新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私おアメリカ論

2016-07-28 08:39:46 | コラム
アメリカを経験から分析すると:

アメリカは私が最も好きな国:

勿論、「我が国を除いて」でありますが。私はリタイヤー後も含めて考えれば世界で僅か?20ヶ国を歩き回ったに過ぎないがその中でもアメリカは仕事上の必要もあり、1972年から昨年までに正確に数えてはいませんが、60回以上往復していたと思うのです。素晴らしい国だと信じております。それは確かに好き嫌いを超えた次元のことです。好きだからこそアラが見えて批判したと思っています。

正直に回顧すれば、これまでアメリカを褒めた記憶がありません。しかし、今でもアメリカは世界中で好きな国の中で断然最上位にあり、その機会が訪れれば昨年で切れてしまったパスポートを更新しても是非これから残り少ない人生の中で何度でも行きたい、行って昔からの上司・同僚・友人知己たちに会って何でも良いから語り合い、好きだったシアトルや、シカゴやカリフォルニア州や、ニューヨーク等を歩き回りたいと心から望んでいます。

1972年8月に生まれ始めてアメリカに渡った時には「これほど素晴らしい国であれば永住しても良いか」と思ってしまいましたが、時間が経つにつれてアメリカという国が抱える問題点があからさまに見えてきて永住は願い下げではあるものの、その素晴らしさに対する認識は深まっていったのも事実です。だがもし、私に問題ありとすれば「その良さ」に恐らく一度も言及してこなかったことでしょうとの反省はあります。だが、素晴らしさの解説は多くの有識者や評論家やマスコミにお任せすれば十分だと考えていたのもまた確かなことでしょうか。

しかしながら、これまで数え切れない程アメリカを私が知る限りの面と点から批判し続けてきました。それは何度も繰り返し論じてきた日米相互間の理解と認識度の低さと文化の違いを知らない他に、繰り返し生じてきたあらゆる摩擦と誤解が余りにも情けなく、私が書くものをお読み頂く方々に少しでも日米間の違いを認識して可能な限りに正確に(私の見方によるとでも言うか)アメリカを知って貰いたいと純粋に願っているからなのです。尤も、私のアメリカ批判は「アメリカの実態を正確に伝えていないマスコミ」に対する批判でもあるとは自覚しています。

先ずはTPPから:
私はマスコミ報道を信じたと言うべきかどうか、アメリカ乃至はオバマ政権はTPPを「関税を聖域なく撤廃し完全な自由貿易として、不振のアメリカ経済を輸出で建て直す為に推進する」と理解していたのです。アメリカは基本的に輸出国ではないと経験上イヤと言う程知らしめられていたので、批判しました。その後にと言うか、その自由貿易推進が何時の間にか知財であるとライセンシング等に重点を置く方向に変わったと認識しています。

私は基本的にTPPはオバマ大統領がアメリカの輸出が振るわないかを完全に認識しておられなかった為ににTPPへの加盟を考え出したのは、不適切だと思っています。即ち、輸出国ではなく、国内需要に依存しているアメリカが他の太平洋沿岸の諸国と条約を結んだだけで、相手国が「そうでしたが、輸出ですか。ではお付き合いを」と言って貿易を拡大する訳がないと思うのです。もっとよりよく自国の弱点を知っていて欲しいと考えました。

しかし、この問題も共和・民主両党の大統領候補者が掲げる政策から見れば、アメリカは脱退の方向にあるようで、私の批判は無駄球だったことに終わるかも知れません。ここで、私は敢えてもう一度カーラ・ヒルズ元通商代表部大使が言われた「対日輸出を増やそうと思えば識字率を上げて初等教育を徹底する必要がある」という根本的な問題の所在を挙げて、何故アメリカの製品の質には国際的競争力に乏しいかの説明にします。

