「あそこにペットボトルが浮いてるでしょ、あの向こうぐらいです」、釣り人は応えた。話しを聞いて、ぼくはカミさんと顔を見合わせた。「おい、あの辺りだって、随分近いなあ」。ぼくらから20mくらいのところである。「もう、食べられない」、カミさんは胃が急に小さくなったらしく、ほとんど手をつけずスパゲッティーを傍らに置いてしまった。「中村釣具店から現地に向かっています」「了解」、無線が静かな湖畔に響き渡り、そのうち6名くらい救助隊の乗ったボートが、岸辺の警察官と無線で交信しながら近づき、ペットボトルの向こうという所にたどり着いた。ボートの救助隊員は水面を覗き込み、発見したらしく何枚も写真を撮っている。そのフラッシュの閃光がこちらにも届く。向こう岸の公園では民謡大会でもやっているのか、明るく元気な民謡が聞こえてくる。一方では死体があり、一方では民謡を楽しく歌い、こちらでは釣り糸を垂れている。なんとも奇妙な空間だ。「水深3m、遺体発見、性別は不明、これから確保しますッ」。6人の救助隊員はイカリを沈め、遺体にひっかけて、引き上げた。こちらからはヘドロに覆われていたのか、真っ黒な物体が船上に引き上げられた。「自殺かねー、結構近くだったね」、ぼくは釣りえさを代えて竿を振り出した。魚の当たりはちっともない。「まいったわ、食欲ない」、そう言ってカミさんはまたビールをあおった。やがて救命ボートは遺体を乗せて、向こう岸の中村釣具店に帰っていった。こちらの警察官の無線が鳴り、まだ「年齢、性別不明」と言っている。どうも死体は腐乱しているようだ。その後ボートが帰ってきて、辺りを一周し「現場確認終了しました」と岸辺の警察官に言うと、「北署もこれで帰ります」「了解」、そう言って、双方の警察官たちはようやく去っていった。向こう岸では相変わらず民謡が続いている。ぼくはカミさんに言った。「上流の道志川でも橋の上から若い女性が飛び込んだって、まえボート屋のお上さんが言ってたよね。世の中大変なひと、一杯いるよ」。今回の遺体は、男なのか、女なのか、どんな人生を送って、なぜ死んだのか、ふっと竿を振りながら、そんなことが頭をかすめる。しかし年間三万人以上も自殺している日本では、明日の新聞にも載らないだろう。二時間エサを打ってピクリとも浮きは動かなかった。「もう、帰ろうか」。ぼくたちは身支度をした。何事もなかったように、民謡は楽しく響きわたっている。以前、親友がなくなった時に詠った歌を思い出した。「ひとが死ぬ神業ごとくパッと消え居なかったように続く日常」。遺体は生きる苦しみの絶望を物語り、民謡の声は生きる楽しさを奏で、こちらでは生きる暇つぶしに釣り糸を垂れる。帰り際、帰途の山道から見る湖水はいつもと変わらず波静かだった。生きるとは実に複雑なものだ。

博徒と柿売りの少女

2008-11-24 | 随筆
父親授業参観の日に父親を前にして小学生の子供が作文を読んだ。「この間、お父さんに動物園に連れていってもらいました。でもお馬さんばかりでした」・・そんな小話をある落語家が喋っていたのを記憶しているが、ぼくも最近競馬好きである。家にいるとどうしても運動不足になるので、歩くことが目的なのと、東京競馬場のある府中でたまには都会の雰囲気を味わうことが目的である。でも本当の目的はやはり「闘い」である。現役の仕事を引退したぼくには闘うものがない。これは男としてどうも致命的で、やはりまだ闘いたいのである。で、週に一度、お手軽に競馬で闘っている。前日から新聞で綿密な予想を赤ペン片手にアタマをひねる。そして一昨日も競馬場に赴いた。前日の予想では大荒れ、万馬券が出そうなレースがいくつもあって、今日は大勝できると期待して行った。万馬券というのは100円で買った馬が予想通りに入れば10000円になることを言う。そして馬連という買い方があって、一着二着の馬を二頭当てるのがほとんどぼくの買い方だ。レースが始まると予想通り、万馬券が続出、人気のない穴馬がトップを駆け巡ります。ぼくはハラハラドキドキ、久々に胸がときめきました。ところが9万馬券も出たというのに、ぼくの買った馬券は一着三着、二着三着とおしいのばかり、結局一レースも取れず、府中駅まで、「おしかった、おしかった、今頃は20万円もポッポに入ってたのに」と回顧しながら歩いていました。そうすると民家の庭先で、自分の家で取れた柿を台の上にのせて売っていました。先週見た時にはおじいちゃんが台の前に座っていて、一山100円とありましたが、今度は値札がありません。何気なく立ち止まって、試食をひとつ口に入れたら、「いらっしゃいませー」と大声をあげて、小学一年生くらいの女の子が駆けてきました。「いくら?」って聞くと、「こちらが200円で、こちらが300円です」とニコニコしながら応える。「じ、じゃあ、この200円のをください」、試食だけ食って立ち去ろうと思ってたぼくは、可愛い子供に出てこられて観念を決めた。少女は手際よく袋に入れる。あまりの嬉しそうな仕草に「将来、八百屋さんにでもなるかな?」と喋っていたら、奥さんらしき人が出てきて、「この子、うちの子じゃないんですよ、近所の子で、こういうのが好きらしくって」と喋りながら、「よかったらこれも持っていってください」とバケツに入っている柿を五六個余分に入れてくれた。「ありがとうございました」、少女の元気な声を背中に聞きながら、競馬で大負けしたのに何だか得な気分になった。

愛読者の皆様へ

2008-11-23 | 随筆
毎日欠かさず書いていたのに、突然書き込みをしなくなって丸三週間、ご愛読者の皆様にはご心配をお掛けしました。別に死んだのでもなければ、病気になったのでもありません。ふっと、一日書く意欲をなくしたら、そのままズルズル、三週間が経ってしまいました。人間、やっぱりバイオリズムがあって、生きる意欲にもアップダウンがあるものですね。この三週間はその意味でダウンの時期だったのでしょうか。60歳を過ぎると、何かで自分を磨く意欲が減退してしまいます。まっいいかって、日々を自堕落に暮らしていました。そういう時って、正直なもので、モノを考えたり、創作する意欲さえなくしてしまいます。いかんですねー。ハングリーなものと意欲はコインの裏表で、欠落の認識がなければ運動は起こりません。その意味では幸せな三週間だったかも知れませんが、やっぱり団塊の世代は「明日」にずっと燃えて生きてきましたから、自分の欠落部分の認識をしっかり考えて意欲旺盛にならないとと反省しています。今日は注文しておいた「ヤマユリ」の球根が入荷したと園芸店から電話がありました。花の中でヤマユリは野性的で気品があって最も好きな花です。来年初夏の開花を楽しみに植えてみます。

ぼくは天皇家の墓守

2008-11-07 | 随筆
うちのカミさんは天皇家につながる昔で言えば子爵の出だ。父親の父親、つまりカミさんの曾おじいさんが天皇家に繋がる家に養子に入り明治時代は子爵であった。たどっていくとどうも白川天皇の血をひく歌人だったそうな。その子爵じいさんは醤油と味噌の業界紙の社長をして、株で大儲けしたらしい。ところがカミさんの父親が子供の頃、両親とも亡くなり、カミさんの父親は親戚の元で暮らした。ところがその親戚に財産を全部取られたらしく、その恨みを晴らすために、カミさんの父親は東北帝大の法科に進んだ。しかし東北は寒く、法政大学に転向し、高文を取って、検事になった。その後弁護士に転向したが、岡山で病を患い、そこで知り合った看護婦と結婚し、東京に出てきた。それから戦争疎開で草津温泉で繰らすになり、カミさんが産まれた。結局、父親はボンボン育ちとバンカラ気質、それに親戚に全財産を取られてしまった怨念、文学思考、そんな思いが織り交ぜになって、一風変わった性格で、人生をまっとうした。そんな天皇家の家系を持つうちのカミさんはやっぱりおっとりしている。ぼくは京都伏見の桃山御陵の近くで生まれ、そこには明治天皇、桓武天皇の墓がある。そして今住んでいる近くには多摩御陵があり、大正天皇と昭和天皇の墓がある。どうも、ぼくはいわば天皇家の墓守らしく、そんなことで、今も天皇家の血筋のカミさんに仕えている。