アメリカの農業ですが、私がアメリカに初めて出張した1972年7月に、オハイオ州の畑の中を1時間ほど走って解ったことは「アメリカでは農業は機械化された産業で、我が国は家内産業だった」ということ。長年アメリカの会社で働いて認識出来たことは「たとえ、優れた機械を使って近代化されても、アメリカの労働力の質では我が国のような優れた均質の労働力を持つ国には勝てる訳がない」という無残な事実を知れば「農業だって同じでは?」とは思うのですが、知らない分野のことに口出しする勇気はありません。

アメリカ産米の輸出への疑問:何度か提示した疑問は「アメリカのカリフォルニア米が幾ら近代化された設備で作られていても、国内での需要を捨ててまで、国内市場よりも高く売れるとの保証がない我が国に向けて輸出するでしょうか」です。アメリカのビジネスでは輸出は原則として「国内市場よりも高く売れるから出荷する」となっています。故に、私が抱く疑問は「アメリカの農家が敢えて国内向けよりも安くして日本に輸出するのか」です。以前調べたアメリカの国内価格は決して日本の価格より安くはありませんでした。そこから更に引き下げて国内の需要と利益を捨ててまでに日本に売るのかということ。JAなり農林族なりはこの程度の調査は出来ていると思うのですが。

私はアメリカで我が国の米よりも質が高く尚且つ安価な米を作っているとは思えないのです。あの大雑把な労働力の質で我が国の農業に勝つとは思えません。TPPでアメリカが我が国の農業を滅ぼすというのは、買いかぶりか被害妄想ではありませんか。また紙の例を挙げますと、アメリカ製の紙の質は我が国産紙には遠く及ばない程度でした。例を挙げろと言われればいくらでもあります。我がW社の我が事業部は品質改善の指導を我が国の某大手製紙会社に何度も受けた事実があります。事労働力の質と製品の品質を考える時、自動車産業ではアメリカの劣勢は明らかではなかったかと思いますが。

アメリカの製造業の問題点:
最大の欠陥は敢えて極端な表現を用いれば「自分たちの基準でしかものが考えられず、自分たちの設備を最大限に有効活用して、自分たちの都合を優先したスペックで作れる物しか造る気も無ければ技術もなく、客先の需要(カタカナ語ではニーズ)に合わせて受注生産する気はありません。即ち、古き良き言葉で『少品種大量生産』でコストを下げて、多少の品質のバラツキや製造ロスには目をつぶる」のが彼らの製造の哲学です。スペックも自社の設備が最大限の効率を上げるように設計され、実需が何を要求するかに対する考慮は最低限です。私はこのようなアメリカの製造業界の哲学を”producer’s market”と呼びました。即ち、良く言われる「バイヤーズマーケット」でも「セラーズマーケット」でもないのです。何分にも"America is the greatest!"ですから。

アメリカ国内の市場と需要者は少しくらい好い加減な製品でも目をつぶって、それこそ"America is the greatest!"と信じ込んでいるから嬉々として買います。そんな甘い市場に世界最高の品質を誇る日本 製品が入っていけば、勝てるのは当たり前でした。自動車然りでしょう。反対に我が国の市場にはアメリカの高度工業製品は定着しにくかったのだと思います、ボーイングを除けば。1980年代に入ってからだったか「何故日本に出来てアメリカの出来ないのか」というNBCの番組が大当たりしました。そのアメリカの製造業の先端にあって20年以上も対日輸出をしていた私が言うのです。アメリカの自己過信と世界知らずがも現在の凋落をもたらしたと思っています。

アメリカのどの層と接触か交流するのか:
アメリカはどの層を、どの地方を、誰を見るかで大きく変わります。繰り返して言ってきたことですが「私はアフリカ系アメリカ人と膝つき合わせて語り合う機会はついぞありませんでした。工場には事務系にヒスパニックが何名かいたので、仕事上で話し合ったことはありましたが。そういう社会の構造があるのです。私が知り得たアメリカは、仏文学の黒木博士に言わせれば「支配階層だった」ことのようでした。故に、私が唱えるアメリカ論に異論を唱える人が出やすいのも解ります。思うに、それは私が接触出来なかった階級乃至は層とお付き合いがあった方なのだと思います。アメリカの多様性は、我が国のようにバラツキが少ない国にいては到底感じ得ないでしょう。

だから、私は「群もう象を撫でるが如し」だと言うのです。耳を捕まえて「扇のようだ」と思う人もいれば、鼻を捉えて「ホースのようだ」と捉える者がいて、足を触って「太い柱だ」というようなことでしょう。だからこそ、私は敢えて黒木博士の言を引用したのです。W社の事業部長級の者たちは2~3名の子弟を年間の学費が500万円を超える東部のIvy Leagueや西海岸ではStanfordのような私立大学に悠々と進学させられる資産家というか高給取りです。即ち、支配階層の者たちが運営する会社です。

言わば結論的に申し上げたいことは、たとえ私が支配階層にいる者たちのものの考え方や会社運営方針や思想しか知り得なかったとしても、私が唱える「日米企業社会の文化の違い論」を聞いて頂きたいのです。我が国の政財界の方々が付き合われるのは、私が言う支配階層の者たちであって、それ以外の層ではあり得ないのですから。同時に、一般の方がアメリカに渡られたとしても、かの国を支配するごく少数の階層の人たちに会えて腹蔵なき意見の交換が出来る機会などは先ずあり得ないと思う方が正確だと危惧します。マスコミの方々がそういう人たちを取材出来る機会もまた極めて希ではないのかと思うのですが。

アメリカを考える

2016-07-24 07:28:34 | コラム
アメリカを製造業での経験から分析すると:

先ずはTPPから:
私は基本的にTPPはオバマ大統領が経済と貿易をお解りではなかった為にTPPへの加盟を考え出したのは、極めて未熟というか不適切だと思っています。即ち、輸出国ではなく、国内需要に依存しているアメリカが他の太平洋沿岸の諸国と条約を結んだだけで、相手国が「そうでしたが、輸出ですか。ではお付き合いを」と言って貿易を拡大する訳がないと思うのです。非耐久消費財の対米輸出国である中国向けには輸出実績がありますが、それは一次産品が多いという程度のこと。

ここで、私は敢えてもう一度カーラ・ヒルズ元通商代表部大使が言われた「対日輸出を増やそうと思えば識字率を上げて初等教育を徹底する必要がある」という根本的な問題の所在を挙げて、何故アメリカの製品の質には国際的競争力に乏しいかの説明にします。

私がアメリカに初めて出張した1972年7月に、オハイオ州の畑の中を1時間ほど走って解ったことは「アメリカでは農業は機械化された産業で、我が国は家内産業だった」ということ。長年アメリカの会社で働いて認識出来たことは「たとえ、優れた機械を使って近代化されても、アメリカの労働力の質では我が国のような優れた均質の労働力を持つ国には勝てる訳がない」という無残な事実。「農業だって同じでしょうよ」とは思うのですが、知らない分野のことに口出しする勇気はありません。

アメリカ産米の輸出への疑問:何度か提示した疑問は「アメリカのカリフォルニア米が幾ら近代化された設備で作られていても、国内での需要を捨ててまで、国内市場よりも高く売れるとの保証がない我が国に向けて輸出するでしょうか」です。アメリカのビジネスでは輸出は原則として「国内市場よりも高く売れるから出荷する」となっています。故に、私が抱く疑問は「アメリカの農家が敢えて国内向けよりも安くして日本に輸出するのか」です。以前調べたアメリカの国内価格は決して日本の価格より安くはありませんでした。そこから更に引き下げて国内の需要と利益を捨ててまでに日本に売るのかということ。JAなり農林族なりはこの程度の調査は出来ていると思うのですが。