依存症と禁断症状

2008-11-06 | 随筆
小遣い銭がないのでパチンコとタバコをやめることにした。といってもパチンコは止めて二日、タバコに至っては今日からだ。パチンコのほうは左程禁断症状は出ないが、タバコに至っては、まだ数時間なのに、吸いたくて、頭がぼうとしている。これまで禁煙には二度成功しかかった。だいたい四日間が峠で、それがすむと次第に禁断症状も和らいでくる。一回目は三ヶ月禁煙した。もう大丈夫と思っていたら、カミさんが台所で一服しているのを発見、たまらず、一本ぐらいいいか、って、それでズルズルまた復活してしまった。二度目は一ヶ月だった。せっかく始めの一週間の苦しさを乗り越えたのに、残念なことだ。だいたいぼくはパチンコしたりパソコンしていると吸いたくなって、一日三箱吸っている。パチンコも依存症、タバコも依存症である。うちの金(猫)ちゃんも、ぼくが朝起きて新聞を読んでいると膝の上で毎日両手を前後に動かしながら母親の乳房のミルクを出すようなモミモミ行動を取る。それをしないと落ち着かないらしく、どうも猫のモミモミ依存症らしい。猫もぼくも依存症から脱出できないでいる。

政一じいさん

2008-11-05 | 随筆
ぼくの母の父親、つまり、ぼくのじいさんは福井県の三国出の出身だ。祖先は塩焼きをしていたようで、貧しく、京都に出てきて、風呂屋の釜焚きをしていた。「自分も必ず風呂屋を持つ」とご飯に塩をかけて食べ貯蓄して、念願の風呂屋の店主になった。大正時代の話である。アイデアマンで当時では画期的だった人参実歩散だったかいう、薬湯を始め、これがヒットして遠くから電車に乗ってくるお客もいて繁盛した。これで儲けて、日本画家のスポンサーになって故郷を描いた掛け軸を何枚も描かせたり、風呂屋を人に任せて、市議会議員に立候補したりした。全盛はそこまでで、選挙ではトップ当選を果たしたものの、片山津温泉に後援会の連中を連れて行ったとして選挙違反に問われてしまった。それからさらに人に貸していた風呂屋が、裁判沙汰にもしたが結局人手に渡ってしまったり、家の二階をGHQの軍人と愛人に貸していたら、アイロンの火で全焼してしまったりの不運続きになった。そのあげく、台風の後、改築した家の屋根瓦を直していて、屋根から下に転落し、片足が動かなくなって、杖をつくようになった。それでもめげないで、親戚の風呂屋の空き地で下駄の露天商をしていた。60になって、息子夫婦が一緒に住んでくれるというので、玄関の壁を塗り替え、疲労がたまっていたのか、息子夫婦が引っ越してくるという当日、布団の中で静かに亡くなっていた。ぼくは、政一じいさんにはどっかに連れて行ってもらい駒を買ってもらったのを覚えている。そして亡くなった当日、前の公園から「マサオ、あんぱん、持ってきたぞお」と片足を引き摺りながらやってきた政一じいさんの夢をみたことも覚えている。起きたら両親が「じいさんが死んだ」と騒いでいるので、夢に見たと言えばとってつけたようなので黙っていた。今から思えば政一じいさんは波乱万丈の人生だった。

政府は一日も早く労働法を改正せよ

2008-11-04 | 発言
ぼくとカミさんはよく転職した。転職すると給料はダウンするものの、三ヶ月見習い期間があって、四ヶ月目から正社員というのが通例だった。まあ言ってみれば敗者復活戦が何回でも出来た。でも小泉元総理のやった派遣法改正で、ガラリと労働条件は様変わりし、一度会社を辞めると、もう正社員にはなれなくなった。正社員への敗者復活はない状況だ。現在年棒200万円以下の就業人口が1000万人を占めるようになった。経営者はグローバル化の波といい、ハケンを使わなければ国際競争力に勝てないというが、それは大きな間違いである。日本は戦後、大企業と下請けという中小企業の産業の二重構造で繁栄を築いてきた。しかし、正社員とハケンという個人所得の二重構造まで許してしまうと、内需が下がり、国力がますます落ちてしまう。それはひいては、企業の衰弱につながる。そういうことを考えずに、国際競争力に勝つには派遣を使った賃下げというイージーな経営を認めた小泉総理は何を考えていたのだろうか。すみやかに労働法を改正し、正社員雇用を中心とした労働条件に代えることだ。そうしなければ、年棒200万円以下の人たちはいずれ年を取ると蓄えもなく、生活保護を受けるようになるだろう。生活保護者が1000万人になって、果たして国が持つのだろうか。空恐ろしくなる。企業資本に倫理道徳はない。儲けることが目的だからだ。合法であれば、低賃金でどんどん使っていくものだ。それをセーブするのが国の役割である。一日も早く正社員を中心とした労働法に改正しなければ大変なことになる。