私はアメリカで我が国の米よりも質が高く尚且つ安価な米を作っているとは思えないのです。あの大雑把な労働力の質で我が国の農業に勝つとは思えません。TPPでアメリカが我が国の農業を滅ぼすというのは、買いかぶりか被害妄想ではありませんか。また紙の例を挙げますと、アメリカ製の紙の質は我が国産紙には遠く及ばない程度でした。例を挙げろと言われればいくらでもあります。我がW社の我が事業部は品質改善の指導を我が国の某大手製紙会社に何度も受けた事実があります。事労働力の質と製品の品質を考える時、自動車産業ではアメリカの劣勢は明らかではなかったかと思いますが。

アメリカの製造業の問題点:
最大の欠陥は敢えて極端な表現を用いれば「自分たちの基準でしかものが考えられず、自分たちの設備を最大限に有効活用して、自分たちの都合を優先したスペックで作れる物しか造る気も無ければ技術もなく、客先の需要(カタカナ語ではニーズ)に合わせて受注生産する気はありません。即ち、古き良き言葉で『少品種大量生産』でコストを下げて、多少の品質のバラツキや製造ロスには目をつぶる」のが彼らの製造の哲学です。スペックも自社の設備が最大限の効率を上げるように設計され、実需が何を要求するかに対する考慮は最低限です。私はこのようなアメリカの製造業界の哲学を”producer’s market”と呼びました。即ち、良く言われる「バイヤーズマーケット」でも「セラーズマーケット」でもないのです。何分にも"America is the greatest!"ですから。

アメリカ国内の市場と需要者は少しくらい好い加減な製品でも目をつぶって、それこそ"America is the greatest!"と信じ込んでいるから嬉々として買います。そんな甘い市場に世界最高の品質を誇る日本 製品が入っていけば、勝てるのは当たり前でした。自動車然りでしょう。反対に我が国の市場にはアメリカの高度工業製品は定着しにくかったのだと思います、ボーイングを除けば。1980年代に入ってからだったか「何故日本に出来てアメリカの出来ないのか」というNBCの番組が大当たりしました。そのアメリカの製造業の先端にあって20年以上も対日輸出をしていた私が言うのです。アメリカの自己過信と世界知らずがも現在の凋落をもたらしたと思っています。


アメリカのどの層と接触か交流するのか:
アメリカはどの層を、どの地方を、誰を見るかで大きく変わります。繰り返して言ってきたことですが「私はアフリカ系アメリカ人と膝つき合わせて語り合う機会はついぞありませんでした。工場には事務系にヒスパニックが何名かいたので、仕事上で話し合ったことはありましたが。そういう社会の構造があるのです。私が知り得たアメリカは、仏文学の黒木博士に言わせれば「支配階層だった」ことのようでした。故に、私が唱えるアメリカ論に異論を唱える人が出やすいのも解ります。思うに、私が接触出来なかったそうとお付き合いがあった方なのだと思います。アメリカの多様性は、我が国のようにバラツキが少ない国にいては到底感じ得ないでしょう。

だから、私は「群もう象を撫でるが如し」だと言うのです。耳を捕まえて「扇のようだ」と思う人もいれば、鼻を捉えて「ホースのようだ」と捉える者がいて、足を触って「太い柱だ」というようなことでしょう。だからこそ、私は敢えて黒木博士の言を引用したのです。W社の事業部長級の者たちは2~3名の子弟を年間の学費が500万円を超える東部のIvy Leagueや西海岸ではStanfordのような私立大学に悠々と進学させられる資産家というか高給取りです。即ち、支配階層の者たちが運営する会社です。

言わば結論的に申し上げたいことは、たとえ私が支配階層にいる者たちしか知り得なかったとしても、私が唱える「日米企業社会の文化の違い論」を聞いて頂きたいのです。我が国の政財界の方々が付き合われるのは、私が言う支配階層の者たちであって、それ以外の層ではあり得ないのですから。


7月23日 その2 包装容器と包装材料の変遷

2016-07-23 13:12:36 | コラム
リサイクルとリユース:

畏友・尾形氏と佐藤氏が交換された議論を拝読して、一寸本筋から離れた議論を思い付きました。それは牛乳の容器の変遷でした。牛乳は「乳等省令」(だったか?)という厚生省(現厚労省)の条例があり、牛乳瓶、ガラスです、に充填されるものと決まっていました。そこに50年代にアメリカから先ず蝋漬けにした紙パックが入ってきました。ご記憶の方は少ないと思いますが、”Blue Seal”という飲料で進駐軍専用でしたが、一部が横流しされて市場に出ていたと記憶します。

その紙パックを蝋漬けした容器を採用しようとした乳業会社は、厚生省に「例外容器」としての紙で作ったパックの採用の申請をして審査を経て「例外」が認められました。即ち、現在では当たり前の紙パックは例外だったのです。そして、例外容器を採用する乳業会社は、その都度厚生省に「例外容器申請」を、そのアメリカ製の紙の見本等を申請書に添付して、厚生省の審査とテストを経て許可されました。

その後、蝋漬けではなくポリエチレンフィルムを両面にラミネートした紙パックが導入されると、その例外だった容器が「例内」を遙かに超える比率となったのですが、それでも入牢省令は変わらず、例外申請が続きました。すると、今度は紙だけではなくアメリカ製のPEのレジンもアメリカからその都度取り寄せて、書類とともに提出して安全性の検査を受けねばならなくなりました。安全に決まっていますが、そこがそれお役所仕事でした。

ガラス瓶が使われなくなった理由を説明すると長くなりますが、ガラス瓶は全部回収して洗瓶の機械にかけて洗うのですが、その牛乳も混じった廃液が下水を汚染するという事態になって忌避されたのです。即ち、ここでは古くから「リユース」はされていました。それに、ガラス瓶は割れたらおしまいですが、紙パック綺麗な印刷も出来るし、一回きりの使用ですが回収の手間がなくその合理性が評価されました。アメリカの紙パックメーカーは”single service division”などと称していたとこもあって、一度使えば終わりを表していました。時代の流れと環境問題があって徐々に且つ急速に紙パックに取って代わられ今日に至ったのです。

次は段ボール箱です。その昔は包装材料は主に木箱でしたが、その容器というか包装材料としての使命を果たした後の処理が非常に手間と費用がかかることで、徐々に段ボール箱に置き換えられました。段ボール箱の紙は古紙として回収された後でリサイクルが可能なので経済性が高くまた環境に優しいのですが、合理的だということで評価され木箱が消えていく運命になったのだそうです。「なったそうです」と言うのは、私はこの分野には関係したことがなく、大筋で受け売りなのです。

既にお解りの方はおられると思いますが、段ボール箱は典型的な「リサイクル」可能製品なのです。牛乳パックだって1980年代には使用後に回収してリサイクルしようという運動が始まっていました。牛乳パックパックの使われている木材繊維は極めて品質が高く、一回で捨てるのは勿体ないと、我が国の主婦の方が起こした運動がありました。

何を言いたいのか解りにくいのでしょうが、時代の流れで環境保護が重要視され、使用後は廃棄される包装容器と包材の合理化が進められ、包装の形態が変化したというお話です。今、段ボール業界が最も恐れているのは、あの箱は一回使ったら終わりという(古紙になるだけ)という経済性に乏しいことと、本来はタダにしたい容器に金を払いたくない需要家が増えて来たので、何時他の包装形態に切り替えられるかと戦々恐々なのです。

事実、市況次第でコストが変動しやすい段ボール箱を嫌う需要家の中にはプラスティックの熱収縮フィルムを採用するところもあるなど、パッケージングのコスト削減は始まっています。また、パレットの上に紙で包装したパックを積み上げてシュリンク・ラップするソフトウエアもずっと以前に開発され実用化の段階にあり、時代の変化の先行きは私のような門外漢にはとても読めません。