くらしの提案

2008-11-03 | 随筆
人間というのは自分のことを自分で決められるタイプとそうでないタイプがあるみたいだ。
一つ年上のうちのカミさんはもう40年近く一緒に暮らしているが後者に属する。夫唱婦随ってな時代ではないのに、いつも自分のことは自分で決めかねている。だから何でもぼくがこうしろって強制はしないが、こうしたらいいんじゃないかって提案をして、いいわねえっと納得するようにうまく誘導していく、そんな毎日が続いている。ところで、ぼくらの歳になると健康を保つのに歩くことが一番だ。そんなことで、ぼくの提案でこの三連休は土曜日が競馬場、日曜日は動物園に行ってきた。ウオーキングシューズを履いて、二人でリュックを背負って、駅までバスに乗らず40分の行程をまず歩く。駅前でハンバーグを四つ480円で買って、電車の中で昼飯でそれをほうばる。そして競馬場で柵の前にシートを引いて、カミさんはビール片手に予想、本場場入場で競走馬が緑一色の芝生の上を駆けていくのを楽しくながめる。この日は、カミさんが一点100円買いで、5レース中2レースを取った。300分の1通りしか入らない競馬を一点で取るとは大したものだ。ぼくは、福島、京都のレースにも手をだして10レース以上やって、最後のレースでやっと取れた。カミさんは若干プラス、ぼくは半返しという結果だった。二日目は動物園に行った。休憩所でカミさんが作った握り飯で昼ごはんを終え、アフリカゾウや、ライオン、チンパンジーなど、次々と見てまわった。園内は禁煙なので、タバコが吸いたくなって、キリンがいる裏側の人がいないきゅう舎の近くで吸っていたら、キリンが何頭も覗き込んでくる。どうもエサをくれる厩務員と間違えているらしかった。動物園は人も多く、登り下りがあって、すっかり脚が棒になって、アジア地域を見ずに半分で引き上げてきた。そしてテレビで丁度競馬の天皇賞の中継があったので、昨日買っておいた馬券を握り締めて観戦していたら、また、カミさんが取った。ぼくは京都の兄と一緒で穴党で荒れなけりゃ
商売にならないが、カミさんは本目ばかり買うのでよく入る。そんなことで、二日が終わり、今日は連休三日目の最終日、カミさんは3時から自治会館で定例の卓球クラブに行くので、今日のぼくは、ほぼ解放日だ。急に自由になったからといって、お金はないし、パチンコにも行けず、なにすることもない。今日は自分に提案をしなければならない。

こねこの詩

2008-11-02 | 
(ぼくが30年以上も前に作詞作曲した歌です)

秋に生まれた子猫
暗い空き地に捨てられた
枯れ葉がくるくる舞い落ちて
冷たい風にふるえてた
かーあさん かーあさん
泣く子猫

やさしい母さん胸の中
ぼくは楽しい夢をみる
いつかは会える日がくると
木枯らし吹いても信じてた
かーあさん かーあさん
泣く子猫

ひとりぽっちの子猫
雪がしんしん降るなかで
捜し疲れてねんねして
白い世界に消えてった
かーあさん かーあさん
泣く子猫

東京都にクマが出た

2008-11-01 | 随筆
ぼくの住まいは東京のはずれでも一様、東京都である。ところが、今朝自治会のチラシを見ると、近隣でクマが出たからご注意を、とあった。人里のない裏道を通って、カミさんとよく森林をハイキングするのだが、イノシシが土を掘ってミミズを食べた跡はよくみる。それに、タヌキだって家の前で出くわしたことがある。上の写真がそうだ。でもクマとなったらただ事じゃない。今までクマがいるような話は聞いたことがないからビックリだ。近くに高尾山があって、最近観光の名所として富士山、京都についで外国人には三ツ星マークになっている。その高尾山を今、圏央道という高速道路が通過するので建設中だが、どうもその影響でクマが追われて人里に降りて来たようだ。一ヶ月前にも車で走っていると、30匹ぐらいの野生の猿の群れを発見した。40年近く住んでいて、初めて見た光景だった。やっぱり道路建設の煽りを食って追われてきたのだろう。今まで人に接することなく森の中で代々暮らしてきた獣たちが、工事の地響きに驚き、次々と故郷をあとにせざるを得なくなったようだ。獣たちに申し訳なく思う。でもクマだけは裏道で出くわさないことを願っている。